一章
「和泉守を起こしてきてくれ」
誰に向けてでもなく三日月が言った。元気のいい返事と同時に秋田と蛍丸が、居間と寝間の境目を飛び越えて布団にぼふんと着地する。広い布団の海を横断して堂々と眠っている和泉守の大きな背中に蛍丸が勢いをつけて乗っかる。和泉守は濁点の付いた声を漏らし、秋田はそんな和泉守の尻をばしばし叩きながら「朝ですよー!」と言う。審神者は控えめに、蛍丸の後ろに座った。
「わかったわかった!」
和泉守が腕立て伏せの要領で体を起こし、三人はそれぞれ悲鳴気味の笑い声と共に布団に転がり落ちた。
「はあ、お前ら、もっと優しく起こせねえのか」だるそうに胡坐の形に足を組みながら、元結をほどいて崩れた髪をかき上げた。
「和泉守がいつまでも寝てるから」仰向けに寝転がった蛍丸が笑う。「俺たちに起こされたくなかったら早起きしなよ」
「起こし方の話をしてんだよ」背中に手を当てて上体を反らし、その動きと連動して引き延ばされた声で言った。
四肢を投げ出し、冷たくなっていた掛布団の心地よさを体で味わう。顔をうずめる。爽快感はすぐに暴れ出したい衝動となって、審神者の体内から突き上げ、流されるまま四つん這いで和泉守に駆け寄って頭突きをした。和泉守は驚きつつも咄嗟に審神者の肩を掴んで仰向けに倒れ、審神者を頭上に投げ飛ばした。布の擦れ合う音が一瞬世界の全てになり、掛布団のクッションに救われる。
「危ねえなあ!」語気は強いが不敵な笑みを浮かべていた。再びひっくり返った審神者を鼻で笑い、「けど、まだまだだな」
じゃれ合いの雰囲気に変わったのを肌で感じた。和泉守が起き上がったタイミングを狙って今度は秋田が飛び込む。小さな体はさすがの素早さで懐に入り、しかしそのまま前のめりに抱え込まれて和泉守の胸板と布団の間に挟まれた。和泉守は強い。「助けてくださあい!」叫びはほとんど笑いに崩れた。
蛍丸がうずくまる体勢になった和泉守の肩に座った。「秋田を返せー」「重い! 潰れるぞ秋田もろとも!」見た目にそぐわない腕力の蛍丸が和泉守を後ろに引き倒して、秋田は隙を突いて悪意ある抱擁から抜け出す。懲りずに頭突きを繰り返そうとする審神者はさらに遠くに投げ飛ばされ、その足がガラスの張った箪笥に当たり、派手な音を立てた。
「何してる!」
澄んだ声が空気を切り裂く。賑やかな声は即座に萎み、その場の全員が動きを止める。たちまち内臓から順番に体の熱が冷めるのを感じた。
「主、こっちを見て」
顔だけを向ける。「起きて」
布団の中に隠れようかとも考えたが、行動に移すには遅いと本能が告げている。審神者だけを見ていて、審神者だけを叱る、そんな気迫のある響き。近くに立っている秋田に助けを求めても、彼が差し伸べられるのは救いの手ではなく共犯者の組む手だ。蛍丸は完璧な無関係者の顔で横になっている。審神者は渋々向きなおり、怯えのたっぷりこもった目を、鋭い光を宿した青い目と合わせる。
「危ないことはやめなさいといつも言っているだろう」
割烹着を着た歌仙兼定の、太めの眉がしかめられる。
「和泉守。きみが止めなくてどうする」
「あー悪い。つい盛り上がっちまった!」
わざとそうしたのか、和泉守は明るく言った。張りつめた空気の匂いが僅かに変わる。歌仙が審神者と目線の高さを合わせてしゃがんだ。
「きみは今日から本丸も持った。立派な審神者なんだ、その自覚を持って行動するように。分かったかい?」
審神者の弱々しい返事を聞いて歌仙は背を向けた。「もうすぐ朝食が出来る。布団を畳んでおいてくれ」
どうして自分だけが怒られているのか、秋田や蛍丸にはどうして注意もしないのかという疑問は、歌仙の前髪を留めているかわいいリボンが嘲笑ったように思えて今日も口には出せなかった。
