未入力の場合は、あなた、が設定されます
Azul
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
今日はハロウィン当日。一年の中でも数少ない学園解放日だ。つまり私がまた、お客様と闘わなければならない日ということになる。
気合は十分。『今日も絶対、ぜーったい、アズール先輩を守るんだからね!!』両手で拳を二つ作って、見えない敵にぶちかました。
準備を済ませてバックヤードを出ると、まだ誰も店に来ていないようだ。寮生達はきっと植物園側の最終調整に奔走しているんだろう。
勝手知ったる…とは言えども一応他寮のことなので、指示を貰わない限りは下手なことはできないなと思案して、とりあえずは飾り付けの最終チェックと机の清掃をやっておくことにする。
台拭きを取ろうと踵を返したところで、顔面から何かにぶつかってしまった。
「わっ!?」
「あっ」
ドンっとぶつかったので、倒れる!、と受け身を取ったのも束の間、尻餅の痛みがやってこないので薄ら目を開けると、ぶつかった何かに抱き留められていた。そろり、目線を上にやるとそこに居たのは。
「アズール先輩!なんでここに?」
「何でって…僕は支配人ですからね。現場をチェックしにくるのは当たり前でしょう」
「いえ、他の人がいないから、寮でミーティングでもしているのかと思って」
「今日は朝から夜まで忙しいのはわかり切っていますから、ミーティングは昨日終わっています。チェックも済んでいるのであとはシフト表通りに乗り切るまでです。植物園の方はぽつぽつ寮生が集まり始めていましたよ。こちらにもすぐにくるでしょう。ハロウィンは一日しかありませんからね。決して難しくはない売上目標だとは思いますが皆に気合を入れてもらわなければ」
「支配人の鏡だ…」
「なにを今更。ああ、なのであなた、爆ぜました、は今回はできませんからね」
「っく…わ、わかってますよぉ…」
学園祭のときのようにはいかないと先に牽制されてしまっては、先輩を閉じ込めることはできない。下唇を噛みながら渋々了解すれば『よろしい』と微笑まれた。学園祭のときはあれでいてうまい具合にVIPルームに引きこもらせることができたのだが、今回はちゃっかり『ワンチェキセンマドル企画』なんてものまで作られていたので土台無理な話だった。
「ところで」
「はい?」
「その…貴女のコスプレですが」
「あ!この衣装、可愛いくないですか?売り物に少し手を加えてみたんですけど!」
「コンセプトは、包帯男を作り上げたマッドサイエンティストでしたっけ?」
「そうです!先輩達が包帯男のコスプレと言っていたので、私も揃えてみました!」
私の衣装はオクタヴィネルの包帯男から着想を得た、マッドサイエンティストイメージの仕上がりである。黒いタイトなハイネックは皆と同じものを支給してもらったのだがズボンでは味気ないと思い、マーメイドラインの真っ黒なスカートを合わせてスリットを入れた。それから足や腕には包帯を巻き、ところどころ意図的に破った白衣は少し血糊をつけた。
こだわりを詰め込んだこの衣装は、自分的には割とお気に入りの一品なのだけれど、私をじっと見つめるアズール先輩の表情は硬い。
「えーっと…安直すぎたでしょうか…?マミーにマッドサイエンティストなんて…」
「いえ!とても…何というか… あなたにお似合いですし…オクタヴィネルのハロウィン衣装に併せていただいて世界観も崩れず…いいのですが…」
「?」
煮え切らない態度に一抹の不安を覚えるも、聞き返そうとしたところで他の寮生達がわらわらとご到着になったために話半分で終わってしまった。
「あぁ、皆も集まり始めましたね」
「ですね!私はラウンジで給仕手伝いをしたらいいですよね?」
「ええ、そのようになっているはずです。あなたはレジに張り付いてくださっていて構いません。恐らく手が開くこともないでしょうから。よろしくお願いしますね」
「はい!任せてください!」
私の頭を一撫でしてから、アズール先輩はモストロ・ラウンジを後にした。
それから暫く。
ハロウィン広告が功を成したのか、先輩の予想通り、ピーク時には列をなすほどに店内は混雑していた。ランチ営業が終わり、三時間後にはディナータイムが始まると再度気合を入れようとした時頃、ジェイド先輩からお呼びがかかったので、何ですかと問えば、『休憩がてらアズールがいる植物園の方に、お茶菓子を届けに行ってくれませんか』とのことだったので、これ幸いと二つ返事でラウンジを抜けさせてもらった。
「アズール先輩も頑張ってるかなっ」
暖かいお茶とお菓子が詰められたバスケットを持って鏡舎を抜けると、そこで既にガヤガヤと騒がしい声が聞こえてくる。人が多いってこういうことなんだなーとワクワクしつつも、植物園が近くに連れて嫌な予感が押し寄せた。そしてそれが間違いなかったことはすぐに理解できたのである。
「次は私と写真撮ってください〜!」
「順番です!順番に並んでくださーい!ワンチェキ!千マドル!こちらでチケットを購入してから並んでくださーい!」
「お金かかるのかー」
「でも千マドルくらいならよくない!?あんなイケメン滅多にいないよー!」
「…」
私の予感は的中だ。
人が集まっているのは植物園で、なんならスタンプラリーコーナーではなくチェキコーナー。もちろん人気はアズール先輩とフロイド先輩。それから何人かの寮生が各々声をかけられている様子が見て取れる。お金が掛かるなら大丈夫かな、なんて到底甘い考えだったと改めて頭を抱えた。
それでも、私の姿を視界に捉えた寮生の一人がアズール先輩に耳打ちしてくれたようで、ハッとこちらを向いてにこやかな笑みを讃える。そんな先輩の周辺で何人かの女性が心臓を撃ち抜かれたようだったが、本人は全く気づいていない。
フロイド先輩は性格的に『飽きた』の一言でチェキ会も抜け出すんだろうけど
アズール先輩は儲けられる限りはやり続けるだろう。彼女ポジションの私からしたらいい気持ちでないこともわからないんだろうか…わからないだろうな…悔しい。マドルには何をしたって勝てないかも、と思うと腸が煮え繰り返りそうだ。でも、今回は事前に釘を刺されている以上、私が口出しできることは何一つない。なんでもない風を装って、先輩に話しかけに行くしかできなかった。
「お疲れ様です、先輩」
「あなた!?どうしてここに来たんですか!?」
「え…ジェイド先輩にお菓子の差し入れをしてきてくださいって仰せつかったので来たのですが…」
「ジェイドめっ…こちらに寄越すなとあれほど言ったのに」
「…あの、ご迷惑でしたか…?」
「!いえ、こちらの話ですのであなたはお気になさらず!」
なんだか聞き捨てならない言葉だったが、公衆の面前で言い争う程子供でもないのでグッと言葉を飲み込む。
「ではあなたは持ち場に戻ってください」
「!?で、でも来たばっかりですし…植物園の方も見てみたいなぁって」
「下見の時と何も変わっていませんよ、さぁ」
「え、ちょ、」
肩を掴まれたと思ったらくるりとUターンさせられてしまい、さすがに何かあったのかと勘ぐりはじめたその時だった。
「あれぇ?女の子もいるんじゃん!じゃあ俺その子とチェキたのむわ」
「ひ?!」
突然おかしな方向からぐいと腕を取られて重心を持っていかれたために、引っ張った相手に倒れ込んでしまった私は、私を支えた知らない男の手にゾワリと肌を泡立たせた。
「N R Cって男子校って聞いてたけど共学になったのか?まぁいいや、これ金な。キミ俺と写真とろーよ」
「あ、え?私?ですか?」
「そ。チェキ会なんだろ?いいよな?」
「…っ、は、はい…」
嫌に決まっている、が、この本心を言ってしまえば儲け話が水の泡だ。私の一存でアズール先輩に迷惑をかけるわけにはいかないと、喉まで出かかった『やめて』の言葉は心に押し込んで微笑んだ。うまく笑えているだろうか。
腰まで取られて、もはや意識を明後日の方向に飛ばすしかなくなった私が『終われー早く終われー』と脳内で祈り始めた瞬間、また誰かに腕を掴まれて、ものすごい力でその男から身体を引き離されたと思ったら、カーテンで仕切られた簡易のスタッフルームに押し込まれた。ドスンとついた尻餅は、身体に響いて結構痛い。
「いったぁい…!なに!?」
声を上げると、それよりも大きな声がカーテンの向こうから聞こえてきてヒュと息を飲む。
「あ?お前なんだよ?」
「僕はこのスタンプラリー会場を仕切っている者です」
「はぁ?仕切ってる…?仕切り屋がどうして客に喧嘩売ってんだよ。金は払ったんだから彼女を出せよ」
「彼女は…爆ぜました」
「は?」
「爆ぜたんです。彼女はもうおりませんので、チェキはストップです」
「いやいやいや、今までいたろうが!!それはないんじゃねーのか?!自分らで決めたチェキ会だろうがよぉ!止められる筋合いはねぇな」
「ここは今、僕らが仕切っている領地です。オクタヴィネル寮は紳士の社交場。騒がしいのは御法度です」
「なーに言ってんだ?てかお前、彼女の親でもねぇのにうるせぇぞ!!」
「彼女は僕のものです。貴方には指一本触れさせません」
「はぁ?」
「彼氏が彼女を守ってなにがおかしい!!」
自分が『爆ぜましたは御法度』と言ったくせに、自分でそれをやってしまっている辺り、だいぶテンパっているんだろうアズール先輩。これでは彼の計画が丸潰れだ。私のせい…なんだろうこの騒動。それならば、私が止めるしかないだろう。
せっかく守ってくれたのに見つかるようなことがあってはいけないけれど、止めるにはこれしかないと、ありったけの力でもって仕切られたカーテンの後ろからアズール先輩の腕を引っ張った。
「!?」
「あっおい逃げるのか!?」
「は〜いそこまでぇ〜」
「!」
「雑魚ちゃんが騒いでるって聞いて飛んできたんだけど〜。お前のことぉ〜?」
「っ…なんだこのデケェの…」
「オレとチェキ撮る〜?半額にしとくけど」
「と、撮るわけないだろ!!騙された気分だぜ…っもう二度とこねぇよ!!」
「毎度ありがとうございま〜したっと」
声のトーンで騒ぎがおさまったことを悟って、ほっと一息ついたら、カーテンの向こうからかけられた『小エビちゃんはアズールとちょっと休んでな〜ここはオレがやっとくから〜』というフロイド先輩の言葉に、一気に力が抜けてしまった。
なお今の体制はと言えば、引っ張った勢いで雪崩れ込んできたアズール先輩が私に覆いかぶさるようにして壁に手をついている状態であるが、大きな声を出したら、外にいる人に聞こえてしまうだろうから、高鳴る鼓動をなんとか抑えてヒソヒソと言葉を交わす。
「っ…す、みません、こんな…クソ…バックヤードはもっと広くしておくべきだったっ」
「い…いえ、こちらこそ、引っ張ってしまって、その、怪我はないですか」
「僕よりもあなたがっ…嫌な思いをしたでしょう…。すみませんでした、間に入るのが遅くなって…」
「…先輩、私の気持ち、少しはわかりました…?」
「え?」
「写真くらい減るものじゃないって、先輩は言ったけど…嫌なものですよ、か、…彼氏が、他の女の子と写真を撮るところを見るのって…」
恥ずかしいので視線をそらしてしまったけれど、なんとか言葉にすれば、先輩がゴクリと喉を鳴らした音が耳に届いた。
「確かに、軽率でしたね…謝ります。儲けを考えすぎて、あなたに嫌な思いをさせました」
「…いえ…儲けが出るのはいいことです。事業ですもの、やめろとは言いません。けど…わかって欲しかったから、よかったです」
物わかりのいい彼女を演じようとしたってところどころにボロが出てしまうけれど、最終的には先輩のやることに口出しをするつもりはない。でも嫌なものは嫌だから、気持ちくらいは伝えられてよかったと、ふにゃりと笑ったら、こてんと先輩の頭が私の首元に落ちてきた。
「っ…あなた…そういうところですよ…」
「…?先輩、大丈夫ですか?っ、んぁ!」
「ンっ…」
流れるようにして私の首筋に唇を寄せたアズール先輩は珍しく、ちゅくっ、と吸い付いてほんのりとした痛みを残した。これは鬱血痕になっているのではないかと、どうやって隠そうかと逡巡すると『このインナーなら見えませんから安心してください』だって。
「んも…なんでそんな微妙なところにっ…いつもそんなことしないじゃないですか…!」
「虫除けですよ…まぁ、今日は爆ぜたことになっているので、もう表には出しませんけれどね」
「…っていうか、そうですよ!!爆ぜるのはダメって言ったくせに!!」
「ふふっ…まぁいいじゃないですか。売上目標も早々に達成できそうだと、ラウンジの方から連絡も来ましたから、僕の分の売り上げはこれ以上いりません。少し休憩していきましょう」
モゾモゾと壁側に移動した先輩は、私を足の間に挟むようにして座らせて、後ろからギュッと抱きしめた。
はぐらかされた上に甘やかされている事実になんだかムズムズして、先輩から眼鏡と帽子を奪うと、クスクス笑いながらぐりぐりと肩に顔を押しつけられてしまった。
「むっ…先輩、私、怒ってたんですからね!」
「おや…僕だって怒ってますよ?こんなに魅惑的な脚を晒して。皆の注目の的にでもなりたかったんですか?」
「っそんなわけないです!!わ、わたし、…わたしだって、先輩とハロウィンがしたかっただけですっ」
「…またそうやって可愛らしいことをいう…。しかしそうですね…僕とハロウィンがしたかった、ですか…」
「?」
「コンセプト通りであれば、包帯男の僕を生み出したのはマッドサイエンティストの貴女なんでしょう?」
「そうですけど…」
「それならば、トリック オア トリートをしてもらうのは僕のほうでしょうか?」
「え?」
「主導権は、生み出された僕にはない認識ですけれど」
「あっ」
「さぁ、僕に向かって言ってください。その言葉を」
アズール先輩は、それはそれは楽しそうに口の端を吊り上げて私を誘惑した。
主導権がこちらにあるなんて、全くの嘘だ。
全部全部、先輩が持っていってしまうくせに。
ならば私は、最後の抵抗をするまでだ。
「っ…それは、今は言いません」
「ほぅ?それはなぜ?」
「だって…二人きりじゃないから…先輩にトリックするのは私、だし、先輩のトリートも私、でしょう?」
ポカンと、目を見開いたアズール先輩は、その意味を理解して次第に顔を朱に染めた。
「…っ…言いますね、あなた」
「せ、先輩を爆ぜさせるのは、私、ですからっ」
「なるほど?それは、今夜がとても楽しみだ」
密やかに話されるハロウィンナイトの約束。
守られたか守られなかったかは、私たちだけの秘密。
気合は十分。『今日も絶対、ぜーったい、アズール先輩を守るんだからね!!』両手で拳を二つ作って、見えない敵にぶちかました。
準備を済ませてバックヤードを出ると、まだ誰も店に来ていないようだ。寮生達はきっと植物園側の最終調整に奔走しているんだろう。
勝手知ったる…とは言えども一応他寮のことなので、指示を貰わない限りは下手なことはできないなと思案して、とりあえずは飾り付けの最終チェックと机の清掃をやっておくことにする。
台拭きを取ろうと踵を返したところで、顔面から何かにぶつかってしまった。
「わっ!?」
「あっ」
ドンっとぶつかったので、倒れる!、と受け身を取ったのも束の間、尻餅の痛みがやってこないので薄ら目を開けると、ぶつかった何かに抱き留められていた。そろり、目線を上にやるとそこに居たのは。
「アズール先輩!なんでここに?」
「何でって…僕は支配人ですからね。現場をチェックしにくるのは当たり前でしょう」
「いえ、他の人がいないから、寮でミーティングでもしているのかと思って」
「今日は朝から夜まで忙しいのはわかり切っていますから、ミーティングは昨日終わっています。チェックも済んでいるのであとはシフト表通りに乗り切るまでです。植物園の方はぽつぽつ寮生が集まり始めていましたよ。こちらにもすぐにくるでしょう。ハロウィンは一日しかありませんからね。決して難しくはない売上目標だとは思いますが皆に気合を入れてもらわなければ」
「支配人の鏡だ…」
「なにを今更。ああ、なのであなた、爆ぜました、は今回はできませんからね」
「っく…わ、わかってますよぉ…」
学園祭のときのようにはいかないと先に牽制されてしまっては、先輩を閉じ込めることはできない。下唇を噛みながら渋々了解すれば『よろしい』と微笑まれた。学園祭のときはあれでいてうまい具合にVIPルームに引きこもらせることができたのだが、今回はちゃっかり『ワンチェキセンマドル企画』なんてものまで作られていたので土台無理な話だった。
「ところで」
「はい?」
「その…貴女のコスプレですが」
「あ!この衣装、可愛いくないですか?売り物に少し手を加えてみたんですけど!」
「コンセプトは、包帯男を作り上げたマッドサイエンティストでしたっけ?」
「そうです!先輩達が包帯男のコスプレと言っていたので、私も揃えてみました!」
私の衣装はオクタヴィネルの包帯男から着想を得た、マッドサイエンティストイメージの仕上がりである。黒いタイトなハイネックは皆と同じものを支給してもらったのだがズボンでは味気ないと思い、マーメイドラインの真っ黒なスカートを合わせてスリットを入れた。それから足や腕には包帯を巻き、ところどころ意図的に破った白衣は少し血糊をつけた。
こだわりを詰め込んだこの衣装は、自分的には割とお気に入りの一品なのだけれど、私をじっと見つめるアズール先輩の表情は硬い。
「えーっと…安直すぎたでしょうか…?マミーにマッドサイエンティストなんて…」
「いえ!とても…何というか… あなたにお似合いですし…オクタヴィネルのハロウィン衣装に併せていただいて世界観も崩れず…いいのですが…」
「?」
煮え切らない態度に一抹の不安を覚えるも、聞き返そうとしたところで他の寮生達がわらわらとご到着になったために話半分で終わってしまった。
「あぁ、皆も集まり始めましたね」
「ですね!私はラウンジで給仕手伝いをしたらいいですよね?」
「ええ、そのようになっているはずです。あなたはレジに張り付いてくださっていて構いません。恐らく手が開くこともないでしょうから。よろしくお願いしますね」
「はい!任せてください!」
私の頭を一撫でしてから、アズール先輩はモストロ・ラウンジを後にした。
それから暫く。
ハロウィン広告が功を成したのか、先輩の予想通り、ピーク時には列をなすほどに店内は混雑していた。ランチ営業が終わり、三時間後にはディナータイムが始まると再度気合を入れようとした時頃、ジェイド先輩からお呼びがかかったので、何ですかと問えば、『休憩がてらアズールがいる植物園の方に、お茶菓子を届けに行ってくれませんか』とのことだったので、これ幸いと二つ返事でラウンジを抜けさせてもらった。
「アズール先輩も頑張ってるかなっ」
暖かいお茶とお菓子が詰められたバスケットを持って鏡舎を抜けると、そこで既にガヤガヤと騒がしい声が聞こえてくる。人が多いってこういうことなんだなーとワクワクしつつも、植物園が近くに連れて嫌な予感が押し寄せた。そしてそれが間違いなかったことはすぐに理解できたのである。
「次は私と写真撮ってください〜!」
「順番です!順番に並んでくださーい!ワンチェキ!千マドル!こちらでチケットを購入してから並んでくださーい!」
「お金かかるのかー」
「でも千マドルくらいならよくない!?あんなイケメン滅多にいないよー!」
「…」
私の予感は的中だ。
人が集まっているのは植物園で、なんならスタンプラリーコーナーではなくチェキコーナー。もちろん人気はアズール先輩とフロイド先輩。それから何人かの寮生が各々声をかけられている様子が見て取れる。お金が掛かるなら大丈夫かな、なんて到底甘い考えだったと改めて頭を抱えた。
それでも、私の姿を視界に捉えた寮生の一人がアズール先輩に耳打ちしてくれたようで、ハッとこちらを向いてにこやかな笑みを讃える。そんな先輩の周辺で何人かの女性が心臓を撃ち抜かれたようだったが、本人は全く気づいていない。
フロイド先輩は性格的に『飽きた』の一言でチェキ会も抜け出すんだろうけど
アズール先輩は儲けられる限りはやり続けるだろう。彼女ポジションの私からしたらいい気持ちでないこともわからないんだろうか…わからないだろうな…悔しい。マドルには何をしたって勝てないかも、と思うと腸が煮え繰り返りそうだ。でも、今回は事前に釘を刺されている以上、私が口出しできることは何一つない。なんでもない風を装って、先輩に話しかけに行くしかできなかった。
「お疲れ様です、先輩」
「あなた!?どうしてここに来たんですか!?」
「え…ジェイド先輩にお菓子の差し入れをしてきてくださいって仰せつかったので来たのですが…」
「ジェイドめっ…こちらに寄越すなとあれほど言ったのに」
「…あの、ご迷惑でしたか…?」
「!いえ、こちらの話ですのであなたはお気になさらず!」
なんだか聞き捨てならない言葉だったが、公衆の面前で言い争う程子供でもないのでグッと言葉を飲み込む。
「ではあなたは持ち場に戻ってください」
「!?で、でも来たばっかりですし…植物園の方も見てみたいなぁって」
「下見の時と何も変わっていませんよ、さぁ」
「え、ちょ、」
肩を掴まれたと思ったらくるりとUターンさせられてしまい、さすがに何かあったのかと勘ぐりはじめたその時だった。
「あれぇ?女の子もいるんじゃん!じゃあ俺その子とチェキたのむわ」
「ひ?!」
突然おかしな方向からぐいと腕を取られて重心を持っていかれたために、引っ張った相手に倒れ込んでしまった私は、私を支えた知らない男の手にゾワリと肌を泡立たせた。
「N R Cって男子校って聞いてたけど共学になったのか?まぁいいや、これ金な。キミ俺と写真とろーよ」
「あ、え?私?ですか?」
「そ。チェキ会なんだろ?いいよな?」
「…っ、は、はい…」
嫌に決まっている、が、この本心を言ってしまえば儲け話が水の泡だ。私の一存でアズール先輩に迷惑をかけるわけにはいかないと、喉まで出かかった『やめて』の言葉は心に押し込んで微笑んだ。うまく笑えているだろうか。
腰まで取られて、もはや意識を明後日の方向に飛ばすしかなくなった私が『終われー早く終われー』と脳内で祈り始めた瞬間、また誰かに腕を掴まれて、ものすごい力でその男から身体を引き離されたと思ったら、カーテンで仕切られた簡易のスタッフルームに押し込まれた。ドスンとついた尻餅は、身体に響いて結構痛い。
「いったぁい…!なに!?」
声を上げると、それよりも大きな声がカーテンの向こうから聞こえてきてヒュと息を飲む。
「あ?お前なんだよ?」
「僕はこのスタンプラリー会場を仕切っている者です」
「はぁ?仕切ってる…?仕切り屋がどうして客に喧嘩売ってんだよ。金は払ったんだから彼女を出せよ」
「彼女は…爆ぜました」
「は?」
「爆ぜたんです。彼女はもうおりませんので、チェキはストップです」
「いやいやいや、今までいたろうが!!それはないんじゃねーのか?!自分らで決めたチェキ会だろうがよぉ!止められる筋合いはねぇな」
「ここは今、僕らが仕切っている領地です。オクタヴィネル寮は紳士の社交場。騒がしいのは御法度です」
「なーに言ってんだ?てかお前、彼女の親でもねぇのにうるせぇぞ!!」
「彼女は僕のものです。貴方には指一本触れさせません」
「はぁ?」
「彼氏が彼女を守ってなにがおかしい!!」
自分が『爆ぜましたは御法度』と言ったくせに、自分でそれをやってしまっている辺り、だいぶテンパっているんだろうアズール先輩。これでは彼の計画が丸潰れだ。私のせい…なんだろうこの騒動。それならば、私が止めるしかないだろう。
せっかく守ってくれたのに見つかるようなことがあってはいけないけれど、止めるにはこれしかないと、ありったけの力でもって仕切られたカーテンの後ろからアズール先輩の腕を引っ張った。
「!?」
「あっおい逃げるのか!?」
「は〜いそこまでぇ〜」
「!」
「雑魚ちゃんが騒いでるって聞いて飛んできたんだけど〜。お前のことぉ〜?」
「っ…なんだこのデケェの…」
「オレとチェキ撮る〜?半額にしとくけど」
「と、撮るわけないだろ!!騙された気分だぜ…っもう二度とこねぇよ!!」
「毎度ありがとうございま〜したっと」
声のトーンで騒ぎがおさまったことを悟って、ほっと一息ついたら、カーテンの向こうからかけられた『小エビちゃんはアズールとちょっと休んでな〜ここはオレがやっとくから〜』というフロイド先輩の言葉に、一気に力が抜けてしまった。
なお今の体制はと言えば、引っ張った勢いで雪崩れ込んできたアズール先輩が私に覆いかぶさるようにして壁に手をついている状態であるが、大きな声を出したら、外にいる人に聞こえてしまうだろうから、高鳴る鼓動をなんとか抑えてヒソヒソと言葉を交わす。
「っ…す、みません、こんな…クソ…バックヤードはもっと広くしておくべきだったっ」
「い…いえ、こちらこそ、引っ張ってしまって、その、怪我はないですか」
「僕よりもあなたがっ…嫌な思いをしたでしょう…。すみませんでした、間に入るのが遅くなって…」
「…先輩、私の気持ち、少しはわかりました…?」
「え?」
「写真くらい減るものじゃないって、先輩は言ったけど…嫌なものですよ、か、…彼氏が、他の女の子と写真を撮るところを見るのって…」
恥ずかしいので視線をそらしてしまったけれど、なんとか言葉にすれば、先輩がゴクリと喉を鳴らした音が耳に届いた。
「確かに、軽率でしたね…謝ります。儲けを考えすぎて、あなたに嫌な思いをさせました」
「…いえ…儲けが出るのはいいことです。事業ですもの、やめろとは言いません。けど…わかって欲しかったから、よかったです」
物わかりのいい彼女を演じようとしたってところどころにボロが出てしまうけれど、最終的には先輩のやることに口出しをするつもりはない。でも嫌なものは嫌だから、気持ちくらいは伝えられてよかったと、ふにゃりと笑ったら、こてんと先輩の頭が私の首元に落ちてきた。
「っ…あなた…そういうところですよ…」
「…?先輩、大丈夫ですか?っ、んぁ!」
「ンっ…」
流れるようにして私の首筋に唇を寄せたアズール先輩は珍しく、ちゅくっ、と吸い付いてほんのりとした痛みを残した。これは鬱血痕になっているのではないかと、どうやって隠そうかと逡巡すると『このインナーなら見えませんから安心してください』だって。
「んも…なんでそんな微妙なところにっ…いつもそんなことしないじゃないですか…!」
「虫除けですよ…まぁ、今日は爆ぜたことになっているので、もう表には出しませんけれどね」
「…っていうか、そうですよ!!爆ぜるのはダメって言ったくせに!!」
「ふふっ…まぁいいじゃないですか。売上目標も早々に達成できそうだと、ラウンジの方から連絡も来ましたから、僕の分の売り上げはこれ以上いりません。少し休憩していきましょう」
モゾモゾと壁側に移動した先輩は、私を足の間に挟むようにして座らせて、後ろからギュッと抱きしめた。
はぐらかされた上に甘やかされている事実になんだかムズムズして、先輩から眼鏡と帽子を奪うと、クスクス笑いながらぐりぐりと肩に顔を押しつけられてしまった。
「むっ…先輩、私、怒ってたんですからね!」
「おや…僕だって怒ってますよ?こんなに魅惑的な脚を晒して。皆の注目の的にでもなりたかったんですか?」
「っそんなわけないです!!わ、わたし、…わたしだって、先輩とハロウィンがしたかっただけですっ」
「…またそうやって可愛らしいことをいう…。しかしそうですね…僕とハロウィンがしたかった、ですか…」
「?」
「コンセプト通りであれば、包帯男の僕を生み出したのはマッドサイエンティストの貴女なんでしょう?」
「そうですけど…」
「それならば、トリック オア トリートをしてもらうのは僕のほうでしょうか?」
「え?」
「主導権は、生み出された僕にはない認識ですけれど」
「あっ」
「さぁ、僕に向かって言ってください。その言葉を」
アズール先輩は、それはそれは楽しそうに口の端を吊り上げて私を誘惑した。
主導権がこちらにあるなんて、全くの嘘だ。
全部全部、先輩が持っていってしまうくせに。
ならば私は、最後の抵抗をするまでだ。
「っ…それは、今は言いません」
「ほぅ?それはなぜ?」
「だって…二人きりじゃないから…先輩にトリックするのは私、だし、先輩のトリートも私、でしょう?」
ポカンと、目を見開いたアズール先輩は、その意味を理解して次第に顔を朱に染めた。
「…っ…言いますね、あなた」
「せ、先輩を爆ぜさせるのは、私、ですからっ」
「なるほど?それは、今夜がとても楽しみだ」
密やかに話されるハロウィンナイトの約束。
守られたか守られなかったかは、私たちだけの秘密。