HAPPY EVER AFTER
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ユウが消えた。
僕たちは、まずは教師陣にそのことを報告しなければとナイトレイブンカレッジへと踵を返した。
学園長に話を通したが、鏡側にはなんの変化もなかったし、帰る方法も見つかっていない中で、この事件の勃発とあって、全く理由が不明とのことだった。
『とにかく一度、この国中を探させましょう』と、すぐに使い魔を放っていたところをみると、この国に呼び寄せてしまった責任を一応でも感じているらしかった。
見た目だけでも冷静だった教師陣とは違ったのが、生徒たちだ。最も落ち込んでいたのはグリムさんであり、また、最も怒っていたのはデュースさんとエースさんだった。
彼女がこちらに来てからというもの、ずっと近くにいたのだから、仕方のないことだ。
「ユウはどこにいるんだゾ…」
「なんでユウを助けられなかった!」
「ユウは、あんたらを信用してた!なのになんでッ」
けれど各々の小言を聞き入れたり流せるほど、僕も冷静ではなく『申し訳ない』としか声を出すことはできなかった。
ジェイドとフロイドが、なんとかその場を収めてくれたようだが、正直あまり記憶がない。
その日は現実感のないままに部屋に戻されて、一日が明けた。眠ったのか、眠っていないのか、よくわからない。陽が登って、それでもユウは戻ってこなかった。
まだ半日も経っていないのに、ユウが恋しい。
この腕に抱いて眠ったいく日もの思い出が、僕の胸を焦がす。
僕の枕元には彼女のアルバムが置かれていて、そこには笑顔の彼女がたくさん納められていた。
「僕は覚えている。ユウのことを…。ユウは覚えているだろうか…忘れているなら、思い出して、くれるだろうか…」
ほろり。
僕の目から落ちたものが涙だと気づくまでに、かなりの時間を要した。
次の日には、この事実は学園中に広まっていた。
* * *
遠くで海の漣が聞こえた気がした。
実際はホテルの前を通過した車のエンジン音だったけれど。
その音によって覚醒した意識。
目を開ければ、天井が視界に入る。思いの外早い時間の様だった。
夢を見ていたはずだが、どんな内容だったかは何一つ思い出せない。夢なんて、いつでもそんなものだ。
目を擦ろうとすると、水の感触。
どうやら私は眠りながら泣いていたようだった。
怖い夢でも見ていたのだろうか。
ふぁ、と欠伸をして洗面台へ。
次の春から大学に通うことになっている私は、長期の春休みを利用して、一人でロンドンにきていた。
そんなわけで、今は、一か月単位で借りることのできる小さなお部屋が私のお城だった。
こちらの生活にもだいぶ慣れてきた今日この頃だ。
「今日は…演劇のチケットを取った日だったな…楽しみだなぁ〜」
なんて悠長なことを考えながら、髪を梳いていると、耳たぶで何かがキラリと光った。よく見ればそれは、つけた覚えのない薄い青色のピアスだった。
「なにこれ?」
いつつけたんだろう。全く思い出せない…でも、どこか懐かしい色合いだなと思う。
つ、と耳をなぞってみると、とある言葉が脳に響いた。
『 魔法は解けません 』
「え?」
驚いて、キョロ、と周りを見回すも、誰がいるはずもない。
そもそもここは英語圏だ。日本語が聞こえるはずもないのに。
「魔法…?」
ここロンドンは、マジカルブリテンとして名高いイギリスの中心都市だ。
少し外を歩けば、映画になぞらえた『その類のもの』を扱うお店もあったりするほど魔法は身近なものといえる。
そんな街に一人でいるのだから、妖精さんの仕業かしら、などと考えたりもするが、そんなわけがないことを私はちゃんとわかっている。
しゃんとせねば、と顔を両手でパチンと叩いたところで、今度は自分のパジャマの胸ポケットに何かが入っているのに気が付いた。
不思議に思って取り出してみると、それはポラロイド写真だった。
どこかわからないが、バーか夜カフェのような品のいいお店で自分一人がポツンと微笑んでいる。
写真の下には【小エビちゃんだーいすき! ジェイド・フロイド】と書いてあるが、どういう意味かは謎だった。
(位置的には隣にも誰かがいるような感じがするけど)
他にも何枚か写真があるが、どれも風景だけとか、変な方向を向いて笑っている私とか、いくら見ても私一人しか写っていないものばかり。でも、どの写真でも私はとても楽しそうな表情をしていた。
(こんな写真撮ったっけ?雰囲気からして日本じゃなさそうだけど)
こんな場所、見た覚えも行った覚えもない。
こちらでは一人だし、夜遅くに外出するのも控えている。素敵なお店ではあるが、海外の人からしたらお子様のような容貌の私などが入れるような雰囲気ではなさそうだ。
なおも写真を見ていくと、最後の一枚には海を見る私の背中が写されていた。
どこの海だろう。最近、水着はご無沙汰だったし海の思い出もないのに。
そんなことを思いつつ、ふいにその裏をみると、小さな文字で
you are my one and only.
Azul Ashengrotto.
と走り書きがしてあった。
あなたは僕の唯一の人、か。
愛してる、ではなくこの書き方をするとは、キザの一言に尽きる。
「で、こっちは…ん、と…アズール…アー…シェン、グロット…?…名前かな…?」
アズール…と舌の上で転がした単語は、妙に懐かしい響きを持って、私の心を震わせる。
「アズール…アズール…うーん…」
それでも『なぜ』そんな感情を抱くのかがわからず、とても不快な気分だ。
違和感を拭えないまま身を整えて、それからベッドの上に座ってパソコンを開いた。
何度か来たことがあるイギリスだが、まだまだお世話になっている観光情報のホームページと地図サイトを開く。
どうにも、この『海』という場所が気になった。
こちらに来てからと言うもの、街中や有名な博物館や城などには足を運んだが、森や海といった自然には触れていない。
春先だしまだ寒いだろうなと思いもしたが、行きたい、と強く感じた。
ただ、今日は予定があるからとりあえず下調べをしよう。
「ふーん?ここから一番近い海は…ブライトンか。わ、近くに水族館もあるんだ!って、うっ、高級リゾート地…少しはめかし込まないとだめかなぁ」
地図をプリントアウトして、目的地に丸を打つ。カフェもたくさんありそうだ。
今日出かけるときに、少しキレイめのワンピースでも買ってこようと心に決めて、準備を始めた。
次の日。
ロンドンにしては珍しく、晴天だった。
買ったばかりの薄い青色のストライプ柄のワンピースを身に纏う。
耳のピアスによく似合う色が見つかってよかった。
ひらりと広がる裾に一目惚れして買ったものだ。
まだ少し肌寒いので、その上には厚手のカーディガンを羽織って、行き先が海なので、気取らずローカットスニーカーを合わせた。
鉄道に乗って一時間とちょっと。
私は異国の海を初めて眺めて「ホァー」とバカみたいな声を上げていた。
綺麗だ。さすがリゾート地。
遠くでカモメも鳴いている。
やっぱり自然はいいものだ。早速砂浜の上を歩いていると、たくさんの貝殻が見て取れた。
その場に座り込み、綺麗だなぁ、と手にとってみる。
そのとき。
『 ハッピーエンドになってもらわないと、困ります 』
「!」
どこからか話しかけられた気がした。
でも周りを見てみても、日本人顔の人はいない。確実に日本語だったのに。
「…変なの…」
来たこともないこの海で、幻聴を聞くなんて。
立ち上がってもう一度海を眺めれば水面に陽の光が反射してキラキラと輝いているだけだ。
『 やっぱ入れるときにきたいねぇ〜! 』
「?!」
また聞こえた。さっきとは違う声だ。
なんなんだ。昨日もそうだったけど疲れているのかな。
やっぱりなんだかんだでストレスがたまってたりするのか。
「…明日は一日引きこもろうかな…」
日差しも強くなってきたし、と、早々に海辺を後にして水族館に向かう。
水族館自体は、特出したものではないにせよ、十分に心躍るものだった。
床が透明なボートに乗ったり、ファンキーな色のライトを浴びたトンネルに入ったり。
ただ、やっぱり一人よりみんなで来たかったな、と思った。
「…みんな?」
なんなんだ、『みんな』って。
私は一人でここに、来て…
私は……今まで本当に一人だった?
フルフルと頭を振って、疑問を追い出す。
やっぱり疲れてるんだ。ちょっとカフェに入って休もう。
それから、ゆっくり帰って、それでぐっすり眠ろう。
そうすればこんな変な気持ちともおさらばできるだろう。
名残惜しいが、水族館を後にして、目星をつけていたカフェへと足を向けた。
しかしながら、その店名を見て肩を落としたのは言うまでもない。
[ Cafe Mostro ]
「…名前変わってる…どうしよう…ホームページで調べた感じ、とっても雰囲気良さそうだったから来たのにな…。違うお店なら…もうこのまま帰ってもいいかなぁ…」
私は英語が堪能なわけじゃない。店に入るだけでも苦労するのだ。
どうしても入りたい場所でなければ、極力テイクアウェイで済ませたい。
「でもなぁ…」
なぜか懐かしい、巻貝をあしらった看板と、黒を基調としたそのお店の外見は、私の心を掴んで離さない。
入らないといけない、と本能が自分に語りかけてくる。
「…ま、せっかくここまで来たんだし、頑張りますか…!」
定型文句の英会話を頭の中で繰り返しながら店の扉を開けたのに、全ての言葉が頭から消え失せてしまった。
なぜならその店内は、私の胸ポケットに入っていた写真、そのままの風景だったから。
「え…、な、んで」
わけがわからない。しかし、店の入り口を占領したままで写真を出して確認するわけにもいかない。
店員さんと思われるウエイターが近づいてきて『Hi.How many?』と聞かれたので『わ、わん!』と日本人英語を発した私は穴にも入りたい気持ちになったが、ニコリと微笑まれてしまってはどうにもならない。
『This way please.』と、奥の席へ通され、椅子を引かれてスマートに座らされた。
メニューを見て、無難に『fish-and-chips & tea,plese.』と告げると、こくりとうなづいてからウエイターは下がっていく。
薄暗い店の奥では、コポコポと水槽が音を立てていて、さながら深海に来たようだ。
既視感を覚えて、くらりと身体が揺れた。
「…そういえば、写真」
さっきは見ることができなかったけど、お料理が届くまではまだ時間があるだろう。
カバンの中にしまっていた手帳に挟んだそれを取り出してみる。
「え、うそ、なんで…昨日と違う…?」
私しか写っていなかったはずの写真だったのに。
人が。
人が浮き上がってきている。
「だれ、これ」
緑がかった髪に黒いハットを被った背の高い男の人が二人。
鏡に映ったように似た顔をしたその人たちは、おそらく双子だろう。
「小エビちゃん」
やけにはっきりと聞こえたその声。
私はどこでそれを聞いた?
「貴女、そんなことも忘れちゃったんですか」
困ったように笑うその顔。
私はそれをどこで見たんだろう?
気分が悪い。
何か重要なことを忘れている気がする。
頭を支えようと、左手を顔にやると、耳に冷たい感触があった。
そういえばこのピアスも。私は、どこで。
吐きそう。
咄嗟にそんなことを思って、W.C.マークを探すと、どうやら二階にあるようだ。
本当は動くのすら億劫だったけれど、そうも言ってはいられない。
ウエイターは目の届かない場所にいるようだったので、悪いかとも思ったけれど、黙って二階へ行くことにした。
「置いていかないで!」
二階に上がる階段の途中で、大きなその声が脳内にこだまする。
なに。本当に。
私が、なにを、どこに、置いていったっていうの。
わからない。わからない。
階段を上りきれば、すぐそこにW.C.が見えた。
が、その廊下の突き当りに、きらりと光るものを見つけて思わず立ち止まる。
視線をやるとそこには、サンゴかなにかで囲われた大きな鏡があった。
まるで海の中に引き込まれるような。
待って、これは、見覚えがある。
豪華な大きなソファーの後ろ。
そこは一面、ガラス張りで。
そのガラスの向こうには深海が広がっていた。
クラシックのようで、でも聞いたことのない心地よい曲がいつも流れていて。
私はそこで楽しいひと時を過ごしていた。
黒いハットの下に銀色の髪を隠した彼は。
金色の書類とステッキを片手に言う。
「僕と契約しませんか」
その瞳に隠された強さと脆さ。
努力で培われたその才能は、誰も否定ができないあの人だけのもの。
『「It’s a deal.」 』
確信めいた何かに惹かれて私はその鏡に触れる。
鏡の表面が波打つと、そのままひっぱられる感覚がして、私の意識がプツリと途絶えた。
* * *
この世界から彼女がいなくなって二週間が経っていた。
変化に心がついていかなくとも、時は止まってはくれない。
無常だけれど当たり前のその感覚が、今の僕にはありがたかった。
授業と調査とモストロの仕事。
一時も余裕のないよう無理矢理予定を詰め込んで自分を保っていた。
一息でもつけば、自我を保てる自信がなかった。
ジェイドとフロイドには大層心配されたが、事態が事態だけに、あまり強くは言われなかった。
夜は自作の睡眠薬を飲んで無理矢理眠る日が続いた。
けれど、悪夢に魘されることも多かった。
「はぁ…」
本日何度目かの溜息をついて、賄いがわりの新商品チェックを行う。
そうでもしないと何も口にしないでしょう?とは、ジェイドの言葉だ。
「うん、これなら1000マドルつけても申し分ないでしょう」
「それはよかった。パスタソースが口当たりさっぱりなので、きっと夏の主力メニューになりますよ」
「ジェイド~俺にも食わせて~腹減り~!」
「はいはい。フロイドにも持ってきますから、少し待っていてくださいね」
待っていて、と言われたにも関わらず、ジェイドの首に巻きついたフロイドは、そのまま二人で厨房へと消えた。
僕はチェック表に一通りの所感を書き終えて、では先に自室に戻ります、と厨房に一言投げかけて席を立つ。
そのとき。
「…なんだ?」
ラウンジの一角が光を放っていることに気づいた。
光源を探すとその光は、海の魔女が使っていたとされる鏡の表面から出ている。
「え…こんなこと今まで一度も…」
戸惑いもつかの間、『それ』が起きたのは、ジェイドとフロイドを呼び戻そうとしたのと、同時だった。
ドボン!!!!
大きな音が、ガラスの向こう、海の中から聞こえた。
深海でこんな音がするなんておかしいと、反射的にそちらを見やる。
するとそこには、水中でもがいている一人の女の子がいた。
「は??」
脳の処理が追いつかない。
ただ、目の前のその子は少しもがいてから、カハッと大きく口を開けて、動かなくなってしまったのだけが理解できた。
「…っまずい」
誰かはわからないが、さすがに目の前で溺死されたら後味が悪いというもの。
簡易魔法を自分の身にかけ、非常口から水中へ飛び込出る。
先程見た場所に目を向けてもその姿はなく、気持ちが逸る。
このあたりは時間によって潮の流れが変わるので、もしかしたら流れてしまったのかもしれない。
どこだ?
どこにいる?
一分一秒を争う事態に知らず身体が硬直する。
「…!!いた…!」
ほどなくして、運良く大きな岩に堰き止められて流れなかったその子を見つけ、抱きとめる。顔を見ると、それは。
「ユウ!?」
もはや息をしていないその身体に、驚きと恐怖とがないまぜになって僕を襲った。
一刻も早く戻らなければ。ともすれば震えてすくむ足を叱咤して、なんとか寮までたどり着く。
「アズール、突然いなくなるからどうしたのか、と、!?」
「なになに~なんかあったの? って、え、え?!それ!!!!」
「タオルと毛布!!!!それから暖かいものを何か!!早く!!」
寮内へ戻ると、扉の前にジェイドとフロイドがいたので指示を出して、自分は人工呼吸を行う。
すでに青くなりかけている唇。冷たい身体。
それでも一縷の望みをかけて、気道の確保の上、祈るような気持ちで何度も呼吸を促す。
頼む…頼む…!せっかくまた会えたのに、これじゃあ迎えに来た違いじゃないか。
こんな形で戻ってきたほしかったわけじゃないのに。
もう一度会いたいなんて願ってしまったから、罰が下ったのか?
「息をして…ユウ…!」
「…っごぼ、」
「!!」
大きな音が喉の奥から聞こえたので唇を離せば、カハッと浅い呼吸をした瞬間、ごぼぼと水を吐き出した。
顔を横向きにして、この後はどうしたらよかったかといつか学んだ知識をかき集める。
「ごほっ、ゴホッ!!!!っは、はぁ…ごふっ!」
「!!!?ユウ!ユウ!!」
うっすらと開けた目、苦しげな呼吸。
それでも、虚ろな瞳が僕を捉えたので、頬を叩いて意識を確認する。
「わ、わかりますか…僕のこと、わかります?!この指、何本かわかりますか?!」
ハっ、ハ、と浅い呼吸の合間に、ふや、と唇が緩んだ。
「ふ…八…本、です…」
「!!」
「思い、出せた、ね」
「ユウ…」
「、あずーる、せん、ぱぃ」
ユウはそう言ってまた目を閉じてしまった。
「え…ちょっと、ま、ユウ?!ユウ?!」
「アズール!持ってきましたよ!」
「あったかいものっていうから時間かかっちゃったじゃん!…待って、死んだの?」
「縁起でもないことを言うな!!さっき一度目を覚ましたんだ、でもまた…」
「失礼します…ん…脈はあるみたいですよ」
首元の動脈に触れて、冷静に言うジェイドの声を聞いて、心底ホッとして僕がユウの上に倒れ込んでしまった。
「あのさ、これ、小エビちゃん、で間違いないわけ…?」
「僕もそれが気になりました…似て非なる人物とか、そう言うものでは」
「いえ…この子は、ユウで間違いありませんよ」
彼女の首を少し動かして耳元を見れば、僕のタイピンと同じ石が光っている。
それは紛れもなく「ユウ」である印。
ふ、と息をついたら、緊張が解けて、足の指ひとつもうごかせなくなってしまった。
「もう動けない…」
「おやおや…ユウさんの命の恩人とは思えない軟弱な発言ですね」
「うるせー…死ぬ気だったんですよ僕だって…」
「死ぬ気って、あは、アズールは溺れることないのになーに言ってんだか」
とにかくユウの一命をとりとめたことに安堵して、三人で控えめに笑い合った。
それから寮長室まで二人についてもらって、彼女を運び、着替えさせてベッドへ寝かす。
二人には、そのまま先生方に報告に向かってもらった。
スゥスゥ、と今では穏やかになった呼吸。
生きてまた会えたと言う幸せ。胸がむず痒くなる。
僕はベッドに腰掛けた。
頬に触れてみても先ほどのように冷たさはなく、規則的に上下する胸に生を感じる。
「また会えるなんて…本当は少し諦め掛けていたんですけど」
消えゆく最愛の人の姿を見て、力を失わない生き物はいないだろう。
努力でなんとかなるのは、自分自身のことだけだ。
蘇生魔法など、ご法度なことにまで手を出せば、オーバーブロットでは済まなかったろう。
最終的にはやるしかないとは思えど、まだそこに至るまでのプロセスを踏み切ってはいなかった。
ほぅ、と長い息を吐き出したその時。
「…大丈夫、って…言ったじゃないですか」
「!」
「でも、思いだせて、良かった…」
「ユウ…」
意識が戻ったのか、ゆるりとこちらを見上げて、頬を触っていた僕の指に、指を絡めて小さな声で言った。
「写真、役に立ちました。それから、ピアスも」
「はい…」
「戻った瞬間は、全部忘れていたんです。でも、みんなの気持ちが届いたみたいです」
「…そう、ですね」
「you are my one and only. 」
「!」
「嬉しかった…ありがとうございます、アズール先輩。…それから、悲しませて、ごめんなさい」
「…本当に、良かった、です」
フルフルと頭を振って、それからそっと唇にキスを落とす。
「ふふ、久しぶりな気がします」
「そうですね、ほんと…」
「…先輩も、一緒に眠りませんか?顔が疲れてる…」
お誘いを断る理由もなく隣に入り込んだものの、久しぶりに会うということもあって、緊張が解けなかった。
けれどそんな僕の様子を感じ取ったのか『コロンの香りが久しぶりだ』と擦り寄ってくる彼女。その仕草にときめいて、少しだけ肩の力を抜いた。
戻った後の話を聞けば、あちらの世界ではまだ二日程度しか時が経っていなかったと言うことだった。
ユウは長期休暇を利用しての一人旅行中だった。写真に惹かれて海へ出て、近くにあったカフェで見つけた海の魔女の鏡から転送されてきたのだと言う。
こちらはすでに二週間は経っていた、生きていた気もしなかった、と言えば、その事実に驚いていた。
それから、じゃあ一日くらいこっちにいても、元の世界では驚かれないかもしれないですね、とも笑った。
「今回は、送られてきた場所が悪かったですけど、あの鏡を使えば元の世界と行き来できるような気がしています。あっちで、鏡を譲ってもらえるかカフェの人に話してみますね」
「そうですね…もしも交渉が必要な場合は僕に相談してください」
「ふふっ…頼もしいです。アズール先輩にかかったら、高価なものでも一瞬で手に入ってしまいそう」
「ユウのためなら、どんな苦労も惜しみませんよ。と言うか、元の世界に戻るなら、僕も一緒に帰ります」
「いいんですか?万が一にも、もう戻ってこれなくなるかもしれないですよ?」
「そんなの」
ユウともう一度別れるくらいなら、気にならない。
ユウと生きていく以外の道は、考えたくもないのだから。
「アズール先輩」
「はい?」
目線をユウに合わせれば、控え目に唇が触れた。
唇から熱が離れても、腕の中の熱はなくなることはない。
「ね。真実の愛のキスって、本当にあるのかもしれないですね」
「…そうですね」
そのまま幸せそうに目を閉じたユウは、またすぐに寝息を立て始める。
どうやらこれで本当に、この物語はフィナーレのようだ。
細かいことは明日から奔走したらいい。
蛸壺の中で一人で過ごしていた少年の僕に、唯一無二の双子の友人ができた。
そのまま三人の世界がずっと続くと思っていた。
けれどそこにユウと言う存在が現れて、世界が壊れ、再構築された。
陸に上がってきて良かった。
海の魔女の慈悲は本当にあったのだ。
でもこれからが本番だ。どんなことをしてでも全部大団円にしてみせる。
そんな決意を胸に、僕もそっと目を閉じた。
Happy Ever After.
全てがうまくいってこそ、めでたしめでたしと言うものなのだから。
僕たちは、まずは教師陣にそのことを報告しなければとナイトレイブンカレッジへと踵を返した。
学園長に話を通したが、鏡側にはなんの変化もなかったし、帰る方法も見つかっていない中で、この事件の勃発とあって、全く理由が不明とのことだった。
『とにかく一度、この国中を探させましょう』と、すぐに使い魔を放っていたところをみると、この国に呼び寄せてしまった責任を一応でも感じているらしかった。
見た目だけでも冷静だった教師陣とは違ったのが、生徒たちだ。最も落ち込んでいたのはグリムさんであり、また、最も怒っていたのはデュースさんとエースさんだった。
彼女がこちらに来てからというもの、ずっと近くにいたのだから、仕方のないことだ。
「ユウはどこにいるんだゾ…」
「なんでユウを助けられなかった!」
「ユウは、あんたらを信用してた!なのになんでッ」
けれど各々の小言を聞き入れたり流せるほど、僕も冷静ではなく『申し訳ない』としか声を出すことはできなかった。
ジェイドとフロイドが、なんとかその場を収めてくれたようだが、正直あまり記憶がない。
その日は現実感のないままに部屋に戻されて、一日が明けた。眠ったのか、眠っていないのか、よくわからない。陽が登って、それでもユウは戻ってこなかった。
まだ半日も経っていないのに、ユウが恋しい。
この腕に抱いて眠ったいく日もの思い出が、僕の胸を焦がす。
僕の枕元には彼女のアルバムが置かれていて、そこには笑顔の彼女がたくさん納められていた。
「僕は覚えている。ユウのことを…。ユウは覚えているだろうか…忘れているなら、思い出して、くれるだろうか…」
ほろり。
僕の目から落ちたものが涙だと気づくまでに、かなりの時間を要した。
次の日には、この事実は学園中に広まっていた。
* * *
遠くで海の漣が聞こえた気がした。
実際はホテルの前を通過した車のエンジン音だったけれど。
その音によって覚醒した意識。
目を開ければ、天井が視界に入る。思いの外早い時間の様だった。
夢を見ていたはずだが、どんな内容だったかは何一つ思い出せない。夢なんて、いつでもそんなものだ。
目を擦ろうとすると、水の感触。
どうやら私は眠りながら泣いていたようだった。
怖い夢でも見ていたのだろうか。
ふぁ、と欠伸をして洗面台へ。
次の春から大学に通うことになっている私は、長期の春休みを利用して、一人でロンドンにきていた。
そんなわけで、今は、一か月単位で借りることのできる小さなお部屋が私のお城だった。
こちらの生活にもだいぶ慣れてきた今日この頃だ。
「今日は…演劇のチケットを取った日だったな…楽しみだなぁ〜」
なんて悠長なことを考えながら、髪を梳いていると、耳たぶで何かがキラリと光った。よく見ればそれは、つけた覚えのない薄い青色のピアスだった。
「なにこれ?」
いつつけたんだろう。全く思い出せない…でも、どこか懐かしい色合いだなと思う。
つ、と耳をなぞってみると、とある言葉が脳に響いた。
『 魔法は解けません 』
「え?」
驚いて、キョロ、と周りを見回すも、誰がいるはずもない。
そもそもここは英語圏だ。日本語が聞こえるはずもないのに。
「魔法…?」
ここロンドンは、マジカルブリテンとして名高いイギリスの中心都市だ。
少し外を歩けば、映画になぞらえた『その類のもの』を扱うお店もあったりするほど魔法は身近なものといえる。
そんな街に一人でいるのだから、妖精さんの仕業かしら、などと考えたりもするが、そんなわけがないことを私はちゃんとわかっている。
しゃんとせねば、と顔を両手でパチンと叩いたところで、今度は自分のパジャマの胸ポケットに何かが入っているのに気が付いた。
不思議に思って取り出してみると、それはポラロイド写真だった。
どこかわからないが、バーか夜カフェのような品のいいお店で自分一人がポツンと微笑んでいる。
写真の下には【小エビちゃんだーいすき! ジェイド・フロイド】と書いてあるが、どういう意味かは謎だった。
(位置的には隣にも誰かがいるような感じがするけど)
他にも何枚か写真があるが、どれも風景だけとか、変な方向を向いて笑っている私とか、いくら見ても私一人しか写っていないものばかり。でも、どの写真でも私はとても楽しそうな表情をしていた。
(こんな写真撮ったっけ?雰囲気からして日本じゃなさそうだけど)
こんな場所、見た覚えも行った覚えもない。
こちらでは一人だし、夜遅くに外出するのも控えている。素敵なお店ではあるが、海外の人からしたらお子様のような容貌の私などが入れるような雰囲気ではなさそうだ。
なおも写真を見ていくと、最後の一枚には海を見る私の背中が写されていた。
どこの海だろう。最近、水着はご無沙汰だったし海の思い出もないのに。
そんなことを思いつつ、ふいにその裏をみると、小さな文字で
you are my one and only.
Azul Ashengrotto.
と走り書きがしてあった。
あなたは僕の唯一の人、か。
愛してる、ではなくこの書き方をするとは、キザの一言に尽きる。
「で、こっちは…ん、と…アズール…アー…シェン、グロット…?…名前かな…?」
アズール…と舌の上で転がした単語は、妙に懐かしい響きを持って、私の心を震わせる。
「アズール…アズール…うーん…」
それでも『なぜ』そんな感情を抱くのかがわからず、とても不快な気分だ。
違和感を拭えないまま身を整えて、それからベッドの上に座ってパソコンを開いた。
何度か来たことがあるイギリスだが、まだまだお世話になっている観光情報のホームページと地図サイトを開く。
どうにも、この『海』という場所が気になった。
こちらに来てからと言うもの、街中や有名な博物館や城などには足を運んだが、森や海といった自然には触れていない。
春先だしまだ寒いだろうなと思いもしたが、行きたい、と強く感じた。
ただ、今日は予定があるからとりあえず下調べをしよう。
「ふーん?ここから一番近い海は…ブライトンか。わ、近くに水族館もあるんだ!って、うっ、高級リゾート地…少しはめかし込まないとだめかなぁ」
地図をプリントアウトして、目的地に丸を打つ。カフェもたくさんありそうだ。
今日出かけるときに、少しキレイめのワンピースでも買ってこようと心に決めて、準備を始めた。
次の日。
ロンドンにしては珍しく、晴天だった。
買ったばかりの薄い青色のストライプ柄のワンピースを身に纏う。
耳のピアスによく似合う色が見つかってよかった。
ひらりと広がる裾に一目惚れして買ったものだ。
まだ少し肌寒いので、その上には厚手のカーディガンを羽織って、行き先が海なので、気取らずローカットスニーカーを合わせた。
鉄道に乗って一時間とちょっと。
私は異国の海を初めて眺めて「ホァー」とバカみたいな声を上げていた。
綺麗だ。さすがリゾート地。
遠くでカモメも鳴いている。
やっぱり自然はいいものだ。早速砂浜の上を歩いていると、たくさんの貝殻が見て取れた。
その場に座り込み、綺麗だなぁ、と手にとってみる。
そのとき。
『 ハッピーエンドになってもらわないと、困ります 』
「!」
どこからか話しかけられた気がした。
でも周りを見てみても、日本人顔の人はいない。確実に日本語だったのに。
「…変なの…」
来たこともないこの海で、幻聴を聞くなんて。
立ち上がってもう一度海を眺めれば水面に陽の光が反射してキラキラと輝いているだけだ。
『 やっぱ入れるときにきたいねぇ〜! 』
「?!」
また聞こえた。さっきとは違う声だ。
なんなんだ。昨日もそうだったけど疲れているのかな。
やっぱりなんだかんだでストレスがたまってたりするのか。
「…明日は一日引きこもろうかな…」
日差しも強くなってきたし、と、早々に海辺を後にして水族館に向かう。
水族館自体は、特出したものではないにせよ、十分に心躍るものだった。
床が透明なボートに乗ったり、ファンキーな色のライトを浴びたトンネルに入ったり。
ただ、やっぱり一人よりみんなで来たかったな、と思った。
「…みんな?」
なんなんだ、『みんな』って。
私は一人でここに、来て…
私は……今まで本当に一人だった?
フルフルと頭を振って、疑問を追い出す。
やっぱり疲れてるんだ。ちょっとカフェに入って休もう。
それから、ゆっくり帰って、それでぐっすり眠ろう。
そうすればこんな変な気持ちともおさらばできるだろう。
名残惜しいが、水族館を後にして、目星をつけていたカフェへと足を向けた。
しかしながら、その店名を見て肩を落としたのは言うまでもない。
[ Cafe Mostro ]
「…名前変わってる…どうしよう…ホームページで調べた感じ、とっても雰囲気良さそうだったから来たのにな…。違うお店なら…もうこのまま帰ってもいいかなぁ…」
私は英語が堪能なわけじゃない。店に入るだけでも苦労するのだ。
どうしても入りたい場所でなければ、極力テイクアウェイで済ませたい。
「でもなぁ…」
なぜか懐かしい、巻貝をあしらった看板と、黒を基調としたそのお店の外見は、私の心を掴んで離さない。
入らないといけない、と本能が自分に語りかけてくる。
「…ま、せっかくここまで来たんだし、頑張りますか…!」
定型文句の英会話を頭の中で繰り返しながら店の扉を開けたのに、全ての言葉が頭から消え失せてしまった。
なぜならその店内は、私の胸ポケットに入っていた写真、そのままの風景だったから。
「え…、な、んで」
わけがわからない。しかし、店の入り口を占領したままで写真を出して確認するわけにもいかない。
店員さんと思われるウエイターが近づいてきて『Hi.How many?』と聞かれたので『わ、わん!』と日本人英語を発した私は穴にも入りたい気持ちになったが、ニコリと微笑まれてしまってはどうにもならない。
『This way please.』と、奥の席へ通され、椅子を引かれてスマートに座らされた。
メニューを見て、無難に『fish-and-chips & tea,plese.』と告げると、こくりとうなづいてからウエイターは下がっていく。
薄暗い店の奥では、コポコポと水槽が音を立てていて、さながら深海に来たようだ。
既視感を覚えて、くらりと身体が揺れた。
「…そういえば、写真」
さっきは見ることができなかったけど、お料理が届くまではまだ時間があるだろう。
カバンの中にしまっていた手帳に挟んだそれを取り出してみる。
「え、うそ、なんで…昨日と違う…?」
私しか写っていなかったはずの写真だったのに。
人が。
人が浮き上がってきている。
「だれ、これ」
緑がかった髪に黒いハットを被った背の高い男の人が二人。
鏡に映ったように似た顔をしたその人たちは、おそらく双子だろう。
「小エビちゃん」
やけにはっきりと聞こえたその声。
私はどこでそれを聞いた?
「貴女、そんなことも忘れちゃったんですか」
困ったように笑うその顔。
私はそれをどこで見たんだろう?
気分が悪い。
何か重要なことを忘れている気がする。
頭を支えようと、左手を顔にやると、耳に冷たい感触があった。
そういえばこのピアスも。私は、どこで。
吐きそう。
咄嗟にそんなことを思って、W.C.マークを探すと、どうやら二階にあるようだ。
本当は動くのすら億劫だったけれど、そうも言ってはいられない。
ウエイターは目の届かない場所にいるようだったので、悪いかとも思ったけれど、黙って二階へ行くことにした。
「置いていかないで!」
二階に上がる階段の途中で、大きなその声が脳内にこだまする。
なに。本当に。
私が、なにを、どこに、置いていったっていうの。
わからない。わからない。
階段を上りきれば、すぐそこにW.C.が見えた。
が、その廊下の突き当りに、きらりと光るものを見つけて思わず立ち止まる。
視線をやるとそこには、サンゴかなにかで囲われた大きな鏡があった。
まるで海の中に引き込まれるような。
待って、これは、見覚えがある。
豪華な大きなソファーの後ろ。
そこは一面、ガラス張りで。
そのガラスの向こうには深海が広がっていた。
クラシックのようで、でも聞いたことのない心地よい曲がいつも流れていて。
私はそこで楽しいひと時を過ごしていた。
黒いハットの下に銀色の髪を隠した彼は。
金色の書類とステッキを片手に言う。
「僕と契約しませんか」
その瞳に隠された強さと脆さ。
努力で培われたその才能は、誰も否定ができないあの人だけのもの。
『「It’s a deal.」 』
確信めいた何かに惹かれて私はその鏡に触れる。
鏡の表面が波打つと、そのままひっぱられる感覚がして、私の意識がプツリと途絶えた。
* * *
この世界から彼女がいなくなって二週間が経っていた。
変化に心がついていかなくとも、時は止まってはくれない。
無常だけれど当たり前のその感覚が、今の僕にはありがたかった。
授業と調査とモストロの仕事。
一時も余裕のないよう無理矢理予定を詰め込んで自分を保っていた。
一息でもつけば、自我を保てる自信がなかった。
ジェイドとフロイドには大層心配されたが、事態が事態だけに、あまり強くは言われなかった。
夜は自作の睡眠薬を飲んで無理矢理眠る日が続いた。
けれど、悪夢に魘されることも多かった。
「はぁ…」
本日何度目かの溜息をついて、賄いがわりの新商品チェックを行う。
そうでもしないと何も口にしないでしょう?とは、ジェイドの言葉だ。
「うん、これなら1000マドルつけても申し分ないでしょう」
「それはよかった。パスタソースが口当たりさっぱりなので、きっと夏の主力メニューになりますよ」
「ジェイド~俺にも食わせて~腹減り~!」
「はいはい。フロイドにも持ってきますから、少し待っていてくださいね」
待っていて、と言われたにも関わらず、ジェイドの首に巻きついたフロイドは、そのまま二人で厨房へと消えた。
僕はチェック表に一通りの所感を書き終えて、では先に自室に戻ります、と厨房に一言投げかけて席を立つ。
そのとき。
「…なんだ?」
ラウンジの一角が光を放っていることに気づいた。
光源を探すとその光は、海の魔女が使っていたとされる鏡の表面から出ている。
「え…こんなこと今まで一度も…」
戸惑いもつかの間、『それ』が起きたのは、ジェイドとフロイドを呼び戻そうとしたのと、同時だった。
ドボン!!!!
大きな音が、ガラスの向こう、海の中から聞こえた。
深海でこんな音がするなんておかしいと、反射的にそちらを見やる。
するとそこには、水中でもがいている一人の女の子がいた。
「は??」
脳の処理が追いつかない。
ただ、目の前のその子は少しもがいてから、カハッと大きく口を開けて、動かなくなってしまったのだけが理解できた。
「…っまずい」
誰かはわからないが、さすがに目の前で溺死されたら後味が悪いというもの。
簡易魔法を自分の身にかけ、非常口から水中へ飛び込出る。
先程見た場所に目を向けてもその姿はなく、気持ちが逸る。
このあたりは時間によって潮の流れが変わるので、もしかしたら流れてしまったのかもしれない。
どこだ?
どこにいる?
一分一秒を争う事態に知らず身体が硬直する。
「…!!いた…!」
ほどなくして、運良く大きな岩に堰き止められて流れなかったその子を見つけ、抱きとめる。顔を見ると、それは。
「ユウ!?」
もはや息をしていないその身体に、驚きと恐怖とがないまぜになって僕を襲った。
一刻も早く戻らなければ。ともすれば震えてすくむ足を叱咤して、なんとか寮までたどり着く。
「アズール、突然いなくなるからどうしたのか、と、!?」
「なになに~なんかあったの? って、え、え?!それ!!!!」
「タオルと毛布!!!!それから暖かいものを何か!!早く!!」
寮内へ戻ると、扉の前にジェイドとフロイドがいたので指示を出して、自分は人工呼吸を行う。
すでに青くなりかけている唇。冷たい身体。
それでも一縷の望みをかけて、気道の確保の上、祈るような気持ちで何度も呼吸を促す。
頼む…頼む…!せっかくまた会えたのに、これじゃあ迎えに来た違いじゃないか。
こんな形で戻ってきたほしかったわけじゃないのに。
もう一度会いたいなんて願ってしまったから、罰が下ったのか?
「息をして…ユウ…!」
「…っごぼ、」
「!!」
大きな音が喉の奥から聞こえたので唇を離せば、カハッと浅い呼吸をした瞬間、ごぼぼと水を吐き出した。
顔を横向きにして、この後はどうしたらよかったかといつか学んだ知識をかき集める。
「ごほっ、ゴホッ!!!!っは、はぁ…ごふっ!」
「!!!?ユウ!ユウ!!」
うっすらと開けた目、苦しげな呼吸。
それでも、虚ろな瞳が僕を捉えたので、頬を叩いて意識を確認する。
「わ、わかりますか…僕のこと、わかります?!この指、何本かわかりますか?!」
ハっ、ハ、と浅い呼吸の合間に、ふや、と唇が緩んだ。
「ふ…八…本、です…」
「!!」
「思い、出せた、ね」
「ユウ…」
「、あずーる、せん、ぱぃ」
ユウはそう言ってまた目を閉じてしまった。
「え…ちょっと、ま、ユウ?!ユウ?!」
「アズール!持ってきましたよ!」
「あったかいものっていうから時間かかっちゃったじゃん!…待って、死んだの?」
「縁起でもないことを言うな!!さっき一度目を覚ましたんだ、でもまた…」
「失礼します…ん…脈はあるみたいですよ」
首元の動脈に触れて、冷静に言うジェイドの声を聞いて、心底ホッとして僕がユウの上に倒れ込んでしまった。
「あのさ、これ、小エビちゃん、で間違いないわけ…?」
「僕もそれが気になりました…似て非なる人物とか、そう言うものでは」
「いえ…この子は、ユウで間違いありませんよ」
彼女の首を少し動かして耳元を見れば、僕のタイピンと同じ石が光っている。
それは紛れもなく「ユウ」である印。
ふ、と息をついたら、緊張が解けて、足の指ひとつもうごかせなくなってしまった。
「もう動けない…」
「おやおや…ユウさんの命の恩人とは思えない軟弱な発言ですね」
「うるせー…死ぬ気だったんですよ僕だって…」
「死ぬ気って、あは、アズールは溺れることないのになーに言ってんだか」
とにかくユウの一命をとりとめたことに安堵して、三人で控えめに笑い合った。
それから寮長室まで二人についてもらって、彼女を運び、着替えさせてベッドへ寝かす。
二人には、そのまま先生方に報告に向かってもらった。
スゥスゥ、と今では穏やかになった呼吸。
生きてまた会えたと言う幸せ。胸がむず痒くなる。
僕はベッドに腰掛けた。
頬に触れてみても先ほどのように冷たさはなく、規則的に上下する胸に生を感じる。
「また会えるなんて…本当は少し諦め掛けていたんですけど」
消えゆく最愛の人の姿を見て、力を失わない生き物はいないだろう。
努力でなんとかなるのは、自分自身のことだけだ。
蘇生魔法など、ご法度なことにまで手を出せば、オーバーブロットでは済まなかったろう。
最終的にはやるしかないとは思えど、まだそこに至るまでのプロセスを踏み切ってはいなかった。
ほぅ、と長い息を吐き出したその時。
「…大丈夫、って…言ったじゃないですか」
「!」
「でも、思いだせて、良かった…」
「ユウ…」
意識が戻ったのか、ゆるりとこちらを見上げて、頬を触っていた僕の指に、指を絡めて小さな声で言った。
「写真、役に立ちました。それから、ピアスも」
「はい…」
「戻った瞬間は、全部忘れていたんです。でも、みんなの気持ちが届いたみたいです」
「…そう、ですね」
「you are my one and only. 」
「!」
「嬉しかった…ありがとうございます、アズール先輩。…それから、悲しませて、ごめんなさい」
「…本当に、良かった、です」
フルフルと頭を振って、それからそっと唇にキスを落とす。
「ふふ、久しぶりな気がします」
「そうですね、ほんと…」
「…先輩も、一緒に眠りませんか?顔が疲れてる…」
お誘いを断る理由もなく隣に入り込んだものの、久しぶりに会うということもあって、緊張が解けなかった。
けれどそんな僕の様子を感じ取ったのか『コロンの香りが久しぶりだ』と擦り寄ってくる彼女。その仕草にときめいて、少しだけ肩の力を抜いた。
戻った後の話を聞けば、あちらの世界ではまだ二日程度しか時が経っていなかったと言うことだった。
ユウは長期休暇を利用しての一人旅行中だった。写真に惹かれて海へ出て、近くにあったカフェで見つけた海の魔女の鏡から転送されてきたのだと言う。
こちらはすでに二週間は経っていた、生きていた気もしなかった、と言えば、その事実に驚いていた。
それから、じゃあ一日くらいこっちにいても、元の世界では驚かれないかもしれないですね、とも笑った。
「今回は、送られてきた場所が悪かったですけど、あの鏡を使えば元の世界と行き来できるような気がしています。あっちで、鏡を譲ってもらえるかカフェの人に話してみますね」
「そうですね…もしも交渉が必要な場合は僕に相談してください」
「ふふっ…頼もしいです。アズール先輩にかかったら、高価なものでも一瞬で手に入ってしまいそう」
「ユウのためなら、どんな苦労も惜しみませんよ。と言うか、元の世界に戻るなら、僕も一緒に帰ります」
「いいんですか?万が一にも、もう戻ってこれなくなるかもしれないですよ?」
「そんなの」
ユウともう一度別れるくらいなら、気にならない。
ユウと生きていく以外の道は、考えたくもないのだから。
「アズール先輩」
「はい?」
目線をユウに合わせれば、控え目に唇が触れた。
唇から熱が離れても、腕の中の熱はなくなることはない。
「ね。真実の愛のキスって、本当にあるのかもしれないですね」
「…そうですね」
そのまま幸せそうに目を閉じたユウは、またすぐに寝息を立て始める。
どうやらこれで本当に、この物語はフィナーレのようだ。
細かいことは明日から奔走したらいい。
蛸壺の中で一人で過ごしていた少年の僕に、唯一無二の双子の友人ができた。
そのまま三人の世界がずっと続くと思っていた。
けれどそこにユウと言う存在が現れて、世界が壊れ、再構築された。
陸に上がってきて良かった。
海の魔女の慈悲は本当にあったのだ。
でもこれからが本番だ。どんなことをしてでも全部大団円にしてみせる。
そんな決意を胸に、僕もそっと目を閉じた。
Happy Ever After.
全てがうまくいってこそ、めでたしめでたしと言うものなのだから。
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