一章
寝室に使っている部屋と居間は一枚の引き戸と一段の段差を隔てて隣接している。波を渡ってすぐに降り立った居間の、座卓の後ろに座っていた三日月宗近と目が合った。夏限定の、障子紙に濾されてもなお眩い光を受けた三日月は、これが既に何度もこの場所で迎えた朝であるかのように、静かに居間の風景になじんでいた。
気づけば蛍丸はどこかへ行っており、審神者は三日月の隣に座った。「おはよう」
「おはよう。よく眠れたか」
三日月の柔らかな声に適当な返事をして、審神者の目は特に珍しくもない朝の情報番組に吸い付けられる。
審神者は十一歳になったばかりの少女だ。彼女の家系は代々審神者を輩出していて、彼女もそのうちの一人である。この世に産まれ落ちた瞬間に将来が確定し、歩むべき道が決められる人間の一人だ。
産声を上げてすぐに始まりの一振りが与えられ、普通の人間として生まれた子供は審神者の卵となる。同い年の子供たちが親や先生にひらがなを教えられてペンを握り、りんご、うさぎなどと書く頃、彼らはひらがなと並行して親戚や刀にくずし字を教えられ、墨が滴り落ちないよう筆を握り、歴史の人物の名前を書く。歴史もそれを守ることも刀剣男士の存在も、過去という概念すらまだ理解していない頭に叩き込まれる。
そして二年に一度、審神者の誕生日に一振りだけ、新しい刀を顕現させる。
審神者が十歳になる時、一部隊の編成上限である六振りの刀が揃う。そこから一年間は審神者と刀、刀同士でも関係を育み、審神者が十一歳になって初めて拠点の本丸が与えられ、一人前の審神者として始動するのだ。
しかしそれは理想論である。いくら早い段階から教育を受けていても、まだほんの子供。難解な単語を頭に詰め込んでもそれが何を意味するかは分からないし、正史の細かい流れも審神者の任務も、独断専行に至るまで掌握することは出来ない。だからほとんどの本丸は建立されてしばらくの間、近侍の刀が幼い審神者に変わって本丸の最高権力者になり、本丸の運営と業務を取り仕切る。そういった立派な策略を以て、今、呑気にテレビを眺めている彼女の世代まで、一度も途切れることなく審神者が続いてきた。
出し抜けに湯飲みが視界に入り、白い煙にたじろぐ。「おはようございます。茶をお持ちしました」
当たり前の顔で湯飲みを口に運んでいる三日月の隣で、へし切長谷部の力強い目が審神者を見ていた。
この刀は審神者が起きた直後に起きて、審神者の世話を朝から晩まで満足そうに焼いてくれる。先祖代々どの本丸もきっとそうだったのだろう、長谷部に限らず刀たちは基本的に幼い審神者を守り、世話をし、甘やかして育てる。淹れてもらった熱いお茶を一口飲んで、「牛乳がいい」とわがままを言っても、刀の方が謝罪をして立ち上がる。
「あるよ、牛乳」
蛍丸が紙パックの牛乳と二つのコップを持って戻ってきた。審神者のコップに牛乳を入れた長谷部が朝食作りを手伝いに行き、テレビの中の人たちだけが会話をするある種の沈黙が光の中で訪れる。漆塗りの座卓に肘を置いて審神者はテレビに見入った。蛍丸は床に寝転んで本を読んでいる。そうしているうちに、秋田藤四郎、骨喰藤四郎が順番に起きてきて、居間が少しずつ賑やかになり、今日への期待が高まる。
だんだんと目覚め出した蝉たちが一匹ずつ合唱に加わり始めていた、今日初めて鳴いた蝉も、きっといる。今日はこの本丸で暮らし始めた最初の日なのだ。始まりの日、新たな世界!
