あの夏の終わり、一幕の恋物語

 その仔犬は突然やってきて、それから皆の視線を奪っていった。俺すらも、その眩しいオーラに一目置く羽目になるなんてな。


あの夏の終わり、一幕の恋物語


「先日ばっくれ……いえ、ご退職なされた古代文字解析学・古代文学史担当教員の代打の方が、本日からいらしてくださいましたよぉっ!はいみなさん拍手拍手〜ッ!」
 あいも変わらず道化じみたパフォーマンスとともに学園長から紹介されたのは、この学園に似合わない、ふわふわ笑う仔犬だった。
「先生は植物学の教免こそないものの、そちらの知識も明るいとのことですのでぇ〜クルーウェル先生!」
「はい?」
「ご指導ご鞭撻をお願いしますねぇ!」
「……はい??」
「それではわたくし、今日も今日とてとぉっても忙しいので、これにて失礼しますよぉ!あとはお任せします」
 全てを俺になすりつけてサッサとその場を去った学園長に解散の空気が流れ、一人また一人とはけていく教員たち。この学園にいる者は、生徒のみならず教員もかなり自由だった。
 残された俺は行く当てもなくキョロキョロするだけの哀れな……いや、逆に強者と言った方がいいのか。とにかくその仔犬に聞こえないように溜息を吐き、カツ、と靴音をひとつ鳴らした。
「ついてこい」
「え、」
「その様子だと校内の案内もまだだろう。このクルーウェル様が直々に教えてやる。ありがたくついてこい、と言ったんだ。二度言わせるなよバッドガール」
「ばっ、」
「……なんだ」
 目を見開いたと思えばその次の瞬間には肩を振わせて俯いた仔犬に怪訝な視線を向ける。が、しかし、俺の予想に反して彼女は笑っているようだった。
「っ……ふふっ……」
「何か言いたいことがあるなら聞いてやるが」
「っすみ、ませんっ、でも、その、バッドガールって、私のこと、ですか?」
「それ以外に誰がいるんだ」
「いや、そうなんですけど、ガールって……!わたし、そんな年齢じゃなっ……っふふ!」
 少しして自分の言動が笑われたのに気づき、初対面の仔犬にそんな風に思われるのに腹が立つと同時、ここで感情を乱すのは大人らしからぬものだと咳払いで誤魔化した。何も言わずに廊下を目指して歩を進めれば、待ってください!ごめんなさいー!と慌てて追いかけてくる。このバッドガールならぬ駄犬を躾るのは俺でなくてはと妙なやる気が満ちてきた。
「ビークワイエット!廊下では騒ぐなよ」
「は、はいっ!」
「いい返事だ」
 ニヤリと口の端を持ち上げる。やればできる仔犬の可能性もある。しっかりと教え込んでやろう。
「しばらくは俺に着いて回れ。この学園の生徒たちは一筋縄ではいかないぞ。習うより慣れろ」
「わかりました!クルーウェル先生!」
 慕われるのに悪い気はしなかった。生徒が一人増えたと思えばいいだけのことだ。
「いつから本格的に授業を受け持つんだ」
「来週からと言われています」
「なるほど。それなら一週間は暇なわけか」
「暇!?暇ではないですが!?授業の準備とか引き継ぎとかあ」
「そんなものはどうにでもなる」
 ビシッと、自分が一番美しく見えるポーズを取ってから俺は言った。
「俺の授業から学ぶことのほうが多いに決まっている。心して研修に励め!」
 それを耳にした仔犬は、困惑の表情を作ったものの、言われたことはきちんと実行できるようで、俺の後を無言でついてきた。
 その様に満足した俺が、その後、彼女どうなるかも見抜けなかったとは、なんとも愚かしいことだが、人生とは時にそういうものでもあるだろう。

 この話は、俺と彼女の短い夏の記録となる。
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