◆一番星に口付けを
バルバトスがハーベストの専属マネージャーを務め始めて暫く経ったある日。彼は社長室でパタリとファイルを閉じるとこんなことを口にした。
「坊っちゃま」
「なんだい?」
「秘書を雇いましょう」
「秘書?どうして?」
「この度わたくしも専属マネージャーを任されました。専属の仕事はとても充実しておりますし、新しい仕事内容からの刺激にわたくし自身の成長も感じております。しかしながら、少々手が足りなくなっているのも事実。そこで」
「なるほど!そういうことなら君の意見を歓迎するよバルバトス!それで、どうしようか?知り合いのツテでもあるのかい?」
「いいえ、弊社はアイドル事務所です。万一にも社内にファンを呼び込んでしまってはなりませんので、ここは一般的な手法でまいりましょう」
「一般的、というと?」
その言葉に対してバルバトスは一呼吸置き、それから、今後開催予定のアイドルオーディションへ送付されてきたプロフィールシートの山に手を置いて言った。
「面接です」
「面接か!バルバトスがしてくれるのかい」
「いいえ。社長室秘書ともなれば、四六時中坊っちゃまと共にいるようなものです。わたくし一人でやるのは少し違うのではないかと」
「それは……たしかにそうだね」
「そのため坊っちゃま直々に面接をしていただきます。ご自身が、仕事のパートナーとして、この人となら一緒にやっていけると確信できる方を雇っていただければと」
「自己責任ということか……」
「エントリーシートの確認はわたくしも一緒に行います。ただ、わたくしは坊っちゃまの人を見る目を絶対的に信頼しておりますので、心配はしておりませんよ」
「はは!持ち上げるねバルバトス、これは重大なミッションだなぁ」
快活に笑うディアボロは、口ではこう言っているものの、自信に満ち溢れた目をしていた。
それから二週間後。スピーディーなスケジュールにも関わらず多すぎるほどのエントリーがあったため、予定よりもはるかに大変な工程を踏んだのち、二人の人間が最終面接に呼ばれていた。
一人は男性。こちらは秘書というよりもボディーガードにふさわしそうなしっかりとした身体を持っていた。彼は、自身の精神力がいかに強いか、仕事に対してストイックに取り組めるかを全面的に打ち出して、ハキハキと受け答えしている。しかしながら堅物な様子はなく、むしろ爽やかでユーモラスな一面ももつ、どこの会社でもほしがられる素晴らしい人材であった。
一方、もう一人は女性。こちらは髪を三つ編みにして結い上げており、最終面接を受けにきているというのに少し控えめだ。けれど、男性が面白い話題を持ち出すとくすくすと笑う顔は大変チャーミングで人懐こく、とても好印象。かつ、エントリーシートに書かれた文章は的確な表現でまとまりもよく、会話の受け答えも明瞭。ほどよい距離感を持って正しい言葉を使いこなす、秘書に必要なスキルを満遍なく持っている逸材に思えた。
そんな二人がディアボロと最終面接を行って早一時間半が経過し、面接も佳境。そろそろ話も尽きるころかと、最後はお決まりのフレーズが投げかけられた。
「さて、長々と話してきたが、こちらからの質問は次で最後だ。忌憚ない意見を聞かせてくれ。君たちは、どうして弊社で働きたいと思ったのか。それでは、そちらから」
先に促されたのは男性の方で、彼は当たり障りのない回答を口にしたようだった。が、その内容は、実際のところガチガチに緊張していた女性の耳には全く入っていなかった。
「……というわけで、わたしは御社を志望しております!ぜひ、ディアボロ社長と働けたらと願っております。どうぞよろしくお願いいたします!」
「嬉しい志望理由をありがとう。それでは次、どうぞ」
「は、ひゃい!っ、はい!」
「ふふっ」
「!」
「ああ、いや、違うんだ。すまないね。君、実は最初から今までずっと緊張していただろう?それなのに長い時間付き合ってくれてありがとう」
「!?っいえそんな、」
「こういう場で緊張するなという方が無理だとはわかっているんだが、やはりリラックスできるような空気が作れないのは私の手腕がまだまだということだろうね。緊張の中で忌憚ない意見というのは難しいかもしれないが、思っていることをぜひ、素直に話てもらえると嬉しい」
ディアボロがなぜ謝っているのか言語としては理解できるのだが、しかし頭では理解できなくてさらに緊張してしまった彼女の頭は真っ白だ。
けれど後のディアボロの話では、この一言がなければ、どちらを秘書に選んでいたか定かではなかった、ということらしい。
発された志望理由は至極明快。
「パンフレットの」
「うん」
「御社のパンフレットに載っていた、あなたの笑顔が眩しくて」
「……私の?」
「はい!トップがこんなに幸せそうに笑っていられる会社は、絶対絶対、信じられるって思ったんです!それから社風や事業内容や大切にしていることなどを読み込むうちに、御社の虜になっていました。ぜひ、ぜひ一緒に働けたら、やりがいがあるだろうなと思い、志望します!」
彼女が心の底から熱量を持って答えてくれた。口にされた言葉は、生きた気持ちだと思ったんだ。それがとても嬉しかった、と、ディアボロは今でも嬉しそうにそう語る。
デスクの引き出しに大切に仕舞われているエントリーシートを見ながら、彼女との出会いを思い出して微笑んだディアボロに、秘書からも〜っ!とお叱りの声が飛んだ。
「社長!次の経営会議まで時間がありません!レジュメの草案は出来上がりましたか?」
「ん!?ああ、レジュメ、レジュメ、ね……その、なんだ、ねぇ、さっき別の会議が終わったばかりで」
「ああっ!その言い訳の仕方は、もしかして……!」
「えっ!いや、あは、ははは……そんな、ことは、」
「んもう!レジュメがなくてもしっかりお考えを持たれているのは、私は知っておりますけれど、経営層に話を通すにはそれなりの書類が必要で、」
「君!」
唐突にビシッと、ディアボロから静止が入り、彼女は身体を強ばらせる。ちょっと踏み込んだことを言いすぎたか、いや、でもバルバトスさんから引き継いだ鬼のようにあるディアボロ社長取扱マニュアルには、こういうときはしっかりと言い聞かせてください、と書かれていたはず……などと脳内は大忙しだ。
けれど、徐にデスクから立ち上がって彼女に近づいてきたディアボロは、怒るどころかその大きな両の手でぽんぽんと彼女の肩をたたき、リラックスリラックスと笑った。あまりにも優しい笑顔に、彼女は少しだけ頬を染める。
「そろそろ頃合いかと思うんだ」
「は、はい……?」
笑顔のうちに秘められた力強い視線に戸惑いの声をあげつつ次の言葉を待つも、聞こえたセリフに彼女は脱力した。
「名前で呼んでほしい。ディアボロさん、と。私はそう言っているよね?」
「っ〜〜〜!!そのお話は以前お断りしました!」
「なんでだい?名前で呼び合う。ディアボロさん、と。このほうが秘書との関係性がうまくいっているように聞こえるだろう?」
そんな風に呼び合ったら、別の意味で上手くいっているように見えるじゃないの!とは、この純粋な問いかけの前で言えるはずもない彼女の心の内である。
「で、ですから、普通、上司を名前で呼んだりはしませんと、」
「世間の普通は私には関係ないんだ!私はまだ次期社長の身だし、社長と呼ばれるのも違うだろう?だから、さぁ、ほら!」
「だだだだだめったらダメです〜っ!!ここにいらっしゃるということはもう社長と変わりません!少しくらいおおめに見てもらえますから我慢してください〜っ!それよりも会議がああああ」
社長室は今日も賑やか。
社長と秘書の関係は、本日も大変良好、である。
「坊っちゃま」
「なんだい?」
「秘書を雇いましょう」
「秘書?どうして?」
「この度わたくしも専属マネージャーを任されました。専属の仕事はとても充実しておりますし、新しい仕事内容からの刺激にわたくし自身の成長も感じております。しかしながら、少々手が足りなくなっているのも事実。そこで」
「なるほど!そういうことなら君の意見を歓迎するよバルバトス!それで、どうしようか?知り合いのツテでもあるのかい?」
「いいえ、弊社はアイドル事務所です。万一にも社内にファンを呼び込んでしまってはなりませんので、ここは一般的な手法でまいりましょう」
「一般的、というと?」
その言葉に対してバルバトスは一呼吸置き、それから、今後開催予定のアイドルオーディションへ送付されてきたプロフィールシートの山に手を置いて言った。
「面接です」
「面接か!バルバトスがしてくれるのかい」
「いいえ。社長室秘書ともなれば、四六時中坊っちゃまと共にいるようなものです。わたくし一人でやるのは少し違うのではないかと」
「それは……たしかにそうだね」
「そのため坊っちゃま直々に面接をしていただきます。ご自身が、仕事のパートナーとして、この人となら一緒にやっていけると確信できる方を雇っていただければと」
「自己責任ということか……」
「エントリーシートの確認はわたくしも一緒に行います。ただ、わたくしは坊っちゃまの人を見る目を絶対的に信頼しておりますので、心配はしておりませんよ」
「はは!持ち上げるねバルバトス、これは重大なミッションだなぁ」
快活に笑うディアボロは、口ではこう言っているものの、自信に満ち溢れた目をしていた。
それから二週間後。スピーディーなスケジュールにも関わらず多すぎるほどのエントリーがあったため、予定よりもはるかに大変な工程を踏んだのち、二人の人間が最終面接に呼ばれていた。
一人は男性。こちらは秘書というよりもボディーガードにふさわしそうなしっかりとした身体を持っていた。彼は、自身の精神力がいかに強いか、仕事に対してストイックに取り組めるかを全面的に打ち出して、ハキハキと受け答えしている。しかしながら堅物な様子はなく、むしろ爽やかでユーモラスな一面ももつ、どこの会社でもほしがられる素晴らしい人材であった。
一方、もう一人は女性。こちらは髪を三つ編みにして結い上げており、最終面接を受けにきているというのに少し控えめだ。けれど、男性が面白い話題を持ち出すとくすくすと笑う顔は大変チャーミングで人懐こく、とても好印象。かつ、エントリーシートに書かれた文章は的確な表現でまとまりもよく、会話の受け答えも明瞭。ほどよい距離感を持って正しい言葉を使いこなす、秘書に必要なスキルを満遍なく持っている逸材に思えた。
そんな二人がディアボロと最終面接を行って早一時間半が経過し、面接も佳境。そろそろ話も尽きるころかと、最後はお決まりのフレーズが投げかけられた。
「さて、長々と話してきたが、こちらからの質問は次で最後だ。忌憚ない意見を聞かせてくれ。君たちは、どうして弊社で働きたいと思ったのか。それでは、そちらから」
先に促されたのは男性の方で、彼は当たり障りのない回答を口にしたようだった。が、その内容は、実際のところガチガチに緊張していた女性の耳には全く入っていなかった。
「……というわけで、わたしは御社を志望しております!ぜひ、ディアボロ社長と働けたらと願っております。どうぞよろしくお願いいたします!」
「嬉しい志望理由をありがとう。それでは次、どうぞ」
「は、ひゃい!っ、はい!」
「ふふっ」
「!」
「ああ、いや、違うんだ。すまないね。君、実は最初から今までずっと緊張していただろう?それなのに長い時間付き合ってくれてありがとう」
「!?っいえそんな、」
「こういう場で緊張するなという方が無理だとはわかっているんだが、やはりリラックスできるような空気が作れないのは私の手腕がまだまだということだろうね。緊張の中で忌憚ない意見というのは難しいかもしれないが、思っていることをぜひ、素直に話てもらえると嬉しい」
ディアボロがなぜ謝っているのか言語としては理解できるのだが、しかし頭では理解できなくてさらに緊張してしまった彼女の頭は真っ白だ。
けれど後のディアボロの話では、この一言がなければ、どちらを秘書に選んでいたか定かではなかった、ということらしい。
発された志望理由は至極明快。
「パンフレットの」
「うん」
「御社のパンフレットに載っていた、あなたの笑顔が眩しくて」
「……私の?」
「はい!トップがこんなに幸せそうに笑っていられる会社は、絶対絶対、信じられるって思ったんです!それから社風や事業内容や大切にしていることなどを読み込むうちに、御社の虜になっていました。ぜひ、ぜひ一緒に働けたら、やりがいがあるだろうなと思い、志望します!」
彼女が心の底から熱量を持って答えてくれた。口にされた言葉は、生きた気持ちだと思ったんだ。それがとても嬉しかった、と、ディアボロは今でも嬉しそうにそう語る。
デスクの引き出しに大切に仕舞われているエントリーシートを見ながら、彼女との出会いを思い出して微笑んだディアボロに、秘書からも〜っ!とお叱りの声が飛んだ。
「社長!次の経営会議まで時間がありません!レジュメの草案は出来上がりましたか?」
「ん!?ああ、レジュメ、レジュメ、ね……その、なんだ、ねぇ、さっき別の会議が終わったばかりで」
「ああっ!その言い訳の仕方は、もしかして……!」
「えっ!いや、あは、ははは……そんな、ことは、」
「んもう!レジュメがなくてもしっかりお考えを持たれているのは、私は知っておりますけれど、経営層に話を通すにはそれなりの書類が必要で、」
「君!」
唐突にビシッと、ディアボロから静止が入り、彼女は身体を強ばらせる。ちょっと踏み込んだことを言いすぎたか、いや、でもバルバトスさんから引き継いだ鬼のようにあるディアボロ社長取扱マニュアルには、こういうときはしっかりと言い聞かせてください、と書かれていたはず……などと脳内は大忙しだ。
けれど、徐にデスクから立ち上がって彼女に近づいてきたディアボロは、怒るどころかその大きな両の手でぽんぽんと彼女の肩をたたき、リラックスリラックスと笑った。あまりにも優しい笑顔に、彼女は少しだけ頬を染める。
「そろそろ頃合いかと思うんだ」
「は、はい……?」
笑顔のうちに秘められた力強い視線に戸惑いの声をあげつつ次の言葉を待つも、聞こえたセリフに彼女は脱力した。
「名前で呼んでほしい。ディアボロさん、と。私はそう言っているよね?」
「っ〜〜〜!!そのお話は以前お断りしました!」
「なんでだい?名前で呼び合う。ディアボロさん、と。このほうが秘書との関係性がうまくいっているように聞こえるだろう?」
そんな風に呼び合ったら、別の意味で上手くいっているように見えるじゃないの!とは、この純粋な問いかけの前で言えるはずもない彼女の心の内である。
「で、ですから、普通、上司を名前で呼んだりはしませんと、」
「世間の普通は私には関係ないんだ!私はまだ次期社長の身だし、社長と呼ばれるのも違うだろう?だから、さぁ、ほら!」
「だだだだだめったらダメです〜っ!!ここにいらっしゃるということはもう社長と変わりません!少しくらいおおめに見てもらえますから我慢してください〜っ!それよりも会議がああああ」
社長室は今日も賑やか。
社長と秘書の関係は、本日も大変良好、である。