◆一番星に口付けを
宿舎に来てから数週間。たったそれだけの間にもさまざまなことが起こったのだが、一旦、それらは傍に置いておこう。
春居は今日、ここ一番の悩みを抱えていた。なぜこのタイミングで。わからない。でもどうにかしなければ。夏の暑さによるものとはまた違った汗が背中を流れていった。
時刻はもう二十四時を回っている。
最初のころは眠るに眠れない日々が続いていたので、バルバトスが見回りに来るたびに寝たふりをして、それも通らずバレて無理矢理寝かしつけられることも多かった。しかしこのところはスケジュールが過酷なこともありお風呂に入る頃には眠くてたまらないこともしばしばで、二日に一度添い寝されるかされないかなところに収まるようになっていた。布団の中で起きていても今日ならおそらくはバレないだろう。たまたまにしては環境が整っている。きっと何かできるはず、と、春居は考える。
「私に、できること……うーーーん……うーん……」
頭を悩ませつつ布団の中でゴロゴロと体勢を変えるだけの無意味な時間が過ぎていく。こんなときはいっそ手を動かす方が良いかもしれない。ごそりとベッド横の棚に隠してある針と糸を取り出して、さて、時間が取れずに仕上げきれていない新衣装にスパンコールを……と手にしたその時、ひらめきの光が差し込んだ。
「っ…………!あるじゃない!できること!!」
そうと決まれば早速布があるか確認しなければと、おばあちゃんから譲り受けた布キレが詰め込まれた箱を開く。どこの店のお菓子箱かはもう忘れてしまったけれど、ここには春居の苦労と希望が詰まっているのだ。この柄か、この色か、それとも……出してはしまい、布の残りを確認しては足りないと嘆き。それでもなんとか形になったのは、偏に「感謝を伝えたい」その一点の想いからの頑張りのおかげであった。
ギィギィギィ
以前のアパートとは違って壁も分厚くしっかりした宿舎に、とても小さな音で小鳥の鳴き声が響いた。カーテンの隙間から差し込む光は眩しくはない。だってここは魔界だから。時限式で点灯するようになっているライが点いたことで柔らかい光が入ってきただけだ。
パチンと糸切りハサミを鳴らして、完成したそれを持った春居は、朝食の良い香りが漂う廊下を早足でかける。
「マネージャーっ!おはようございます!」
「おはようございます。わたくしが呼ぶ前に起きていらっしゃるなんて。よく眠れたので……おや?そうでもないようですね。もしやわたくしが見回りした後にまた起きたのですか?一睡もしていらっしゃらない?」
卵焼きを作っていたらしいバルバトスは、その手を止めて春居の方に寄って来た。顔を見せなさいとばかりに頬に触れようとしたので、今日ばかりはそれはさせないと一歩距離をとって春居が差し出したもの。それはぬいぐるみだった。
「お誕生日おめでとうございます!」
「、え?」
「昨日偶然耳にしちゃって!昨日の今日では何もできないなって思ったんですけど、でもいてもたってもいられないじゃないですか!だって私こんなにもお世話になってるのに!だから考えたんです私にできること!」
ちなみにここまで一息である。歌手の喉を舐めてはいけない。
「……それで、こちら、ですか」
「手持ちの布しかなかったので粗い作りではあるんですけど、マスコットです!」
「なるほど。マスコット」
「はい!イメージキャラクターみたいなものなんですけど。私のお給料じゃCDを優先して作ってたらグッズ類まで手が回らないことも多かったので、手作りのものもたくさんあるんです。だからこういうものを作るのも得意になっちゃって」
手のひらに乗っている小さなウサギ(?)のマスコットには、なぜか髑髏や蝙蝠の羽根の装飾が施されている。着ている服はスーツ、緑色のネクタイはバルバトスが愛用しているものに似ている。と、ここまで考えて徐々にバルバトスの脳内で線がつながり始めた。
「こちら、もしやわたくしをモチーフに?」
「あ!わかりますか!?これからの参考にって渡してくださった別ジャンルの曲の中にヘビメタやロック系のものも混じってたので、お好きなのかと思ってつけてみたんです」
細かいところまでよくみている、と感心している間にも春居の解説は続いている。バルバトスはこれまで何人ものアイドルグループのプロデュースを手掛けては来たものの、その手腕のために引っ張りだこで、一人だけに注力することはなかった。つまり、実のところ自分の手でスカウトしてこうして共に暮らしながら一から育て上げることは初めてだったので、もちろんこのようにアイドル側から何かをもらう経験も初めてのことだった。単純に「担当を持つとは新しい発見が多くておもしろいことなのだな」と感じていた矢先のこれだったので気持ちが抑えられず、ふふっと肩を震わせる。
「マネージャーが笑っ……あっ!私ってばつい熱くなっちゃって!?ごごごごめんなさい裏側の話なんて面白くなかったですよね!?」
「いえ、いいえ、そのようなことはございません。むしろわたくしのことをそこまで観察されていたのかと恐縮です。このように嬉しいことは初めてでしたので感極まりまして……ありがとうございます。こちら、大切にいたしますね」
「っ……はいっ!」
「せっかくこうしてお祝いいただいたことですし、後ほどケーキも作りましょう。ささやかですが、パーティー気分を味わうのもいいことです」
「本当ですかぁ!やったぁ!って私が喜ぶのはおかしいですよね……マネージャーの誕生日なのに」
「いいえ、祝っていただけるのは嬉しいことですから。ですが、全ては本日のスケジュールが終わってからです。さぁ、しっかり朝食を摂って。それから、本日の瞑想の時間は睡眠に充てましょう。わたくしの責任でもあるので、マッサージを施し、疑似的な安眠を無理矢理にでも」
「ええ!?い、いや、それはちょっと怖いっていうか」
「怖い?いいえ、安全な方法ですからご安心を」
椅子を引き、そこに春居を座らせる。それから小さなワンプレートが運ばれる。乗っているのはおにぎり一つと卵焼きを二切れ、それから煮付けとおひたしだ。ちょこんと小さい腕にはお味噌も入っている。春居の胃を少しずつ大きくする作戦として始まったワンプレートモーニングは今の所うまく進んでいるようだ。
「どうぞ召し上がってください」
「いただきます」
いつもと同じでちょっとだけ違う。そんな素晴らしい日々を、一歩ずつ、二人で。そうすれば毎日が非日常になる。
さて、後日談。
そのささやかなお誕生日会の様子はブログにもアップされ、ファンダムの間でちょっとした話題になったんだとか。また、トクベツのマスコットは今日も車のフロントミラーでゆらゆら揺れている。
それから。
彼女が作ろうと予定していた衣装には、まだ、スパンコールはついていない。
春居は今日、ここ一番の悩みを抱えていた。なぜこのタイミングで。わからない。でもどうにかしなければ。夏の暑さによるものとはまた違った汗が背中を流れていった。
時刻はもう二十四時を回っている。
最初のころは眠るに眠れない日々が続いていたので、バルバトスが見回りに来るたびに寝たふりをして、それも通らずバレて無理矢理寝かしつけられることも多かった。しかしこのところはスケジュールが過酷なこともありお風呂に入る頃には眠くてたまらないこともしばしばで、二日に一度添い寝されるかされないかなところに収まるようになっていた。布団の中で起きていても今日ならおそらくはバレないだろう。たまたまにしては環境が整っている。きっと何かできるはず、と、春居は考える。
「私に、できること……うーーーん……うーん……」
頭を悩ませつつ布団の中でゴロゴロと体勢を変えるだけの無意味な時間が過ぎていく。こんなときはいっそ手を動かす方が良いかもしれない。ごそりとベッド横の棚に隠してある針と糸を取り出して、さて、時間が取れずに仕上げきれていない新衣装にスパンコールを……と手にしたその時、ひらめきの光が差し込んだ。
「っ…………!あるじゃない!できること!!」
そうと決まれば早速布があるか確認しなければと、おばあちゃんから譲り受けた布キレが詰め込まれた箱を開く。どこの店のお菓子箱かはもう忘れてしまったけれど、ここには春居の苦労と希望が詰まっているのだ。この柄か、この色か、それとも……出してはしまい、布の残りを確認しては足りないと嘆き。それでもなんとか形になったのは、偏に「感謝を伝えたい」その一点の想いからの頑張りのおかげであった。
ギィギィギィ
以前のアパートとは違って壁も分厚くしっかりした宿舎に、とても小さな音で小鳥の鳴き声が響いた。カーテンの隙間から差し込む光は眩しくはない。だってここは魔界だから。時限式で点灯するようになっているライが点いたことで柔らかい光が入ってきただけだ。
パチンと糸切りハサミを鳴らして、完成したそれを持った春居は、朝食の良い香りが漂う廊下を早足でかける。
「マネージャーっ!おはようございます!」
「おはようございます。わたくしが呼ぶ前に起きていらっしゃるなんて。よく眠れたので……おや?そうでもないようですね。もしやわたくしが見回りした後にまた起きたのですか?一睡もしていらっしゃらない?」
卵焼きを作っていたらしいバルバトスは、その手を止めて春居の方に寄って来た。顔を見せなさいとばかりに頬に触れようとしたので、今日ばかりはそれはさせないと一歩距離をとって春居が差し出したもの。それはぬいぐるみだった。
「お誕生日おめでとうございます!」
「、え?」
「昨日偶然耳にしちゃって!昨日の今日では何もできないなって思ったんですけど、でもいてもたってもいられないじゃないですか!だって私こんなにもお世話になってるのに!だから考えたんです私にできること!」
ちなみにここまで一息である。歌手の喉を舐めてはいけない。
「……それで、こちら、ですか」
「手持ちの布しかなかったので粗い作りではあるんですけど、マスコットです!」
「なるほど。マスコット」
「はい!イメージキャラクターみたいなものなんですけど。私のお給料じゃCDを優先して作ってたらグッズ類まで手が回らないことも多かったので、手作りのものもたくさんあるんです。だからこういうものを作るのも得意になっちゃって」
手のひらに乗っている小さなウサギ(?)のマスコットには、なぜか髑髏や蝙蝠の羽根の装飾が施されている。着ている服はスーツ、緑色のネクタイはバルバトスが愛用しているものに似ている。と、ここまで考えて徐々にバルバトスの脳内で線がつながり始めた。
「こちら、もしやわたくしをモチーフに?」
「あ!わかりますか!?これからの参考にって渡してくださった別ジャンルの曲の中にヘビメタやロック系のものも混じってたので、お好きなのかと思ってつけてみたんです」
細かいところまでよくみている、と感心している間にも春居の解説は続いている。バルバトスはこれまで何人ものアイドルグループのプロデュースを手掛けては来たものの、その手腕のために引っ張りだこで、一人だけに注力することはなかった。つまり、実のところ自分の手でスカウトしてこうして共に暮らしながら一から育て上げることは初めてだったので、もちろんこのようにアイドル側から何かをもらう経験も初めてのことだった。単純に「担当を持つとは新しい発見が多くておもしろいことなのだな」と感じていた矢先のこれだったので気持ちが抑えられず、ふふっと肩を震わせる。
「マネージャーが笑っ……あっ!私ってばつい熱くなっちゃって!?ごごごごめんなさい裏側の話なんて面白くなかったですよね!?」
「いえ、いいえ、そのようなことはございません。むしろわたくしのことをそこまで観察されていたのかと恐縮です。このように嬉しいことは初めてでしたので感極まりまして……ありがとうございます。こちら、大切にいたしますね」
「っ……はいっ!」
「せっかくこうしてお祝いいただいたことですし、後ほどケーキも作りましょう。ささやかですが、パーティー気分を味わうのもいいことです」
「本当ですかぁ!やったぁ!って私が喜ぶのはおかしいですよね……マネージャーの誕生日なのに」
「いいえ、祝っていただけるのは嬉しいことですから。ですが、全ては本日のスケジュールが終わってからです。さぁ、しっかり朝食を摂って。それから、本日の瞑想の時間は睡眠に充てましょう。わたくしの責任でもあるので、マッサージを施し、疑似的な安眠を無理矢理にでも」
「ええ!?い、いや、それはちょっと怖いっていうか」
「怖い?いいえ、安全な方法ですからご安心を」
椅子を引き、そこに春居を座らせる。それから小さなワンプレートが運ばれる。乗っているのはおにぎり一つと卵焼きを二切れ、それから煮付けとおひたしだ。ちょこんと小さい腕にはお味噌も入っている。春居の胃を少しずつ大きくする作戦として始まったワンプレートモーニングは今の所うまく進んでいるようだ。
「どうぞ召し上がってください」
「いただきます」
いつもと同じでちょっとだけ違う。そんな素晴らしい日々を、一歩ずつ、二人で。そうすれば毎日が非日常になる。
さて、後日談。
そのささやかなお誕生日会の様子はブログにもアップされ、ファンダムの間でちょっとした話題になったんだとか。また、トクベツのマスコットは今日も車のフロントミラーでゆらゆら揺れている。
それから。
彼女が作ろうと予定していた衣装には、まだ、スパンコールはついていない。