二章
帰り道が分かるのかと聞けないまま、秋田に手を引かれて田んぼ道を歩く。この景色は石ころのひとつに至るまで何もかもおかしいのだと思い直すたびに泣きたくなって、目に写るすべてを遮断しようとする瞼を必死に開けた。逃げてはいけない。
何分か歩いたところに公園があった。簡素な砂場と滑り台とブランコ──午後にカブトムシを捕まえた公園だった。木は葉のざわめきひとつなく、完璧な置物になっていた。ここも異常であるようだ。
蛍丸は公園の敷地に入った。「一旦ここで待とう。中に入っちゃったときは、外からの助けを待つほうが良い。それか──」
「どういうこと?」
返事はなかった。審神者をベンチに座らせた秋田がやっと口を開く。
「主君は知らなくて大丈夫です」笑顔の口元が張り付いている。秋田は審神者に隠し事をしている。審神者はそれに腹を立てるつもりはなかったが、知らなくてはいけないという思いは、焦りに代わるところまで来ていた。
「教えて」
今、自分たちに起こっていることが何なのか。立ち上がり、話すよう目でも秋田に訴える。この異常な夕焼けの世界に入ってしまったのは審神者のせいだ。ならば、立派な審神者として責任は自分で取れるようにするべきであり、怒られても嫌がられても、そのためにまずすべてを知るべきだろう。
「わたしはもう、審神者だから」
秋田が息を止めたのが分かった。見開かれた目の、上向きの綺麗なまつ毛が彼の受けた衝撃の強さを強調していた。どうしてそのような顔をするのか分からなくて、審神者も黙り込む。蛍丸は頷き、何かの確信を得た様子だった。
ブランコの安全柵の前で三人はそれぞれの感情の下で黙っていた。夕陽の位置はずっと変わっていない。そよとも吹かない風のおかげで、言葉にするための息を吸う音がよく聞こえた。
「主、戦はかっこいいものじゃないよ」
蛍丸のその発言は、教えられることを予想していたものごとと全く異なり、審神者が聞き返したのを無視して蛍丸は続けた。
「本当はもっとぐちゃぐちゃだよ、血とかいっぱい出るし、みんなあんなに綺麗には死なない。ひどいものだと」
「ちょっと!」秋田が蛍丸の腕を掴んだ。「いきなり何を言ってるんですか、やめてください」
蛍丸は腕を振り払う。「でも、知るべきだよ。主も知りたいって言った」
跳ね飛ばされ、秋田はブランコの柵に軽くぶつかった。しかし彼は別のことに怒っているようだった。
「それ、今は関係ないでしょう」
「ある」視線がぶつかり合う。「今よりも重要なことだよ。分かってるでしょ」
審神者には見当もつかず、必死に会話の話題を推測しようとしていた。蛍丸は秋田と対峙したまま、一瞬だけ審神者に向けた目に怒りが冷たく重なっていて、今と同じ目をした彼が今日この公園で吐き捨てた言葉を思い出す──真実じゃない。
「でも勝手には良くないです。もっと、ふさわしいときに知る──」
「ふさわしいときっていつ。勝手にって誰に? 歌仙?」蛍丸の声のボリュームが大きくなる。体の芯から冷えていく心地がした。
「なんでみんな、歌仙が全部正しいみたいに言うの?」
心臓に冷や汗が流れる心地がした。なんで歌仙が全部正しいみたいに言うの? 蛍丸が何を言いたいかが嫌でもわかる。これ以上続きを聞いてはいけないと本能が告げていた。だって、歌仙は正しい。審神者の教師なのだ。
「近侍だから? 始まりの刀だから?」
指先から動かなくなる。今すぐやめてと叫びたかった。歌仙は正しい。疑いの余地はないはずだった。それが大前提で、みんなそう思っているはずだった。
「なんで主の一番の刀みたいに振る舞ってるの。だってあの人、本当は始まりの一振りじゃないんでしょ。主、知ってた?」
「え?」
別方向の驚きと、さらに重たい衝撃が来て息が詰まる。首を横に振るのが精いっぱいだった。
「ねえ。最初の刀、本当はあんたなんでしょ、秋田」
秋田は柵に寄りかかったまま、悔しそうに地面を見つめていた。審神者の物心がついた頃、家には歌仙と秋田と三日月がいて、しかし誰が始まりの一振りかは明白だった──本当は、秋田?
「前、和泉守に聞いたんだよ。ここの審神者は六振りを揃えて本丸を持つって話だったのになんで俺たちの主は七振り持ってるのかって。そしたら、自分が始まりの一振りとして顕現される前に秋田がいたって之定が言ってた、って。なんで本当は始まりの刀じゃないのに、歌仙はそのことを隠して偉そうなの? 主はあの人に歴史教わってるみたいだけど、隠したいことがあるのに主に歴史を教えてるの? まず自分の秘密を主に教えるべきじゃないの? そんな刀が教えてるのは本当に正史?」
「やめてください!」叫び声が夕空に響いた。「歌仙さんはそんな刀じゃないです!」
「でも歌仙が秋田を見るときの顔、暗いよ。怪しまれてるんでしょ」
「歌仙さんは、歌仙さんは主君のために頑張っているんですよ。常にどうするべきかって。主君がもっと子供だったときからずっと、歌仙さんは始まりの刀の責務をちゃんと果たそうと、主君の教師になるために、毎日一人でずっと勉強してたんですよ!」
歌仙は以前、勉強会と家事の時間を除いてよく自室にこもっていた。何をしているのかは分からず、歌仙は自分のことを嫌っているに違いないと審神者が邪推した原因のひとつだった。
審神者が彼の部屋の戸に手をかけたことはない。隔てられた距離はどこまでも遠かった。しかし歌仙にとっては必要な遠さであったのだ。おそらくは、巡って審神者のためにも。嫌われているという少し前までの思い込みはずっと早計だったのだと分かって、初めて恥に思った。
「歌仙さんが顕現する前にいた僕は、お前はなんなんだって、それは思われますよ。僕もどうして最初に来たのか分からないし、主君の保護者様も僕が来たことにひどく困惑していたし…… あの人が権威者のように振る舞うのは、幼い主に厳しく接する大人が必要だからという意識があるからです。決して意味もなく偉そうに振る舞っているわけじゃない。僕も最初は厳しすぎると思ったけれど、主君のためを思ってやってるんです。歌仙さんはこの本丸の始まりの一振りであり近侍です。僕じゃない。彼が僕たちの長なんです。誰よりも主君のことを考えているから!」
「でも歌仙が教える歴史が、全部客観的で正しいものと思わない方がいいのは確かでしょ。歌仙だけじゃだめだよ。主に隠し事をしていたのは事実じゃん」
太陽のまぶしさが沁みた。歌仙が始まりの一振りではないことなんて審神者にはどうでもいい。でも、真実を偽って、世界のすべてを教えてくれるはずの歌仙が隠し事をしていたことが少し悲しかった。隠していた理由を知りたかった。
「あの歴史のアニメ。歌仙が選んだんだよね。なんで見ても意味ないもの主に渡すの。あれに描かれているのは真実じゃない。偽物だ」
「審神者は真実を知るべきだ。俺たちが過去にそこで何をしていて、これから何をすることになるのか。戦の実態を知るべきだよ。人間が戦争に良い印象を抱いちゃいけない」
彼の口からは聞いたこともないほど真剣な口調で蛍丸は言い切った。逆光の中で、正しいことを言っていると疑わない瞳の輝きをしていた。
「審神者は審神者の義務を果たすべきなのは分かっています、でも……歴史の詳細を知るには、主君にはまだ早いですよ」
「どうして? 主が子供だから?」
「そうです、まだあらゆるものから守られるべき子供なんです」
「子供」。耳にして、新しい空がひらかれた日の、歌仙の言葉が浮かぶ──「大人も子供も審神者に違いはないって、歌仙言ってた」
彼への疑念は残ったままだ。でも本丸の始まりの日、確かに空は真実のように透き通る青で、歌仙の目は柔らかさの織り込まれた青色をしていた。
もし歌仙に隠し事があったとしても、審神者に教えてくれることは真実であるという信頼は揺らがない。誰よりも審神者を審神者に育てようとしている歌仙。あの厳しさは本物だ。歌仙のくれたあのアニメが真実ではないと蛍丸が主張する根拠を崩せる自信だって湧いてきた。
「それに、わたしが知りたい。隠されているのはいや」
何を隠していてもいい。どうして歌仙が隠し事をしていたのか、審神者は理由を知りたかった。
