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あなたのいた世界では、それはお決まり中のお決まりな御伽噺であったけれど、このツイステッドワンダーランドでは、そういう「お決まり」は通用しないらしかった。
当たり前のように存在する空飛ぶ箒の存在に魔法薬に錬金術。それらを学ぶのが学生の領分というのだから頭を抱えていた…のも近いようで遠い昔だ。
あなたも今では、そんなとんでもないと思っていた授業に参加し、みなと一緒にこってり先生に絞られ、テストを受け、評価されるという毎日を送っているのだから、慣れとは怖いものである。
さて。今は、そんな面白くも大変な授業の中でもとびきり穏やかでない魔法薬学の時間。
担当のクルーウェルの声が高らかに響いた。
「いいか仔犬ども!相手の命を預かっていると思って作れ!」
箒に乗れなくても自己責任。
錬金術でおかしなものを作っても自己責任。
歴史の授業で覚えきれなかったことがあっても自己責任。
でもこの授業だけは、ペア相手に薬を使うもしくは使われる、というところが最大級にスリリングでイカれたところだった。
今日のあなたのペアは、デュース。
安全牌のようで、案外やらかすのがたまに傷。そんなペアだ。けれど気心知れた仲なので、やりやすいことは事実で、いつもよりは心穏やかだ。
そんな今回の課題は、かの有名な「drink me juice」つまり「身体を小さくする薬」の生成だった。
「よし!できたぞ監督生!」
『うん、これは自信有りだね!クルーウェル先生の言ってたとおり薄い水色になったし、香りもほんのり甘いもん、きっと成功だよ!』
「だな!…で…どっちが飲む?」
『…』
「…」
「『最初はグー!ジャンケン!ポイ!』」
「っしゃー!!」
『アーーーーーッ!!』
がくん、とくずおれたあなたの膝。
天に向けてあげられるデュースの拳。
勝負あり。飲むのはあなたで決定だった。
いくら一緒に作ったと言っても、相手を信じていても、その効果が一日もつかもたないかの軽いものだとしても、やはり怖いものは怖いと、毎度あなたは思う。
隣のグループにいたエースの相手は、体だけが縮んで頭はそのままの大きさを保つというなんとも奇妙な結果を出していた。
それを見てしまった後だから余計に足がすくむのも仕方がないのだけれど、それでも足踏みをしているだけでは、課題は勝手には終わらない。
あなたは覚悟を決めて、手に取った小瓶の中にある飲み物を、デュースの大きな目に見つめられながら一気飲みした。
ごくりと喉が鳴る。
1秒、2秒…5秒…10秒…
「なにも…変化がないな」
『嘘…失敗?今日も居残り?!』
「本当か?少しは何か感じたりしないのか監督生」
『うん…今の所なにも…っ!?』
「?」
あなたに変化がなく「居残り学習」という言葉が頭をちらつき始めた直後、突如その変化は始まった。
ぐらり。
あなたは、脳みそを直接揺らされたようなおかしな感覚に襲われた。身体が垂直に保てない。
様子がおかしなことに素早く反応したデュースが「おい!どうした監督生!」と叫ぶ声が、あなたの耳に遠く聞こえた。
それから数分後。
『ん…』
「あっ監督生!!大丈夫か…?!」
「お前ら自信満々だった割に結果がヒドイんだゾ」
「おーいあなた、魔力もないのにオバブロすんなー」
「仔犬、俺たちのことはわかるか?」
『…おにぃちゃんたち、だれ?』
「「「「え??????」」」」
あなたの目が覚めて初の一声に、その場にいた全員が固まってしまったのは言うまでもない。
「…見た所、身体に変化はないようだ。中身だけが退化している状態だな。どの調合を誤ったらこんなものが出来上がるんだ。ある意味天才だぞデュース・スペード」
「あざっす!」
「デュース、今のは褒められてねぇって」
「あなた~。もう俺様を離すんだゾ…」
『や!ぐーちゃんはあたしの!』
「「ぐーちゃん!!」」
結論として、デュースとあなたのチームは、魔法薬の生成に失敗したのだった。
薬を飲み干したあなたは、外見はそのままだが、中身、つまり精神年齢だけが若年齢化していた。
クルーウェルの見立てによれば、ほかっておいても一日とかからず元に戻るだろうとのことで、現にエースの相方の体はもう元に戻っていたし、誤りはなさそうだ。
ただ、二十四時間経っても元に戻る気配がなければ、研究室に連れて来いと言われたところが、少しの不安要素ではある。
そうこうしているうちに、無謀にも授業の終わりを告げるチャイムが鳴ったので、後片付けをしながら今後のことを憂う。幸いこれは本日最後の授業であり、そのままハーツラビュル寮に帰ることで意見は一致した。
そうして長い廊下で歩を進める、三人と一匹。
「どーすんのこれ…」
「どうするもこうするも、たった一日だ。俺たちで面倒を見るしかないだろう…」
「たち、って勝手に巻き込むのやめてもらえるデュースくん」
「エースはじゃあ、こんな監督生を放っとくって言うのか?」
「そうは言わねぇけどさ!でも俺、子供の世話なんて…」
「おや、あなたさんじゃないですか。」
「「!!」」
その声を耳にすれば、自然と聞こえてくるイソギンチャクの音。
なぜ今このタイミングでここにコイツらが。そんなことを思っても、魔法でもなんでもない実体なのだから消えたりはしない。
デュースとエースとそれからグリムの背後には、今、身長190cmの男が二人と、その壁に挟まれた眼鏡が一人立っていた。
あなたがそのままの姿でいれば、あるいは逃げることも叶ったかもしれないが、その頼みの綱はデュースの腕に引っ付いて、グリムから手を離さない状況だからどうにもならない。
「貴女どうしたんですか。いくら仲が良いクラスメイトでも、さすがにその距離感はおかしいのでは?」
「小エビちゃん、いつの間にそんなおめでたいことになったの?」
「水くさいですね、教えてくださればパーティーを引き受けましたのに」
落ち着いているようで、滲み出る嫉妬。
少し強めの言葉にすら、振り返ることがないあなた。
イラ、と相手の眉が歪んだのが目に入り、デュースは引きつった顔であなたの肩を叩いて振り向くように促した。
「か、監督生。ちょっとだけ、いいかな」
『なぁに?』
「うん、あのな、この人達も監督生とお話がしたいって」
『あたしとおはなし?だれかしら!』
しっかりした声色にその緩やかな台詞があまりにもミスマッチで、その場に不思議な空気が流れる。
振り向いたあなたの表情は、大人のそれではなかった。
「…あの、これは一体?」
「実は今日の魔法薬学の授業で…」
『あっ!おとーさん!』
「は??」
「え?アズールいつ子供作ったの」
「アズール…そんなにも手が早かったなんて…今日でも宴は間に合いますか?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよどう見てもこの方自身があなたさんではないですか!変なことを言うな!」
『これ!おとーさんといっしょよ!』
「へ…?め…がね?」
おとーさん!と呼ばれて目を点にしたアズールから眼鏡を取り上げ、頭の上にかざしたあなたは、きゃっきゃと声を上げる。
その間に腕の中から逃げ出したグリムは一目散にどこかに逃げてしまった。騒然となる一同。遅ればせながら始まる説明。
かくかくしかじか。
デュースは、ことの顛末を細かく三人に伝える。
「なるほどね~じゃあこれ、小さい頃の小エビちゃんみたいなもんってこと~?」
「器用な薬を作ったものですね」
『おにーちゃんたち、おっきいね!』
「あ?あー…うん。俺たちでけーけど、小エビちゃんがちっちぇえのもあるから」
『あたしちっちゃい?』
「そうですねぇ。小さいと思いますよ」
『じゃあおっきくなるにはどーしたらいいのっ』
「おっきくぅ?んじゃあこうしたげるね」
『わ!』
次の瞬間、ぐわっと持ち上げられたあなたの身体は、一瞬宙を舞って、ストンとフロイドの肩の上に収まった。
いわゆる肩車をされたあなたは、途端に目を輝かせて辺りを見回す。
『すごいすごい!!おにーちゃんすごい!!』
「おにーちゃんじゃないよ、俺はフロイドって名前があんの」
『ふろいど!ふろいどはすごいんだね!!』
「!!小エビちゃんに呼び捨てされるのって新鮮!そ~!俺はすごいんだよ~」
『おっきいしー、ちからもちでー、かみがきれーでー、かっこいー!』
「あはー!めっちゃ褒めるじゃん、小エビちゃんは可愛いよー』
「おや。フロイドだけ抜け駆けはずるいですよ。あなたさん、僕はジェイドと言います。よろしくお願いしますね」
そう言ったジェイドが、マジカルペンを一振りすると、あなたの周りにキラキラと星のような光が舞った。
フロイドとはまた違ったアプローチにあなたの目はさらに見開き、ワァ…!と感嘆の声が上がる。
『きらきらだぁ!じぇーどすごーい!どうやったの?』
「ふふ、秘密ですよ」
『ひみつ…しー、なのね。わかった』
ジェイドがした、唇に指を当てるジェスチャーを真似て、あなたもシーっとする。微笑むあなたがあまりにも純粋で、一瞬目を奪われたジェイドは、パチパチと瞬きしたあと、フ、と笑ってその手を取り、その指にキスを落とした。
「可愛いお姫様ですね」
『!!』
「次は僕の腕の中に来てくださいませんか?」
『ッ…じぇーどはおーじさまなの?』
「そうだと言ったらどうしますか」
『ふろいど、おろして?』
「…ジェイド、ずるくねーそれは」
「言ったもの勝ち、ですよフロイド」
フロイドの肩から降りてジェイドにお姫様抱っこされたあなた。大人しくジェイドの首に抱きついて、にこにことピアスを指で弄んでいた。
中身は幼児と言えども、姿はいつもどおりのため、周りを歩く他の生徒たちが、ヒソヒソと、監督生はリーチ兄弟の彼女なのか、とか、いやいやあれは監督生側が女王かも、とか、野暮な声が上がりはじめている。
ちなみに、デュースとエースは、隙をついて逃げていったのでもうこの辺りに姿はなかった。監督生の面倒をみなければという責任も、この三人を前にしては砂塵のように儚く散るというものだ。
さて、一方その様子をポカンと見つめるしかできなかったアズールは、今更ハッとするが少し出遅れた感は否めない。
サラッと返されていた眼鏡の位置を正しながら忙しく考えていた。
背の高さや力ではリーチ兄弟には敵わない。
魔法は、今となっては二番煎じだ。
どうする?どうすれば…?
あなたを見つめていると、ふと、その丸い瞳がアズールを捉えた。
『ねーねーふろいど』
「ん?何」
『あの、おとーさんのひと、おともだち?ひとりはかわいそーだよ』
「おとーさんのひと…ああ、アズールね」
『あずーる』
「そ…アズールゥ!!なにしてんの、早くきなよー!小エビちゃんが呼んでるよー!」
『あずーるー!はやくー!』
「!!」
いつも、先輩先輩、と呼ぶ口が、アズール、と名前だけをハッキリと発音した。それだけのことが、こんなに嬉しいなんて。
トクリと、胸が高鳴るのに気づかないふりをして、アズールはその声に応えた。
「呼ばれなくとも、今行きますよ!」
三人はそうして、当たり前のようにあなたを連れたままモストロ・ラウンジに直行したのだった。
モストロ・ラウンジは紳士の社交場と銘打たれているが、だからと言って性別で入場を制限してはいない。
と、いうわけで、堂々と窓際の特等席に連れてこられたあなたは、ここぞとばかりにチヤホヤされながら海の景色に夢中になっていた。ちなみに、今はジェイドの膝の上に座らされている。
『ねぇじぇーど、あれはなに?あっあれはわかるよ!かめさんでしょ!』
「よく知っていましたね、偉いですよあなたさん」
『えへへー!』
「小エビちゃん、特別にお子様ランチ作ったんだけど食う?」
『わぁ!ありがとうふろいど!なんでもできるのね!すごい!』
「俺は天才だからぁ~」
「やる気満々ですねフロイドも」
「ジェイドもじゃん。てか、なんかこの小エビちゃん、いつも以上にほっとけなくね?」
なんだかあどけないあなたをよしよしなでなで。一人の女の子を後ろから囲い横から支えというこの図は、端的に異質だった。
チラチラと目線を送られるも、相手があのリーチ兄弟では、声をかけられる人間はそう多くはいない。
「はい小エビちゃん、あーん」
『ふろいど、あたし、ひとりでごはんくらいたべれるよ』
「ふーん?じゃあこの特製ランチはあげねぇー」
『えっ、どうして?ふろいどがつくったのたべたい』
「じゃあ、あーん、してよ。ね?」
『へんなの…あーんしてもらうのは、ちいさいこだけっておかーさんがいってたよ』
「あなたさん、良いことを教えてさしあげましょうか」
『なぁに?』
ニヤ、と悪い顔をしたジェイドの説明は、あまりにもナンセンス。
「いいですか?これは秘密なのですが…大人の世界では好きな人を相手になら、食べ物を食べさせてもいいのです」
『えっそうなの?!』
「…言うねぇ…。ま、そう言うことだよ小エビちゃん。俺はぁ、小エビちゃんのことだーいすきだから、食べさせてあげたいなぁー」
「ですね。フロイドから食べさせてもらったら、次は僕からもさせてください」
『ふろいどもじぇーども、あたしのことすきなの?』
純粋な瞳が、二人のオッドアイを交互に見つめる。その顎を取って、自分の方を向けさせたジェイドは、にっこりと笑って言った。
「もちろん、好」
「ジェイド、フロイド!油を売っていないで働きなさい!」
「おや、いいところでしたのに」
「あ~あ。残念~。」
『あずーるだっ!』
あなたは、その声に反応してぴょこっとジェイドの膝から飛び上がり、かけていくとアズールの身体に体当たりしていった。
その衝撃で倒れることはなかったが、ビクッ!と硬直したアズールは「あ、あ、あ」と壊れたスピーカーのように声をあげ、頭から湯気を出す。しかしながら、今のあなたにはその意味を理解することはできない。
『あずーる、あずーる、聞いて!』
「はっ…えっ、な、な、なんです、かっ」
『こっちこっち』
「へ…」
ちょいちょいと呼ばれた指にひかれて少し屈んだアズールの耳に手を添えて、あなたがこっそり言う。
『あずーるはしってる?おとなは、すきなひとにはあーんするんだって…!』
「は?」
『だからふろいどとじぇーどにしてもらったら、あずーるにもしてあげるね!ないしょだよ!』
言い終わるとパッと離れて、いそいそとジェイドの膝の上に戻っていったあなたは、収まるところに収まった後、再度アズールの方に目を向けて、しーっ、とジェスチャーした。
それに続いて、ジェイドとフロイドもニヤニヤといやらしい笑みを浮かべてアズールを見る。
「な、な、」
「あーあ、アズール壊れてら」
「内緒話程度で情けないですねぇ。はい、あなたさん、あーん」
『あー…ん、んん…!ん~!おいしー!』
「んじゃ次は俺ねー。はい小エビちゃん、あ~ん」
『あ~~ん…んぐング…たまごがふわふわしてるー!ふろいどはてんさいね!』
「よくできました~。そんじゃ、次は小エビちゃんがやる番ね」
『うん!…あずーる!』
「!」
様子をじっと伺っていたアズールの名前を、あなたが呼ぶ。
お子様ランチの傍に乗っていた唐揚げを一つフォークに刺して、スッと伸ばされた腕。
『あーん』
「……」
『…あずーる?』
「小エビちゃん、アズールいらないみたいだよ」
「ほんとですねぇ。せっかくあなたさんがあーんしているのに可哀想に」
『あずーるはあたしのことすきじゃないの…?』
「き、嫌いなんかじゃありませんよ!!むしろす」
うる、とみるみるその目に薄い膜が張っていくのを見て慌てて弁解しようとするも、周りを固める双子の視線がアズールを襲うから決まりが悪い。
「す」から先を飲み込んで、グググ、と唇をかんだ。その様子にさらに笑みを深くした双子は全く同じ表情で声をかける。
「す、なんでしょう?」
「スゥ~~~って何アズール?」
「っ~~!」
「ほらほら言っちゃえ~」
「あぁ、あなたさん。あなたさんはアズールのことが好きだから食べさせてあげたいんですよね?」
『う、…うん』
「では、まずは言葉を伝えてあげてください。アズールは疑り深いので食べさせてもらうだけでは嫌だそうですよ」
『えっ…』
「はい?!」
「フゥン?」
その言葉に顔を赤くしたのがアズールだけではなかったのに、フロイドが少し目を見開いた。
これはもしかして、もしかすると、と勘が冴える。
アズールオーバーブロッド事件から急速に仲を深めたあなたとアズール・ジェイド・フロイドは、確かに三人揃ってあなたのことを好意的な存在と位置付けて可愛がっていた。
ただ、アズールがあなたに向ける感情と、ジェイドとフロイドがあなたに抱く感情は少し異なった方向性であることもまた明白な事実で。すなわちそれは、仲間意識や先輩後輩との交流とは違って、恋心だった。
アズール自身は、そもそもそう言った気持ちに鈍感であるがゆえ気づいていないようなので面白おかしく見守っていたのだが、もしかして、あなた側も好意を抱いているのではないか?という確信めいた何かがぴこぴこと脳内に点滅する。
これが変な魔法薬のせいでなければ。魔法薬さえ飲まされていなければ。
でも通常モードのあなたが好意丸出しの反応を示すような人間でないことも想像に難くなかったので、これはこれでよかったのか。
一人で悶々とし始めてしまったフロイドとは打って変わって、ジェイドは割と冷静にこの状況を捉えていた。
なぜってそれは。
ほんの数秒前に、あなたの魔法薬の効果が解けていたせいである。
魔法薬が解けたその瞬間、状況を察して慌ててジェイドの膝から退こうとしたあなたを、ジェイドは腹に回していたその腕で力一杯押しとどめ、その耳に囁いた。
「魔法薬が解けていないふりをしろ」と。そう、それは囁きなどという甘いものではなく、ほとんど命令に近かった。
フロイドがアズールの気持ちを察していたように、ジェイドもまたそれに気づいており、見守るだけでは面白くないなと思っていた矢先にこんなに楽しめるイベントに出くわしたのだから、巻き込まれる以外の選択肢は存在しなかったのだ。
「今までのことは覚えていますか」
『…恥ずかしながら、すべて…』
「そうですか、それは都合が良い。魔法薬が解けていないふりをしてください。あなたに拒否権はありません」
『…この状態ですからそうでしょうね』
そんな会話がなされていたことなど、アズールは知る由もなかった。
そして「す」と言われることを予想していなかったあなたはあなたで、その先の言葉を察して、真っ赤になってしまったのも致し方なかったのだ。
「ほら、早く言ってあげてください。どうして食べさせてあげたかったんです?」
『っ、そ、れは』
「それは?」
『わ、たし…が、アズール先輩を、』
「…ちょっと待ってください。貴女、もう魔法薬の効果が切れていませんか?」
『!!』
あなたの腕を引っ張り立ち上がらせると、その目をじっと覗き込んだアズール。
それを見て、もうこれ以上は騙せないなと見越したジェイドは両手を掲げてお手上げのポーズをし、フロイドもなぁんだと言いながら自分の出したお子様ランチを自分で頬張り始めた。
アズールは大きなため息を一つつくと、そのままあなたの腕を引いてツカツカと奥のVIPルームへと消えていった。
残された双子が、目を見合わせて吹き出したのは、言うまでもない。
「いつからです?」
『えっと…アズール先輩に唐揚げを差し出したあたりから徐々に…です。』
「っそれはそれは一番最悪なタイミングで戻ってくれましたね?!」
『もっ、戻りたくて戻ったわけじゃないんです!!』
「えぇそうでしょう!そうでしょうとも!ですが僕にとって最悪であった事実に変わりはありません!」
VIPルームに入った途端、扉に手をついてアズールに囲われてしまったあなたの身体の前には、苦々しそうに、しかし、恥ずかしさから薄紅に染まったままの頬で、言葉を吐き出すアズールの姿がある。
あなたとてそこまで鈍感ではない。こんな態度を取られてしまっては、アズールの気持ちは筒抜けだった。
けれど向けられたその気持ちは、あなたがアズールに対して抱いていたものと同じだったのが幸いと喜び、また、これをどう伝えれば良いのか悩むのも致し方ない。
(あの時バレずに言えていたら、あるいは楽だったのかもしれないけれど、それはそれで卑怯な手段だから)
そう考え、覚悟を決めたあなたは、右往左往させていた瞳をアズールへと固定させた。
少しひるむアズール。
対峙するあなた。
「な、んですか」
『アズール先輩。不可抗力だったとしても騙したことは謝ります。ただ…』
「ただ…なんですか…。騙されていた僕のことを嘲笑いたいとでも言うんですか?」
『違います。…ただ…っ…私は、アズール先輩に、食べて欲しかったです』
「え?」
『ジェイド先輩の言っていたことは信じるにも値しませんが、私の気持ちは信じてください。私は、アズール先輩が好きだから』
「!?」
『ファーストバイトじゃないですが、決死の覚悟でした。…食べて…欲しかった、です…』
最後の言葉を言い終えた途端、コトン、とアズールの頭があなたの首元に落ちてきた。そして一言。
「僕だって、食べたかったですよ…大好きな唐揚げを、貴女から差し出されたんですから」
『じゃあ、どうして』
「…人前では、嫌です…恥ずかしい…。笑いたければ笑ってください」
『二人きりのときならいいんですか?』
「…まぁ…」
『じ、じゃあ、その……えっと…』
「?」
突然言い淀んだあなたに違和感を覚えて、落としていた首を立ち上げれば、それを機に、真っ赤なあなたが思い切ったように言葉を吐き出した。
『わ、私』
「え?」
『私、を、食べてみません、か?あっ、味は、保証できませんがっ!!』
「は?」
『見られるのが嫌なら、私も目を、瞑るので!』
きゅ、と瞑られた瞳。
少し上を向いた顎。
止まるのは思考。
このまま、
このままいただいてしまえば。
既成事実というものであなたを囲ってしまえるのではないか?
アズールの頭には、一瞬邪な考えもよぎったが。
ピン!
『いたっ!』
あなたに落ちてきたのは、キスではなく、デコピンだった。
「相手の思惑通りに動くなんてまっぴらです。あなたを手に入れるのは、他でもない僕ですが、僕は僕のタイミングであなたの全てをいただきますので」
『?!』
「翻弄されるだけは、性分に合いません。翻弄は、する側でないと。ねぇ?」
先程までのアズールはどこへやら。
いつもの調子に戻ってから、ふとあなたの手を取り、その甲に口づけをした。
今度はあなたがビクリと身体を硬直させる番だ。
「一生逃がしませんよ?この僕を弄んだ罪は重い。責任をもって償ってくださいね。」
『ズルくないですか?!それにもとはといえばアズール先輩があんな風になるから!』
「何がズルいものか。あぁ、これは契約ではないですからね。ご褒美はもちろんさしあげますよ、いい子にしていれば、少しずつ、ね。」
『な、生殺しじゃないですかそれ…』
「最終的には全部手に入る、簡単なことでしょう?」
頑張ってくださいね。
一言、ありふれた激励の言葉をかけたアズールは、VIPルームの扉を開けて、あなたを出ていくように促した。
すごすごと出ていくあなたは、扉を閉めた後、アズールがしかばねのように扉を伝い、ズルズルと床まで溶け落ちたのを知ることはなかった。
こんな、何もかもが御伽話のような世界にも恋だの愛だの駆け引きだの、ありふれたお話がある。
ということはもしかしたらそのありふれたお話もまた、一種の御伽話なのかもしれない、なんて。
当たり前のように存在する空飛ぶ箒の存在に魔法薬に錬金術。それらを学ぶのが学生の領分というのだから頭を抱えていた…のも近いようで遠い昔だ。
あなたも今では、そんなとんでもないと思っていた授業に参加し、みなと一緒にこってり先生に絞られ、テストを受け、評価されるという毎日を送っているのだから、慣れとは怖いものである。
さて。今は、そんな面白くも大変な授業の中でもとびきり穏やかでない魔法薬学の時間。
担当のクルーウェルの声が高らかに響いた。
「いいか仔犬ども!相手の命を預かっていると思って作れ!」
箒に乗れなくても自己責任。
錬金術でおかしなものを作っても自己責任。
歴史の授業で覚えきれなかったことがあっても自己責任。
でもこの授業だけは、ペア相手に薬を使うもしくは使われる、というところが最大級にスリリングでイカれたところだった。
今日のあなたのペアは、デュース。
安全牌のようで、案外やらかすのがたまに傷。そんなペアだ。けれど気心知れた仲なので、やりやすいことは事実で、いつもよりは心穏やかだ。
そんな今回の課題は、かの有名な「drink me juice」つまり「身体を小さくする薬」の生成だった。
「よし!できたぞ監督生!」
『うん、これは自信有りだね!クルーウェル先生の言ってたとおり薄い水色になったし、香りもほんのり甘いもん、きっと成功だよ!』
「だな!…で…どっちが飲む?」
『…』
「…」
「『最初はグー!ジャンケン!ポイ!』」
「っしゃー!!」
『アーーーーーッ!!』
がくん、とくずおれたあなたの膝。
天に向けてあげられるデュースの拳。
勝負あり。飲むのはあなたで決定だった。
いくら一緒に作ったと言っても、相手を信じていても、その効果が一日もつかもたないかの軽いものだとしても、やはり怖いものは怖いと、毎度あなたは思う。
隣のグループにいたエースの相手は、体だけが縮んで頭はそのままの大きさを保つというなんとも奇妙な結果を出していた。
それを見てしまった後だから余計に足がすくむのも仕方がないのだけれど、それでも足踏みをしているだけでは、課題は勝手には終わらない。
あなたは覚悟を決めて、手に取った小瓶の中にある飲み物を、デュースの大きな目に見つめられながら一気飲みした。
ごくりと喉が鳴る。
1秒、2秒…5秒…10秒…
「なにも…変化がないな」
『嘘…失敗?今日も居残り?!』
「本当か?少しは何か感じたりしないのか監督生」
『うん…今の所なにも…っ!?』
「?」
あなたに変化がなく「居残り学習」という言葉が頭をちらつき始めた直後、突如その変化は始まった。
ぐらり。
あなたは、脳みそを直接揺らされたようなおかしな感覚に襲われた。身体が垂直に保てない。
様子がおかしなことに素早く反応したデュースが「おい!どうした監督生!」と叫ぶ声が、あなたの耳に遠く聞こえた。
それから数分後。
『ん…』
「あっ監督生!!大丈夫か…?!」
「お前ら自信満々だった割に結果がヒドイんだゾ」
「おーいあなた、魔力もないのにオバブロすんなー」
「仔犬、俺たちのことはわかるか?」
『…おにぃちゃんたち、だれ?』
「「「「え??????」」」」
あなたの目が覚めて初の一声に、その場にいた全員が固まってしまったのは言うまでもない。
「…見た所、身体に変化はないようだ。中身だけが退化している状態だな。どの調合を誤ったらこんなものが出来上がるんだ。ある意味天才だぞデュース・スペード」
「あざっす!」
「デュース、今のは褒められてねぇって」
「あなた~。もう俺様を離すんだゾ…」
『や!ぐーちゃんはあたしの!』
「「ぐーちゃん!!」」
結論として、デュースとあなたのチームは、魔法薬の生成に失敗したのだった。
薬を飲み干したあなたは、外見はそのままだが、中身、つまり精神年齢だけが若年齢化していた。
クルーウェルの見立てによれば、ほかっておいても一日とかからず元に戻るだろうとのことで、現にエースの相方の体はもう元に戻っていたし、誤りはなさそうだ。
ただ、二十四時間経っても元に戻る気配がなければ、研究室に連れて来いと言われたところが、少しの不安要素ではある。
そうこうしているうちに、無謀にも授業の終わりを告げるチャイムが鳴ったので、後片付けをしながら今後のことを憂う。幸いこれは本日最後の授業であり、そのままハーツラビュル寮に帰ることで意見は一致した。
そうして長い廊下で歩を進める、三人と一匹。
「どーすんのこれ…」
「どうするもこうするも、たった一日だ。俺たちで面倒を見るしかないだろう…」
「たち、って勝手に巻き込むのやめてもらえるデュースくん」
「エースはじゃあ、こんな監督生を放っとくって言うのか?」
「そうは言わねぇけどさ!でも俺、子供の世話なんて…」
「おや、あなたさんじゃないですか。」
「「!!」」
その声を耳にすれば、自然と聞こえてくるイソギンチャクの音。
なぜ今このタイミングでここにコイツらが。そんなことを思っても、魔法でもなんでもない実体なのだから消えたりはしない。
デュースとエースとそれからグリムの背後には、今、身長190cmの男が二人と、その壁に挟まれた眼鏡が一人立っていた。
あなたがそのままの姿でいれば、あるいは逃げることも叶ったかもしれないが、その頼みの綱はデュースの腕に引っ付いて、グリムから手を離さない状況だからどうにもならない。
「貴女どうしたんですか。いくら仲が良いクラスメイトでも、さすがにその距離感はおかしいのでは?」
「小エビちゃん、いつの間にそんなおめでたいことになったの?」
「水くさいですね、教えてくださればパーティーを引き受けましたのに」
落ち着いているようで、滲み出る嫉妬。
少し強めの言葉にすら、振り返ることがないあなた。
イラ、と相手の眉が歪んだのが目に入り、デュースは引きつった顔であなたの肩を叩いて振り向くように促した。
「か、監督生。ちょっとだけ、いいかな」
『なぁに?』
「うん、あのな、この人達も監督生とお話がしたいって」
『あたしとおはなし?だれかしら!』
しっかりした声色にその緩やかな台詞があまりにもミスマッチで、その場に不思議な空気が流れる。
振り向いたあなたの表情は、大人のそれではなかった。
「…あの、これは一体?」
「実は今日の魔法薬学の授業で…」
『あっ!おとーさん!』
「は??」
「え?アズールいつ子供作ったの」
「アズール…そんなにも手が早かったなんて…今日でも宴は間に合いますか?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよどう見てもこの方自身があなたさんではないですか!変なことを言うな!」
『これ!おとーさんといっしょよ!』
「へ…?め…がね?」
おとーさん!と呼ばれて目を点にしたアズールから眼鏡を取り上げ、頭の上にかざしたあなたは、きゃっきゃと声を上げる。
その間に腕の中から逃げ出したグリムは一目散にどこかに逃げてしまった。騒然となる一同。遅ればせながら始まる説明。
かくかくしかじか。
デュースは、ことの顛末を細かく三人に伝える。
「なるほどね~じゃあこれ、小さい頃の小エビちゃんみたいなもんってこと~?」
「器用な薬を作ったものですね」
『おにーちゃんたち、おっきいね!』
「あ?あー…うん。俺たちでけーけど、小エビちゃんがちっちぇえのもあるから」
『あたしちっちゃい?』
「そうですねぇ。小さいと思いますよ」
『じゃあおっきくなるにはどーしたらいいのっ』
「おっきくぅ?んじゃあこうしたげるね」
『わ!』
次の瞬間、ぐわっと持ち上げられたあなたの身体は、一瞬宙を舞って、ストンとフロイドの肩の上に収まった。
いわゆる肩車をされたあなたは、途端に目を輝かせて辺りを見回す。
『すごいすごい!!おにーちゃんすごい!!』
「おにーちゃんじゃないよ、俺はフロイドって名前があんの」
『ふろいど!ふろいどはすごいんだね!!』
「!!小エビちゃんに呼び捨てされるのって新鮮!そ~!俺はすごいんだよ~」
『おっきいしー、ちからもちでー、かみがきれーでー、かっこいー!』
「あはー!めっちゃ褒めるじゃん、小エビちゃんは可愛いよー』
「おや。フロイドだけ抜け駆けはずるいですよ。あなたさん、僕はジェイドと言います。よろしくお願いしますね」
そう言ったジェイドが、マジカルペンを一振りすると、あなたの周りにキラキラと星のような光が舞った。
フロイドとはまた違ったアプローチにあなたの目はさらに見開き、ワァ…!と感嘆の声が上がる。
『きらきらだぁ!じぇーどすごーい!どうやったの?』
「ふふ、秘密ですよ」
『ひみつ…しー、なのね。わかった』
ジェイドがした、唇に指を当てるジェスチャーを真似て、あなたもシーっとする。微笑むあなたがあまりにも純粋で、一瞬目を奪われたジェイドは、パチパチと瞬きしたあと、フ、と笑ってその手を取り、その指にキスを落とした。
「可愛いお姫様ですね」
『!!』
「次は僕の腕の中に来てくださいませんか?」
『ッ…じぇーどはおーじさまなの?』
「そうだと言ったらどうしますか」
『ふろいど、おろして?』
「…ジェイド、ずるくねーそれは」
「言ったもの勝ち、ですよフロイド」
フロイドの肩から降りてジェイドにお姫様抱っこされたあなた。大人しくジェイドの首に抱きついて、にこにことピアスを指で弄んでいた。
中身は幼児と言えども、姿はいつもどおりのため、周りを歩く他の生徒たちが、ヒソヒソと、監督生はリーチ兄弟の彼女なのか、とか、いやいやあれは監督生側が女王かも、とか、野暮な声が上がりはじめている。
ちなみに、デュースとエースは、隙をついて逃げていったのでもうこの辺りに姿はなかった。監督生の面倒をみなければという責任も、この三人を前にしては砂塵のように儚く散るというものだ。
さて、一方その様子をポカンと見つめるしかできなかったアズールは、今更ハッとするが少し出遅れた感は否めない。
サラッと返されていた眼鏡の位置を正しながら忙しく考えていた。
背の高さや力ではリーチ兄弟には敵わない。
魔法は、今となっては二番煎じだ。
どうする?どうすれば…?
あなたを見つめていると、ふと、その丸い瞳がアズールを捉えた。
『ねーねーふろいど』
「ん?何」
『あの、おとーさんのひと、おともだち?ひとりはかわいそーだよ』
「おとーさんのひと…ああ、アズールね」
『あずーる』
「そ…アズールゥ!!なにしてんの、早くきなよー!小エビちゃんが呼んでるよー!」
『あずーるー!はやくー!』
「!!」
いつも、先輩先輩、と呼ぶ口が、アズール、と名前だけをハッキリと発音した。それだけのことが、こんなに嬉しいなんて。
トクリと、胸が高鳴るのに気づかないふりをして、アズールはその声に応えた。
「呼ばれなくとも、今行きますよ!」
三人はそうして、当たり前のようにあなたを連れたままモストロ・ラウンジに直行したのだった。
モストロ・ラウンジは紳士の社交場と銘打たれているが、だからと言って性別で入場を制限してはいない。
と、いうわけで、堂々と窓際の特等席に連れてこられたあなたは、ここぞとばかりにチヤホヤされながら海の景色に夢中になっていた。ちなみに、今はジェイドの膝の上に座らされている。
『ねぇじぇーど、あれはなに?あっあれはわかるよ!かめさんでしょ!』
「よく知っていましたね、偉いですよあなたさん」
『えへへー!』
「小エビちゃん、特別にお子様ランチ作ったんだけど食う?」
『わぁ!ありがとうふろいど!なんでもできるのね!すごい!』
「俺は天才だからぁ~」
「やる気満々ですねフロイドも」
「ジェイドもじゃん。てか、なんかこの小エビちゃん、いつも以上にほっとけなくね?」
なんだかあどけないあなたをよしよしなでなで。一人の女の子を後ろから囲い横から支えというこの図は、端的に異質だった。
チラチラと目線を送られるも、相手があのリーチ兄弟では、声をかけられる人間はそう多くはいない。
「はい小エビちゃん、あーん」
『ふろいど、あたし、ひとりでごはんくらいたべれるよ』
「ふーん?じゃあこの特製ランチはあげねぇー」
『えっ、どうして?ふろいどがつくったのたべたい』
「じゃあ、あーん、してよ。ね?」
『へんなの…あーんしてもらうのは、ちいさいこだけっておかーさんがいってたよ』
「あなたさん、良いことを教えてさしあげましょうか」
『なぁに?』
ニヤ、と悪い顔をしたジェイドの説明は、あまりにもナンセンス。
「いいですか?これは秘密なのですが…大人の世界では好きな人を相手になら、食べ物を食べさせてもいいのです」
『えっそうなの?!』
「…言うねぇ…。ま、そう言うことだよ小エビちゃん。俺はぁ、小エビちゃんのことだーいすきだから、食べさせてあげたいなぁー」
「ですね。フロイドから食べさせてもらったら、次は僕からもさせてください」
『ふろいどもじぇーども、あたしのことすきなの?』
純粋な瞳が、二人のオッドアイを交互に見つめる。その顎を取って、自分の方を向けさせたジェイドは、にっこりと笑って言った。
「もちろん、好」
「ジェイド、フロイド!油を売っていないで働きなさい!」
「おや、いいところでしたのに」
「あ~あ。残念~。」
『あずーるだっ!』
あなたは、その声に反応してぴょこっとジェイドの膝から飛び上がり、かけていくとアズールの身体に体当たりしていった。
その衝撃で倒れることはなかったが、ビクッ!と硬直したアズールは「あ、あ、あ」と壊れたスピーカーのように声をあげ、頭から湯気を出す。しかしながら、今のあなたにはその意味を理解することはできない。
『あずーる、あずーる、聞いて!』
「はっ…えっ、な、な、なんです、かっ」
『こっちこっち』
「へ…」
ちょいちょいと呼ばれた指にひかれて少し屈んだアズールの耳に手を添えて、あなたがこっそり言う。
『あずーるはしってる?おとなは、すきなひとにはあーんするんだって…!』
「は?」
『だからふろいどとじぇーどにしてもらったら、あずーるにもしてあげるね!ないしょだよ!』
言い終わるとパッと離れて、いそいそとジェイドの膝の上に戻っていったあなたは、収まるところに収まった後、再度アズールの方に目を向けて、しーっ、とジェスチャーした。
それに続いて、ジェイドとフロイドもニヤニヤといやらしい笑みを浮かべてアズールを見る。
「な、な、」
「あーあ、アズール壊れてら」
「内緒話程度で情けないですねぇ。はい、あなたさん、あーん」
『あー…ん、んん…!ん~!おいしー!』
「んじゃ次は俺ねー。はい小エビちゃん、あ~ん」
『あ~~ん…んぐング…たまごがふわふわしてるー!ふろいどはてんさいね!』
「よくできました~。そんじゃ、次は小エビちゃんがやる番ね」
『うん!…あずーる!』
「!」
様子をじっと伺っていたアズールの名前を、あなたが呼ぶ。
お子様ランチの傍に乗っていた唐揚げを一つフォークに刺して、スッと伸ばされた腕。
『あーん』
「……」
『…あずーる?』
「小エビちゃん、アズールいらないみたいだよ」
「ほんとですねぇ。せっかくあなたさんがあーんしているのに可哀想に」
『あずーるはあたしのことすきじゃないの…?』
「き、嫌いなんかじゃありませんよ!!むしろす」
うる、とみるみるその目に薄い膜が張っていくのを見て慌てて弁解しようとするも、周りを固める双子の視線がアズールを襲うから決まりが悪い。
「す」から先を飲み込んで、グググ、と唇をかんだ。その様子にさらに笑みを深くした双子は全く同じ表情で声をかける。
「す、なんでしょう?」
「スゥ~~~って何アズール?」
「っ~~!」
「ほらほら言っちゃえ~」
「あぁ、あなたさん。あなたさんはアズールのことが好きだから食べさせてあげたいんですよね?」
『う、…うん』
「では、まずは言葉を伝えてあげてください。アズールは疑り深いので食べさせてもらうだけでは嫌だそうですよ」
『えっ…』
「はい?!」
「フゥン?」
その言葉に顔を赤くしたのがアズールだけではなかったのに、フロイドが少し目を見開いた。
これはもしかして、もしかすると、と勘が冴える。
アズールオーバーブロッド事件から急速に仲を深めたあなたとアズール・ジェイド・フロイドは、確かに三人揃ってあなたのことを好意的な存在と位置付けて可愛がっていた。
ただ、アズールがあなたに向ける感情と、ジェイドとフロイドがあなたに抱く感情は少し異なった方向性であることもまた明白な事実で。すなわちそれは、仲間意識や先輩後輩との交流とは違って、恋心だった。
アズール自身は、そもそもそう言った気持ちに鈍感であるがゆえ気づいていないようなので面白おかしく見守っていたのだが、もしかして、あなた側も好意を抱いているのではないか?という確信めいた何かがぴこぴこと脳内に点滅する。
これが変な魔法薬のせいでなければ。魔法薬さえ飲まされていなければ。
でも通常モードのあなたが好意丸出しの反応を示すような人間でないことも想像に難くなかったので、これはこれでよかったのか。
一人で悶々とし始めてしまったフロイドとは打って変わって、ジェイドは割と冷静にこの状況を捉えていた。
なぜってそれは。
ほんの数秒前に、あなたの魔法薬の効果が解けていたせいである。
魔法薬が解けたその瞬間、状況を察して慌ててジェイドの膝から退こうとしたあなたを、ジェイドは腹に回していたその腕で力一杯押しとどめ、その耳に囁いた。
「魔法薬が解けていないふりをしろ」と。そう、それは囁きなどという甘いものではなく、ほとんど命令に近かった。
フロイドがアズールの気持ちを察していたように、ジェイドもまたそれに気づいており、見守るだけでは面白くないなと思っていた矢先にこんなに楽しめるイベントに出くわしたのだから、巻き込まれる以外の選択肢は存在しなかったのだ。
「今までのことは覚えていますか」
『…恥ずかしながら、すべて…』
「そうですか、それは都合が良い。魔法薬が解けていないふりをしてください。あなたに拒否権はありません」
『…この状態ですからそうでしょうね』
そんな会話がなされていたことなど、アズールは知る由もなかった。
そして「す」と言われることを予想していなかったあなたはあなたで、その先の言葉を察して、真っ赤になってしまったのも致し方なかったのだ。
「ほら、早く言ってあげてください。どうして食べさせてあげたかったんです?」
『っ、そ、れは』
「それは?」
『わ、たし…が、アズール先輩を、』
「…ちょっと待ってください。貴女、もう魔法薬の効果が切れていませんか?」
『!!』
あなたの腕を引っ張り立ち上がらせると、その目をじっと覗き込んだアズール。
それを見て、もうこれ以上は騙せないなと見越したジェイドは両手を掲げてお手上げのポーズをし、フロイドもなぁんだと言いながら自分の出したお子様ランチを自分で頬張り始めた。
アズールは大きなため息を一つつくと、そのままあなたの腕を引いてツカツカと奥のVIPルームへと消えていった。
残された双子が、目を見合わせて吹き出したのは、言うまでもない。
「いつからです?」
『えっと…アズール先輩に唐揚げを差し出したあたりから徐々に…です。』
「っそれはそれは一番最悪なタイミングで戻ってくれましたね?!」
『もっ、戻りたくて戻ったわけじゃないんです!!』
「えぇそうでしょう!そうでしょうとも!ですが僕にとって最悪であった事実に変わりはありません!」
VIPルームに入った途端、扉に手をついてアズールに囲われてしまったあなたの身体の前には、苦々しそうに、しかし、恥ずかしさから薄紅に染まったままの頬で、言葉を吐き出すアズールの姿がある。
あなたとてそこまで鈍感ではない。こんな態度を取られてしまっては、アズールの気持ちは筒抜けだった。
けれど向けられたその気持ちは、あなたがアズールに対して抱いていたものと同じだったのが幸いと喜び、また、これをどう伝えれば良いのか悩むのも致し方ない。
(あの時バレずに言えていたら、あるいは楽だったのかもしれないけれど、それはそれで卑怯な手段だから)
そう考え、覚悟を決めたあなたは、右往左往させていた瞳をアズールへと固定させた。
少しひるむアズール。
対峙するあなた。
「な、んですか」
『アズール先輩。不可抗力だったとしても騙したことは謝ります。ただ…』
「ただ…なんですか…。騙されていた僕のことを嘲笑いたいとでも言うんですか?」
『違います。…ただ…っ…私は、アズール先輩に、食べて欲しかったです』
「え?」
『ジェイド先輩の言っていたことは信じるにも値しませんが、私の気持ちは信じてください。私は、アズール先輩が好きだから』
「!?」
『ファーストバイトじゃないですが、決死の覚悟でした。…食べて…欲しかった、です…』
最後の言葉を言い終えた途端、コトン、とアズールの頭があなたの首元に落ちてきた。そして一言。
「僕だって、食べたかったですよ…大好きな唐揚げを、貴女から差し出されたんですから」
『じゃあ、どうして』
「…人前では、嫌です…恥ずかしい…。笑いたければ笑ってください」
『二人きりのときならいいんですか?』
「…まぁ…」
『じ、じゃあ、その……えっと…』
「?」
突然言い淀んだあなたに違和感を覚えて、落としていた首を立ち上げれば、それを機に、真っ赤なあなたが思い切ったように言葉を吐き出した。
『わ、私』
「え?」
『私、を、食べてみません、か?あっ、味は、保証できませんがっ!!』
「は?」
『見られるのが嫌なら、私も目を、瞑るので!』
きゅ、と瞑られた瞳。
少し上を向いた顎。
止まるのは思考。
このまま、
このままいただいてしまえば。
既成事実というものであなたを囲ってしまえるのではないか?
アズールの頭には、一瞬邪な考えもよぎったが。
ピン!
『いたっ!』
あなたに落ちてきたのは、キスではなく、デコピンだった。
「相手の思惑通りに動くなんてまっぴらです。あなたを手に入れるのは、他でもない僕ですが、僕は僕のタイミングであなたの全てをいただきますので」
『?!』
「翻弄されるだけは、性分に合いません。翻弄は、する側でないと。ねぇ?」
先程までのアズールはどこへやら。
いつもの調子に戻ってから、ふとあなたの手を取り、その甲に口づけをした。
今度はあなたがビクリと身体を硬直させる番だ。
「一生逃がしませんよ?この僕を弄んだ罪は重い。責任をもって償ってくださいね。」
『ズルくないですか?!それにもとはといえばアズール先輩があんな風になるから!』
「何がズルいものか。あぁ、これは契約ではないですからね。ご褒美はもちろんさしあげますよ、いい子にしていれば、少しずつ、ね。」
『な、生殺しじゃないですかそれ…』
「最終的には全部手に入る、簡単なことでしょう?」
頑張ってくださいね。
一言、ありふれた激励の言葉をかけたアズールは、VIPルームの扉を開けて、あなたを出ていくように促した。
すごすごと出ていくあなたは、扉を閉めた後、アズールがしかばねのように扉を伝い、ズルズルと床まで溶け落ちたのを知ることはなかった。
こんな、何もかもが御伽話のような世界にも恋だの愛だの駆け引きだの、ありふれたお話がある。
ということはもしかしたらそのありふれたお話もまた、一種の御伽話なのかもしれない、なんて。