◆Dead Drop

【第二十五話】

 カランカラン、と、今日も乾いた音が店内にこだまする。こぢんまりとしているが、品の良さをどことなく感じるのは、おそらく調度品の価値がそれなりだからだろう。
「ぁーう、ばぅ、まんま、ばーぅ、まーま」
「ああっ! ヒスイちゃんはおうちにいないとだーめ、めっよ」
「ぁー」
「あれまぁ、もうおしゃべりできるようになったのかい?」
「ええ、そうなんです。つい先日なんですけど」
「子どもの成長は早いものですね」
「ふふ、パパにもママにも似て行儀のよいことだねぇ」
「う?」
 お気に入りのぬいぐるみを涎でベチョベチョにしながらヒスイが常連さんを見上げ、純粋な瞳をぱちぱちとさせた。また同じくしてアプリーリスの耳元で光を反射したピアスがキラキラゆれる。
 カフェの一角には子どもが遊べるようにプレイゾーンを設けてあるのだが、そこに出入りできるよう、ヒスイ専用の家(という名の子ども部屋)が作られているので常連さんも見知った顔であった。
 コポコポとサイフォンが音を立て、菓子がたった今焼き上がったことが良い香りによって皆に伝わる。店は森の入り口に建っているため、木漏れ日が優しくテーブルを照らし、心をほっこり暖かくする。静かだけれど、無音ではない。時折鳥のさえずりなんかもして。そんな心地よい空間が開店当時から変わらず続いており、口コミのみでもなかなかに繁盛しているのだった。
 本日とて普段と変わらないゆったりとした時間が提供される予定のはずなのだが、怪しげな影が二つ。店の扉に忍び寄る。その二人組は戸惑うことなく扉を開けた。ぴくり。店主のバルバトスは紅茶を淹れていた手を止め、徐に頭をあげるとにこりと笑った。その笑顔は常連客に向けられるそれとは打って変わって『目が笑っていない』ものだ。それに気づかずに妻は至って普通に声をかけてから、かつてともに戦った同志の登場に新鮮に驚く。
「いらっしゃいませ。何名様でしょう……って、アルケドにルキオラ!」
「きたよ〜小リスちゃん。元気そーじゃん」
「お久しぶりです」
「……本当に探し当てるとは」
 表情には出さないところがバルバトス。二人を歓迎しているのはアプリーリスだけのようだ。なんだ店主の知り合いかと、見知らぬ顔に少しだけ驚いた客も安心した様子。アルケドとルキオラをカウンターからでも話しやすい席に案内したアプリーリスはウキウキと嬉しそうだが、バルバトスは微塵も態度が変わらない。
「積もる話もあるけど、まずは、ほんっとーに久しぶり! 二人とも元気してた?」
「元気元気ちょ〜元気! 小リスちゃんがいなくなってから毎日大変だったけどね〜」
「大変、とは?」
 曲がりなりとも客なので、紅茶と焼き上がったばかりのスコーンを運んできたバルバトスが口を挟む。アルケドの眉がピクリと動いたのをバルバトスは見過ごさなかった。
「こちら、自家製のジャムを添えた、当店一番の人気メニューです。どうぞお召し上がりください」
「茶葉は」
「もちろん、オリジナルブレンドです」
「あっは。二人ってマジで仲わりーよな」
「へ? そうなの?」
 ばちばち散る火花はアプリーリスには見えていない。二人の顔へ視線を行き来させて、クエスチョンマークを飛ばしているのがその証拠だ。そんな空気をいつも通りとし、ルキオラはウメェ! と言いながらスコーンを口にした。それから紅茶に至っては、ウチで出してもいいんじゃね? なんて最上の褒め言葉。どうにも意図しない煽りが得意なものだ。しかし、ルキオラに対して意図した煽りを返そうとしたアルケドが口を開いたタイミングでそれは起こった。
「うーっ!」
「!?」
「あー? あかんぼじゃん……あ。もしかしてソイツ、」
「そうなのよ! わたしたちの子!」
「お、お、おな、おなまえは、」
「ヒスイです」
 アルケドがプルプルしながら手を伸ばしたので、なりません、とばかりにヒスイを抱き上げたバルバトスはヒスイをあやしながら若干テーブルから距離を取る。
「そういやさ、大きさも性別もわかんねーってのに、ジェイドのやつ、ココリスちゃんにプレゼント作るんだって聞かねーの。ウケる。でさ、今日持ってきてんの」
「へ? プレゼント? なになに?」
「あ、あの、こちら、前掛けと靴下なんですが」
 見たこともない仕草。どこに持っていたのか、もじもじしながらアルケドは綺麗にラッピングされたプレゼントを取り出した。ちなみにルキオラが守秘もへったくれもなくサラリと言ったアルケドの本名のことには触れないでおく。早速開けて中身をみた彼女は、うわぁ! と瞳を輝かせた。
「すごぉ! 手作りじゃないの、これ」
「そうです。僭越ながら」
「アルケドってなんでもできるのねぇ」
「やめな、小リスちゃん。褒めるとこれから毎日とんでもねぇもん作るからさ」
「ほらー! 新しい前掛けだよーヒスイちゃん! 可愛いねぇ!」
 にこにことヒスイの前に差し出されたそれに、バルバトスが何か言葉を発しようとした、それより先にじっと見つめた視線をぷいっと逸らして「ゔ!」と、まるで「いらない!」ともとれる仕草をしたのはヒスイだ。赤ん坊とは時に辛辣である。今欲しいものは例えばミルクだったりしただけだろうが、タイミングが悪かった。
 その態度が拒否したように見えたので、バルバトスはにっこりと、それはそれはいい笑顔。対するアルケドは、ピシッと固まってしまった。
「申し訳ありません、アルケドさん。ヒスイはわたくしが作ったもののほうが『好き』なようです」
「えーっ!? ヒスイちゃん、大丈夫よね? 今はそういう気分じゃないだけよねー?」
「ゔ! あ!」
「そ、そちらの洋服は、」
「ええ、ヒスイが身につけているものは全てわたくしの手作りでして。もしかすると『他人』の作ったものと、わかるのかもしれませんね」
 勝ち誇った顔。もちろんこれも、アルケドにしか分からない類だが、この場合、アルケドに伝わればそれでいいので結果はオーライだ。何か言い返そうとしたアルケドだったが、それを遮るかのように着信音が鳴った。
「……失礼します」
「ええ、もちろん。お電話は禁止してはおりません。禁煙ではありますが」
 席を立つよりもこの場でトーンを落とす方が幾分か守秘義務を守れると判断したのか、アルケドは少し壁際に寄るとそのまま通話ボタンをタップした。
「はい。……ええ、アルケドは僕です」
「マァタ依頼かな〜」
「忙しいの?」
「ん〜そだね。小リスちゃんがいなくなってから、エージェントの頭数足りねーみたい。小リスちゃん、自分では思ってないかもしんねぇけど、割とすげー数のミッションこなしてくれてたからさぁ」
「そなの?」
「ウン。だからウチも報酬弾ませてた」
「……嫌な予感がします」
「へ?」
 ヒスイをあやしながら、今度は険しい表情を隠さずにバルバトスが言う。アプリーリスがこてんと首を傾げたところで、アルケドから一言。
「カイロプタラ、アプリーリス」
「!」
「……」
「お二人に」
「……わたくしが出ます」
 嫌な予感が的中したようだ。ヒスイをアプリーリスの腕に任せると、バルバトスは手渡された特殊な通信機を耳に当てる。
「はい」
『カイロプタラか』
「……わたくしたちは抜けると申し上げたはずですよ、モーニングスター」
『そう言うな。そろそろ腕が疼く頃だろう』
「全くそのようなことはありません」
『お前たちの協力が必要だ』
「できません」
『そこにいる子どもにも関わる話だ』
「!?」
 何ということを言ったかこの男は、とバルバトスは頭を抱えた。アプリーリスがその背中にそっと触れたことで、なんとか平静を取り戻し、もう一度通信機に耳を当てた。
「アジトには行きません。その条件を飲んでいただけるなら」
『……いいだろう』
「情報の受け渡しは」
『DEAD DROP』
「テンフォー」
 プツと通信が途絶えた後は虚しく無音が続いた。通信機をアルケドに返したバルバトスは、はぁ、と一つ溜息を零す。
「大丈夫……?」
「ええもちろん。しかしながら、免れない流れというものはあるのですね」
 バルバトスらしくないほとほと困りきった物言いに、彼女は努めて明るく返事する。
「あのねバルバトス。運命には、流されちゃうのが一番だよ」
 ね、と瞳を覗き込むアプリーリスに、ふっと微笑みを返して額にキスを。腕の中のヒスイを指であやして、アルケドとルキオラに向き合ったバルバトスは、またお世話になることになります、と一言。情報屋の顔になった二人はこくりと頷き席を立つ。
「もう行っちゃうの?」
「ええ、仕方ありません」
「俺たちも仕事だかんねー。美味しかったよ〜ゴチソウサマ!」
「また来ますね」
「余計なものを運んでこないでくださいね」
 二人を見送って店に戻ってくると、看板の上に見慣れぬ白梟が一匹。足には青いリボンが巻かれている。しゅるりとリボンを取り除くと、すぐにどこかへ飛び立った梟。リボンには小さく指令が書かれていた。
「もしかして……ボス?」
「はぁ……わかりやすすぎです。どこがDEAD DROPだか」
「じゃあ」
「ええ、申し訳ありませんが数日留守にいたします。あなたとヒスイとに、この店を任せます」
「それは、もちろん。でも、気をつけてね」
「はい。この身はすでにわたくし一人のものではありませんので」
「っ……もう……! でも、本当だよ。この子のためにも、私のためにも、無事に帰ってこなくちゃ許さない」
 こくりと頷いたバルバトスは、そっとアプリーリスの髪を分けて、耳に囁いた。
 無事であったときには、とびきり甘いご褒美をいただきます、と。
 それは何に変えても無事で戻るという約束である。グッと足に力が入ったと思えば、次の瞬間、そこにバルバトスの姿はない。残された店のエプロンはふわりと宙へ舞った。それを回収してぽふりと顔を埋めたあと、数秒。アプリーリスは、さて! と店を振り返る。
「お客様をほったらかしたらだめよね! ヒスイちゃん!」
「ぁう?」
「パパが帰るまで、しっかりがんばろー!」
「うー!」
 ママと同じく拳を振り上げる姿はもしかすると。未来のエージェント……なのかもしれない。
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