【完結】恋とはどんな音かしら
現場の雰囲気を味わうと、それから抜け出せなくなるというのはよくあることだ。
私はお休みをもらえなくなった代わりに毎日『本人』を目と鼻の先で見ているわけだけれど、舞台裏のモニターで見る景色ではなくて、やはり会場から舞台を見たいな、と感じてしまう。それがどれだけ贅沢な悩みとわかってはいても、一度覚えた快感は心の奥底で燻って私を離さないのだ。
本日はライブ自体は中休み日。しかしながら、もちろんアイドルと周辺スタッフに休みはない。
動線確認、リハ、それから不足品の補充などなど、やらなければならないことは盛りだくさんだ。
「ふんふんふーん♪」
「おや、それは僕のソロ曲ですか?」
「!ジェイドさん…驚かせないでくださいよ…」
「曲、覚えてくださったんですね」
「そりゃあもう。これだけ聞いてきたら覚えますよ。リハは終わったんですか?」
「はい、たった今。裏に行けば食べ物があるというので来てみたのですが…どちらでしょう」
「あはは、ハムジェしにきたんですか」
「えぇ、まぁ。燃費が悪いもので」
そんなことを話しながら、『こっちです』と、食事が置いてある部屋までジェイドさんを案内する。
ハムジェとは、とある円盤特典に付いていた、舞台の裏側動画を見た稚魚たちがつけたジェイドさんの愛称である。
ジェイドさんが食べる姿がハムスターにそっくりだと、そう言うことで「ハムスターみたいなジェイド」通称「ハムジェ」になったそうな。
そんな愛称ができたからにはグッズにしなければ商売根性が廃ると、すぐにハムスターのグッズができたわけで。もちろん売り上げは上々だ。
「ハムジェアクスタ人気ですもんね。本当に可愛くて私も買いたいくらいです」
「おや、それはありがたいですね。スタッフさんになら言ってもらえれば差し入れしますが」
「いやいや、何を言ってるんですか!私はこれ!この、ツアーTシャツとタオル、それからツアーロゴを入れてもらった特注の仕事道具!これだけで十分ですから!」
「遠慮なさらなくてもいいですよ」
「とんでもない!お気持ちは嬉しいですが、それは稚魚ちゃんたちに申し訳ないので!ありがとうございます」
シャツとタオルなんて、洗濯を見越してとは言っても、色違いで三枚も頂いちゃっているし。まさに至れり尽くせりである。
OCTはNRPを卒業してもライブやツアーをやるのかもしれないけれど、このマーメイドドリームワールドツアーは後にも先にも今回限り。
このツアーにスタッフとして関われたという経験と思い出は一生ものになること間違いない。どれだけ擦り切れても汚れても、色褪せない思い出になる。
ぎゅ、とTシャツの裾を握って、えへへと笑顔を返したところで、背後から『ジェイド!』と低い声がした。
「…アズール。どうしたんですか。リハは終わったんですか?」
「終わりました」
ツカツカとこちらに向かってくるアズールさんは、何やら眉間にしわを寄せてご機嫌斜めのようだ。
リハがうまく回らなかったんだろうか。ジェイドさんの言葉から推測すると、俄然うまく行ったようなのに。
目の前まで来たアズールさんは、むす、と私を見下ろした。
「お、お疲れ様です…アズールさん」
「お疲れ様です。ジェイドと何していたんですか」
「へ?ああ、ジェイドさんが何か食べたいっておっしゃるので、軽食が用意してある場所へご案内してたんですよ」
「随分と仲が良いみたいですね」
「仲良し?そんな私なんかがおこがましいですよ。ただ、そう見えたなら気をつけないといけませんね。ごめんなさい」
危ない。普段から近くでこの麗しい顔を拝みすぎたせいで気が緩んでいたのかもしれない。
間違っても誤解されないように細心の注意を払わないと。
「えっと、ジェイドさん、」
「はい、なんでしょう」
「この先の角を曲がって、右手にあるドアが食事ができる大部屋になってます。私はここで戻りますけど、たくさん食べてきてください!」
「おや、貴女は一緒に来てくださらないんですか?」
「えぇ、すみません、やっぱりアイドルと二人で歩くなんて良くなかったです。以後気をつけますので」
「?!ちょ、僕は何も、」
「アズールさんも、飲み物もありますし、適度に栄養は摂ってくださいね?制限もいいですけど、途中で倒れたらシャレになりませんから」
「え、あの」
「それでは失礼します」
挨拶はきちんと。節度は守って。鉄則とばかりに頭をしっかりと下げてから、私はその場を小走りに立ち去った。
『ちょっと待ってください!』という言葉は私には届かなかった。
そんな私は、残された二人がこんな話をしていたことなど、知る由もない。
「…アズール」
「…なんとでも言え」
「あの言い方では萎縮させて当然ですよ」
「…今後悔しているところだ!」
「僕に嫉妬したって仕方ないでしょう」
「嫉妬なんかじゃない!!」
はぁ〜…と、ため息をついたのはジェイドだ。
ジェイドとて、アイドルをするのは嫌いではない。毎日いろいろなことに取り組めて面白いとさえ思っていた。
なので恋愛禁止の規約が破られて、今このときにアイドル生命が絶たれるのはよしとしないが、そのせいでこの面白い状況が凪いでしまうのも如何かと考える。
「あぁ、そう言えば」
「…なんだ」
「彼女、グッズが欲しいみたいでしたよ」
「!」
「僕が差し入れましょうかといったら断られてしまいましたが、アズールからなら受け取ってくれるかもしれませんね」
「グッズ…」
「まぁ、挽回できるかは、わかりませんが」
「お前は本当に一言余計だな」
その言葉に眉を下げて『心外ですね』と言ったジェイドはしかし、大層楽しそうだった。
* * *
その翌日、朝も早い時間。
全体スタッフ会が終わり、身の回りのチェックを終えて、本日の我が城であるメイク室へと向かった私は、扉をあけて驚いてしまった。
そこに置かれていたのは。
「え?これ…グッズ?!」
添えられた手紙には『いつもありがとうございます。スタッフの皆さんへの差し入れです。 アズール』と一言書かれていた。
そこには、サイン入りうちわやキャップ、トレーディングフォト、それからハムジェアクスタなどが置かれており、メイク室が俄かに湧いた。
『えー!OCT優しすぎない?!』『ねぇ、どれもらいます?!』『サイン入ってる!レアすぎ!』『こりゃ、姪が欲しがってたやつだ!』と騒ぎ始める始末。
「ねぇねぇ!何もらいます?!」
「あ…そうだな、私は…あ!これにしようかな!」
「ふふ!やっぱり思い入れがある感じです?」
「まぁ…始まっちゃうとほとんど一緒にいるからねぇ」
「ですね!でも、職なしにならないように気をつけてくださいね〜?」
「わきまえてますよーだ!」
『よし、これにしよう』と選んだ一つはツアー限定のバッグチャーム。ふわふわなそれを手にとって、ツールポーチに取り付けてみる。
思いの外、ポーチにマッチしてくれて、なんだかやる気が湧いてきた。
「よーし!今日もメイクチームでがんばろー!」
「「「おー!!」」」
ポーチにつけた小さなぬいぐるみチャームは紫のタコちゃん。
それにはもちろん、口の下にホクロがついている。アズールさんモチーフのキャラクターだ。
数時間後、メイク室へやってきたアズールさんが私のツールポーチを見て、とても満足そうに笑ったのは、おそらく私の見た幻だ。
ライブ会場には入れなくても、裏側でこうしてサポートができることを光栄に思わないといけないなと改めて。
「おはようございますアズールさん、差し入れ、みんな喜んでました!ありがとうございます!」
「ああ、いえ。こちらこそ。普段から感謝していますからこのくらいは」
「仕事ですから当然ですよ!それと、今日の体調はいかがですか?」
「えぇ、絶好調です。きっと成功させてみせますよ」
「良かったです!精一杯サポートしますから、ライブでかっこいい姿見せてくださいね!」
「?!かッ!?」
「稚魚ちゃんたちが待ってますから!!最高の仕上げにしてみせます!!」
「…ッ…そ、そうですね…」
その日のライブ会場の盛り上がりは最高潮。
鳴り止まないアンコールに涙したアズールさんがいたことは、その後発売されたライブ映像特典で知られることになる。
が、その話はまた、別の機会に。
私はお休みをもらえなくなった代わりに毎日『本人』を目と鼻の先で見ているわけだけれど、舞台裏のモニターで見る景色ではなくて、やはり会場から舞台を見たいな、と感じてしまう。それがどれだけ贅沢な悩みとわかってはいても、一度覚えた快感は心の奥底で燻って私を離さないのだ。
本日はライブ自体は中休み日。しかしながら、もちろんアイドルと周辺スタッフに休みはない。
動線確認、リハ、それから不足品の補充などなど、やらなければならないことは盛りだくさんだ。
「ふんふんふーん♪」
「おや、それは僕のソロ曲ですか?」
「!ジェイドさん…驚かせないでくださいよ…」
「曲、覚えてくださったんですね」
「そりゃあもう。これだけ聞いてきたら覚えますよ。リハは終わったんですか?」
「はい、たった今。裏に行けば食べ物があるというので来てみたのですが…どちらでしょう」
「あはは、ハムジェしにきたんですか」
「えぇ、まぁ。燃費が悪いもので」
そんなことを話しながら、『こっちです』と、食事が置いてある部屋までジェイドさんを案内する。
ハムジェとは、とある円盤特典に付いていた、舞台の裏側動画を見た稚魚たちがつけたジェイドさんの愛称である。
ジェイドさんが食べる姿がハムスターにそっくりだと、そう言うことで「ハムスターみたいなジェイド」通称「ハムジェ」になったそうな。
そんな愛称ができたからにはグッズにしなければ商売根性が廃ると、すぐにハムスターのグッズができたわけで。もちろん売り上げは上々だ。
「ハムジェアクスタ人気ですもんね。本当に可愛くて私も買いたいくらいです」
「おや、それはありがたいですね。スタッフさんになら言ってもらえれば差し入れしますが」
「いやいや、何を言ってるんですか!私はこれ!この、ツアーTシャツとタオル、それからツアーロゴを入れてもらった特注の仕事道具!これだけで十分ですから!」
「遠慮なさらなくてもいいですよ」
「とんでもない!お気持ちは嬉しいですが、それは稚魚ちゃんたちに申し訳ないので!ありがとうございます」
シャツとタオルなんて、洗濯を見越してとは言っても、色違いで三枚も頂いちゃっているし。まさに至れり尽くせりである。
OCTはNRPを卒業してもライブやツアーをやるのかもしれないけれど、このマーメイドドリームワールドツアーは後にも先にも今回限り。
このツアーにスタッフとして関われたという経験と思い出は一生ものになること間違いない。どれだけ擦り切れても汚れても、色褪せない思い出になる。
ぎゅ、とTシャツの裾を握って、えへへと笑顔を返したところで、背後から『ジェイド!』と低い声がした。
「…アズール。どうしたんですか。リハは終わったんですか?」
「終わりました」
ツカツカとこちらに向かってくるアズールさんは、何やら眉間にしわを寄せてご機嫌斜めのようだ。
リハがうまく回らなかったんだろうか。ジェイドさんの言葉から推測すると、俄然うまく行ったようなのに。
目の前まで来たアズールさんは、むす、と私を見下ろした。
「お、お疲れ様です…アズールさん」
「お疲れ様です。ジェイドと何していたんですか」
「へ?ああ、ジェイドさんが何か食べたいっておっしゃるので、軽食が用意してある場所へご案内してたんですよ」
「随分と仲が良いみたいですね」
「仲良し?そんな私なんかがおこがましいですよ。ただ、そう見えたなら気をつけないといけませんね。ごめんなさい」
危ない。普段から近くでこの麗しい顔を拝みすぎたせいで気が緩んでいたのかもしれない。
間違っても誤解されないように細心の注意を払わないと。
「えっと、ジェイドさん、」
「はい、なんでしょう」
「この先の角を曲がって、右手にあるドアが食事ができる大部屋になってます。私はここで戻りますけど、たくさん食べてきてください!」
「おや、貴女は一緒に来てくださらないんですか?」
「えぇ、すみません、やっぱりアイドルと二人で歩くなんて良くなかったです。以後気をつけますので」
「?!ちょ、僕は何も、」
「アズールさんも、飲み物もありますし、適度に栄養は摂ってくださいね?制限もいいですけど、途中で倒れたらシャレになりませんから」
「え、あの」
「それでは失礼します」
挨拶はきちんと。節度は守って。鉄則とばかりに頭をしっかりと下げてから、私はその場を小走りに立ち去った。
『ちょっと待ってください!』という言葉は私には届かなかった。
そんな私は、残された二人がこんな話をしていたことなど、知る由もない。
「…アズール」
「…なんとでも言え」
「あの言い方では萎縮させて当然ですよ」
「…今後悔しているところだ!」
「僕に嫉妬したって仕方ないでしょう」
「嫉妬なんかじゃない!!」
はぁ〜…と、ため息をついたのはジェイドだ。
ジェイドとて、アイドルをするのは嫌いではない。毎日いろいろなことに取り組めて面白いとさえ思っていた。
なので恋愛禁止の規約が破られて、今このときにアイドル生命が絶たれるのはよしとしないが、そのせいでこの面白い状況が凪いでしまうのも如何かと考える。
「あぁ、そう言えば」
「…なんだ」
「彼女、グッズが欲しいみたいでしたよ」
「!」
「僕が差し入れましょうかといったら断られてしまいましたが、アズールからなら受け取ってくれるかもしれませんね」
「グッズ…」
「まぁ、挽回できるかは、わかりませんが」
「お前は本当に一言余計だな」
その言葉に眉を下げて『心外ですね』と言ったジェイドはしかし、大層楽しそうだった。
* * *
その翌日、朝も早い時間。
全体スタッフ会が終わり、身の回りのチェックを終えて、本日の我が城であるメイク室へと向かった私は、扉をあけて驚いてしまった。
そこに置かれていたのは。
「え?これ…グッズ?!」
添えられた手紙には『いつもありがとうございます。スタッフの皆さんへの差し入れです。 アズール』と一言書かれていた。
そこには、サイン入りうちわやキャップ、トレーディングフォト、それからハムジェアクスタなどが置かれており、メイク室が俄かに湧いた。
『えー!OCT優しすぎない?!』『ねぇ、どれもらいます?!』『サイン入ってる!レアすぎ!』『こりゃ、姪が欲しがってたやつだ!』と騒ぎ始める始末。
「ねぇねぇ!何もらいます?!」
「あ…そうだな、私は…あ!これにしようかな!」
「ふふ!やっぱり思い入れがある感じです?」
「まぁ…始まっちゃうとほとんど一緒にいるからねぇ」
「ですね!でも、職なしにならないように気をつけてくださいね〜?」
「わきまえてますよーだ!」
『よし、これにしよう』と選んだ一つはツアー限定のバッグチャーム。ふわふわなそれを手にとって、ツールポーチに取り付けてみる。
思いの外、ポーチにマッチしてくれて、なんだかやる気が湧いてきた。
「よーし!今日もメイクチームでがんばろー!」
「「「おー!!」」」
ポーチにつけた小さなぬいぐるみチャームは紫のタコちゃん。
それにはもちろん、口の下にホクロがついている。アズールさんモチーフのキャラクターだ。
数時間後、メイク室へやってきたアズールさんが私のツールポーチを見て、とても満足そうに笑ったのは、おそらく私の見た幻だ。
ライブ会場には入れなくても、裏側でこうしてサポートができることを光栄に思わないといけないなと改めて。
「おはようございますアズールさん、差し入れ、みんな喜んでました!ありがとうございます!」
「ああ、いえ。こちらこそ。普段から感謝していますからこのくらいは」
「仕事ですから当然ですよ!それと、今日の体調はいかがですか?」
「えぇ、絶好調です。きっと成功させてみせますよ」
「良かったです!精一杯サポートしますから、ライブでかっこいい姿見せてくださいね!」
「?!かッ!?」
「稚魚ちゃんたちが待ってますから!!最高の仕上げにしてみせます!!」
「…ッ…そ、そうですね…」
その日のライブ会場の盛り上がりは最高潮。
鳴り止まないアンコールに涙したアズールさんがいたことは、その後発売されたライブ映像特典で知られることになる。
が、その話はまた、別の機会に。