Case4【祈り】

『Levi、hallelujah。』

力が覚醒したあの日。
巨人と仲間の返り血で真っ赤に染まった俺を見て、エルヴィンが無意識に口走った言葉。
向けられた慈しむような瞳からは今にも涙が溢れてきそうで、俺は本能的にその言葉の意味を知りたくないと思った。


『リヴァイ、おいで。』
『…………。』
渋々ベッドに入り、気が乗らないと無言で訴えるリヴァイを、エルヴィンの大きな体が背後から包み込むように抱き締めてくる。
『お前はいつも温かくて心地いい。』
『黙って寝ろ。』
『おやすみ。愛しているよ。』
『っ………。』
リヴァイの左手をとり、薬指の第一関節にキスをすると、エルヴィンは静かな眠りにつく。
柔らかい唇の感触の余韻を残したまま、早々に聞こえ始めた微かな寝息。
口約通り体の関係は一切求めず、変わらない日々を過ごすなかで唯一求められた行為。
まるで2人だけの神聖な儀式のように清らかで、エルヴィンの腕の中にいると胸が切なく締めつけられ、息が詰まりそうな感覚に陥る。
気を紛らわそうと横にあるサイドテーブルに視線を向けると、カーテンの隙間から零れる月の光に照らされた1輪の黄色いバラが目に入る。
エルヴィンの寝室に初めて入った日から、途切れる事なく美しい姿を保ったまま飾られていた。
(…今日も眠れそうにねぇな……。)
リヴァイがエルヴィンより先に眠ることはなく、穏やかで長い夜が始まる。
『ハーイ、ミケ♪…っと、皆様お揃いで(笑)人類最強の兵士リヴァイ様と一緒にお昼食べれるなんて幸せ♡』
『そのダセェ呼び方やめろ。』
『ダサいって、今やあんたの代名詞「人類最強」のキャッチコピーは一般市民にまで広がってるんだよ?!私のネーミングセンス凄くない??』
『元凶はテメェか。』
殺意を向ける三白眼を平然と無視してミケの横に着席すると、ハンジは笑顔でパンを頬張る。
不満オーラ全開のリヴァイの隣に座るエルヴィンはコーヒーを啜ると、ニッコリと微笑んだ。
『ハンジのセンスはなかなかのものだ。実際、マイナスのイメージが付き纏う調査兵団に興味や好意を抱く人々が以前よりも増えてきている。人類最強の名にふさわしいリヴァイの真の強さと、地下街から調査兵団のトップにまで上り詰めたサクセスストーリーが相乗効果を成し得ている。』
『俺は成し得てねぇよ。』
『これを機に継続的な入団希望者や資金援助に繋がると有り難い。私に免じて大目に見てはくれないか。』
『でしょでしょ、エルヴィン~もっと言ってやって~。』
子どもを宥めるようなエルヴィンの口調と、勝ち誇った目を向けるハンジにうんざりしながら、リヴァイは紅茶を啜る。
(勝手にクソみてぇな盛り上げ方をされるこっちの身にもなってみろ。)
シャーディス団長が現役を退いた後、調査兵団は類稀なる才能とカリスマ性を併せ持つエルヴィン・スミスによって統率されていた。
エルヴィンと共にリヴァイも着実に英雄の道を辿っていたが、当初こそ実力で勝ち得たものが次第に様変わりしていく。
エルヴィンと【契約】をした事により、なぜか三兵団内でのリヴァイのブランド価値は飛躍的に上がり、表立って批判や嘲笑する者は誰もいなくなった。
並行してハンジが面白半分でつけた「人類最強の兵士リヴァイ」のキャッチコピーは調査兵団に対するイメージを改善しただけでなく、突如現れた英雄に市民は熱狂し、ウォールは久々に活気づいていた。
舌を巻くほどの策士ぶりを発揮したのは勿論エルヴィンであり、本来の姿と乖離するほど綺麗な存在として扱われ始めた事に、リヴァイは強い違和感を覚える。
国中を巻き込んだ歪な現象に対して何度かエルヴィンに止めさせるように申し出るが、その度に軽く遇らわれてしまうことも気に食わなかった。
『リヴァイの本当の姿を知っているのが私や団員たちだけでは勿体無いだろう?』
『またそれか。』
『そうだ。お前が巨人と戦って生き残ることこそが全て。団員の士気は上がり人々は賛美し、それが調査兵団の翼となり追い風となる。お前は変わらず、これからも私の側で私を導いてくれ。』
『だから、兵団を導いてるのはお前であって俺じゃ……』
反論しようとするも、リヴァイはエルヴィンの表情にハッとし言葉を詰まらせる。
分厚く大きな手が優しくリヴァイの手を取り、温かく柔らかい唇が左手薬指に触れてくる。
目を開けた時の慈しみ深い眼差しは何度も見てきた筈なのに、いつしかリヴァイの心に1つの疑念を抱かせていた。
(………何を、期待してやがる……。)
『……リヴァイ、リヴァイ聞いてる?』
鼻先まで顔を近づけガン見してくるハンジの無遠慮さに、リヴァイは我に返ると、腕を組み何事もなかったかのように答える。
『聞いてる。』
『嘘つき。あんた自分の身に危険が迫ってるんだよ?』
『あ?』
『だから、ヴァーグナー夫人が資金援助を増額する代わりにリヴァイとデートしたいんだって!あの人旦那が死んでからさらに女帝ぶりを発揮してるけど、リヴァイチョイスとかマジないわ~。』
『 テメェは自分の身に危険が迫ってることには鈍感だな。』
『キャー暴力はんたーい♪』
子どものようなケンカのやり取りも束の間、エルヴィンの一言に場の空気が一変する。
『私の【契約者】を他人に渡すつもりはない。』
それまで穏やかな笑顔を振りまいていたエルヴィンからは想像出来ないほど、氷のように冷めた表情。
『それは兵団内の規律であって外部には関係ない。悪い話ではない筈だ。』
『ミケ、この私にワーグナー家の人間を根絶やしにさせたいのか?』
『エル…』
『何人たりとも私以外の人間がリヴァイに触れることは許されない。この件は断る。』
『っ……!!!』
ミケすらも敵に回す言葉の刃。
普段の姿とも巨人と闘う姿とも違う側面を目の当たりにし、4人の間に緊張の糸が張り詰める。
『援助自体を断られたらどうする。』
『責任を持って次を探すよ。』
エルヴィンは再度コーヒーを啜った後に席を立つ。
『先に部屋へ戻る。』
纏う空気は柔らかく、申し訳なさそうな笑みを浮かべた表情はいつもと変わらなかった。
『…ハァ。今の緊張感死ぬかと思った。ねぇ、エルヴィンて最近リヴァイのことになると過剰に反応しない?目つきもちょっとアレだし。束縛するタイプだっけ?』
緊張から解放されたハンジは机に肘を乗せ頬杖をついて大きな溜息をつく。
『さぁな。』
『ははっ。それにしても、さっきのエルヴィンと対等に話せるなんてミケってやっぱ凄いね!』
(笑えねぇ…。)
いつからだろうか。
見つめてくる瞳は、淑やかな声音は、包み込む体温は、何1つ変わらないのに。
『お前に次回の壁外調査の人員配置について相談したい。』
『なぜ俺に聞く。』
『補給班のゼクスと囮班のアインスを入れ替えようと考えているのだがどう思う?』
『ゼクスは駐屯から移動してきたばかりだろ。囮班にまわすには早すぎる。』
『彼はお前のためならいつでも命を投げれるそうだ。』
『弱ェ奴はすぐ死にたがる。』
『私はね、彼のその願いを叶えてあげようと思ったんだ。』
『あ?』
『クス。お前を心酔する者が増えて私も嬉しい。……だが、お前は私の物だ。』
『…………。』
時折露わになる狂気にも似た感情が、嘘か真か考える隙を与えないほどの強烈なプレッシャーとなって、リヴァイの心を静かに蝕んでいく。
『良い機会だから確認しておきたいことがある。』
『確認て?』
『お前たちは神の存在を信じるか?』
ミケから発せられた意外すぎる質問に、ハンジは固まる。
『ど、どうしたの急に。何言っちゃってんの?』
『信じるか信じないかどうなんだ。』
『どうって、……確かローゼが突破されてからマリアを拠点に急速に拡大してる「宗教」って勢力の事よね。あんまり興味ないな~。』
『リヴァイ、お前は?』
『お前こそどうなんだ。』
『…………。』
『あ!もしかして少し前に起こった信者の暴動のこと言ってる?王政を心酔する憲兵に神は存在しないと否定されたことによる一部の過激派信者が憲兵団に対してテロ計画を企てたのよね。テロは未遂に終わりニック司祭はテロ計画犯とは無関係の意を表明してうやむやに終わったけど。』
『彼ら1人1人は実に温厚で信心深く心優しい人物だったそうだ。だが、神の存在を否定される事は自分の身を引き裂かれるより辛く、耐え難い屈辱だったと言っていたらしい。』
『ふーん。』
『人は本質的に見えない何かを信じる生き物だ。そしてそれは、人の心を豊かにもするし、狂気にも変える力があるとしたら………。』
ミケはリヴァイを真っ直ぐに見据え、漆黒の瞳に問いかける。
『リヴァイ、あの力はどうやって身につけた。』
『力?』
『壁外調査で覚醒した力だ。』
『訓練の賜物だろ。』
『お前の力は1個旅団並みにある。訓練でどうこうした所で身につけられるものではない。』
『何が言いたい。』
『それが天性の力………いや、神の力だったらどうする。』
ミケの言葉に対し、リヴァイは表情を強張らせる。
互いに一歩も譲らず鋭い視線がぶつかり合う。
『あははっ!何それサイコー!ミケって冗談言えるんだ~~ククッ、おっかし~、あはは!』
場の空気を散らすハンジの高笑いをもろともせず、ミケは語気を強めて言い放つ。
『冗談でも構わない。絵空事や夢物語でも信じる者がいればそれは真実になる。必要であらば、お前にはその役割を担ってもらうつもりだ。』
『…………。』
リヴァイは静かに席を立つと、何も言わずにその場から去って行った。
『も~ミケが変なこと言うからリヴァイ帰っちゃったじゃんか。』
『奴は誰よりもエルヴィンの側にいる。肌で感じ、理解している筈だ。』
『は?エルヴィン?何でここでエルヴィンの名前が出てくるの~やめてよ、ちょっと~!』
バシバシと背中を叩くハンジの右手首を強く掴み、ミケはハンジを睨みつける。
『鈍感を装うのは止めろ。お前も薄々は気づいていた筈だ。』
『!!』
逃げることの出来ない視線に心音が大きく跳ねる。
ハンジは奥歯をギュッと噛み締め、右手首を掴むミケの手をそっと外した。
『っ……いやいや。本当、ないない………だって、これじゃあ、リヴァイがあまりにも可哀想だ……兵団や世間の期待だけじゃない、……か、……っ、意味分かんないよ!どれだけリヴァイに背負わせるつもりなの?!』
『お前も人類最強とチャチャを入れて、リヴァイを祭り上げてただろ。』
『あれは冗だ……』
ー冗談でも構わない。絵空事や夢物語でも信じる者がいればそれは真実になる。ー
突きつけられる事の重大さに、ハンジは愕然となる。
『……そんな…。』
『おそらくエルヴィンに自覚はない。側から見ればあくまでも人としてリヴァイを愛している。』
『ダメ!そんなのおかしい!エルヴィンに一言言ってくる!』
動転し席を立とうとするハンジの胸ぐらを、ミケは瞬時に掴むと、そのまま仰向けに机に叩きつける。
『くぅっ…!!』
『お前が余計な事をするなら、俺はこの場でお前を殺す。』
穏やかな語り口とは対象的に見下ろしてくる秘色の瞳は、鋭さを増していく。
『エルヴィンの精神的支柱がリヴァイである事に間違いはない。そしてそれが兵団に多大なる影響を与えているのも事実だ。この事は俺たち2人の間で留めるんだ。』
『私には、出来ない……耐えられない……っ』
『聞け!!この情報が漏れれば兵団を潰したい外部の連中どころか、エルヴィンに失望した内部から調査兵団は一気に崩壊する。お前がリヴァイを守るんだ。』
『!?』
脳裏に浮かぶ想い人に、ハンジの目が大きく見開く。
『奴がエルヴィンの元を、調査兵団の元を離れない理由を考えろ。お前がリヴァイを。俺がエルヴィンを。今まで以上に支えてやるんだ。』
『私が、リヴァイを守る……?』
秘めた感情は仄かに甘い蜜の香りに揺り動かされていく。
『誰にも隙を与えない、誰にも邪魔はさせない………これは4人だけの秘密だ。』


調査兵団に入って以来、数えきれない人の死を見てきた。
壁の外や巨人の謎は解明されず、弔う仲間の名を把握しきれないまま屍だけが積み上がっていく。
それなのに、仲間と巨人の返り血で真っ赤に染まった俺を見て、エルヴィンはいつも綺麗だと言った。
沢山の人間が団長命令で死んでいく中、人間とは思えない強さを持ち簡単に死なない人間は、お前にどう映って見えるのだろう。
お前が俺にだけに向ける眼差しや微笑みを見る度に胸が締めつけられ、枷を嵌められたように身動きが取れなくなる。
そして必ず頭の中で、あの言葉が浮かんでくるんだ。
ーLevi、hallelujah。ー

『何の冗談だ、リヴァイ。』
『俺はお前の【契約者】だ。それこそ、何の問題がある?』
『お前は私では無理だと言っていたし、今までお互い上手くやってきただろう?だから、これからも…』
『じゃあ、何で【フェイク】じゃなくて【契約】なんだ?いつも綺麗事ばかり並べてやがって……もう、うんざりだ…。』
上手く言えない、解放されたかった。
ただ、それだけだった。
『無理だ……。私には、できない…お前は、綺麗な存在でなければ、ならないんだ…。』
あの日の事は今でも忘れられない。
罪の意識に苛まれ、今にも泣き出しそうな子どものような表情。
か細く震える声、縋るように抱き締めてくる両腕、一回りも大きな肩が小さく頼りなく感じるほどだった。
見たこともないエルヴィンの姿を目の当たりにして、思考が停止する。
脱け殻になった心と体は自分のものではなく、エルヴィンに抱かれる様はまるで人形のようだった。
ふとサイドテーブルに飾られた黄色いバラに視線を移す。
枯れる事なく保たれたその美しい姿は、人工的な施しが加えられたものであると最近知った。
『…すまない……私を赦してくれ……。』
背後から抱き締めてくる理由も。
左手の薬指にキスをする意味も。
愛しているの言葉も。
誰に赦しを請い、愛を乞うている?
(なぁ、……お前、誰を見ているんだ……。)
なぜ俺を選んだ。
『……分かった。もういい。』
枷を嵌められたように重く軋む手を伸ばし、エルヴィンの頬に触れてみる。
地下街で下され、強引に【契約者】にさせられ、それでも兵団を辞めようと思わなかったのは、エルヴィンを殺すためだけではないことにとうに気付いた。
『Erwin ……God bless you .』
今更戻ることなんて出来ないーー。
1/3ページ
スキ