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最初は、勘違いかと思っていた。でもそんなことはなかった。
気付いた時にはそれは私の脳内を蝕むサインとなっていて、逃れられない状況となる。
やはり彼もまた、見た目はあのように麗しいとはいえ、捕食者側で相違いない。
「あ、」
中庭を挟んだ廊下の向こう側にいたのは私の彼、アズール・アーシェングロット先輩だ。
でも、遠くからその姿を認めた時は、いつも声をかけていいものか逡巡する。
それは、恥ずかしがり屋の彼のためでもあり、声をかけるタイミングを間違えたら迷惑かなという自重の気持ちの現れでもあった。
ただし今日は、先輩と少しばかり距離もあるし、眺めているだけなら気づかれることもないだろうとタカを括って思う存分に眺めさせてもらっていたのだが。
視線というものは存外その人の気を引くものである。それに気づいてしまったのか、アズール先輩が突然こちらをパチリと見つめてきた。
あ、マズイと反射的に顔を逸らそうとしたのも束の間、不自然に動いたのは彼の腕。
いつもキッチリ留められている上着のボタンが外されて、右側の下襟あたりに滑った手が、パサリパサリと振られた。それは、暑い時に服をバサバサと振るような、よくある動作である。
アズール先輩は私から目を離さずに、そうして何度か上着を揺すってから、またスッといつものようにボタンをかけ直した。
遠目ではあったが、ニコリと微笑まれた気すらして、気まずさに目を逸らすまで、ほんの5秒もない。
「?!」
一体何を見せられたんだろう。でも。あれは確実に私に向けて行われた所作だった。なぜかそんな確信があった。
(上着…振る…スーツ…ポケット…下襟…うーん…?)
今の動作に関して思いつく言葉を頭の中に並べてみるも、閃くことは何もない。頭を捻りながらも、ふと時計を見れば17時を超えている。こんなことをしている場合じゃなかったと、いくつものクエスチョンマークを頭の隅に追いやって、私はモストロ・ラウンジへとアルバイトに向かった。
時は過ぎてラウンジ終了時刻となった。しかしながら、アズール先輩の挙動がどこかおかしい。
(こういう時は大体ちょっといかがわしいことをしたかったりして、でも言えない時…かな、)
煮え切らない態度をとっているなと微笑ましい気持ちで、どうかしましたかと声をかけると、やっぱり今でなくてもいいような用事を取り付けられて、寮長室へと誘われた。
何か引っかかるところがあったはずなのだが。
けれどそんな些細なことは、一つ目の口付けでどこかへと消え去ってしまった。
*
それからしばらくして、今度は食堂での出来事だった。
いつものメンツで食堂にくると、ランチの受け取り列の中にアズール先輩を見つけた。
向こうも私に気付いたようだったので、「あ」と思ってそのまま手を振ろうとすると、アズール先輩はまたもや、唐突に上着のボタンを外して、パサリパサリとその裾を振る。
(あれ?あの動作前にも一度…)
記憶を振り返ってみれば、確かに前にも同じようなことがあったように思う。
ただ今回は、上着の左側が振られたところが、前と異なる気がしていた。
(…考えすぎだよね)
苦笑が漏れたが、どうにもその動作が頭にチラついて離れない。
その日はアルバイトはなかったので、授業が終わるとまっすぐ寮に帰って予習復習に明け暮れていた。
気づけばマジフトの練習だと言ってグリムを見送ってから三時間ほどが経過しており、外はとっぷり暮れている。
(この調子だと、そのままみんなとご飯でも食べてるんだろうな〜今日は帰ってこないかも…)
一人分の食事の用意は手を抜けるので気楽だな、なんてことを考えつつ、階段を降りて厨房に向かう。
すると、そのタイミングを見計らったかのように、ドアノックがコンコンと鳴った。
こんな時間に誰だろう、と考えるも、グリムがノックをするはずがないし、そうとなればジャックかデュースかもしれない。エースならズカズカと入ってくるだろうから。なんの用事であれ、客人を待たせてはいけないと、パタパタ入り口に向かう。
「はーい!」
「こんばんは」
「え?」
なんと、そう言って顔をのぞかせたのはアズール先輩だった。
思いも寄らない客人に、ぽかんと口を開けてしまったが、別段断る理由もなかったのでそのまま中に入るよう促した。
「夜分にすみません」
「いえ、それは別に構いませんが…どうしたんですか?シフトの相談ですか?」
「あぁ、今日はそのような類のお話ではなく…」
「そうですか?うーん…じゃあ…私に会いに来てくれた!…とか…」
「…!」
「へ?!あ、は、な、なーんちゃっ…て…!す、すみません…出すぎたことを言いました…」
「そうですよ、と言ったら?」
「、へ」
ラウンジの仕事が終わってそのままこちらに出向いてくれたのだろう。先輩はグレーのコートを羽織って、帽子もかぶったままだった。見た目はいつだって隙がなくてかっこいいくせに、ふとしたことで大慌てする姿は可愛くて、ずるい人だと今日も思う。
そんな恋人に、ずい、と一歩、詰め寄られたらと思えば、その整った綺麗な顔に笑みをたたえてこう言われた。
「今日、グリムさんはどちらに?」
「え?グリム、ですか?グリムは多分、マジフトの練習でサバナクロー寮に…」
「そうですか。それは幸甚」
「幸甚って、どうして」
さて、どうしてでしょう?そう言って楽しそうな浮かべたアズール先輩は、艶めかしく私の腰を抱く。
引き寄せられた私は、やんわりと先輩の胸に抱きとめられた。
「ぁ」
「魚と水、ではないですが、貴女と一時でも時間を共有したくて…」
「っ、」
「せっかく二人きりなのだから、僕を入れてくれませんか」
「…い、言い方…がっ!」
「おや、何を想像したのだか。僕は部屋に入れてください、と言ったのですが?」
頭の上から降ってくる控えめな笑い声に、カッとなって思わず顔を上げたら、そのまま唇を奪われてしまった。
もちろんそのまま頂かれたのは言うまでもない。
*
こうなってくると、あることに気づかざるを得なくなった。
それは「上着の振りは夜のお誘いではないか」ということだ。
いやまさか、そんなこと?と思うかもしれないが、こういう時のカンはなんだかんだ当たるものである。
普通ならスマートフォンのアプリを活用したり、その場でお誘いをしたりと他の方法を取るのが一般的だ。でも相手はあのアズール先輩だ。何か「二人だけの秘密」を持ちたがる様子は容易に想像できたし、それを「貴女だけに気づいて欲しいから言わないでいた」と言う姿もまた、想像に難くないのである。
「でも、まだ、二回だし…?」
考えすぎ、と思いたい。それならそれで全然良い。
ただ、三回目があれば真相が明確になるだろう。それを待つのもまた、探偵のようで少し楽しみに感じるから始末が悪い。
「私も大概…絆されちゃってるんだよなぁ…」
クスリと苦笑を漏らした、その時。
ジャストタイミングにも、また上着の合図を送られて、さっきの今で確信を得た私であった。
余談であるが、その仕草をするアズール先輩の横に控えていたリーチ兄弟が、瞬間、ブハッと吹き出したのを、私は見逃さなかった。
その日、夜の帳が降りる頃。
私はアズール先輩の部屋のベッドの上、正確には彼の膝の上に跨がらされた状態で、濃厚なキスの雨を降らされていた。
「ん、ぅ、ふぅ、あ、」
「っ、ンン、はぁ、ん」
あぁ、息ができない。執拗に咥内を舐る舌の動きに、昂ぶる気持ちと蕩ける思考。
このまま流されたらきっと朝まで抱き締めてもらえるに違いない。
けれど、その余韻でぎゅっと寮服を握ったところで、脳がパッと覚醒した。
はふ、と口を離されて「貴女まだまだ息継ぎが下手ですね」と笑われながら柔らかくベッドに押し倒されたところで、今しかないと雑談を投げかける。
その間も、服を脱がす手は止まらないわけだけれど。
「あのっ」
「なんですか?」
「上着っ…」
「?脱がしてくださるんですか?」
「っ違います!その、上着、で、合図、してますよね…、先輩?」
「あぁ、気づいてくださったのですか。割と早かったですね」
「いじわる!です!普通に言ってくださいよ…」
ぷ、と頰を膨らませて唇を突き出すと、チュッと吸われてしまった。
もぉ!と怒れば楽しそうに笑うアズール先輩を見て、なんだか考え込んでいた私がバカみたいだ。
「怒らないでくださいよ。僕、貴女ならわかってくださるって思っていました。見解を伺っても?」
「…っ…上着の右裾をパタパタしたら寮長室。反対の左は、オンボロ寮で。…今夜のお誘い…の、暗号」
「正解です」
「っ私以外の人が先に気づいたらどうするつもりだったんですか…!」
「そうしたらまた考えるまでです」
「も〜!」
なんでこの人こんなにキザっぽくちょっと抜けたことしちゃうんだ、といたたまれなくなってデコラティブクッションをアズール先輩の顔に押し付けても、楽しそうな笑いしか聞こえてこなかったので、少しばかり仕返しをしたいと思った。だけれど冗談でも「嫌いです」なんて言葉は吐きたくないから、自分の中で許される範囲の語彙で抵抗をする。
「…む…お付き合いする人を間違えてしまったかも…」
「貴女何を!!」
効果は覿面。刹那、焦ったアズール先輩は、真っ青な顔でクッションを押しのけて私の顔を覗き込む。
あっ、これ、この言葉でも言い過ぎだったか、と反省してももう遅い。自分が撒いた種だ、誤解はきちんと解かないと。
「っ…ちが…!あの、ご、ごめんなさい、心にもないことを言いました」
「!?」
「冗談、です。私にはアズール先輩だけ」
笑顔が失われた顔に、慈愛の精神を持って指先から優しく触れれば、その手を取って、スリ、と擦り寄ってくる先輩。
きっとこの先も一生涯、私には先輩だけだから。先輩も、私だけ、だったら嬉しいな。
「それに、私がアズール先輩を見ていなかったら、誰に気づいて欲しかったんですか?」
「…ッ」
「私、アズール先輩のことだったらなんでも気づける自信があります。例えばコロン」
「は、」
「もしかしなくても、三種類、使い分けてますよね。このお部屋では少しだけラベンダーが強めの香りがします。でもオンボロ寮に来てくださる時は、もっと爽やかな…海みたいな香りが…多分、ベルガモットとかサイプレスが、混じってる。それから…VIPルームは、もう少し刺激的な、」
「っ…も、もういいです、わかりました。わかり、ましたからっ…!」
それだけ言うと、ポス、と私の肩口に顔を埋めてしまったアズール先輩は、なぜだか耳まで真っ赤に染めて、うう、と一人悶絶している。私に被さるようにして身体を落としてきたので、その背と頭をそっと撫でてみた。指先をすり抜ける柔らかい髪が、背中から伝わる鼓動が、愛おしい。
「先輩…、自分だけがわかると思ってたんですか?」
「っ、う…なんとでも言ってください…」
「前に言ったかもしれませんが、私、香りには敏感な方なんですよ」
「もちろん覚えていましたが、まさか…ここまでとは…」
「ちなみに効用もわかっています。なので、どんな気分で来てくれているのかなって思ったら、嬉しくて…」
そこまで告げると、やっと顔を上げて目線を合わせてくれた先輩は、嬉しい?と小さな声で尋ねてくる。
支配人、相談役、そんなことをしている人でも、女の子の気持ちにはまだまだ疎いみたいで、少しだけ優越感。
「リラックスできたり、気分を少し解放的にしてくれたり、官能的にしてくれたり、海を彷彿とさせてくれたり。これって全部、アズール先輩が私のことをいっぱい考えて、選んでくれたってことだから、嬉しくて涙が出そう」
「…そ…んな風に、思ってもらえて…いるなんて、知りませんでした…」
「だから私、どんなことで試されたって、気づいてみせますよ」
ね、アズール先輩。暗号めいたお誘いも悪くはないけれど、もっとストレートに求めてくれても構わないんですよ。
そんなことを囁けば。あとはそのまま。二人、シーツの間に溺れるだけ。
気付いた時にはそれは私の脳内を蝕むサインとなっていて、逃れられない状況となる。
やはり彼もまた、見た目はあのように麗しいとはいえ、捕食者側で相違いない。
「あ、」
中庭を挟んだ廊下の向こう側にいたのは私の彼、アズール・アーシェングロット先輩だ。
でも、遠くからその姿を認めた時は、いつも声をかけていいものか逡巡する。
それは、恥ずかしがり屋の彼のためでもあり、声をかけるタイミングを間違えたら迷惑かなという自重の気持ちの現れでもあった。
ただし今日は、先輩と少しばかり距離もあるし、眺めているだけなら気づかれることもないだろうとタカを括って思う存分に眺めさせてもらっていたのだが。
視線というものは存外その人の気を引くものである。それに気づいてしまったのか、アズール先輩が突然こちらをパチリと見つめてきた。
あ、マズイと反射的に顔を逸らそうとしたのも束の間、不自然に動いたのは彼の腕。
いつもキッチリ留められている上着のボタンが外されて、右側の下襟あたりに滑った手が、パサリパサリと振られた。それは、暑い時に服をバサバサと振るような、よくある動作である。
アズール先輩は私から目を離さずに、そうして何度か上着を揺すってから、またスッといつものようにボタンをかけ直した。
遠目ではあったが、ニコリと微笑まれた気すらして、気まずさに目を逸らすまで、ほんの5秒もない。
「?!」
一体何を見せられたんだろう。でも。あれは確実に私に向けて行われた所作だった。なぜかそんな確信があった。
(上着…振る…スーツ…ポケット…下襟…うーん…?)
今の動作に関して思いつく言葉を頭の中に並べてみるも、閃くことは何もない。頭を捻りながらも、ふと時計を見れば17時を超えている。こんなことをしている場合じゃなかったと、いくつものクエスチョンマークを頭の隅に追いやって、私はモストロ・ラウンジへとアルバイトに向かった。
時は過ぎてラウンジ終了時刻となった。しかしながら、アズール先輩の挙動がどこかおかしい。
(こういう時は大体ちょっといかがわしいことをしたかったりして、でも言えない時…かな、)
煮え切らない態度をとっているなと微笑ましい気持ちで、どうかしましたかと声をかけると、やっぱり今でなくてもいいような用事を取り付けられて、寮長室へと誘われた。
何か引っかかるところがあったはずなのだが。
けれどそんな些細なことは、一つ目の口付けでどこかへと消え去ってしまった。
*
それからしばらくして、今度は食堂での出来事だった。
いつものメンツで食堂にくると、ランチの受け取り列の中にアズール先輩を見つけた。
向こうも私に気付いたようだったので、「あ」と思ってそのまま手を振ろうとすると、アズール先輩はまたもや、唐突に上着のボタンを外して、パサリパサリとその裾を振る。
(あれ?あの動作前にも一度…)
記憶を振り返ってみれば、確かに前にも同じようなことがあったように思う。
ただ今回は、上着の左側が振られたところが、前と異なる気がしていた。
(…考えすぎだよね)
苦笑が漏れたが、どうにもその動作が頭にチラついて離れない。
その日はアルバイトはなかったので、授業が終わるとまっすぐ寮に帰って予習復習に明け暮れていた。
気づけばマジフトの練習だと言ってグリムを見送ってから三時間ほどが経過しており、外はとっぷり暮れている。
(この調子だと、そのままみんなとご飯でも食べてるんだろうな〜今日は帰ってこないかも…)
一人分の食事の用意は手を抜けるので気楽だな、なんてことを考えつつ、階段を降りて厨房に向かう。
すると、そのタイミングを見計らったかのように、ドアノックがコンコンと鳴った。
こんな時間に誰だろう、と考えるも、グリムがノックをするはずがないし、そうとなればジャックかデュースかもしれない。エースならズカズカと入ってくるだろうから。なんの用事であれ、客人を待たせてはいけないと、パタパタ入り口に向かう。
「はーい!」
「こんばんは」
「え?」
なんと、そう言って顔をのぞかせたのはアズール先輩だった。
思いも寄らない客人に、ぽかんと口を開けてしまったが、別段断る理由もなかったのでそのまま中に入るよう促した。
「夜分にすみません」
「いえ、それは別に構いませんが…どうしたんですか?シフトの相談ですか?」
「あぁ、今日はそのような類のお話ではなく…」
「そうですか?うーん…じゃあ…私に会いに来てくれた!…とか…」
「…!」
「へ?!あ、は、な、なーんちゃっ…て…!す、すみません…出すぎたことを言いました…」
「そうですよ、と言ったら?」
「、へ」
ラウンジの仕事が終わってそのままこちらに出向いてくれたのだろう。先輩はグレーのコートを羽織って、帽子もかぶったままだった。見た目はいつだって隙がなくてかっこいいくせに、ふとしたことで大慌てする姿は可愛くて、ずるい人だと今日も思う。
そんな恋人に、ずい、と一歩、詰め寄られたらと思えば、その整った綺麗な顔に笑みをたたえてこう言われた。
「今日、グリムさんはどちらに?」
「え?グリム、ですか?グリムは多分、マジフトの練習でサバナクロー寮に…」
「そうですか。それは幸甚」
「幸甚って、どうして」
さて、どうしてでしょう?そう言って楽しそうな浮かべたアズール先輩は、艶めかしく私の腰を抱く。
引き寄せられた私は、やんわりと先輩の胸に抱きとめられた。
「ぁ」
「魚と水、ではないですが、貴女と一時でも時間を共有したくて…」
「っ、」
「せっかく二人きりなのだから、僕を入れてくれませんか」
「…い、言い方…がっ!」
「おや、何を想像したのだか。僕は部屋に入れてください、と言ったのですが?」
頭の上から降ってくる控えめな笑い声に、カッとなって思わず顔を上げたら、そのまま唇を奪われてしまった。
もちろんそのまま頂かれたのは言うまでもない。
*
こうなってくると、あることに気づかざるを得なくなった。
それは「上着の振りは夜のお誘いではないか」ということだ。
いやまさか、そんなこと?と思うかもしれないが、こういう時のカンはなんだかんだ当たるものである。
普通ならスマートフォンのアプリを活用したり、その場でお誘いをしたりと他の方法を取るのが一般的だ。でも相手はあのアズール先輩だ。何か「二人だけの秘密」を持ちたがる様子は容易に想像できたし、それを「貴女だけに気づいて欲しいから言わないでいた」と言う姿もまた、想像に難くないのである。
「でも、まだ、二回だし…?」
考えすぎ、と思いたい。それならそれで全然良い。
ただ、三回目があれば真相が明確になるだろう。それを待つのもまた、探偵のようで少し楽しみに感じるから始末が悪い。
「私も大概…絆されちゃってるんだよなぁ…」
クスリと苦笑を漏らした、その時。
ジャストタイミングにも、また上着の合図を送られて、さっきの今で確信を得た私であった。
余談であるが、その仕草をするアズール先輩の横に控えていたリーチ兄弟が、瞬間、ブハッと吹き出したのを、私は見逃さなかった。
その日、夜の帳が降りる頃。
私はアズール先輩の部屋のベッドの上、正確には彼の膝の上に跨がらされた状態で、濃厚なキスの雨を降らされていた。
「ん、ぅ、ふぅ、あ、」
「っ、ンン、はぁ、ん」
あぁ、息ができない。執拗に咥内を舐る舌の動きに、昂ぶる気持ちと蕩ける思考。
このまま流されたらきっと朝まで抱き締めてもらえるに違いない。
けれど、その余韻でぎゅっと寮服を握ったところで、脳がパッと覚醒した。
はふ、と口を離されて「貴女まだまだ息継ぎが下手ですね」と笑われながら柔らかくベッドに押し倒されたところで、今しかないと雑談を投げかける。
その間も、服を脱がす手は止まらないわけだけれど。
「あのっ」
「なんですか?」
「上着っ…」
「?脱がしてくださるんですか?」
「っ違います!その、上着、で、合図、してますよね…、先輩?」
「あぁ、気づいてくださったのですか。割と早かったですね」
「いじわる!です!普通に言ってくださいよ…」
ぷ、と頰を膨らませて唇を突き出すと、チュッと吸われてしまった。
もぉ!と怒れば楽しそうに笑うアズール先輩を見て、なんだか考え込んでいた私がバカみたいだ。
「怒らないでくださいよ。僕、貴女ならわかってくださるって思っていました。見解を伺っても?」
「…っ…上着の右裾をパタパタしたら寮長室。反対の左は、オンボロ寮で。…今夜のお誘い…の、暗号」
「正解です」
「っ私以外の人が先に気づいたらどうするつもりだったんですか…!」
「そうしたらまた考えるまでです」
「も〜!」
なんでこの人こんなにキザっぽくちょっと抜けたことしちゃうんだ、といたたまれなくなってデコラティブクッションをアズール先輩の顔に押し付けても、楽しそうな笑いしか聞こえてこなかったので、少しばかり仕返しをしたいと思った。だけれど冗談でも「嫌いです」なんて言葉は吐きたくないから、自分の中で許される範囲の語彙で抵抗をする。
「…む…お付き合いする人を間違えてしまったかも…」
「貴女何を!!」
効果は覿面。刹那、焦ったアズール先輩は、真っ青な顔でクッションを押しのけて私の顔を覗き込む。
あっ、これ、この言葉でも言い過ぎだったか、と反省してももう遅い。自分が撒いた種だ、誤解はきちんと解かないと。
「っ…ちが…!あの、ご、ごめんなさい、心にもないことを言いました」
「!?」
「冗談、です。私にはアズール先輩だけ」
笑顔が失われた顔に、慈愛の精神を持って指先から優しく触れれば、その手を取って、スリ、と擦り寄ってくる先輩。
きっとこの先も一生涯、私には先輩だけだから。先輩も、私だけ、だったら嬉しいな。
「それに、私がアズール先輩を見ていなかったら、誰に気づいて欲しかったんですか?」
「…ッ」
「私、アズール先輩のことだったらなんでも気づける自信があります。例えばコロン」
「は、」
「もしかしなくても、三種類、使い分けてますよね。このお部屋では少しだけラベンダーが強めの香りがします。でもオンボロ寮に来てくださる時は、もっと爽やかな…海みたいな香りが…多分、ベルガモットとかサイプレスが、混じってる。それから…VIPルームは、もう少し刺激的な、」
「っ…も、もういいです、わかりました。わかり、ましたからっ…!」
それだけ言うと、ポス、と私の肩口に顔を埋めてしまったアズール先輩は、なぜだか耳まで真っ赤に染めて、うう、と一人悶絶している。私に被さるようにして身体を落としてきたので、その背と頭をそっと撫でてみた。指先をすり抜ける柔らかい髪が、背中から伝わる鼓動が、愛おしい。
「先輩…、自分だけがわかると思ってたんですか?」
「っ、う…なんとでも言ってください…」
「前に言ったかもしれませんが、私、香りには敏感な方なんですよ」
「もちろん覚えていましたが、まさか…ここまでとは…」
「ちなみに効用もわかっています。なので、どんな気分で来てくれているのかなって思ったら、嬉しくて…」
そこまで告げると、やっと顔を上げて目線を合わせてくれた先輩は、嬉しい?と小さな声で尋ねてくる。
支配人、相談役、そんなことをしている人でも、女の子の気持ちにはまだまだ疎いみたいで、少しだけ優越感。
「リラックスできたり、気分を少し解放的にしてくれたり、官能的にしてくれたり、海を彷彿とさせてくれたり。これって全部、アズール先輩が私のことをいっぱい考えて、選んでくれたってことだから、嬉しくて涙が出そう」
「…そ…んな風に、思ってもらえて…いるなんて、知りませんでした…」
「だから私、どんなことで試されたって、気づいてみせますよ」
ね、アズール先輩。暗号めいたお誘いも悪くはないけれど、もっとストレートに求めてくれても構わないんですよ。
そんなことを囁けば。あとはそのまま。二人、シーツの間に溺れるだけ。