雑渡夢
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敵部隊の偵察を終え、見張りとの交戦も巧みに避けて、兵力図をまとめあげる。
いつもならもっと時間を要する任務だったが、今日は訳あって、息もつかせぬ速さで片づけた。
――そう、今日は「あれ」の発売日なのだ。
午後の休暇を申請しに組頭のもとへ向かうと、思いのほかあっさり許可が下りた。
ただ、組頭は定期的に休みを取ることを気に留めているふうだった。早い仕事ぶりを褒めつつ、理由を尋ねてくるので、「些事でございます」と曖昧に返すと、組頭の視線が一瞬、鋭く光った気がした。
まるで私の心を見透かすようで、背筋がぞわっとしたが、すぐにその違和感を振り払った。
憧れの組頭に褒められた喜びと、これから向かう先への期待でうきうきしてしまう。弾んだ足取りで部屋を後にする私を、彼はじっと見据えていたとも知らずに。
⸻
自室に戻った私は、書肆で手に入れた戦利品を高々と掲げた。
それは今日発売されたばかりの『月刊少女浪漫』の新巻。この本は、恋のときめきや男女の切ないすれ違いなどを綴ったもので、どの物語も心を鷲づかみにされる。これを読むために、忍の務めを懸命に果たしたのだ。
障子の隙間から漏れる柔らかな陽光が、本の表紙を優しく照らしている。
忍者の三禁の一つ――色欲、つまり恋愛ものはご法度。だが、あの頁に繰り広げられる甘酸っぱい展開の数々に、私にはどうしても抗えない。
もちろん、任務はきっちりこなした上で買いに行っているし、誰にもバレていない。……バレるはずがない。
「今月はどうなるんだろう……!」
脳裏に浮かぶのは、前巻の雨の場面。男女が一つの傘の下で寄り添う描写には、特にドキドキした。
期待に胸を膨らませ、本を開こうとしたその刹那。後ろから、低い声が響いた。
「……🌸、それは何だ」
「うわっ!」
驚きのあまり本を落としてしまう。振り向いた先に――組頭の姿があった。
なんで!? なんで私の部屋に!? まさか、尾行されてた!? 一体どうやって入ってきたの……!?
「く、組頭! これは、えっと……」
言葉に詰まり、額に冷たい汗が浮かぶ。
組頭は冷めたような目で私を見て、落ちた『月刊少女浪漫』を拾い上げる。
「度々暇を請うから、密会か何かかと思っていたが……」
呆れたようにつぶやき、頁をさらりとめくる。
「『姫君の背後には壁があり、逃げ道はございません』」
――お、音読!?
「ちょ、ちょっと待ってください、組頭!」
顔が熱く燃え上がるようだ。だが組頭は構わず淡々と続ける。
「『殿方が片手を壁につき、ぐっと近づきます』」
その言葉通り、組頭は緩やかに歩み寄り、私の鼻先まで迫る。思わず後ずさると、背中が固い壁に当たる。
「『その距離はきわめて近く、息遣いさえ届くほど』」
ドン、という音とともに、組頭の掌が壁を叩く。普段なら決してこんなに近い距離に立つことはない。鍛え抜かれた腕の筋、響く低い声。顔が近すぎて、心臓の音まで聞かれてしまいそうだった。
私はその逞しい体躯の影に飲み込まれ、身じろぎ一つできない。
「『姫君の心臓は高鳴り、思わず顔を赤らめる。
姫君に、もう逃げ道はない――』」
声が止んだ後、低く掠れた息が耳朶をくすぐる。
「……お前は、こういうのが好きなのか?」
そう囁かれ、首筋まで熱が這い上がってくる。目を逸らすこともできず、私はただ頰を真っ赤にして、固まることしかできなかった。
やがて組頭はフッと笑い、私の狼狽に満足したのか、すっと身を引く。
「この程度でそんなふうになるとは……まだまだ忍者としては半人前だな」
ひらりと手を振りながら、わざと軽い口調で言う。
「……ごめんなさい」
それだけ絞り出すのが精一杯だった。
「邪魔をしたな。明日よりまた精進せよ」
そう言って、何事も無かったように本を置き、組頭は去っていった。
障子が閉まるかすかな音が響き、静寂が重く戻ってきた。状況を整理する間もなく、私はその場に立ち尽くす。胸の鼓動だけが、いつまでも収まらない。
あの一瞬が、頭の中で何度もリピートされる。組頭の息の温かさ、耳元で響く掠れた声――
明日、組頭の顔を普通に見られるかな……。
そういえば。胸に抱き締めた新巻を眺めて、ふと疑問が浮かぶ。
……組頭は、何故私が誰かと逢っていると思い込んで追ってきたのだろうか?
答えはわからない。それでも、頰の火照りは冷めやらず、私は本をぎゅっと抱きしめ、深く息を吐く。
身体の芯に灯った柔らかな熱が、いつまでも消えずに揺らめいていた。
いつもならもっと時間を要する任務だったが、今日は訳あって、息もつかせぬ速さで片づけた。
――そう、今日は「あれ」の発売日なのだ。
午後の休暇を申請しに組頭のもとへ向かうと、思いのほかあっさり許可が下りた。
ただ、組頭は定期的に休みを取ることを気に留めているふうだった。早い仕事ぶりを褒めつつ、理由を尋ねてくるので、「些事でございます」と曖昧に返すと、組頭の視線が一瞬、鋭く光った気がした。
まるで私の心を見透かすようで、背筋がぞわっとしたが、すぐにその違和感を振り払った。
憧れの組頭に褒められた喜びと、これから向かう先への期待でうきうきしてしまう。弾んだ足取りで部屋を後にする私を、彼はじっと見据えていたとも知らずに。
⸻
自室に戻った私は、書肆で手に入れた戦利品を高々と掲げた。
それは今日発売されたばかりの『月刊少女浪漫』の新巻。この本は、恋のときめきや男女の切ないすれ違いなどを綴ったもので、どの物語も心を鷲づかみにされる。これを読むために、忍の務めを懸命に果たしたのだ。
障子の隙間から漏れる柔らかな陽光が、本の表紙を優しく照らしている。
忍者の三禁の一つ――色欲、つまり恋愛ものはご法度。だが、あの頁に繰り広げられる甘酸っぱい展開の数々に、私にはどうしても抗えない。
もちろん、任務はきっちりこなした上で買いに行っているし、誰にもバレていない。……バレるはずがない。
「今月はどうなるんだろう……!」
脳裏に浮かぶのは、前巻の雨の場面。男女が一つの傘の下で寄り添う描写には、特にドキドキした。
期待に胸を膨らませ、本を開こうとしたその刹那。後ろから、低い声が響いた。
「……🌸、それは何だ」
「うわっ!」
驚きのあまり本を落としてしまう。振り向いた先に――組頭の姿があった。
なんで!? なんで私の部屋に!? まさか、尾行されてた!? 一体どうやって入ってきたの……!?
「く、組頭! これは、えっと……」
言葉に詰まり、額に冷たい汗が浮かぶ。
組頭は冷めたような目で私を見て、落ちた『月刊少女浪漫』を拾い上げる。
「度々暇を請うから、密会か何かかと思っていたが……」
呆れたようにつぶやき、頁をさらりとめくる。
「『姫君の背後には壁があり、逃げ道はございません』」
――お、音読!?
「ちょ、ちょっと待ってください、組頭!」
顔が熱く燃え上がるようだ。だが組頭は構わず淡々と続ける。
「『殿方が片手を壁につき、ぐっと近づきます』」
その言葉通り、組頭は緩やかに歩み寄り、私の鼻先まで迫る。思わず後ずさると、背中が固い壁に当たる。
「『その距離はきわめて近く、息遣いさえ届くほど』」
ドン、という音とともに、組頭の掌が壁を叩く。普段なら決してこんなに近い距離に立つことはない。鍛え抜かれた腕の筋、響く低い声。顔が近すぎて、心臓の音まで聞かれてしまいそうだった。
私はその逞しい体躯の影に飲み込まれ、身じろぎ一つできない。
「『姫君の心臓は高鳴り、思わず顔を赤らめる。
姫君に、もう逃げ道はない――』」
声が止んだ後、低く掠れた息が耳朶をくすぐる。
「……お前は、こういうのが好きなのか?」
そう囁かれ、首筋まで熱が這い上がってくる。目を逸らすこともできず、私はただ頰を真っ赤にして、固まることしかできなかった。
やがて組頭はフッと笑い、私の狼狽に満足したのか、すっと身を引く。
「この程度でそんなふうになるとは……まだまだ忍者としては半人前だな」
ひらりと手を振りながら、わざと軽い口調で言う。
「……ごめんなさい」
それだけ絞り出すのが精一杯だった。
「邪魔をしたな。明日よりまた精進せよ」
そう言って、何事も無かったように本を置き、組頭は去っていった。
障子が閉まるかすかな音が響き、静寂が重く戻ってきた。状況を整理する間もなく、私はその場に立ち尽くす。胸の鼓動だけが、いつまでも収まらない。
あの一瞬が、頭の中で何度もリピートされる。組頭の息の温かさ、耳元で響く掠れた声――
明日、組頭の顔を普通に見られるかな……。
そういえば。胸に抱き締めた新巻を眺めて、ふと疑問が浮かぶ。
……組頭は、何故私が誰かと逢っていると思い込んで追ってきたのだろうか?
答えはわからない。それでも、頰の火照りは冷めやらず、私は本をぎゅっと抱きしめ、深く息を吐く。
身体の芯に灯った柔らかな熱が、いつまでも消えずに揺らめいていた。
