◆一番星に口付けを
窓の外はいつでも真っ暗。魔界はいつでも暗いのだが、夜間は一層闇が増す。そんな場所でも今日は特別。煌びやかなピンクのネオンがあちこちで光っている。
「きれー……」
彼女はぼんやりとそれを見つめながら、未だ現れない想い人を待っていた。彼が待ち合わせ時間ぴったりに現れることはまずない。大層忙しい人なのだ。こうして会える機会を設けてもらえるだけでも……と思わなくてはならないけれど、やはりだんだんと貪欲になってしまう自分もいて気持ちの整理をつけるのも大変だ。
彼ーーアスモデウスとは、会員制のバーで、二人きりで会うことも増えた。
最初はただのモデル仕事仲間だった。それからファンになってライブに足を運ぶようになり、音楽の仕事でたびたび顔を合わせ。そのうちアスモ会にも誘われるようになった。それから次のステップに移るのにそう時間はかからず、今に至る。
彼女は本気も本気でアスモデウスのことが好きだ。けれど多分、彼のほうはそうではないと思っている。確かめたわけではないけれどあんなトップアイドルが下っ端のイチアイドルを本気で相手にしてくれるわけない。そう決めつけて、でも本当のところを知るのも怖くて、ズルズルとこんな関係を続けている。
アスモは女に困るタイプではないだろう。だってあんなに美しいんだ。こうやってバーに誘われているのも自分だけではないと、彼女は思っている。
「……はぁ……一人で待つのって苦手」
綺麗な景色を見ていてもどんどん気持ちがブルーになってしまう。そんな彼女の今夜のお供はアプリコットフィズ。「真意を知りたい」と、ちょっとでもそんな気持ちに気付いてもらえたらいいと選んだが、普通に美味しくてもう三杯目だ。
「受け取って、くれるかなぁ」
隣の席に置いた小さなショップバッグには、世の慣わしの通りにチョコレートが入っている。彼女とてアイドル。規定で受け取ってもらえない可能性があることもわかっている。それでも用意した。何を言われても大丈夫な心づもりもして。……けど、と、折れそうな心を奮い立たせることができず、へちょん、とテーブルに顔をつけたそのとき。ふわりと、彼女の肩に何か柔らかいものが触れて、視線をあげれば、そこには待ち人がいた。
「あすもちゃん……」
「もー!いつも言ってるでしょ?そんなに肩を出した服でここにきちゃダメって!」
肩にかけられたのは彼が今までしていたマフラーだろうか。ほのかに香るかおりに覚えがある。それを少し引き寄せて、ごめんなさい、と小さく呟くと、「わ!?ご、ごめんね!?遅れたのは僕のほうなのにお小言いって!でも君みたいに可愛い子は本当に危ないんだよ!?会員制だからって気を抜かないで」なんて彼氏みたいなことをいう。
それがなんだかいつも以上に心にぐさっときてしまって、瞳が潤んだらもうだめだった。ほろりと一つ、涙が頬を伝ったのを感じて俯く彼女を彼が見逃すはずもない。
「えっえっ!?ど、どうしたの?本当に、あの、遅くなったのは本当にごめんね!ねぇ、何かあったの?」
「ち、ちがっ、ごめっ」
「ええっ……あっ……あっ!?これ、もしかしてチョコレート!?僕にくれるの?」
困った挙句に別の話題を出すところが彼なりの気遣いなのかもしれない。涙を拭いながらもショップバッグから箱を取り出して、彼の掌にのせた。
「これ、あげる」
「……本命?」
「そうだ、って、言ったら……喜んでくれる?」
そのセリフに答えは返ってこなかった。アスモデウスは無言で受け取ったチョコレートの蓋を開け、それを嬉しそうに見つめると、その中から細長いオレンジピールを一つ取り出して、先っちょを咥えた。それから、ん、と彼女の方にもう片方を近づける。
「食べればいいの?」
「ん」
「……ふふっ、変なアスモちゃん」
実際、酔っていたのだろう。普段ならその時点で爆発してしまいそうな彼女も、今このときばかりはふわふわとした思考で突き出された先に齧り付いた。はむ、はむ、と互いの距離が近づく。もとより某棒型の菓子ように長さがあるものでもない。オレンジピールはあっという間に無くなって。そして二人の唇は触れ合った。
一秒、二秒、三秒。瞳はパッチリ開いたまま。四秒目にしてアスモデウス側から舌が伸びてきて、彼女の唇を艶かしく舐めて、少しだけ離れた。
「……ねぇ、君の明日の予定は?」
「わたし?わたしは、オフ……」
「偶然。僕もオフなんだよね。それで、これからどうしよっか?ここで続きしてもいいけど」
つつ、と彼女の頬を滑ったのは綺麗にネイルが施されたアスモデウスの細い指。続き、というと、そういうことなのだろうかと、ふわふわしたままの彼女も大人なので思いつくものがあった。そういうことをするなら、行き先は一つだ。
「ほてる、とか?」
「……本当に?僕、こんなに可愛くて美しいけど、男だよ?わかってる?」
「うん。でも……アスモちゃんはいいの?」
「もちろん。実は本気が伝わってないみたいだから、カマかけちゃっただけなんだよね」
「わたしも、本気だよ?」
「そっか。なら、これだけ飲んだら移動しようね」
タイミングよく運ばれてきたカクテルは、彼のチョイスのテキーラサンライズ。その意味が、熱烈な恋、だったと知るのは、次の日、ベッドの中でのことだった。
「きれー……」
彼女はぼんやりとそれを見つめながら、未だ現れない想い人を待っていた。彼が待ち合わせ時間ぴったりに現れることはまずない。大層忙しい人なのだ。こうして会える機会を設けてもらえるだけでも……と思わなくてはならないけれど、やはりだんだんと貪欲になってしまう自分もいて気持ちの整理をつけるのも大変だ。
彼ーーアスモデウスとは、会員制のバーで、二人きりで会うことも増えた。
最初はただのモデル仕事仲間だった。それからファンになってライブに足を運ぶようになり、音楽の仕事でたびたび顔を合わせ。そのうちアスモ会にも誘われるようになった。それから次のステップに移るのにそう時間はかからず、今に至る。
彼女は本気も本気でアスモデウスのことが好きだ。けれど多分、彼のほうはそうではないと思っている。確かめたわけではないけれどあんなトップアイドルが下っ端のイチアイドルを本気で相手にしてくれるわけない。そう決めつけて、でも本当のところを知るのも怖くて、ズルズルとこんな関係を続けている。
アスモは女に困るタイプではないだろう。だってあんなに美しいんだ。こうやってバーに誘われているのも自分だけではないと、彼女は思っている。
「……はぁ……一人で待つのって苦手」
綺麗な景色を見ていてもどんどん気持ちがブルーになってしまう。そんな彼女の今夜のお供はアプリコットフィズ。「真意を知りたい」と、ちょっとでもそんな気持ちに気付いてもらえたらいいと選んだが、普通に美味しくてもう三杯目だ。
「受け取って、くれるかなぁ」
隣の席に置いた小さなショップバッグには、世の慣わしの通りにチョコレートが入っている。彼女とてアイドル。規定で受け取ってもらえない可能性があることもわかっている。それでも用意した。何を言われても大丈夫な心づもりもして。……けど、と、折れそうな心を奮い立たせることができず、へちょん、とテーブルに顔をつけたそのとき。ふわりと、彼女の肩に何か柔らかいものが触れて、視線をあげれば、そこには待ち人がいた。
「あすもちゃん……」
「もー!いつも言ってるでしょ?そんなに肩を出した服でここにきちゃダメって!」
肩にかけられたのは彼が今までしていたマフラーだろうか。ほのかに香るかおりに覚えがある。それを少し引き寄せて、ごめんなさい、と小さく呟くと、「わ!?ご、ごめんね!?遅れたのは僕のほうなのにお小言いって!でも君みたいに可愛い子は本当に危ないんだよ!?会員制だからって気を抜かないで」なんて彼氏みたいなことをいう。
それがなんだかいつも以上に心にぐさっときてしまって、瞳が潤んだらもうだめだった。ほろりと一つ、涙が頬を伝ったのを感じて俯く彼女を彼が見逃すはずもない。
「えっえっ!?ど、どうしたの?本当に、あの、遅くなったのは本当にごめんね!ねぇ、何かあったの?」
「ち、ちがっ、ごめっ」
「ええっ……あっ……あっ!?これ、もしかしてチョコレート!?僕にくれるの?」
困った挙句に別の話題を出すところが彼なりの気遣いなのかもしれない。涙を拭いながらもショップバッグから箱を取り出して、彼の掌にのせた。
「これ、あげる」
「……本命?」
「そうだ、って、言ったら……喜んでくれる?」
そのセリフに答えは返ってこなかった。アスモデウスは無言で受け取ったチョコレートの蓋を開け、それを嬉しそうに見つめると、その中から細長いオレンジピールを一つ取り出して、先っちょを咥えた。それから、ん、と彼女の方にもう片方を近づける。
「食べればいいの?」
「ん」
「……ふふっ、変なアスモちゃん」
実際、酔っていたのだろう。普段ならその時点で爆発してしまいそうな彼女も、今このときばかりはふわふわとした思考で突き出された先に齧り付いた。はむ、はむ、と互いの距離が近づく。もとより某棒型の菓子ように長さがあるものでもない。オレンジピールはあっという間に無くなって。そして二人の唇は触れ合った。
一秒、二秒、三秒。瞳はパッチリ開いたまま。四秒目にしてアスモデウス側から舌が伸びてきて、彼女の唇を艶かしく舐めて、少しだけ離れた。
「……ねぇ、君の明日の予定は?」
「わたし?わたしは、オフ……」
「偶然。僕もオフなんだよね。それで、これからどうしよっか?ここで続きしてもいいけど」
つつ、と彼女の頬を滑ったのは綺麗にネイルが施されたアスモデウスの細い指。続き、というと、そういうことなのだろうかと、ふわふわしたままの彼女も大人なので思いつくものがあった。そういうことをするなら、行き先は一つだ。
「ほてる、とか?」
「……本当に?僕、こんなに可愛くて美しいけど、男だよ?わかってる?」
「うん。でも……アスモちゃんはいいの?」
「もちろん。実は本気が伝わってないみたいだから、カマかけちゃっただけなんだよね」
「わたしも、本気だよ?」
「そっか。なら、これだけ飲んだら移動しようね」
タイミングよく運ばれてきたカクテルは、彼のチョイスのテキーラサンライズ。その意味が、熱烈な恋、だったと知るのは、次の日、ベッドの中でのことだった。