はじまりはここから
リーグの入り口が見える高い山。
私はミライドンと一緒に登って待機していた。
夜は寒い、なんて当たり前の事を忘れて手袋を持ってこなかった私は手を擦り合わせて寒さに耐える。
「まさか五時に帰ったとか……無いよね」
ギャオ、とミライドンが鳴く。
ごめんね、もう一時間近くここに居るよね。
家庭科の授業で作ったガトーショコラ。
自分で作った物を一口食べてみると思った以上に良くできていて嬉しくなった。
クラスの皆を見てみるとその場で食べている子もいればプレゼント用にラッピングしている子もいる。
頭の中に食べて欲しい人の顔が浮かぶ。
美味しくできた。
美味しくできたはず、私の味覚が正常なら。
サワロ先生は片付け終わった生徒から解散するように言っていた。
少し急ぎで片付けて教室を出る。
今からリーグに向かえば六時くらい。
流石にまだいると思う。
スマホで聞こうかと思ったけれど、手元の食べやすいように個包装にしたこれを渡す為にわざわざ連絡を入れるのは少し恥ずかしい。
食べてもらって感想が聞きたい。
だって美味しくできたから。
早足でアカデミーを出て人気の少ない場所でミライドンを出す。
学生寮の門限は八時。
申請すれば伸ばせるけれどこんな思いつきの行動は理由に書けない。
「とりあえず七時半くらいまで粘ってみよう」
教科書が入ったリュックになるべく崩れないようにお菓子を入れる。
私が乗って合図をするとミライドンは高く飛び上がった。
いつでも飛び出せるようにミライドンに乗ったままリーグを見下ろしている。
これって不審者じゃないのかなと不安になってきた頃、入り口から人が出てくるのが見えた。
長い緑色の髪は一人しかいない。
えっと、授業で作ったから食べてください、で良いのかな。
なんで?って聞かれたからどうしよう。
そもそも受け取ってもらえるのかな。
考え込んでいるとミライドンが体を揺らす。
「わっ」
私は落ちないように手に力を込める。
それがわかったのかミライドンが飛び降りる。
チリさんの所へ。
「っ!ミライドン飛んで!そのまま降りちゃだめ!」
目の前にいきなりポケモンが降ってきたらびっくりさせてしまう。
普段はミライドンの丈夫さに頼ってそれなりの高さでも飛び降りるけれどリーグの前でそれをやるのは良くない。
滑空状態になったミライドンでゆっくりと大回りに飛びながら地面を目指す。
なんとかチリさんから少し離れた場所に着地できた。
ふぅと一息つくと背後から駆けてきたチリさんに声をかけられた。
「アオイ!こんな時間に何しとんねん!」
心配そうな顔を見て私は慌ててリュックから目的の物を取り出す。
「これ!良かったら食べてください!」
「え、何。どゆこと」
「授業で作ったガトーショコラです。美味しくできたのでチリさんにも食べて欲しくなっちゃって。えっと、サワロ先生が三日は持つって言ったので今日全部食べなくても全然大丈夫です!」
袋に入ったそれをチリさんが受け取ってくれた。
ほぼ押し付けたに近いけれど。
「お、おう。ありがとう?ほんま急にどないしたん」
「パッと顔が浮かんで勢いできちゃいました……」
本当自分でもどうしたのかというくらい勢いで行動してしまった。
顔を逸らしているとガサガサと音が聞こえる。
袋の中にチリさんが手を入れている。
「三、四……五個も入っとる」
しまった。
自分で一つ食べて残り全部持って来てしまった。
多すぎたかもしれない。
「全部アオイの手作り?」
「はい……仕事の休憩時間とか、甘い物欲しいなって時に良かったら食べてください!じゃあ門限あるので失礼します!」
「待ちいや」
逃げ出そうとしたら手首を掴まれてしまった。
「なんや今日は珍しくわたわたしとるな自分。ちゃんとチリちゃんの目見てみ」
私が綺麗な赤い瞳を見るとチリさんが笑った。
「へにゃへにゃやん。こういうんは笑顔で渡してくれんと」
喜んで欲しい。
喜んでくれるかわからない。
不安が顔に出てしまっているらしい。
「手作りお菓子チリちゃんに食べて欲しくて待っとったん?」
私は頷いて答える。
「アオイ」
「……チリさんに食べて欲しくて、喜んでもらえると良いなって」
ちゃんと言葉にする。
「どのくらい待った?」
「一時間くらい、多分」
チリさんが防寒用の手袋を外して頬に触れる。
あったかくて気持ち良い。
「あーもうめっちゃ冷たいやん。体冷やしたらあかんやろ」
そう言ってもう片方の手袋も外してしまう。
「ん、手袋貸すから」
「えええ!大丈夫ですよ。リーグからアカデミーまですぐそこです」
「あーかーん。手袋せんかったらお菓子もいらん」
ショックで固まる私に手袋を受け取らせるチリさん。
「手作りのお菓子持ってアオイが来てくれたんめちゃ嬉しいで。大事に食べるさかいアオイも自分の事大事にしてや」
「でもチリさんが寒くなりますよ」
「ここ出たらタクシーですぐや。心配せんでも大丈夫や」
少し迷ってから私は手袋をする。
チリさんの温もりが残っているちょっと大きな手袋。
手袋をしている間に首にふわっと巻かれたのはマフラー。
「だめですよ!チリさんが寒いです!」
「連絡もせん、防寒もせんと隠れとったアオイが悪い」
良い匂いのするマフラーに包まれてふわふわする頭をチリさんが撫でる。
「今度会った時に返してくれたらええから」
「じゃあ明日……」
「子供が夜遅くに出歩くもんちゃうで」
「夕方スマホに連絡入れたら出てきてくれますか」
「チリちゃん仕事中スマホ見られへんからなあ。今度の休み、会える?」
今度の休みは特に予定はない。
「会えます」
「ほなそれまで預かっといてな。大丈夫やで。チリちゃん他にも持っとるし。一個だけちゃうよ」
プレゼントしに来たはずが借り物とはいえ色々もらってしまった。
「待ち合わせの時それ着けとってな。わかりやすいわ」
「ありがとうございます。……急に来ちゃってすみません」
「寒さ対策してないのは減点やけどこれがあるからなあ。これ二百点くらいやで」
袋の中の一つを口元に当ててチリさんは笑う。
「マイナスになってないですか?」
「余裕でプラス」
良かった、喜んでもらえた。
嬉しくなった私は安心してやっと今日自然に笑えた。
「その笑顔で更にプラスや。門限あるんやろ?急いで帰って怪我したらあかんで」
スマホで確認するとかなりギリギリだ。
せっかく会えたのだから言葉にして伝えられる事は伝えておかないともったいない。
私はチリさんの手を両手で掴んで言った。
「次はもっと美味しいの作りますから待っていてくださいね!」
ミライドンに乗って去って行く後ろ姿を眺める。
急いでいるからすぐに見えなくなる。
行儀悪いの承知でアオイからもらったお菓子をその場で一口食べる。
「うま」
甘いけど重すぎずしっとりしていて好きな味や。
可愛いなあ。
残りをもぐもぐと食べながら思い出す。
手作りのお菓子を食べて欲しいと持ってくるのが可愛い。
持ってきといてへにゃへにゃ不安そうにしてるのも可愛い。
貸した手袋とマフラーを身につけてもこもこしてる姿も可愛い。
安心してふにゃっと笑った顔が一番可愛い。
「なんやあの可愛い生き物」
甘い香りに気づいたのかパピモッチが足元にわらわらと集まる。
べ、と舌を出して手を振る。
「あかんで、全部チリちゃんのやからな」
そう言ってから歩き出す。
手作りお菓子もらえて、次また作ってくれる約束もできたし、今度の休みは一緒に過ごせる。
「ええ事だらけなんやけど。仕事頑張ってるチリちゃんへのご褒美やろか」
そう呟いて空を見上げると満天の星が輝いていた。