引き寄せられる果実

「それなら一緒に住むか?」
その言葉と同時に断りもなく耳に押しつけられた口唇にエレンの体がビクンと跳ねる。
「んんっ」
「エレン、そろそろこの間の返事を聞かせて欲しい。」
「っ…!!」
無精ひげを生やした口唇が耳元で動く度にエレンの体がゾクゾクと震え、吐息交じりの優しい声音が頭の中を痺れさせる。
「…はぁ、……待ってシキシマさん…っダメ…」
「告白された男の部屋に入る意味は、お前も分かっているだろう?」
一週間前。
『初めて会った時からお前のことが好きだった。』
残業を終えた週末の帰り道、突然上司から告白をされた。
シキシマと初めて出会ったのは就活をしていた学生時代。
何十社と回った会社説明会で学生を相手にマイクを持ち語っていた社員の1人だった。
同性でも思わず惹かれるような立ち居振る舞いが印象的で、
シキシマの勤める会社に合格し配属先の上司として再開した時は素直に嬉しかった。
シキシマは若くしてスピード出世したエリートで、男女問わず虜にするその凛々しい姿は皆の憧れの的。
新人の中でも特に気に入ってくれていつの間にかプライベートでも会う間柄になった時は特別な気分がしたが、
それが恋愛感情だとは夢にも思わなかった。
(いい加減な気持ちで来たわけじゃない、けど…)
「それとも力ずくで奪われる方がお好みか?」
「えっ…」
骨ばった長い指に反らした顔をグイッと戻され、艶を含んだ漆黒の瞳と視線がぶつかる。
その端正な顔立ちは間近で見るとより一層綺麗でエレンはシキシマから目が離せなくなった。
「エレン、お前とずっとこうしたかった…。」
互いの体温と吐息が混ざり合い、心地よく溶けていく。
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
「!?」
バチーンと勢いよくシキシマの顔面に張り手をかまし、勢い任せに上半身を起こすとエレンは頭の整理がつかないまま喚き散らす。
「シキシマさんは俺の憧れです!大好きだから側にいたいしシキシマさんの特別でいたいけどやっぱり男同士だしいきなりすぎて好きとかよく分からないからもっと時間をくださーーーいっっ!!!」
「っ…」
「ああ!?ご、ごめんなさいっ!!」
ハッと我に返ったエレンは自分のしでかした事の重大さに気づき顔面蒼白になる。
シキシマは両手で顔を覆ったまま、右手の人差し指と中指の隙間を空けるとエレンをじろりと睨みつけた。
「し、シキシマさん…?」
「つまりは、この俺にお前のステップアップに付き合えと?」
「ひっ、いや、シキシマさんにそんなお手間は…で、でも、俺もどーしていいのか…」
目に涙を浮かべ面白いほどオロオロしているエレンの様子にシキシマの肩の力が抜けていく。
(…確かに。昔と違ってここは平和だ。何を焦る必要がある。)
懐かしく痛む、遠い日の記憶。
「分かった。無理強いしてすまなかった。」
穏やかな表情で微笑むシキシマに優しく頭を撫でられ、エレンは少しづつ落ち着きを取り戻しホッとしたように顔を綻ばせる。
「あの、待っててくれるんですか?」
「性に合わないが気長に待つ。ようやく巡り合えたんだ。」
「え?」
「いや、何でもない。」
時を超えて引き寄せられた果実は禁断の扉に手をかける。
扉の外の世界は、2人にしか分からない。
「この流れでキスをしてみようとは思わないのか?」
「っ……なりませんーだっ。」


end.
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