純愛カオス

『零!やめろ……!やめろって!』
ヒーロー(救世主)は弟の制止を振りはらい悪者(クズ)どもに鉄槌を下していく。
『次に聖に手を出したらこんな程度じゃ済まねぇぞ!』
地べたに這いつくばる悪者どもに、ヒーローが決め台詞を放つ。
僕は周囲で傍観している集団に混じった弟の友人A。
ヒーローが僕の横を素通りする。
ヒーローは僕に気づかない。
軍神MARSに愛された君。
その強くて美しい姿が、僕の頭から離れないんだ。


「聖。帰るぞ。」
聖を迎えに来た零が美術室の扉を開けると、広い教室にたった一人机に左手を添えて静かに佇む学生がいた。
茜色に染まる教室に影を落とし、憂いを含んだ漆黒の瞳が零を視界に捉える。
「誰だお前。」
「こんにちは。樫野君と同級生の桐島牧生です。聖とは美術部仲間で仲良くさせてもらってます。」
微笑む顔は幼さを残し、線の細い体つきは中性的な雰囲気を醸し出していた。
零は訝しげな顔つきで眺めながら、牧生を上から下まで観察する。
「……あぁ。聖が引っ越してすぐ友達ができたって喜んでたな。お前か。つーか、君づけはキモイからやめろ。零でいい。」
「ありがとう。樫野く……いや、零。」
「それで、聖はどこにいる?」  
「少し前に美術部のみんなと帰ったよ。僕も一緒だったけど忘れ物を取りにきたんだ。」
聖のいない理由を聞かされた途端に、零の態度が一変する。
「チッ……あからさまに俺のこと避けやがって。」
零は舌打ちをし、苛立ちを隠せず感情のままに拳でドアを叩きつけた。
「たまたま今日は部活が早く終わっただけだよ。先輩もいたし。だから、………。」
「部外者が俺と聖のことに口を挟むな!」
聖を庇おうとする言葉を一蹴し、凄まじい零の気迫に圧倒され牧生は何も言えなくなる。
(部外者、か。)
少し手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、零と牧生の間には見えない境界線が張られている。
決して踏み込むことのできない領域を前にして、やり場のない想いに胸が締めつけられる。
(ずっと二人寄り添って生きてきた零と聖。双子特有の絆。お互いを想う強い愛情。折角聖と仲良くなったのに、僕の入り込む余地が何処にもない。)
零に敵意を向ける一部の人間から始まった聖へのいじめを足掛かりに、聖を支える自分をアピールしたいと考えていた牧生の思惑は見事に外れる。
お互いを想うが故に激しく衝突し、矛盾と葛藤を繰り返す零と聖の心は蝕まれ少しずつ溝は深まっていた。
しかし、聖のことで追い詰められていた零の愛情は暴走し、自己を肯定するように聖を所有物化し始める。
聖の行動を縛りつけ監視化におき、聖に関することは些細なことでも相手を選ばずに揉め事を起こしていた零は学校内外で問題になっていた。
美術部も対象に等しく、気分によって時間は疎らだが聖を迎えに来るために零は毎日美術室に現れる。
拒絶する言葉に耳を貸すことなく、強引に聖の腕を掴んで帰っていく零に困惑する部員たち。
無駄にざわつく凡庸な人間を尻目に、二人の後ろ姿を見送る牧生は聖に羨望の眼差しを向けていた。
(同じ日に生まれただけで、僕と聖にはこんなにも差がある。学校のクズどもから僕を助けてくれたことを零は既に覚えていない。今この瞬間も零の中に僕は存在しないんだ。)
激しい嫉妬に駆られながらも、牧生は零に近づく機会を模索し続けていた。
「たく、毎日毎日誰のお守りをしてやってると思ってんだ。聖のヤツ、明日から部活に行けなくしてやる。」
「ま、待って!」
牧生を無視して帰ろうとする零の態度に焦り、咄嗟に背後から腕を掴もうとした。
「!?」
突然振り返った零と視線が合った刹那、牧生は近くにあった机に突き飛ばされる。
激しい音を立てて扉が閉まり、間髪入れず牧生の胸ぐらを掴んできた手に仰向けの状態で無理矢理机に押しつけられた。
「軽々しく俺の背後に近づくな。」
「っ…ごめん……。」
「女みたいな面して何考えてんだお前。殺すぞ。」
見下ろしてくる瞳に畏怖の念を抱き、牧生は瞬きを忘れて零を見つめる。
「はっ………いいね。その顔。成す術のない人間の絶望感てゆーか。この瞬間がたまらない。」
冷徹に獲物を狙い愉悦の表情を浮かべる零は、至極残酷で美しい。
ネクタイを解きシャツのボタンを胸元まで外され、露になった首に冷たく大きな手がひたりと纏わりついてくる。
(……零の手……気持ちいい……。)
「死ね。」
愛する人から下された審判に、牧生は静かに目を閉じた。


「っ……!」
明らかに手とは違うぬるりとした生暖かい感触が首筋を這い、意志に反して引き出される快楽に牧生の体が反応する。
「やっ…んん……っ」
少し厚みのある唇にうなじを強く吸い上げられ、思わず声が漏れた。
「あはは。わりぃ。冗談だよ。」
無邪気な笑い声とともに、首に触れていた手が頭をポンポンと撫でてくる。
牧生が恐る恐る目を開けると、自分だけに向けられた零の優しい笑顔に一瞬で心を奪われた。
「零……。」
「あーあ。軽くやるつもりがしっかり跡残ってるし。これ二人だけの秘密な。」
零は牧生を抱き起こして机の上に座らせると、白い肌に残る紅い跡をそっと隠すように乱れたシャツを整えていく。
「あ、あの。どこからが冗談だったの?」
「さぁ。可愛い子はイジワルしたくなる性分なんだよね。」
「!からかわないで。」
「ホントホント(笑)よし。元通りになった。」
「………ありがと。」
話したいことは沢山あった筈なのに、頭の中が真っ白で上手く喋れているのかすら分からない。
初めて見る一面に戸惑いつつも、憧れの零を前にして牧生は頬を紅く染め終始俯いていた。
「牧生。聖は大人しくて友達少ないからさ、これからも仲良くしてやってくれよ。じゃあな。」
零は牧生の頬に挨拶代わりのキスをして、そのまま美術室を後にした。
緊張から解放された牧生は、室内に飾られたマルス像のレプリカをふわふわとした夢心地で見つめる。
(零。僕の名前呼んでくれた。)
零の唇が触れた首筋と頬がじんわりと熱を帯びてもどかしい。
(彫刻のように繊細で綺麗な顔立ち。残酷で狡猾な軍神マルスを生き写したような人。まさに、僕の理想だ。)
溢れ出した想いを抑えきれず、牧生は零に重なるマルス像に近づききつく抱き締める。
(零のそばにいたい。零に触れていたい。…………でも、聖がいる限り零は僕を見てはくれない。あの笑顔は僕に向けられたものじゃなかった。)
毎日聖を迎えに来る零と二人きりになりたくて、美術部メンバーを急遽早退させる計画を立てた。
しかし、牧生が手を尽くしたところで零の帰る場所は聖なのだと改めて思い知らされる。
「聖、邪魔だなぁ。」

君の存在が僕の(零の)重荷になっている。
これからも僕を(零を)苦しめ続けるのか?


『…………。』
『聖!』
『…………さようなら。』
『聖ーーっっ!!ああああああああ!!!』
数日後に聖が自殺を図った時、僕は屋上に向かって走る零を追いかけて気づかれないように扉から二人の様子を見ていた。
僕は零のことが好きなんだ。
聖の死は僕と零を繋ぐ架け橋となって幸福をもたらしてくれる。
そう信じて戻ってきた零に声をかけようとしたら、様子がおかしかった。
零、どうしたの?
君らしくないよ、そんな態度。
僕だけの零の笑顔を見せてほしい。
だって、零の帰る場所はここ(僕)にあるんだから。

「大丈夫。僕が聖になるよ。」

end.
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