■読み切りログ(ルシファー以外)

「そろもんせんせいさよーならー!」
「うん、また明日ね」
 獣人界の片隅のこの青空教室で、鐘が鳴り響く。
 迎えがある子たちは親に引き渡され、あるいは自分で帰路につける子もちらほら。
「やーあ!ばぅとじゃないとかえらないですー!」
「そんなぁ……わたしと一緒に帰ったらバルバトスが待ってるよぉ」
「しかおんせんせぇ!!やぁああ!!」
「しかおんじゃないよ、シメオンだよー」
 相変わらず騒がしいのは、人間でありながら獣人に育てられたあの子。バルバトスが来ていないとなると、落ち着くまでが長そうだ。
「みんな元気だなぁ。眩しい笑顔だ」
「何言ってるのよ、ソロモン」
「ん?ああ、君か」
 声に引かれて振り返ると女性が一人。ゆるくウェーブがかかった髪が微風に揺れる。
 彼女はこちらの世界にきた俺を匿ってくれた命の恩人であり俺の恋人だ。
 もう何百年と昔のことにはなるが、俺はただの人間だった。と言っても、ただの人間にしては魔術を使ったりと、一般人になりきれていなかったところはある。人間界を追われるように森の奥へと逃げていった俺は、そこでこの獣人界に迷い込んだ。
 噂には聞いていた。獣が人型をとる世界がどこかにあるということは。でも流石に信じてはいなかったのだけれど、火のないところに煙は立たないとの言い伝え通り、噂は本当だったんだと納得するのに時間は掛からなかった。
 しかし、そうなるといくら魔術師の身とはいえ、肉体が人間の自分はすぐに食われてしまうのではないか。さてどうしたものか。少しばかり慌てていたところに現れたのが、毛並みの美しいファーコートを羽織った一人の女性。耳も尻尾も、闇の中でもよく目立つ白だったので、彼女がホワイトタイガーの獣人であることは一目瞭然だった。よりにもよって肉食獣人に出会うなんてついてない、と死を覚悟したのだが、彼女は俺を食うことをせず、それどころか家に連れ帰って世話をしてくれると言ったのだ。
「私は教師の卵なの。人と獣人の歴史に興味があるわ。あなたが人間界のことを教えてくれるなら、それを対価にこのままうちに置いてあげる」
「なるほど……そういうことなら、お願いしたい。俺はソロモン。これからよろしくね」
「話が早くて助かるわ。こちらこそよろしくね、ソロモン」
 そんなわけで共に暮らすことになった。幸いなことに獣人には魔力があるらしい。俺の魔術の研究も咎められることはなく、研究を続けているうちに『自分を獣人に見せる』ことが可能になり、彼女と同じく教師として暮らすようになった。
『ソロモンはどうして雪豹を選んだの?』
『決まってるじゃない。真っ白なホワイトタイガーの君と、真っ白な雪豹の俺が並んでいたら、お似合いのカップルに見えるから』
『……今、なんて?』
『あれ?伝わらなかったかな。君が好きだって言ったつもりだったんだけど』
 そうして長い時を経て、いつしか「そういう関係」になった俺と彼女は、こうして仲睦まじく生活している。
 昔話はさておいて。
「今日の俺の授業はどうだった?」
「ソロモンの授業に私が口出しできることはもうないわよ。それどころか私より早く出世したくせに」
 そう言って、ぷくっと頬を膨らませた彼女は、未だに幼さを残していて可愛らしい。ベッドの上では成熟した雌の色香を滲ませるのに、女性とはいつまで経ってもよくわからないものだ。
 怒らないでよ、と髪に触れ、ふわりふわりと撫でれば、子供扱いしないでよ、とさらに拗ねてしまう。そんなところが愛おしいんだよと言えば、きっとまた照れて拗ねるから、その言葉はぐっと飲み込んだ。
「君はもう仕事終わったの?」
 言葉に反応してスッとこちらに向けられた視線。夕陽を反射した彼女の瞳はキラキラと輝いていた。睫毛が落とす細やかな影が、美しい瞳を一層際立たせている。
 あまりに幻想的なその情景に、返事を聞くより先にポツリと本音が口をついて出た。
「君の瞳は本当に綺麗だ。一つの惑星みたい」
「……っな、なに、突然」
「ああ、ごめんね、つい本音が」
「か、からかわないで!」
「揶揄う?ふふっ、まだそんな風に思っているのか。心外だなぁ」
 彼女の腰をサッと取って引き寄せて、耳に囁くのは真実でしかないのに、顔を夕陽以上に真っ赤にして怒るんだろうなと想像ができて、笑みを抑えるのに必死だ。
「君を抱くときはいつも伝えてるだろう?可愛いって」
「っ!!」
「うーん。今日はなんだか君をたくさん愛したい気分なんだけど」
「っちょ、ソロモ、」
「寵愛のシルシは定期的に刻まないといけない。そうだろ?」
「わ、わかった、からっ……!こんなところで、」
「ふふっ、やっぱり君は可愛いよ。早く帰ろう」
「調子がいいんだからっ」
 そう言いつつも、素直な尻尾はいつもよりもお淑やかにもじもじと動いているところを見ると、彼女もいつぞやの夜を思い出し、そして期待しているのだろう。
 いつだってこの身にシルシを残してほしい。
 深く君に溺れたいんだ。
 今宵も君を俺のものに。俺を君のものに。
 愛してると、言葉と、身体で刻ませて。
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