■2022/5〜の読み切りログ(ルシファー)
大切な人と過ごす大事な日というものは、一年に何度もある。例えばお正月。例えばクリスマス。それからバレンタイン。人によってはお付き合い記念日なんかもあるだろう。
それぞれ心に留めている大事な日は異なるけれど、私にとって一番忘れてはならない日の一つには、相手の誕生日があった。
ルシファーと契約して、恋人という関係になってから初めての誕生日。何かしたいのは当たり前なんだけど、じゃあ何を?という具体案はすぐには浮かばなかった。クリスマスの時もあれだけ迷ったのだ。もっと早くから準備しなくちゃと目論み始めたのは三月も終わり頃だったけど、とはいえそれはそれで早すぎて実感も湧かず、結局ギリギリまで堂々巡りする脳内。
残るものは欲しくない、とは何度か聞いたセリフだ。だからモノを贈るつもりはなかった。
じゃあ何をするか?図らずともしたプレゼントは私!を二度もやる勇気はない。お揃いの待ち受け写真ももう撮ったし、コンサートのチケットはこの時期出回っていない上にまた送っても二番煎じになってしまう。
「うーーんーーあーーー!!」
バタンと倒れたのはベッドの上。ゴロンと転がりながら、ここ数日何度も何度も開いた「男性へ贈るプレゼントベスト20」と書かれたホームページと向き合う。これを見ていると、人間界でも魔界でも、誰かに何かを贈りたいという気持ちに大差ないようだと少しだけ安堵できるのだ。けれど根本的に悩みが解消されるわけではない。だいたいもうそのページの内容が脳内にコピーされてしまうくらい読みまくったのだから開いても進展はない。
すぐにページを見終わった私は、今度は意味もなくデビグラを眺め始めた。こんなことをしているから一日がすぐに終わってしまうのだとは分かりきったことだけどそんなこと言われてもやめられないのがSNSだ。
しかし、そのとき神の啓示があった。
「あ、これ可愛い」
そんな私の目に飛び込んできたのは、アスモデウスが「ぼくプロデュースの新作だよ〜!」と発信していた小さな瓶だった。人間界でいうエジプトの香水瓶に似たそれは、投稿内容を読む限り香水らしかった。
「香水かぁ」
私の人生、これまで香水にはあまり関わりが無かった。それには理由があって、どちらかと言うとボディクリームやヘアオイルなどで香りを纏う方が好きだったから。でも半年前にルシファーに香水をもらったことで私の世界は一変した。
『いいか。おまえは俺のものだ。忘れるな』
『常に俺と同じ香りを纏っていろ。そうすれば、おまえが俺のものだとあいつらにもわかるだろう?』
なるほど、俺様なルシファーの考えそうなことだとは思ったけど、正直そこまで執着してもらえることは嬉しい以外の何でもなかったので、喜んで受け取ったし、本当に毎日使っていた。そうしたらすぐになくなってしまったのだ。香水なんて買ってもほんの数mlですら使い切ったことがなかった私なので自分でも驚いた。出かける前と眠る前に胸元あたりにシュッとしてから洋服を着込んでいたためにクローゼットごとルシファーの香りになっていたし、ベッドシーツにもほとんどその香りが移っていた。『お前が俺のものだとわかるだろう』と言っていた割にあまり周りに香りすぎないものだったのか、部屋に来た兄弟に「さっきまでルシファーがここにいたのか?いや、勘違いか?」と言われる程度のほのかな残り香だったので、なんとなく「ルシファーと自分だけの秘密」のように感じて浮ついていたのは否めない。
そんなふうに気に入っていた香りが底をつき、同じものが欲しいと思ってもルシファーに頼むわけにもいかず、どうしようと考えていたところだったから、もしかするとちょうどいいのかもしれない。
「よし、プレゼントは香水にしよう!」
バッと飛び起きて、そうと決まれば早く調べないととまた検索画面を開く。目的のものはすぐに見つかった。
「オリジナルパフューム専門店……!ここだ!」
やりたいことは贈り物が決まった時点で一つしか思い浮かばなかった。『今度は私の香りを纏って』だ。でも私は「これだ」と言う自分の香りを持っていないのだから、これはもう作ってもらうしかないと踏んだのだ。検索結果第一位はさすが人気店のようで、「来店日のご予約はお早めに」とあったので、店の良し悪しなどわからない私はそのまま予約を入れてその日を待った。
そして時はすぎて、ルシファーの誕生日当日。
流石の長男の祝われ方は殿下に次ぐ煌びやかさ。全員まとめて魔王城にお呼ばれしてしまったものだから、日中は二人きりになんてなれたもんじゃなかった。しかしそれは予想の範疇だったので特に凹んでもいない。むしろ兄弟たちと一緒に考えたパーティー進行を行うことに必死だったくらい。
それから数時間。楽しい時間にも終わりは来るわけで、パーティーも閉会して嘆きの館に戻った頃にはみんなクタクタ。特に後ろ髪引かれることなく各自部屋に戻っていったので胸を撫で下ろす。なんとなく気恥ずかしいから、この先二人きりになりたい、と私が思っていることを皆に悟られたくなかったのだ。
私は自室に戻るように見せかけて、ルシファーの背中を追った。
「ルシファー!」
「ん?……ああ、おまえか。どうした?」
「えっと、」
「……なんてな。まだ日付は変わってない。俺の誕生日を最後の一秒まで祝ってくれるんだろう?」
「っ……は、ハイ……。祝わせて、くだ、サイ……」
「ははっ!なんで今更恥ずかしがるんだ。さぁ、俺の部屋へ行こう」
「うん……!」
バレバレだったのは逆にありがたくて、腰に添えられた手に舞い上がった私だったけど、今日は私が喜ぶ日じゃないからと自分を戒める。
ルシファーの部屋に着くと、彼はいつも羽織っている上着をソファーに放ってネクタイを緩めた。粗雑な動作が珍しく「パーティーで疲れちゃった?」と聞くも、返事は微笑み一つ。話しかけるのも野暮かもしれないと手持ち無沙汰に扉の前に突っ立っているとすぐに手招きされたのはルシファーの膝の上。デモナスを片手にもう一度乾杯しよう、と言うのを断る理由もなく、小さなグラスを受け取る。
「でもさっきまであんなに飲んでたのに、まだ飲むの?」
「あのくらいじゃ酔わないよ」
乾杯、との言葉とともに小さな音を立てて合わさったグラスには、真っ青なデモナスが揺れていた。ぐびっと一思いに飲み干したルシファーの目尻は少し赤くなっていて、これは酔っているなとジト目になったけれど、追加の一杯くらいなら影響はないだろうとそれに付き合って私もデモナスを口に含む。
暫くして私のグラスを取り上げたルシファーは上機嫌に私の髪を一房手にとって口付けた。その所作に、途端に跳ねる私の心臓。スッと、射るような視線が私に刺さる。
「さて。おまえが俺を追いかけてきた理由はわかっているが……できればおまえの口から聞きたい」
「っ、あ、えっと、そうだよね……そう……その、これっ」
いざプレゼント、となるとどうにもドキドキが勝って吃ってしまったが、目的のものはきちんとルシファーの手の上に乗せられてホッとした。
「……今開けても?」
「もちろん!」
今の今までポケットに隠しておけたほどの小さな包みには細めのリボンがかけられていた。宝物を扱うかのように丁寧にリボンを解いて、中から小さなボトルを取り出したルシファーは、それを持ち上げて私に問う。
「これは……香水か?」
「あたり!」
「どうして俺にこれを?」
「前にルシファーに香水をもらったでしょ?あのプレゼント、本当に嬉しかったの。でももうなくなっちゃって」
「なんだ。言ってくれたらまた贈ったのに」
「いやいや……そんな、厚意でいただいたものをもう一度ちょうだい、なんていくら私でも言えないから!だからね、それでどうしようかなって考えて。同じものが欲しいのもあったんだけど、それでは芸がないなって」
「プレゼントで芸とは、相変わらず面白いことを言うな、おまえは」
「もー!ちゃかさないで!それは言葉のあや!」
ペしんとルシファーの胸板を叩くと、ハハハと笑う彼は、心底幸せそうな表情で、次第にこちらの体温が上がってくる。
「っ……だから考えたの。今度は私の香りを贈りたいなって」
「ほう」
「でも私、自分がよくつける香水なんて持ってないし困っちゃって。とりあえずと思って香水の専門店に行ったの。そしたらね、そういうことなら、彼の香りとあなたの好きな香りをまぜたら良いのでは?って言われて、それだー!ってなったんだ」
「俺とおまえの?」
「うん。ルシファーにはずっと付けてるものがあるわけだし。混ぜたらどんな香りになるのかなーって私も楽しみで」
包みの中に入っていた香りのフィードバックシートを見ながら、これがルシファーの香水に入ってた香りで、こっちが私の好きな香りね、と指で示しつつ言うと、興味深そうに耳を傾けてくれてなんだか嬉しい。気に入ってもらえそうでよかったと一安心。
「一応試させてはもらってて、私はとっても好きな香りだったから大丈夫かなとは思ってるんだけど……使い切ったら終わりだし、もし苦手でも、ね?それにルシファー、前に手に残るものは嫌って言ったから、使えばなくなるものなら当てはまるし。実は私もお揃いで買っ」
「香りは記憶に残るというだろう」
「え?」
じっと、私を見つめる紅の眼差しが熱っぽく揺れる。だんだん近づいてくるそれから目を逸らせない。
「手に残るどころか、こんなものをもらったら、俺はこの先何千年、一生おまえの虜になる」
「……ほんとは、忘れちゃ嫌だって思うんだよ、さいきンっ、」
「ん、」
「っ、ン、ふ……このキスも……ッ熱も、愛情も……はぁ」
「ハッ、ふは、……んっ、俺は……俺だって、忘れたくないさ」
「ルシファーも……?でも、」
「遺されるのはもうごめんだと、何度も思った。だからマスターで留めようと思ったのに無理だった」
「!」
「おまえが俺をこんな風にさせたんだ」
それに返事をすることは許されなかった。そのまま唇を塞がれて、ちゅっちゅっと最初は可愛らしかったキスは徐々に深いものに変わっていく。それと同時にどんどん身体の向きを変えられ、ついにはソファーに押したおされた私。手を捉えられて、握りしめられ、抵抗することもできない。しまいにはルシファーの身体で抑え込まれ、その下で口付けを味わうだけになった。暫く互いの唇を堪能する。部屋にはリップノイズと吐息が満ちた。
どのくらいそうしていたか、上手く呼吸ができずにホロリと一筋、生理的な涙が溢れたのをきっかけにちゅぷっと引き抜かれた舌。二人の間を繋ぐ透明な糸がオレンジ色のライトに照らされてキラリと光った。
「っはぁ……」
「んっ、は、ふは」
ひゅっと肺に入り込んできた空気を上手く処理できずに喘ぐ私の唇を親指できゅっと拭ったルシファーは、プレゼントしたばかりの香水を徐に取り出してシュッと自分の手首に吹きかけた。そしてそれをそのまま私の首筋に擦り付けたと思えば、自分の手首をかおるのではなく、首筋に顔を近づけてスンっと鼻を鳴らした。
「んっ!?」
「なるほど、トップノートはベルガモット……それと……これはカルダモン。この組み合わせも悪くないな。ミドルからラストにかけてどんな香りになるのか楽しみだ」
「!」
「愛用させてもらうよ」
「ほんと……!?気に入ってもらえてよかった……!」
「だが、」
「?」
「おまえは気づいていないかもしれないが、おまえの香りはすでにこの部屋に染み付いている」
「え!?は、えっ」
恐ろしい言葉が吐き出されて、思わず自分の香り!?変なのだったらどうしよう、とスンスン鼻を動かしてしまう。そんな私を見て、ククッと笑ったルシファーは、私の肩口から首を擡げて、頬を指で弄んだ。
「勘違いするな。変な匂いがするわけじゃない。おまえの……そうだな、たぶんシャンプーとかボディースクラブとか、そういう類のものだと思うが、その香りが枕やなんかからふわっと香るときがままある」
「自分じゃ、全然感じなかった……」
「日常にある物事なんてそんなものだ。その香りに似ているな、これも。より一層おまえを感じられそうだ。おまえを抱いて眠れない日も」
「っ〜!?」
「おまえがいない日に愛用させてもらおう」
「わ、わたしがいるときは……?」
わかりきっていることも聞きたい乙女心が、その台詞を声にした。
「当然、おまえを抱いて堪能させてもらう」
ニヤリと笑ったルシファーは、キスですでに腰が立たなくなっていた私をサッと抱き上げてベッドに向かう。その瞬間に確かに漂ったのは、私の部屋のようなルシファーそのもののような絶妙な香りで、ぽっと頬が熱くなる。
「なんか……お店で嗅いだ香りと違うっ……」
「体温によっても異なるからな。つける位置にもよる。店で試すときは大概ムエットか、つけても手首だろう?首筋だとまた違う感じ方をするはずだ」
「あ……なるほど」
「ちなみにおまえは、俺が贈った香水は胸元にしかつけたことがないな」
「な、」
「なんで?あれだけ抱いていれば、どのあたりから強く香るか気づくだろう」
「っ!?」
「今度は首筋あたりにも試してみろ。果たして俺か、おまえか、どちらの方が強く香るか。……まぁ、今から混じり合ってしまうから、今日はあまりわからないかもな」
私の上で悪びれもなくそう言ったルシファーは、続けて、しまったなと呟く。
「……?どうかした?」
「日付が変わるまであと一時間もない。俺の誕生日が終わっても、お転婆な彼女(ルビ おまえ)はこの腕の中にいてくれるかな」
「!?!?!?」
「一時間ではラストノートまで確認できそうにないんだが、」
最後の一手を私に委ねるのはズルい悪魔としか言いようがない。それでもその一言はいつだって私を悦ばせるのだ。だから私の回答はいつだって一つに決まっている。
「日付が変わって誕生日が終わっても、来年も再来年もこの先ずっとずっとルシファーの腕の中にいさせてください」
「望まれなくても、もちろんだ」
二次会の始まりの合図はリップノイズ。あとはもう幸せに浸るだけ……と思ったのだけれど、もう一つだけ忘れてはいけないことがあったと慌てて声を上げる。
「んあっ!待ってルシファー!」
「……今更、やめて、はなしだぞ」
「そ、そんなんじゃないよ!ベッドまできてさすがにそんなこと言わないから……!」
もう一度キスされそうになったところで、二人の間に手を差し込んだものだから、ルシファーの眉がムッと中央に寄る。可愛い。なんでこんなに可愛いの。微笑みそうになるのをグッと堪えて、私は大事な大事な一言を口にした。
「改めて、お誕生日おめでとう。大好きっ」
こちらからキスを一つ。ルシファーが望んでくれるなら、私はなんだってあげるよ。唇が離れたと思えば、すぐさま深く口付けられたが最後、この部屋から言葉らしい言葉は消えた。
熱を孕んだ空間で、愛を囁くバースデー。
これもまた一つのパーティーかもね、なんて、ちょっとかっこをつけすぎたかな。
二人で生きた時間のかけら、一つたりとも忘れないよ。
きっとずっと、愛してる。
で。
その次の日の朝。
一抹の不安はもとよりあった。
なんと言っても過去、結婚式の日ですらあんなことになっているのだ。誕生日に何も起こらないなんて……と考えていたからこそ、プレゼントはずっと肌身離さず持っていたのに。
なのに!
「ねぇっ!!なんでこういう大事な日に限ってまた呪いにかかっちゃうかなぁ!?」
「む。む!」
素肌をシーツで覆ってベッドに倒れ込む私と、枕の上でもぞもぞするルシファー……の生きぬいぐるみ。アンバランスな組み合わせに思わず叫んでしまったが、のちに教えてもらった理由に、仕方ないなと頬を緩めたのは私。もはや誰のことも怒れなかった。
【前にぬいぐるみになったとき、一日中おまえに抱えられて大事にされてとても心地よかったから自ら呪いを受け入れた】
呪いなんて受けなくても、私の胸 はルシファーだけの場所だよ。
それぞれ心に留めている大事な日は異なるけれど、私にとって一番忘れてはならない日の一つには、相手の誕生日があった。
ルシファーと契約して、恋人という関係になってから初めての誕生日。何かしたいのは当たり前なんだけど、じゃあ何を?という具体案はすぐには浮かばなかった。クリスマスの時もあれだけ迷ったのだ。もっと早くから準備しなくちゃと目論み始めたのは三月も終わり頃だったけど、とはいえそれはそれで早すぎて実感も湧かず、結局ギリギリまで堂々巡りする脳内。
残るものは欲しくない、とは何度か聞いたセリフだ。だからモノを贈るつもりはなかった。
じゃあ何をするか?図らずともしたプレゼントは私!を二度もやる勇気はない。お揃いの待ち受け写真ももう撮ったし、コンサートのチケットはこの時期出回っていない上にまた送っても二番煎じになってしまう。
「うーーんーーあーーー!!」
バタンと倒れたのはベッドの上。ゴロンと転がりながら、ここ数日何度も何度も開いた「男性へ贈るプレゼントベスト20」と書かれたホームページと向き合う。これを見ていると、人間界でも魔界でも、誰かに何かを贈りたいという気持ちに大差ないようだと少しだけ安堵できるのだ。けれど根本的に悩みが解消されるわけではない。だいたいもうそのページの内容が脳内にコピーされてしまうくらい読みまくったのだから開いても進展はない。
すぐにページを見終わった私は、今度は意味もなくデビグラを眺め始めた。こんなことをしているから一日がすぐに終わってしまうのだとは分かりきったことだけどそんなこと言われてもやめられないのがSNSだ。
しかし、そのとき神の啓示があった。
「あ、これ可愛い」
そんな私の目に飛び込んできたのは、アスモデウスが「ぼくプロデュースの新作だよ〜!」と発信していた小さな瓶だった。人間界でいうエジプトの香水瓶に似たそれは、投稿内容を読む限り香水らしかった。
「香水かぁ」
私の人生、これまで香水にはあまり関わりが無かった。それには理由があって、どちらかと言うとボディクリームやヘアオイルなどで香りを纏う方が好きだったから。でも半年前にルシファーに香水をもらったことで私の世界は一変した。
『いいか。おまえは俺のものだ。忘れるな』
『常に俺と同じ香りを纏っていろ。そうすれば、おまえが俺のものだとあいつらにもわかるだろう?』
なるほど、俺様なルシファーの考えそうなことだとは思ったけど、正直そこまで執着してもらえることは嬉しい以外の何でもなかったので、喜んで受け取ったし、本当に毎日使っていた。そうしたらすぐになくなってしまったのだ。香水なんて買ってもほんの数mlですら使い切ったことがなかった私なので自分でも驚いた。出かける前と眠る前に胸元あたりにシュッとしてから洋服を着込んでいたためにクローゼットごとルシファーの香りになっていたし、ベッドシーツにもほとんどその香りが移っていた。『お前が俺のものだとわかるだろう』と言っていた割にあまり周りに香りすぎないものだったのか、部屋に来た兄弟に「さっきまでルシファーがここにいたのか?いや、勘違いか?」と言われる程度のほのかな残り香だったので、なんとなく「ルシファーと自分だけの秘密」のように感じて浮ついていたのは否めない。
そんなふうに気に入っていた香りが底をつき、同じものが欲しいと思ってもルシファーに頼むわけにもいかず、どうしようと考えていたところだったから、もしかするとちょうどいいのかもしれない。
「よし、プレゼントは香水にしよう!」
バッと飛び起きて、そうと決まれば早く調べないととまた検索画面を開く。目的のものはすぐに見つかった。
「オリジナルパフューム専門店……!ここだ!」
やりたいことは贈り物が決まった時点で一つしか思い浮かばなかった。『今度は私の香りを纏って』だ。でも私は「これだ」と言う自分の香りを持っていないのだから、これはもう作ってもらうしかないと踏んだのだ。検索結果第一位はさすが人気店のようで、「来店日のご予約はお早めに」とあったので、店の良し悪しなどわからない私はそのまま予約を入れてその日を待った。
そして時はすぎて、ルシファーの誕生日当日。
流石の長男の祝われ方は殿下に次ぐ煌びやかさ。全員まとめて魔王城にお呼ばれしてしまったものだから、日中は二人きりになんてなれたもんじゃなかった。しかしそれは予想の範疇だったので特に凹んでもいない。むしろ兄弟たちと一緒に考えたパーティー進行を行うことに必死だったくらい。
それから数時間。楽しい時間にも終わりは来るわけで、パーティーも閉会して嘆きの館に戻った頃にはみんなクタクタ。特に後ろ髪引かれることなく各自部屋に戻っていったので胸を撫で下ろす。なんとなく気恥ずかしいから、この先二人きりになりたい、と私が思っていることを皆に悟られたくなかったのだ。
私は自室に戻るように見せかけて、ルシファーの背中を追った。
「ルシファー!」
「ん?……ああ、おまえか。どうした?」
「えっと、」
「……なんてな。まだ日付は変わってない。俺の誕生日を最後の一秒まで祝ってくれるんだろう?」
「っ……は、ハイ……。祝わせて、くだ、サイ……」
「ははっ!なんで今更恥ずかしがるんだ。さぁ、俺の部屋へ行こう」
「うん……!」
バレバレだったのは逆にありがたくて、腰に添えられた手に舞い上がった私だったけど、今日は私が喜ぶ日じゃないからと自分を戒める。
ルシファーの部屋に着くと、彼はいつも羽織っている上着をソファーに放ってネクタイを緩めた。粗雑な動作が珍しく「パーティーで疲れちゃった?」と聞くも、返事は微笑み一つ。話しかけるのも野暮かもしれないと手持ち無沙汰に扉の前に突っ立っているとすぐに手招きされたのはルシファーの膝の上。デモナスを片手にもう一度乾杯しよう、と言うのを断る理由もなく、小さなグラスを受け取る。
「でもさっきまであんなに飲んでたのに、まだ飲むの?」
「あのくらいじゃ酔わないよ」
乾杯、との言葉とともに小さな音を立てて合わさったグラスには、真っ青なデモナスが揺れていた。ぐびっと一思いに飲み干したルシファーの目尻は少し赤くなっていて、これは酔っているなとジト目になったけれど、追加の一杯くらいなら影響はないだろうとそれに付き合って私もデモナスを口に含む。
暫くして私のグラスを取り上げたルシファーは上機嫌に私の髪を一房手にとって口付けた。その所作に、途端に跳ねる私の心臓。スッと、射るような視線が私に刺さる。
「さて。おまえが俺を追いかけてきた理由はわかっているが……できればおまえの口から聞きたい」
「っ、あ、えっと、そうだよね……そう……その、これっ」
いざプレゼント、となるとどうにもドキドキが勝って吃ってしまったが、目的のものはきちんとルシファーの手の上に乗せられてホッとした。
「……今開けても?」
「もちろん!」
今の今までポケットに隠しておけたほどの小さな包みには細めのリボンがかけられていた。宝物を扱うかのように丁寧にリボンを解いて、中から小さなボトルを取り出したルシファーは、それを持ち上げて私に問う。
「これは……香水か?」
「あたり!」
「どうして俺にこれを?」
「前にルシファーに香水をもらったでしょ?あのプレゼント、本当に嬉しかったの。でももうなくなっちゃって」
「なんだ。言ってくれたらまた贈ったのに」
「いやいや……そんな、厚意でいただいたものをもう一度ちょうだい、なんていくら私でも言えないから!だからね、それでどうしようかなって考えて。同じものが欲しいのもあったんだけど、それでは芸がないなって」
「プレゼントで芸とは、相変わらず面白いことを言うな、おまえは」
「もー!ちゃかさないで!それは言葉のあや!」
ペしんとルシファーの胸板を叩くと、ハハハと笑う彼は、心底幸せそうな表情で、次第にこちらの体温が上がってくる。
「っ……だから考えたの。今度は私の香りを贈りたいなって」
「ほう」
「でも私、自分がよくつける香水なんて持ってないし困っちゃって。とりあえずと思って香水の専門店に行ったの。そしたらね、そういうことなら、彼の香りとあなたの好きな香りをまぜたら良いのでは?って言われて、それだー!ってなったんだ」
「俺とおまえの?」
「うん。ルシファーにはずっと付けてるものがあるわけだし。混ぜたらどんな香りになるのかなーって私も楽しみで」
包みの中に入っていた香りのフィードバックシートを見ながら、これがルシファーの香水に入ってた香りで、こっちが私の好きな香りね、と指で示しつつ言うと、興味深そうに耳を傾けてくれてなんだか嬉しい。気に入ってもらえそうでよかったと一安心。
「一応試させてはもらってて、私はとっても好きな香りだったから大丈夫かなとは思ってるんだけど……使い切ったら終わりだし、もし苦手でも、ね?それにルシファー、前に手に残るものは嫌って言ったから、使えばなくなるものなら当てはまるし。実は私もお揃いで買っ」
「香りは記憶に残るというだろう」
「え?」
じっと、私を見つめる紅の眼差しが熱っぽく揺れる。だんだん近づいてくるそれから目を逸らせない。
「手に残るどころか、こんなものをもらったら、俺はこの先何千年、一生おまえの虜になる」
「……ほんとは、忘れちゃ嫌だって思うんだよ、さいきンっ、」
「ん、」
「っ、ン、ふ……このキスも……ッ熱も、愛情も……はぁ」
「ハッ、ふは、……んっ、俺は……俺だって、忘れたくないさ」
「ルシファーも……?でも、」
「遺されるのはもうごめんだと、何度も思った。だからマスターで留めようと思ったのに無理だった」
「!」
「おまえが俺をこんな風にさせたんだ」
それに返事をすることは許されなかった。そのまま唇を塞がれて、ちゅっちゅっと最初は可愛らしかったキスは徐々に深いものに変わっていく。それと同時にどんどん身体の向きを変えられ、ついにはソファーに押したおされた私。手を捉えられて、握りしめられ、抵抗することもできない。しまいにはルシファーの身体で抑え込まれ、その下で口付けを味わうだけになった。暫く互いの唇を堪能する。部屋にはリップノイズと吐息が満ちた。
どのくらいそうしていたか、上手く呼吸ができずにホロリと一筋、生理的な涙が溢れたのをきっかけにちゅぷっと引き抜かれた舌。二人の間を繋ぐ透明な糸がオレンジ色のライトに照らされてキラリと光った。
「っはぁ……」
「んっ、は、ふは」
ひゅっと肺に入り込んできた空気を上手く処理できずに喘ぐ私の唇を親指できゅっと拭ったルシファーは、プレゼントしたばかりの香水を徐に取り出してシュッと自分の手首に吹きかけた。そしてそれをそのまま私の首筋に擦り付けたと思えば、自分の手首をかおるのではなく、首筋に顔を近づけてスンっと鼻を鳴らした。
「んっ!?」
「なるほど、トップノートはベルガモット……それと……これはカルダモン。この組み合わせも悪くないな。ミドルからラストにかけてどんな香りになるのか楽しみだ」
「!」
「愛用させてもらうよ」
「ほんと……!?気に入ってもらえてよかった……!」
「だが、」
「?」
「おまえは気づいていないかもしれないが、おまえの香りはすでにこの部屋に染み付いている」
「え!?は、えっ」
恐ろしい言葉が吐き出されて、思わず自分の香り!?変なのだったらどうしよう、とスンスン鼻を動かしてしまう。そんな私を見て、ククッと笑ったルシファーは、私の肩口から首を擡げて、頬を指で弄んだ。
「勘違いするな。変な匂いがするわけじゃない。おまえの……そうだな、たぶんシャンプーとかボディースクラブとか、そういう類のものだと思うが、その香りが枕やなんかからふわっと香るときがままある」
「自分じゃ、全然感じなかった……」
「日常にある物事なんてそんなものだ。その香りに似ているな、これも。より一層おまえを感じられそうだ。おまえを抱いて眠れない日も」
「っ〜!?」
「おまえがいない日に愛用させてもらおう」
「わ、わたしがいるときは……?」
わかりきっていることも聞きたい乙女心が、その台詞を声にした。
「当然、おまえを抱いて堪能させてもらう」
ニヤリと笑ったルシファーは、キスですでに腰が立たなくなっていた私をサッと抱き上げてベッドに向かう。その瞬間に確かに漂ったのは、私の部屋のようなルシファーそのもののような絶妙な香りで、ぽっと頬が熱くなる。
「なんか……お店で嗅いだ香りと違うっ……」
「体温によっても異なるからな。つける位置にもよる。店で試すときは大概ムエットか、つけても手首だろう?首筋だとまた違う感じ方をするはずだ」
「あ……なるほど」
「ちなみにおまえは、俺が贈った香水は胸元にしかつけたことがないな」
「な、」
「なんで?あれだけ抱いていれば、どのあたりから強く香るか気づくだろう」
「っ!?」
「今度は首筋あたりにも試してみろ。果たして俺か、おまえか、どちらの方が強く香るか。……まぁ、今から混じり合ってしまうから、今日はあまりわからないかもな」
私の上で悪びれもなくそう言ったルシファーは、続けて、しまったなと呟く。
「……?どうかした?」
「日付が変わるまであと一時間もない。俺の誕生日が終わっても、お転婆な彼女(ルビ おまえ)はこの腕の中にいてくれるかな」
「!?!?!?」
「一時間ではラストノートまで確認できそうにないんだが、」
最後の一手を私に委ねるのはズルい悪魔としか言いようがない。それでもその一言はいつだって私を悦ばせるのだ。だから私の回答はいつだって一つに決まっている。
「日付が変わって誕生日が終わっても、来年も再来年もこの先ずっとずっとルシファーの腕の中にいさせてください」
「望まれなくても、もちろんだ」
二次会の始まりの合図はリップノイズ。あとはもう幸せに浸るだけ……と思ったのだけれど、もう一つだけ忘れてはいけないことがあったと慌てて声を上げる。
「んあっ!待ってルシファー!」
「……今更、やめて、はなしだぞ」
「そ、そんなんじゃないよ!ベッドまできてさすがにそんなこと言わないから……!」
もう一度キスされそうになったところで、二人の間に手を差し込んだものだから、ルシファーの眉がムッと中央に寄る。可愛い。なんでこんなに可愛いの。微笑みそうになるのをグッと堪えて、私は大事な大事な一言を口にした。
「改めて、お誕生日おめでとう。大好きっ」
こちらからキスを一つ。ルシファーが望んでくれるなら、私はなんだってあげるよ。唇が離れたと思えば、すぐさま深く口付けられたが最後、この部屋から言葉らしい言葉は消えた。
熱を孕んだ空間で、愛を囁くバースデー。
これもまた一つのパーティーかもね、なんて、ちょっとかっこをつけすぎたかな。
二人で生きた時間のかけら、一つたりとも忘れないよ。
きっとずっと、愛してる。
で。
その次の日の朝。
一抹の不安はもとよりあった。
なんと言っても過去、結婚式の日ですらあんなことになっているのだ。誕生日に何も起こらないなんて……と考えていたからこそ、プレゼントはずっと肌身離さず持っていたのに。
なのに!
「ねぇっ!!なんでこういう大事な日に限ってまた呪いにかかっちゃうかなぁ!?」
「む。む!」
素肌をシーツで覆ってベッドに倒れ込む私と、枕の上でもぞもぞするルシファー……の生きぬいぐるみ。アンバランスな組み合わせに思わず叫んでしまったが、のちに教えてもらった理由に、仕方ないなと頬を緩めたのは私。もはや誰のことも怒れなかった。
【前にぬいぐるみになったとき、一日中おまえに抱えられて大事にされてとても心地よかったから自ら呪いを受け入れた】
呪いなんて受けなくても、私の