【完結】恋とはどんな音かしら

眠い目をこすりながら、なんとかリセールサイトと向き合っていた午前四時。
すでに白み始めた窓の外だが、まだ夜中には間違いない。
にも関わらず、ここがホテルの一室であることも忘れて、私は大きな声で叫んでしまった。

「と、と、取れたぁあああああ!!!!」

【completed - 取引完了 -】

この文字を見るまで、何時間かかっただろうか。
しかし、完了できたならなんの文句も言うまい。
寝ていないので日付感覚が狂ってしまっているが、正確には今日この日、ワールドツアー真っ最中にも関わらず、同行者の私はお休みをいただいていた。
たかが一日はされど一日。身体を休めるのに使ってこい、とのありがたいお達しだったが。

「すみません、上長。私はOCTライブチケットが取れてしまったので、心の潤いを優先させていただきまっす!」

スマホの液晶画面にパンっと手を合わせてから、申し訳程度に『これは、ライブの見栄えを確認して今後の仕事に活かす、ただそれだけの、仕事のために観に行くのであって、決してファンとして行くわけではない』ともごもご呟いた。

アイドルの怖さを目の前で実感させてもらったのは数日前のこと。
その後は、二人きりでメイク室に入ることなどなかったので、あんなことがあった事実すら感じられない。
業界人の一人対一人。このスタンスを崩せば、今すぐに職を失うことは間違いない。
あれは一時の気の迷い。そう。絶対そう。と、自分に思い込ませるためにも「彼は手の届かない存在、アイドルである」ことを目で見ることがベストなのだ。
電子チケットが表示されたことをしっかりと確認した私は、電池が切れたロボットのようにベッドに身体を沈めた。

意識が戻ったのは、開場ギリギリの時間だったが、関係者としてもらっていたツアーTシャツとキャップを身につけ、マフラータオルを巻くだけだったので、さほど用意はーー

「うわああああペンラ買いたかったの忘れてたあああああ!!」

アイドルのライブなんて過去に一度行ったことがあるかないかなので、このあわってっぷりである。
転がるようにしてホテルを飛び出し、物販でなんとかペンラを二本、それから買う予定のなかったサコッシュと団扇、ブラインド缶バッチ5個入りを手にして、席へと向かう。
幸いにも、近すぎず遠すぎずの良席でガッツポーズをしたのも束の間、周りの雰囲気に飲み込まれ、高揚してくる気持ち。
それと同時に、少しだけ感じる虚無感。
こんなにもファンに愛されているアイドルの近くで仕事するだけでも素晴らしいことなのに。
それなのに私ときたら。

「何、舞い上がってたんだろうなぁ」

多くの人を笑顔にする、その裏側で、彼らはあんなにも頑張っているのに。
あの努力を無駄にするかもしれない、そんなこと、絶対にあっちゃダメだ。
聞き慣れた開演の合図が鳴った。
会場の灯りが落とされる中、『私は、アイドルに興味がない』と、もう一度自分の胸に言い聞かせて。

「稚魚ちゃんたちーー!!今日も元気にトビウオできるよねーー!?」

ワァアアア……!!

ライブが始まってしまえば、そんな小さなトゲすらも忘れるくらい熱い時間と歓声に魅了されて、私はとても楽しい時間を過ごしたのだった。

「はぁ…よかった…本当に良かった…誰にも言えないのが辛い…この感動を誰かと分かち合いたい…うう…」

終了後、一人トボトボと会場を後にした私は、湧き上がる感情を誰にもぶつけられず、悶々と過ごしていた。
そんな状態ではあったが、そういえば、スマートフォンの電源切ったままだった、と電源を入れた途端。

ピリリリリリリリリリリ!!!!

とすごい音で電話が鳴って慌ててディスプレイを見れば、件の上司の名前が表示されている。
嫌な予感がしつつも、応じれば『お前なああああ!!電源は切るなって言っただろうが!!』と第一声に怒られてしまった。
『だって、ライブ会場なんだもん、スマートフォンの電源切るの、マナーじゃん…』などとは言えず、すいませんと謝れば、『お前がいなかったからアーティストの機嫌がすこぶる悪くて困ったんだ』とまた怒られる。

「どう言うことですか?」
「いやな、お前が休みだから代わりのメイク担当に任せていたんだが、OCTのリーダー…アズール。彼が『いつものメイクさんはどこですか』って言うんだよ」
「え?」
「今日は休みだって言っても、いつものメイクがいいっつーもんでお前に連絡したけど繋がんねぇから!!もーほんとご機嫌とりが大変だったんだぞ!!なんとか公演は成功したけどな、お前、今後は休みなしだからな!!」
「ええーーーっ!?」

そんなバカな。
確かに、ツアー中はずっとメイクを担当させてはもらったけれど、そんなに思い入れされるほど話した覚えもないのに。

「そういうわけだから!明日ちゃんと謝っとけよ!」
「そ!そんなぁ!まっ」

ブツリ。
突然の言いがかりは突然にブツ切られた。私が戸惑っているのには関係なく、明日はやってきてしまう。
ああ、明日はどうしてやってきてしまうのだろう。
私はどんなお咎めを受けるのだろうか。

悶々としながらホテルに帰り、不安のまま夜を越えた翌日。

出勤し、謝罪をするため、いの一番に楽屋へ向かった私は、意を決してその扉をノックする。

「おはようございます!メイク担当です!」
「……どうぞ」

声をかければ少しの間の後、中からアズールさんの声がした。
失礼します、と言って扉を開ける。
中にはOCTの三人の姿があった。
まだメイクを施していなくとも、その美貌は天下一品。ウッ、と怯むも、ここまできて帰るわけには行かなかった。
バッ!と頭を下げて、真摯に謝罪を申し出る。

「昨日はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。昨日という日は戻ってはきませんが、その分、本日から一層気を引き締めて、精一杯務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします!」
「……せん」
「はい?」
「僕のメイクは今後もあなた以外には頼みません」
「へ?あ、はい…はい?」
「この迷惑への対価は、僕の専属メイクとして働いてもらうことですから!」

話が若干噛み合っていないな?とクエスチョンを浮かべる私を前に、それだけ言うと、ぷい、とあらぬ方向を向いて黙ってしまったアズールさん。その横顔は、普段は見ることのない不機嫌な表情で。

「アズールは拗ねてるんですよ」と、ジェイドさんが控えめに笑った。
「大人気ねー」フロイドさんの、カラカラと大口を開けて笑う顔が眩しい。

もらった言葉を頭の中で繰り返して噛み砕いて、やっとその意味を理解したとき、私は呆然とした。

「せ、んぞく、とは、あれですか、私は、このまま、ワールドツアーに同行できる、?」
「それだけじゃありませんよ」
「専属だからぁ、何かあるごとにアズールのお世話…じゃなかった、メイクをしないといけないねぇ」
「え?!」
「アズールは滅多に人を信用しないのですが、貴女、何をなさったのですか?」
「え…いえ…特に思い当たるところは…」
「あれじゃね?アズールが体調悪かった日、なーんか上機嫌で戻ってきたときあったじゃん?」
「おや、奇遇ですねフロイド。僕もそんな気がしていますよ。何があったのかは…知りませんけどね」
「煩い!詮索をするな!ちょっとした気分だからなんでもない!」
「?!いつのことですか?!体調悪い時は早く言ってくださいってマネさんが言ってたのになんで黙っていたんですか?!」

体調不良と聞いて、少し前のめりに詰め寄ってしまう。それは、昨日肌で感じたアイドルという尊い存在を失ってはならない、という、使命感に似た気持ちからくる行動だった。
ただ、詰め寄られたアズールさんにとっては想定外だったのか、目をまん丸に見開いたあと、カッと顔を赤くした。

「ち、ちか、い、です!」
「へ?あっすみません…!でも普段メイクさせていただいてる時の方が近いですけど」
「それはそれ!これはこれ、です!」
「すみません、以後気をつけます…」
「…プロ、ですから」
「は?」
「だから!体調不良を黙っていた理由です!!プロですから、集まってくださった稚魚を喜ばせるのが、僕の…僕たちの仕事で、生きる目的だからですよ!」
「…!」
「そのくらいの意識は、ありますから。僕が苦しくたって関係ない。舞台に上がって、魅せなければ。僕たちのパフォーマンスを」
「なんだかんだ、稚魚ちゃんたちに元気もらってるし、オレたち」
「そうですね。稚魚たちを見ると、何かしたくなります。きっと、いただいているんでしょうね、目には見えない何かを…」
「いただいた分の対価を払うのは、商売をする、僕のポリシーです」

キラキラしているこの人たちの瞳には。
一体どんな世界が映っているのだろう。
それは、到底私には考えも及ばないものだけれど。

「そのお手伝いができるなんて、光栄ですね…」
「?」
「専属メイク、ぜひやらせてください!よろしくお願いします!」

覚悟を決めよう。この人を…この人たちを、バックアップしたい。恋とか愛とか、そんな次元を越えて、尊敬…崇める…そんな感情すら湧いてくる。
私で何かできることがあるのなら、やらせてほしい。この命尽きるまで。

「そうですか!では契約書にサインを!」

言われたままにサインをしてから、上司を通してないのは不味かったかなと思ったが、仕事を取ってきたんだから、多少のことは許してほしい。

「これからもよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」

アズールさんの顔に浮かんだ笑顔は、商業用スマイルだ。きっとそう。勘違いを振り払うように、こちらもにっこりと微笑んで『それではまた後ほど参ります』と楽屋を後にした。

* * *

「よかったですねぇアズール」
「あれ、脈ありじゃね〜?すげぇ笑顔だったじゃん」
「彼女のあれは営業スマイルですよ。それに別に僕は脈とかそういうものはどうでもいいですし。ただ彼女の腕が惜しいだけです」
「稚魚でない女性…それもスタッフですからね。あちらとしても気持ちの置き所が一般の方とは異なるのでは?」
「お前、僕の話を聞いていますか?」
「アズールもっとグイグイいけばぁ〜?投げちゅ〜で五十万マドル売り上げる男って、この前雑誌に載ってたじゃん!」
「あれには笑いました…アズール、そんなことを言ったのですか?」
「そんなわけないでしょう…インタビューなど、適度に盛られるものですよ…あぁ…彼女が読まないことを祈るばかりです…」
「ふふ、そんな言葉が出ると言うことは、すでに好意を抱いている証拠では?」
「は?バカにするな。僕は自分の身分はわきまえてる。恋愛に現を抜かしている暇はない。儲け話に恋は必要ないんですから」
「まーたそういうこと言うー」
「恋愛禁止とはいえ、別にバレなければ問題ないでしょう。スリルは大事ですよ」

アズールさんが、私にそんな気持ちを寄せているとは思いもよらず。
今日も頑張るぞ!なんて、気合いを入れながら、私は、偽名でやっているマジカメアカウントに、こんな投稿したのであった。

* * *

も〜〜〜!!!!早くアズソロVを円盤で見たい〜〜!!!先日のライブ時のカメラワークが最高だったの!!なんか・・・舞台に寝転がってるアズがせり上がってくるのを、上からカメラが映してて・・で、曲と同時に目が開いて〜!!!その時の目力やばいから〜〜〜!!この公演が円盤に入ってなかったら死ぬ。
【写真はライブを共にしたペンラなどなどたち!】
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