美しき嘘 シリウス&ランスロット過去編
その日、剣を携えたランスロットは解せないといった顔で眉を寄せた。
「シリウス、また俺の鍛錬に付き合うつもりはないのか? そんなに花が大事か」
「俺はこの拳さえあればいいんでな。水やりが終わったら寮に帰るさ。明日は大事な試験だ」
ジョウロを花壇に優しく振りまきながら、シリウスは言った。
「お前ほどの頭脳であれば予習など必要ないだろう。こんなところで花と戯れる意味が俺にはわからん」
「わからなくていい。俺は自分がしたいことをしてる。それだけだ」
「前から思っていたが、お前は変わった男だな。なぜか体術ではお前には絶対に勝てん。いったいいつ鍛錬している? つくづく嫌味な男だ」
重量のある剣を軽々しく振るうランスロットは、横目でシリウスを見て毒ついた。
「お前とはそもそも目的が違う。俺は有事で徴兵されたときのために鍛えてる。せめて家族だけは守らねえとな。この手に抱えきれるもんだけでも」
「…惜しいな。お前が赤の領地出身であれば、赤の軍の兵士として徴用したものを」
「おい、やめてくれ。もしそっち側に生まれていたとしても、軍人にはなるつもりはさらさらねえよ」
「たしかに、お前には剣よりもその姿のほうが似合いだ」
「だろ」
シリウスが微笑むとランスロットもつられたように微笑した。
生まれた領地も違えば、生きる世界も違う。
共有できるのは寄宿学校で共に学ぶたった数年だけ。
そこだけ二人の思い出が唯一、重なる時間だった。
互いに深くは干渉しない。ただ同じ空気を吸い、友として語らう。そんな距離感がランスロットは居心地よかった。
このまま卒業するのが惜しいと思うほど。
「シリウス、なにか話せ。お前に黙られると、落ち着かない」
「おい、前に鍛錬中は集中を邪魔されたくねえって言ったのは誰だ?」
「そうだが、お前の声が聞きたい」
「……?!」
「鍛錬はひとりでもできる。お前がいるときは、何か語らっていたい。それが友というものだろう」
「そう期待されると逆に喋りずらいんだが……。まあ、俺たちはいつか道が違える。いつまでも一緒にはいられねえ」
そのとき、シリウスの言葉にかぶさるように背後で甲高い声が響いた。
「まったくもってその通りだよ」
驚いて二人が振り返ると、そこには絶世の美少女・・・否、美少年が眉を吊り上げて仁王立ちしていた。
「君、シリウスとか言ったね。ランスロット様とご学友とはいえ、庶民出身の君と赤の領地出身の俺達とじゃ生きる世界が違う。君とランスロット様は根本的に違うんだよ。それをよく覚えておくんだね」
シリウスは呆気にとられて目を見開いた。二学年も先輩である自分にこんな上からな態度をとれるのは、この寄宿学校でただ一人、次期
「赤のクイーン」
のヨナ=クレメンスだ。
「ヨナ、やめないか」
ランスロットがたしなめるように名前を呼ぶと、ヨナは露骨にランスロットに笑顔を振りまいた。
「ランスロット様、なぜこんな品のない者の相手をしているのですか? 鍛錬をされるならぜひ、このヨナ=クレメンスと鍛錬してください。俺、また強くなったんですから!」
キレイな歯を見せて勝ち気に笑うヨナだったが、ランスロットの次の言葉にその笑みは消えることとなった。
「……そうか。ヨナ、お前の努力を惜しまないところは美点だ。だが、いまの言葉は訂正しろ」
「え?」
ヨナはきょとんと首をかしげた。
「いまお前は品がないと言ったな。シリウスは黒の領地出身だが、俺が今まで出会ったどの人間よりも優れた資質を持った男だ」
予期しない反論にヨナは一瞬だけぽかんとしたが、すぐに怒りで顔を朱に染めた。
「お言葉ですが、ランスロット様は誑かされているんですよ。多くの人間がそうであるように、この男だってランスロット様に取り入りたいだけです」
「シリウスには俺に取り入る理由がない」
シリウスを頑なに庇うランスロットに、ヨナは人形のように整った顔をひきつらせた。
「それなら君が教えてよ。どうしてランスロット様と君は親しくしてるの? 君は赤の軍に入団する訳でもない。なんの得にもならないのに、どうしてランスロット様のお側にいるの!?」
今度はヨナの目がシリウスに向けられた。激しい嫉妬を隠そうともしない。
「君はランスロット様には相応しくない。俺は君がランスロット様の隣にいることを認めないよ」
こんなに感情をあらわにするヨナのことをシリウスは微笑ましく思ったと同時に、いささか苛立ちを覚えた。
ヨナは将来ランスロットの右腕になることを一片も疑っていない。
クールなランスロットにはきっと、こういう熱血なクイーンがいい。頭では納得できるが、感情はそこまでお人好しにはなれなかった。
「得にならないだと? たしかにそうだな。だったら、なんだ? お前には関係ねえだろ」
シリウスが挑発的で大人びた笑いを見せると、ヨナはいっそうこめかみに青筋を立てた。まるで馬鹿にされた気がしたのだ。
「関係なくないよ! 俺を誰だと思ってるの? 赤のクイーンになる男だよ? ランスロット様に気に入られてるからっていい気にならないで。この俺は騙せないよ」
「じゃ、こう言えばいいのか? 俺は赤の軍に恨みがあって、次期キングになるランスの命を狙ってると」
「そうだとしたら、俺が絶対に許さないけどね」
剣を引き抜いたヨナを見て、シリウスは両手をあげた。
「早まるな、美少年。あくまで仮定の話だ」
「それくらいわかってるよ。まあ、もし君が本当にランスロット様に危害を加えようとしても、返り討ちにあうだけだろうしね。ランスロット様は最強だから」
「そうだな」
そこだけ意見が一致したことに、ヨナは目をパチクリさせた。将来の主を褒められるのはヨナも悪い気はしないらしい。
「二人ともそれくらいにしろ。ヨナ、悪いがシリウスと二人にしてくれないか」
「どうしてですか?」
「お前とはまた改めて時間を作ろう。次は剣の相手をすると約束する。決して自分の力を奢るな」
「わかっています。俺の剣はランスロット様に比べたらまだまだですから。それでは、今日は帰ることにします。でも、絶対ですよ! ランスロット様、絶対次は俺の稽古をしてくださいね!」
ヨナはランスロットの手を握りぶんぶん振って握手すると、今度は思い切りシリウスを睨みつけふんと顔をそらした。後ろ姿は女の子のように可愛いヨナを見送って、ランスロットはため息をつく。
「実にヨナらしい凄まじい牽制だったな」
「そうだな。だが、なかなか痛いとこ突かれた」
ヨナに言われたことはすべてがシリウスの胸に突き刺さった。余裕そうに振る舞うのは案外骨が折れた。
「気にするな。ヨナは人一倍自尊心が強い上に理想も高い。俺が親しくしている者には誰彼構わず噛み付いていただろう。だが、ヨナのおかげで改めてお前の良さを確認できた」
ランスロットがヨナに言い返してくれたことは素直に嬉しかった。
シリウスの胸はあの瞬間から今もずっと熱いままだ。
ああ、さっきの苛立った気持ちがなんなのか、いまわかった。俺はヨナが羨ましかったんだ。お前の傍らに居続けられるヨナを…。
ランスロットの夢をヨナは一番近くで見ることができる。歴代のキングがなし得なかった偉業を達成する瞬間、隣にいることができる。
自分のこの土に汚れた手など、まったく必要ない。
たまらなくなってシリウスは拳を握った。
「ランス、お前が守りたいものは大きすぎる。……その中に、俺は入っているのか?」
心の声がこぼれてしまい、シリウスは慌てて口を手で覆った。
「なにか言ったか、シリウス」
ランスロットには聞こえていなかったようでほっとした。
「いや、なんでもねえよ」
なにを口走ってしまったのか。自分が信じられなかった。
このときのシリウスは、ランスロットが完璧な男に見えていた。
ランスロットはいつだって自分の信念を貫き通す男だ。
本当は深海に咲く花のように不安定で脆いことは知るよしもなかった。
俺には想像できなかった。
こいつの未来が、自分の屍の上を歩くことになることを……
ランスロットが魔法を使えると知るのは、このあとすぐのことだった。
後編へつづく
「シリウス、また俺の鍛錬に付き合うつもりはないのか? そんなに花が大事か」
「俺はこの拳さえあればいいんでな。水やりが終わったら寮に帰るさ。明日は大事な試験だ」
ジョウロを花壇に優しく振りまきながら、シリウスは言った。
「お前ほどの頭脳であれば予習など必要ないだろう。こんなところで花と戯れる意味が俺にはわからん」
「わからなくていい。俺は自分がしたいことをしてる。それだけだ」
「前から思っていたが、お前は変わった男だな。なぜか体術ではお前には絶対に勝てん。いったいいつ鍛錬している? つくづく嫌味な男だ」
重量のある剣を軽々しく振るうランスロットは、横目でシリウスを見て毒ついた。
「お前とはそもそも目的が違う。俺は有事で徴兵されたときのために鍛えてる。せめて家族だけは守らねえとな。この手に抱えきれるもんだけでも」
「…惜しいな。お前が赤の領地出身であれば、赤の軍の兵士として徴用したものを」
「おい、やめてくれ。もしそっち側に生まれていたとしても、軍人にはなるつもりはさらさらねえよ」
「たしかに、お前には剣よりもその姿のほうが似合いだ」
「だろ」
シリウスが微笑むとランスロットもつられたように微笑した。
生まれた領地も違えば、生きる世界も違う。
共有できるのは寄宿学校で共に学ぶたった数年だけ。
そこだけ二人の思い出が唯一、重なる時間だった。
互いに深くは干渉しない。ただ同じ空気を吸い、友として語らう。そんな距離感がランスロットは居心地よかった。
このまま卒業するのが惜しいと思うほど。
「シリウス、なにか話せ。お前に黙られると、落ち着かない」
「おい、前に鍛錬中は集中を邪魔されたくねえって言ったのは誰だ?」
「そうだが、お前の声が聞きたい」
「……?!」
「鍛錬はひとりでもできる。お前がいるときは、何か語らっていたい。それが友というものだろう」
「そう期待されると逆に喋りずらいんだが……。まあ、俺たちはいつか道が違える。いつまでも一緒にはいられねえ」
そのとき、シリウスの言葉にかぶさるように背後で甲高い声が響いた。
「まったくもってその通りだよ」
驚いて二人が振り返ると、そこには絶世の美少女・・・否、美少年が眉を吊り上げて仁王立ちしていた。
「君、シリウスとか言ったね。ランスロット様とご学友とはいえ、庶民出身の君と赤の領地出身の俺達とじゃ生きる世界が違う。君とランスロット様は根本的に違うんだよ。それをよく覚えておくんだね」
シリウスは呆気にとられて目を見開いた。二学年も先輩である自分にこんな上からな態度をとれるのは、この寄宿学校でただ一人、次期
「赤のクイーン」
のヨナ=クレメンスだ。
「ヨナ、やめないか」
ランスロットがたしなめるように名前を呼ぶと、ヨナは露骨にランスロットに笑顔を振りまいた。
「ランスロット様、なぜこんな品のない者の相手をしているのですか? 鍛錬をされるならぜひ、このヨナ=クレメンスと鍛錬してください。俺、また強くなったんですから!」
キレイな歯を見せて勝ち気に笑うヨナだったが、ランスロットの次の言葉にその笑みは消えることとなった。
「……そうか。ヨナ、お前の努力を惜しまないところは美点だ。だが、いまの言葉は訂正しろ」
「え?」
ヨナはきょとんと首をかしげた。
「いまお前は品がないと言ったな。シリウスは黒の領地出身だが、俺が今まで出会ったどの人間よりも優れた資質を持った男だ」
予期しない反論にヨナは一瞬だけぽかんとしたが、すぐに怒りで顔を朱に染めた。
「お言葉ですが、ランスロット様は誑かされているんですよ。多くの人間がそうであるように、この男だってランスロット様に取り入りたいだけです」
「シリウスには俺に取り入る理由がない」
シリウスを頑なに庇うランスロットに、ヨナは人形のように整った顔をひきつらせた。
「それなら君が教えてよ。どうしてランスロット様と君は親しくしてるの? 君は赤の軍に入団する訳でもない。なんの得にもならないのに、どうしてランスロット様のお側にいるの!?」
今度はヨナの目がシリウスに向けられた。激しい嫉妬を隠そうともしない。
「君はランスロット様には相応しくない。俺は君がランスロット様の隣にいることを認めないよ」
こんなに感情をあらわにするヨナのことをシリウスは微笑ましく思ったと同時に、いささか苛立ちを覚えた。
ヨナは将来ランスロットの右腕になることを一片も疑っていない。
クールなランスロットにはきっと、こういう熱血なクイーンがいい。頭では納得できるが、感情はそこまでお人好しにはなれなかった。
「得にならないだと? たしかにそうだな。だったら、なんだ? お前には関係ねえだろ」
シリウスが挑発的で大人びた笑いを見せると、ヨナはいっそうこめかみに青筋を立てた。まるで馬鹿にされた気がしたのだ。
「関係なくないよ! 俺を誰だと思ってるの? 赤のクイーンになる男だよ? ランスロット様に気に入られてるからっていい気にならないで。この俺は騙せないよ」
「じゃ、こう言えばいいのか? 俺は赤の軍に恨みがあって、次期キングになるランスの命を狙ってると」
「そうだとしたら、俺が絶対に許さないけどね」
剣を引き抜いたヨナを見て、シリウスは両手をあげた。
「早まるな、美少年。あくまで仮定の話だ」
「それくらいわかってるよ。まあ、もし君が本当にランスロット様に危害を加えようとしても、返り討ちにあうだけだろうしね。ランスロット様は最強だから」
「そうだな」
そこだけ意見が一致したことに、ヨナは目をパチクリさせた。将来の主を褒められるのはヨナも悪い気はしないらしい。
「二人ともそれくらいにしろ。ヨナ、悪いがシリウスと二人にしてくれないか」
「どうしてですか?」
「お前とはまた改めて時間を作ろう。次は剣の相手をすると約束する。決して自分の力を奢るな」
「わかっています。俺の剣はランスロット様に比べたらまだまだですから。それでは、今日は帰ることにします。でも、絶対ですよ! ランスロット様、絶対次は俺の稽古をしてくださいね!」
ヨナはランスロットの手を握りぶんぶん振って握手すると、今度は思い切りシリウスを睨みつけふんと顔をそらした。後ろ姿は女の子のように可愛いヨナを見送って、ランスロットはため息をつく。
「実にヨナらしい凄まじい牽制だったな」
「そうだな。だが、なかなか痛いとこ突かれた」
ヨナに言われたことはすべてがシリウスの胸に突き刺さった。余裕そうに振る舞うのは案外骨が折れた。
「気にするな。ヨナは人一倍自尊心が強い上に理想も高い。俺が親しくしている者には誰彼構わず噛み付いていただろう。だが、ヨナのおかげで改めてお前の良さを確認できた」
ランスロットがヨナに言い返してくれたことは素直に嬉しかった。
シリウスの胸はあの瞬間から今もずっと熱いままだ。
ああ、さっきの苛立った気持ちがなんなのか、いまわかった。俺はヨナが羨ましかったんだ。お前の傍らに居続けられるヨナを…。
ランスロットの夢をヨナは一番近くで見ることができる。歴代のキングがなし得なかった偉業を達成する瞬間、隣にいることができる。
自分のこの土に汚れた手など、まったく必要ない。
たまらなくなってシリウスは拳を握った。
「ランス、お前が守りたいものは大きすぎる。……その中に、俺は入っているのか?」
心の声がこぼれてしまい、シリウスは慌てて口を手で覆った。
「なにか言ったか、シリウス」
ランスロットには聞こえていなかったようでほっとした。
「いや、なんでもねえよ」
なにを口走ってしまったのか。自分が信じられなかった。
このときのシリウスは、ランスロットが完璧な男に見えていた。
ランスロットはいつだって自分の信念を貫き通す男だ。
本当は深海に咲く花のように不安定で脆いことは知るよしもなかった。
俺には想像できなかった。
こいつの未来が、自分の屍の上を歩くことになることを……
ランスロットが魔法を使えると知るのは、このあとすぐのことだった。
後編へつづく
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