【完結】僕らの思春期に花束を

 『僕と、結婚してください。一目見た時から、恋のいかずちが僕の心を貫いたんだ。』
 『ああ…、本当に…?私で、いいの…?』
 『君がいい。君じゃなきゃ、嫌なんだ!』
 『嬉しいっ…ありがとう…!』
 灯りが瞬き始めた街の中で見つめ合い、そうしてどちらともなく抱き合った。
 二人の恋は、まだ、始まったばかり。
 
 フラワーロード 〜恋の路〜 完

パタリ。一人の男子生徒が本を閉じたその時、まだ寒さの残る風が、図書室の窓から吹き込んだ。

「はぁ…」

揺れるカーテンの隙間から空を眺めて、彼は溜め息を一つ。

「僕の春はいつ訪れるんだろう」

眼鏡の奥で切なげに伏せった瞳は宝石のようなブルーを湛える。風に揺れる横髪を抑えながら立ち上がったのは、この学園でも有名な魔法士。名をアズール・アーシェングロットという。
成績優秀、容姿端麗、齢17にしてカフェを経営する支配人であるが、守銭奴なところはたまに瑕。
しかしながら今この時、彼の専らの興味は『恋』にあった。
彼が通う学園は男子校だったが、花の高校生ともなれば、やれ何組の誰々がどこどこ学校の女子と付き合い始めただのという下衆い噂話が後をたたない。
カフェを経営する傍らで、悩み相談を受け付けるアズールにとって、そういった話題が耳に入らない日はなかった。話を聞くたびに、なぜコイツはその女性を好きになったんだ?一目惚れとは何だ?キスがしたい、あわよくばその先も、なんてどういう感覚なんだろうか?…そんな疑問が後を立たない。
アズールは大変努力家であったが、疑問を解決する手段を「調べる」ことしか持ち得なかった。調べる、つまり、学習すること。「知」はアズールの矜持の一つであり、己がその感覚を知らないというのは、なかなかに許しがたかった。辞書で調べる程度の内容では、とうてい理解が及ばない。相談者を虜にする「恋愛」とは一体どんなものなのだ。気になって夜も眠れない。
そんな時に出会ったのが、この「アネモネ文庫」だった。
アネモネ文庫とは、うら若き少女向けの純愛小説を発刊しているレーベルであるが、この「純愛」はアズールの心を引っ掴んで離さなかった。

ー電撃が走るように惹かれあった
ー心は夢の中でも通じ合っていたのである
ー彼女の周りだけは暖かい春のように華やかだ
ー僕の瞳は、あの子以外映さない
ーここはただただ、二人だけの世界

…そんな一つ一つのフレーズが煌めく砂糖菓子にさえも感じられた。
念のために記述しておけば、アズール自身は過去のトラウマから、己に厳しいカロリー制限を強いているため、砂糖菓子を口にすることはなかったのだが。

そんなわけで、アネモネ文庫を読み漁っているうちに、恋に恋するアズール・アーシェングロットが誕生してしまったわけであった。
ただ、いくら恋に恋していると言っても、そこらに自分のつがいがテイよく転がっているわけでもない。

「僕はずっと待っているのに、まだ見ぬ彼女のことを…」

そう思いつつ、今日もカフェに消えていく。
しかしながら、思いもよらぬ形で、彼のフラワーロードは始まりの鐘を告げるのであった。

カフェ「モストロ・ラウンジ」が開店して間もなく、バックヤードに顔を覗かせたアズールは、苦い顔をして発注書や領収書の処理をしていた。

「バックヤードには誰か一人は配置しておけとあれほどいっているのに。うちは取引先が多いから納品時間もばらつきがあると…」
「失礼しまーす!」
「へ、」

聞き慣れない音がアズールの耳に届いた。
この学園では滅多に耳にしないアルト調の、しかし男の声帯からは決して発されない声。
それに魅かれて裏口を振り返ると、そこにいたのは、一人の娘だった。
娘は花束を抱えており、その顔は半分ほどしか見えない。けれどなぜかアズールの心はトクリと波打った。

「えっと、いつもご注文をいただいている季節の花束です。この発注書、ご確認いただけますか?」
「…」
「あのー?」
「あっ!はい!確認っ!」

その手から発注書を取ろうとしたそのとき。
娘の指先とアズールの指先が触れ合い。
グローブごしではあるが、確実に熱を残した。

ぶわり

大袈裟ではなく、アズールの脳内ではその場に薔薇の花弁が舞い散る。
花束の向こう側から覗いた可憐な顔は、悪戯に笑った。

「わっ!すみません!落としちゃった…!えっと、お花、どちらに置きましょう?」
「あ、え、」
「ごめんなさい、配達に慣れていなくって」
「あ、そ、その、右側の椅子にでも!」
「かしこまりました!」

ふぁさ、と優しい手つきで置かれた花。
それを愛おしそうに見つめる娘の瞳。
その瞳がアズールの方に向けられた瞬間。
アズールの脳内でリーンゴーンと鐘が鳴った。

「あの…?」
「ッハ!」
「発注、間違いありませんか?」
「は、っちゅう、は、ダイジョウブ、です」
「よかった!お支払いはいつも月末にまとめていただいているので、ご確認頂けたなら、それで。ありがとうございました、失礼します!」
「あ、まっ、」

パタン。
無慈悲にも閉まった裏口の扉。

「彼女は…一体…」

発注書には、彼女の勤め先だろう花屋の名前が印字されていた。

「春が来た…僕のフラワーロード…」

まだ寒さが残るこの日。
アズールの脳内には暖かな春風が吹いたのだった。
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