Case4【刹那】
「目が覚めたか。」
「………へいちょう…」
不安を滲ませた表情で見下ろすリヴァイを、エレンはぼんやりと見上げている。
「大丈夫か?」
「え?……はい…。」
ベッドの肌触りですぐにリヴァイの部屋にいる事が理解できたが、なぜかここにいることに対して違和感を覚える。
しかし、ほっとした表情に切り替わったリヴァイに優しく頭を撫でられると、その違和感はあっという間に彼方へ飛んでいき、エレンはすりすりと自ら頭をすり寄せた。
「あ、そうだ!すいません、兵長。俺いつの間にか寝てしまったみたいで、……」
「寝たってお前、何言っ………て、オイ。ミケ!」
「!?わああああっ!!」
ミケは二人の会話を遮るように、寝ているエレンの足元から徐にベッドに乗り込んでくる。
「ひいい~!!」
偶然にも死角に入っていた為、突然現れたと思い込んでいるエレンにとって、寝ている布団を剥がされ無理矢理抱き起こしてきたミケはただの恐怖でしかなかった。
「へ、へいちょう?俺、どうしたらいいですか……?」
「………好きにさせてやれ。」
困惑し助けを求めるエレンに対し、リヴァイは二人から視線を逸らし頭を抱える。
「うぅ~…。」
髪の毛を掻き上げ頭皮の匂いを嗅がれドン引きしたり、顔や首にさわさわと当たるミケの髭の感触が気になったり、時折肌にかかる息のくすぐったさに身体が思わず反応したりと、エレンの気持ちが全くついていけない。
リヴァイの前で耳の穴や脇の下まで匂いを嗅いがれる羞恥に、エレンは涙目で必死に耐えていた。
「…………。」
エレンの着用している衣服が煩わしいのか、腹部から服の中に手を入れようとすると、さすがのリヴァイもミケを咎める。
「俺の契約者だ。規律は守れ。」
「はあああ~。」
エレンから離れたミケがベッドから降りると、羞恥と緊張から解放されたエレンはどっと疲れが溢れ出し、がっくりと項垂れた。
「匂いは消えているが、ショックで記憶が一時的に飛んでいるようだな。」
「そうか……。」
「分かっただろう、リヴァイ。初めからお前に選択肢などなかった。」
冷ややかな目線をリヴァイに向け吐き捨てるようにそう呟くと、ミケはそのまま部屋を去って行った。
「な、なんだったんですか、今の。」
「さあな。」
ミケの出て行った扉を呆然と見つめるエレンに対し、リヴァイはエレンから視線を外したまま俯いていた。
「そう言えば、ミケさんと兵長のツーショットって珍しいですよね。」
「別に珍しくもなんともねぇよ。」
「兵長でも選択できないものがあるんですか?」
「お前には関係ねぇ。寝ろ。」
「散々寝たから眠くないですよーっ」
一生懸命話しかけても心ここにあらず冷たくあしらわれ、エレンは頬を膨らませる。
「兵長、さっきから冷たい。初めて【契約】した時みたい……。」
「チッ。少し黙ってろ。」
「うわっ!」
古傷を抉られ子どもっぽい苛立ちを見せるリヴァイは、エレンの背中に腕を回し強引に抱き寄せる。
リヴァイの胸に顔を埋めるエレンは最初こそ怒らせてしまった恐怖で固まっていたが、リヴァイの腕の中に収まる安心感に徐々に体の力が抜けていく。
(……あ。……この音、好きだ……。)
抱き締められる度、身体を重ねる度、共に眠りにつく度に聞こえてくる。
リヴァイの胸の奥で静かに脈打つ鼓動。
愛しい人が生きているという実感。
傍にいられるという幸せ。
(…………?)
エレンの想いとは裏腹に、リヴァイは視線を窓の向こう、遠くに見える壁に向けていた。
心ここにあらず、一文字に結ばれた無機質な唇。
いつもとは違う虚無感が、エレンの胸をよぎる。
「どうした。」
言葉が出なかった。
いや、口にすること自体が、何かを壊してしまいそうな気がした。
(兵長、いなくなったりしないですよね…?)
******
「エレーーン!」
「ま、待って!ジャン!」
ハンジとの実験の打ち合わせを終えたエレンは、廊下の向こうからダッシュで駆け寄ってくるジャンと、ジャンを追いかけるアルミンを見て、大きく手を振る。
「ハァッ、ハァッ、(つ、疲れたぁ…)」
「エレン、おま……」
「ジャン、アルミン、これ見ろよ!ハンジさんが、少ないけど食べてって内緒でクッキーくれたんだ。みんなで食べようぜ。」
「いやいや、お前なに能天気なこと言ってんだ?兵長に【契約】を……おぶっっ!!」
「もうちょっとデリカシー持ってよ、ジャン!(小声)」
慌てて口を塞ぎ暴れるジャンを必死に抑えようとするアルミンに、エレンはきょとんとした表情で首をかしげる。
「兵長?ん?【契約】?」
「……う、うん、……その、…」
「なんだよ、教えろよアルミン。」
リヴァイに関することと理解したエレンが興味津々の笑顔を向けると、アルミンは思い惑いながらも話し始めた。
「……エレンは、ハンジさんと別行動だったから知らないかもしれないけど、……今朝からエレンと兵長のことである噂が持ちきりなんだ。」
「噂?」
「エレンが、その、…兵長に、…【契約】を【解除】された、っていう……。」
「ハァ?!俺がいつ兵長に【契約】を【解除】されたんだよ。冗談に決まってんだろ。」
「そ、そうだよね、ごめん。」
「だ、誰だよ、そんな噂流したの、迷惑だっつーの。」
呆れたように笑うエレンの普段通りの様子に、アルミンはほっと安堵の表情を浮かべた。
「ぷはぁっ!テメェ、それが事実で間違いねーだろーな。」
「あ、あぁ。」
「なんだその曖昧な返事は!お前がちゃんとしねーとなぁ、こっちが困るんだよ!分かってんのか?!」
(なんでこいつがこんなに怒ってんだ?)
アルミンとは対照的にガツガツと詰め寄ってくるジャンにエレンが戸惑っていると、突然アルミンに袖を引っ張られた。
「エレン、兵長が来たよ!」
アルミンの視線の先をたどると、リヴァイが真正面からこちらに向かって歩いてくるのが見える。
リヴァイが視界に入った途端、エレンはケモ耳としっぽを出して嬉しそうにかけ寄った。
「お疲れ様です!兵長聞いてください。アルミンとジャンが、俺が兵長に【契約】を【解除】されたって変なことを……おぶっっ!!」
誤解を招く言い方にジャンとアルミンは慌ててエレンにかけ寄り口を塞いだ。
「ああああ、くまでも噂ですっっ!誰かが勝手にデマを……」
「事実だ。」
「え?」
「こいつらも噂も間違っちゃいねぇ。それをお前に伝えに来た。」
「っ!!」
内から湧き上がる激情に一瞬にして飲まれ、エレンはジャンとアルミンを振り払うと、リヴァイの両肩を掴んで強引に壁に押しつけた。
「エレン!!」
青ざめる同期をよそに、リヴァイは押しつけられた壁に背をもたれ、肩を掴まれたまま腕を組むと、怒りに支配された金色の瞳をじっと見据えた。
「上官を見下ろすなんざ、いい度胸だな。」
「【解除】ってどういう事ですか?」
「言葉通りだ。」
「俺はなにも聞いてません。」
「理由なんて要らねぇだろ。」
「!?」
「ガキ……少し下の世話をしてやっただけで浮かれやがって。こっちはいい迷惑だ。今度はそこの幼馴染みか同期と【契約】して面倒を見てもらえ。」
「…何ですか、それ…ちょっと、待って下さいよ…。」
頭の中が混乱し、必死に冷静さを保とうとするエレンの手は、無意識にリヴァイの肩に爪を食い込ませていく。
普段と何一つ変わらない表情が、余計に腹立たしくて悔しかった。
「相変わらず仲が良いな、君たちは。」
カツカツと鳴る靴音と、淑やかで品のある声音に、張り詰めた空気が一変する。
引きつけられる視線の先には、ミケとハンジを従えたエルヴィンが4人の元へ歩いてくる。
「マジかよ……こんなところで調査兵団トップが勢揃い……。」
圧倒されるほど華やかで威風堂々とした佇まいにジャンが仰ぎ見ていると、アルミンが下を向いたままジャンのジャケットの裾をギュッと握り締めてきた。
「どうした、アルミン。」
「ごめん…。」
「やだ~照れちゃって可愛い♡アルミンてば、エレンじゃなくてエルヴィンが好きなの?」
「ち、違います!あ、いや、尊敬はしてて……」
ハンジは悪戯な笑みを浮かべながら、真っ赤な顔をして慌てふためくアルミンを覗き込む。
「大丈夫。エルヴィンのファンの子達って気を遣ってみんなそう言うから、アルミンだけじゃないよ。」
「新兵でいちいち遊ぶな。」
「あーら。入団する度に新兵クンの匂いを嗅ぎ回ってる人に言われたくな…」
「少し用事が出来た。先に馬車へ向かってくれ。」
揉め始めた会話を遮るように話しかけてきたエルヴィンの声に、2人は瞬時に目の色を変えた。
「了解。リヴァイ連れて早めに来てよね。」
「ん。」
「じゃ、新兵クンたち!まったね~。」
弾んだ声で右手をヒラヒラさせながら、ハンジはミケと共に去って行った。
「少し顔色が悪いな。昨夜は眠れたかい?」
「は、はい。お気遣いありがとうございます。」
心配そうな表情で頬を撫でてきたエルヴィンを、エレンは緊張の面持ちで見上げる。
(…………?)
紳士的な振る舞いとは裏腹に、エルヴィンの柔和な眼差しの奥に一瞬引っかかりを感じるも、エレンはそれが何かは分からなかった。
「エレン、あまり見つめられると照れてしまうな。」
「す、すみません!」
無意識のうちに食い入るように見つめていたエレンはリヴァイから手を離すと、慌ててエルヴィンに平謝りをする。
「オイ、いつまで戯れてやがる。」
三白眼の目をさらに細め2人のやり取りを見ていたリヴァイが痺れを切らして口を開くと、エルヴィンはリヴァイに視線を向けて微笑んだ。
「どうした、リヴァイ。妬いているのか?」
「会議の時間だろ。行くぞ。」
「ま、待って下さい!まだ話が…」
「さっきから随分とくだらねぇ話をしているが、てめぇは一体何様だ?」
静かだが強圧的な声音と、鋭く睨みつけてくる漆黒の瞳に、エレンは身体を強張らせる。
「【契約】がてめぇの身分を上げる代物とでも勘違いしたか。調査兵団に飼われてる事を忘れてるなら今すぐ地下牢に戻れ。躾直しだ。」
「!っ…申し訳、ありません…。」
理不尽な思いに駆られながらも、リヴァイの言葉は至極真っ当で、エレンは俯き拳を強く握り締めた。
「リヴァイ。間違ってはいないが、言い方があるだろう?」
呆れ顔のエルヴィンは背後からエレンの両肩に手を添える。
落ち着かせるように小刻みに震える肩を優しく撫でた後、柔らかな吐息と共に耳元で囁いた。
「エレン。君が【解除】された理由はね、リヴァイが私と【再契約】をしたからだ。」
「……え?」
顔を上げ大きく見開かれた金色の瞳がリヴァイを捉えると、一粒の涙がすっと頬を伝い流れ落ちた。
「本当、ですか…。」
「っ……。」
リヴァイを直視したまま茫然とするその表情に胸の奥が鈍く痛み、組んでいた腕に力がこもる。
思わず名を呼ぼうと口を開けた瞬間、エレンの髪にそっと口づけをするエルヴィンに挑発的な視線をぶつけられる。
感情を揺さぶられ苛立ちを覚えながらも、リヴァイは喉まで出かけた言葉をグッと飲み込んだ。
「…まぁ、そういう事だ。」
もたれていた壁から体を起こすと、2人の間を強引に割いて立ち尽くすエレンを残し、リヴァイはその場から去って行った。
******
「エレン、まだあんな表情をするんだね。捨てられた子猫のようで可愛かった。」
王都に向かう馬車の中、思い出したかのようにクスクスと笑うエルヴィンの横で、リヴァイはすかさず舌打ちをした。
「あれはキャンキャンうるさいから犬だ。」
「え~私もエレンは猫派だなぁ。ミケは?」
「興味ない。」
「じゃあ、2対1でエレンは猫に決定!」
「くだらねぇ。」
「もー、あんた達って本当つまんない。」
横で無表情を貫くミケと、目の前で冷めた視線を投げるリヴァイに対し、ハンジは頬を膨らませる。
「この2人を手なづけることが難しいのはよく分かったよ(笑)でもいいのか、リヴァイ。そんなに可愛がっていた子を地下牢に戻して。」
「問題あるか?」
「…ないね。」
「私はリヴァイとエレンの年の差カップルも好きだったんだけどな~。」
「ハンジ。」
奔放なハンジに睨みを利かせるミケを、エルヴィンは穏やかに窘めた。
「構わないよ。意見は自由であるべきだ。だが、我々上に立つ人間が意味を履き違えてはいけない。あくまでもシステムは兵士の性管理が目的で、派生した事象はシステムの管理外、もしくは法律に委ねられる。」
エルヴィンはリヴァイを横目で流し、黒髪の襟足をさらりと撫でる。
「何が言いたい。」
「若い新兵は規律に縛られ錯覚に陥りやすいということだ。」
「はっ……じゃあ、俺とお前は何だ。」
「拗ねてるのか?」
「ちょっと~人前でいちゃつくの止めてよね。」
「眼鏡にクソでもつけたか、クソメガネ。」
「痛ーーっ!!いたいいたい、リヴァイごめんってば~っっ!!」
人類最強のブーツの踵にミシミシと足の甲を踏みつけられ、ハンジは絶叫する。
「ハンジ、リヴァイと人前でいちゃいちゃするのは止めなさい。」
「悠長な事言ってないで助けて~!!」
涙目で訴えてくるハンジとゴロツキ全開のリヴァイ、何とかしろと言わんばかりのミケからの痛い視線を向けられ、エルヴィンはやれやれと小さく溜息をついた。
「……リヴァイ 。お前がエレンと【契約】を【解除】しても監視役である事に変わりはない。分かっているな?」
その言葉に、リヴァイとハンジの動きがピタリと止まった。
リヴァイはハンジの足から踵を離すと、足と腕を同時に組み直し淡々と答える。
「問題ない。」
「引き続き頼む。」
(わーお…エグいなぁ。)
【解除】してもなお続く2人の関係性に、ハンジの顔が引き攣る。
(…リヴァイもエルヴィンもどういうつもりなんだろ……すごく興味ある…。)
「それは本当か。」
「あ?」
「リヴァイ、余計なことは考えるな。」
「……チッ。」
ミケの言葉にリヴァイは眉を顰め、静かな戦闘態勢に入る2人に対し、エルヴィンは苦言を呈する。
「2人とも馬車が壊れるから喧嘩は外でやりなさい。」
「いやいや街が壊れるから両方ダメでしょ!?ほら2人とももうおしまーーい!!」
王都に降りかかる火の粉を払うべく絶叫するハンジに場の空気を散らされ、リヴァイとミケは不服そうな表情を浮かべながらも元に戻った。
リヴァイは馬車の窓から見える景色に視線を向ける。
夜の闇に包まれながらも、王都の城下町は明るく華やかで平穏そのものだった。
(そういやぁ、この角を曲がると……)
『おかえりなさい兵長。会議お疲れ様でした。』
『……なんだその両手は。』
『もぉ、俺の気持ち分かってて焦らさないで下さい。』
『……ほらよ。』
『やったー!チョコレートだ!ありがとうございますいただきます!』
『お前、最近俺のこと財布と思ってるだろ。』
『いいえ!愛してます!ウマー!』
『…………。』
何気なく渡した土産の菓子を頬張るエレンの幸せそうな笑顔に負けて、その後習慣のように出先では必ず買って帰るようになっていた。
(……もう買いに行くこともねぇな。)
窓から視線を外し、リヴァイは横にいるエルヴィンにもたれかかると、腕を組んで目を瞑った。
「もうすぐ着くよ。」
「なら着いたら起こせ。」
「分かった。」
布越しにエルヴィンの体温を感じる。
昨夜まで触れていた体温を上書きされてしまいそうなほど、酷く懐かしい温もり。
(明日からは監視役に徹する……何か問題が起これば、俺はいつでもエレンを殺してみせる……)
馴染みの菓子屋が目に入ってしまったせいで、【元契約者】が見せた最後の表情が脳裏に焼きついて離れない。
(…あぁ、綺麗な涙だった……。)
前日早朝。
「それで、用件は何だ?さっきのメガネならともかく、ミケが用もないのに朝っぱらから俺の部屋に来ねぇだろ。」
「お前に頼まれていた件だが、やはりジャンにはエルヴィンが関わっていた。」
「……そうか。」
「ジャンがエレンを暴行した日、ジャンはエルヴィンに頼まれて書類を届けるためにお前を探していたそうだ。アルミンの方はエルヴィンと接触はしていたが、これと言った話は出てこなかった。」
リヴァイはクローゼットに背をもたれ両腕を組むと、小さく息を吐いた。
静的に語られる内容は既に予測の範疇であり驚きはなかったが、エルヴィンが関わっているという事実が胸の内で燻り続ける。
「金髪のチビは頭がいい。エルヴィンを上手く躱したんだろ。」
「聞いてなかったが、ジャンとアルミンはどうやって見当をつけた?」
「ガキの恋愛感情なんて手に取るように分かる。エレンの【契約者】として初めて会った時から、あの2人だけは俺を見る目が違っていたからな。お前こそ、シェルムの件にどう気づいた。」
「シェルムはエレンと接触する前日にエルヴィンの部屋に呼ばれていた。お陰でその場に居合わせた俺はお払い箱だ。」
「ただ乳繰り合ってただけかもしれねぇだろ。」
「言葉に気をつけろ、リヴァイ。これはお前の撒いた種だ。」
「…………。」
扉前で立っていたミケが、ゆっくりとリヴァイに近づいてくる。
互いに一定の距離を保ってきた相手とこうして2人きりで顔を突き合わせるのは、いつぶりか分からない。
調査兵団ナンバー2に相応しい威厳と風格があり、見下ろしてくる秘色の瞳は鋭利な敵意を向けていた。
ミケはリヴァイに鼻先を近づけ、何かを確かめるように顔や体の匂いを嗅いだ後、リヴァイの耳元で囁く。
「今回協力したのは全てエルヴィンの為だ。俺はお前の敵でも味方でもないが、エルヴィンに何かあればお前を殺す……覚えておけ。」
前日夕刻。
「遅かったな。」
エルヴィンは意識を失ったエレンをベッドに寝かせると、手近にあった薄い掛け布団をエレンの体にふわりとかけ、その口唇に再度キスをした。
リヴァイは静かに扉を閉めると、絞り出すような声でエルヴィンに語りかけた。
「エレンを返せ…。」
冷静を装いながらも狂気を孕んだ瞳を向けるリヴァイに、エルヴィンは目を細める。
「返してほしかったらこっちへ来なさい。」
リヴァイは警戒を強めながらも2人が待つベッドにゆっくりと近づくと、エレンの足下に腰を掛けるエルヴィンの視線を感じながら、横たわるエレンの枕元に立った。
「っ………。」
兵服が散乱したベッドの上で静かに眠るエレンを見て、リヴァイは絶句する。
「…エレン……エレン、すまない……。」
「よく躾られてて感度もいい。反応もなかなか楽しめたよ。」
悲壮感を漂わせるリヴァイの表情とは対照的に、いつもと変わらぬ素振りでエルヴィンは乱れた衣服を整えていく。
「なぜこんな事をした?」
「私はエレンがお前にどんな抱かれ方をしているのか知りたかっただけだ。」
「ふざけるな。遊びにも限度ってもんがあるだろうが。」
「遊びが過ぎたのはお前の方だろう?」
穏やかな口調とは対照的な軽蔑の眼差し。
「私はエレンの監視と行動を共にすることは命じたが、飼い馴らせとは言っていない。」
「お前には関係ねぇ。」
「関係ない?猫の飼い方を教えたのは私だ。」
「やめろ!」
触れてこようとした手を払いのけ、リヴァイはエルヴィンを睨みつけさらに身構える。
パシンと部屋に響く乾いた音が逆鱗に触れ、エルヴィンは叩かれた手の甲に口唇を押しあてククッと笑った。
「飼い主の手を噛むか……出会った頃のようで懐かしい……。」
蔑みから冷酷さに移り変わる碧眼の瞳に怯み、一瞬の隙を突かれたリヴァイは、エレンの寝ているベッドの真横でエルヴィンに床に叩きつけられる。
「離せ!!」
仰向けに組み敷かれた状態で両手首を強く掴まれ、リヴァイは堪らず声を荒げる。
「人類最強と言われても、私には敵わないよ、リヴァイ。いつまでも寄り道しているから、注意をしに来ただけだ。」
「だったら直接俺に言え。関係ない奴らまで巻き込んで、何を企んでやがる。」
「企む?エレンに対する彼らの気持ちは本物だった。私はきっかけを与えたに過ぎず、そこで思い留まるか行動に移すかは彼ら自身で決めたことだ。お前とエレンがそうだったように、彼らもエレンと交わる運命だった。……ただ、それだけの事だよ。」
「だから、てめぇもエレンとそうだって言いてぇのかよ。」
「そうだ。お前はもう十分すぎるくらい理解しているだろう?」
「くっ……!」
大きな左手が勢いよくリヴァイの前髪を掻き上げながら額を抑えつけてくる。
嫌でも直視せざるをえない、残酷なほど深く優しい碧の瞳。
「今まで黙って自由にさせてきたのは、私なりにずっとお前のことを想い憂いてきたからだ。だが、お前はエレンの側にいすぎた所為であまりにも汚れてしまった。」
「ふざけるな。汚したのはお前で、傷ついたのはエレンだ。俺じゃねぇ。」
「いいや、間違っていない。お前はもっと美しくキレイな存在でなければならない。」
「!?」
『Levi、hallelujah。』
過去とフラッシュバックするエルヴィンの微笑みに囚われ、胸の奥が切なく締めつけられ、息が詰まりそうになる。
手首を強く握っていた右手が、リヴァイの右手に重なり、愛おしむように指を絡めてきた。
「リヴァイ。エレンを完全に壊してしまう前に戻っておいで。」
「っ…そんなこと、出来るわけない……エレンが人類の希望だって言ったのはてめぇだろ……。」
「もう1度だけ言う。私の元へ戻りなさい、リヴァイ。」
低く透明感のある声に名を呼ばれ、リヴァイの身体がぞくりと震える。
忘れられない感触。
引きずり出される感情。
まるで昨日のことのように鮮明に蘇る。
「全てはお前次第だよ。」
「………へいちょう…」
不安を滲ませた表情で見下ろすリヴァイを、エレンはぼんやりと見上げている。
「大丈夫か?」
「え?……はい…。」
ベッドの肌触りですぐにリヴァイの部屋にいる事が理解できたが、なぜかここにいることに対して違和感を覚える。
しかし、ほっとした表情に切り替わったリヴァイに優しく頭を撫でられると、その違和感はあっという間に彼方へ飛んでいき、エレンはすりすりと自ら頭をすり寄せた。
「あ、そうだ!すいません、兵長。俺いつの間にか寝てしまったみたいで、……」
「寝たってお前、何言っ………て、オイ。ミケ!」
「!?わああああっ!!」
ミケは二人の会話を遮るように、寝ているエレンの足元から徐にベッドに乗り込んでくる。
「ひいい~!!」
偶然にも死角に入っていた為、突然現れたと思い込んでいるエレンにとって、寝ている布団を剥がされ無理矢理抱き起こしてきたミケはただの恐怖でしかなかった。
「へ、へいちょう?俺、どうしたらいいですか……?」
「………好きにさせてやれ。」
困惑し助けを求めるエレンに対し、リヴァイは二人から視線を逸らし頭を抱える。
「うぅ~…。」
髪の毛を掻き上げ頭皮の匂いを嗅がれドン引きしたり、顔や首にさわさわと当たるミケの髭の感触が気になったり、時折肌にかかる息のくすぐったさに身体が思わず反応したりと、エレンの気持ちが全くついていけない。
リヴァイの前で耳の穴や脇の下まで匂いを嗅いがれる羞恥に、エレンは涙目で必死に耐えていた。
「…………。」
エレンの着用している衣服が煩わしいのか、腹部から服の中に手を入れようとすると、さすがのリヴァイもミケを咎める。
「俺の契約者だ。規律は守れ。」
「はあああ~。」
エレンから離れたミケがベッドから降りると、羞恥と緊張から解放されたエレンはどっと疲れが溢れ出し、がっくりと項垂れた。
「匂いは消えているが、ショックで記憶が一時的に飛んでいるようだな。」
「そうか……。」
「分かっただろう、リヴァイ。初めからお前に選択肢などなかった。」
冷ややかな目線をリヴァイに向け吐き捨てるようにそう呟くと、ミケはそのまま部屋を去って行った。
「な、なんだったんですか、今の。」
「さあな。」
ミケの出て行った扉を呆然と見つめるエレンに対し、リヴァイはエレンから視線を外したまま俯いていた。
「そう言えば、ミケさんと兵長のツーショットって珍しいですよね。」
「別に珍しくもなんともねぇよ。」
「兵長でも選択できないものがあるんですか?」
「お前には関係ねぇ。寝ろ。」
「散々寝たから眠くないですよーっ」
一生懸命話しかけても心ここにあらず冷たくあしらわれ、エレンは頬を膨らませる。
「兵長、さっきから冷たい。初めて【契約】した時みたい……。」
「チッ。少し黙ってろ。」
「うわっ!」
古傷を抉られ子どもっぽい苛立ちを見せるリヴァイは、エレンの背中に腕を回し強引に抱き寄せる。
リヴァイの胸に顔を埋めるエレンは最初こそ怒らせてしまった恐怖で固まっていたが、リヴァイの腕の中に収まる安心感に徐々に体の力が抜けていく。
(……あ。……この音、好きだ……。)
抱き締められる度、身体を重ねる度、共に眠りにつく度に聞こえてくる。
リヴァイの胸の奥で静かに脈打つ鼓動。
愛しい人が生きているという実感。
傍にいられるという幸せ。
(…………?)
エレンの想いとは裏腹に、リヴァイは視線を窓の向こう、遠くに見える壁に向けていた。
心ここにあらず、一文字に結ばれた無機質な唇。
いつもとは違う虚無感が、エレンの胸をよぎる。
「どうした。」
言葉が出なかった。
いや、口にすること自体が、何かを壊してしまいそうな気がした。
(兵長、いなくなったりしないですよね…?)
******
「エレーーン!」
「ま、待って!ジャン!」
ハンジとの実験の打ち合わせを終えたエレンは、廊下の向こうからダッシュで駆け寄ってくるジャンと、ジャンを追いかけるアルミンを見て、大きく手を振る。
「ハァッ、ハァッ、(つ、疲れたぁ…)」
「エレン、おま……」
「ジャン、アルミン、これ見ろよ!ハンジさんが、少ないけど食べてって内緒でクッキーくれたんだ。みんなで食べようぜ。」
「いやいや、お前なに能天気なこと言ってんだ?兵長に【契約】を……おぶっっ!!」
「もうちょっとデリカシー持ってよ、ジャン!(小声)」
慌てて口を塞ぎ暴れるジャンを必死に抑えようとするアルミンに、エレンはきょとんとした表情で首をかしげる。
「兵長?ん?【契約】?」
「……う、うん、……その、…」
「なんだよ、教えろよアルミン。」
リヴァイに関することと理解したエレンが興味津々の笑顔を向けると、アルミンは思い惑いながらも話し始めた。
「……エレンは、ハンジさんと別行動だったから知らないかもしれないけど、……今朝からエレンと兵長のことである噂が持ちきりなんだ。」
「噂?」
「エレンが、その、…兵長に、…【契約】を【解除】された、っていう……。」
「ハァ?!俺がいつ兵長に【契約】を【解除】されたんだよ。冗談に決まってんだろ。」
「そ、そうだよね、ごめん。」
「だ、誰だよ、そんな噂流したの、迷惑だっつーの。」
呆れたように笑うエレンの普段通りの様子に、アルミンはほっと安堵の表情を浮かべた。
「ぷはぁっ!テメェ、それが事実で間違いねーだろーな。」
「あ、あぁ。」
「なんだその曖昧な返事は!お前がちゃんとしねーとなぁ、こっちが困るんだよ!分かってんのか?!」
(なんでこいつがこんなに怒ってんだ?)
アルミンとは対照的にガツガツと詰め寄ってくるジャンにエレンが戸惑っていると、突然アルミンに袖を引っ張られた。
「エレン、兵長が来たよ!」
アルミンの視線の先をたどると、リヴァイが真正面からこちらに向かって歩いてくるのが見える。
リヴァイが視界に入った途端、エレンはケモ耳としっぽを出して嬉しそうにかけ寄った。
「お疲れ様です!兵長聞いてください。アルミンとジャンが、俺が兵長に【契約】を【解除】されたって変なことを……おぶっっ!!」
誤解を招く言い方にジャンとアルミンは慌ててエレンにかけ寄り口を塞いだ。
「ああああ、くまでも噂ですっっ!誰かが勝手にデマを……」
「事実だ。」
「え?」
「こいつらも噂も間違っちゃいねぇ。それをお前に伝えに来た。」
「っ!!」
内から湧き上がる激情に一瞬にして飲まれ、エレンはジャンとアルミンを振り払うと、リヴァイの両肩を掴んで強引に壁に押しつけた。
「エレン!!」
青ざめる同期をよそに、リヴァイは押しつけられた壁に背をもたれ、肩を掴まれたまま腕を組むと、怒りに支配された金色の瞳をじっと見据えた。
「上官を見下ろすなんざ、いい度胸だな。」
「【解除】ってどういう事ですか?」
「言葉通りだ。」
「俺はなにも聞いてません。」
「理由なんて要らねぇだろ。」
「!?」
「ガキ……少し下の世話をしてやっただけで浮かれやがって。こっちはいい迷惑だ。今度はそこの幼馴染みか同期と【契約】して面倒を見てもらえ。」
「…何ですか、それ…ちょっと、待って下さいよ…。」
頭の中が混乱し、必死に冷静さを保とうとするエレンの手は、無意識にリヴァイの肩に爪を食い込ませていく。
普段と何一つ変わらない表情が、余計に腹立たしくて悔しかった。
「相変わらず仲が良いな、君たちは。」
カツカツと鳴る靴音と、淑やかで品のある声音に、張り詰めた空気が一変する。
引きつけられる視線の先には、ミケとハンジを従えたエルヴィンが4人の元へ歩いてくる。
「マジかよ……こんなところで調査兵団トップが勢揃い……。」
圧倒されるほど華やかで威風堂々とした佇まいにジャンが仰ぎ見ていると、アルミンが下を向いたままジャンのジャケットの裾をギュッと握り締めてきた。
「どうした、アルミン。」
「ごめん…。」
「やだ~照れちゃって可愛い♡アルミンてば、エレンじゃなくてエルヴィンが好きなの?」
「ち、違います!あ、いや、尊敬はしてて……」
ハンジは悪戯な笑みを浮かべながら、真っ赤な顔をして慌てふためくアルミンを覗き込む。
「大丈夫。エルヴィンのファンの子達って気を遣ってみんなそう言うから、アルミンだけじゃないよ。」
「新兵でいちいち遊ぶな。」
「あーら。入団する度に新兵クンの匂いを嗅ぎ回ってる人に言われたくな…」
「少し用事が出来た。先に馬車へ向かってくれ。」
揉め始めた会話を遮るように話しかけてきたエルヴィンの声に、2人は瞬時に目の色を変えた。
「了解。リヴァイ連れて早めに来てよね。」
「ん。」
「じゃ、新兵クンたち!まったね~。」
弾んだ声で右手をヒラヒラさせながら、ハンジはミケと共に去って行った。
「少し顔色が悪いな。昨夜は眠れたかい?」
「は、はい。お気遣いありがとうございます。」
心配そうな表情で頬を撫でてきたエルヴィンを、エレンは緊張の面持ちで見上げる。
(…………?)
紳士的な振る舞いとは裏腹に、エルヴィンの柔和な眼差しの奥に一瞬引っかかりを感じるも、エレンはそれが何かは分からなかった。
「エレン、あまり見つめられると照れてしまうな。」
「す、すみません!」
無意識のうちに食い入るように見つめていたエレンはリヴァイから手を離すと、慌ててエルヴィンに平謝りをする。
「オイ、いつまで戯れてやがる。」
三白眼の目をさらに細め2人のやり取りを見ていたリヴァイが痺れを切らして口を開くと、エルヴィンはリヴァイに視線を向けて微笑んだ。
「どうした、リヴァイ。妬いているのか?」
「会議の時間だろ。行くぞ。」
「ま、待って下さい!まだ話が…」
「さっきから随分とくだらねぇ話をしているが、てめぇは一体何様だ?」
静かだが強圧的な声音と、鋭く睨みつけてくる漆黒の瞳に、エレンは身体を強張らせる。
「【契約】がてめぇの身分を上げる代物とでも勘違いしたか。調査兵団に飼われてる事を忘れてるなら今すぐ地下牢に戻れ。躾直しだ。」
「!っ…申し訳、ありません…。」
理不尽な思いに駆られながらも、リヴァイの言葉は至極真っ当で、エレンは俯き拳を強く握り締めた。
「リヴァイ。間違ってはいないが、言い方があるだろう?」
呆れ顔のエルヴィンは背後からエレンの両肩に手を添える。
落ち着かせるように小刻みに震える肩を優しく撫でた後、柔らかな吐息と共に耳元で囁いた。
「エレン。君が【解除】された理由はね、リヴァイが私と【再契約】をしたからだ。」
「……え?」
顔を上げ大きく見開かれた金色の瞳がリヴァイを捉えると、一粒の涙がすっと頬を伝い流れ落ちた。
「本当、ですか…。」
「っ……。」
リヴァイを直視したまま茫然とするその表情に胸の奥が鈍く痛み、組んでいた腕に力がこもる。
思わず名を呼ぼうと口を開けた瞬間、エレンの髪にそっと口づけをするエルヴィンに挑発的な視線をぶつけられる。
感情を揺さぶられ苛立ちを覚えながらも、リヴァイは喉まで出かけた言葉をグッと飲み込んだ。
「…まぁ、そういう事だ。」
もたれていた壁から体を起こすと、2人の間を強引に割いて立ち尽くすエレンを残し、リヴァイはその場から去って行った。
******
「エレン、まだあんな表情をするんだね。捨てられた子猫のようで可愛かった。」
王都に向かう馬車の中、思い出したかのようにクスクスと笑うエルヴィンの横で、リヴァイはすかさず舌打ちをした。
「あれはキャンキャンうるさいから犬だ。」
「え~私もエレンは猫派だなぁ。ミケは?」
「興味ない。」
「じゃあ、2対1でエレンは猫に決定!」
「くだらねぇ。」
「もー、あんた達って本当つまんない。」
横で無表情を貫くミケと、目の前で冷めた視線を投げるリヴァイに対し、ハンジは頬を膨らませる。
「この2人を手なづけることが難しいのはよく分かったよ(笑)でもいいのか、リヴァイ。そんなに可愛がっていた子を地下牢に戻して。」
「問題あるか?」
「…ないね。」
「私はリヴァイとエレンの年の差カップルも好きだったんだけどな~。」
「ハンジ。」
奔放なハンジに睨みを利かせるミケを、エルヴィンは穏やかに窘めた。
「構わないよ。意見は自由であるべきだ。だが、我々上に立つ人間が意味を履き違えてはいけない。あくまでもシステムは兵士の性管理が目的で、派生した事象はシステムの管理外、もしくは法律に委ねられる。」
エルヴィンはリヴァイを横目で流し、黒髪の襟足をさらりと撫でる。
「何が言いたい。」
「若い新兵は規律に縛られ錯覚に陥りやすいということだ。」
「はっ……じゃあ、俺とお前は何だ。」
「拗ねてるのか?」
「ちょっと~人前でいちゃつくの止めてよね。」
「眼鏡にクソでもつけたか、クソメガネ。」
「痛ーーっ!!いたいいたい、リヴァイごめんってば~っっ!!」
人類最強のブーツの踵にミシミシと足の甲を踏みつけられ、ハンジは絶叫する。
「ハンジ、リヴァイと人前でいちゃいちゃするのは止めなさい。」
「悠長な事言ってないで助けて~!!」
涙目で訴えてくるハンジとゴロツキ全開のリヴァイ、何とかしろと言わんばかりのミケからの痛い視線を向けられ、エルヴィンはやれやれと小さく溜息をついた。
「……リヴァイ 。お前がエレンと【契約】を【解除】しても監視役である事に変わりはない。分かっているな?」
その言葉に、リヴァイとハンジの動きがピタリと止まった。
リヴァイはハンジの足から踵を離すと、足と腕を同時に組み直し淡々と答える。
「問題ない。」
「引き続き頼む。」
(わーお…エグいなぁ。)
【解除】してもなお続く2人の関係性に、ハンジの顔が引き攣る。
(…リヴァイもエルヴィンもどういうつもりなんだろ……すごく興味ある…。)
「それは本当か。」
「あ?」
「リヴァイ、余計なことは考えるな。」
「……チッ。」
ミケの言葉にリヴァイは眉を顰め、静かな戦闘態勢に入る2人に対し、エルヴィンは苦言を呈する。
「2人とも馬車が壊れるから喧嘩は外でやりなさい。」
「いやいや街が壊れるから両方ダメでしょ!?ほら2人とももうおしまーーい!!」
王都に降りかかる火の粉を払うべく絶叫するハンジに場の空気を散らされ、リヴァイとミケは不服そうな表情を浮かべながらも元に戻った。
リヴァイは馬車の窓から見える景色に視線を向ける。
夜の闇に包まれながらも、王都の城下町は明るく華やかで平穏そのものだった。
(そういやぁ、この角を曲がると……)
『おかえりなさい兵長。会議お疲れ様でした。』
『……なんだその両手は。』
『もぉ、俺の気持ち分かってて焦らさないで下さい。』
『……ほらよ。』
『やったー!チョコレートだ!ありがとうございますいただきます!』
『お前、最近俺のこと財布と思ってるだろ。』
『いいえ!愛してます!ウマー!』
『…………。』
何気なく渡した土産の菓子を頬張るエレンの幸せそうな笑顔に負けて、その後習慣のように出先では必ず買って帰るようになっていた。
(……もう買いに行くこともねぇな。)
窓から視線を外し、リヴァイは横にいるエルヴィンにもたれかかると、腕を組んで目を瞑った。
「もうすぐ着くよ。」
「なら着いたら起こせ。」
「分かった。」
布越しにエルヴィンの体温を感じる。
昨夜まで触れていた体温を上書きされてしまいそうなほど、酷く懐かしい温もり。
(明日からは監視役に徹する……何か問題が起これば、俺はいつでもエレンを殺してみせる……)
馴染みの菓子屋が目に入ってしまったせいで、【元契約者】が見せた最後の表情が脳裏に焼きついて離れない。
(…あぁ、綺麗な涙だった……。)
前日早朝。
「それで、用件は何だ?さっきのメガネならともかく、ミケが用もないのに朝っぱらから俺の部屋に来ねぇだろ。」
「お前に頼まれていた件だが、やはりジャンにはエルヴィンが関わっていた。」
「……そうか。」
「ジャンがエレンを暴行した日、ジャンはエルヴィンに頼まれて書類を届けるためにお前を探していたそうだ。アルミンの方はエルヴィンと接触はしていたが、これと言った話は出てこなかった。」
リヴァイはクローゼットに背をもたれ両腕を組むと、小さく息を吐いた。
静的に語られる内容は既に予測の範疇であり驚きはなかったが、エルヴィンが関わっているという事実が胸の内で燻り続ける。
「金髪のチビは頭がいい。エルヴィンを上手く躱したんだろ。」
「聞いてなかったが、ジャンとアルミンはどうやって見当をつけた?」
「ガキの恋愛感情なんて手に取るように分かる。エレンの【契約者】として初めて会った時から、あの2人だけは俺を見る目が違っていたからな。お前こそ、シェルムの件にどう気づいた。」
「シェルムはエレンと接触する前日にエルヴィンの部屋に呼ばれていた。お陰でその場に居合わせた俺はお払い箱だ。」
「ただ乳繰り合ってただけかもしれねぇだろ。」
「言葉に気をつけろ、リヴァイ。これはお前の撒いた種だ。」
「…………。」
扉前で立っていたミケが、ゆっくりとリヴァイに近づいてくる。
互いに一定の距離を保ってきた相手とこうして2人きりで顔を突き合わせるのは、いつぶりか分からない。
調査兵団ナンバー2に相応しい威厳と風格があり、見下ろしてくる秘色の瞳は鋭利な敵意を向けていた。
ミケはリヴァイに鼻先を近づけ、何かを確かめるように顔や体の匂いを嗅いだ後、リヴァイの耳元で囁く。
「今回協力したのは全てエルヴィンの為だ。俺はお前の敵でも味方でもないが、エルヴィンに何かあればお前を殺す……覚えておけ。」
前日夕刻。
「遅かったな。」
エルヴィンは意識を失ったエレンをベッドに寝かせると、手近にあった薄い掛け布団をエレンの体にふわりとかけ、その口唇に再度キスをした。
リヴァイは静かに扉を閉めると、絞り出すような声でエルヴィンに語りかけた。
「エレンを返せ…。」
冷静を装いながらも狂気を孕んだ瞳を向けるリヴァイに、エルヴィンは目を細める。
「返してほしかったらこっちへ来なさい。」
リヴァイは警戒を強めながらも2人が待つベッドにゆっくりと近づくと、エレンの足下に腰を掛けるエルヴィンの視線を感じながら、横たわるエレンの枕元に立った。
「っ………。」
兵服が散乱したベッドの上で静かに眠るエレンを見て、リヴァイは絶句する。
「…エレン……エレン、すまない……。」
「よく躾られてて感度もいい。反応もなかなか楽しめたよ。」
悲壮感を漂わせるリヴァイの表情とは対照的に、いつもと変わらぬ素振りでエルヴィンは乱れた衣服を整えていく。
「なぜこんな事をした?」
「私はエレンがお前にどんな抱かれ方をしているのか知りたかっただけだ。」
「ふざけるな。遊びにも限度ってもんがあるだろうが。」
「遊びが過ぎたのはお前の方だろう?」
穏やかな口調とは対照的な軽蔑の眼差し。
「私はエレンの監視と行動を共にすることは命じたが、飼い馴らせとは言っていない。」
「お前には関係ねぇ。」
「関係ない?猫の飼い方を教えたのは私だ。」
「やめろ!」
触れてこようとした手を払いのけ、リヴァイはエルヴィンを睨みつけさらに身構える。
パシンと部屋に響く乾いた音が逆鱗に触れ、エルヴィンは叩かれた手の甲に口唇を押しあてククッと笑った。
「飼い主の手を噛むか……出会った頃のようで懐かしい……。」
蔑みから冷酷さに移り変わる碧眼の瞳に怯み、一瞬の隙を突かれたリヴァイは、エレンの寝ているベッドの真横でエルヴィンに床に叩きつけられる。
「離せ!!」
仰向けに組み敷かれた状態で両手首を強く掴まれ、リヴァイは堪らず声を荒げる。
「人類最強と言われても、私には敵わないよ、リヴァイ。いつまでも寄り道しているから、注意をしに来ただけだ。」
「だったら直接俺に言え。関係ない奴らまで巻き込んで、何を企んでやがる。」
「企む?エレンに対する彼らの気持ちは本物だった。私はきっかけを与えたに過ぎず、そこで思い留まるか行動に移すかは彼ら自身で決めたことだ。お前とエレンがそうだったように、彼らもエレンと交わる運命だった。……ただ、それだけの事だよ。」
「だから、てめぇもエレンとそうだって言いてぇのかよ。」
「そうだ。お前はもう十分すぎるくらい理解しているだろう?」
「くっ……!」
大きな左手が勢いよくリヴァイの前髪を掻き上げながら額を抑えつけてくる。
嫌でも直視せざるをえない、残酷なほど深く優しい碧の瞳。
「今まで黙って自由にさせてきたのは、私なりにずっとお前のことを想い憂いてきたからだ。だが、お前はエレンの側にいすぎた所為であまりにも汚れてしまった。」
「ふざけるな。汚したのはお前で、傷ついたのはエレンだ。俺じゃねぇ。」
「いいや、間違っていない。お前はもっと美しくキレイな存在でなければならない。」
「!?」
『Levi、hallelujah。』
過去とフラッシュバックするエルヴィンの微笑みに囚われ、胸の奥が切なく締めつけられ、息が詰まりそうになる。
手首を強く握っていた右手が、リヴァイの右手に重なり、愛おしむように指を絡めてきた。
「リヴァイ。エレンを完全に壊してしまう前に戻っておいで。」
「っ…そんなこと、出来るわけない……エレンが人類の希望だって言ったのはてめぇだろ……。」
「もう1度だけ言う。私の元へ戻りなさい、リヴァイ。」
低く透明感のある声に名を呼ばれ、リヴァイの身体がぞくりと震える。
忘れられない感触。
引きずり出される感情。
まるで昨日のことのように鮮明に蘇る。
「全てはお前次第だよ。」
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