【完結】僕らの思春期に花束を

あの日以来、花屋に顔を出せなくなっていたアズールは、どことなく元気がなかった。
花屋に出向こうとすると商店街シスターズに声をかけられて止められてしまうし、そもそもどんな顔をして会えばいいかわからなかったので、すんでのところで踵を返していたから。

そうして、今日も今日とて手をこまねいてVIPルームに閉じこもっていた。
とは言え、モストロ・ラウンジが閉店しているわけではなく、相談者も後をたたないため忙しくはあったのだが。

「はぁ…ハナヤさんも元気がないように見えますね」

「ハナヤさん」というのは、アズールが先日始めたばかりのアプリゲームで育てているキャラクターにつけた名前だ。ゲームなどあまり生産性がなく時間泥棒なだけだと思っていたが、ボードゲーム部に入ってからというもの、割と色々な見方ができるのだなと知り、以前よりは手を出すことも増えた。ただしこのアプリに関しては、アズールが行動指針にしている本『フラワーロード』の著者が勧めていたからダウンロードしてみただけだ。
このアプリゲーム「なでっとなでごろうさん」のキャラクターは現在全部で四種類。
アズールが選んだのは、お花みたいな形をしたキャラクターで、その形に花屋の娘を重ねて、「ハナヤさん」と命名した。
撫でてお世話することでキャラクターが育っていく過程を見て楽しむ、はちゃめちゃにユルいゲームであったが、なんとなしに続けている。
ちなみにこのゲーム、ジェイドのところのメイドもやっていて、「坊ちゃん」と名付けたウツボのようなキャラクターを育てているのだとか。互いに育った姿を見られる日が楽しみである。

「でも僕は、本当は、あのの手を撫でたいんだ…」

ボソリ。呟いた言葉に自らの頬を染め、アズールは机に突っ伏した。
何度も思い出しては自分の手を撫でて、その温もりを噛み締めた。
手を洗うのが惜しいくらい、あれは夢まぼろしだったんじゃないかと。
誰にも触られたくなくて、いつも以上にグローブを外さなかった。
「それでも、本物に会いに行く勇気がないんだ。結局のところ自分は変われないままなのかもしれない」…とまで思いながら。

「どうしてあんなことをしてしまったんだ…距離の詰め方を間違えるなとあれほど…」

そう何度目かの愚痴を零したときだった。トントン、とVIPルームの扉が叩かれたのは。
もう次のアポの時間かと時計を見るが、そんなこともなく。
ラウンジの方で何かトラブルでもあったのかと訝しげな表情で「どうぞ」と返事をすれば、入ってきたのはジェイドだった。

「アズール、どうしてもアズールと話がしたいという方がいらしているのですが、お通ししても?」
「なんだって?いつも言っているだろう、アポなしは断れ。商売にならない」
「それはそうなのですが…」
「…随分濁すな。ジェイドらしくない。お前がそういう物言いをするときは碌なことがないんだ」
「ふふ、失礼ですね。僕としては会っていただかなくても何の支障もありませんが、会わなかった場合、アズールは後々悔やむかと思われます。ですので、」
「…本当になんなんだ?お前がそこまで言うなら…会ってもいいが…。ですが利益にならなければ、わかっていますね」
「もちろん承知しています」
「…次のアポまでの時間、10分しかないからな」

自分の時間を中断されたことに少なからずイラつきながらも許可すると、扉から顔を覗かせたのは思ってもいない人物だった。

「あの…お忙しいところごめんなさい…」
「!?!!?、。!。!?」
「それではごゆっくり…と言いましても次のアポイントまで10分足らずですので、手短にお願いしますとのことです」
「そうなんですね、わかりました。ジェイドさん、ありがとうございます」

言わなくてもよいことをしっかりと告げてから、ジェイドは一礼のあとVIPルームを出て行った。
残された二人の空気は重い。
そして時計の針は無常にも普段通りのペースで動いていく。

「あ、」「あのっ!」
「「……!」」

同じタイミングで話し始めようとして、バチッと視線が噛み合った。
一秒後、同時に吹き出す二人。やっと少しだけ、表情が和らぐ。

「すみません、突然押しかけて…。ラウンジのサイトを見ていたら、今日が一般公開日だと書いてあったので…でも、アポイントもなしにごめんなさい」
「い、いえ…!いいんです、あれはその、口癖みたいなもので!お気になさらず!」
「でも、次のアポイントまでお時間もないのですよね、すみません本当に」

そうだ。どれだけ会話していたくても、アポの時間は変わらない。支配人とは忙しいご身分なのだ。
苦い顔になりながらも、それだけは受け入れるしかなかった。

「あの、聞きたいことがあって…」
「…?僕にですか?」
「はい…。一つだけなんです。たった一つだけ。…ご迷惑でなければ、その、」

迷惑どころか大歓迎だ。
娘に興味をもたれているという事実だけでも舞い上がりそうなのに、と、こくこくと頷くアズール。
その様子にホッと息を吐いてから、意を決したように娘は言った。

「海を」
「?」
「…海を越えるには、どうしたらいいですか」
「…へ?」

唐突な質問にアズールの思考は停止した。
海を越える?空を飛べというのか?僕に?いやでも彼女は僕が唯一飛行を苦手としていることなんて知らないはず。なんだ?海をって。

「…私は、魔力なんて殆どないし、ナイトレイブンカレッジの皆さんみたいには何もできない、ただの花屋の娘で…でも、海は、私からも越えたいです」
「な、」
「…唐突に、すみません…!あっ、も、もう、時間、ですよね!?」
「え、ちょ、」
「アズールさんが来てくれなくて、寂しかったんです、私。でも、いつも待ってるだけなんて、卑怯だって思って」
「は、?」
「あっ、これ、お土産です。きっとお忙しいんだろうから、ハーブティーならアズールさんの事業の参考にもなるかなって考えて。レモングラス、ペパーミント、それからローズマリーなどをブレンドしてみたんです。お口に合うかはわからないのですが…その、もしまたお時間ができたら、」

『また、会いたいです』
そう言って、紙袋をアズールに押し付けた娘は、真っ赤な顔のまま、踵を返してVIPルームを出て行った。
入れ違いに入ってきたジェイドのニヤついた顔を見ることで、やっと時間感覚が戻ってきたアズールは、その後を追いかけようとしたが、そのあとすぐに顔を覗かせたクライアントによって行手を阻まれてしまった。

(…海を越えたいって、それは、まさか)

クライアントの話が右から左へと抜けていってしまう。
集中力を保てないアズールだったが、早速淹れてみたハーブティーを嗜みながら、たどり着いた答えに目を見開いたのだった。


「好意と恋の間の海を…僕がその海を越えたら、あなたのそれも恋になる。僕は泳ぐのは得意なんですよ。いつか絶対越えますから」
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