はじまりはここから
アカデミー二年生も後半、十七歳の頃の話。
チャイムが鳴ってぞろぞろと生徒達が生物室を出ていく。
私は机の上を片付けてそのまま着席していた。
ジニア先生が教卓から手を振って大きな声で言う。
「あ、忘れるところでした。アオイさんはお話があるので残っていてくださいねぇ」
「はい、わかりました」
チャンピオン何かしたの?さあ?そんな声がヒソヒソ聞こえてくるけれど気にしない。
実際、してしまったのだから。
総合コースのまま進級した私の担任は二年連続ジニア先生だった。
もしも担任じゃなくても今日の話はジニア先生にする事になったと思う。
そんな事を考えている間に生徒はいなくなって私と先生だけが残った。
「準備室で話しましょうか」
立ち上がって先生の後に続いていく。
準備室は初めて入る。
たくさんの本と機材。ちょっと散らかっているけれどたくさんの情報がここにあるんだろうな。
「ごちゃごちゃしててすみませんねぇ。そこの椅子にどうぞ」
冷蔵庫からおいしい水を取り出して自分の椅子に座る先生。
その前に置かれている椅子に座る。
たくさん考えた。
頑張って伝えよう。
「さて、進路希望が白紙だったのはどうしちゃったんですか?何も思いつかなかったんですか?」
数日前に配られた進路調査票。
はっきりしたものじゃなくても良いんですよぉ。
皆さんが大人になったらどんな事をしたいのか教えて欲しいんです。
お仕事がまだ浮かばないなら元気いっぱいで楽しく生きるなんてのもアリです。
そう言って先生はみんなに配った。
だからみんな何か書けたはずなんだ。
でも私は書かなかった。
「すみません。ずるい事しました。ジニア先生に相談したかったんです」
「そうだったんですかぁ。先生ちょっとびっくりしちゃいましたよ」
「アカデミーを卒業したらどうするかを考えると上手く言葉にならなかったんです」
「なるほどなるほど」
先生はにっこり笑って話を聞いてくれる。
「では教えてください。二人で話し合えば意外と簡単にまとまるかもしれませんよ」
でもその前にどうぞ、と先生はおいしい水を差し出してくれた。
緊張して喉がカラカラになっている事に気づく。
「ありがとうございます」
冷たい水が美味しい。
「水分はちゃんと考える為にも必要ですからね」
ごくごくと先生も飲んでいる。
水のおかげで何から伝えようかとぐるぐるしていた頭が少し落ち着いた。
「あのですね、アカデミーの勉強や課外授業の事を思い出してやりたい事を考えたんです。それで……ポケモンをもっと知りたいなって思いました。図鑑のお手伝いだけじゃなくてもっと色々やってみたいなって」
ならポケモン研究を一本に専門的な勉強をさらにするか、研究関係の職を探せば良いと自分でも思う。
でもそれより良い案が浮かんでしまった。自分にとって都合の『良い案』が。
「ジニア先生のお手伝いを正式にお仕事としてやらせてもらう事はできないでしょうか?ミライドンと一緒ならパルデアの自然豊か過ぎる険しい場所にも行けます。それをここで活かしたいんです」
本当に都合の良いお願いをしてしまっている。
自分のやりたい事と生活する場所、どちらも譲れない。
「つまり研究者になりたい、フィールドワークもできますという事ですね。でもそれは僕の助手なんて曖昧なものでなくてもアオイさんならちゃんと仕事を探せると思うんですよねぇ」
「ここで働きたいんです。それなら教員免許をとって、というのも考えました。でも私はどうしても教える事よりも調べて学びたい気持ちが強くて。やりたい事をここで仕事にしたいと相談したくて……何も書きませんでした」
先生はずっと同じニコニコした顔で話を聞いてくれるから一生懸命話す。
諦められない事だから。
「なるほど。僕は今アオイさんのアピールを受けているわけですねぇ。まるで就職の面接です。まだ在学中なのになぁ」
「叶えるために足りない事あるならまだここから頑張れます。努力できる時間があるうちにお話を聞いてもらおうと思ったんです」
「チャンピオンランクの強さ。探究心の強さ。それを活かしてミライドンの移動能力での調査。いやあ魅力はありますねぇ。でも僕自身がアカデミーに雇われている身でそこからアオイさんにお給料を渡すのは中々厳しいですよ」
「先生は私を望んでくれますか?」
本命は更にその先。
私は先生を協力者にしたい。
一人で交渉するよりも可能性が上がると思ったからこの話をする時間を作ったのだ。
祈るように先生を見ていると後ろのドアが開いた。
一瞬、心臓が止まった。
「悪くない話だ。むしろ良い」
「おや、レホール先生」
「アオイ、貴様がつい先日私に『杭はまだ抜けない』と話したのはこれが理由だな」
「……はい」
『レホール先生、災いの宝についてお話があるので聞いてもらえますか?』
『ほぅ、一年の時に話してからやっとか。何か進展があったのか?』
『四つの祠の場所の付近を調べて杭を見つけました。何本か抜いてみましたよ。多分、ですけれど封印を解くのに必要な杭の数も大体予想できてます。他の杭もある場所もミライドンがいないと難しい場所もあるけれどやれそうです。……でも今はこれ以上抜くのはやめておきます』
『なぜだ?恐れたか。なら現状わかっている杭の場所を教えてみろ。私が直接行こう』
『今はまだ抜けません。でも待ってください。アカデミーを卒業したら必ず全ての祠の宝を私が先生に披露します』
『目の前に未知のものがあり、今すぐそれを知る術もあるのに行動しない理由は何故だ?』
『子供がやる事じゃないと思うんですよね。それに見つけて終わりじゃなくてそこから色々知ることが出来るなら大人になってからじっくり調べさせて欲しいです』
そう言って緩く笑ったアオイにレホールは思っていた以上にこちら側の人間だったのだな、と感じた。
「貴様、ジニアの助手になれたのなら正式に仕事として災いの宝を改めて調べるつもりだったのだろう」
「はい」
「そして、今この部屋でしていた就職相談、いや就職の面接だな。これが上手くいかなかったとしても災いの宝を揃えてどうにかこのアカデミーを拠点として仕事をしたいと交渉をする気だったな。この私に」
「……はい」
腕組みをして壁に寄りかかったままレホール先生が授業の時以上に圧のある目でこちらを見ている。
「あのぉ、災いの宝の話は僕初耳なんですど」
「授業の後に話を聞きにくるほど食いつきが良かったからな。祠の場所を教えておいた」
「レホール先生、それ絶対クラベル先生に怒られますよぉ」
「怒られて止まる事ができるか?私も貴様も似たようなものだろう。そしてこいつもそういった意味では将来有望だ」
ジニア先生は困ったように頭をかく。
「知りたいという気持ちは最初は好奇心ですが強くなるほど好きという感情になっていくんですよね。僕もレホール先生も好きなことを知りたい気持ちが抑えられないからこんな大人になっちゃったわけで。アオイさんがポケモンを大好きなのはよぉく知ってます。……もう止まらないんですねぇ」
私はぶんぶんと強く頷いた。
「仲間として迎えれば良い。こいつが手となり足となり働くことで私たちの研究が今以上に進むのは明白だ」
「人を雇う余裕なんてないですよぉ」
レホール先生は何もかも見通しているかのような目で私を見る。
「担任一人をバックにつけて交渉するつもりでいたようだが喜べ。教師二人つけばクラベルとの交渉が成功する確率はさらに上がる」
「は、はい」
「パルデアを自由に駆け回り、アカデミーに持ち帰った発見を人とポケモンの豊かな未来に活かす、とでも言えば良い。ジニアの助手でもアカデミーの職員でも職業名がなんであろう構わん。席を一つ作らせるぞ。その為の覚悟はできているだろう」
卒業してもテーブルシティがアカデミーが私の帰る場所になるために、その為ならどこまでも頑張れる。
「ジニア先生、レホール先生よろしくお願いします」
これから先もずっと。
そう思いを込めて私は頭を下げた。
「あぁ、相談というより決まっている事だったんですねぇ……。実際本当アオイさんが研究に協力してくれると助かりますし、アカデミーが給料払ってくれると僕も一安心なので頑張りましょうか」
そしてすぐに二人の先生と校長室に向かった。
災いの宝の事は伏せたまま、ポケモンの生態とパルデアの歴史を調べることを仕事にしたい。
その仕事をこのアカデミーで頑張りたいと伝えるとクラベル先生はその夢はとても良いものだと言ってくれた。
でも、二つ返事で認めることはできないと条件が提示された。
単位に関してはこのまま順調に卒業できるようになっていたので、更に特別な職員としての勉強をすることになった。
そこで勉強してテストに合格すれば職員としてアカデミーで働けることになった。
サワロ先生からはフィールドワーク時でもバランスの整った食事が取れるように調理だけでなく栄養学のさらに深いところを。
ミモザ先生からはポケモンだけではなく自分が怪我や体調を崩した時に取るべき対処の仕方を。
毎日健康で自己管理のできる人にこそ仕事をお願いしたいのです、とクラベル先生は言った。
そして始まる秘密の学校最強大会でも見られなかった先生達に育て上げられたポケモン達とのバトル訓練。
タイプ相性をあえて不利にしたり、複数のポケモンに囲まれたり。
それはパルデアの豊かな自然に挑む強さを身につけるためのものだった。
正直すごくきつかったけれど、それでも元気でいられたのは健康面担当の先生達のおかげだと思う。
勝つ事じゃなくて逃げる事、誰かを頼る事を叩き込まれる特別授業には感謝している。
今この子供の時間のうちに覚えておいた方が良い事を先生達は一生懸命時間を作って教えてくれた。
その間にクラベル先生は私の勤務内容、時間、色んな事を新しく決めて理事長のオモダカさんに話を通してくれた。
「リーグに来てくれるかと少し期待していたのですが仕方ありませんね」
そう言ったオモダカさんから承認されて返ってきた書類には理事長からの仕事を受けることが勤務内容に追加されていた。
ジニア先生とレホール先生は卒業には十分だったはずの生物学と歴史をさらに教えてくれた。
「いざという時に代理で授業ができるというのも強みだろう」
レホール先生はそう言っていたけれど先生達も自分の目で調べに外に行きたくなる。
その為に知識を頭に詰め込まれたんだと気づいたのはジニア先生の助手という名で就職してしばらく経ってからだった。
「で、そろそろ全部話してもらおうか」
特別授業のあと片付けてをしていると教卓からこちらにレホール先生が向かってきて隣に座った。
片付けの手を止めて私は少し姿勢を正す。
「杭の場所ですか?」
「違う。貴様はアカデミーの職員になる為に日々努力しているがそれは地固めだろう。便利な拠点、やりたい仕事、さて次は?」
授業のクエスチョンの時と同じ少し意地悪な顔で先生が覗き込んでくる。
これは逃げられない。
「好きな人がいまして……テーブルシティで仕事をすれば色々合わせやすいかな、と」
「リーグ四天王と付き合っている噂は本当だったか」
「まだ告白もしていません」
先生の目が少し驚きで見開く。
「貴様ならリーグで働きたいと言えば通っただろう」
「え、だってやりたい仕事はこっちですし。だから今頑張っているんですよ。それに」
本当は話すつもりはなかったけれど先生が聞こうとしてくれるから話してしまう。
「毎日顔を見ておはようとおやすみが言える生活が私の夢なんです。その夢を叶えようと色々頑張っていたらこんな感じに……なっていました」
「教師はやりたくないけどアカデミーを拠点にやりたい仕事をしたい。その為にジニアの助手という職員の枠を作らせて恋人も手に入れるつもりでいるとは強かなことだ」
「すみません……。ずるかったですよね」
「ずるいとは何に対してだ?」
「サワロ先生やミモザ先生の授業の時は特に思うんですけど、この知識でチ…あの人に美味しいご飯が作れる。元気でいてもらえるように色々できるって。先生達はそんなつもりで教えてないのに少し悪いなって」
「それをずるいと言うのは違うな。生きるための知識を教えている。それを自分のために使う事は悪くない」
「そうでしょうか……。私にとっては就職の面接の先にさらに面接があるつもりで今こうやって頑張っているんですよね。チャンピオンになる為にジムバッジを集めていた時と同じなんです」
ここに来るまでに何を思って、何を頑張って、これから何をしたいのか。
それをチリさんに伝えたい。
ずっとそう思い続けて、だから頑張れた。
「合格に必要なものがわからないからとにかく色々がむしゃらにやってきました」
「貴様がどれだけ好条件の女になっても向こうが惚れてなければ意味が無いのでは?」
「う……嫌われてはいないです。好意も伝わってきます。それが唯一特別とは断言できないですけど」
「ここまで環境を整えていざ告白して振られたらそれは愉快なことになるな」
「自分でも遠回りしてる気がしますけど!好きを伝えようと思ったらこういう道になってたんです」
思わず机にうつ伏せになると頭にポンと手が置かれた。
「振られたら私が存分にこき使ってやろう」
「怖いこと言わないでください」
「チリ、小生は嬉しいですよ。清く正しく過ごした日々の結果が見事に花開くと信じていてます。本当に良く育って……う、うぅ」
面接時間が終わって仕事の後処理をしていたらハッサクさんがようわからんことを言って通り過ぎて行った。
四天王に挑む挑戦者も中々ハッサクさんのところにまでは辿り着けん。
アカデミーの仕事が増えたとかで最近顔見てへんなと思ったらなんやあれ。
と、気にしてもしょうがないので仕事を終わらせる。
こっちはこっちで考える事がある。
『進路悩んでいたんですけどやっと決まりました。
ポケモンの事をもっと知りたくてジニア先生の助手を目指すことにしました。
認めてもらうには条件があって今は色々勉強中です。』
ふーんって顔になった。
いや、よその地方のチャンピオンに腕試ししてくるとか言い出したネモより百億万倍ええんやけど。
ジニア、確か学校最強大会で見た白衣のメガネ教師か。
やりたいこと見つけておめでとさんって気持ちと、その助手になりたい気持ちに不純な動機はないと信じてええんよね?と確認したい気持ち。
なんかあのくらいの年頃って無駄に大人がかっこよく見えたりするやん?
ほんま勘弁してや。
ここまで我慢したのに。
『卒業式の後にアカデミーで採用試験があるんです。
オモダカさんも来られるのですごく緊張するけど頑張りますね。
それで……受かってたら会いに行ってもいいですか?
合格を褒めて欲しいです』
なんで一個人が職員になるかならへんかの採用試験にトップが行くん?
どんな試験なん?って聞いても内緒言うからそれ以上聞かれへんかった。
学生生活それなりに仲良く過ごしたであろう年上の男の助手って響きが正直嫌な感じやけど本人がやりたい言うてるんやから応援はしてる。
立地はええねん。
リーグから近いし。
全然知らん人間の中で働くより信頼できる人間が周りおるのもええし。
なのに心がざわつく。
自分だってあの子が離れて行かないように頑張ってきた。
一番大事な事を伝えられない代わりに毎日送り続けたおはようとおやすみ。
たまに一緒に出かけて手を繋いで歩いた。
別れ際に繋いだ手が強くなるのはお互い同じだった。
目は口ほどに物を言うとは良く言った。
あの子の目が口にしない好意をいっぱい蓄えてキラキラして見えた。
お互いの目で伝わっているものがあると信じてきたけれど。
「なんか不安になってきた。胃が痛い」
仲良し四人組のペパーと一緒にいるのを見ても仲良えな、と素直に思うだけやのに。
自分より年上の頼れる大人を選ばれたような気がしてザラザラする。
選ばれたんは仕事なのはわかってる。
リーグに来て欲しいかっていうと好きだの惚れたのだけで仕事選ばれると正直微妙。
ほんまにやりたい事あってリーグで働きたいって言うならええけど、まあだからあの子は本当にやりたい事を選んだんよな。
そんな子やから好きなんや。
ふわふわしているのに流されそうで流されない。
最後には自分で考えて選択できる。
多分気づいてないやろなあ。
アオイから手を繋いでくれることがどれだけ嬉しい事か。
たまに会えば『仲良し』で許される範囲で触れる。
それをアオイも返してくれる。
何度も返してくれるから我慢してるのは自分だけじゃないと思ってきた。
思ってええんやんね?
『お祝いになんか欲しいもんある?』
『じゃあ合格の報告に行った時にお願いしても良いですか?』
『ええけど落ちてても来るんやで』
『うー落ちたくない……』
何あげよ。
甘い物好きな子やからケーキ?
それだけやと物足りんよな。ずっと頑張ってたみたいやし。
考えながらすっかり冷めたコーヒーを一口飲む。
にっが。
ちゃうねん。今欲しいのは甘いもんの気分やのに誰やこれいれたん。うちや。
ぐるぐる考えて熱暴走しそうだった頭が苦味で冴えた。
あとちょっとや、はよ仕事終わらせよ。
チリちゃんずっとええ子で待ってたやろ。
あとちょっとくらい大人やから我慢するわ。
せやから迷わずによそ見せずにこっちに来るんやで。