◆Dead Drop

【第三話】

 こうして二人は初ミッションを迎えた。気張りすぎていないパーティードレスに身を包んだアプリーリスとなぜか執事のような燕尾服を身につけたカイロプタラは、二人、夜道を駆けている。街の入り口まで着いたところでそのスピードは一般人と変わりないものに戻った。カツン、コツンと二人分の足音がコンクリートを響かせる。潜入先はナイトクラブだ。男女揃っていくのは少し目立つかもしれないと、まずはアプリーリス、次いでカイロプタラが、店内へ歩を進める算段をつけた。
 今は店までもう少しのところにあったビルの影に隠れているところだ。
「内装図を見る限り、この会場、割と広そうだけど。中で合流できるかしら。無線機もああいう場所では耳に届きにくいし」
「デビルズの機器に限ってそのようなこともないとは思いますが、万が一のときは個人対応ということで。だからこその経験者でしょう」
「言うわね、カイ」
「……カイ、とはわたくしのことでしょうか?」
「それ以外誰がいるっていうのよ」
 ぱちくりと目を見開くカイロプタラに、心底訳の分からないといった表情を返したアプリーリスはハァッとひとつ溜め息を吐いて、それから笑った。
「少し、歩み寄ろうとしたの。こう説明すればわかってもらえる?」
「ああ、なるほど。ではわたくしもあなたに対してフレンドリーにならなければ」
「ならなければ、って……ふふっ! それじゃ義務になっちゃうからフレンドリーとは程遠いわよ。昨日も言ったけどあなた硬そうだから。そういう気分になったらで構わないわ」
 カイロプタラは屈託のない笑顔を見せるアプリーリスに「では然るべき時が来たら」と返した。
「さ、てと。私はそろそろ行くわ」
「ええ。よろしくお願いします。ミッションの成功を祈って」
「グッドラック」
 隠れていたビルの影から躍り出たアプリーリスは一人ナイトクラブの入口へと向かっていく。その後ろ姿を見届けるとカイロプタラは通信を送った。
「モーニングスター、こちらカイロプタラ。聞こえますか」
『ああ、通信は良好だ。どうした、何か問題でも?』
「問題というほどのことでは。ただの質問です」
『なんだ』
「このミッション、計りましたね?」
『……何を言っているのかわからないな』
「ふふ、そういう気ならあえて深追いはしませんが、ある程度はわたくしたちの好きしても文句は受け付けませんので、そのつもりで」
『任務を遂行しさえすれば、方法は問わない。うまくやれよ』
「かしこまりました」
 通信が途絶えるとともに、空の細い月は雲に覆い隠され、あたりは薄暗くなった。久しぶりに楽しくなりそうですと崩れたカイロプタラの表情は、誰に見られることもない。
 さて、そのころ。すでにナイトクラブに潜入済のアプリーリスは、利きすぎる鼻で少し抑え気味に呼吸しながらターゲットを探していた。
(何これ……入った瞬間から薬物の香りで鼻がもげそう! こんなんじゃ誰もまともな思考保てないわね……成分的には神経系統を支配するってところかしら。いくら私でもあまり長居はできそうにない)
 ふらふらと、音楽に合わせて揺れているのかと思いきやただ意識が朦朧としているだけの客が多いようだ。客一人一人にスーツの男がついて巧妙にカムフラージュしていた。アプリーリスもウェルカムドリンクを手渡されたが、それにもドラッグが溶けているに違いなく、飲むふりをするにとどめた。
 右に左に視線を泳がし、そうして暫く。
(……あそこね)
 一番奥のカーテンで仕切られた「いかにも」なブース。そこに出入りする奴らの幾人かの顔には見覚えがあった。資料に載っていた顔である。
(しっかし悪党ってなんであんな悪党ですーってツラしてるのかしらね。もう少し愛想よくしたらバレないかもしれないのに)
 そんなことを考えつつ、ふらふらとそちらのスペースに近づいたアプリーリスは、わざとらしくカーテンを覗く。すると、中の男たちが瞬時に構えをとったが、目に飛び込んだのが小柄な女だったためにすぐに緊張の糸を解いた。下っ端と思われるサングラスをかけた角刈りの男がアプリーリスの前に立ちはだかる。
「あのな嬢ちゃん、ここは、」
「あれぇ〜? ここにきたらぁ、ドリンクのおかわりもらえるって聞いてぇ〜。あたし、この味じゃなくてアップルがいいんだけどなぁって」
「おい、だから」
「入れてやれ」
「えっ、でも」
「いいじゃないか。もう出来上がってるようだし、なにも覚えちゃいねぇさ。おい嬢ちゃん」
「なぁにぃ?」
「生憎アップルジュースはこのブースにはねぇが、菓子がある。食うか」
「ほんとぉ? ちょうど甘いものがほしかったの〜」
 テーブルに乗っていた皿を別の手下が持ち上げ、アプリーリスの方に運んでくる。その上に乗っていたのはマカロンだったが、微かに漂う異臭を敏感に捉えたアプリーリスは、これ以上付き合う意味はないと判断した。マカロンを一つ掴み口に入れる素振りを見せ —— 瞬間、それをボスの額に投げつけた。手下一同は何が起こったのか理解できていない様子でポカンと口を開け、数秒後に一斉に「!?」と反応を返した。
「あらやだクリーンヒット」
「ああ!? テメェ何しやがんだ!」
「やぁね。私のこと見くびったからそんなことになるのよ。あなた、このパーティーの主催の人でしょ? 相手が私でよかったわね。私、殺しはしない主義なの。そんなことだと命がいくつあっても足りないわよ?」
「おまえ、」
「ちょっと聞きたいことがあるのよ。金庫の鍵について」
「!」
「ふぅん? その反応、やっぱりあなたが持ってるのね。貸してもらえないかしら?」
「ハハハハ! その程度の『お願い』で通るとでも?」
「こんなに可愛くお願いしてるのに?」
 わざとらしくキュルンとポーズを取るアプリーリスに、嫌味な笑みが注がれる。
「こういうのは遊びじゃねぇんだ。お願いするならそれなりの対価を払ってもらわねぇとな」
「対価ねぇ」
「そうだ。このフロアにいるオンナノコたちみたいにな」
「やぁだ悪趣味」
「嬢ちゃんがわからなくても、この世にはそういうビジネスがあ」
「お嬢様!」
「は?!」
「勝手にクラブに出掛けるなんて何を考えているのです!」
 相手の物言いに耐えられなくなったアプリーリスが、そろそろ手を振り上げようとしたその時、颯爽と現れたのはカイロプタラだった。だが、今、彼はなんと言ったか。彼も『お嬢様』と、そう彼女のことを呼ばなかったか。アプリーリスは耳を疑って一瞬呆けた。
「え、と?」
「さぁ帰りますよ!」
 グッと腕を引いかれて不覚にもよろめいたアプリーリスの腰を取り、カイロプタラは出口に向かおうとするが、それを阻んだのはターゲットだった。二人は内心、かかった!、と気を引き締めなおす。
「ほーぉ? マジモンのお嬢様ってやつか。ちょうどいい。執事さんよ、お嬢様が困ってるぞ。少しは遊ばせてやったらどうだ」
「失礼ですが、外野に口出しされる筋合いはございません。これはわたくしとお嬢様の問題ですので」
「いやいや……若いうちからそんなふうに箱に押し込めちゃいけねぇよ。箱入り娘、なんて言葉もあるくらいだからなぁ」
 その一言でザッと周りを囲んだのは会場スタッフらしき服装の者たち。なぜか他の客はいなくなっており、眉根を寄せたアプリーリスはカイロプタラに口パクで会話を試みる。もちろん読唇術を心得ているバルバトスは、それに正しく応答した。
『この感じ、もしかしなくても潜入することバレてた?』
『どうやらそうみたいですね』
『誰から漏れたのかしら。あのデビルズがヘマするとも思えないけど』
『デビルズがヘマをするわけがない。そうすると、こう考えられるのでは?』
『え?』
『デビルズが、自身の意志で情報を撒いた』
『……まさか』
『そうです。わたくしたちの力量を測るために』
 アプリーリスの顔がニコォと、それはいい笑顔になる。カイロプタラも口角をにっこりとあげた。そして次の瞬間、顔に似合わない大きな溜め息を吐き出した。それに対してニヤニヤと嫌味な笑顔を浮かべた男は、カイロプタラにお構いなしにアプリーリスの肩を抱き寄せる。
「はぁあああああああ」
「おーおーお嬢様も執事さんの過保護に呆れてるみたいだなぁ?」
「よくわかったわね」
「そりゃあ俺も伊達に長生きしてねぇのさ」
「じゃあ、そんなダンディなおじさまなら私が今何を考えているのかわかっちゃうのかしら」
「ああ、そりゃあもう。お嬢様はそのおじさんと遊びたい、そうだグハァッ!」
 ゴッ、といい音と共にアプリーリスの肘が男の顎にクリーンヒットし、それを予期していなかった男の首は最も簡単に天井の方へと向いた。一瞬呆けた男が首を元の位置に戻した時にはその顔は怒りで真っ赤になっていた。
「ッテメェ!」
「あーらごめんあそばせ。私、育ちがいいものだから、思っていたことと違うことを言われて頭にきちゃったわ」
「んだと!?」
「大外れよ! 私は箱入りでもなんでもない、ただのエージェントの端くれだもの。カイ!」
「はい、準備は万全です」
「殲滅しちゃってもいいのかしら?」
「いけない、とは言われておりませんので、必要なものさえ手に入ればおそらく」
 ニッと口角を上げたアプリーリスは両手を組んで前に突き出し、グーッと伸びをする。と、次の瞬間には周りにいた数人が床に叩きつけられており、おお、とカイロプタラの瞳が一回り大きく開かれた。パチパチパチ、とグローブのせいで音はしないものの、拍手が送られる。
「何拍手してるのよ。半分はそっちがしたくせに。今の一瞬に合わせてくるなんてびっくりしたわよ。新人なんてとんだ嘘じゃない」
「お褒めに預かり光栄です。これでもわたくし、元・秘書ですので」
「元秘書だからなんでもできるって? 秘書の仕事なんだと思ってるの?」
「今はそのようなことを言っている場合では」
「わかってるわよ!」
 示し合わせてもいなかったのにザッと互いに背中を預ける形を取り、背中越しに言葉をかけあう二人はすでに息ぴったりである。
「情報通りなら、この奥にVIP客対応室があるはず」
「ええ。そこに目当ての金庫がある確率は高いでしょう」
「ならっ」
「はい。わたくしたちがやることは、一つです」
 そのセリフが耳に届くや否や、アプリーリスのドレスの裾がひらりと宙に舞った。それをポカンと目で追うのは全ての男たち。
「やだ! スカートの中覗かないでよえっち!」
 空中で器用にスカートを直したアプリーリスを皆が認識したときにはすでに一人が足蹴に、もう一人の顎は割れている状態で、空気が固まった。アプリーリスはくるりと皆のほうを向き直り、ニッコリ笑った。
「さ、どう? 渡す気になった?」
「は……はぁっ!? なるわけないだろうが! 部下にこんなことをされてただで許されると思うなよ!?」
「ええー? 私だって一応か弱い乙女だしぃ? 手荒な真似はあんまりしたくないのよ」
「は? どこが! 大の男にあれだけ強い肘鉄をくらわせられるののどこがか弱いんだっ!」
「やだわ本当。話が長いオジサマなんて昨今流行らないわよ?」
 事実を言われてイラついたのかなんなのか、話が終わる前にアプリーリスの拳が一突き。男の腹にクリーンヒットしてK.O.のゴングは呆気なく鳴った。その間に周りの手下どもはカイロプタラが残らず片付けていた。
「わたくしの出る幕はありませんでしたね」
「謙遜だわ!」
 パンッとついてもいない埃を払い、ノビている男の側に近寄ると、男のスーツの胸ポケットを探る。そこには二連の鍵が入っていた。チャリ、と持ち上げて、むっと眉根を寄せる。
「片方が金庫で片方が」
「VIP専用ルームの扉の鍵、ですか」
「こんなに弱っちぃのに一緒くたにして自分で持ってるなんて呆れちゃうわね」
「本来こんなことは起こらないのが前提なのでしょう」
 念には念をという概念がないのかもしれませんね、とクスクス笑つつ、カイロプタラはその鍵を手に取り、奥の扉を開ける。その部屋はVIP専用ルームというにはあまりにも小さく、机に椅子、それから金庫があるだけの質素な場所だった。そういう名前をつけて人払いをしていただけなのかもしれない。なんて考えながら、続けて金庫にも鍵を差し込む。一回転させたところでカチリと小さな音がして分厚い扉が開いたが、中にあったのは書類でもUSBでもなく、一枚のカードキーだった。アプリーリスは少し身体をずらしたカイロプタラの横から尋ねた。
「これ……どう思う?」
「カードキーを厳重にしまう理由など一つしかないかと」
「そうよね……嫌な予感……」
「そちら、金庫の扉のところ、封筒が」
「え? あらほんと」
 慎重に封筒を取って検めたカイロプタラは、少し困った表情をしてからピラリとアプリーリスにそれを向ける。紙には、直線が何本かと図形のようなものが描かれていた。
「どうやらこちらがヒントになっているようですね」
「ええ……私、そういう暗号的なのは専門外なんだけど」
「一度デビルズに持ち帰っては? 誰かしらから閃きがあるかもしれませんし」
「そうするしかないかぁ……ああもう! これでさよならのはずだったのに!」
「ふふ、デビルズも居心地はなかなかですから、そう嫌わずとも」
 ぶす、と頬を膨らませるアプリーリスを見て笑ったカイロプタラは必要なものを懐に仕舞うと金庫の鍵を閉めてVIPルームを出る。鍵は男の手に戻した。
「さて、戻りましょうか」
「悔しいけど、長居は無用だし」
「ここからは宝探しのようです」
「こんな面倒な宝探しはごめんだわ」
 床に転がった大人たちを今更の慈悲で踏まないように避けながら、出口へと歩を進めた。郊外のこの場所は一歩外に出たら暗闇に包まれている。そのせいもあってか、瞬く星たちが一段と輝いて見えた。アプリーリスはそんな夜空を見上げてぽつりと呟く。
「星が綺麗ね」
「……ええ、このあたりはいつも」
「私、ずっと一人でしかミッションしてこなかったから、家以外でこんな星空見ることなかった。一息つく暇があったらすぐにトンズラだもの」
「……」
「改めてだけど、今日はカイがいてくれて心強かったわ! ありがとう…… なーんて! 酔ってるのかしら!」
「おや、アルコールを口にしたのですか?」
「うーん、まぁそんなところ!」
 ふふふと笑い合っていたその背中に近づく影にはもちろん二人とも気づいていた。表情を取り繕って振り向くと、そこには大柄の男が一人。
「何か御用でしょうか?」
「私たち、今から帰るところなの」
 そんな風に切り出すと、男はいかにもな太い低い声でこう返す。
「いい雰囲気のところ悪いが、あいつらをぼこったのはおまえらか?」
 言葉を受け止め、目を合わせ、パチクリ。その間きっかり三秒。あからさまに残念な顔でもう一度男の方を向く。
「あら見つかった」
「追手でしょうか? それともお早いお目覚めでしょうか?」
「私が手をかけた奴らではないわね」
「ふむ。そうなると追手ということになりますね。わたくしも覚えがありません」
「何をごちゃごちゃと! 金庫の中身を返してもらうぞ」
「それは無理な話よ」
「わたくしたちもボスからお小言を受けるのは御免ですので」
「そうかい、じゃあ、力づくで奪うしかねぇなぁ!」
 張り上げられた声はこの静かな夜には似合わない。向かい打ってもいいのだけれどもうだいぶ疲れたし、と思いつつもアプリーリスが身構えたところを横にいたカイロプタラがサッと抱き上げた。
「へ!?」
「退きましょう」
「え……え!?」
 アプリーリスを姫抱っこしたカイロプタラはそのまま走り出す。疾風のごとく駆け抜けるカイロプタラに男が追いつくわけもなく、彼を振り切ることは難なく成功した。
「っちょ! 待って、カイ、私自分でっ!」
「わたくしもたまには格好をつけたいなと思いまして。新人さんの手前ですがいいところがまるでなかったので」
「!」
「甘んじてこのままいてくださると助かります」
 息一つ乱れず、暗闇を駆けながら、カイロプタラは笑った。それはここ数日で一番楽しそうな笑顔で。それを見たアプリーリスはぽぽぽっと頬を染めたのだった。
 そうして結局、ルシファーが手配したホテルを使うことなくアジトに戻り、開口一番、アプリーリスは「ボス! 騙したわね!?」と言ってゴチンとグーパンを食らった
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