◆Dead Drop

【第二十話】

 カジノ騒動から一夜明け、アジトは静まり返っている。それも仕方のないことだ。ほとんどのメンバーはカジノに居残って浴びるように酒を飲んでそのまま寝落ちていたし、金星コンビはいつもの通り、二人でよろしくやっている。しかし見当たらないものが二人ほど。それはカイリスコンビであった。二人がどこにいるかといえば——。
「待って待って待って! なんでカイが着いてきてるの!?」
「いえ、あなたが次のミッションを任されているのを見まして」
「見てたの。人使い荒すぎよね、ボス! 自分はさっさといなくなったくせに!」
「今回のミッションの内容は?」
「あー、なんか取引現場を抑えて欲しいってことだわ」
「なるほど、だから今日でないとならないわけですか」
「みたいね。次から次へと全く……」
 困ったボスよね、と肩をすくめたアプリーリスの腰をゆるりと引き寄せて、極当たり前のように歩き始めたカイロプタラに、始めこそ待ってと言っていたアプリーリスも次第にこの状況が「普通」の認識になり、そのまま二人でミッション開始することになった。
 さて。今、二人がいるのはとビーチだ。真っ白な家の壁が傾斜の激しい地形にたくさん連な
って建っているため、それらがキラキラと太陽を反射して眩しいったらない。ここのビーチはバカンスの観光地として有名らしく絶えず人が流れている。青い海、白い砂浜、楽しげな人々の声。カイロプタラはサングラスをしているにもかかわらず、慣れない眩しさに掌で日差しを遮った。そんな彼を呼ぶのはもちろんアプリーリスの声。
「カイ! カイ!」
「どうかされましたか?」
「本当にこんなところに来るのかな、ターゲット」
「と、申しされますと?」
「こんな開けた場所にって思っちゃうのよねぇ」
 わざと、なのだろう。観光客を装うかのごとく、キョロキョロと辺りを見回すアプリーリスの頭にはいつの間にか大きな麦わら帽子があった。可愛らしい向日葵がついている鍔の大きいものだ。海の家で買ったそれは、アプリーリスによく似合っていた。その、あまりにも日常じみた風景に、カイロプタラの口から漏れたのは控えめな笑い声。
「ふふ」
「ん? どうしたの?」
「いえ、あなたほどの手練れがそのようなことを仰るとは」
「え? あ、や、ヤダァ! 言ってみただけよ? 言ってみただけ〜!」
「ええそうですね。葉を隠すなら森の中、と言いますし」
「そう! それよ! 私が言いたかったのはそれ! 開けた場所だから誰も気にしてない、そんな心理を狙ってね、来ちゃうわけよ」
 うんうん、と大きく頷くアプリーリスは、ずれてもいない麦わら帽子の鍔を持って被り直した。そんな彼女の様子を彼は好ましく思っている。天然タラシのアプリーリスに堕ちたのがカイロプタラなのか、カイロプタラに堕ちたアプリーリスの鉄壁が崩れて天然タラシが露呈したのかはさておき、二人は出会ってから共にミッションをこなす傍らでちょいちょいと親交を深めていた。
 カイロプタラはサングラスを片手で外しながら、アプリーリス、と名前を小さな声で呼ぶ。それに反応したアプリーリスが視界の端っこで彼の手をとらえたその瞬間には、すでにカイロプタラの顔がアプリーリスの目の前にあった。あ、キスされる。反射でそんなことを思ってしまったアプリーリスは、無意識にキュッと唇を惹き結んだ。
「ふ、」
「……?」
「アプリーリス、あなたもしかしてキスされると思いましたか」
「っえ!? あ、ちが、」
「嘘ですね」
「つ、ま、んっ!」
「ンっ……」
 誰もみていない。こんなにも人がいるのに。音がなくなった。つい今までざわめきが聞こえていたのに。
 身体が沸騰するように暑いのは、きっと、輝く太陽のせい。
 軽いキスのみにとどまらず、こんな刹那の間にぐるりと咥内を嬲っていたカイロプタラは、舌を引き抜いてペロリとアプリーリスの唇を舐めてからにこりと笑った。
「ん、も……カイっ急に何、」
「しっ……斜め後ろ、ターゲットです。このままわたくしの首に腕を回していただけますか」
「!?」
「おや? 取り繕えそうにないのなら、このままもう一度深くキスをしても良いですが」
「! で、できるわよ! 私をみくびらないで!」
 蚊の鳴くような声でもしっかりと耳に届いた抗議に対し、それでこそエージェントだと、カイロプタラは頷いて、そうして自身の首に巻き付いてきた腕に満足そうな表情をする。
 さて。ターゲットは本当にいたのだろうか。

 彼と彼女はもう一度キスを交わし。
 優しく吹き抜けた風が、麦わら帽子をさらっていった。
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