はじまりはここから
あ、とそれを見た瞬間に街の中なのに周りの音が消えた。
目が離せなくて、息が苦しいのに見えなくなるまでずっと動けなかった。
久しぶりにスマホ越しじゃない本物のチリさんが見れたのに心の中は寂しいとか悲しいとかとにかくコントロールできない感情が溢れてごちゃごちゃだった。
そのままアカデミーに帰ってエントランスのパソコンで宿題の調べ物をしていた。
さっき見た光景を忘れようと作業していても頭から離れない。
頭が痛い。
「おー相変わらず真面目ちゃんだな……ってお前大丈夫か?」
後ろからペパーの声がしたので振り返ると彼はすぐに険しい顔になった。
「ペパー」
「しんどいのか?顔色悪いぞ」
そう言って大きな手が私の額を覆う。
「少し、頭痛くて」
「んー?ちょっと熱いような……そうでもないような。とりあえず医務室行くぞ」
大丈夫と強がれる元気もない私はパソコンの電源を落として机の上を片付ける。
ペパーは私のノートや筆記用具を取り上げて手を引いて歩いていく。
手首を掴んでいる手を見ているとまた思い出してしまう。
リーグ職員の制服を着た人と笑って話をしていたチリさん。
職員の人も楽しそうに笑っていて、そこまではまだ大丈夫だった。
躊躇いなくその人はチリさんの手を掴んで歩き出した。
引っ張られるように歩きながら笑うチリさんはそのまま街のどこかに消えてしまった。
私だけのチリさんじゃないってわかってるけれど悲しい。
「ミモザ先生、ちょっとこいつ診てくれ。めちゃしんどそうなんだよ」
いつもはミモザ先生目当ての生徒がいる医務室は珍しく誰もいなかった。
「んー?アオイじゃない。あんたが体調崩すなんて珍しいわね」
とりあえず熱測りなさい、と差し出された体温計を受け取る。
体温計が鳴るのを待っている間にペパーが話しかけてくる。
「食欲はあるのか?」
首を横に振って答える。
「何も食べないともっとしんどくなるだろ。食べやすそうなもん作ってやるよ。先生こいつよろしく」
そう言ってペパーは医務室を出て行った。
そんな彼の後ろ姿を眺めて先生はこちらに尋ねてきた。
「あれ、あんたの彼氏?」
私はもう一度首を横に振って答えた。
「親友です……」
ピピッと鳴った体温計を先生に渡す。
「三十六度八。まあ微熱っちゃ微熱かしら。で、体調は具体的にどんな感じ?」
「頭が少し痛いです。あと上手く考えられない……」
「とりあえず横になりなさい。奥のベッド使って」
そう言われて私はベッドに移動する。
靴を脱いで横になると先生が布団をかけてくれた。
カーテンを閉めた先生はそのまま出ていかずベッドの横の椅子に腰掛ける。
「吐き出したい事があるなら聞くわよー?前に色々相談のってもらちゃったしお返しってことでね。なんかあんたの体調不良は風邪とかそういう感じに見えないし」
私は目を閉じて深呼吸をしてから心の中でごちゃごちゃになっている事を話し始めた。
「今日、買い物をしに外に出たんです。帰る時に……好きな人を見かけて」
「おお!いや、ごめん。続けて続けて」
好きな人の言葉に前のめりに反応した先生は椅子に座り直す。
「多分、同じ職場の人かな。仲良くお話ししていたんです」
すごく会いたかったのに、直接お話ししたかったのに近づけなかった。
「手を繋いでどこかに行っちゃった。気づいてもらえなかった」
泣きそうな顔を見られたくなくて布団で顔を隠す。
「誰も、何も悪くないのに私……悲しいのと、苦しいのと、なんかよくわからないぐちゃぐちゃした気持ちでいっぱいで」
自分の本当の気持ちを先生に伝えた。
「とても辛いです」
「当たり前じゃない」
顔を出すと先生は呆れた顔をしていた。
「なんかもっとえっぐい話かと期待したのに普通過ぎて逆にびっくりしたわ」
「普通?」
「普通よ。超普通。あーでもあんた多分初めてか。良い?好きな人が自分以外の人と手を繋いでて、しかも気づいてもらえなかったら悲しくないわけないでしょ」
コホンとわざとらしい咳をして先生は立ち上がる。
「先生らしく教えてあげるわ。好きな人の視線も手も独り占めしたいって独占欲は恋する子なら当たり前の感情よ。自分より近くにいる他の人間に腹立つ嫉妬心もね。あんたは運良くそういう気持ちに気づく機会が今までなかっただけ。今日みたいなことはこれから先もたっくさんあるわよ」
凄んだ顔を近づけてくる先生に私は泣きそうになる。
「これからもずっと?」
「あんたがその人をゲットする日までずっとね。その度に感情コントロールできずにオーバーヒート起こしてここで寝てて良いの?あんたならもうちょっと頑張れるでしょ」
頑張れるでしょ、その言葉に私は体を起こす。
「頑張れるかな……」
「嫉妬も独占欲も隠してとびっきりの笑顔でアピールしなさい。世界で一番可愛くて世界で一番貴方を想う子がここにいるのよ!ってね。向こうが欲しがらずにはいられないってレベルでメロメロにしてやんなさい」
チリさんをメロメロ?
そんな事できるのかな。
頑張れと背中を押された先が崖だったような気分。
でもその先にあの人がいるのなら飛び込むしかない。
「時間がもったいないでしょー?またこんな理由で医務室に来たら追い出すからね!好きな人を捕まようとしてる女に寝込んでる暇なし!わかった?」
ビシッと指を刺されて私は首をブンブン縦に振った。
正直まだ今日見た光景を思い出すと辛いけれど。
私だけのものじゃないのが悲しい。
私だけのものにしたい。
なら頑張りなさい、できるでしょという先生の激励のおかげで私は少し笑えるようになった。
「ミモザ先生ありがと。私頑張る」
「本当頑張りなさいよ。私たち大人はあんたたちより歳食ってる分経験した失敗の数も多いんだから。ちゃんと助言活かしてよね」
「はーい」
今はアドバイスをもらうばかりだけれど。
大人になったらミモザ先生と私で本気の恋の話もできるのかな。
そうなったらいいな。
「先生いないのかー?」
扉が開いてペパーの声が聞こえてくる。
「いるわよー。アオイはもう大丈夫よ。今日一日へこんだら明日からまた元気いっぱいよ」
「なんだそれ……」
でしょ?とこちら見て笑う先生に私も頷いてベッドから降りる。
「美味しいご飯食べさせてあげなさい。こんな日はそれが一番効くんだから」
そう言って迎えに来たペパーの方に私の背中を押す。
「もう寝てなくて良いのか?」
「ミモザ先生に色々話聞いてもらえたから大丈夫。でもお腹空いてきちゃった」
「……飯作ったから食ってけ。んで今日は早めに寝ろよ」
「はーい。ミモザ先生ありがとうございました」
「はいはい。……男女の友情なんてとか思っちゃうけどなーんかあんた達はずっとそんな感じでいそうね」
「当たり前だろ。親友なんだから」
「ペパー言葉遣い。相手は先生だよ」
手をひらひらと振る先生に頭を下げて私たちは医務室を出た。
体調を気づかって作られた消化にいいご飯を感謝して頂いた後、食後のお茶まで貰ってしまった。
「今日ね、好きな人が私に気づかずに他の人とどこかに行っちゃったの見て落ち込んでたんだ」
ミモザ先生のおかげでかなり回復したけどね、と笑う。
「悲しいとか寂しいで頭ごちゃごちゃになっちゃった。本当心配かけてごめんね。もう大丈夫、多分」
向かいに座ったペパーはマフィティフを撫でながら言う。
「こっちを見て欲しかったって事かよ。なのに気づいてくれなかった、と。それ……しんどいのわかる」
そうだった。
ペパーは小さい頃からその気持ちを知っていた。
ペパーも好きだから気づいて欲しかったし、自分よりミライドンと一緒にいる博士を見て辛かったんだ。
「うん、今日しんどかったよ。今思えば声をかけたら良かったのかなって思うけれど全然動けなかった」
もしかしたら小さい頃のペパーもそう思ったのかな。
「大人のくせに気づいてくれないのかよって思った事もあったけどさ、多分気づけなかったりわからない事は大人にもあるんだよなって今は思う」
寂しそうに笑うペパーにマフィティフが擦り寄る。
「そりゃそうだ。俺は父ちゃんにこっち見ろ、寂しいんだぞってすげえ思ってたけど、思ってただけだ。ちゃんと口に出して伝えてなかった。父ちゃん頭良いから俺が寂しがってる事だってわかってたと思う。でも俺の寂しいはすごくデカくて、もう耐えられないレベルなんだぞって事は俺が言わなきゃ伝わらなかったんだろな」
「……」
エリアゼロから帰ってきて博士のことを話す時のペパーは大人の顔をしている。
それが少し寂しくてもう少し一緒に子どもでいて欲しいと私は思ってしまう。
「お前の好きな人は話を聞いてくれる人か?」
「うん、聞いてくれる人。聞いてくれたから好きになったんだよ」
初めは仕事での質問だった。
でも私の思い出や夢をたくさん聞いてくれた。
だから私もあの人を知りたいと思った。
あの人の事を一つ知る度に好きになっていくのが止まらない。
直接会ってもっとたくさんお話がしたい。
それが私の願い。
「ならちゃんと言葉にしろよ。人の本当の気持ちなんか本人が言わなきゃわかんねぇんだから。相手の気持ちがわかんなくて不安なのは大人も子どもも一緒だと思うぜ」
「それは言ってくれたら安心するって事だよね」
「ああ、本人の言葉を疑う必要もないしな!だからお前はちゃんと言葉にしろよ」
そう言ってペパーはいつもの眩しい笑顔を見せてくれた。
私の言葉を信じてくれる事がすごく嬉しくて安心する。
そんなペパーだから博士が本当の気持ちを言葉にして伝えてくれていたらそれを信じたと思う。
二人には言葉を交わす機会が少なすぎた。
それでもペパーは今も博士を理解しようと頑張っている。
私の親友はとても、とってもすごいんだ。
「ペパー」
「お、なんだ」
「大好きだよ。私がおばあちゃんになっても一番の親友でいて欲しいな」
ペパーは少し恥ずかしそうに顔を一瞬逸らしたけれどすぐにこちらを向いて大きな手で頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。
「あっったり前だ!俺もお前が大好きだ!ずっと、ずーーっと俺たちは親友なんだからな!」
バゥ!とマフィティフも一緒に吠えてくれた。
「だから、辛い時にひとりぼっちでいたら許さないぞ。俺やみんなを頼るんだ。約束だからな」
やっと昼休みや。
ぐぅっと伸びをしてチリは出勤前に買ったサンドウィッチを取り出す。
「ちーりーちゃん。いっしょにたべましょ!」
「おーええで。こっちきい」
お弁当を持ったポピーがとてとてやってくるので机のスペースを開けて椅子を用意する。
「きのうはチリちゃんいなかったんですの」
「ごめんなあ。用事あったねん」
同僚が恋人の誕生日プレゼントが決まらんから助けてくれと泣きついてきたのが昨日。
いやなんでチリちゃんやねん、と言ったらセンス良さそう!と強引に街に連れて行かれた。
もう今日用意しないと間に合わないと言われ仕方なく付き合った。
同じ職場で一緒に働いていてそれなりの付き合いがあるせいで遠慮がなかった。
これええやんとドオーのキーホルダーを勧めたら背中叩かれたし。
恋人にはもっとかっこいいポケモンが似合うの!選ぶの付き合ってと手を引っ張られて色んな店を見てたら昼休みが潰れた。
チリちゃんのセンスとか関係なかったやん。
楽しくなかったといえば嘘になるけれど貴重な昼休みだからもう勘弁して欲しい。
隣でニコニコとお弁当を開けているポピーを見てその可愛さに癒される。
昼休みはやっぱこういうのがええねん。
午後からの仕事がんばろって英気が養われる。
そんな事を考えていると机の上に置いていたスマホに通知が来た。
サンドウィッチの袋を開けようとしていた手が止まる。
「チリちゃんまだですの?」
一緒にいただきますをする為にポピーが待ってくれている。
でも通知に表示されている名前を見たら内容が気になってしまう。
「ポピーちゃん、ちょっと待ってな」
もうーと膨れるポピーの頭を撫でながら片手でスマホを操作してメッセージを確認する。
最初に表示されたのはボールを頭に乗せたドオーの写真。
『今日のお昼は外でピクニックです!
おーちゃんもボールで遊んで大満足です。
ボールが頭に乗ると喜ぶんですよ。
可愛かったので写真送っちゃいました。』
毎日ではないがアオイが昼時にメッセージを送ってきてくれることがある。
本人には言うてないけど午後からの仕事へのやる気がめっちゃ上がるから嬉しい。
ポピーを待たせているので送られてきたメッセージを急いで読んでいく。
『良かったら今度お休みの日に都合が合えば一緒にピクニックしませんか?
うちのおーちゃんお気に入りのサンドウィッチがあるんです。
チリさんのドオーちゃんにも食べて欲しいです。
良い天気の日に美味しいごはんどうでしょう?
チリさんに会いたいです。
空いてる日があったらまた連絡ください。』
会いたい、の文字に忙しく動いていた目が止まる。
サンドウィッチが、ドオーがと色々言っているけれど。
もしかしたら、自分の勝手な希望だけれどこれが一番言いたいことだったりするんじゃないか。
会いたいです、と望まれるのはかなり、めちゃくちゃ嬉しい。
「チリちゃんニコニコですの」
「え!ああ、まあな。ごめんな、待たせて。ご飯食べよか」
気づかないうちに顔が緩んでいたらしい。
慌ててスマホを机の上に置く。
念の為に画面を下にして。
二人で手を合わせていただきますと言う。
返事はご飯の後にちゃんと返そう。
スケジュールを確認して、ああピクニックなら天気も見とかんと。
そうか、アオイはチリちゃんに会いたいんか。
自分も会いたかった。
別に特別なことなんもなくて良いから二人でお喋りして過ごしたい。
そう思って一人で過ごした休日は数えきれない。
誘いたかったけれどアオイにも友達付き合いとかあるやろしとか考えると積極的に動けなかった。
休みの日の夜、スマホに『今日は特にすることもなかったのでのんびりしてました」』なんて送られてきて誘えば良かった……と壁を殴りそうになった事は一度や二度じゃない。
だからアオイが誘ってくれた事が本当に嬉しい。
アオイへの返事を考えながらサンドウィッチをもしゃもしゃと食べる。
「んー?んー?チリちゃんさっきからニコニコ。ふしぎですの」
気になってしょうがないのかポピーの食事の手が止まっている。
正直に言わんとあかんか。
「お休みの日に遊ぼって連絡が来て嬉しいんや」
「あらー!すてきですわ!ポピーもおともだちにさそわれるのとーってもうれしいですわ」
ポピーは自分の事のように嬉しそうに体を横に振る。
「な、めちゃ嬉しいやんな」
「おともだちとあそぶのポピーだーいすきです!」
「うちも大好きや。ほらポピーちゃんご飯食べんと昼休み終わってまうで」
「あらーそうでした」
チリの機嫌が良い理由に納得がいったポピーは食事に集中する。
誘ってくれた嬉しさと会える日が楽しみな気持ちで心がいっぱいや。
そら顔も緩んでしまうんしょうがないやろ。
でもこんだけ幸せもらったからにはお返しもしたい。
貰ってばっかりは嫌や。
アオイを喜ばせたい。
ふにゃふにゃと可愛い笑顔を見せて欲しい。
とにかく次は自分から誘うとして。
町で見つけたドオーのキーホルダー。
アオイやったら喜んでくれるやろか。
いっしょに買いに行きたいなあ。
いつも背負ってるカバンにつけてくれたら嬉しいんやけどな。
昼休みの医務室。
「という感じで送ってみたんですけど」
「ポケモンを出しにして誘うとはね。しかもお揃いのポケモンを用意して」
「この為に用意したみたいに言わないでください!うちのおーちゃんは入学当初からの古参メンバーです!」
「で、返事はどうだったのよ」
「……会いたかったから誘ってくれて嬉しいって」
「顔緩みすぎ。ふにゃふにゃよ」
ミモザ先生に頬を引っ張られたけれど私は幸せいっぱいだった。
目が離せなくて、息が苦しいのに見えなくなるまでずっと動けなかった。
久しぶりにスマホ越しじゃない本物のチリさんが見れたのに心の中は寂しいとか悲しいとかとにかくコントロールできない感情が溢れてごちゃごちゃだった。
そのままアカデミーに帰ってエントランスのパソコンで宿題の調べ物をしていた。
さっき見た光景を忘れようと作業していても頭から離れない。
頭が痛い。
「おー相変わらず真面目ちゃんだな……ってお前大丈夫か?」
後ろからペパーの声がしたので振り返ると彼はすぐに険しい顔になった。
「ペパー」
「しんどいのか?顔色悪いぞ」
そう言って大きな手が私の額を覆う。
「少し、頭痛くて」
「んー?ちょっと熱いような……そうでもないような。とりあえず医務室行くぞ」
大丈夫と強がれる元気もない私はパソコンの電源を落として机の上を片付ける。
ペパーは私のノートや筆記用具を取り上げて手を引いて歩いていく。
手首を掴んでいる手を見ているとまた思い出してしまう。
リーグ職員の制服を着た人と笑って話をしていたチリさん。
職員の人も楽しそうに笑っていて、そこまではまだ大丈夫だった。
躊躇いなくその人はチリさんの手を掴んで歩き出した。
引っ張られるように歩きながら笑うチリさんはそのまま街のどこかに消えてしまった。
私だけのチリさんじゃないってわかってるけれど悲しい。
「ミモザ先生、ちょっとこいつ診てくれ。めちゃしんどそうなんだよ」
いつもはミモザ先生目当ての生徒がいる医務室は珍しく誰もいなかった。
「んー?アオイじゃない。あんたが体調崩すなんて珍しいわね」
とりあえず熱測りなさい、と差し出された体温計を受け取る。
体温計が鳴るのを待っている間にペパーが話しかけてくる。
「食欲はあるのか?」
首を横に振って答える。
「何も食べないともっとしんどくなるだろ。食べやすそうなもん作ってやるよ。先生こいつよろしく」
そう言ってペパーは医務室を出て行った。
そんな彼の後ろ姿を眺めて先生はこちらに尋ねてきた。
「あれ、あんたの彼氏?」
私はもう一度首を横に振って答えた。
「親友です……」
ピピッと鳴った体温計を先生に渡す。
「三十六度八。まあ微熱っちゃ微熱かしら。で、体調は具体的にどんな感じ?」
「頭が少し痛いです。あと上手く考えられない……」
「とりあえず横になりなさい。奥のベッド使って」
そう言われて私はベッドに移動する。
靴を脱いで横になると先生が布団をかけてくれた。
カーテンを閉めた先生はそのまま出ていかずベッドの横の椅子に腰掛ける。
「吐き出したい事があるなら聞くわよー?前に色々相談のってもらちゃったしお返しってことでね。なんかあんたの体調不良は風邪とかそういう感じに見えないし」
私は目を閉じて深呼吸をしてから心の中でごちゃごちゃになっている事を話し始めた。
「今日、買い物をしに外に出たんです。帰る時に……好きな人を見かけて」
「おお!いや、ごめん。続けて続けて」
好きな人の言葉に前のめりに反応した先生は椅子に座り直す。
「多分、同じ職場の人かな。仲良くお話ししていたんです」
すごく会いたかったのに、直接お話ししたかったのに近づけなかった。
「手を繋いでどこかに行っちゃった。気づいてもらえなかった」
泣きそうな顔を見られたくなくて布団で顔を隠す。
「誰も、何も悪くないのに私……悲しいのと、苦しいのと、なんかよくわからないぐちゃぐちゃした気持ちでいっぱいで」
自分の本当の気持ちを先生に伝えた。
「とても辛いです」
「当たり前じゃない」
顔を出すと先生は呆れた顔をしていた。
「なんかもっとえっぐい話かと期待したのに普通過ぎて逆にびっくりしたわ」
「普通?」
「普通よ。超普通。あーでもあんた多分初めてか。良い?好きな人が自分以外の人と手を繋いでて、しかも気づいてもらえなかったら悲しくないわけないでしょ」
コホンとわざとらしい咳をして先生は立ち上がる。
「先生らしく教えてあげるわ。好きな人の視線も手も独り占めしたいって独占欲は恋する子なら当たり前の感情よ。自分より近くにいる他の人間に腹立つ嫉妬心もね。あんたは運良くそういう気持ちに気づく機会が今までなかっただけ。今日みたいなことはこれから先もたっくさんあるわよ」
凄んだ顔を近づけてくる先生に私は泣きそうになる。
「これからもずっと?」
「あんたがその人をゲットする日までずっとね。その度に感情コントロールできずにオーバーヒート起こしてここで寝てて良いの?あんたならもうちょっと頑張れるでしょ」
頑張れるでしょ、その言葉に私は体を起こす。
「頑張れるかな……」
「嫉妬も独占欲も隠してとびっきりの笑顔でアピールしなさい。世界で一番可愛くて世界で一番貴方を想う子がここにいるのよ!ってね。向こうが欲しがらずにはいられないってレベルでメロメロにしてやんなさい」
チリさんをメロメロ?
そんな事できるのかな。
頑張れと背中を押された先が崖だったような気分。
でもその先にあの人がいるのなら飛び込むしかない。
「時間がもったいないでしょー?またこんな理由で医務室に来たら追い出すからね!好きな人を捕まようとしてる女に寝込んでる暇なし!わかった?」
ビシッと指を刺されて私は首をブンブン縦に振った。
正直まだ今日見た光景を思い出すと辛いけれど。
私だけのものじゃないのが悲しい。
私だけのものにしたい。
なら頑張りなさい、できるでしょという先生の激励のおかげで私は少し笑えるようになった。
「ミモザ先生ありがと。私頑張る」
「本当頑張りなさいよ。私たち大人はあんたたちより歳食ってる分経験した失敗の数も多いんだから。ちゃんと助言活かしてよね」
「はーい」
今はアドバイスをもらうばかりだけれど。
大人になったらミモザ先生と私で本気の恋の話もできるのかな。
そうなったらいいな。
「先生いないのかー?」
扉が開いてペパーの声が聞こえてくる。
「いるわよー。アオイはもう大丈夫よ。今日一日へこんだら明日からまた元気いっぱいよ」
「なんだそれ……」
でしょ?とこちら見て笑う先生に私も頷いてベッドから降りる。
「美味しいご飯食べさせてあげなさい。こんな日はそれが一番効くんだから」
そう言って迎えに来たペパーの方に私の背中を押す。
「もう寝てなくて良いのか?」
「ミモザ先生に色々話聞いてもらえたから大丈夫。でもお腹空いてきちゃった」
「……飯作ったから食ってけ。んで今日は早めに寝ろよ」
「はーい。ミモザ先生ありがとうございました」
「はいはい。……男女の友情なんてとか思っちゃうけどなーんかあんた達はずっとそんな感じでいそうね」
「当たり前だろ。親友なんだから」
「ペパー言葉遣い。相手は先生だよ」
手をひらひらと振る先生に頭を下げて私たちは医務室を出た。
体調を気づかって作られた消化にいいご飯を感謝して頂いた後、食後のお茶まで貰ってしまった。
「今日ね、好きな人が私に気づかずに他の人とどこかに行っちゃったの見て落ち込んでたんだ」
ミモザ先生のおかげでかなり回復したけどね、と笑う。
「悲しいとか寂しいで頭ごちゃごちゃになっちゃった。本当心配かけてごめんね。もう大丈夫、多分」
向かいに座ったペパーはマフィティフを撫でながら言う。
「こっちを見て欲しかったって事かよ。なのに気づいてくれなかった、と。それ……しんどいのわかる」
そうだった。
ペパーは小さい頃からその気持ちを知っていた。
ペパーも好きだから気づいて欲しかったし、自分よりミライドンと一緒にいる博士を見て辛かったんだ。
「うん、今日しんどかったよ。今思えば声をかけたら良かったのかなって思うけれど全然動けなかった」
もしかしたら小さい頃のペパーもそう思ったのかな。
「大人のくせに気づいてくれないのかよって思った事もあったけどさ、多分気づけなかったりわからない事は大人にもあるんだよなって今は思う」
寂しそうに笑うペパーにマフィティフが擦り寄る。
「そりゃそうだ。俺は父ちゃんにこっち見ろ、寂しいんだぞってすげえ思ってたけど、思ってただけだ。ちゃんと口に出して伝えてなかった。父ちゃん頭良いから俺が寂しがってる事だってわかってたと思う。でも俺の寂しいはすごくデカくて、もう耐えられないレベルなんだぞって事は俺が言わなきゃ伝わらなかったんだろな」
「……」
エリアゼロから帰ってきて博士のことを話す時のペパーは大人の顔をしている。
それが少し寂しくてもう少し一緒に子どもでいて欲しいと私は思ってしまう。
「お前の好きな人は話を聞いてくれる人か?」
「うん、聞いてくれる人。聞いてくれたから好きになったんだよ」
初めは仕事での質問だった。
でも私の思い出や夢をたくさん聞いてくれた。
だから私もあの人を知りたいと思った。
あの人の事を一つ知る度に好きになっていくのが止まらない。
直接会ってもっとたくさんお話がしたい。
それが私の願い。
「ならちゃんと言葉にしろよ。人の本当の気持ちなんか本人が言わなきゃわかんねぇんだから。相手の気持ちがわかんなくて不安なのは大人も子どもも一緒だと思うぜ」
「それは言ってくれたら安心するって事だよね」
「ああ、本人の言葉を疑う必要もないしな!だからお前はちゃんと言葉にしろよ」
そう言ってペパーはいつもの眩しい笑顔を見せてくれた。
私の言葉を信じてくれる事がすごく嬉しくて安心する。
そんなペパーだから博士が本当の気持ちを言葉にして伝えてくれていたらそれを信じたと思う。
二人には言葉を交わす機会が少なすぎた。
それでもペパーは今も博士を理解しようと頑張っている。
私の親友はとても、とってもすごいんだ。
「ペパー」
「お、なんだ」
「大好きだよ。私がおばあちゃんになっても一番の親友でいて欲しいな」
ペパーは少し恥ずかしそうに顔を一瞬逸らしたけれどすぐにこちらを向いて大きな手で頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。
「あっったり前だ!俺もお前が大好きだ!ずっと、ずーーっと俺たちは親友なんだからな!」
バゥ!とマフィティフも一緒に吠えてくれた。
「だから、辛い時にひとりぼっちでいたら許さないぞ。俺やみんなを頼るんだ。約束だからな」
やっと昼休みや。
ぐぅっと伸びをしてチリは出勤前に買ったサンドウィッチを取り出す。
「ちーりーちゃん。いっしょにたべましょ!」
「おーええで。こっちきい」
お弁当を持ったポピーがとてとてやってくるので机のスペースを開けて椅子を用意する。
「きのうはチリちゃんいなかったんですの」
「ごめんなあ。用事あったねん」
同僚が恋人の誕生日プレゼントが決まらんから助けてくれと泣きついてきたのが昨日。
いやなんでチリちゃんやねん、と言ったらセンス良さそう!と強引に街に連れて行かれた。
もう今日用意しないと間に合わないと言われ仕方なく付き合った。
同じ職場で一緒に働いていてそれなりの付き合いがあるせいで遠慮がなかった。
これええやんとドオーのキーホルダーを勧めたら背中叩かれたし。
恋人にはもっとかっこいいポケモンが似合うの!選ぶの付き合ってと手を引っ張られて色んな店を見てたら昼休みが潰れた。
チリちゃんのセンスとか関係なかったやん。
楽しくなかったといえば嘘になるけれど貴重な昼休みだからもう勘弁して欲しい。
隣でニコニコとお弁当を開けているポピーを見てその可愛さに癒される。
昼休みはやっぱこういうのがええねん。
午後からの仕事がんばろって英気が養われる。
そんな事を考えていると机の上に置いていたスマホに通知が来た。
サンドウィッチの袋を開けようとしていた手が止まる。
「チリちゃんまだですの?」
一緒にいただきますをする為にポピーが待ってくれている。
でも通知に表示されている名前を見たら内容が気になってしまう。
「ポピーちゃん、ちょっと待ってな」
もうーと膨れるポピーの頭を撫でながら片手でスマホを操作してメッセージを確認する。
最初に表示されたのはボールを頭に乗せたドオーの写真。
『今日のお昼は外でピクニックです!
おーちゃんもボールで遊んで大満足です。
ボールが頭に乗ると喜ぶんですよ。
可愛かったので写真送っちゃいました。』
毎日ではないがアオイが昼時にメッセージを送ってきてくれることがある。
本人には言うてないけど午後からの仕事へのやる気がめっちゃ上がるから嬉しい。
ポピーを待たせているので送られてきたメッセージを急いで読んでいく。
『良かったら今度お休みの日に都合が合えば一緒にピクニックしませんか?
うちのおーちゃんお気に入りのサンドウィッチがあるんです。
チリさんのドオーちゃんにも食べて欲しいです。
良い天気の日に美味しいごはんどうでしょう?
チリさんに会いたいです。
空いてる日があったらまた連絡ください。』
会いたい、の文字に忙しく動いていた目が止まる。
サンドウィッチが、ドオーがと色々言っているけれど。
もしかしたら、自分の勝手な希望だけれどこれが一番言いたいことだったりするんじゃないか。
会いたいです、と望まれるのはかなり、めちゃくちゃ嬉しい。
「チリちゃんニコニコですの」
「え!ああ、まあな。ごめんな、待たせて。ご飯食べよか」
気づかないうちに顔が緩んでいたらしい。
慌ててスマホを机の上に置く。
念の為に画面を下にして。
二人で手を合わせていただきますと言う。
返事はご飯の後にちゃんと返そう。
スケジュールを確認して、ああピクニックなら天気も見とかんと。
そうか、アオイはチリちゃんに会いたいんか。
自分も会いたかった。
別に特別なことなんもなくて良いから二人でお喋りして過ごしたい。
そう思って一人で過ごした休日は数えきれない。
誘いたかったけれどアオイにも友達付き合いとかあるやろしとか考えると積極的に動けなかった。
休みの日の夜、スマホに『今日は特にすることもなかったのでのんびりしてました」』なんて送られてきて誘えば良かった……と壁を殴りそうになった事は一度や二度じゃない。
だからアオイが誘ってくれた事が本当に嬉しい。
アオイへの返事を考えながらサンドウィッチをもしゃもしゃと食べる。
「んー?んー?チリちゃんさっきからニコニコ。ふしぎですの」
気になってしょうがないのかポピーの食事の手が止まっている。
正直に言わんとあかんか。
「お休みの日に遊ぼって連絡が来て嬉しいんや」
「あらー!すてきですわ!ポピーもおともだちにさそわれるのとーってもうれしいですわ」
ポピーは自分の事のように嬉しそうに体を横に振る。
「な、めちゃ嬉しいやんな」
「おともだちとあそぶのポピーだーいすきです!」
「うちも大好きや。ほらポピーちゃんご飯食べんと昼休み終わってまうで」
「あらーそうでした」
チリの機嫌が良い理由に納得がいったポピーは食事に集中する。
誘ってくれた嬉しさと会える日が楽しみな気持ちで心がいっぱいや。
そら顔も緩んでしまうんしょうがないやろ。
でもこんだけ幸せもらったからにはお返しもしたい。
貰ってばっかりは嫌や。
アオイを喜ばせたい。
ふにゃふにゃと可愛い笑顔を見せて欲しい。
とにかく次は自分から誘うとして。
町で見つけたドオーのキーホルダー。
アオイやったら喜んでくれるやろか。
いっしょに買いに行きたいなあ。
いつも背負ってるカバンにつけてくれたら嬉しいんやけどな。
昼休みの医務室。
「という感じで送ってみたんですけど」
「ポケモンを出しにして誘うとはね。しかもお揃いのポケモンを用意して」
「この為に用意したみたいに言わないでください!うちのおーちゃんは入学当初からの古参メンバーです!」
「で、返事はどうだったのよ」
「……会いたかったから誘ってくれて嬉しいって」
「顔緩みすぎ。ふにゃふにゃよ」
ミモザ先生に頬を引っ張られたけれど私は幸せいっぱいだった。