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時間が僕らを何者でもなくしてくれると思っていたけれど、仕事を終えた火の球はこちらに見向きもしないし、巣へ帰る烏も尾を引かない。僕たちは”何者でもなくなる”ことはなくて、今日も変わらず、時間に追われる学生だ。彼らは常に容赦ない。その中で生きる僕たちなんて、ちっぽけな虫程度でもないのだろう。
背後で、夕刻を告げる鐘が鳴った。
「最近、すごく早く感じませんか?」
「何がだい?」
「時間が経つの。」
気付いたら夜なの。すっごく変な気分です。なんだかもったいない。
ハードカバーを膝に乗せ、一対の目が空を向く。終ぞ1ページも進むことが無かったという事実を、僕は知っている。
ちろりと揺れる後れ毛が、彼女の耳を撫でた。
「それだけ充実しているということだね」
「おお……なるほど」
雲を映した硝子玉がそのままこちらへ降りてくる。大したことを言ったつもりは無いけれど、図らずも手に入れた彼女の視線に悪い気はしない。
「確かに、先輩とお話してるの楽しいもんなぁ」
「ボクも、キミといると時間を忘れてしまうよ」
「私、先輩と過ごす時間、好きです。」
「それは光栄だね」
「リドル先輩は?」
「キミと同じだよ」
「好きって言ってくれないんだ。」
膨れる頬もほんの一瞬、ぷすっと空気が抜ければ口元はやけにご機嫌で、目じりに朱を添えた笑みは悪だくみを覚えた子どもそのもので。ベンチの下で足が2本、ぶらぶらと揺れて影を伸ばす。
「ボクも、この時間が愛しいと思うよ」
赤い毛先が頬を滑って、くすぐったくて仕方がない。
「ふふ、先輩真っ赤」
「……首をはねてしまおうか?」
「どうぞご随意に、女王陛下」
「全く、本当に減らない口だね」
「そんなところもお好きでしょう?」
「ああそうだね、そんなところもキミの魅力だ」
「また”好き”って言ってくれない!」
「今日は随分と甘えただね、あなた」
どこぞの誰とまではいかないが、それでもそこそこ忙 しく詰められたスケジュールへどうにか捻じ込む、この夕間暮れの刹那が、僕はひどく愛 しく、同時に愛 しい。幸せに溺れるほど同じように増してしまう感情に、言いようのない恐怖を感じてしまう。彼女との会話がひとつ終わる度、太陽もまたひとつ、誰の許可もなく宵闇へカウントダウンを減らしてしまう。
時計の針を噛み砕こうとは思わないが、素直にそれが実行できそうな、素行の悪い天才気質の気分屋を思い出して、今この時だけは、少しだけ羨ましく思った。
「私は、先輩と過ごすこの時間も、先輩のことも、大好きですよ」
ゆるく垂れる横髪をすくうと、ぬるい頬がぴとり、猫のようにすり寄ってくる。太陽の色を吸った、夕さり色。
大好きなんです。
噛み締めるように繰り返した言葉に、伏せた睫毛が影を伸ばす。へにゃりと垂れた眉に、目じりに、ああ、これはと、ほぞを噛んだ。
彼女が求めるこたえを、僕は知っている。知っているからこそ、口を噤むことしか出来ない。ずるい僕はそうして、ありがとう、とだけ返した。
実際は、自分が傷つきたくないだけなんだろうなと思う。深追いをして、繋ぎ止めたい。この手を解かないでほしい。そう願っても、いつか必ずやって来てしまうだろうその別れに、弱い僕はきっと、耐えられない。
僕も、君のことが大好きだよ。
何時かを最後に伝えることをやめてしまったその言葉は、今もまだ、喉につかえたまま。外側へは出てこない。
「……帰りたくないって言ったら、付き合ってくれます?」
「ボクに女王の法律を破らせる気かい?」
「あは、リドル先輩だぁ」
「そうだよ、ボクがリドル・ローズハートだ」
「私はあなたです」
「知っているよ、あなた。」
「ほんとうに?」
「もちろん。キミは、健気で勇気のあるお転婆娘。怖いもの知らずのオンボロ寮の監督生だ。」
「お転婆は余計ですよ」
いつもより大仰に振る舞った僕にけらけらと破顔する彼女を見て、安堵する。喉にしこりは残ったままだけれど、僕が苦しいだけなら、我慢できる。
…・・・ごめんね。
無理やりに、唾を呑み下した。
“帰りたくない”とわらう彼女と、”帰したくない”と泣く僕の望むところはきっと同じなのだろうなと。いつからか、薄ぼんやりとわかるようになってしまった。敏い彼女の事だ。彼女の方も、僕のそれに気付いているだろう。僕は、隠し事が得意ではない。
それでも僕は、いまだ答え合わせを出来ずにいる。たとえお互いの歯車がかちりと噛み合ったとしても、いつかの最後、その夕暮れを、僕らは避けることが出来ない。わかっているからこそ、ずっとこのまま、変わらない平行線の上で、今日も”別れ”を告げようとしている。
帰したくなんてない。閉じ込めてしまいたい。人目に触れない場所へ。僕だけの君。臓器の一かけらも残さずに、愛でて、愛して。叶うならば、なんて、泡沫の夢物語だ。朝と夜の境目。夕暮れの一瞬。
境界が曖昧になるこの時分は、感情さえ入り乱れてしまって、良くない。
そこまでわかっていてもなお、帰ろう、の一言を口にできない僕は、少しの期待を込めて、彼女に訊ねるのだ。どうする、と。
「そうですねぇ」
間延びした声が宙に溶ける。もう解けないでと願った視線はいとも簡単に外れ、手のひらから温度が離れていく。宙ぶらりんな僕の右手を余所に、バーントアンバーの踵が2回、硬い地面をノックした。
「大変不本意ではありますが。」
とん、と飛んで、ふあり。その場でくるりと器用に廻って、見慣れた瞳が僕を見下ろす。深く息を吸って、しっかり1秒。
帰りましょう?
綺麗な弧月を作った口が、事も無げにそう言った。
変わり身の早い百面相。塗り替えられた表情に、形の無い言葉に。ああそうだねと、肯定するしかないいつかの自分を重ねて。瞼の裏にこっそり、涙を隠した。
「私、夕焼けも好きなんです」
ちょうどこのくらいの時間の!
石畳を歩くお転婆娘が、両腕を広げて大きく1歩、前へ飛ぶ。ほら、とこちらを振り返る彼女が、背後に太陽を背負った。
「見てください!こうすると、リドル先輩とお揃いになるんです」
自分の髪をひと房すくって、ぱらぱらと零していく。
きれいなあかいろ。
そう、うっそりと笑んだ瞳がやけに遠い気がして、髪をすべらす手首を捕まえた。
しまった、と思う前に、彼女が目を丸くする。指の下で、細い血管が小さく脈打つ。
僕は、バツが悪くて、赤く焼けた石畳へ視線を投げた。
「ボク以外の赤に染まってしまう君を見るのは、その……すこし、寂しいな、って」
こういうとき、いの一番に声をあげそうな人が静かになると、人間、どうしても不安をあおられるものだ。自分で引いた防衛ラインを勝手に越えて、勝手に居た堪れなくなって。情けないなとは思うけれど、視線を合わせることも憚られて、どうかどうかと、彼女の声を待つ。
どれくらい待ったかなんてわからない。今の僕は、時間の感覚が狂っている。
1秒。1分。1時間。そのどれとも取れる長い時間の末。太陽だけはその場を動かずに。
聞こえてきたのは、憫笑でも嗤笑でもなく、酷く優しい、柔らかな声だった。
「先輩、重いなぁ」
なんだ。私のこと、大好きじゃないですか。そう、掴んだ手を解かれて、細い指が絡まる。わずかな隙間さえ惜しいと、きゅっと、手のひらまでぴったり肌を重ねて。こつん、と額を寄せたのは、僕からか、彼女からか。
数センチ先で細められた彼女の瞳は、今まで見た中でも一等煌めいて見えた。
「……こんなボクは嫌いかい?」
「さぁ? どうでしょう」
知りたいですか、と小さく笑う彼女に、そうだねと返す。自分でも驚くぐらい取り繕えていない声に、彼女がまたひとり、ふふ、と音を零す。こんなに幸せそうな顔で笑っているのに、いじわるなことを言う。あまり僕をからかわないでと懇願すれば、そんな先輩も可愛いですよと追い打ちをかけられた。今日は、彼女も僕も、とても気分屋のようだ。
「そうですね……好きか嫌いかはさておいて。」
こつん、と。鼻がぶつかる。
そこで初めて、彼女の瞳がいつもより潤んでいることに気付いた。自分はドライアイなんだと目を瞬かせていた彼女を覚えているから、これはもしかして、泣いているのだろうか。どうして? 何に対して?
彼女の映す世界にあわせて、小さな湖面が揺れた。
「そこも、先輩の魅力の1つですね」
ぱしりと合わさった瞼の隙間から、溢れた涙が零れた。この近さでさすがに気付かれていないとは思っていないだろうに、拭ってあげようとした手を、冷え性な指先が強く諫める。どうかこのまま、気付かないふりをしてと、引き結んだ唇が言外に乞い願っている気がして。僕は少し、安心してしまった。
ああそうか。君も、僕と同じなんだね。
「好きとは言ってくれないんだね」
「先輩も言ってくれませんでした」
「じゃあ、おあいこだ」
「ええそうです、おあいこですよ」
互いの瞳に互いが映る、たった2人だけの小さな世界。息を吸えば相手の声さえ飲み込んでしまえるのに、いくら耳を澄ましたとて聞こえない心音に、やはり僕らは交われないと感じてしまうけれど。いつまで続くか分からないこの日常も、もうしばらくは、耐えられそうだ。
幸せだと感じる時間こそ音もなく過ぎ去ってしまう。それでも、このひどく曖昧で、無責任で、たたけば折れてしまいそうな刹那の秒針にだって、身を任せてしまっても良いと。そう思えてしまうくらい、“僕ら”は僕らの時間を、等しく愛しいと思っている。だからお願い。この時間だけはどうか、惜しむほどの愛 しい気持ちに、気付かないで、笑っていて。
―――そう願ったのは、どちらが先か。
「さっきの、答えだけれどね」
柔らかな猫毛を耳にかける。されるがままの彼女は、くすぐったそうに、睫毛を震わせた。
同じがあるのは嬉しい。でもやっぱり。不安は、哀しみは、少ない方が良い。
「キミを連れ去るなら、だれにもばれない、ローズガーデンの奥が良いな」
叶うならば、夕焼けさえも僕らを見失う。深い深い、迷路の奥。
少女のように笑った彼女が、いたずらを隠すように口付ける。
「薔薇のお色は、赤じゃないと嫌ですよ」
太陽から隠れたぬくい頬は、今度は確かに、僕の色をしていた。
背後で、夕刻を告げる鐘が鳴った。
「最近、すごく早く感じませんか?」
「何がだい?」
「時間が経つの。」
気付いたら夜なの。すっごく変な気分です。なんだかもったいない。
ハードカバーを膝に乗せ、一対の目が空を向く。終ぞ1ページも進むことが無かったという事実を、僕は知っている。
ちろりと揺れる後れ毛が、彼女の耳を撫でた。
「それだけ充実しているということだね」
「おお……なるほど」
雲を映した硝子玉がそのままこちらへ降りてくる。大したことを言ったつもりは無いけれど、図らずも手に入れた彼女の視線に悪い気はしない。
「確かに、先輩とお話してるの楽しいもんなぁ」
「ボクも、キミといると時間を忘れてしまうよ」
「私、先輩と過ごす時間、好きです。」
「それは光栄だね」
「リドル先輩は?」
「キミと同じだよ」
「好きって言ってくれないんだ。」
膨れる頬もほんの一瞬、ぷすっと空気が抜ければ口元はやけにご機嫌で、目じりに朱を添えた笑みは悪だくみを覚えた子どもそのもので。ベンチの下で足が2本、ぶらぶらと揺れて影を伸ばす。
「ボクも、この時間が愛しいと思うよ」
赤い毛先が頬を滑って、くすぐったくて仕方がない。
「ふふ、先輩真っ赤」
「……首をはねてしまおうか?」
「どうぞご随意に、女王陛下」
「全く、本当に減らない口だね」
「そんなところもお好きでしょう?」
「ああそうだね、そんなところもキミの魅力だ」
「また”好き”って言ってくれない!」
「今日は随分と甘えただね、あなた」
どこぞの誰とまではいかないが、それでもそこそこ
時計の針を噛み砕こうとは思わないが、素直にそれが実行できそうな、素行の悪い天才気質の気分屋を思い出して、今この時だけは、少しだけ羨ましく思った。
「私は、先輩と過ごすこの時間も、先輩のことも、大好きですよ」
ゆるく垂れる横髪をすくうと、ぬるい頬がぴとり、猫のようにすり寄ってくる。太陽の色を吸った、夕さり色。
大好きなんです。
噛み締めるように繰り返した言葉に、伏せた睫毛が影を伸ばす。へにゃりと垂れた眉に、目じりに、ああ、これはと、ほぞを噛んだ。
彼女が求めるこたえを、僕は知っている。知っているからこそ、口を噤むことしか出来ない。ずるい僕はそうして、ありがとう、とだけ返した。
実際は、自分が傷つきたくないだけなんだろうなと思う。深追いをして、繋ぎ止めたい。この手を解かないでほしい。そう願っても、いつか必ずやって来てしまうだろうその別れに、弱い僕はきっと、耐えられない。
僕も、君のことが大好きだよ。
何時かを最後に伝えることをやめてしまったその言葉は、今もまだ、喉につかえたまま。外側へは出てこない。
「……帰りたくないって言ったら、付き合ってくれます?」
「ボクに女王の法律を破らせる気かい?」
「あは、リドル先輩だぁ」
「そうだよ、ボクがリドル・ローズハートだ」
「私はあなたです」
「知っているよ、あなた。」
「ほんとうに?」
「もちろん。キミは、健気で勇気のあるお転婆娘。怖いもの知らずのオンボロ寮の監督生だ。」
「お転婆は余計ですよ」
いつもより大仰に振る舞った僕にけらけらと破顔する彼女を見て、安堵する。喉にしこりは残ったままだけれど、僕が苦しいだけなら、我慢できる。
…・・・ごめんね。
無理やりに、唾を呑み下した。
“帰りたくない”とわらう彼女と、”帰したくない”と泣く僕の望むところはきっと同じなのだろうなと。いつからか、薄ぼんやりとわかるようになってしまった。敏い彼女の事だ。彼女の方も、僕のそれに気付いているだろう。僕は、隠し事が得意ではない。
それでも僕は、いまだ答え合わせを出来ずにいる。たとえお互いの歯車がかちりと噛み合ったとしても、いつかの最後、その夕暮れを、僕らは避けることが出来ない。わかっているからこそ、ずっとこのまま、変わらない平行線の上で、今日も”別れ”を告げようとしている。
帰したくなんてない。閉じ込めてしまいたい。人目に触れない場所へ。僕だけの君。臓器の一かけらも残さずに、愛でて、愛して。叶うならば、なんて、泡沫の夢物語だ。朝と夜の境目。夕暮れの一瞬。
境界が曖昧になるこの時分は、感情さえ入り乱れてしまって、良くない。
そこまでわかっていてもなお、帰ろう、の一言を口にできない僕は、少しの期待を込めて、彼女に訊ねるのだ。どうする、と。
「そうですねぇ」
間延びした声が宙に溶ける。もう解けないでと願った視線はいとも簡単に外れ、手のひらから温度が離れていく。宙ぶらりんな僕の右手を余所に、バーントアンバーの踵が2回、硬い地面をノックした。
「大変不本意ではありますが。」
とん、と飛んで、ふあり。その場でくるりと器用に廻って、見慣れた瞳が僕を見下ろす。深く息を吸って、しっかり1秒。
帰りましょう?
綺麗な弧月を作った口が、事も無げにそう言った。
変わり身の早い百面相。塗り替えられた表情に、形の無い言葉に。ああそうだねと、肯定するしかないいつかの自分を重ねて。瞼の裏にこっそり、涙を隠した。
「私、夕焼けも好きなんです」
ちょうどこのくらいの時間の!
石畳を歩くお転婆娘が、両腕を広げて大きく1歩、前へ飛ぶ。ほら、とこちらを振り返る彼女が、背後に太陽を背負った。
「見てください!こうすると、リドル先輩とお揃いになるんです」
自分の髪をひと房すくって、ぱらぱらと零していく。
きれいなあかいろ。
そう、うっそりと笑んだ瞳がやけに遠い気がして、髪をすべらす手首を捕まえた。
しまった、と思う前に、彼女が目を丸くする。指の下で、細い血管が小さく脈打つ。
僕は、バツが悪くて、赤く焼けた石畳へ視線を投げた。
「ボク以外の赤に染まってしまう君を見るのは、その……すこし、寂しいな、って」
こういうとき、いの一番に声をあげそうな人が静かになると、人間、どうしても不安をあおられるものだ。自分で引いた防衛ラインを勝手に越えて、勝手に居た堪れなくなって。情けないなとは思うけれど、視線を合わせることも憚られて、どうかどうかと、彼女の声を待つ。
どれくらい待ったかなんてわからない。今の僕は、時間の感覚が狂っている。
1秒。1分。1時間。そのどれとも取れる長い時間の末。太陽だけはその場を動かずに。
聞こえてきたのは、憫笑でも嗤笑でもなく、酷く優しい、柔らかな声だった。
「先輩、重いなぁ」
なんだ。私のこと、大好きじゃないですか。そう、掴んだ手を解かれて、細い指が絡まる。わずかな隙間さえ惜しいと、きゅっと、手のひらまでぴったり肌を重ねて。こつん、と額を寄せたのは、僕からか、彼女からか。
数センチ先で細められた彼女の瞳は、今まで見た中でも一等煌めいて見えた。
「……こんなボクは嫌いかい?」
「さぁ? どうでしょう」
知りたいですか、と小さく笑う彼女に、そうだねと返す。自分でも驚くぐらい取り繕えていない声に、彼女がまたひとり、ふふ、と音を零す。こんなに幸せそうな顔で笑っているのに、いじわるなことを言う。あまり僕をからかわないでと懇願すれば、そんな先輩も可愛いですよと追い打ちをかけられた。今日は、彼女も僕も、とても気分屋のようだ。
「そうですね……好きか嫌いかはさておいて。」
こつん、と。鼻がぶつかる。
そこで初めて、彼女の瞳がいつもより潤んでいることに気付いた。自分はドライアイなんだと目を瞬かせていた彼女を覚えているから、これはもしかして、泣いているのだろうか。どうして? 何に対して?
彼女の映す世界にあわせて、小さな湖面が揺れた。
「そこも、先輩の魅力の1つですね」
ぱしりと合わさった瞼の隙間から、溢れた涙が零れた。この近さでさすがに気付かれていないとは思っていないだろうに、拭ってあげようとした手を、冷え性な指先が強く諫める。どうかこのまま、気付かないふりをしてと、引き結んだ唇が言外に乞い願っている気がして。僕は少し、安心してしまった。
ああそうか。君も、僕と同じなんだね。
「好きとは言ってくれないんだね」
「先輩も言ってくれませんでした」
「じゃあ、おあいこだ」
「ええそうです、おあいこですよ」
互いの瞳に互いが映る、たった2人だけの小さな世界。息を吸えば相手の声さえ飲み込んでしまえるのに、いくら耳を澄ましたとて聞こえない心音に、やはり僕らは交われないと感じてしまうけれど。いつまで続くか分からないこの日常も、もうしばらくは、耐えられそうだ。
幸せだと感じる時間こそ音もなく過ぎ去ってしまう。それでも、このひどく曖昧で、無責任で、たたけば折れてしまいそうな刹那の秒針にだって、身を任せてしまっても良いと。そう思えてしまうくらい、“僕ら”は僕らの時間を、等しく愛しいと思っている。だからお願い。この時間だけはどうか、惜しむほどの
―――そう願ったのは、どちらが先か。
「さっきの、答えだけれどね」
柔らかな猫毛を耳にかける。されるがままの彼女は、くすぐったそうに、睫毛を震わせた。
同じがあるのは嬉しい。でもやっぱり。不安は、哀しみは、少ない方が良い。
「キミを連れ去るなら、だれにもばれない、ローズガーデンの奥が良いな」
叶うならば、夕焼けさえも僕らを見失う。深い深い、迷路の奥。
少女のように笑った彼女が、いたずらを隠すように口付ける。
「薔薇のお色は、赤じゃないと嫌ですよ」
太陽から隠れたぬくい頬は、今度は確かに、僕の色をしていた。