【完結】恋とはどんな音かしら

『NRP』。そこは古くからアイドル・俳優を育成してきた大手芸能事務所である。
ここに所属できるのは生え抜きの生徒のみ。さらにデビューを飾れるのはほんの一握りの人物だ。
私はメイクアップアーティストの卵として、この事務所の生徒たちを何度か支援してきた身である。
ヘア、メイク、衣装、音響…
裏方には様々な仕事があるが、仕事を依頼されるメンバーは『アイドルに興味がないもの』に限定されている。
なぜなら、まことしやかに囁かれているこんな噂があるからだ。

『自分の仕事を投げ出してメンバーと恋仲になったことで、その子の所属グループが解散に追い込まれたーー』

地獄のような事件であるには間違いないが、その真意を知るものは一人としていない。
そんな事情もあって、事細かな身辺調査を受けて『アイドルに興味がない安全な人物認定』された私は、今回、光栄ながら、人気絶頂グループのオクタヴィネル、通称『OCT』のワールドツアーに同行するメイク担当として抜擢されたのだった。

OCTはNRPの中でも入学当初から頭角を表していた凄腕のグループで、リーダーのアズールさんを筆頭に、マネジメントも担うジェイドさん、それから、気分にムラはあるものの、ツアーの盛り上げ隊長であるフロイドさんの三人で活動している。
そんな彼らも今年で四年生。
NRPは四年契約と決まっているので、来年の春には契約解除ということもあって、この秋から大規模なワールドツアーの開催が決定していたわけだった。

本当に私にその大役が務まるのかという不安もあるのだが、そこは業界のプロとして気合を入れて乗り越えるべきところだろう。
ワールドツアーは、彼らの出身地である『珊瑚の海』の水上ドームから始まり、輝石の国、薔薇の国、夕焼けの草原…数と多くの地域を回り、ラストライブは本国で締まる予定だ。
始まってからすでに四カ国、全九公演を終了しているが、初めての長期ツアーでメンバーにも疲労も溜まってくる頃である。

現に先ほど裏へ戻ってきた際に、リーダーのアズールさんの足元が少しだけふらついていたのを目にしている。
聞いた話によれば、アズールさんは練習生時代にはあまりダンスが得意でなかったらしい。
それを気にして、体力作りに励んだり、ダンスが上手いメンバーに恥を忍んで教えを請うたりと、とにかく努力の人だ…とプロフィールにも書いてあった。
プロ根性、なのだろう。お客様の前でパフォーマンスする際には一切乱れを見せないアズールさん。
誰も気づいていないのか。それともプロフィール通りなら、そんな風に声をかけること自体が無粋なのか。
初めてツアーにお供する私には、判断がつかなかった。

このままセットリスト通りに進めば、フロイドさんのソロ、ジェイドさんのソロ、そして二人のデュオ曲が済んだら、今度はアズールさんが三曲連続で歌う流れになるだろう。メイク室に居られる時間は十五分が限界だ。
いくら涼しい部屋にいても、その綺麗な顔にどんどん浮かんできてしまう汗を根気よく拭き取りながら、メイクのお直しを進めていく。
普段から人よりも色白なその肌が、今日はさらに青白い気がする。
切れ長の瞳は緩く閉じられたままで、アイメイクをせずとも長い睫毛と下睫毛がくっついては離れ、くっついては離れしている。
そんな様子を見ていたら、ポロリと本音が口に出てしまった。

「アズールさん、次の曲、いけますか?」

その言葉が終わると同時、お直しも終わった。
刹那、パチリとその目が開く。
ブルーグレーの瞳が、私を真正面から捉えた。
その目に宿るのは、力強い光。
彼は、おもむろに私の手を握って言い放つ。

「誰に向かって言っているんです?」

不敵な笑みを携えたその顔は、まさにトップアーティスト。
そのまま立ち上がった彼は、イアモニを付け直して鏡で自分の姿をチェックすると、扉の方へと歩いて行った。

「あ、えと」
「お声掛けありがとうございます。ですが僕は、OCTのアズール・アーシェングロットです。ご心配には及びませんよ」
「あ、あの、私、出すぎたことを、言ってしまって」
「シー…」

唇に指を近づけて、彼は一言。

「僕の状態に気づいたのは、貴女だけですから。黙っておいていただけると助かります」

パタリ。
部屋に残された私は一人、床に尻餅をついて顔を手で覆った。

「…これは、勘違いしちゃうでしょ…」

アイドルって怖い。
アイドルが世界に愛される理由を理解してしまった私には。
もう戻れる道はないのかもしれない。
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