◆一番星に口付けを

 その珍事は一本の電話から始まった。
「お願いします〜っ!誰か回してもらえませんか!?」
『そうおっしゃいましても、わたくしは[#dc=1#]を連れて帰らねばなりませんからどうにも』
「そう言わず〜!こんなことお願いできるのバトスPだけなんですよぉ〜!」
 バルバトスの電話の相手はNAGEKIのマネージャーだ。聞けば、収録後の打ち上げにお呼ばれしたのはいいが、リーダーのルシファーがのっぴきならぬ用事でマネージャーである彼女を連れ帰ると言って聞かないらしい。「のっぴきならぬ理由、ですか……」と呟いたバルバトスはその訳をなんとなく察した。しかし先方の名を聞く限り、皆で帰ってしまえとも言えない雰囲気である。溜息を一つ。それからバルバトスは眠りこけているハーベストを抱え直して提案を。
「それならば、店の場所を教えてください。誰にも文句を言わせないビッグスターを向かわせます」
「え?それってどういうこ」
 ブツっ。無駄話はごめんだと、通話終了ボタンをタップしたバルバトスは、その手でとある人物に連絡をする。それから数十分後、その店に現れた彼らに度肝を抜かれたものが多数いたのは仕方のないことだ。
「この度は招待してくれてありがとう!こういう場に呼ばれることは少ないからとても嬉しいよ!」
「デビルキャニオンから参りました。こちらが打ち上げ会場と伺ったのですが、相違ないでしょうか……?」
 誰が予想しただろうか。小さなバルで行われる制作会社の打ち上げなんかに、デビルキャニオンの社長が来るだなんて。
「うちのルシファーに並々ならぬ事情があったとか。それなら私が代理を務めなくてはならないだろう!NAGEKIのメンバーには打ち上げとはいえあまりハメを外してもらっては困るからね、見張り役も兼ねている。とはいえ今日は無礼講だとも聞いているから、存分に楽しむといいよ」
 というわけで、あまりにもパワーバランスがおかしな人物が登場したことで静まりそうになった空気だったが、お酒が入れば何のその。場も暖まってこれば、あまりよろしくないコトも出てくるわけで。困ったことに今日の紅一点は秘書であった。
「君、秘書にしておくのはもったいないかわいさだねぇ」
「え、は、はぁ……?」
「さっきから水しか飲んでないけど下戸なのかな?でも物欲しそうに卓上眺めてるからそうでもない?飲みたかったら頼んでもらっていいんだよ?」
「いや、あの、ええっと、そういうわけでは……仕事中、ですので」
「固いなぁ〜!まぁそういうところも女優さんとかと違って良く見えるのかもなぁ〜!はっはっは」
 お付き合いで飲まなければいけない場というのは確かにある。けれど、それでセクハラパワハラのような言葉をかけられていい言われは、性別種族関係なく、あってはならない。そもそも彼女が卓上を眺めていたのは酒が飲みたいからではなく、一つでいいからあの唐揚げが食べたかっただけなのだ。揚げたてのアレにレモンをかけて頬張れば、きっとジュワーっと肉の旨味が口の中に広がるんだろうな、なんて思っていたとは誰も知るまい。
「でもなぁ〜今の時代はなぁ〜無理矢理飲ませるとコンプラが〜とかなんとかってうるさいから、じゃあほらほらお酌くらいならいいだろ〜う?おじさんたちを楽しませてくれよ〜」
 やんややんやとヤジが飛ぶ。なにが「じゃあ」なのか意味がわからず、彼女は持たされた酒瓶を見つめてしまった。これまでディアボロについて制作発表会などのキッチリしたパーティーには顔を出してきたものの、こういう者たちがいう「無礼講の打ち上げ」といったゲスイ飲み会には参加したことがなかったために少々驚いて固まった。未だこんなに時代遅れの考えの者たちが蔓延っているのかと。
 彼女もこのような業界で秘書をしている以上、現場は腐っているところも多いという情報はつかんではいたのだが、実際に目の当たりにすると怒りを通り越して呆れた。だからキッパリと「ここはそういう店でもなければ私はそういう職業でもないのでお断りいたします」と口にしようとしたその時。
「そういったことはお控えいただきたい」
「!」
 彼女の代わりに、毎日耳にしているその声で凛と言い放ったのは、まごうことなくディアボロだった。しかしいつものように優しい声色ではない。行動を恥なさいと咎めるようなものだ。だだ……なんというか、その登場の仕方が独特なせいで、皆唖然としてしまう。真横から、ヌッと彼女とその輩の間に入り込んできたのだ。ディアボロの頭が。綺麗に。床と並行に。お邪魔しますとでも言いたげに。
「しゃ、しゃちょ……?」
「彼女は私の秘書だから、私にしかお酒を振舞えないことになっている!」
「、へ?」
「そ、んな、おかしな規則作っちゃってるんですか社長さんは〜!さっすがデビルキャニオンは違うなぁ!」
 突飛な行動に言葉が飛んでいった皆だったが、そこはさすがの製作陣。一筋縄ではいかない芸能人を相手取ってきただけあり、何とか空気を戻そうと頑張る強者たちが、引き笑いをする。対するディアボロは、そのままポトンと膝に頭を乗せて、負けじと太陽のように笑った。
「あっはっは!そうでしょう!彼女は私の大切な人だからね!私が守らなくてどうして社長と言えましょうか」
「っ……!」
 自分が何を言っているのかわかっているのだろうか、社長は。大切な社員じゃなくて、大切な人と言い切ってしまうなんて、一体これからどんな顔をして出社したらいいのだろう。いいやむしろここからの帰り道ですら、どうしたらいいかわからない。こちらも酒を煽っていればあるいは誤魔化せたかもしれないが、こんなに熱くなってしまった顔は、もはや隠せないのではないか。締まらない格好であっても、言うこと成すこと全てが真っ当。社長は、私をどうしたいの!?、との彼女の叫びは誰にも届かなかった。

 さらにその頃、もう一つの机でも攻防は繰り広げられていた。こちらの机には割と誰でも相手にできる話上手が揃っているので安全パイかと思いきや、全くである。
「アスモデウス君はあれだろ、最近スカルベリーのボーカルといい雰囲気だって聞いたぞ〜?あの子ほわほわしてるしモデルやってただけあって身体付きもいいしなぁ。ここに来てくれてたらお持ち帰」
「は?」
「へ……」
 一瞬にしてニコニコとしたアスモの顔が豹変し、地の底を這うようなデスボイスが低く響く。驚いた製作陣は声を失ってしまった。
「今おまえ、あの子のことなんて言った?」
「ひ、っ」
「てめぇみたいなおっさんが気持ちわるい目で綺麗なモノを汚していいと思ってんのか?あ?」
「あ、いや」
 オッサンと呼ばれたのは制作会社の重鎮なわけだが、今となってはそんなことはどうでもいい。既にすわっている瞳でオッサンを殺したかと思えば、次の瞬間にはクルリと表情を戻したアスモは、オッサンの口にありえないほど多く掬ったポテトサラダをぶち込むと、続けて言った。
「あの子は僕の大事な子だから、ダーメ。だれに言われても渡さないよ♡」
「なっ……そ、それって、大スクープなんじゃ……」
「……いいこと教えたげる」
 別の輩が発した言葉にも敏感に反応してグルリと首を回したアスモは、ドスの効いた声を再度発する。
「あの子になんかあったらタダじゃおかないからな」
 兄弟たちが、あっははー!アスモがキレてらぁ!、だの、アスモだけは怒らせちゃダメって知らなかったの?、だの笑い転げている中で、製作陣は思ったそうだ。
 もう二度と、NAGEKI、ひいてはデビルキャニオンとは、番組以外の繋がりは持つまい、と。
 話題の中心のスカルベリーがくしゅんと一つクシャミをしたことは、ここにいる誰が知るところでもなかった。
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