◆一番星に口付けを

 詳しいことは割愛するが、バルバトスさんがプロデューサーも兼任するようになってから時はすぎ、新しい秘書さんも入ったことで新体制ができつつあった。
 そんな変化の中でもNAGEKIはきちんと成績を残した。つまり、彼ら初の人間界向けのCDは、大型新人としての快挙を収めたのである。おかげで人間界からのオファーも増えて、仕事量は単純比でも二倍。ありがたい悲鳴を上げながら目まぐるしい日々を過ごしている。
(なお、ハーベストちゃんが弊社所属になったからか、レヴィの消失癖も無くなって助かっている)

 で、だ。
 忘れてはならないのは「例の約束」である。

ランキング一位!取ったら!考えてもいい!

 自分が発した言葉をなかったことにはできないから、もちろんきちんと向き合ってみた。まずは「そういう対象として」ルシファーを観察するところから始めたのだけれど、これは本当に厄介なことだった。
 ルシファーはあの日から、おそらく意図的に彼自身の素を見せる瞬間を散りばめ始めた。それにまんまと引っかかったのだ、私は。
 簡単にいうと、素のルシファーは私のドタイプだったという話である。私は、私がいなければダメ系の男にすこぶる弱い。
 もちろんルシファーは全然ダメ男ではない。やればなんでもできるし、物静かだし頭もいいし、一見私のセンサーに引っかかりそうにもないのだけど、実のところああ見えてすこぶるばぶなので、それに気づいたときには時すでに遅しだ。
 まずは朝一。
 なんとこの男、完全完璧な悪魔に見えて朝が苦手という。起こしに行くと枕に顔を埋めて駄々をこねる。あの前髪は毎朝セットしているのかと思ったらただの寝癖だったことに悶えたのは記憶に新しい。
 それから、付き合いでの飲み会のあと。デモナスにはめっぽう強いらしくなんの心配なさそうなのに、ディアボロさんと飲み始めるともうダメで、いいデモナスを片手にガバガバになりがちなようだ。いつぞや、次期社長とサシだというから私がついていくのも野暮だろうと彼ら二人きりにしたら、それから数時間後に私のD.D.D.に意図がよくわからないスタンプが連打された。心配になり、迎えに行こうと館の入り口まで出て行くと、なんと廊下の椅子でうだうだと靴を脱ごうとしているルシファーがいて、このときばかりは本当に地面に頭をめり込ませるくらいに悶えてしまった。
 極め付けは、二人きりになると距離感がバグり始めることにある。多分、長年お兄ちゃんをやりすぎたせいと、外に出す性格がキッチリガッチリ傲慢なせいがあって、気を許した相手に対する甘えが無意識に出るタイプなのかもしれないが、私にとって、これは最高の麻薬だった。
 もともと私はメンバー全員に同じだけの愛情をかけていたはずだったが、リーダーのルシファーと言葉を交わすことは他のメンバーよりも格段に多かったのは事実で、さまざまな話を持ちかけるたびに的確な意見をもらえるだけでも心象がよかったのに、その上で、仕事の話だけでなく日常の話やらなんやらもよくするようになって。さらにしっかり一位を取ってきて。これではもう逃げようもないというものだ。
 それでもどうにか言い訳を考えて逃げていたある日のこと。二人で書斎にこもり、次のイベントについて話し合っていたら、熱が入りすぎてやけに距離が近づいてしまっていた。あっと思ったときにはもう遅く、ごく自然に口付けられてしまった。そこで離れればよかったのに、あろうことか私は動くことをしなかった。それを肯定と受け止めたらしいルシファーは、そのまま一度唇を押し付けてくる。背徳の味を占めた私は、これまで引いていた一線を軽く跨いでしまった。何度も何度も、くっ付いては離れ、離れてはくっ付いて。気づけば互いを深く貪っていた。
 その時には私はもう、いちマネージャーとしてではなく、一人の女として、ルシファーの虜になっていたのだろう。なんて、冷静に分析するようなことではないのだが。
 さて、とはいうものの、これからどうしたらいいのかは私にもわからない。規程では何も書かれていなくとも、私の気持ちがそれを簡単には許さないからだ。アイドルとマネージャーが恋愛?そんなの世間にバレてしまったら、せっかく掴んだ三界のトップへの切符がなくなってしまうかもしれないのに。
 なのに!!
 どうして私は!!
 ……本当に、いつからこんなに欲望に忠実になってしまったのだろうか。

 小さな密室に二人、今日も交わす吐息が熱くて眩暈がした。
 スタジオの地下駐車場で熱愛、なんて報道されてしまったら大事件なのに、ルシファーの誘いを私は断れなくなっていた。『不敵に微笑みながら完璧なパフォーマンスを魅せる彼にみなメロメロ』などと、雑誌の一面を飾るときには紹介されるわけなのだが、私から言わせれば、彼は欲望に忠実な子供とそう変わりはしない。
「ん、ぅ、っはぁ、」
「ハァ、ふ、ンン、ふッ」
 結局ふしだらな関係はそのまま続いてしまっていた。好きだと訴える紅の光から逃れることはできない。まだ身体の関係に至っていないだけ褒めてほしい。何度かなし崩しにされそうになってはいるものの、なんとか避けているのだから。
 私だってわかっている。こんなものはトップアイドルの一時のお遊びだって。きっといつかは飽きられて、捨てられる。そんなものだ。私はアイドルのマネージャーではあるけれど、ルシファーみたいな芸能人ではない。ただの一般人だから調子に乗った先の未来は目に見えている。付かず離れず、ビジネスライクな関係を心がけていたのに。なんでこんなことになったかなぁ。
 そんな反省をこんな時にするなんて、と、思われるかもしれないが、私にとってはこれが初めての恋なのだ。世の一般的な恋模様など知る由もないので仕方がない。
 ふとキスの雨が止んで瞼を開けば、熱っぽい視線にトクリと心臓が跳ねた。
「るし、ふぁ、」
「そんな目をするな、ッン、」
「んっ、そんな、目って」
「ふ……いい子にしていたら、」
「?」
「続きは収録後に。ご褒美を取っておかないと、頑張れるものも頑張れなくなるだろう?おまえも、俺も」
 私の唇をツゥッと彼の指先が滑る。その仕草に、私の意思に反して身体がふるりと震えた。
「じゃあ、行ってくるよ」
 ルシファーは、引き際は弁えています、と言うように体勢を整えて車のドアに手をかけた。その背中にどんな言葉をかけるつもりだったのか。しかし私が意思決定するよりも早く声が出てしまった。
「っ、ルシファー!」
「ん?」
 このまま大好きだよ、と言えたら。素直に彼を求められたら。どれだけよかっただろう。それでも、まだ絡めたままだった指先の熱を頼りにぐっと本音を飲み込んで「今日の仕事も、がんばってね」と笑いかけた私に、きょと、と目を丸くしたルシファーは、ほわりと双眸を崩して微笑んだ。
 私は本当に、なにがしたかったのだろう。

 そんな一日の終わり。考えがまとまらない私はミュージックルームで転寝をしていた。今日のスケジュールをこなして、事務所兼宿舎の館に戻り、雑務をこなしている最中にどうしようもない睡魔が私を誘い、少しだけと身体を上等なソファーに預けたらそのまま……という具合だった。
 しばらく一人で眠っていたが、小さくドアが開く音がして誰かが入ってきたことを悟り、意識が覚醒する。けれど私の身体は重く、瞼はまだ開かない。
「なんだ、こんなところで眠っていたのか」
 声の主はルシファー。ミュージックルームは彼の城のようなものだから、休憩しにきたのだろうか。さすがに担当アイドルに登場されてそのまま狸寝入りしていられるほど肝は据わっていないので、起きなくちゃと気合いを入れた刹那。瞼の上に影がさし、ついで唇に降ってきたのは労わるような、触れるだけのキスだった。
(、え?)
「どんな言葉を尽くせば……どんな態度を示せば、おまえはここまで堕ちてきてくれるんだ」
 そのセリフと共に、もう一つ口付け。そうして続け様に何度も何度も。
「おまえが俺のことを好きなのはわかりきっているのに。まだ手が届かない。遊びだと思われるのは許せないな……どうしたら本気だと伝わる?」
 熱い気持ちが篭った、優しいキス。そんな本音を聞かされたら、そうだね、ルシファー一人にそんな想いを押し付けるのはフェアじゃないし、と、そう思ったんだ。
 ゆっくりと瞼を開き、そうして私はルシファーの頬にそっと触れる。ルシファーは、少し驚いた表情をした。
「起きていたのか」
「……今、何時?」
「今は……いや、これは夢の中だよ」
 なんて可愛いことを言うのだ。そこまでして私とどうにかなりたいとでも?本当に。みんなの憧れのアイドルが、こんなマネージャーの小娘に引っかかるなんて。ごめんね。
「夢の……そっかぁ……それなら、時間もなにもないのかぁ」
「ふっ……そうだな」
 お茶目なルシファーは今この時間を夢ということにしてくれるらしい。それなら、甘えてみようか、その夢に。
 頬に添えた手を首に回して引き寄せて、私から、初めてのキスを贈る。
「……!」
「んっ……ルシファー」
「、っ、どうした、珍しい」
 ルシファーは私を抱き起こし、戸惑いながらも優しく聞き返してきた。
「わたし、もうずっと前からルシファーのことが好き。ルシファーにキスされるたびに、嬉しかった。でも私はNAGEKIのマネージャーだし、一般人だから。あんまり入れ込んだらだめだって思ってた」
「やっぱりおまえは俺の気持ちを信じていなかったわけだ」
「違う。マネージャーだからアイドルとどうこうなるのはよくないと逃げてたのもあるけど、それ以上に怖かった。ルシファーが私に飽きたときに、悲しい思いをするのがわかってるから、自己保身してたの」
「そうじゃないか。俺は愛した人を捨てたりはしない」
「わからないよ、芸能界にはたくさん中身から美しい者たちがいる。その心配をしちゃうのは仕方ないでしょ?……でもね、」
 起こされてそのままルシファーに抱きついた私が耳に囁いた言葉に対し、ルシファーは満足気に笑ってもう一度リップノイズを奏でる。
「夢ってことにしてくれるなら、いい。だって夢の中の話なら、私とルシファーだけの問題だもの。だから、今から本音を言うね……好き、大好きだよ、ルシファー」
「じゃあ遠慮なく、このままおまえを俺のものにしようか」
「うん……もう逃げないから、ルシファーの心ゆくまで、愛して」
 そうしてルシファーの部屋に連れて行かれた私がどうなったかは、ご想像にお任せしようと思う。

 誰も、見ないで。
 彼と私だけの、秘密の時間。
13/23ページ