■読み切りログ(ルシファー以外)

 かこん、と耳になじんだ音が春居の意識を引き上げる。時刻は朝の四時ピッタリに違いない。
「ふぁ……ぁ、」
 あくびを噛み殺しながらそっと布団を抜け出し、放ってあった肌襦袢を肩にひっかけたもののそれだけでは少し寒くて、くしゃみが出そうになったのを慌てて抑え込んだ。
 旅館の朝は早い。それはいくら有能執事でもかなわないくらいには早い……と春居は思う。隣には安らかな表情で眠るバルバトスがいて、安心したのと残念なのとが半分半分。
 バルバトスが起きていたら、あるいは引き留めてくれたかな、などと考える自分の心境の変化に少なからず驚く。しかしこんな甘い空気に浸っている場合ではない。慌てて肌襦袢に腕を鳥栖と、いまだ敏感になっていた肌に襦袢が擦れてビクリと身体が震えた。
「ふ、ぅ……はふん……」
 ぐっと、自分の腕で身体を抱えてそれが去るのを待つ。昨晩自分の身体をたどった熱い掌に悪魔的に優しい口づけ。襦袢の下の腕や腹や太ももにはいくつもの赤い痕が残っていて、もう知らないふりはできなかった。バルバトスって意外と甘やかしてくれるんだなとか、最中の好意が思い出されて顔から火が出そうだ。脱がされた服をかき集める、ただそれだけでもとてもイケナイ気分なのに、こんなことでは仕事に支障が出そうだと苦笑する。
「温泉に入ってから戻ろ……でないと満足に動けそうにないや」
 ささっと身支度を整えると、もう一度静かに、眠るバルバトスに向き直る。
 誰に見られるわけでもないのに部屋をぐるっと見回して、誰もいないことを確認すると、その額にそっと口づけを落とした。
「バイバイ、バルバトス」
 布団をかけなおし、そっと抜け出した部屋。まだ仄暗い廊下を、よろよろとする足を兼営に動かして進む春居は大層健気だった。

 それから秒と経たずにすっと開いたバルバトスの瞼。頬に触れた唇。その場所に掌を置くと、残されたバルバトスはこう呟いた。
「キスだけで済ますならば、頬ではなく唇にお願いしたかったのですが……仕方ありませんね」
 バルバトスが楽しそうに笑っていたことなど、春居は知らない。
 あと数時間後にはまた朝食会場で顔を合わせることになるのだ。
 そのときどんな反応が見られるのか。それにどう対応するのか。
 考えるだけでも胸が躍りそうだと、バルバトスはもう一度目を閉じた。
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