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見えかたが違うチョロ松


「はぁ、出たよ。チョロ松の妄言癖」
「ホント勘弁してよ。カラ松兄さんみたいに言うだけならまだしもそれを押し付けてこないでよ」
「ンン~?」
「妄言って……」

あんまりな言いようの口達者な一番上と一番下の二人の横でケタケタ笑っている人ならざる者に言い返す気も失せ、チョロ松は言葉を尻すぼめる。

自分としては別に二人に意見を押し付けているつもりはなかった。朝から二人の周りをうろちょろしている'そいつ’が何かよくないことをしそうで、なるべく今日は出かけない方がいいってパチンコに行こうとしていた二人を引きとめただけだ。

‘そいつ’が見えていない二人はそれを間に挟んで顔を見合わせ、結局チョロ松の引き留めに耳を貸さずに漏れなく‘そいつ’もひきつれさっさと行ってしまった。

……何もなければいいけど。
見え方が違う相手に何を言ったところで無駄なのは重々承知している。人間は見たものしか信じられない。だからと言って危険かもしれないと思いながらそれを忠告しないなんてことは自分にはできないのだから仕方が無い。防げることに越したことはないのだから。

「あれ?チョロ松にぃさん元気ないんすか?!」
「あぁ、うん。普通だよ。お前はいつでも元気だね」
「うっす!元気があれば何でもできるっ!」

ため息を付きながら戻った居間でいつも通りの十四松がバランスボールでで遊びながら視線を向ける。海老反りになりながらも変わらぬ元気な声に、いつも十四松の頭の上に乗っているひよこもぴょこぴょこ跳ね回って元気アピールをしていた。

いつだったか、素振りに出かけた十四松がさらっと連れ帰ってきたこの生き物は何をするわけでもなく十四松にくっついたまま離れない。十四松がそれに気づいている様子はないため、勝手に気に入られて取りつかれたのだろうけど、大して害もなさそうなので特に何を言うわけでもなくほっといていた。

確か十四松が十四松目十四松科十四松属十四松になったのもこの生き物をひっつれて帰ってきたころだったと思うが、もう記憶もあいまいだ。日常に溶け込んでいるのだし、さして問題もなかろう。


--僕はどうやら皆と見えているものが違うらしい。


そう気づいたのは結構早い時期だったと思う。雨は赤くドロドロしてないし、犬はしゃべらない。魚は服を着て歩かないし、食べ物は泣かない。度々兄弟皆と意見が違い、繰り返すたびに皆がおかしいのではなく自分がおかしいのだと子供部屋の天井に埋まっている大きな瞳と唇に諭されたことは今も鮮明に覚えている。


生まれた時からずっと僕らを見守ってくれている天井のそいつは僕にとってみればもう一人の親だ。トド松あたりに話したら腰を抜かして夜中のトイレどころか眠れなくなりそうだから誰にも話していない、僕だけの友人だ。

「絶対あのチュパカブラもどき二人に何かやらかす気だよ。やっぱり後追った方がいいかなぁ」
『イ"ラ"、ナイ"……ナニモ、デギギ、ギギナイ』
「ホントかよ。あの見た目、全然信用ならないけれど」

ぎょろりと動く一つ目はそれ以上何も言わずゆっくり瞬きを繰り返すだけ。ただの人間の僕よりも、確実にあちら側の目玉の方が物知りなのは確かだし、こいつのいうことが間違っていたことなんて一度もない。僕の考えすぎかとソファーに寝ころび、‘青い’空からからから星屑が降ってくるのを眺めた。

「……今日は雨か。あいつら誰一人傘持ってってないし。……やだなぁ、家が汚れんのは」

つい先ほど壊れんばかりの勢いで玄関から飛び出し出かけて行った十四松はもちろんのこと、日課の友達のところに行っている一松も、最近ハマったらしいフリーハグに出かけているカラ松も、今朝言い争ったおそ松もトド松も誰一人として傘を常備しているとは思えないし、持って行った形跡もない。

みな雨宿りをしてくれればいいが、あのずぼらな兄弟たちのことだ。皆そろってぬれて帰ってくるのだろう。皆真っ赤に濡れそぼって廊下を歩きまわる様子が目に浮かび、うんざりする。幸いなことに服をよごす赤は洗えば落ちるが、僕の精神にはあまり優しくない。

『オオ"オ"……ア、メ"……ギギギ、ギダ……ギダナ"…ゐ』
「全くその通りだよ。雨ふりだしたら起こして」

ふぅと悪い気分をすべて吐き出すようにため息をついて目を閉じる。今日はなんだかチュパカブラもどきのせいで一日の出鼻をくじかれたし、雨は降り出すだろうしこんな時は寝てしまうに限る。

『オ"ヤ、……オヤ"ズミ』


懐かしい夢を見ていた。
別になんで僕だけ、だとかは思ったことはない。いや、そりゃ一度や二度ぐらい生きてるうちに合ったかもしれないけれど、さしてそこは問題じゃない。誰もの見方が必ず同じだという根拠は何もないのだし、世の中には数字に色がついて見えたりだとか、絵が浮かんで見える人もいるらしい。僕のこれだって広い世界に出れば大したことじゃない。広い世界に出れば。

「うそつき」
「チョロ松の奴、まぁた変なこと言い出したぞ」
「ハンバーグがしゃべるわけないやい!」
「きっと疲れてるんだよ」
「うぅ…なんか僕、一気に食欲なくなっちゃった」

僕の世界は狭かった。今思えばいきなり頓珍漢なことを言い出す僕を見捨てて嫌ってもおかしくない兄弟たちは、僕のことを見放したりはしなかったが、けれども吐かれる否定の言葉は小さいながらも子供の柔らかい心を傷つけるには十分すぎた。

「僕は嘘なんかついてない!」

何度声を大にして叫んだところで、見えぬ聞こえぬ者たちが理解できるわけもない。何一つ悪いことをしてないはずなのに両親にまで馬鹿なことを言わないのと叱られた時には根性でこらえていた涙も溢れ出し、目玉にいつも愚痴っていた。懐かしい記憶。

『オギ、ギギ……ル、ゥ……ヂョロ、チョロマ、ツ……』
「ん……あ、もうこんな時間か」

聞きなれた声に呼ばれ、ゆっくりと意識が浮上する。霞み、しょぼくれる視界に移るのは心配そうに眼をきょどらせ、唇をわななかせている目玉。

『ナ"イ、ナイデる……イダ、イ"……ヂョロ、』
「あ、……いや、大丈夫だよ。あくびのせいかな」

さすがに無理のあるごまかしだが、踏み込まれたくないことを察した目玉はそれきり何も言わず目を閉じ天井から消えていく。
下からはにぎやかな兄弟たちの声が聞こえる。窓の外は藍色と赤色のコントラストで音を立て降る雨がやけに目についた。

「うへぇっ、こんな降るなんて聞いてないし」
「マジ最悪なんですけどーって、ちょっとおそ松兄さん押さないでよ」

騒がしい声に下に行けば案の定雨に濡れたらしい兄弟たちが玄関でたむろっていた。

「ちょっと待ってろよお前ら。今タオル持ってきてやるから絶対そのまま上がってくるなよ」

タオルを人数分持ってきて投げつければ皆大人しく身体にまとわりつく赤をタオルで拭っていく。
もれなくチュパカブラもどきも濡れそぼって赤く、ずうずうしくそのまま家の中に上がってきた。正直今すぐにでもタオルを投げつけ家から追い出したいところだが、はらだたしいことに二人から離れぬそいつを追い出すには皆の目線が邪魔をする。

結局その汚れをふき取ることさえできずにそいつを家に上げることになりいら立ちと不快感を抑えられない。
害はないとは言ってもなんだかチュパカブラもどきと一緒の空間に居る気にもなれず皆が着替えに行ったことを確認すると早々にまた二階に戻った。風呂に出かける前までに居なくなってくれれば良いんだけど。


***


「ねぇ、そっちの道はやめようよ」
「はぁ?なに、どっかよりたいとこでもあんの?」
「いや、別にそういうわけじゃないんだけど」
「なに?またいつものお得意‘危ないから’攻撃?」
「……かまってちゃんもここに極まれり。っね、ひひひっ」
「あーあ。なんで僕の兄さんには誰一人としてまともな人がいないんだろ」
「それ、さり気に俺のこともディスってるよね」
「やるなぁトッティ!!」

銭湯の帰り道。唐突に言い出した僕の話を誰一人真に受けてくれるやつはいない。当たり前だ。明確な理由もないのにいつもの通り慣れた道ではなくわざわざ遠回りして行こうだなんて誰も思わないだろう。それが風呂上がりならなおさら、早く家に帰って休みたいと思うはずだ。

けれど、そうこうしている間にも皆の脚は止まることなく工事中の建物の上で不可解な動きをしているやつの真下に通りかかってしまう。もう引き返すことは無理だろう。ならば早々に通り過ぎてしまえばいいこと。

視線を上に向け、そいつが何かやらかさないか慎重に見張りつつ足を勧めた。
おそ松十四松が真下を通り過ぎ、続いてカラ松。見る限り何もしようとしないそいつに内心ほっとしたが、一松、トド松が通り抜けるのを待っていたその時、やっぱりやつはやらかした。

バツんっと聞きなれない音とともに常ならば決して降ることのない鉄の塊が二人に目掛けて落ちてくる。
けたけた笑うそいつと、だんだんと視界に大きく映る鉄の塊。脳がそれを理解するより早く反射的に体は動き、楽しそうに話す二人を力いっぱい突き飛ばしていた。

2人の驚く声は遠く、その声に反応し振り返ったおそ松と目が合う。ぽかんとした顔で僕を見てから少し上に向けられた瞳は見開かれ、驚愕と恐れと焦りを浮かべた表情でもう一度僕を見た。そんなおそ松になんでかわからないけれど笑みを溢す。

一度で良いからお前と同じ景色を見てみたかったなんて、我ながら気持ち悪いかな。

走馬灯を眺める余裕もなく刹那襲い来る衝撃と暗転。

僕の世界は強制的に幕を下ろされた。




--何が起こったのかまるで理解できなかった。チョロ松に突き飛ばされ地面に尻もちついた二人が血のにじむ地面に積み重なった鉄の塊に縋り付き泣き叫んでいるのを遠くに聞きながらたった一瞬で目の前から消えた弟の笑みを思い出していた。
何も変わらない、普通の日常のはずだった。変わり映えのしないパチンコに、テレビ番組に、皆で入る銭湯。くだらない兄弟との会話に、いつも通り始まるチョロ松の妄言。ガキの頃から何度言ってもやめない聞きあきたチョロ松の根拠のない言葉たちに、また始まったよと軽く流して今日も終わるはず、だったのに。今日も今日とてこの道を通るのはやめようと言い出したチョロ松の姿が見えない。否、見えてはいた。灰色の鉄骨の隙間から流れてくる赤い液体と、男にしては細く白い手。
もうすっかり日は落ち、子供の寝る時間が近いというのにどんどんざわざわと騒がしくなっていく
。遠くにきこえるのは救急車のサイレンの音。
だんだんと体中が冷え切れば感覚がなくなり世界から切り離される。呼吸すらままならないと言うのに脳裏にこびりついて離れないアイツは最後の最後まで俺を見て笑っていた。昔と何一つ変わらない、俺の好きな笑顔だった。


***


目が覚めるとそこは一面暗闇の中に立つ、赤く淡く光を放つ鳥居の前だった。鳥居の奥には石段が続き、両端を怪しく光る提灯が浮かび照らしている。
見たことのない場所に呆けていると、後ろから見慣れた姿に声を掛けられた。
「松の坊や」
「あれ、みんな」
「お前さんまさかこんなへまするとはなぁ」
「まぁ、何はともあれ結果はいいんじゃないかえ?松の坊やはもともとこっちよりの人間じゃけぇなぁ」
「そうだそうだ。これでやっと住みやすくなるだろうて」
「え、待って。いったい何の話?」
「何ってお前さんが死んだって話だろうよ」
「……え、あ?!僕死んだの?!」
「何今さら驚いてんだか。ばっちりしっかりつぶされただろうに」
「あぁ、あの不届き門の小物はわしらが始末しといたからな、安心せい」
「うわ……即死かぁ。って、みんなは?一松とトド松は怪我とかしてない?!」
「何番目の松の坊やのことかは知らんが、お前さん以外はみな負ってかすり傷だわい。心配せんでええ」
「そっか。良かったぁ」
親しく話しかけてくるこの世間で言うところの妖しである‘異形’たちは時たま町ですれ違ったり家に遊びに来たことのある知り合いたちだ。人に害をなすモノが多いいなか、子供部屋の‘目’と同じく小さい頃から良く世話を焼いてくれていた。
だからだろうか。死んだのだと理解しても見知った顔があるせいでなんだか実感がわかない。
「あれ、でも何でこんなところにいるの?」
「なぁに言ってんだ。せっかく目玉の野郎のおかげで魂が助かったってのにのこのこ彼岸に渡ろうとしてるのを迎えに来てやったんだろうがい」
「魂が助かった……?」
「そうさえ。目玉のやろうがお前さんの魂を狩られる前にとりついたんだえ。まぁそのおかげでお前さんは今もこうしてわしらと話せてるけんど、‘人の子’ではなくなってしもうたがね」
そう言ってつるりとした頭部に角を二本生やした一つ目(はげさんと呼んでいる)に枯れた小枝のような指で指された手を見てみるとぎょろりと動く目玉が埋め込まれていた。
「ぎゃぁあ?!」
「なぁにそんな驚くことはなかんべぇ。そいつぁ、あの目玉だけぇな」
「え、めだまぁあ?!」
よくよく見ると全身に目玉が浮かび上がっておりもはや人間とは言いがたい姿になっていたが、その驚きよりも自分の身体の目玉があの天井のアイツだということのほうが驚きだ。
「え、なんで僕の身体に?!てか、はぁ?!なんか分裂してない?」
「何でって、さっきいっただろう。松の坊やを助けるためだってよぅ」
「それにそいつぁもともと百目さえ、分裂などしてねぇ」
つまり天井に見えていた姿はほんの一部であり、チョロ松の魂を救うために力を使い果たし今の大きさでチョロ松にとりつくことになったという。
「何でそんな……」
「そりゃぁおめぇさ、松の坊やが可愛くって可愛くって仕方が無かったからだべぇさ」
「え?」
「そいつぁ、むかーっしから忌み嫌われてきたからなぁ。最初っから怖がることなく懐いたおめぇさんを大層気に入って気にかけてたからなぁ。妖しにしてしまうとしても見て見ぬふりなんてできなかったさぁ」
赤子の頃は特にめんこかったからなぁ、目玉の気持ちも分からんでもねぇなぁとしみじみ話す妖したちの会話を背に手の甲や腕に見える‘目’を見つめる。
「助けてくれたのは嬉しいけど、お前はそれでいいの?これだとお前、僕に縛られたままなんじゃ」
問いかけても‘目’はゆっくりと瞬きを繰り返すだけで返事を返すそぶりはない。
「目玉の野郎はもうしゃべれねぇぞ。力をほとんど使い切りおめぇさんに残ってんのは思念の塊じゃけぇの」
「それって、」
「まぁ、しゃべれたとしてもアイツのことだ。‘キニシナイ’とでも言うじゃろうて。松の坊やは感謝するだけでいいんじゃないかえ?」
「……うん、そうだね」
ぱちくり瞬きを繰り返して見つめてくる手の甲にある目の縁を撫でて、心の中で感謝する。人の身ではなくなったものの、こうして松野チョロ松としてあれるのは目玉のおかげだ。心残りがある身としてはそれはかなり大きいこと。
「ねぇ、つまり僕は妖怪になったってことでしょ?」
「あぁ、そうじゃなぁ」
「それじゃあもうみんなにも見えないってこと?」
「それはほかの松の坊やたちのことかえ?」
「そう。もう僕が干渉することはできないの?」
「できなくはねぇが、わしらが言うのもアレだがおめぇさんの見目は普通の人の子にはちと刺激が過ぎんじゃねぇかえ?」
「隠せないことも無いし、大丈夫だと思う。五分だけでも良いから、だめかな?」
「話す分には問題なかろうて。だがな、松の坊や、おめぇさんはもう‘こちら側’だ。人の世で暮らすことはできんことは重々承知しとるよな?」
「……うん」
「とは言っても心配は無用だけぇ。空狐様がお前さんのことを話したらたいそう気になるようで、面倒を見てくれるそうじゃ」
「空孤様なら安心だ」
「空狐様がお待ちになっとる以上長居はできん。よいな?」
「うん、行ってくる」
「よぉし、ならばこの道をまっすぐすすめぇい。皆がまっとる」





「チョロ松!!」
「チョロ松兄さんっ?!」
パチリと目を開けた先はさっきまでとはまるで正反対のまぶしい白。
やけにはっきりしている意識の中、真っ先に聞こえたのは自分を呼ぶ声だった。
視線を動かすまでもなく映り込んできたのはやけに顔色の悪いおそ松と、今にも泣き出しそうなほど瞳を潤ませているトド松だった。
「良かったっ……ほんっと、おまえなぁ……」
「ぼ、僕みんな、いえ、に電話してこなくちゃっ」
がくんっと膝を折り、ふかふかな掛け布団に突っ伏し声を絞り出すおそ松に気を取られているとトド松はスマホを握り絞め慌てた様子で部屋を飛び出していく。あの様子なら‘皆’が言っていた様にひどい怪我はしていないようで安心した。
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