◆一番星に口付けを

 それは突然の出来事だった。とはいえ病気なんていつ誰がかかるものかわかったものではないわけで。ただ、アイドルの体調管理はマネージャーの仕事の一環でもあるので、こうなるまで気づけなくて申し訳ない、という気持ちが勝ったと、それだけのことだったのだが。
「あのさぁルシファー、今日はリーダーがいなくてもなんとかなるってマネージャーも言ってるじゃん」
「大丈夫だ、問題ない」
「ずらせるスケジュールもいくつかあるって話だぜ。悪いこと言わねーから寝とけ」
「俺がいなかったらおまえたちはやりたい放題するだろう」
「マネージャーも心配してる」
「む……」
 明らかに発熱しているとわかる赤い顔で睨まれたって、怖くも何ともない。レヴィとマモン、それからベールの言葉に乗っかってルシファーを止めにかかる。
「ルシファー、今日はお休み。一日で治して明日から完全復活の方がいいよ。長引いて先方のご迷惑になるほうが大事になるから」
「おまえが、そういうなら……」
「というわけだから、ごめんねみんな。私はルシファーにつくから、代わりの車は手配したから移動はそっちにお願いする。あと、キャンセルしなくちゃなスケジュールは私が対応して、それで」
「マネージャー、大丈夫だよ。僕らそういうことにも慣れっこだから」
「ベルフェ……」
「そーそ!あんまり肩に力入れずにさっ!よくあるよくある!」
「アスモも」
「ルシファーを操れるのはマネージャーだけなんだからさ」
「そうだ。たくさん食べさせてやってくれ」
「……ありがとう、みんな」
「リスケできる予定があったら適宜連絡してくれ。現場での説明は俺がしておく」
「サタン、よろしくお願いします!」
 こういうときは頼りになる……かもしれないメンバーの言葉に任せて皆を見送った私はルシファーに、部屋に戻ろう?、と声を掛けるも、彼は全然動こうとしない。仕方なしに手を取って覗き込むとそのままぎゅっとその腕に囚われた。彼は熱い吐息でふっと笑う。
「っちょ!?」
「……っ病気はいただけないが、おまえを、独り占めできるのは悪くない」
「は、はぁ!?な、な、な、なに、いって、」
「今日は、一日中、ふたりきりだ」
「あ、のねぇっ!ルシファーは病人なんだからちゃんと寝るんだよ?それ以外のことはしないからね!?」
「ああ。でもおまえが看病してくれるんだろう?嬉しいよ」
 ほわ……ととろける様な笑顔でそんなことを言うのはズルい。こんなに素直に甘えられるのは初めてのことで動揺を隠せない。いつもやりたい放題に好きにされているのだから仕方ないけど、思った以上これは。
「っ……可愛すぎる……」
「ん」
「ッなんでもない!わかった、わかったから、まずは部屋に戻ろう!ね?」
「む」
 身体は離れたものの、いわゆる恋人繋ぎでそのまま手を繋がれてしまって母性本能が疼く。もとよりこういうシチュエーションに弱いのもあって、心臓がギュンと鷲掴みにされてしまった。ダレカタスケテ。ルシファーが可愛すぎるよ。
 「るしふぁ……あの……り、りんごとか、なら、食べられるかな!?朝ご飯もあんまり口に入れてなかったみたいだから、なにか、」
「おまえが切ってくれるなら、食べる」
「ひぇ、」
「だが、おまえの言う通り、今回の体調不良は思ったよりキツイのかもしれない……」
 辛そうなルシファーは、それでも割と強い力で私を引いて早くベッドに戻ろうと、ぐいぐいする。結局そのまま部屋に連れ込まれてしまった。
 部屋に着くなりルシファーをベッドに座らせて、着替えるように促す。
「き、着替えるでしょっ、私、出てるから」
「?今更だろう。というかおまえ、手伝ってくれ」
「はひ!?」
「力がうまく入らない……だめだ……」
 ベッドに腰をかけていじいじとボタンを外そうとしたりネクタイをどうにかしようとしているルシファーは、思考力まで低下している様だ。これは恥ずかしがっている場合ではない。一刻も早く寝かせなければと、クローゼットから寝巻きがわりのガウンを取りつつ、自らを叱咤してルシファーの服に手を掛けた。
「か、貸してっ!外してあげるから、」
「……む……」
 なんでもない、なんでもない、これはただの着替え、気持ちを無にして、とささっとスーツとシャツを脱がせてガウンを渡すと、大袈裟な動作でそれらを畳みにかかる。これなら視線を外していても不自然ではないだろう。
「ほら、脱げたから、それを着て寝ててね。私は飲み物と簡単に食べられるものを持ってくるから」
「なぁ、」
「な、っぶぇ」
「それもクローゼットにしまっておいてくれ」
 私の手元に投げられたものは、今しがた脱いだばかりのズボン。ほんのり体温が残ったままのそれに、もう落ち着いた態度を保っていられず、へなへなとその場に座り込む。顔を隠した布がルシファーのズボンであることはこの際おいておいてもらおうか。
「ばかぁっ……」
「ん……?」
「もう!!乙女心がわかってない!」
「、ぅわ!」
 ズボンを椅子に引っ掛けるとずいっとルシファーの方に倒れかかった。二人して沈むのはベッドの上。
「……む……突然どうした?もしかしておまえも体調を崩していたのか」
「違うよっ!あのねぇっ、私っ、わたし、ルシファーと、その、親しい間柄になってまだ、日が浅いからっ、こ、こんな、の、慣れてないの!」
「ふむ」
「だから距離感はちゃんと、」
「慣れていないなら一緒に眠ろう」
「は?!わ!ちょ!」
 話が通じなくてドギマギしている間にガッチリと拘束されたと思えば、もぞもぞとシーツを被り眠る体勢に入るルシファーに抵抗してもどこ吹く風だ。さっきまでのヘロヘロルシファーはいずこ。
「まっ、私はっ、」
「早く慣れてくれ。俺の我慢が限界になる前に。おまえと言葉を交わして、おまえに触れて、キスをして、ひとつになって、もっと……もっと……」
「っ、」
 ぎゅっと胸に押しつけられるように抱きしめられた私の鼻腔を満たすのは、ルシファーの香水。ルシファーの肌から直に香るこれはこの間のタイアップでスポンサーから頂いたシリーズのものではない。これは私がNAGEKIのマネージャーを始めたばかりの頃に、「この香りはルシファーっぽい」、と何気なく勧めたものだ。それに気づいてトキメキで胸が張り裂けそうになってしまった。こちらからもギュウッとガウンを握って彼を引き寄せる。すりっと肌に唇を滑らせて、愛情表現。少しでも伝わりますように。
「私も、もちろん、ルシファーとおなじ気持ーーって、え!?」
 一大決心を秘めて胸の打ちを告げたのに、そこにいたのはすやすやと眠るルシファーだった。なによぉ!と膨れたのも束の間、あまりに安らかな寝顔に怒りも消えてしまった。どのみちこの状態では何もできない。ひとときの、二人だけの幸せな時間を堪能しようかと微笑む。
 贅沢な一日を過ごすのも、今日くらいは許されるだろうから。
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