◆Dead Drop

【第十八話】

 時計が二十一時を示す少し前。黒塗りのリムジンがカジノの前に止まった。それ自体は特に珍しいことではない。カジノへ来る客など一般客も特別客も関係なく、煌びやかなのだから。しかし辺りがざわめいたのは、偏に車中から出てきた男の容姿にあった。
 見た目で言えば、二十代後半くらいだろうか。漆黒の髪に紅眼が映える、自信に満ち溢れた端麗な顔。背は高く、立ち振る舞いを見る限り上流階級な雰囲気ではあるのだが、このカジノにいる誰もがその姿を見たことがなかったので、余計に注目を集めてしまった。あれだけ若ければ、どこの御曹司だ、どこの会社の社長だなどと話題に上りそうなものだが、とヒソヒソ声が聞こえてくる。
 そんなことは羽虫のように耳障りだとでも言いたげに少し眉を潜めて襟を正した男は、クルリと振り返って車中へ手を差し伸べる。そこに乗ったのは真っ赤なグローブ。それを見ただけで下唇を噛んだ女性客も多かった。だってそれは、その男に愛されている女がいる証なのだ。
「さぁ、手を」
「ありがとう、ございます……っわ!」
「おっと」
 カツンとヒールの音が響き、中から女の細い足首が出てきたと思えば、次の瞬間、よろめいて男の胸にしなだれかかった身体。それをまるでダンスパーティーの最中かとでもいうように軽やかに抱き留めた男は、柔和なほほ笑みをたたえて女の髪を撫でた。
「カジノは初めてか? 緊張するのもわかるが、安心しろ。俺がついてる」
「……っ~~~!」
 歯の浮くようなセリフも、彼が言えば似合ってしまうのだから問題だ。ずり落ちそうになった漆黒のストールを直してやると同時にスマートに腕に手を絡めさせた男は、レッドカーペットへと女を誘う。
 腰に手を添えて男が歩き出したその時、インカムからピピガガーとノイズが聞こえた。
『モーニングスター! 何しに来たかわかってんだろーな!』
「……ゴールデン……騒がしいぞ。ミッション前に必要以上の会話は厳禁だ」
『おめぇが見せびらかしてるからダローがっ!』
「見せびらかす? 人聞きの悪いことを言うな。ミッションに必要なこと以外、俺はしない」
『ハッ! どーだかっ!』
『ちょっとぉ、やめなよ二人とも~。モーニングスター、いつもながらにキマッてるねっ!ヴィーナスちゃんもメロメロなんじゃない? 今度は僕と一緒にバディ組もうねぇ~』
「アウラ、おまえも黙ってミッションに集中しろ」
『はぁ~い! でもゴールデンったらもうすでにカジノにしか眼がないんだもん。やんなっちゃう』
「惨敗しすぎで目立たないようにしろよ」
『ンなヘマしねぇよ! じゃぁな!』
 モーニングスターと呼ばれた男はもはや説明不要。デビルズのボス・ルシファーだ。
 ルシファーに腕を絡めてひよこみたいに歩いているのがヴィーナス。新人エージェントである。彼女もエージェントの端くれ故、こういったことを行うことは予想の範囲だったが、いかんせん、ルシファーのせいで足元がおぼつかなくなっていた。なにせ昨日の今日だ。というか今朝方まで抱かれ続けていたのだから、足腰がひょこひょこなっているのも仕方ないと思ってほしかった。
 と、そんなことはさておき。通信が途絶えたところで、ルシファーがヴィーナスに囁く。
「俺の見立てに間違いはなかった」
「え……」
「そのドレスを纏った君はこのカジノにいる誰よりも魅力的だ」
「!?!?!?!?!!!!!!!! っもぅ!!!! 冗談はやめてっ!!」
「冗談じゃない。思ったことを口にしただけだ。さぁ行こう」
 ははっ、と軽快に笑うその笑顔にキュンとしたのが、彼女の胸なのか子宮なのかは不明だった。

 カジノの扉の前には、予定通りプーベアーが立っており、ノーチェックで中へ入り込んだ。その際、リスト記載の会員ラウンジ利用者は全て入館済であることを告げられる。
 サイは投げられた。あとは流れに乗じるまで、だ。
 入ってすぐ、右手のルーレット台にスリーパー、左手奥のカード台にキャットテールがいることを確認。それから奥の通路にアプリーリスとカイロプタラの姿も目視できた。
『モーニングスター、こちらアプリーリス』
「目標は」
『二時の方向。今ちょうどカイロプタラがそのあたりを通過した』
「テンフォー」
『あっ、モーニングスター』
「なんだ」
『ヴィーナスちゃんのこと労りなさいよ』
「リス、無駄口を叩くな」
 クスクスと小さな笑い声が谺する中通信は途絶え、モーニングスターの腕に寄り添っているヴィーナスの首元から耳にかけてが徐々に赤くなる。顔だけは涼しい風に装えているのはエージェントたるもの、というやつだろうが、どう考えても無駄な足掻きだった。
「ターゲットの隣の台に居座る」
「ラジャ……」
「訓練の成果を見せる時だぞ?」
「っ……ガンバリマス……」
「まぁ、逆に君はそのままでいいかもしれないが」
「え、」
「俺に翻弄されていてもらったほうが、『らしく』見えるだろう」
 空いている方の手でヴィーナスの頬をするりと撫でたモーニングスターはニヤリと唇を歪めそれからターゲットの方へと歩を進めた。向かった先で行われていたのは、テキサスホールデム。所謂ポーカーだ。誰でも知っているが故にイカサマじみたこともし難く、なかなか盛り上がるゲームでもある。近づけば近づくほど、そこが一際賑わっていることに不安を覚えたが、それは的中した。
 輪の中でガッポガッポとチップをせしめているのはゴールデンで、その後ろには変装で美女と化したアウラの姿がある。ここぞとばかりに周囲の男を誘惑しては台に座らせるアウラ、そいつらをカモに稼ぐゴールデン。二人は案外いいコンビのようである。
「はぁ……あいつは……。悪目立ちするなと言ったのに……」
「あそこに入るの? 同じところにいたらもっと目立っちゃうんじゃない?」
 あっちのすいてる台にしようよ、とシックボーに視線を向けたヴィーナスに、そうだな、と答えようとしたところで、続いた言葉が、まさかモーニングスターの闘争心に火をつけるだなんてここにいる誰もが思いもよらなかったはずだ。
「でもマモ……じゃなかった……ゴールデンって口先だけじゃなくって本当に強いんだね」
「……は?」
「運を引き寄せるっていうのかな……そういう星の元に生まれてるのかもね。すごいなぁ……あんな風に勝てたら楽しそう。ってごめんなさい、仕事に関係ない話題は厳禁だね。えっと、あっちのはサイコロのやつだったっけ……行ってみ」
「いいだろう。君を楽しませてやる」
「え、」
「すまない、次のゲーム、俺も参加する」
 モーニングスターの一言でざわっと人集りが道を譲った。その先にはゴールデンに全有金をスられて項垂れた男と、その男を覗き込んで小悪魔笑顔を浮かべるアウラがいる。
「っちょ、る……、じゃない、あなた、どうしてっ」
「俺に考えがある」
 モーニングスターの登場は予想外だったのか、ゴールデンは一瞬目を見張ったが、そこはさすがのエージェント。すぐに表情を繕って嫌な笑い顔を貼り付けた。果たしてそれが演技だったかは不明だが。
「へぇー? オニイサン、俺今波に乗ってるから勝てるとか思ってるんなら大間違いだぜ〜? 泣き面をみるとおもうけど、いーのかなぁ?」
「おまえごときに俺が負けるとでも?」
「ハッ! いい度胸じゃねーの。おい、ディーラー、ゲームスタートだ」
「カードを頼む」
 こうしてなぜかモーニングスターとゴールデンの一騎打ちが始まったのである。
 カードが配られ、ゲームが始まる。カジノの喧騒といえば凄まじいものだが、こんなときは人の耳は全ての音をシャットアウトするから面白い。そこにいるものは皆、カードを捲る音と二人の声しか聞こえていない。
「チェックだ」
「あったりめぇだ。俺様もチェックしようと思ったぜ」
 それを合図にカードが三枚ディーラーの前に表示される。それが捲られ、しばらく。ゴールデンがまたチェックを申し出る。モーニングスターもそれに乗り、さらに一枚がディーラーの前に示された。そこでニヤリと、勝ちを確信したようにゴールデンの口が笑った。
「ベットだ!」
「ほう? いくらだ」
 それに言葉は返ってこず、代わりに手持ちのチップが半分、前に積まれた。おぉっと観客が湧く。
「いいだろう。俺は、コール」
 さらにどよめく観客。ゴールデンは少し眉を上げた。
「おーおー。いいのか? そんなこと言って」
「おまえこそ余裕があるようだが覚悟はいいな」
「誰に向かって言ってんだ! 当たり前だろ!」
 ディーラーから、ショウダウンと声がかかると同時、二人は手札を開けた。自信たっぷりなゴールデンの声が高らかに響く。
「ストレートフラッシュ! どーだ!」
「俺は」
 その言葉とともに皆の視線がモーニングスターの手元に集まった。その役。
「ストレート、フラッシュ……の、エースだと!?」
 ワァアアっとギャラリーが湧く。
 モーニングスターはヴィーナスを一瞥すると、どうだ、と目配せをした。華麗な勝ち星に目を奪われていたヴィーナスはハッとして胸の前で小さく手を叩いた。満足そうなモーニングスターの隣、ゴールデンがワナワナとチップの山を崩す。有金の半分も賭けて勝負をしたために気分を害したのか、立ち上がってもう一戦! と持ちかけたのが運の尽き。結局全てのチップをモーニングスターが懐に収めてしまうまでその勝負は続いたのだった。
「クッソ!」
「ふ……俺に勝とうだなんて千年はやいぞ」
「失礼します」
「……なにか?」
 ゴールデンとの賭けに興じている間に、どうやら敵が食いついたようだ。これがモーニングスターの狙いだった。大きく勝ちを収めている客はオーナーの目に留まりやすい。カジノの利益にも影響を及ぼすのと、何より裏金につながりやすいからである。
「オーナーがあなたとお話がしたいと申しております」
「断る権利は?」
「それはもちろん。わたくしども、強制は致しておりませんで」
「そうか。それなら ——」
「ええ。それで、あなた様のお連れ様は先程から姿が見えないようですが」
「……っ!?」
「オーナーのお話を受けるようであれば、然るべき場所で『オメルタ』とお申し出ください。それでは、失礼致します」
 バッと、先程までヴィーナスが立っていた場所に目を走らせるも、そこに彼女の姿はなかった。周りに聞こえない程度の音で舌打ちをしたモーニングスターは、全てのチップをゴールデンに押し付けると、席を立って人混みに紛れながらインカムの電源を入れる。急展開に鼓動が跳ねた。
「誰かヴィーナスの姿をみたものは」
『こちらスリーパー。さっき男と奥に歩いて行ったのを見た』
『キャットテールだ。俺も視界の端で少し。だが少しふらついてるみたいだったぞ』
「他には」
『シャドウだけど。取り急ぎこの五分間くらい防犯カメラの録画映像を見返したけど何も……えっ? ちょっと待って、ほんと? シャイニング』
「どうした」
『シャイニングだ。ヴィーナスだが、ふらついていたというよりも……付き添っていた男二人が横から抱えているように見える』
「!」
『それなら奥の扉じゃない? ね、カイ』
『ええ。ただ、入るためのキーが』
「それならさっき手に入れた」
 ブツリと通信を切ったモーニングスターはそのまま肩で人を避けてカジノの奥へと向かう。かかった魚はデカい。
「手がかかる新人だなっ……っクク……!」
 ともすれば上がりそうになる口角を抑え、モーニングスターは、件の扉の前に立つボディーガードに一言「オメルタ」と告げた。
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