2025VD

 バルバトスが魔界を出て、人間界に来てから数年が経った。春居の婿養子のような形で旅館を任され、もちろんソツなくこなして早くから従業員にも馴染んでいる。
 そんなバルバトスからの提案で、今年は旅館でもバレンタインイベントをやることになった。
 みなで迷いに迷ったが、最終的には老若男女、みな好きそうだ、みなが楽しめそうだ、ということから二つのプランが採用された。ひとつは、チェックイン時に一輪の花に見立てたチョコレートをお渡しすること。もう一つは毎夜マショマロチョコフォンデュをやること、である。
 これが大当たりで、どこかの誰かのSNS書き込みが大バズりしたらしく、連日満室大賑わいとなってしまった。売り上げとしては嬉しい限りだけれど、そもそもこの時期に旅行しにくる人が少ないせいで人員が不足しがち。てんやわんや。特にチョコフォンデュへの集まりは、当日はこれまでの比ではなく、全ての片付けが終わったのは日付が変わってからであった。つまり、自分たちはバレンタインを楽しむ余裕があるわけがなく、その上凹んでいる間も無く当日を迎えてしまった。
「チョコ、用意とか、おもってた、わたしが、ばか、だった……」
 ばたり。従業員が皆自室へ引き上げたのち、帳簿をつけながら机にへたった春居は一人しくしく。
 そしてそこに現れるのはもちろん夫である。
「お疲れ様でした」
「!」
 コトリとさしだされたのはホットチョコレート。旅館には少々似合わないかと思われたが、今の疲れた春居になによりも効くスイーツだ。よくわかっている。さすがはバルバトス。
「ばるばとすぅ……」
「大盛況でしたね」
「もーほんとに、今までにないくらい!みんな、嬉しいやら驚くやらでギアのかけかたもわからずヘトヘトよ。バルバトスもお疲れ様……だとは思うけど、変わらないのは相変わらずね」
 春居の隣に座り、いつもと変わらぬ微笑みを浮かべるので尊敬せざるを得ないと苦笑する。
「長い年月ですから、わたくしの人生は」
「ふふ、それもそうね。酸いも甘いも、ってやつ」
「ええ」
 ふーふーコクリ、と、冷ましながら喉に流し込むホットチョコは、身体に染み渡る。
「あぁーおいしぃー……!」
「それから、こちらも」
 渡された小ぶりの箱の中身を推測できない春居ではない。開ける前に、頭を下げる始末だ。
「ごめん!バルバトス、私、今年はチョコ用意できなかったの……っ!」
「開口一番が謝罪とは、あなたらしい」
「だってぇ……バレンタインといえば、女が渡すのが普通なのよ、人間界、特に日本では」
「わたくしたちの常識にはそのようなものはございませんので、お気になさらず」
「そう言われても……」
「そうですか。では、」
 膝の上に揃えられていた手を恭しく取って、その甲に口付けをひとつ。あまりに所作が美しいので見惚れてしまった春居の目を覚ますためか、バルバトスは流れるようにそのまま頬にもキスを。すぐに我に返った春居はぽっと顔を赤らめた。
「!?」
「そんなに期待されては困ります」
「きっ……?!、ッ、期待……するわよ……そりゃぁ……」
「嬉しい限りです」
「っ……どして?」
「聞かなくともわかるでしょう?わたくしが、男として見てもらえている証拠だからですよ。それで、わたくしはこのままバレンタインのお返し、またはごほうびをいただけるのでしょうか?」
 その返事は、春居から贈られたキス一つ。
 満足そうにキスにキスを返したバルバトスは、春居を抱き上げて自室へと消えた。
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