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出会う前の物語

それは私がまだプリンセスになる前の出来事。
城下に住んでいた頃に、私を助けてくれた人がいた。
不器用だけどまっすぐで、とても芯の強い人。
ピンチに駆けつけてくれた姿は、騎士にも王子様にも見えた。

ある日、ウィスタリアとシュタインを繋ぐ森で私は道に迷ってしまった。大きな根っこに躓き、膝を擦り剥いてうずくまっていると、どこからか馬の嘶きが聞こえてきた。身構えると、木漏れ日がオーロラのように揺らめく森を三頭の馬が颯爽と駆けてきた。

「こんなところで何をしているのですか。ここはシュタイン領ですよ」


「待ってよアル、きっとこの子は迷子なんだよ。ゼノ様どうします?」

馬からひらりと降りたのは黒い軍服に眼鏡をかけたキリッとした青年と、ピアスを揺らしたベビーフェイスの少年だった。どうやら、さまよっている間に私は国境を超えてシュタイン領に入ってしまったらしい。
突然のことにおどおどしていると、馬上から眼帯をしている青年が冷静に私を見下ろした。

「お前、怪我をしているのか。アル、その者の手当てをしてやれ。俺はユーリと共に先に城に戻る。そこの者、この森は危険だ。早く立ち去るがいい」


「は、はい…ありがとうございます」

眼鏡の青年だけが留まり、残りの二人はシュタインへ向かって疾走した。

「では、傷を見せてください。簡単ですが消毒をします」

私が恥ずかしそうにスカートの裾から素足を出すと、一瞬だけその人は戸惑った顔を見せた。手袋越しに触れる手は、腫れ物を扱うような丁寧さで無駄がなかった。もしかして、シュタインの騎士なのだろうか。清潔な短髪に、聡明そうな顔立ち。シュタインは謎に包まれた大国。初めは怖い人かと思ったけれど、いま私に接するこの人からは礼節を感じた。
私がじっと見つめていると、その人は視線に気づいて顔を上げた。その瞬間ばちっと目が合う。

「……っ、な、なんですか、人の顔をじっと見つめて。俺の顔に何かついていますか?」

さっきまで突き放したような威圧的な態度でこっちが緊張していたのに、急に取り乱したその人が可愛くて私は笑いがこぼれてしまった。

「すみません。シュタインの方と会ったのが初めてだったので。手際がいいですね」


「こう見えて俺は騎士ですからね。そういえば俺もウィスタリアの女性と話したのはあなたが初めてです」

私たちは改めて見つめ合うと、互いに照れを感じて目を逸した。

「手当ては終わりました。痛くはないですか?」


「はい。大丈夫です。ありがとうございました」


「いえ、命令ですから。それに人として当然のことをしたまでです。ところで、これからあなたはどうするつもりですか?」


「森を抜けてウィスタリアに、私の家に帰ります」

どうしてそんなことを尋ねてきたのだろう。もしかして、送ってくれるのだろうか。

「そうですか。では、俺はこれで」

硬い表情に戻って馬に跨ると、その人はあっさりと森の奥へ消えた。
広い森でまたひとりきりになって、胸がヒリヒリと痛いことに気づいた。
さっきまであんなに高鳴っていたのが、嘘のように……。





彼女と別れた直後、なぜか後ろ髪を引かれてアルバートはUターンした。

「怪我をした女性を置き去りにしてきてしまった。これでよかったのだろうか…ゼノ様、少しだけ遅れることをお許しください」

そばにいない主に許しを請うと、アルバートは彼女を探した。自分を見つめていた純真無垢な瞳がどうも頭から離れない。恥じらう姿を素直に可愛いと思ってしまい、アルバートは自分が信じられなかった。森を歩く彼女に追いつき、バレないように距離をとってこっそり観察した。

「やはり足を引きずっているようだ。あのままではこの先の獣道は厳しいだろう。…仕方ない」

アルバートは先回りして彼女の行く手を阻みそうなものを排除することにした。
道を塞いでいた大きな木の幹を剣で真っ二つに切り裂き、道を広げる。彼女が近づいてきたらすぐに隠れて、通り過ぎるのを見届けた。次は小川に先回りし、彼女がちょうど渡れる大きさの石を向こう岸まで並べて置いていった。

「なぜ俺はこんなことをしているのだ? ゼノ様にもここまでしたことはない」

自分自身でもよくわからない。だが、アルバートは何かに突き動かされるように行動していた。木の実を摘んでいた老婆に話をつけ、彼女に少し分けてやるように依頼した。もちろん、通貨であるベルをポケットマネーで支払って。すれ違い様、老婆が彼女に無償で木の実を渡しているところを確認し、アルバートは満足げに眼鏡を押し上げた。

「なんだか、あの眼鏡の人と会ってから運がいいな」

彼女のポジティブな独り言を聞き、アルバートは木の陰で拳をぐっと握った。順調に進んでやっと森の出口が見えた。
(これで俺の役目は終わった。あの娘のおかげでずいぶんと時間を取られてしまった。今頃ゼノ様が俺をお待ちだ。ユーリにいつまでも独占させはしない)
帰るために身を翻そうとしたときだった。

「上玉だな。こりゃ、高く売れそうだ」

突然、荒々しい男たちに彼女は囲まれた。
(な…っ! なぜ最後の最後で! あの賊どもよくも俺のアシスト計画を台無しに!)
男たちが下卑た笑いを浮かべて可憐な彼女に手を伸ばす。
「助けて」
と、彼女の心の声がアルバートにはしっかりと聞こえた。次の瞬間にはアルバートの身体は賊の前に躍り出ていた。鋭い光の残像が空気を切り裂き、男たちが次々と呻きながら倒れていく。剣を鞘に収めると、アルバートは振り返った。

「あなたが無事でよかった」


「また助けてくれるなんて。もう行ってしまったと思っていたのに」

彼女の涙で彩られた微笑みが、どうしようもなく胸を打った。

「ええ、気になってあなたを見張っていて正解でした…今のはその、な、なんでもありません」


「やっぱりずっと見守っていてくれたのは、あなただったんですね」

率直な性格のアルバートは嘘がつけなかった。はじめから彼女をウィスタリアの城下まで送ってあげればよかった。
気づけば、引き寄せられるように彼女の頬に触れていた。

「もう大丈夫です。俺がついていますから」


それから数年後、俺はあなたに再び出会った。ウィスタリア城のあの長い階段で、ガラスの靴を履いたあなたと。すぐには気づけなかったが、いまなら確信できる。たとえ、どんな出会い方をしたとしても、俺が恋に落ちたのは――きっとあなたです。

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