◆Dead Drop

【第五話】

「それで?」
「ですから、例の文書はこの世から消滅しました。ミッションコンプリートです」
「それで俺が納得するとでも?」
「わたくしは言い渡された任務を遂行したまで。やり方を指定された覚えはございません」
「……はぁ……もういい。確かにカイロプタラの言う通り、結果としては文書は消えたんだ。ただし今後はやりすぎるな。以上だ」
「肝に銘じておきます」
「それと」
「はい」
「カイロプタラも『お疲れ』のようだから、今日から休暇に入れ」
「休暇、ですか?」
 突然言い渡された休暇。つまりこれは、ただの反省期間なのであった。仕方のないことだ。本来ならば潜んで行うミッションだった。それを大事にした責任はある。カイロプタラは二つ返事でそれを承諾し、自室へと下がった。残されたアプリーリスは居心地が悪い。
「ボス、」
「連帯責任と言えなくもないが、おまえにとってこれはデビルズでのデビュー戦。カイロプタラをうまく動かせというのはいささか荷が重かっただろう。お咎めはなしだ。おまえに詳細を教えなかった俺の責任でもあるしな。その分次の任務で挽回してもらおう」
「いいえ、二人でと言われたミッションだからそれは聞けない」
「だめだ」
「なんで!?」
「俺はデビルズのリーダーだ。俺の言うことは絶対。わかるな」
「っ、」
「カイロプタラにはおまえの世話も含めて任せているんだ。責任はカイロプタラにある。おまえは次の呼び出しを待て。以上だ」
 もう何も言わせまいとでも言うように、ばさりと肩にかけた上着を翻してモーニングスターはミーティングルームを後にした。アプリーリスも仕方なく、パタリとドアを閉める。次いでこんこんと控えめにノックされた扉はカイロプタラの自室だった。カイロプタラが返事をすると、遠慮がちに開かれた扉の向こうにはアプリーリスが立っていた。思わぬ来訪者に少し目を見開いたカイロプタラはそれでも「どうぞ」と彼女を手招く。
「今、忙しかった?」
「いいえ。休暇を言い渡された身ですので、そんなことは全く。どうされました?」
「その、っ……ごめんなさい!」
 唐突に、そして勢いよく頭を下げられて少しの間が開くも、ふっと口元に笑みを浮かべる。
「アプリーリス、あなたが謝ることではありません」
「でも! ミッションは二人でしていたんだから私の責任でもあるもの!」
「あの場で手榴弾を取り出したのはわたくしの判断ですので、あなたが気に病む必要はありませんよ」
 ぽん、と肩に手を置かれてなお、アプリーリスは床を見つめたままだ。気に病む必要はないと言われても、どうにもならないのが本心である。しかしながらどうしても一つ知っておきたいことがあり、今しかないとアプリーリスは口を開いた。
「カイって嫌いなの? ネズ」
「アレの話はなさらないでください」
「え?」
「世界一おぞましい」
「あ、えっと……」
 二の句が継げなくなったアプリーリスだったが、そう言われてしまっては「嫌い」が確定したのみでそれ以上も以下もなかった。美術館にネズミが出没するなんて考えはそもそも及ばなかったが、それにしても今後このようなことがないよう、早い段階で知れたのはよかったなと苦笑いた。それからふと、部屋の片隅にあった小さなアタッシュケースを見つけて少しだけ息を詰める。
「もう、行くの」
「ええ。暇を出されているのに長くとどまっていても仕方ありませんから」
「そっか」
「あなたはどうなさるのですか、アプリーリス」
「ああ、うん、こき使いたいから次の案件だって、ボスが。だからまだ暫くはデビルズにいる予定」
「そうですか」
「もともと一人だから、お給料がもらえるのなら問題はないのだわ。騙された私も悪いし」
 あはっ、と努めて明るく笑い飛ばす予定が、なぜかカイロプタラはその言葉を受け止めて、ふむ、と言葉を呑み込んだので「?」となるアプリーリス。
「わたくしとの」
「ん?」
「わたくしとのバディはいかがでした?」
 バディが初めてならなおさら伺いたいです、とそう続けて、カイロプタラは微笑んだ。そこにはいろんな含みが見て取れたが、アプリーリスは素直に感想を述べた。
「言ったでしょ? とても安心できた。カイが私の面倒を見てくれて本当によかったって思ってる」
「そうでしたね」
「ありがとう。できたら今後も……ってそれは私が決めることじゃないわよね。ここで言うべきは、行ってらっしゃい。これだわ」
「ふふっ、こちらこそ。ありがとうございます。行ってまいります」
 握手を一つ。カイロプタラは振り返ることもせず部屋を、ひいてはアジトを出て行った。
 残されたアプリーリスは、じっと自分の手を見つめて、それから、ふっと溜め息を吐く。
「こちらこそ、ね。全く侮れない」
 手の中に戻されていたのは発信機だった。先ほどモーニングスターと話した際に念のためカイロプタラに着けて来いと言いつけられたためにここに入った時に手近にあった彼のコートにつけたのだが、そんなことはお見通しとばかりに手に握りかえされた。少し力を込めただけでパキッと割れるほどに小さく柔い代物だ。初めから目的に気づいていたのかそれとも。
「謝りたかったのは本心だから、そこは間違って取られていないといいのだけれど」
 窓から外を覗けば、ちょうど夜明け。崖の縁に立っているこのアジトからは真っ赤な太陽が海から顔を出す様がよく見えた。
 カイロプタラが出て行ってすぐ、アプリーリスに言い渡された仕事は他国でのミッションだった。聞けば「おまえはここの国に精通しているらしいとタレコミがあった」と。そんなわけあるかーい! 私はエージェントよ!? 素性は隠してるわ! とのアプリーリスの突っ込みはさておき。いつも通りのソロミッションなのになぜか何かが足りていない。そんな気がしてしまうのは、たった数日でも色濃い日常をカイロプタラと過ごしてしまったからかもしれない。気づくとつい横を向いて話しかけようとする自分がいて少し驚き、苦笑いした。

『フライトナンバー イズ セブン ワン ゼロ プリーズカムトゥチェキンカウンター サンキュー』
「あ、私の便だ」
 数日後、空港には随分と一般人に馴染む格好をしたアプリーリスの姿があった。
「まーったく……まさか日本に戻ることになるとはね……」
 アプリーリスは幼きころ、エージェントの両親に連れられて各地を転々としていたのだが、そのうちの何年かは日本に居住していた。両親がいたくその国を気に入っていた様子はあったが、それが理由なのかは定かではない。しかし事実として日本の言葉が話せるようになるくらいの年月を過ごしたとだけは記しておこう。
 今回アプリーリスが行うのは、簡単にいえば盗みというよりも、すり替えである。獲物は羽衣。世界各地に残されている伝説があるが、やはり日本に残されているそれは美しいと評判で一級品といわれている。歴史的価値も高いため、世界のどこそこ美術館に運ばれ、展示されることもしばしば。……なのだが、直近で預けられていた美術館の館長が、本物に魅せられてしまい、偽物を返却したのだ。美しい羽衣に惑わされたと言えば美談……にはなるまい。ただ、あまりの美しさに今更ながらに気が触れそうになり、デビルズに相談が舞い込んだ。元の通りに返したいと言うことらしい。つまり、今、アプリーリスの手にあるアタッシュケースに入っている本物と、美術館にある偽物とをすり替えられればミッションコンプリートだ。
「にしてもねぇ。ほんと、今更。盗むなら最後まで責任持たなきゃだめよねぇ」
 呟きながら自分の席を探す。ビジネスエコノミーまではデビルズもち、それ以上のクラスは自費とのことで迷わず前者を選択。窓側の景色に心惹かれるも、飛行機ということもあり、万一酔いでもしたらミッションに影響もあるだろうからと通路側のシートを予約してある。
 二重底の特殊なアタッシュケースは赤外線すら難なく突破。しかし席に座るとやはり安心感はある。人知れずふぅっと息を吐くと、シートに身体を預けて寛いだ。
 ガヤガヤと人の移動する音や雑音がする。こういう場所は嫌いじゃない。喧しいのは嫌いだけど、とアプリーリスは思う。自分が自分のままでいても大丈夫だと気持ちが楽になるから。雑踏に紛れ込むのはなかなかに良い。
 シートベルトを締めておこう。どうせ離陸までは立つこともあるまい。そう思って座席横に手を伸ばしたそのタイミングだ、アプリーリスの視界に影が差したのは。
「イクスキューズミー」
「あっ、すみま、えっ!?」
「キャナイゲタバイ?」
「な、え、えっ、あ、う、ゲタバ……あー……イエス、イエス!?」
「サンキュー」
 人の良さそうな微笑みを浮かべて頷くと、声の主はアプリーリスの前を通り、奥の窓側の席に腰掛けた。あまりジロジロ見てはいけないとは思いつつ、アプリーリスはそれを確かめずにはいられない。
 返答に迷ったのは何も流暢な異国の言葉を聞き取れなかったからだけではないのだ。驚いたのは声をかけてきたその人の顔がカイロプタラに瓜二つだったからである。
(見た目は完全にカイなんだけど、でもこんなところにいるはずは……っ!)
「ホワイアーユースターリンガットミーライカザット?」
「っあ、の、のー、ナッシング!」
「フゥム」
「は、はは……ははは」
 これ以上何か話されても、返事をできる自信がないと、ササッとシートベルトを締めたアプリーリスはペーパーバックに手を伸ばし、耳にはイアホンをつけて外界と意識を遮断した。男はそれ以上に話しかけてくる様子はなく、やっと落ち着けたのである。
 それから飛行機は離陸し、時はすぎて消灯時刻。時間もへったくれもない機内は無理矢理睡眠モードに包まれる。寝つきの悪いアプリーリスは目を閉じているだけでじっとしていた。暗闇は嫌いだ。ただ、こんな中でライトを点けっぱなしにするほどデリカシーがないわけでもない。なのでとにかく目を閉じてじっとしている。
(ん……ちょっと肌寒いかも……)
 ふるりと肌が粟立ったのを感じて、もぞり、居住まいを正したとき、それは起こった。
「っ!?」
 ズン、と肩に乗る空気が突如重さを増した。瞳を開けるとただの暗闇ではない無のような空間が広がっている。アプリーリスは自分が目を閉じているのか開いているのかすらわからず焦って立ち上がろうとした。だがしかしそれを抑えた者がいた。
「アプリーリス、感心しませんね」
「!」
「いつどこに誰が潜んでいるか、わかりませんよ?」
「っ、カッ」
「しー……機内ではお静かに」
 誰のせいよぉ! とか、やっぱりカイだったんじゃない! とか、言いたいことは色々あったが、騒ぎ立てて客室乗務員が来ても厄介だ。出かけた言葉は全て飲み込み、カイロプタラのセリフを待った。
「あなた、ケースは今、どちらに?」
「え……? それは、私の椅子のし……!?」
 なかった。足をちょいと動かせば踵にコンっとアタッシュケースの端っこが当たるはずだったのに。まさかと思って視線をずらすとそれはカイロプタラが座っていた椅子の上に移動している。
「……いつ?」
「それはお答えできませんが、そういうことです」
「不覚。まさか足元から抜かれるなんてね。で? カイはそこまでして私に何をさせたいの? せっかく暇ができたのに。リスちゃんと遊びたいってわけでもなさそうよね」
「いいえ。まさにその通りです」
「へ?」
「ですから、連れて行ってください。あなたのサポートをいたしますと」
 ぽかん。その擬態語がふさわしいアプリーリスの表情にカイロプタラは満足そうに笑った。
「もちろんノーギャラですし、あなたの不利益になるようなことはいたしません。言うなれば暇つぶし、でしょうか」
「!」
「わたくし、これまでに暇をいただいたことなどなかったもので。恥ずかしながらこの時間をどう過ごしたらよいのかわからないのです」
「え、えぇ……? だからって無賃で仕事させるわけには……」
「それではこのアタッシュケースはわたくしが」
「っわ、わかった! わかったわよ! 一緒に行きましょう!! ね!?」
「そのように言っていただけてよかったです」
 にこ、と微笑み、アタッシュケースをアプリーリスに返す素振りを見せたカイロプタラだったが、思い出したとばかりにアプリーリスの耳元に唇を寄せてそっと囁いた。
「この先もあなたのバディはわたくしだけですので、」
「ひゃわ!」
「ゆめゆめお忘れなきよう」
 なんの宣戦布告だかわからないが、告げられたセリフにゾワリと背が震えたのは言うまでもない。どうやらアプリーリスはとんでもないエージェントに狙われてしまったらしい。
 自由になった両手でバッと顔を覆ったアプリーリスはわなわな震えて呟いた。
「わ、わたしは、教育係って、聞いた、のにぃ……」
「おや? 確かにそうですが……嫌われているようには思えませんので」
「っ!?」
「ぜひとも、あなたの背中をわたくしに。わたくしの背中をあなたに。そういう関係になれましたら。公私ともに、ね」
 狙った獲物は逃がさない。それがカイロプタラです。
 バルバトスはそう、笑った。
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