◆一番星に口付けを

 アラーム音に急かされてベッドから起き上がり、カーテンを開ける。外は暗い。朝なのにだ。それもそのはず。今日からの私の生きる場は魔界だからだ。


一番星トップスター


 魔界。天界。そして人間界。この世が三つに跨って存在しているなんて、誰が想像しただろう。ほんの数十年前までは人間界に生きるものたちは他の世界のことを知る由もなかった。
 ある日突如乗っ取られた電波に映るそれらを疑えなかったのは、明らかに本物であるツノや尾が生えた魔界の住人が、人間が思う"普通"の生活を営んでいる様子がありのままに映されたからである。真っ白の羽根と天使の輪が異なるのみでそれは天界についても同じだった。映像の最後には人間界各国の首脳と魔界、天界の偉い人たちのWEB会議画面まで映り、何がなんだか。人間界は大混乱に陥った。
 とはいえ、人は考える葦である。その順応性たるや。
 「とりあえず世界は三つ存在していて、なんか仲良くしたいらしい」
 あれだけの情報で大雑把な理解を示すものも少なからずいたのは確かで、親善大使として著名人や世界的なアイドルたちが駆り出されていたこともあり、その事実は若者から徐々に受け入れられはじめた。そして今となってはテレビ番組等を介して互いに理解を深めているところである。
 ただし、電波ではなく実態となると話は別で、各世界を簡単に跨げるまでには至っていない。旅行気分で気軽に、は不可。さらに住むとなるとそれ以上に面倒である。理由の明記、滞在期間の提示、既往症の有無、現在の健康状態の検査結果など、揃えなければならない書類はとても多い。だが逆に言えば、それらを揃えて受理されさえすればあちらに住むことはできる、ということだ。
 そしてそれをやってのけたのが、この物語の主人公の、私だ。
 私の魔界入りの名目は転職。転職と一口に言っても私の場合は少し特殊な業界からのだから受け入れられた可能性が高い。こればかりは自分の運命に感謝せざるを得なかった。
 新卒で入社したのは人間界の小さな音楽事務所。パッケージデザイン部門を希望していたのだが、入ってみれば今日からお前の仕事はアイドルグループのマネージャーだと言われた。話が違うなんて新入のぺーぺーが言えるわけもなく、右も左も分からないままにふられた仕事をこなす日々。担当アイドルがやらかせば先方に頭を下げ、どんな小さな仕事でも這いつくばって勝ち取った。業界人との飲み会ではセクハラされても口をつぐみ、表面で笑って心で泣いての目まぐるしい数年を過ごし……そして、そのグループは売れっ子になり、私は担当を外された。新人時代からよくサポートをがんばったね、ではなく、新人が快挙したのがよくなかったらしい。枕だなんだと足元を見られ、ベテラン先輩に座を奪われて窓際に追いやられたのだ。
 信じられなかった。たしかに一番頑張ったのはアイドルたち自身に違いないが、私だってなにもしなかったわけじゃない。てっぺんを通り越した怒りは呆れとなり、退職を決意したもののここで負ける私ではない。なんとかこの会社を見返してやりたいと同じ業界の求人を死に物狂いで探した。そんな時に出会ったのが魔界のアイドル事務所だった。必要スキルは熱意のみ。業界経験者ならなおよし。条件は魔界に住めること、ただそれだけ。魔界の悪魔。そんな者たちなら見返してやりたいという気持ちをわかってくれるんじゃないかと一縷の希望をかけて面接までこぎつけ、そうして手にした合格通知を握りしめて魔界へやってきた。
 書類には、「マネージャー職の者には衣食住を会社から提供す。入社日に社長室まで身一つで来れよ」と記載されていたので、いま私がいるここはホテルの一室である。もともとの生活も家に帰ってゆっくり過ごす日などなかったおかげで、荷物といえば海外旅行用のトランク一つで十分だった。揃えるだけ無駄だった家電類は全部売り払った。結構な資金になったので、スーツと靴を新調した。身なりは重要。女というだけで下に見られる。強さはヒールの高さで示すのだ。負けてはならぬ必ず勝て。
 とまぁ、こんな形で気合を入れて新しく入社した、その名も『デビルキャニオン』の門戸を叩いたわけである。
 受付に言われたままに最上階までエレベーターで向かう。かなり高いビルだったが、社長室直行なのでスピードが段違いだ。ポーンと軽い音がして扉が開く。エレベーターから一直線で社長の机まで伸びているレッドカーペットを見るのはこれで二度目だが、こんなものは何度見ても新鮮に驚くのだろうなと思う。
「ようこそ。お待ちしておりました」
 社長秘書、名をバルバトスと言ったか、が丁寧なお辞儀で出迎えてくれた。
「秘書さん。面接ぶりです。本日よりお世話になります」
「ええこちらこそ。本日お呼びしたのは他でもありません。契約書類一式への読み合わせおよびサインをお願いしたいのと、あなたが担当するアイドルたちとの面通しを行うためです」
 端的に明確な指示。このヒトは仕事ができるのだなと直感した。社長机の前までエスコートされながら、はい、はい、と了解の頷きを返す。しかし、秘書はそこで、想定外の言葉を口にした。
「ああ、それで、書類の前に一つお伺いしたいことが」
「はい?」
 面接で根掘り葉掘り聞かれたはずなのでそれ以上に話せることがあったかなと首を捻るも、ここで逃げるわけにはいかず、次の言葉を待つ。それを肯定と取ったのかバルバトスさんはさらりと、私にとってはとんでもない質問を投げかけた。
「失礼ながら、あなたの経歴はわたくしが独自に詳しく調査いたしました」
「へ?」
「あなた、以前人間界で働いていた音楽事務所で新人アイドルをトップまでのし上がらせたとか。自身も新人でありながら。まさに快挙。しかしエントリーシートはおろか面接ですらそのお話はいただけなかった。なぜですか」
 ツゥ、と冷や汗が垂れた。ここまできて。こんなことで人間界へ帰れと言われるのだろうか。お役ごめんにされるのだろうか。相手は悪魔だ。正直、ありうると思う。ごくりと喉を嚥下したが、バレているなら答えるほかしょうがない。大丈夫。詐称していたのではなく、言わなかっただけなんだから。ここは真摯に対応しよう。
「おっしゃる通りです。ただ、その事実は緘口令が敷かれていますのでお伝えすることができませんでした」
「あなたが働いたすべてと言っても過言ではありませんが?」
「それでも組織には逆らえません。そういう場所でしたから。秘書さんがどの筋から手に入れた情報かはわかりませんが、少なくとも私の口からそれについての詳細をお伝えすることはできません」
「なるほど」
 私の回答を聞いて、ふむ、と指で口元を押さえたバルバトスさんは何かを思案しているようである。この対応は正解だったろうか。それとも。腕時計の秒針の音なんて聞こえるわけもないのに、身体の内側にコチコチコチと響いてくる。沈黙はあまりにも長い。
 けれど、痺れを切らして声を出しそうになった一歩手前で、助け舟は現れた。
「バルバトス、その辺にしよう。せっかくの新人さんに逃げられたらナゲキの面倒を見る者がいなくなってしまうよ」
「坊っちゃ……いえ、社長。承知いたしました」
「ハハハ!まだ社長ではないから坊っちゃまで構わないさ!」
「いえ、そういうわけには……しかし今はその話をする場ではございませんね。ナゲキのメンバーはお揃いですか」
「ああ!ここに!」
 社長ーー正確には次期社長なのだが、面接時の説明を聞く限りでは社長で誤りではない--ディアボロさんの視線の先には、七人のイケメンが立っていた。いや、私が人間界で見てきた"イケメン"と一括りにするのも申し訳ないほどに整った容姿をなんと表現すればよいのかは、実際よくわからないが。その七人の横に立ったディアボロさんが言う。
「今日から君には彼らのグループNAGEKIを担当してもらう」
「彼ら……って、彼ら?」
「ええ。向かって右から……」
「バルバトス、ここからは俺が話そう」
 バルバトスさんの言葉を遮ったのは一番右に立っていた黒髪の男で、鋭い視線が私を値踏みするように突き刺さる。とはいえそんなものには慣れきっている私は特に物怖じもせず、真正面からそれを受け止める。ジッと見つめ合うこと数秒。あれ、この人の目真っ赤だ、と私が認識した直後、フッと緩んだ彼の唇から「俺は」と自己紹介が始まった。どうやら私は第一関門を突破したようだ。
「俺はメインボーカルのルシファーだ。NAGEKIのリーダーを務めている。隣が、マモン」
「今度は随分ちっこいマネージャーだなオイ。まぁいいや。俺様はラップラインのセンターを」
「ラップにセンターもなにもないでしょ……何言ってるんだよバカマモン。ぼくはレヴィアタン。みんなはレヴィって呼ぶ。サブボーカルでちょっと……歌っててすみません……」
「俺はサタン。同じくサブボーカルをしてる。前から歌詞を書かせろと言ってるんだが、君の前のマネージャーは要望を通してくれなかったんだ。君は通してくれるよな」
「次はぼくね!ぼくはリードボーカルの紅一点アスモちゃんでーす!モデルの仕事も多いからあんまり練習に出れないかも!」
「俺はラップを担当している。差し入れは食べ物だと嬉しい」
「えっと、今喋ったのがベルゼブブ。で、ぼくはベルフェゴール。サブボーカル……してる……ふぁぁ……ルシファー、もう帰っていい?」
 七人それぞれの自己紹介が終わり、顔と名前と声を一致させたところですぐに帰ろうとする最後の一人を引き留めながら、ルシファーさんが言う。
「俺たちの前のマネージャーは悪魔だったが、姿をくらませてしまってな」
「NAGEKIは駆け出しながらに順調にファンもついてきてはいるのですが、個性が強すぎるがゆえ、まとまりがないのです」
「俺たちは兄弟だ。他人同士よりも甘えが出ているのは認めざるを得ないだろう。しかしまさかマネージャーが逃げ出すほどとは」
「思わなかったとは言わせませんよ。つまり、彼らはこの事務所きっての優秀な新人であると同時に大変な問題児なのです」
 バルバトスさんにそこまで言われては、ルシファーさんは返す言葉がないようで、やれやれと片手で額を覆った。
「……君は人間界から来たと聞いた」
「えっ、あっ、はい」
「悪魔にできなかったことを、人間がこなせるとは思えないのだが、バルバトスが見込んだ人材を鼻から無碍にするのも気が引ける」
「え、と?」
 意図がよくわからず首を傾げれば、バルバトスさんが説明を加えてくれた。
「先に申し上げましたように、あなたは本日からNAGEKIのマネージャーに抜擢されました。人間界で培った経験を活かして彼らを魔界だけでなく三界一のアイドルにすること。これがあなたに与えられたミッションです」
「……は……ええええ!?」
「我が社の決まり通り、あなたは彼らの宿舎に入り、彼らと生活を共にしてもらいます。そしてまず、彼らのことを知り、理解してください」
「いやいやいや私、性別女ですよ!?そんな男所帯に」
「問題ありません。彼らはそこまで落ちぶれていないことはわたくしが保証致します」
「っ……でも、」
「あなたが彼らに魅入ることがないよう、ご注意くださればそれで」
 そのバルバトスさんの一言は、私のマネージャー根性に火をつけた。職業柄、イケメンと呼ばれる人間をこれでもかというほど見てきたが、私は仕事一筋できた。汚い世界を渡り歩いてやってきた根性、見せてやろうじゃないのと。
「商品に手をつけるなんてありえません。マネージャーは、人という生きる商品を最大限に活かすのが仕事。やり遂げてみせます」
 言い返されるのは想定内だったのか、ディアボロさんとバルバトスさんは目配せし合うと微笑んだ。
「これからよろしくお願いしますね」
「期待しているよ」
「NAGEKIのみなさん!今日からよろしくお願いします!」
 第一印象は身だしなみから。第二は挨拶。第三はもちろん、親しみやすい笑顔。
 にこりと微笑んで差し出した手を見てきょとんとしたルシファーさんだったが、ああ、と気づきを得て私の手を握った。固い握手には、絶対にこのミッションを成し遂げて、昔の会社を見返してやる!と気合い込めて。
 こうして私とNAGEKIの二人三脚は始まったのだった。
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