obm V!
「疲れてる時には甘いものも必要だからね。俺も時々キャンディやチョコを食べるよ」
いつだったかこんなことを言っていた気がする。その時は、少し意外だと思った。
たいてい彼が手に持っているカップは墨汁を垂らしたような真っ黒な水面を覗かせていて、それを見る度にこちらまで渋い顔になってしまう。
以前、「一口飲む?」と言われて軽率に口をつけたが最後、舌の上に飲み物にはあるまじき痺れを覚えてからは彼のカップの中身に興味を持つことをやめた。意識を手放しながら「さっき俺が淹れたんだけど、結構美味しいだろ?」と楽しそうに話していたことは覚えている。その中で、珈琲を淹れるのすらままならないのか……と恐怖を抱いたことも。
そして今日もまた並々と黒い液体が注がれているカップを傍らに、目の前の彼──ソロモンは無心で魔術書の頁を捲る。
この時間帯のRADの食堂は使う生徒が少なく閑散としている。多少人の出入りがあるものの、本を読む程度には集中ができる。飲食禁止の図書館とは違って、小腹がすいたらおやつをつまめるのも魅力的な利点のひとつだ。
今まさに三人組の生徒が部屋を後にし、完全に貸し切り状態となった。食堂には私たちの紙を捲る乾いた音だけが響いている。
私は小さく息を吐いて、手元の本に落としていた視線をわきの手提げ袋へと滑らせた。
今日どうしても片付けなければならない重大な任務が私にはある。ルシファーあたりに相談したら「くだらないな」と嘲笑されるかもしれない。それを想像してさらに気が重くなった。
ずんと沈んだ気持ちの中、今度は視線を目の前に座る透き通った銀髪に向けた。
頁を移動する度、伏し目がちな瞳がこちらを向いてくれないかと期待している自分がいるのが憎たらしい。彼の魔法に対する熱心さは誰から見ても目を見張るものがある。その関心を少しでも私に向けてくれないものか、と──。
「ふう。だいぶ集中したな」
不意に絹の糸がふわりと揺れた。かと思うと、今まで手元の古書に熱い視線を注いでいた瞳が私を捉えた。夜空のような、飲み込まれそうな瞳。
心臓が跳ねる。慌ててカムフラージュとして手元に置いていた本へ視線を落とした。突発的な初動をきっかけに心臓はひたすら早鐘を撞き続ける。目の前の想い人に聞こえてしまうのではないかと思うくらいに、大きく。
こちらを向いてほしいという願望が叶った途端これだから、彼にかけられてしまった魔法はとてつもなく厄介だ。そう思い知らされる。
私が熱心に見ていたのは本ではないと勘繰られてしまったかもしれない。それでも一縷の希望に縋って、文章を目で追い続ける。視覚で文字の羅列を認識しながらも、脳内ではどうやってとぼけようかと散々巡らせていると、ずずっと心地よい音が響いた。同時に安堵にも似たような吐息が漏れ聞こえた。
「君も休憩したらどう?」
「へ?」
そう声をかけられて、初めて彼を見る許可を貰った気になる。穏やかな声音につられて顔を上げると、いつの間にか魔術書は閉じられていてカップを片手にする双眸は三日月を描いていた。
「あー、うん。そうしようかな」
ソロモンに倣い、たいして読んでもいない本を名残惜しそうに閉じた。そして同じように傍らに置いていたカップに口をつける。今心の過半数を占める緊張や不安をこのミルクティに溶かして飲み干してしまえたらどれだけ楽だろう。正直味はわからなかったが、たぶん甘い、のだと思う。
早急に胸に居座るしこりを何とかしたくて、藻掻くように酸素を求め深呼吸をする。言わなければ。言う。言え、私。
彼のカップに漂う真っ黒な液面を見つめながら──
「「あのさ」」
沈黙。
予想外の出来事に、今まで頭の中でシュミレートしていたシナリオは一瞬で泡となって消えた。口をぱくぱくと動かすことしかできない。その情けない姿は頭がすっからかんになり、紡ぐことのできる言葉が皆無であるのを物語っていたことだろう。
「ははは、被った」
沈黙を破ったのは、もちろん私ではない。
笑い声につられるほどの余裕なんぞないものの、正気に戻れるくらいの猶予はあった。机の下で、汗ばんだ手をぎゅっと握る。
「なに?」
微笑みを絶やさずそう首を傾げる彼に、不覚にも胸が高鳴ってしまう。それを隠すように目線を外した。
「いいよ。ソロモンから言って」
「大したことじゃないから」なんとか絞り出した声でそう付け加えて、胸が締め付けられた。私にとっては大したことじゃない、わけがないのに。自分の天邪鬼に辟易しながら、次の言葉を待つ。
「なーに?」
先ほどよりも語感が強く、されど同じ二文字が耳に飛び込んできて、思わず彼の顔を見た。相変わらず整った顔で微笑んでいる。どうやら自分から話し始める気はないらしい。
ここで先手を打つのが吉と出るか凶と出るか。私に考える選択肢はない。
意を決して、手提げ袋に手を伸ばす。少し小さめの、かわいらしいショッパー。それを取り出しソロモンの前に突き出す。
「ん」
「えっ、俺に?」
「……ん」
熱くなった顔を隠すため俯きながら言ったので、どんな表情をしているのかはわからない。しかし、驚いているということだけは把握できた。
「これって?」
「ええっと、なんというか、その」
さすがに「あげます」「ありがとう」なんて会話が成立しないことはわかっていた。うまく言い逃れる気がせず、開き直って明るく声を張る。
「ハッピーバレンタイン!……です」
「バレンタイン……?」
「うん。今日は二月一四日でしょ。あ、もしかして知らない?」
「もちろん知ってるよ。バレンタインの風習がない魔界の悪魔と違ってね。でも、おかしいな」
「え?」
おかしい。確かに目の前の彼はそう言った。一体、何がおかしいのか。私には不可解な言葉の意味をぐるぐる考えながら、未だ受け取ってもらえない小さな袋を見つめる。このまま受け取ってもらえないのかもしれない。そうなったらこの子たちは私の胃袋行きだ。まあ、それはそれでいいかもしれない。味は気になっていたし。などと御託を並べ始めた時だった。
口元に手を当て、考えるようなしぐさを見せていたソロモンが呟いた。
「……ああ、そうか。君が住んでいたところでは、女性から男性に贈る習わしなんだな」
納得したように頷いた後、私の手の中で行き場を失っていたショッパーを持ち上げ自身の手元へと収めた。
「それじゃあいただくよ。ありがとう」
「ど、どういたしまして」
「さっそく開けてもみても?」
「どうぞ」
ショッパーから包装紙に包まれた箱を取り出し、器用に剥いていく。裸になった箱を開けると、球体が三つ並んでいた。表面はどれも光沢があり、それぞれ惑星を彷彿とさせる形容をしている。正体の見当がつかなかったのか、一緒に梱包されていた商品紹介のカードと実物を往復する。
「これは……チョコレート?」
「そうだよ。きれいでしょ」
「うん、魔界にはこんなきれいなチョコがあるんだな。知らなかった。大事に食べるよ」
そう言われて得意気に鼻を鳴らした。約二カ月前にネットで見つけて以来、彼にはこれが似合うと信じて疑わず動向を追い続けていたのだ。念願叶って手に入れた時には感涙していた程である。
手元のそれを物珍しく見つめるソロモンを見て、口角が上がりきっているのが自分でもよくわかった。
「きっと珈琲にも合うと思うから、よかったら今食べて──」
「ちなみにこれって本命?」
「は!?」
不安から解放され気が緩んだ私に笑顔で爆弾が投下された。危うく後ろにひっくりかえりそうになるのをなんとか堪えるも、素直に肯定の言葉が言えるわけもなく。
「あ、え、いや、違っ!」
「なんだ、残念」
「……っ」
まったく残念そうに見えない表情とむしろ楽しんでいるように聞こえる声音から、単にからかわれていたと気づく。同時に恥ずかしさと悔しさが心を大きく抉る。とりわけ、この恋が片思いであることを痛いほど思い知らされた。もしも本命だと答えていたら何かが変わっていたのだろうか。
「魔界にいるとこういう人間界の習慣って新鮮に感じるよね」
大好きな彼の大好きな声が、今は耳障りに聞こえる。
「何より、君と共有できるっていうのがすごく嬉しい」
お願いだからこれ以上私の心を揺さぶらないでほしい。そんな願いも虚しく、彼はさらに続ける。
「実は俺も渡したいものがあるんだ」
どうして?なにを?そんな疑問と絶望とが渦巻く中、わざわざ私の右隣に座り直したソロモンは私があげたものと同じくらいの箱を手渡した。
「開けてみて」
「うん……」
包装紙すらも惜しくて破かないようにできるだけ丁寧に外していく。そうして露わになった箱の中に入っていたのは。
「マカロン……」
きれいに並べられたカラフルな色のマカロンが五つ。
私は、この意味を知っている。
おそるおそるソロモンに顔を向けると、優しく髪の毛に触れられ思わず肩が跳ねる。
「バレンタインデーと一概に言っても、その国と地域で違いがあるのは知ってた?」
小さく横に首を振る。それが今できる私の精一杯。
「ある国では女性から男性へ。またある国では男性から女性へ。恋人同士がプレゼントを贈り合うなんてところもあるらしい」
触れた髪の毛を耳にかけながら、妖艶に微笑む彼から目が離せない。まるで魔法にかけられたみたいに。
「君は本命じゃないって否定してたけど」
──甘い。
ミルクティを飲んだ時でさえ感じられなかった感情がじわじわと流れ込んでくる。
「素直になって考え直してくれないか。──俺の『特別な人』」
夜空のような瞳には私だけが映し出されている。その宇宙に飲み込まれたくて、そっと視界を閉ざした。
いつだったかこんなことを言っていた気がする。その時は、少し意外だと思った。
たいてい彼が手に持っているカップは墨汁を垂らしたような真っ黒な水面を覗かせていて、それを見る度にこちらまで渋い顔になってしまう。
以前、「一口飲む?」と言われて軽率に口をつけたが最後、舌の上に飲み物にはあるまじき痺れを覚えてからは彼のカップの中身に興味を持つことをやめた。意識を手放しながら「さっき俺が淹れたんだけど、結構美味しいだろ?」と楽しそうに話していたことは覚えている。その中で、珈琲を淹れるのすらままならないのか……と恐怖を抱いたことも。
そして今日もまた並々と黒い液体が注がれているカップを傍らに、目の前の彼──ソロモンは無心で魔術書の頁を捲る。
この時間帯のRADの食堂は使う生徒が少なく閑散としている。多少人の出入りがあるものの、本を読む程度には集中ができる。飲食禁止の図書館とは違って、小腹がすいたらおやつをつまめるのも魅力的な利点のひとつだ。
今まさに三人組の生徒が部屋を後にし、完全に貸し切り状態となった。食堂には私たちの紙を捲る乾いた音だけが響いている。
私は小さく息を吐いて、手元の本に落としていた視線をわきの手提げ袋へと滑らせた。
今日どうしても片付けなければならない重大な任務が私にはある。ルシファーあたりに相談したら「くだらないな」と嘲笑されるかもしれない。それを想像してさらに気が重くなった。
ずんと沈んだ気持ちの中、今度は視線を目の前に座る透き通った銀髪に向けた。
頁を移動する度、伏し目がちな瞳がこちらを向いてくれないかと期待している自分がいるのが憎たらしい。彼の魔法に対する熱心さは誰から見ても目を見張るものがある。その関心を少しでも私に向けてくれないものか、と──。
「ふう。だいぶ集中したな」
不意に絹の糸がふわりと揺れた。かと思うと、今まで手元の古書に熱い視線を注いでいた瞳が私を捉えた。夜空のような、飲み込まれそうな瞳。
心臓が跳ねる。慌ててカムフラージュとして手元に置いていた本へ視線を落とした。突発的な初動をきっかけに心臓はひたすら早鐘を撞き続ける。目の前の想い人に聞こえてしまうのではないかと思うくらいに、大きく。
こちらを向いてほしいという願望が叶った途端これだから、彼にかけられてしまった魔法はとてつもなく厄介だ。そう思い知らされる。
私が熱心に見ていたのは本ではないと勘繰られてしまったかもしれない。それでも一縷の希望に縋って、文章を目で追い続ける。視覚で文字の羅列を認識しながらも、脳内ではどうやってとぼけようかと散々巡らせていると、ずずっと心地よい音が響いた。同時に安堵にも似たような吐息が漏れ聞こえた。
「君も休憩したらどう?」
「へ?」
そう声をかけられて、初めて彼を見る許可を貰った気になる。穏やかな声音につられて顔を上げると、いつの間にか魔術書は閉じられていてカップを片手にする双眸は三日月を描いていた。
「あー、うん。そうしようかな」
ソロモンに倣い、たいして読んでもいない本を名残惜しそうに閉じた。そして同じように傍らに置いていたカップに口をつける。今心の過半数を占める緊張や不安をこのミルクティに溶かして飲み干してしまえたらどれだけ楽だろう。正直味はわからなかったが、たぶん甘い、のだと思う。
早急に胸に居座るしこりを何とかしたくて、藻掻くように酸素を求め深呼吸をする。言わなければ。言う。言え、私。
彼のカップに漂う真っ黒な液面を見つめながら──
「「あのさ」」
沈黙。
予想外の出来事に、今まで頭の中でシュミレートしていたシナリオは一瞬で泡となって消えた。口をぱくぱくと動かすことしかできない。その情けない姿は頭がすっからかんになり、紡ぐことのできる言葉が皆無であるのを物語っていたことだろう。
「ははは、被った」
沈黙を破ったのは、もちろん私ではない。
笑い声につられるほどの余裕なんぞないものの、正気に戻れるくらいの猶予はあった。机の下で、汗ばんだ手をぎゅっと握る。
「なに?」
微笑みを絶やさずそう首を傾げる彼に、不覚にも胸が高鳴ってしまう。それを隠すように目線を外した。
「いいよ。ソロモンから言って」
「大したことじゃないから」なんとか絞り出した声でそう付け加えて、胸が締め付けられた。私にとっては大したことじゃない、わけがないのに。自分の天邪鬼に辟易しながら、次の言葉を待つ。
「なーに?」
先ほどよりも語感が強く、されど同じ二文字が耳に飛び込んできて、思わず彼の顔を見た。相変わらず整った顔で微笑んでいる。どうやら自分から話し始める気はないらしい。
ここで先手を打つのが吉と出るか凶と出るか。私に考える選択肢はない。
意を決して、手提げ袋に手を伸ばす。少し小さめの、かわいらしいショッパー。それを取り出しソロモンの前に突き出す。
「ん」
「えっ、俺に?」
「……ん」
熱くなった顔を隠すため俯きながら言ったので、どんな表情をしているのかはわからない。しかし、驚いているということだけは把握できた。
「これって?」
「ええっと、なんというか、その」
さすがに「あげます」「ありがとう」なんて会話が成立しないことはわかっていた。うまく言い逃れる気がせず、開き直って明るく声を張る。
「ハッピーバレンタイン!……です」
「バレンタイン……?」
「うん。今日は二月一四日でしょ。あ、もしかして知らない?」
「もちろん知ってるよ。バレンタインの風習がない魔界の悪魔と違ってね。でも、おかしいな」
「え?」
おかしい。確かに目の前の彼はそう言った。一体、何がおかしいのか。私には不可解な言葉の意味をぐるぐる考えながら、未だ受け取ってもらえない小さな袋を見つめる。このまま受け取ってもらえないのかもしれない。そうなったらこの子たちは私の胃袋行きだ。まあ、それはそれでいいかもしれない。味は気になっていたし。などと御託を並べ始めた時だった。
口元に手を当て、考えるようなしぐさを見せていたソロモンが呟いた。
「……ああ、そうか。君が住んでいたところでは、女性から男性に贈る習わしなんだな」
納得したように頷いた後、私の手の中で行き場を失っていたショッパーを持ち上げ自身の手元へと収めた。
「それじゃあいただくよ。ありがとう」
「ど、どういたしまして」
「さっそく開けてもみても?」
「どうぞ」
ショッパーから包装紙に包まれた箱を取り出し、器用に剥いていく。裸になった箱を開けると、球体が三つ並んでいた。表面はどれも光沢があり、それぞれ惑星を彷彿とさせる形容をしている。正体の見当がつかなかったのか、一緒に梱包されていた商品紹介のカードと実物を往復する。
「これは……チョコレート?」
「そうだよ。きれいでしょ」
「うん、魔界にはこんなきれいなチョコがあるんだな。知らなかった。大事に食べるよ」
そう言われて得意気に鼻を鳴らした。約二カ月前にネットで見つけて以来、彼にはこれが似合うと信じて疑わず動向を追い続けていたのだ。念願叶って手に入れた時には感涙していた程である。
手元のそれを物珍しく見つめるソロモンを見て、口角が上がりきっているのが自分でもよくわかった。
「きっと珈琲にも合うと思うから、よかったら今食べて──」
「ちなみにこれって本命?」
「は!?」
不安から解放され気が緩んだ私に笑顔で爆弾が投下された。危うく後ろにひっくりかえりそうになるのをなんとか堪えるも、素直に肯定の言葉が言えるわけもなく。
「あ、え、いや、違っ!」
「なんだ、残念」
「……っ」
まったく残念そうに見えない表情とむしろ楽しんでいるように聞こえる声音から、単にからかわれていたと気づく。同時に恥ずかしさと悔しさが心を大きく抉る。とりわけ、この恋が片思いであることを痛いほど思い知らされた。もしも本命だと答えていたら何かが変わっていたのだろうか。
「魔界にいるとこういう人間界の習慣って新鮮に感じるよね」
大好きな彼の大好きな声が、今は耳障りに聞こえる。
「何より、君と共有できるっていうのがすごく嬉しい」
お願いだからこれ以上私の心を揺さぶらないでほしい。そんな願いも虚しく、彼はさらに続ける。
「実は俺も渡したいものがあるんだ」
どうして?なにを?そんな疑問と絶望とが渦巻く中、わざわざ私の右隣に座り直したソロモンは私があげたものと同じくらいの箱を手渡した。
「開けてみて」
「うん……」
包装紙すらも惜しくて破かないようにできるだけ丁寧に外していく。そうして露わになった箱の中に入っていたのは。
「マカロン……」
きれいに並べられたカラフルな色のマカロンが五つ。
私は、この意味を知っている。
おそるおそるソロモンに顔を向けると、優しく髪の毛に触れられ思わず肩が跳ねる。
「バレンタインデーと一概に言っても、その国と地域で違いがあるのは知ってた?」
小さく横に首を振る。それが今できる私の精一杯。
「ある国では女性から男性へ。またある国では男性から女性へ。恋人同士がプレゼントを贈り合うなんてところもあるらしい」
触れた髪の毛を耳にかけながら、妖艶に微笑む彼から目が離せない。まるで魔法にかけられたみたいに。
「君は本命じゃないって否定してたけど」
──甘い。
ミルクティを飲んだ時でさえ感じられなかった感情がじわじわと流れ込んでくる。
「素直になって考え直してくれないか。──俺の『特別な人』」
夜空のような瞳には私だけが映し出されている。その宇宙に飲み込まれたくて、そっと視界を閉ざした。