Case4【刹那/祈り】

「ぎゃああーっっ!!」
「死ね! 二度と俺に近づくな!」
ドアの向こうですったもんだがあった末、がなり声をあげてエレンがリネン室に入ってくる。
「お前なぁ……折角完治したのに、なんで前より傷だらけなんだよ。」
先に片付けをしていたジャンに、案の定嘲笑われ、エレンは怒りを爆発させる。
「若いから、人類最強の相手だったから、巨人を征服してみたい、エトセトラの変態ばかりに言い寄られてうんざりだっっ!!」
「いつまでも兵長にこだわってるからだろ。」
「はぁ?? こだわってなんかいねぇよ。」
エレンはジャンを睨みつけ、そう吐き捨てると、荒っぽい靴音を立てながらリネン室の奥へ向かった。
タオルやシーツを所定の位置に戻し終わる頃には気持ちが少し落ち着き始め、エレンはふぅと溜息をつく。
すると、今まで気づかなかった。背後に、誰かの息遣いがピタリと張り付くような気配。 動けなくなった。
「いい加減、俺と【契約】しろよ。」
「…ハァ。冗談は馬面だけにしろ。」
相手がジャンと分かると、エレンは背中を向けたまま、面倒くさそうな態度であしらおうとした。
――が、
しかし、思惑とは真逆に、ジャンの両腕が背後からすっと伸び、きつく抱き締められる。エレンは思わず、どきっとする。
「んだよ。近いから離れろって……」
「はい、ストップ。」
ぱん、ぱん、と場の空気を壊すように、ゆっくりとした大きな拍手が、リネン室に響き渡る。
二人が音の鳴る方に視線を向けると、にっこりと微笑みを浮かべるアルミンが佇んでおり、エレンは喜び、ジャンはげんなりする。
「アルミン!」
「これからがいいところなのに」
「ジャンは黙ってて。」
アルミンはジャンからエレンを引き剥がすと、リネンの棚とエレンの間にするりと入り込む。
「よしよし、怖かったね。もう大丈夫だよ。」
「アルミ~ん。助かったぁ。」
アルミンはエレンの頬に両手を添えると、改めてエレンの目をじっと見つめる。
「エレンに伝言を伝えに来たんだ。兵長が『今夜21時に、俺の部屋に来い。』だって。」
「……!」
「久しぶりに会えるね。ゆっくり話しておいで。」
エレンは一瞬、大きく目を見開いたが、すぐに表情は陰り、アルミンから視線を背ける。
そんなエレンの態度を見て、アルミンはうんうんと小さく頷き、ゆっくりと語りかけるように話し始めた。
「少し話が逸れるんだけどね、僕この間、偶然シェルムさんに会ったんだ。『次にあいつに会ったら伝えておけ。俺はあの人を手に入れるためなら手段を選ばない。お前が指を咥えて見てるだけなら、俺が団長から奪ってやる。』だって。」
「…………」
「巨人を殺すことに執着する君が、団長相手だと簡単に諦めるなんて……今でも純粋に兵長のことだけを想ってるシェルムさんとは、大違いだね。」
「…なぁ……そろそろ黙れよ……」
「これ以上傷つきたくないから、僕にまで威嚇するんだ。かっこ悪い。団長にあんな形で兵長を奪われて、哀しくないの? 悔しくないの? 怒りが湧かないの? 奪われたものは、どうするのか、言ってみろよさあ!」
「~~っっ!!」
エレンは感情を露わにしてアルミンを睨みつけるも、何も言わずに立ち上がり、リネン室から走り去って行った。
やれやれとため息をつくアルミンが、ふと視線を向けると、ジャンが怪訝な表情でこちらを見ている。
「…お前、どういう神経してんだよ。」
「人の恋路を邪魔してばかりいると、エレンに嫌われちゃうよ。」
「ふざけるな! だったら、なんで兵長のとこに行かせるんだよ。お前がエレンを好きなことくらい、こっちもお見通しなんだよ。」
「エレンが最後に戻って来るのは、僕のところだから、いいの。」
「あーそーですか。俺には、熟年夫婦的な考え方は全く理解できねぇ。」
「ジャンこそ、いつもエレンと喧嘩ばかりしてるのに、なんで好きなの?」
「!?……あ、改めて聞かれると、俺にも分かんねぇよ。あいつが側にいると、どうしようもなく気持ちが抑えられなくなって……仕方ねぇだろ。」
気まずそうに頭を掻きながらも、純粋にエレンを想い続けるジャンの側で、アルミンの中で、少しずつ、何か重く澱んだものが溶けていくような、清々しい気持ちになっていった。
「じゃあ、僕たちの勝負は、エレンがもう一度兵長にフラれてからにしよっか。」
「どーだか。そこまで待てる気がしねぇわ。」
ジャンとアルミンは目を見合わせ、気恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべる。
死と隣り合わせの世界で、胸の内に刻まれる確かな感情。
君を想うこの気持ちが、生きる強さとなり、僕がここに存在する証となる。 そう信じていたい。

******

(なんでここに分隊長が二人もいるんだ……?)
約束の21時。
リヴァイの部屋の前で、ハンジとミケが待ち構えていた。
ミケはなぜか立体起動装置をフル装備しており、あまりにも物々しい雰囲気にたじろぎ、エレンは廊下の角から少し顔を覗かせたまま動けなかった
「あ!エレン、待ってたよ。おいでおいで~。」
そうは言っても見つかるのは時間の問題であり、笑顔で近寄ってきたハンジに腕をグイグイ引っぱられながら、エレンはハンジとミケと共に部屋に入った。
「な、なんでハンジさんとミケさんがいるんですか?俺、兵長と21時に約束してるんです。」
「二人とももうすぐ来るよ。だからその前に、準備をしておこうと思って。」
「準備?」
ハンジのその言葉と同時に、エレンの両腕が後ろにまわされた。
手首に締まる手錠の冷たい金属音が、部屋に響く。
「……何ですか、コレ。」
エレンが動揺して問うと、ミケが低く言った。
「口答えをするな。」
「ミケ。」
ハンジが、少し申し訳なさそうに付け加えた。
「こんな扱いをして、申し訳ないと思っている。だけど、私は君を信じてるから。」
「え……?」
エレンの混乱が深まる中、ミケが鋭く顔を上げる。
「来たか。」
ドアが開き、リヴァイとエルヴィンが入室する。
「兵長!何なんですかこれは!ハンジさんとミケさんがいて、エルヴィン団長まで……い、いきなり拘束されて、意味分かんないです!外して下さい!!」
エレンが必死に訴えるが、リヴァイは無言で、エルヴィンはただ静かにそれを見つめている。
「黙ってないで今すぐ外して下さい!アルミンから2人きりで兵長と話せるって聞いて、すごく嬉しかったのに、こんな扱い、酷すぎます!」
エレンの叫びに、エルヴィンが感慨深げに呟いた。
「デジャヴを見てるようだ。」
「チッ。」
リヴァイが不快そうに舌打ちする。
「デジャヴ?何の話ですか?」
エレンが聞き返すと、エルヴィンがゆっくりと近づき、エレンの顎を指でそっと持ち上げた。
「君が拘束されているのを見るのは、審議所の時以来か。」
「っ……」
エレンの喉が詰まる。
あの日の屈辱と恐怖が蘇ってくる。
エルヴィンは、そのエレンの表情をじっと見つめ、薄く微笑んだ。
「いいね……君は、そういう表情がよく似合う……。」
「!!」
『君はそういう表情がよく似合う……。』
あの夜、エルヴィンの部屋で聞かされた、甘く残酷な言葉。
『や、あぁ、…っく、ふぅう…ん…!』
『いい声でなくね、たまらないよ。』
「…あ、……ああ…っ…?」
記憶と現実が歪んで重なり、エレンはギリッと歯を食いしばる。
生気を失った獣のような瞳で、エレンがエルヴィンを捉えた瞬間、エレンの顔面に鈍く重い痛みが走った。
「んぶっっ!!」
リヴァイの拳が、エレンの頬を強打した。
「リヴァイ!!」
ハンジが悲鳴のように叫ぶ。
エレンがベッドの壁に吹き飛ばされると同時に、ハンジでは抑えきれず、半刃刀身を引き抜こうとしたミケの前に、リヴァイは立ちはだかった。
「邪魔をするな、リヴァイ。エレンを殺す。」
ミケの声は、冷徹そのものだ。
「エルヴィンは『まだ』望んでいない。刃をおろせ。」
リヴァイが言い放つ。
「ならば、お前も斬る。」
ミケの目に、静かな狂気が灯る。
「………五分よこせ。」
リヴァイがミケを睨みつける。
「お前も、ガキ相手に煽るな。」
「フフッ。」
エルヴィンが、何かを楽しむような笑みを浮かべた。
リヴァイはミケから離れ、反転すると、鎖で縛られたままぐったりとするエレンに視線を向けた。
「…痛てぇ…。」
体を丸め、苦痛に顔を歪めるエレンを見て、リヴァイは小さな溜息をつく。
「一丁前に牙を剥きやがって……お前は本物のバカだな。帰ってクソして寝ろ。」
薄らと目を開けた先の視界には、ベッドに近づく三人の姿があった。左にミケとリヴァイ、右にハンジ。
そして、少し離れて壁にもたれるエルヴィンを囲むように佇む三人が、エレンを見下ろしていた。
その眼差しは、兵士を見る目でも、巨人を見る目でもない。
軽蔑や卑下する目でもない。
四人だけが纏う雄々しい空気、入る余地のない強固な絆が、エレンの存在そのものを拒絶している。
エレンは怖気づいたが、奥歯をギリッと噛みしめた。
「帰りません…。」
「帰れ。」
リヴァイの声は、冷たく硬い。
「帰りません!俺の帰る場所は、貴方の隣なんだ!!」
「!?」
エレンが、鎖に繋がれた手を必死に握りしめて叫んだ。
「し、正直に言うと、ずっと嫌でしたよ!無理矢理【契約】させられて、ずっと玩具にさせられて、最初は最低な人だって思ってました!でも…でも俺が気づかなかっただけで、兵長はずっと優しかった。時間はかかったけど、兵長が好きだって、側にいられて幸せだって思えたんです。何度も諦めようとしたけど、誰にも譲りたくない……俺は貴方の側にいたい!!」
「!?あぐっ…ううっ…!!」
エレンの言葉に、リヴァイの理性の糸が切れる。
ミケのブレードホルダーから半刃刀身を引き抜くと、寝転がるエレンに突如馬乗りになり、左手でその細い首を絞めながら、半刃刀身を振り上げる。
「リヴァイ!?」
ハンジの絶叫。
「かはっ…へ、ちょ…っ」
エレンは窒息し、苦しみながらもがく。
「ちょっと待って!何でそうなるのよ!」
「五分経った。エレンを殺す。」
ミケが冷たく宣告する。
ハンジがパニックになり、ミケに食ってかかる。
「はぁ!?やってる事がめちゃくちゃだって言ってるの!やめてってば!!」
「俺が始めたことは、俺が終わらせる。邪魔をするな。」
リヴァイの言葉に、ミケが無言でハンジの動きを封じ、助けに行くことを阻む。
両手でリヴァイの腕を掴み、息の出来ない苦しみにもがくエレンの姿に、ハンジは顔面蒼白で叫び続けていた。
「…ははっ…やれるも、…やって、……ぁっ…死んでも、…再生…やる…っ!!」
ポロポロと頬を伝う幾重もの涙と共に、堪えていた想いが一気に溢れ出し、自分の意思では止められなくなっていた。
表情一つ変えず、事のあらましを見ていたエルヴィンが、静かに、しかし確かに響く声で口を開いた。
「リヴァイ、エレンから離れろ。」
「断る。」
リヴァイの答えは即座だった。
「離れるんだ。」
エルヴィンの声に、今度は強い意志が込められる。
「それは命令か。」
「お前が捨てようとしているものが、それであるならば…」
エルヴィンの碧眼が、鋭く光った。
「私は、許さないと言っている。」
「!」
リヴァイの手が、ほんの少し、震えた。
「かはぁっ…!ハァハァ…っ…はあっ…」
腕の力が緩んだ瞬間、エレンは咳き込みながら必死に深呼吸をする。
エルヴィンは、三人を見渡し、落ち着いた口調で言った。
「なかなか面白いものを見せてもらった。リヴァイ、ミケ、ハンジ。お前たちでも、冷静さを失う事がまだあるとはね。もう一度、躾直しが必要のようだ。」
「っ……。」
三人は、それぞれに言葉を失った。
「さて、エレン。何か言いたい事はあるか?」
エルヴィンが、縛られたエレンを見下ろす。
「……なんで、団長なんですか……。」
エレンの声は、混乱と絶望に震えていた。
「フム。」
エルヴィンは興味深そうにうなり、リヴァイに視線を移した。
「リヴァイ、お前の答えは?」
「エルヴィンが望むから、お前から離れた。」
リヴァイの答えは、単純明快だった。
「…なんですか、それ…っ…団長に言われたから【解除】したって、そんなことまで命令に従うって、どう考えたっておかしいでしょ…。」
エレンが訴える。
「別におかしくも何ともねぇ。」
リヴァイは、きっぱりと言い切る。
「靴を舐めろと言われたら舐めるし、踊れと言われりゃ踊る。」
「ほぅ…」
エルヴィンがくすりと笑った。
「それは一度見てみたいものだ。」
「チッ。」
リヴァイは顔を背けた。
「意味、分かんないです…ただの依存じゃないですか…。」
エレンが呻くように言うと、リヴァイが鋭い眼差しを向けた。
「依存してなにが悪い。」
その言葉は、この場にいる全員への問いかけのようだった。
「俺たち調査兵団は、エルヴィンに依存している。」
リヴァイの言葉が、重く部屋に沈んだ。
依存。
それは否定すべき弱さではなく、この腐った世界で自分たちが選び取った、歪な「絆」の形だった。
エルヴィンは微かに目を細め、壁から離れると、カツカツと靴音を立てて、ゆっくりとベッドに近づく。
ベッドの近くにあった椅子に腰を下ろす動作は優雅で、まるで王座に座る王のようだった。
「『依存』……なるほど、興味深い言葉だ。」
彼の指が、軽く膝の上を叩く。
「君はそれを弱さだと思っている。しかし、リヴァイが言うように、この壁の中のほぼ全ての人間が、何かに依存して生きている。安全に依存し、権威に依存し、慣習に依存する。私に依存する兵士もいれば──」
エルヴィンの碧眼が、鋭くエレンを捉えた。
「──自由という幻影に依存し、復讐に依存する者もいる。」
エレンの背筋が凍りつく。その言葉は、紛れもなく自分へ向けられた刃だった。
「俺は…」
「違うと言えるか?」
エルヴィンの声は、柔らかく、しかし全てを看透かすように冷たい。
「お前は今、何にすがっている? リヴァイへの恋心か? それとも、彼を『奪い返す』という、たかが少年の勝負事に?」
「ちが…!」
「違うなら証明してみせろ。」
穏やかな表情のまま、放たれる凄まじい威圧感に、エレンは思わず息を呑む。
「私は、リヴァイを手放すつもりはない。この男は、私が人類に捧げる『生ける希望』であり、『美しい楔』だ。お前の如き未熟な感情で、この均衡が崩されることを、私は望まない。」
「均衡…?」
エレンが混乱した声で繰り返す。
リヴァイは無言で、しかし半刃刀身を掴む拳に力が籠る。
ハンジは唇を噛み、ミケは相変わらず冷めた表情で状況を観察している。
「そうだ。」
エルヴィンが頷く。
「リヴァイは私の側にいることで、『人類最強』として兵団を支え、人々に希望を与える。私は彼の力を以てして、壁の外への道を切り開く。これは取引であり、共生関係だ。お前の甘ったるい恋愛感情が、この緻密なバランスを壊す可能性が、ほんの少しでもあるなら──」
エルヴィンの目が、一瞬、非情なまでに冷え切った。
「──私は君を、排除する。」
「……エルヴィン。」
リヴァイの低い声が響く。
「こいつは、もう俺の『契約者』じゃねぇ。関係ないだろうが。」
「『関係ない』?」
エルヴィンがゆっくりとリヴァイの方に向き直る。
その口元には、笑みのような、しかし何も感じさせない表情が浮かんでいる。
「彼がお前に執着し、お前が彼に未練を残している限り、関係は続く。そして、その『未練』が──」
冷たく、優しい、諭すようなエルヴィンの声。
「──我が最強の兵士の判断を鈍らせ、今日のような見苦しい私闘を引き起こす。それが『関係ない』と言えるか、リヴァイ?」
リヴァイは答えなかった。
ただ、硬く顎を噛みしめ、エルヴィンの視線を真正面から受け止めている。
その姿は、反抗しているというより、苦しい問いを自分自身に投げかけているように見えた。
ハンジが、小さく息を吐く。
「エルヴィン……リヴァイだって、エレンのこと本当は──」
「ハンジ。」
ミケの短い一声が、ハンジの言葉を遮った。
ミケは首を微かに振り、ハンジを見つめる。
エルヴィンは椅子から立ち上がると、リヴァイの数歩前で止まり、そっとため息をついた。
そのため息は、怒りでも失望でもなく、ある種の「諦観」に満ちていた。
「リヴァイ。お前は強く、美しく、キレイな存在でなければならない。お前が弱さを見せれば、それは兵団全体の弱体化を意味する。理解しているな?」
「……分かってる。」
リヴァイの声は、かすれて聞こえた。
「ならば、決断を下せ。」
エルヴィンの声は、優しく、そして残酷に響いた。
to be continue…
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