■読み切りログ(ルシファー以外)
日本茶展を楽しんだ後、二人は旅館に来ていた。
バルバトスに別れを告げようとした彼女の手を、バルバトスが割と……いやかなり強い力で握って離さなかったから、逃げられるはずもなかったし、そんなことをされなくとも、恥ずかしいだけで本当はもう少し一緒にいられたらなぁなんて本心を、彼女の方も持っていたからである。
しかしながら、連れて行かれた旅館が実家で、しかもご飯とお風呂を済ませて部屋に戻ってきた頃にセッティングされていたのはYES・NO枕と一組しかないお布団だったのには、これはもう頭を抱えるしかなかったのである。
「おや。お母様はわたくしとあなたが恋仲だと知っておられたのですか。一度しかお会いしたことがなかったはずですが」
「っち、違うよ!!知ってるわけないじゃない!私はそんなこと人に言ったりしないし、」
「言われていなかったのも少しばかり寂しいですけれど」
測ったように悲し気な顔をしてそんなことを言うバルバトスに、グゥっと言葉を詰まらせた彼女を見て今度はクスクスと笑いながら、さぁ部屋に入りましょうと彼女を促す。初めて会った頃はあんなにも気持ちをストレートに伝えてくれていたのに、こういった関係になったら逆に一歩引いてしまうとは、と思いながらも、結局雰囲気を作って仕舞えば、彼女がバルバトスに逆らえないこともまた、知り尽くされているのである。急ぐ必要はなかった。素直、という一点では、肌を重ねればすべてわかるのだ。問題はない。
「お嫌でしたらもう一組敷いてもらえるか聞いてみましょうか」
「!?」
「きっと、」
「いいっ!!」
キッパリと告げられた言葉に、少しだけキョトンとしたバルバトスは、なぜ?と表情で聞き返す。
「い、い、いやじゃないっ!」
「と、言いますと?」
「ただっ、その、ひ、久しぶりだからっ、ちょっと、気持ちの整理がっ!」
「なるほど」
「だからっ、ちょっとお風呂入ってくるね!?」
「いましがた入ったのにでしょうか」
「せっかく!お部屋にも!ついてるから!」
「ああ、そういうことですね。いいでしょう」
しかし、その言葉に彼女がホッとしたのも束の間、数分後には二人して部屋付きの露天風呂にいた。聞こえるのは天然の湯が湧き出しては湯船の中に入ってくる静かな水音と、蚊の鳴くような彼女の声、それから夏の日本の夜を賑わすケラなどの虫たちの合唱。
「ナンデェ……」
「何がでしょう?」
夜空にポッカリと浮かぶ月は、バルバトスにとっては見慣れたものだが、これとそれは異なるものなのかもしれないとぼんやり思う。彼女の腹に回した腕でしっかりと彼女を抱きしめ直すと、バルバトスは盆の上に乗せていた冷酒をお猪口に注いだ。
「ああ、そういえば、ミニバーの中に冷酒がございました。せっかくなのでご用意しましたから少し飲んで気分を和らげては?」
「用意したじゃにゃあああい!!なんで一緒に!?私、一緒になんて言ってなぁああい!!」
「しー……。いくら離れの良い部屋をあてがって頂いたと言っても、女将さんはお見通しかもしれませんよ」
バルバトスは優しい声で「お静かに……」とつぶやくと、自分の口にクッと冷酒を含み、そのまま彼女の唇を奪った。
「ンっ」
「んぅ!?」
舌でこじ開けられた唇の隙間から流れ込んできたのは、冷酒のはずだったのに、バルバトスの咥内で熱を持ってしまった生暖かいそれはぬるりと彼女の喉元を通り過ぎた。こくりと喉元が動いたのを感じ取って、バルバトスは一度唇を離す。
「ふは、」
「んく、ぷは!っ、ちょ、」
今度は言葉にその唇に人差し指を立てたバルバトスは、耳にそっと囁いた。
「もっと飲みたいと、そう捉えますが、よろしいですか?」
「!!」
「お猪口から飲みたいのであれば、さぁ、どうぞ」
「む、ぅ……!」
お湯の温度が高いからではない。別の意味で首から額までをも真っ赤に染めた彼女は、自分で呑めますぅぅ、とお猪口を取ったが最後、シチュエーションのせいもあってベロベロに酔っ払って部屋に連れ戻されることになった。
「大丈夫ですか?」
「あははぁ〜♪ちょっとぉ〜ちょっとだけ〜のみすぎっちゃったかぁなぁ〜うふ〜♪」
「いい気分、というものでしょうか。幸い、気分が悪いわけではなさそうですが……」
これでは今日はこのまま眠るのが一番ですかね、と残念半分心配半分で眉を下げてクスッと笑うバルバトス。しかし、対する彼女は、寝かされた布団の上でむくりと起き上がると、よじっ、と正座するバルバトスの上に乗っかった。着崩れた浴衣からはまだ赤く染まったままの白い肌が覗く。
「ばるばとす、」
「どうなさいましたか」
「わたしねぇ」
「はい」
「いやじゃ、ないよ?」
バルバトスよりも随分小さな彼女は上目遣いでバルバトスを誘う。その姿は可愛らしいのにどこか妖艶で、生まれたてのサキュバスのようでもあった。
「いや、ではない、と。それは一体なんのお誘いでしょうか」
しかし悪魔歴ウン千年を誇るバルバトスはそんなものでは陥落しない。やはり自分が優位でなければ。はっきりと口にしてほしいのだと。
「……こういうとき、日本でなんていうか、知ってる?」
「?」
「いけずぅ……っていうの、んっふ、」
「!」
彼女からの口付けはちゅ、ちゅ、ちゅ、と軽い。子供の戯れのようなそれだけれど何度も押し当てられる柔い感触に掻き立てられないバルバトスでもない。タイミングを見計らって、彼女の後頭部を捕まえると、そのまま深く口づけ返して布団へ押し倒した。交わる吐息と唾液に煽られる二人。次第に衣擦れの音も大きくなってきた。ギュゥっと掴まれた浴衣は、キスによって彼女の力が弱くなるに従ってずるずるとズレて、バルバトスの肩あたりまで肌けて、やっとのことで離れた熱に、夢現ながらにもふぅっと一つ深い呼吸が挟まる。
「は、ぁっ……ふはっ、」
「あなたがその気なら、わたくしが止める理由はございません。もとよりそのつもりでお誘いしたのです」
「っ、言ったでしょ……いけず……って」
「その言葉の意味は?」
「いじわる、ってこと……。私だって、期待してた……」
潤む瞳に誘われて、再び赤く染まった頬にキスをひとつ。
「心配になります」
「んぅ?」
「あなたの、その素直すぎるところが、他の悪魔も魅入られてしまわないか」
「……ふふっ!あははっ!」
「?なんです?」
バルバトスの素朴な嫉妬に対し、彼女は心底おかしそうに笑ってこう言うのだ。
「大丈夫だよ?私が、バルバトス以外になんの感情も抱いていないもの」
「!」
「バルバトスにだけだよ、こんな風になるのも……だいすき、なのは、バルバトス、だけ……っ」
「……ふ……、そうですか。それなら、安心ですね」
長い刻を過ごしてきた悪魔・バルバトスの中には数えきれないほどの思い出も、忘れてしまった過去も多くあるだろう。けれど、こうして彼女と過ごすこの夜も、忘れられない一夜として彼の中に残ったに違いない。
二人の夜は、まだまだ明けない。
バルバトスに別れを告げようとした彼女の手を、バルバトスが割と……いやかなり強い力で握って離さなかったから、逃げられるはずもなかったし、そんなことをされなくとも、恥ずかしいだけで本当はもう少し一緒にいられたらなぁなんて本心を、彼女の方も持っていたからである。
しかしながら、連れて行かれた旅館が実家で、しかもご飯とお風呂を済ませて部屋に戻ってきた頃にセッティングされていたのはYES・NO枕と一組しかないお布団だったのには、これはもう頭を抱えるしかなかったのである。
「おや。お母様はわたくしとあなたが恋仲だと知っておられたのですか。一度しかお会いしたことがなかったはずですが」
「っち、違うよ!!知ってるわけないじゃない!私はそんなこと人に言ったりしないし、」
「言われていなかったのも少しばかり寂しいですけれど」
測ったように悲し気な顔をしてそんなことを言うバルバトスに、グゥっと言葉を詰まらせた彼女を見て今度はクスクスと笑いながら、さぁ部屋に入りましょうと彼女を促す。初めて会った頃はあんなにも気持ちをストレートに伝えてくれていたのに、こういった関係になったら逆に一歩引いてしまうとは、と思いながらも、結局雰囲気を作って仕舞えば、彼女がバルバトスに逆らえないこともまた、知り尽くされているのである。急ぐ必要はなかった。素直、という一点では、肌を重ねればすべてわかるのだ。問題はない。
「お嫌でしたらもう一組敷いてもらえるか聞いてみましょうか」
「!?」
「きっと、」
「いいっ!!」
キッパリと告げられた言葉に、少しだけキョトンとしたバルバトスは、なぜ?と表情で聞き返す。
「い、い、いやじゃないっ!」
「と、言いますと?」
「ただっ、その、ひ、久しぶりだからっ、ちょっと、気持ちの整理がっ!」
「なるほど」
「だからっ、ちょっとお風呂入ってくるね!?」
「いましがた入ったのにでしょうか」
「せっかく!お部屋にも!ついてるから!」
「ああ、そういうことですね。いいでしょう」
しかし、その言葉に彼女がホッとしたのも束の間、数分後には二人して部屋付きの露天風呂にいた。聞こえるのは天然の湯が湧き出しては湯船の中に入ってくる静かな水音と、蚊の鳴くような彼女の声、それから夏の日本の夜を賑わすケラなどの虫たちの合唱。
「ナンデェ……」
「何がでしょう?」
夜空にポッカリと浮かぶ月は、バルバトスにとっては見慣れたものだが、これとそれは異なるものなのかもしれないとぼんやり思う。彼女の腹に回した腕でしっかりと彼女を抱きしめ直すと、バルバトスは盆の上に乗せていた冷酒をお猪口に注いだ。
「ああ、そういえば、ミニバーの中に冷酒がございました。せっかくなのでご用意しましたから少し飲んで気分を和らげては?」
「用意したじゃにゃあああい!!なんで一緒に!?私、一緒になんて言ってなぁああい!!」
「しー……。いくら離れの良い部屋をあてがって頂いたと言っても、女将さんはお見通しかもしれませんよ」
バルバトスは優しい声で「お静かに……」とつぶやくと、自分の口にクッと冷酒を含み、そのまま彼女の唇を奪った。
「ンっ」
「んぅ!?」
舌でこじ開けられた唇の隙間から流れ込んできたのは、冷酒のはずだったのに、バルバトスの咥内で熱を持ってしまった生暖かいそれはぬるりと彼女の喉元を通り過ぎた。こくりと喉元が動いたのを感じ取って、バルバトスは一度唇を離す。
「ふは、」
「んく、ぷは!っ、ちょ、」
今度は言葉にその唇に人差し指を立てたバルバトスは、耳にそっと囁いた。
「もっと飲みたいと、そう捉えますが、よろしいですか?」
「!!」
「お猪口から飲みたいのであれば、さぁ、どうぞ」
「む、ぅ……!」
お湯の温度が高いからではない。別の意味で首から額までをも真っ赤に染めた彼女は、自分で呑めますぅぅ、とお猪口を取ったが最後、シチュエーションのせいもあってベロベロに酔っ払って部屋に連れ戻されることになった。
「大丈夫ですか?」
「あははぁ〜♪ちょっとぉ〜ちょっとだけ〜のみすぎっちゃったかぁなぁ〜うふ〜♪」
「いい気分、というものでしょうか。幸い、気分が悪いわけではなさそうですが……」
これでは今日はこのまま眠るのが一番ですかね、と残念半分心配半分で眉を下げてクスッと笑うバルバトス。しかし、対する彼女は、寝かされた布団の上でむくりと起き上がると、よじっ、と正座するバルバトスの上に乗っかった。着崩れた浴衣からはまだ赤く染まったままの白い肌が覗く。
「ばるばとす、」
「どうなさいましたか」
「わたしねぇ」
「はい」
「いやじゃ、ないよ?」
バルバトスよりも随分小さな彼女は上目遣いでバルバトスを誘う。その姿は可愛らしいのにどこか妖艶で、生まれたてのサキュバスのようでもあった。
「いや、ではない、と。それは一体なんのお誘いでしょうか」
しかし悪魔歴ウン千年を誇るバルバトスはそんなものでは陥落しない。やはり自分が優位でなければ。はっきりと口にしてほしいのだと。
「……こういうとき、日本でなんていうか、知ってる?」
「?」
「いけずぅ……っていうの、んっふ、」
「!」
彼女からの口付けはちゅ、ちゅ、ちゅ、と軽い。子供の戯れのようなそれだけれど何度も押し当てられる柔い感触に掻き立てられないバルバトスでもない。タイミングを見計らって、彼女の後頭部を捕まえると、そのまま深く口づけ返して布団へ押し倒した。交わる吐息と唾液に煽られる二人。次第に衣擦れの音も大きくなってきた。ギュゥっと掴まれた浴衣は、キスによって彼女の力が弱くなるに従ってずるずるとズレて、バルバトスの肩あたりまで肌けて、やっとのことで離れた熱に、夢現ながらにもふぅっと一つ深い呼吸が挟まる。
「は、ぁっ……ふはっ、」
「あなたがその気なら、わたくしが止める理由はございません。もとよりそのつもりでお誘いしたのです」
「っ、言ったでしょ……いけず……って」
「その言葉の意味は?」
「いじわる、ってこと……。私だって、期待してた……」
潤む瞳に誘われて、再び赤く染まった頬にキスをひとつ。
「心配になります」
「んぅ?」
「あなたの、その素直すぎるところが、他の悪魔も魅入られてしまわないか」
「……ふふっ!あははっ!」
「?なんです?」
バルバトスの素朴な嫉妬に対し、彼女は心底おかしそうに笑ってこう言うのだ。
「大丈夫だよ?私が、バルバトス以外になんの感情も抱いていないもの」
「!」
「バルバトスにだけだよ、こんな風になるのも……だいすき、なのは、バルバトス、だけ……っ」
「……ふ……、そうですか。それなら、安心ですね」
長い刻を過ごしてきた悪魔・バルバトスの中には数えきれないほどの思い出も、忘れてしまった過去も多くあるだろう。けれど、こうして彼女と過ごすこの夜も、忘れられない一夜として彼の中に残ったに違いない。
二人の夜は、まだまだ明けない。