【完結】恋とはどんな音かしら
ワールドツアーの仕事をこなす傍らで、隠れ稚魚としての頭角を現し始めた私は、夜ごと、アイドルチャンネルのOCTページをチェックすることが日課になっていた。
情報は手に入るものの、時に荒らしのようなコメントがあったりと、精神衛生に良くないものまで目に入り全肯定できないところが悲しいのだけれど、こればかりは致し方ない。
職場にバレるリスクがあってファンクラブに入会できない私にとって、唯一の情報源がここなのだ。苦肉の策だった。
「あれ…でもこのスレは平和だな…。なんか重鎮みたいな人が2人もいるのね…そのおかげで統率されてる感じ…?ふむふむ…。アッこっちの人はハムジェオタなんだ…!?で…もう一人はOCTブログの主か…」
いろんなスレを目にしたけれど、こんなにも落ち着いて推しを愛であっているスレに出会ったのが初めてでまじまじと会話を追っているうちに、ふと目に入ったのは、先日の熱砂の国のライブ…のブロマイドだった。
メイクを施しながら自画自賛するほどにあのライブの仕上がりは最高だったなぁ…としみじみしながらも、私はそこで、最高で最悪なものを見つけることになる。
「あああっ…!?う、そでしょお…!?何、このブロマイドっ…!!」
勢い、スマフォの画面に顔ぶつけそうになる。
目についたのは、アズールさんが空を見上げて切なげな表情をしながら歌っている一枚のブロマイドだった。
綺麗?美しい?麗しい?どの言葉をとっても、それを表現することは難しいように思われる写真は、ライブでしか発売されないブラインドブロマイドの一種だろう。
それを手に入れる術は私にはない。けれど、どうしようもなく手元に残しておきたいと願ってしまった愚かな自分に些か腹が立つ。
「ほじぃ…」
枕に顔を埋めながら、唸ってしまった。
ダメもとでも書き込んでみようか…いやでも書き込みはしないって決めたし…でもでも欲しい…それに気軽にお話ができる場所が一つくらいあっても…
「えぇいままよ!!」
ぐるぐる考えるのが面倒になるのは私の悪い癖だ。
【はじめまして。どうしても欲しいグッズがあり、初書き込み失礼します。ご一考いただけましたら幸いです。
求:熱砂の国のアズくんのブロマイド。タイプは問いません。 譲:原価+送料または相応のグッズ】
「よ、よし…!書き込み完了…っと!ウワ!もうこんな時間?!早く眠らないと明日乗り切れないや…!」
書き込みをするだけして、そさくさと布団に潜り込む。
明日はライブ自体はないけれど、今度出る新曲のMVの打ち合わせらしい。打ち合わせをしながら、それなりにメイクや衣装の選定も必要なようで、私も呼ばれたのだった。
アイドルって本当に大変だなぁと、もはや日課になってしまったその呟きを闇の中に放り投げると同時に、意識も手放したのだった。
次の日。
「おはよーございますー!」
「お早うございます」
「あれ?今日はジェイドさんだけですか?」
「いえ、アズールとフロイドは先ほどマネージャーと一緒に今回のMVの脚本を書いてくださる作家さんのお出迎えに行ったのですよ」
「そうなんですか…ジェイドさんは行かないんですか?」
「あぁ、僕はその…いろいろありまして」
「?」
その内容に突っ込んだ方がいいのか良くないのかが分からなくて、はぁ、と私は曖昧な微笑みを返す。ここで挨拶をするために待っていてもいいのだが、どのくらい時間がかかるかもわからない。自分の準備を済ませてくるかと、口を開こうとした時だった。
「あ、そういえば」
「はい?」
「これ、差し上げます」
ぽん、と掌に置かれたのは、ジェイドさんのアクリルスタンドだった。
そこにはサインも添えられている。
「え…?差し上げって…」
「この間、差し入れしたでしょう、アズールが」
「あ…えぇ、いただきましたけど」
「あの残りです。よければどうぞ」
「は、はぁ…私がいただいていいんですか?」
「おや、僕のアクリルスタンドはいらないでしょうか。アズールのマスコットはそこにつけていつも一緒にいるというのに」
「!?」
ジェイドさんは、普段のライブや動画配信中も、ファンの心を撃ち抜くように核心を突いたことばかり言うことで有名だが、まさかスタッフのことまで観察しているとは。恐れ多いというか、なんというか。
「えっと、このマスコットは差し入れでたまたまもらっただけで…特にアズールさんだからと意識しているわけでは…」
「ですが、それを選んだのでしょう?」
「…まぁ…それは…そう、ですけども…」
抜け道を一つ一つ潰される感覚に、冷や汗がツーと背中を流れた。
これをもらってしまうと、私が優遇されているように見えてしまって困るのだけど…と悩んだが、まずはこの場を切り抜けることの方が重要かもしれない。
「わかりました…ありがたく、頂戴します」
「それはよかったです」
手渡されたものをそっと鞄に入れて、ありがとうございます、ともう一度呟けば、曇りのない笑顔を返されて、逆にゾクリと寒気がした。
その日の仕事が滞りなく進み、それではまた明日とお開きとなった。
部屋に戻ってスレを覗くと、なんとレスが来ているではないか。
【熱砂の国のブロマイド、アズクンのBタイプならお譲りできますのでご検討ください。ちょっと立て込んでおりまして…ご参考の画像が1枚しかないのですが】
貼られている画像は、まさに欲しかったブロマイドそのもので、飛びつくようにしてやりとりをした。
それから数日後。
滞りなく届いたブロマイドを何度も見返してはニコニコとしてしまう、自分の緩んだ顔を引き締めて。それを大事に手帳に挟んだのち、ルンルンと撮影場所に出かけた。
しかしそういう時に限って、あり得ないことが起こるものなのだ。
午前中の撮影が終わり、お昼の時間がやってきた。
食べ慣れたスタッフ用のお弁当を受け取って、適当な席に腰を下ろす。
一人一人やる仕事量も異なるため、わざわざ他のスタッフに合わせて食事を摂ることもない。
一人寂しく『いただきます』と手を合わせてもそもそと口に運ぶ食べ物。
そういえば、明日はどこへ集合だったろうか。
ふと気になって、鞄の中から手帳を取り出す。確かここにスケジュール表を挟んで置いたはずだ。
と。
その時。
「お疲れ様です」
「!?」
後ろから突然声をかけられて、手に持っていた手帳を落としてしまった私は、大変なことに気づいた。
ひらりと、床に舞ったもの。
手帳にスケジュール表、それから。
「うおぁ!?!?!?」
「おや」
アズールさんのブロマイド。
もちろん俊足でかき集めたが、果たしてこの声の主が気付かないことがあるだろうか。この、ジェイドさんが、気付かないなんてことが。
「っ…み、みました、か?」
「えぇ、まぁ…」
「で す よ ね…!?」
「それは、熱砂の国のライブのアz」
「ああああストップ!!えっとこ、これ、これは、私がしたメイクのなかでもお気に入りなんです!!なので手元に残しておきたくて!?」
「…そうなんですね」
「はい!!そうなんです!!」
苦し紛れの言い訳は、彼に通じるだろうか。
カッチ、コッチと腕時計の秒針の音がやけに煩く耳に響く。
「…確かに。この時の衣装やグッズは群を抜いて売れ行きが良いと聞きますから」
「!!で、でしょう!?」
「きっと貴女も大好きなんでしょう」
「はいそうなんです!」
「アズールのことが」
「もちろ…え?」
「ふふっ」
『それでは。午後もよろしくお願いしますね』と、にこりとした笑顔を残してジェイドさんは去っていく。床に座り込んだままの私の顔は真っ赤。もはや食べ残しのお弁当のこともすっかり頭から抜けてしまっていた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
食事を摂っていたメイクにちょっかいをかけた後、そのままメンバー控え室に戻ったジェイドは、そこにアズールを認めるや否や、声をかける。
「アズール」
「なんだ?」
「彼女に自分のブロマイドを渡しましたか?」
話の内容が突飛すぎて理解が不能だとアズールの眉が歪むが、それでも『彼女』との言葉に思ところがあったようだ。
「彼女って彼女か?」
「おや、アズールは彼女と呼べる特定の女性がいるんですか?」
「っ揚げ足をとるな!!それはただの代名詞だろ!!」
「ふふっ、ムキにならないでください。そうですよアズール専属のメイクの、」
「この間差し入れしたグッズの中にブロマイドもあったはずだ。それがなんだ?」
「いえ…ですが、それは時期的に熱砂の国のものではないですね?」
「ああ、それはそうだな…。それに彼女はキーチェーンをしていたからブロマイドは持っていないと思うが」
「なるほど…そうですか」
顎に手を当て、口を三日月に歪めたジェイドは、それはそれは楽しそうだ。
アズールの顔がいよいよ不機嫌な表情になっても、なんのその。
「アズール、貴方意外と、好感を持たれているかもしれませんよ」
「?なんの話だ?」
「ああ…ですがそれは、これからの行動次第かもしれませんが」
「だからなんの、」
「稚魚は意外に近くにいるかもしれない、ということですよ」
「はぁ…?」
真意は本人のみぞ知る。
それは案外、楽しい駆け引きなのかもしれない。
情報は手に入るものの、時に荒らしのようなコメントがあったりと、精神衛生に良くないものまで目に入り全肯定できないところが悲しいのだけれど、こればかりは致し方ない。
職場にバレるリスクがあってファンクラブに入会できない私にとって、唯一の情報源がここなのだ。苦肉の策だった。
「あれ…でもこのスレは平和だな…。なんか重鎮みたいな人が2人もいるのね…そのおかげで統率されてる感じ…?ふむふむ…。アッこっちの人はハムジェオタなんだ…!?で…もう一人はOCTブログの主か…」
いろんなスレを目にしたけれど、こんなにも落ち着いて推しを愛であっているスレに出会ったのが初めてでまじまじと会話を追っているうちに、ふと目に入ったのは、先日の熱砂の国のライブ…のブロマイドだった。
メイクを施しながら自画自賛するほどにあのライブの仕上がりは最高だったなぁ…としみじみしながらも、私はそこで、最高で最悪なものを見つけることになる。
「あああっ…!?う、そでしょお…!?何、このブロマイドっ…!!」
勢い、スマフォの画面に顔ぶつけそうになる。
目についたのは、アズールさんが空を見上げて切なげな表情をしながら歌っている一枚のブロマイドだった。
綺麗?美しい?麗しい?どの言葉をとっても、それを表現することは難しいように思われる写真は、ライブでしか発売されないブラインドブロマイドの一種だろう。
それを手に入れる術は私にはない。けれど、どうしようもなく手元に残しておきたいと願ってしまった愚かな自分に些か腹が立つ。
「ほじぃ…」
枕に顔を埋めながら、唸ってしまった。
ダメもとでも書き込んでみようか…いやでも書き込みはしないって決めたし…でもでも欲しい…それに気軽にお話ができる場所が一つくらいあっても…
「えぇいままよ!!」
ぐるぐる考えるのが面倒になるのは私の悪い癖だ。
【はじめまして。どうしても欲しいグッズがあり、初書き込み失礼します。ご一考いただけましたら幸いです。
求:熱砂の国のアズくんのブロマイド。タイプは問いません。 譲:原価+送料または相応のグッズ】
「よ、よし…!書き込み完了…っと!ウワ!もうこんな時間?!早く眠らないと明日乗り切れないや…!」
書き込みをするだけして、そさくさと布団に潜り込む。
明日はライブ自体はないけれど、今度出る新曲のMVの打ち合わせらしい。打ち合わせをしながら、それなりにメイクや衣装の選定も必要なようで、私も呼ばれたのだった。
アイドルって本当に大変だなぁと、もはや日課になってしまったその呟きを闇の中に放り投げると同時に、意識も手放したのだった。
次の日。
「おはよーございますー!」
「お早うございます」
「あれ?今日はジェイドさんだけですか?」
「いえ、アズールとフロイドは先ほどマネージャーと一緒に今回のMVの脚本を書いてくださる作家さんのお出迎えに行ったのですよ」
「そうなんですか…ジェイドさんは行かないんですか?」
「あぁ、僕はその…いろいろありまして」
「?」
その内容に突っ込んだ方がいいのか良くないのかが分からなくて、はぁ、と私は曖昧な微笑みを返す。ここで挨拶をするために待っていてもいいのだが、どのくらい時間がかかるかもわからない。自分の準備を済ませてくるかと、口を開こうとした時だった。
「あ、そういえば」
「はい?」
「これ、差し上げます」
ぽん、と掌に置かれたのは、ジェイドさんのアクリルスタンドだった。
そこにはサインも添えられている。
「え…?差し上げって…」
「この間、差し入れしたでしょう、アズールが」
「あ…えぇ、いただきましたけど」
「あの残りです。よければどうぞ」
「は、はぁ…私がいただいていいんですか?」
「おや、僕のアクリルスタンドはいらないでしょうか。アズールのマスコットはそこにつけていつも一緒にいるというのに」
「!?」
ジェイドさんは、普段のライブや動画配信中も、ファンの心を撃ち抜くように核心を突いたことばかり言うことで有名だが、まさかスタッフのことまで観察しているとは。恐れ多いというか、なんというか。
「えっと、このマスコットは差し入れでたまたまもらっただけで…特にアズールさんだからと意識しているわけでは…」
「ですが、それを選んだのでしょう?」
「…まぁ…それは…そう、ですけども…」
抜け道を一つ一つ潰される感覚に、冷や汗がツーと背中を流れた。
これをもらってしまうと、私が優遇されているように見えてしまって困るのだけど…と悩んだが、まずはこの場を切り抜けることの方が重要かもしれない。
「わかりました…ありがたく、頂戴します」
「それはよかったです」
手渡されたものをそっと鞄に入れて、ありがとうございます、ともう一度呟けば、曇りのない笑顔を返されて、逆にゾクリと寒気がした。
その日の仕事が滞りなく進み、それではまた明日とお開きとなった。
部屋に戻ってスレを覗くと、なんとレスが来ているではないか。
【熱砂の国のブロマイド、アズクンのBタイプならお譲りできますのでご検討ください。ちょっと立て込んでおりまして…ご参考の画像が1枚しかないのですが】
貼られている画像は、まさに欲しかったブロマイドそのもので、飛びつくようにしてやりとりをした。
それから数日後。
滞りなく届いたブロマイドを何度も見返してはニコニコとしてしまう、自分の緩んだ顔を引き締めて。それを大事に手帳に挟んだのち、ルンルンと撮影場所に出かけた。
しかしそういう時に限って、あり得ないことが起こるものなのだ。
午前中の撮影が終わり、お昼の時間がやってきた。
食べ慣れたスタッフ用のお弁当を受け取って、適当な席に腰を下ろす。
一人一人やる仕事量も異なるため、わざわざ他のスタッフに合わせて食事を摂ることもない。
一人寂しく『いただきます』と手を合わせてもそもそと口に運ぶ食べ物。
そういえば、明日はどこへ集合だったろうか。
ふと気になって、鞄の中から手帳を取り出す。確かここにスケジュール表を挟んで置いたはずだ。
と。
その時。
「お疲れ様です」
「!?」
後ろから突然声をかけられて、手に持っていた手帳を落としてしまった私は、大変なことに気づいた。
ひらりと、床に舞ったもの。
手帳にスケジュール表、それから。
「うおぁ!?!?!?」
「おや」
アズールさんのブロマイド。
もちろん俊足でかき集めたが、果たしてこの声の主が気付かないことがあるだろうか。この、ジェイドさんが、気付かないなんてことが。
「っ…み、みました、か?」
「えぇ、まぁ…」
「で す よ ね…!?」
「それは、熱砂の国のライブのアz」
「ああああストップ!!えっとこ、これ、これは、私がしたメイクのなかでもお気に入りなんです!!なので手元に残しておきたくて!?」
「…そうなんですね」
「はい!!そうなんです!!」
苦し紛れの言い訳は、彼に通じるだろうか。
カッチ、コッチと腕時計の秒針の音がやけに煩く耳に響く。
「…確かに。この時の衣装やグッズは群を抜いて売れ行きが良いと聞きますから」
「!!で、でしょう!?」
「きっと貴女も大好きなんでしょう」
「はいそうなんです!」
「アズールのことが」
「もちろ…え?」
「ふふっ」
『それでは。午後もよろしくお願いしますね』と、にこりとした笑顔を残してジェイドさんは去っていく。床に座り込んだままの私の顔は真っ赤。もはや食べ残しのお弁当のこともすっかり頭から抜けてしまっていた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
食事を摂っていたメイクにちょっかいをかけた後、そのままメンバー控え室に戻ったジェイドは、そこにアズールを認めるや否や、声をかける。
「アズール」
「なんだ?」
「彼女に自分のブロマイドを渡しましたか?」
話の内容が突飛すぎて理解が不能だとアズールの眉が歪むが、それでも『彼女』との言葉に思ところがあったようだ。
「彼女って彼女か?」
「おや、アズールは彼女と呼べる特定の女性がいるんですか?」
「っ揚げ足をとるな!!それはただの代名詞だろ!!」
「ふふっ、ムキにならないでください。そうですよアズール専属のメイクの、」
「この間差し入れしたグッズの中にブロマイドもあったはずだ。それがなんだ?」
「いえ…ですが、それは時期的に熱砂の国のものではないですね?」
「ああ、それはそうだな…。それに彼女はキーチェーンをしていたからブロマイドは持っていないと思うが」
「なるほど…そうですか」
顎に手を当て、口を三日月に歪めたジェイドは、それはそれは楽しそうだ。
アズールの顔がいよいよ不機嫌な表情になっても、なんのその。
「アズール、貴方意外と、好感を持たれているかもしれませんよ」
「?なんの話だ?」
「ああ…ですがそれは、これからの行動次第かもしれませんが」
「だからなんの、」
「稚魚は意外に近くにいるかもしれない、ということですよ」
「はぁ…?」
真意は本人のみぞ知る。
それは案外、楽しい駆け引きなのかもしれない。