Case4【刹那/祈り】
「エレーーン!」
「ま、待って!ジャン!」
ハンジとの実験の打ち合わせを終えたエレンは、廊下の向こうからダッシュで駆け寄ってくるジャンと、ジャンを追いかけるアルミンを見て、大きく手を振る。
「ハァッ、ハァッ、(つ、疲れたぁ…)」
「エレン、おま……」
「ジャン、アルミン、これ見ろよ!ハンジさんが、少ないけど食べてって内緒でクッキーくれたんだ。みんなで食べようぜ。」
「いやいや、お前なに能天気なこと言ってんだ?兵長に【契約】を……おぶっっ!!」
「もうちょっとデリカシー持ってよ、ジャン!(小声)」
慌てて口を塞ぎ暴れるジャンを必死に抑えようとするアルミンに、エレンはきょとんとした表情で首をかしげる。
「兵長?ん?【契約】?」
「……う、うん、……その、…」
「なんだよ、教えろよアルミン。」
リヴァイに関することと理解したエレンが興味津々の笑顔を向けると、アルミンは思い惑いながらも話し始めた。
「……エレンは、ハンジさんと別行動だったから知らないかもしれないけど、……今朝からエレンと兵長のことである噂が持ちきりなんだ。」
「噂?」
「エレンが、その、…兵長に、…【契約】を【解除】された、っていう……。」
「ハァ?!俺がいつ兵長に【契約】を【解除】されたんだよ。冗談に決まってんだろ。」
「そ、そうだよね、ごめん。」
「だ、誰だよ、そんな噂流したの、迷惑だっつーの。」
呆れたように笑うエレンの普段通りの様子に、アルミンはほっと安堵の表情を浮かべた。
「ぷはぁっ!テメェ、それが事実で間違いねーだろーな。」
「あ、あぁ。」
「なんだその曖昧な返事は!お前がちゃんとしねーとなぁ、こっちが困るんだよ!分かってんのか?!」
(なんでこいつがこんなに怒ってんだ?)
アルミンとは対照的にガツガツと詰め寄ってくるジャンにエレンが戸惑っていると、突然アルミンに袖を引っ張られた。
「エレン、兵長が来たよ!」
アルミンの視線の先をたどると、リヴァイが真正面からこちらに向かって歩いてくるのが見える。
リヴァイが視界に入った途端、エレンはケモ耳としっぽを出して嬉しそうにかけ寄った。
「お疲れ様です!兵長聞いてください。アルミンとジャンが、俺が兵長に【契約】を【解除】されたって変なことを……おぶっっ!!」
誤解を招く言い方にジャンとアルミンは慌ててエレンにかけ寄り口を塞いだ。
「ああああ、くまでも噂ですっっ!誰かが勝手にデマを……」
「事実だ。」
「え?」
「こいつらも噂も間違っちゃいねぇ。それをお前に伝えに来た。」
「っ!!」
内から湧き上がる激情に一瞬にして飲まれ、エレンはジャンとアルミンを振り払うと、リヴァイの両肩を掴んで強引に壁に押しつけた。
「エレン!!」
青ざめる同期をよそに、リヴァイは押しつけられた壁に背をもたれ、肩を掴まれたまま腕を組むと、怒りに支配された金色の瞳をじっと見据えた。
「上官を見下ろすなんざ、いい度胸だな。」
「【解除】ってどういう事ですか?」
「言葉通りだ。」
「俺はなにも聞いてません。」
「理由なんて要らねぇだろ。」
「!?」
「ガキ……少し下の世話をしてやっただけで浮かれやがって。こっちはいい迷惑だ。今度はそこの幼馴染みか同期と【契約】して面倒を見てもらえ。」
「…何ですか、それ…ちょっと、待って下さいよ…。」
頭の中が混乱し、必死に冷静さを保とうとするエレンの手は、無意識にリヴァイの肩に爪を食い込ませていく。
普段と何一つ変わらない表情が、余計に腹立たしくて悔しかった。
「相変わらず仲が良いな、君たちは。」
カツカツと鳴る靴音と、淑やかで品のある声音に、張り詰めた空気が一変する。
引きつけられる視線の先には、ミケとハンジを従えたエルヴィンが4人の元へ歩いてくる。
「マジかよ……こんなところで調査兵団トップが勢揃い……。」
圧倒されるほど華やかで威風堂々とした佇まいにジャンが仰ぎ見ていると、アルミンが下を向いたままジャンのジャケットの裾をギュッと握り締めてきた。
「どうした、アルミン。」
「ごめん…。」
「やだ~照れちゃって可愛い♡アルミンてば、エレンじゃなくてエルヴィンが好きなの?」
「ち、違います!あ、いや、尊敬はしてて……」
ハンジは悪戯な笑みを浮かべながら、真っ赤な顔をして慌てふためくアルミンを覗き込む。
「大丈夫。エルヴィンのファンの子達って気を遣ってみんなそう言うから、アルミンだけじゃないよ。」
「新兵でいちいち遊ぶな。」
「あーら。入団する度に新兵クンの匂いを嗅ぎ回ってる人に言われたくな…」
「少し用事が出来た。先に馬車へ向かってくれ。」
揉め始めた会話を遮るように話しかけてきたエルヴィンの声に、2人は瞬時に目の色を変えた。
「了解。リヴァイ連れて早めに来てよね。」
「ん。」
「じゃ、新兵クンたち!まったね~。」
弾んだ声で右手をヒラヒラさせながら、ハンジはミケと共に去って行った。
「少し顔色が悪いな。昨夜は眠れたかい?」
「は、はい。お気遣いありがとうございます。」
心配そうな表情で頬を撫でてきたエルヴィンを、エレンは緊張の面持ちで見上げる。
(…………?)
紳士的な振る舞いとは裏腹に、エルヴィンの柔和な眼差しの奥に一瞬引っかかりを感じるも、エレンはそれが何かは分からなかった。
「エレン、あまり見つめられると照れてしまうな。」
「す、すみません!」
無意識のうちに食い入るように見つめていたエレンはリヴァイから手を離すと、慌ててエルヴィンに平謝りをする。
「オイ、いつまで戯れてやがる。」
三白眼の目をさらに細め2人のやり取りを見ていたリヴァイが痺れを切らして口を開くと、エルヴィンはリヴァイに視線を向けて微笑んだ。
「どうした、リヴァイ。妬いているのか?」
「会議の時間だろ。行くぞ。」
「ま、待って下さい!まだ話が…」
「さっきから随分とくだらねぇ話をしているが、てめぇは一体何様だ?」
静かだが強圧的な声音と、鋭く睨みつけてくる漆黒の瞳に、エレンは身体を強張らせる。
「【契約】がてめぇの身分を上げる代物とでも勘違いしたか。調査兵団に飼われてる事を忘れてるなら今すぐ地下牢に戻れ。躾直しだ。」
「!っ…申し訳、ありません…。」
理不尽な思いに駆られながらも、リヴァイの言葉は至極真っ当で、エレンは俯き拳を強く握り締めた。
「リヴァイ。間違ってはいないが、言い方があるだろう?」
呆れ顔のエルヴィンは背後からエレンの両肩に手を添える。
落ち着かせるように小刻みに震える肩を優しく撫でた後、柔らかな吐息と共に耳元で囁いた。
「エレン。君が【解除】された理由はね、リヴァイが私と【再契約】をしたからだ。」
「……え?」
顔を上げ大きく見開かれた金色の瞳がリヴァイを捉えると、一粒の涙がすっと頬を伝い流れ落ちた。
「本当、ですか…。」
「っ……。」
リヴァイを直視したまま茫然とするその表情に胸の奥が鈍く痛み、組んでいた腕に力がこもる。
思わず名を呼ぼうと口を開けた瞬間、エレンの髪にそっと口づけをするエルヴィンに挑発的な視線をぶつけられる。
感情を揺さぶられ苛立ちを覚えながらも、リヴァイは喉まで出かけた言葉をグッと飲み込んだ。
「…まぁ、そういう事だ。」
もたれていた壁から体を起こすと、2人の間を強引に割いて立ち尽くすエレンを残し、リヴァイはその場から去って行った。
******
「エレン、まだあんな表情をするんだね。捨てられた子猫のようで可愛かった。」
王都に向かう馬車の中、思い出したかのようにクスクスと笑うエルヴィンの横で、リヴァイはすかさず舌打ちをした。
「あれはキャンキャンうるさいから犬だ。」
「え~私もエレンは猫派だなぁ。ミケは?」
「興味ない。」
「じゃあ、2対1でエレンは猫に決定!」
「くだらねぇ。」
「もー、あんた達って本当つまんない。」
横で無表情を貫くミケと、目の前で冷めた視線を投げるリヴァイに対し、ハンジは頬を膨らませる。
「この2人を手なづけることが難しいのはよく分かったよ(笑)でもいいのか、リヴァイ。そんなに可愛がっていた子を地下牢に戻して。」
「問題あるか?」
「…ないね。」
「私はリヴァイとエレンの年の差カップルも好きだったんだけどな~。」
「ハンジ。」
奔放なハンジに睨みを利かせるミケを、エルヴィンは穏やかに窘めた。
「構わないよ。意見は自由であるべきだ。だが、我々上に立つ人間が意味を履き違えてはいけない。あくまでもシステムは兵士の性管理が目的で、派生した事象はシステムの管理外、もしくは法律に委ねられる。」
エルヴィンはリヴァイを横目で流し、黒髪の襟足をさらりと撫でる。
「何が言いたい。」
「若い新兵は規律に縛られ錯覚に陥りやすいということだ。」
「はっ……じゃあ、俺とお前は何だ。」
「拗ねてるのか?」
「ちょっと~人前でいちゃつくの止めてよね。」
「眼鏡にクソでもつけたか、クソメガネ。」
「痛ーーっ!!いたいいたい、リヴァイごめんってば~っっ!!」
人類最強のブーツの踵にミシミシと足の甲を踏みつけられ、ハンジは絶叫する。
「ハンジ、リヴァイと人前でいちゃいちゃするのは止めなさい。」
「悠長な事言ってないで助けて~!!」
涙目で訴えてくるハンジとゴロツキ全開のリヴァイ、何とかしろと言わんばかりのミケからの痛い視線を向けられ、エルヴィンはやれやれと小さく溜息をついた。
「……リヴァイ 。お前がエレンと【契約】を【解除】しても監視役である事に変わりはない。分かっているな?」
その言葉に、リヴァイとハンジの動きがピタリと止まった。
リヴァイはハンジの足から踵を離すと、足と腕を同時に組み直し淡々と答える。
「問題ない。」
「引き続き頼む。」
(わーお…エグいなぁ。)
【解除】してもなお続く2人の関係性に、ハンジの顔が引き攣る。
(…リヴァイもエルヴィンもどういうつもりなんだろ……すごく興味ある…。)
「それは本当か。」
「あ?」
「リヴァイ、余計なことは考えるな。」
「……チッ。」
ミケの言葉にリヴァイは眉を顰め、静かな戦闘態勢に入る2人に対し、エルヴィンは苦言を呈する。
「2人とも馬車が壊れるから喧嘩は外でやりなさい。」
「いやいや街が壊れるから両方ダメでしょ!?ほら2人とももうおしまーーい!!」
王都に降りかかる火の粉を払うべく絶叫するハンジに場の空気を散らされ、リヴァイとミケは不服そうな表情を浮かべながらも元に戻った。
リヴァイは馬車の窓から見える景色に視線を向ける。
夜の闇に包まれながらも、王都の城下町は明るく華やかで平穏そのものだった。
(そういやぁ、この角を曲がると……)
『おかえりなさい兵長。会議お疲れ様でした。』
『……なんだその両手は。』
『もぉ、俺の気持ち分かってて焦らさないで下さい。』
『……ほらよ。』
『やったー!チョコレートだ!ありがとうございますいただきます!』
『お前、最近俺のこと財布と思ってるだろ。』
『いいえ!愛してます!ウマー!』
『…………。』
何気なく渡した土産の菓子を頬張るエレンの幸せそうな笑顔に負けて、その後習慣のように出先では必ず買って帰るようになっていた。
(……もう買いに行くこともねぇな。)
窓から視線を外し、リヴァイは横にいるエルヴィンにもたれかかると、腕を組んで目を瞑った。
「もうすぐ着くよ。」
「なら着いたら起こせ。」
「分かった。」
布越しにエルヴィンの体温を感じる。
昨夜まで触れていた体温を上書きされてしまいそうなほど、酷く懐かしい温もり。
(明日からは監視役に徹する……何か問題が起これば、俺はいつでもエレンを殺してみせる……)
馴染みの菓子屋が目に入ってしまったせいで、【元契約者】が見せた最後の表情が脳裏に焼きついて離れない。
(…あぁ、綺麗な涙だった……。)
前日早朝。
「それで、用件は何だ?さっきのメガネならともかく、ミケが用もないのに朝っぱらから俺の部屋に来ねぇだろ。」
「お前に頼まれていた件だが、やはりジャンにはエルヴィンが関わっていた。」
「……そうか。」
「ジャンがエレンを暴行した日、ジャンはエルヴィンに頼まれて書類を届けるためにお前を探していたそうだ。アルミンの方はエルヴィンと接触はしていたが、これと言った話は出てこなかった。」
リヴァイはクローゼットに背をもたれ両腕を組むと、小さく息を吐いた。
静的に語られる内容は既に予測の範疇であり驚きはなかったが、エルヴィンが関わっているという事実が胸の内で燻り続ける。
「金髪のチビは頭がいい。エルヴィンを上手く躱したんだろ。」
「聞いてなかったが、ジャンとアルミンはどうやって見当をつけた?」
「ガキの恋愛感情なんて手に取るように分かる。エレンの【契約者】として初めて会った時から、あの2人だけは俺を見る目が違っていたからな。お前こそ、シェルムの件にどう気づいた。」
「シェルムはエレンと接触する前日にエルヴィンの部屋に呼ばれていた。お陰でその場に居合わせた俺はお払い箱だ。」
「ただ乳繰り合ってただけかもしれねぇだろ。」
「言葉に気をつけろ、リヴァイ。これはお前の撒いた種だ。」
「…………。」
扉前で立っていたミケが、ゆっくりとリヴァイに近づいてくる。
互いに一定の距離を保ってきた相手とこうして2人きりで顔を突き合わせるのは、いつぶりか分からない。
調査兵団ナンバー2に相応しい威厳と風格があり、見下ろしてくる秘色の瞳は鋭利な敵意を向けていた。
ミケはリヴァイに鼻先を近づけ、何かを確かめるように顔や体の匂いを嗅いだ後、リヴァイの耳元で囁く。
「今回協力したのは全てエルヴィンの為だ。俺はお前の敵でも味方でもないが、エルヴィンに何かあればお前を殺す……覚えておけ。」
前日夕刻。
「遅かったな。」
エルヴィンは意識を失ったエレンをベッドに寝かせると、手近にあった薄い掛け布団をエレンの体にふわりとかけ、その口唇に再度キスをした。
リヴァイは静かに扉を閉めると、絞り出すような声でエルヴィンに語りかけた。
「エレンを返せ…。」
冷静を装いながらも狂気を孕んだ瞳を向けるリヴァイに、エルヴィンは目を細める。
「返してほしかったらこっちへ来なさい。」
リヴァイは警戒を強めながらも2人が待つベッドにゆっくりと近づくと、エレンの足下に腰を掛けるエルヴィンの視線を感じながら、横たわるエレンの枕元に立った。
「っ………。」
兵服が散乱したベッドの上で静かに眠るエレンを見て、リヴァイは絶句する。
「…エレン……エレン、すまない……。」
「よく躾られてて感度もいい。反応もなかなか楽しめたよ。」
悲壮感を漂わせるリヴァイの表情とは対照的に、いつもと変わらぬ素振りでエルヴィンは乱れた衣服を整えていく。
「なぜこんな事をした?」
「私はエレンがお前にどんな抱かれ方をしているのか知りたかっただけだ。」
「ふざけるな。遊びにも限度ってもんがあるだろうが。」
「遊びが過ぎたのはお前の方だろう?」
穏やかな口調とは対照的な軽蔑の眼差し。
「私はエレンの監視と行動を共にすることは命じたが、飼い馴らせとは言っていない。」
「お前には関係ねぇ。」
「関係ない?猫の飼い方を教えたのは私だ。」
「やめろ!」
触れてこようとした手を払いのけ、リヴァイはエルヴィンを睨みつけさらに身構える。
パシンと部屋に響く乾いた音が逆鱗に触れ、エルヴィンは叩かれた手の甲に口唇を押しあてククッと笑った。
「飼い主の手を噛むか……出会った頃のようで懐かしい……。」
蔑みから冷酷さに移り変わる碧眼の瞳に怯み、一瞬の隙を突かれたリヴァイは、エレンの寝ているベッドの真横でエルヴィンに床に叩きつけられる。
「離せ!!」
仰向けに組み敷かれた状態で両手首を強く掴まれ、リヴァイは堪らず声を荒げる。
「人類最強と言われても、私には敵わないよ、リヴァイ。いつまでも寄り道しているから、注意をしに来ただけだ。」
「だったら直接俺に言え。関係ない奴らまで巻き込んで、何を企んでやがる。」
「企む?エレンに対する彼らの気持ちは本物だった。私はきっかけを与えたに過ぎず、そこで思い留まるか行動に移すかは彼ら自身で決めたことだ。お前とエレンがそうだったように、彼らもエレンと交わる運命だった。……ただ、それだけの事だよ。」
「だから、てめぇもエレンとそうだって言いてぇのかよ。」
「そうだ。お前はもう十分すぎるくらい理解しているだろう?」
「くっ……!」
大きな左手が勢いよくリヴァイの前髪を掻き上げながら額を抑えつけてくる。
嫌でも直視せざるをえない、残酷なほど深く優しい碧の瞳。
「今まで黙って自由にさせてきたのは、私なりにずっとお前のことを想い憂いてきたからだ。だが、お前はエレンの側にいすぎた所為であまりにも汚れてしまった。」
「ふざけるな。汚したのはお前で、傷ついたのはエレンだ。俺じゃねぇ。」
「いいや、間違っていない。お前はもっと美しくキレイな存在でなければならない。」
「!?」
『Levi、hallelujah。』
過去とフラッシュバックするエルヴィンの微笑みに囚われ、胸の奥が切なく締めつけられ、息が詰まりそうになる。
手首を強く握っていた右手が、リヴァイの右手に重なり、愛おしむように指を絡めてきた。
「リヴァイ。エレンを完全に壊してしまう前に戻っておいで。」
「っ…そんなこと、出来るわけない……エレンが人類の希望だって言ったのはてめぇだろ……。」
「もう1度だけ言う。私の元へ戻りなさい、リヴァイ。」
低く透明感のある声に名を呼ばれ、リヴァイの身体がぞくりと震える。
忘れられない感触。
引きずり出される感情。
まるで昨日のことのように鮮明に蘇る。
「全てはお前次第だよ。」
白夜Case4【祈り】
『Levi、hallelujah。』
力が覚醒したあの日。
巨人と仲間の返り血で真っ赤に染まった俺を見て、エルヴィンが無意識に口走った言葉。
向けられた慈しむような瞳からは今にも涙が溢れてきそうで、俺は本能的にその言葉の意味を知りたくないと思った。
『リヴァイ、おいで。』
『…………。』
渋々ベッドに入り、気が乗らないと無言で訴えるリヴァイを、エルヴィンの大きな体が背後から包み込むように抱き締めてくる。
『お前はいつも温かくて心地いい。』
『黙って寝ろ。』
『おやすみ。愛しているよ。』
『っ………。』
リヴァイの左手をとり、薬指の第一関節にキスをすると、エルヴィンは静かな眠りにつく。
柔らかい唇の感触の余韻を残したまま、早々に聞こえ始めた微かな寝息。
口約通り体の関係は一切求めず、変わらない日々を過ごすなかで唯一求められた行為。
まるで2人だけの神聖な儀式のように清らかで、エルヴィンの腕の中にいると胸が切なく締めつけられ、息が詰まりそうな感覚に陥る。
気を紛らわそうと横にあるサイドテーブルに視線を向けると、カーテンの隙間から零れる月の光に照らされた1輪の黄色いバラが目に入る。
エルヴィンの寝室に初めて入った日から、途切れる事なく美しい姿を保ったまま飾られていた。
(…今日も眠れそうにねぇな……。)
リヴァイがエルヴィンより先に眠ることはなく、穏やかで長い夜が始まる。
『ハーイ、ミケ♪…っと、皆様お揃いで(笑)人類最強の兵士リヴァイ様と一緒にお昼食べれるなんて幸せ♡』
『そのダセェ呼び方やめろ。』
『ダサいって、今やあんたの代名詞「人類最強」のキャッチコピーは一般市民にまで広がってるんだよ?!私のネーミングセンス凄くない??』
『元凶はテメェか。』
殺意を向ける三白眼を平然と無視してミケの横に着席すると、ハンジは笑顔でパンを頬張る。
不満オーラ全開のリヴァイの隣に座るエルヴィンはコーヒーを啜ると、ニッコリと微笑んだ。
『ハンジのセンスはなかなかのものだ。実際、マイナスのイメージが付き纏う調査兵団に興味や好意を抱く人々が以前よりも増えてきている。人類最強の名にふさわしいリヴァイの真の強さと、地下街から調査兵団のトップにまで上り詰めたサクセスストーリーが相乗効果を成し得ている。』
『俺は成し得てねぇよ。』
『これを機に継続的な入団希望者や資金援助に繋がると有り難い。私に免じて大目に見てはくれないか。』
『でしょでしょ、エルヴィン~もっと言ってやって~。』
子どもを宥めるようなエルヴィンの口調と、勝ち誇った目を向けるハンジにうんざりしながら、リヴァイは紅茶を啜る。
(勝手にクソみてぇな盛り上げ方をされるこっちの身にもなってみろ。)
シャーディス団長が現役を退いた後、調査兵団は類稀なる才能とカリスマ性を併せ持つエルヴィン・スミスによって統率されていた。
エルヴィンと共にリヴァイも着実に英雄の道を辿っていたが、当初こそ実力で勝ち得たものが次第に様変わりしていく。
エルヴィンと【契約】をした事により、なぜか三兵団内でのリヴァイのブランド価値は飛躍的に上がり、表立って批判や嘲笑する者は誰もいなくなった。
並行してハンジが面白半分でつけた「人類最強の兵士リヴァイ」のキャッチコピーは調査兵団に対するイメージを改善しただけでなく、突如現れた英雄に市民は熱狂し、ウォールは久々に活気づいていた。
舌を巻くほどの策士ぶりを発揮したのは勿論エルヴィンであり、本来の姿と乖離するほど綺麗な存在として扱われ始めた事に、リヴァイは強い違和感を覚える。
国中を巻き込んだ歪な現象に対して何度かエルヴィンに止めさせるように申し出るが、その度に軽く遇らわれてしまうことも気に食わなかった。
『リヴァイの本当の姿を知っているのが私や団員たちだけでは勿体無いだろう?』
『またそれか。』
『そうだ。お前が巨人と戦って生き残ることこそが全て。団員の士気は上がり人々は賛美し、それが調査兵団の翼となり追い風となる。お前は変わらず、これからも私の側で私を導いてくれ。』
『だから、兵団を導いてるのはお前であって俺じゃ……』
反論しようとするも、リヴァイはエルヴィンの表情にハッとし言葉を詰まらせる。
分厚く大きな手が優しくリヴァイの手を取り、温かく柔らかい唇が左手薬指に触れてくる。
目を開けた時の慈しみ深い眼差しは何度も見てきた筈なのに、いつしかリヴァイの心に1つの疑念を抱かせていた。
(………何を、期待してやがる……。)
『……リヴァイ、リヴァイ聞いてる?』
鼻先まで顔を近づけガン見してくるハンジの無遠慮さに、リヴァイは我に返ると、腕を組み何事もなかったかのように答える。
『聞いてる。』
『嘘つき。あんた自分の身に危険が迫ってるんだよ?』
『あ?』
『だから、ヴァーグナー夫人が資金援助を増額する代わりにリヴァイとデートしたいんだって!あの人旦那が死んでからさらに女帝ぶりを発揮してるけど、リヴァイチョイスとかマジないわ~。』
『 テメェは自分の身に危険が迫ってることには鈍感だな。』
『キャー暴力はんたーい♪』
子どものようなケンカのやり取りも束の間、エルヴィンの一言に場の空気が一変する。
『私の【契約者】を他人に渡すつもりはない。』
それまで穏やかな笑顔を振りまいていたエルヴィンからは想像出来ないほど、氷のように冷めた表情。
『それは兵団内の規律であって外部には関係ない。悪い話ではない筈だ。』
『ミケ、この私にワーグナー家の人間を根絶やしにさせたいのか?』
『エル…』
『何人たりとも私以外の人間がリヴァイに触れることは許されない。この件は断る。』
『っ……!!!』
ミケすらも敵に回す言葉の刃。
普段の姿とも巨人と闘う姿とも違う側面を目の当たりにし、4人の間に緊張の糸が張り詰める。
『援助自体を断られたらどうする。』
『責任を持って次を探すよ。』
エルヴィンは再度コーヒーを啜った後に席を立つ。
『先に部屋へ戻る。』
纏う空気は柔らかく、申し訳なさそうな笑みを浮かべた表情はいつもと変わらなかった。
『…ハァ。今の緊張感死ぬかと思った。ねぇ、エルヴィンて最近リヴァイのことになると過剰に反応しない?目つきもちょっとアレだし。束縛するタイプだっけ?』
緊張から解放されたハンジは机に肘を乗せ頬杖をついて大きな溜息をつく。
『さぁな。』
『ははっ。それにしても、さっきのエルヴィンと対等に話せるなんてミケってやっぱ凄いね!』
(笑えねぇ…。)
いつからだろうか。
見つめてくる瞳は、淑やかな声音は、包み込む体温は、何1つ変わらないのに。
『お前に次回の壁外調査の人員配置について相談したい。』
『なぜ俺に聞く。』
『補給班のゼクスと囮班のアインスを入れ替えようと考えているのだがどう思う?』
『ゼクスは駐屯から移動してきたばかりだろ。囮班にまわすには早すぎる。』
『彼はお前のためならいつでも命を投げれるそうだ。』
『弱ェ奴はすぐ死にたがるな。』
『私はね、彼のその願いを叶えてあげようと思ったんだ。』
『あ?』
『クス。お前を心酔する者が増えて私も嬉しい。……だが、お前は私の物だ。』
『…………。』
時折露わになる狂気にも似た感情が、嘘か真か考える隙を与えないほどの強烈なプレッシャーとなって、リヴァイの心を静かに蝕んでいく。
『良い機会だから確認しておきたいことがある。』
『確認て?』
『お前たちは神の存在を信じるか?』
ミケから発せられた意外すぎる質問に、ハンジは固まる。
『ど、どうしたの急に。何言っちゃってんの?』
『信じるか信じないかどうなんだ。』
『どうって、……確かローゼが突破されてからマリアを拠点に急速に拡大してる「宗教」って勢力の事よね。あんまり興味ないな~。』
『リヴァイ、お前は?』
『お前こそどうなんだ。』
『…………。』
『あ!もしかして少し前に起こった信者の暴動のこと言ってる?王政を心酔する憲兵に神は存在しないと否定されたことによる一部の過激派信者が憲兵団に対してテロ計画を企てたのよね。テロは未遂に終わりニック司祭はテロ計画犯とは無関係の意を表明してうやむやに終わったけど。』
『彼ら1人1人は実に温厚で信心深く心優しい人物だったそうだ。だが、神の存在を否定される事は自分の身を引き裂かれるより辛く、耐え難い屈辱だったと言っていたらしい。』
『ふーん。』
『人は本質的に見えない何かを信じる生き物だ。そしてそれは、人の心を豊かにもするし、狂気にも変える力があるとしたら………。』
ミケはリヴァイを真っ直ぐに見据え、漆黒の瞳に問いかける。
『リヴァイ、あの力はどうやって身につけた。』
『力?』
『壁外調査で覚醒した力だ。』
『訓練の賜物だろ。』
『お前の力は1個旅団並みにある。訓練でどうこうした所で身につけられるものではない。』
『何が言いたい。』
『それが天性の力………いや、神の力だったらどうする。』
ミケの言葉に対し、リヴァイは表情を強張らせる。
互いに一歩も譲らず鋭い視線がぶつかり合う。
『あははっ!何それサイコー!ミケって冗談言えるんだ~~ククッ、おっかし~、あはは!』
場の空気を散らすハンジの高笑いをもろともせず、ミケは語気を強めて言い放つ。
『冗談でも構わない。絵空事や夢物語でも信じる者がいればそれは真実になる。必要であらば、お前にはその役割を担ってもらうつもりだ。』
『…………。』
リヴァイは静かに席を立つと、何も言わずにその場から去って行った。
『も~ミケが変なこと言うからリヴァイ帰っちゃったじゃんか。』
『奴は誰よりもエルヴィンの側にいる。肌で感じ、理解している筈だ。』
『は?エルヴィン?何でここでエルヴィンの名前が出てくるの~やめてよ、ちょっと~!』
バシバシと背中を叩くハンジの右手首を強く掴み、ミケはハンジを睨みつける。
『鈍感を装うのは止めろ。お前も薄々は気づいていた筈だ。』
『!!』
逃げることの出来ない視線に心音が大きく跳ねる。
ハンジは奥歯をギュッと噛み締め、右手首を掴むミケの手をそっと外した。
『っ……いやいや。本当、ないない………だって、これじゃあ、リヴァイがあまりにも可哀想だ……兵団や世間の期待だけじゃない、……か、……っ、意味分かんないよ!どれだけリヴァイに背負わせるつもりなの?!』
『お前も人類最強とチャチャを入れて、リヴァイを祭り上げてただろ。』
『あれは冗だ……』
ー冗談でも構わない。絵空事や夢物語でも信じる者がいればそれは真実になる。ー
突きつけられる事の重大さに、ハンジは愕然となる。
『……そんな…。』
『おそらくエルヴィンに自覚はない。側から見ればあくまでも人としてリヴァイを愛している。』
『ダメ!そんなのおかしい!エルヴィンに一言言ってくる!』
動転し席を立とうとするハンジの胸ぐらを、ミケは瞬時に掴むと、そのまま仰向けに机に叩きつける。
『くぅっ…!!』
『お前が余計な事をするなら、俺はこの場でお前を殺す。』
穏やかな語り口とは対象的に見下ろしてくる秘色の瞳は、鋭さを増していく。
『エルヴィンの精神的支柱がリヴァイである事に間違いはない。そしてそれが兵団に多大なる影響を与えているのも事実だ。この事は俺たち2人の間で留めるんだ。』
『私には、出来ない……耐えられない……っ』
『聞け!!この情報が漏れれば兵団を潰したい外部の連中どころか、エルヴィンに失望した内部から調査兵団は一気に崩壊する。お前がリヴァイを守るんだ。』
『!?』
脳裏に浮かぶ想い人に、ハンジの目が大きく見開く。
『奴がエルヴィンの元を、調査兵団の元を離れない理由を考えろ。お前がリヴァイを。俺がエルヴィンを。今まで以上に支えてやるんだ。』
『私が、リヴァイを守る……?』
秘めた感情は仄かに甘い蜜の香りに揺り動かされていく。
『誰にも隙を与えない、誰にも邪魔はさせない………これは4人だけの秘密だ。』
調査兵団に入って以来、数えきれない人の死を見てきた。
壁の外や巨人の謎は解明されず、弔う仲間の名を把握しきれないまま屍だけが積み上がっていく。
それなのに、仲間と巨人の返り血で真っ赤に染まった俺を見て、エルヴィンはいつもキレイだと言った。
沢山の人間が団長命令で死んでいく中、人間とは思えない強さを持ち簡単に死なない人間は、お前にどう映って見えるのだろう。
お前が俺にだけに向ける眼差しや微笑みを見る度に胸が締めつけられ、枷を嵌められたように身動きが取れなくなる。
そして必ず頭の中で、あの言葉が浮かんでくるんだ。
ーLevi、hallelujah。ー
『何の冗談だ、リヴァイ。』
『俺はお前の【契約者】だ。それこそ、何の問題がある?』
『お前は私では無理だと言っていたし、今までお互い上手くやってきただろう?だから、これからも…』
『じゃあ、何で【フェイク】じゃなくて【契約】なんだ?いつも綺麗事ばかり並べてやがって……もう、うんざりだ…。』
上手く言えない、解放されたかった。
ただ、それだけだった。
『無理だ……。私には、できない…お前は、キレイな存在でなければ、ならないんだ…。』
あの日の事は今でも忘れられない。
罪の意識に苛まれ、今にも泣き出しそうな子どものような表情。
か細く震える声、縋るように抱き締めてくる両腕、一回りも大きな肩が小さく頼りなく感じるほどだった。
見たこともないエルヴィンの姿を目の当たりにして、思考が停止する。
脱け殻になった心と体は自分のものではなく、エルヴィンに抱かれる様はまるで人形のようだった。
ふとサイドテーブルに飾られた黄色いバラに視線を移す。
枯れる事なく保たれたその美しい姿は、人工的な施しが加えられたものであると最近知った。
『…すまない……私を赦してくれ……。』
背後から抱き締めてくる理由も。
左手の薬指にキスをする意味も。
愛しているの言葉も。
誰に赦しを請い、愛を乞うている?
(なぁ、……お前、誰を見ているんだ……。)
なぜ俺を選んだ。
『……分かった。もういい。』
枷を嵌められたように重く軋む手を伸ばし、エルヴィンの頬に触れてみる。
地下街で下され、強引に【契約者】にさせられ、それでも兵団を辞めようと思わなかったのは、エルヴィンを殺すためだけではないことにとうに気付いた。
『Erwin ……God bless you .』
今更戻ることなんて出来ないーー。
「ま、待って!ジャン!」
ハンジとの実験の打ち合わせを終えたエレンは、廊下の向こうからダッシュで駆け寄ってくるジャンと、ジャンを追いかけるアルミンを見て、大きく手を振る。
「ハァッ、ハァッ、(つ、疲れたぁ…)」
「エレン、おま……」
「ジャン、アルミン、これ見ろよ!ハンジさんが、少ないけど食べてって内緒でクッキーくれたんだ。みんなで食べようぜ。」
「いやいや、お前なに能天気なこと言ってんだ?兵長に【契約】を……おぶっっ!!」
「もうちょっとデリカシー持ってよ、ジャン!(小声)」
慌てて口を塞ぎ暴れるジャンを必死に抑えようとするアルミンに、エレンはきょとんとした表情で首をかしげる。
「兵長?ん?【契約】?」
「……う、うん、……その、…」
「なんだよ、教えろよアルミン。」
リヴァイに関することと理解したエレンが興味津々の笑顔を向けると、アルミンは思い惑いながらも話し始めた。
「……エレンは、ハンジさんと別行動だったから知らないかもしれないけど、……今朝からエレンと兵長のことである噂が持ちきりなんだ。」
「噂?」
「エレンが、その、…兵長に、…【契約】を【解除】された、っていう……。」
「ハァ?!俺がいつ兵長に【契約】を【解除】されたんだよ。冗談に決まってんだろ。」
「そ、そうだよね、ごめん。」
「だ、誰だよ、そんな噂流したの、迷惑だっつーの。」
呆れたように笑うエレンの普段通りの様子に、アルミンはほっと安堵の表情を浮かべた。
「ぷはぁっ!テメェ、それが事実で間違いねーだろーな。」
「あ、あぁ。」
「なんだその曖昧な返事は!お前がちゃんとしねーとなぁ、こっちが困るんだよ!分かってんのか?!」
(なんでこいつがこんなに怒ってんだ?)
アルミンとは対照的にガツガツと詰め寄ってくるジャンにエレンが戸惑っていると、突然アルミンに袖を引っ張られた。
「エレン、兵長が来たよ!」
アルミンの視線の先をたどると、リヴァイが真正面からこちらに向かって歩いてくるのが見える。
リヴァイが視界に入った途端、エレンはケモ耳としっぽを出して嬉しそうにかけ寄った。
「お疲れ様です!兵長聞いてください。アルミンとジャンが、俺が兵長に【契約】を【解除】されたって変なことを……おぶっっ!!」
誤解を招く言い方にジャンとアルミンは慌ててエレンにかけ寄り口を塞いだ。
「ああああ、くまでも噂ですっっ!誰かが勝手にデマを……」
「事実だ。」
「え?」
「こいつらも噂も間違っちゃいねぇ。それをお前に伝えに来た。」
「っ!!」
内から湧き上がる激情に一瞬にして飲まれ、エレンはジャンとアルミンを振り払うと、リヴァイの両肩を掴んで強引に壁に押しつけた。
「エレン!!」
青ざめる同期をよそに、リヴァイは押しつけられた壁に背をもたれ、肩を掴まれたまま腕を組むと、怒りに支配された金色の瞳をじっと見据えた。
「上官を見下ろすなんざ、いい度胸だな。」
「【解除】ってどういう事ですか?」
「言葉通りだ。」
「俺はなにも聞いてません。」
「理由なんて要らねぇだろ。」
「!?」
「ガキ……少し下の世話をしてやっただけで浮かれやがって。こっちはいい迷惑だ。今度はそこの幼馴染みか同期と【契約】して面倒を見てもらえ。」
「…何ですか、それ…ちょっと、待って下さいよ…。」
頭の中が混乱し、必死に冷静さを保とうとするエレンの手は、無意識にリヴァイの肩に爪を食い込ませていく。
普段と何一つ変わらない表情が、余計に腹立たしくて悔しかった。
「相変わらず仲が良いな、君たちは。」
カツカツと鳴る靴音と、淑やかで品のある声音に、張り詰めた空気が一変する。
引きつけられる視線の先には、ミケとハンジを従えたエルヴィンが4人の元へ歩いてくる。
「マジかよ……こんなところで調査兵団トップが勢揃い……。」
圧倒されるほど華やかで威風堂々とした佇まいにジャンが仰ぎ見ていると、アルミンが下を向いたままジャンのジャケットの裾をギュッと握り締めてきた。
「どうした、アルミン。」
「ごめん…。」
「やだ~照れちゃって可愛い♡アルミンてば、エレンじゃなくてエルヴィンが好きなの?」
「ち、違います!あ、いや、尊敬はしてて……」
ハンジは悪戯な笑みを浮かべながら、真っ赤な顔をして慌てふためくアルミンを覗き込む。
「大丈夫。エルヴィンのファンの子達って気を遣ってみんなそう言うから、アルミンだけじゃないよ。」
「新兵でいちいち遊ぶな。」
「あーら。入団する度に新兵クンの匂いを嗅ぎ回ってる人に言われたくな…」
「少し用事が出来た。先に馬車へ向かってくれ。」
揉め始めた会話を遮るように話しかけてきたエルヴィンの声に、2人は瞬時に目の色を変えた。
「了解。リヴァイ連れて早めに来てよね。」
「ん。」
「じゃ、新兵クンたち!まったね~。」
弾んだ声で右手をヒラヒラさせながら、ハンジはミケと共に去って行った。
「少し顔色が悪いな。昨夜は眠れたかい?」
「は、はい。お気遣いありがとうございます。」
心配そうな表情で頬を撫でてきたエルヴィンを、エレンは緊張の面持ちで見上げる。
(…………?)
紳士的な振る舞いとは裏腹に、エルヴィンの柔和な眼差しの奥に一瞬引っかかりを感じるも、エレンはそれが何かは分からなかった。
「エレン、あまり見つめられると照れてしまうな。」
「す、すみません!」
無意識のうちに食い入るように見つめていたエレンはリヴァイから手を離すと、慌ててエルヴィンに平謝りをする。
「オイ、いつまで戯れてやがる。」
三白眼の目をさらに細め2人のやり取りを見ていたリヴァイが痺れを切らして口を開くと、エルヴィンはリヴァイに視線を向けて微笑んだ。
「どうした、リヴァイ。妬いているのか?」
「会議の時間だろ。行くぞ。」
「ま、待って下さい!まだ話が…」
「さっきから随分とくだらねぇ話をしているが、てめぇは一体何様だ?」
静かだが強圧的な声音と、鋭く睨みつけてくる漆黒の瞳に、エレンは身体を強張らせる。
「【契約】がてめぇの身分を上げる代物とでも勘違いしたか。調査兵団に飼われてる事を忘れてるなら今すぐ地下牢に戻れ。躾直しだ。」
「!っ…申し訳、ありません…。」
理不尽な思いに駆られながらも、リヴァイの言葉は至極真っ当で、エレンは俯き拳を強く握り締めた。
「リヴァイ。間違ってはいないが、言い方があるだろう?」
呆れ顔のエルヴィンは背後からエレンの両肩に手を添える。
落ち着かせるように小刻みに震える肩を優しく撫でた後、柔らかな吐息と共に耳元で囁いた。
「エレン。君が【解除】された理由はね、リヴァイが私と【再契約】をしたからだ。」
「……え?」
顔を上げ大きく見開かれた金色の瞳がリヴァイを捉えると、一粒の涙がすっと頬を伝い流れ落ちた。
「本当、ですか…。」
「っ……。」
リヴァイを直視したまま茫然とするその表情に胸の奥が鈍く痛み、組んでいた腕に力がこもる。
思わず名を呼ぼうと口を開けた瞬間、エレンの髪にそっと口づけをするエルヴィンに挑発的な視線をぶつけられる。
感情を揺さぶられ苛立ちを覚えながらも、リヴァイは喉まで出かけた言葉をグッと飲み込んだ。
「…まぁ、そういう事だ。」
もたれていた壁から体を起こすと、2人の間を強引に割いて立ち尽くすエレンを残し、リヴァイはその場から去って行った。
******
「エレン、まだあんな表情をするんだね。捨てられた子猫のようで可愛かった。」
王都に向かう馬車の中、思い出したかのようにクスクスと笑うエルヴィンの横で、リヴァイはすかさず舌打ちをした。
「あれはキャンキャンうるさいから犬だ。」
「え~私もエレンは猫派だなぁ。ミケは?」
「興味ない。」
「じゃあ、2対1でエレンは猫に決定!」
「くだらねぇ。」
「もー、あんた達って本当つまんない。」
横で無表情を貫くミケと、目の前で冷めた視線を投げるリヴァイに対し、ハンジは頬を膨らませる。
「この2人を手なづけることが難しいのはよく分かったよ(笑)でもいいのか、リヴァイ。そんなに可愛がっていた子を地下牢に戻して。」
「問題あるか?」
「…ないね。」
「私はリヴァイとエレンの年の差カップルも好きだったんだけどな~。」
「ハンジ。」
奔放なハンジに睨みを利かせるミケを、エルヴィンは穏やかに窘めた。
「構わないよ。意見は自由であるべきだ。だが、我々上に立つ人間が意味を履き違えてはいけない。あくまでもシステムは兵士の性管理が目的で、派生した事象はシステムの管理外、もしくは法律に委ねられる。」
エルヴィンはリヴァイを横目で流し、黒髪の襟足をさらりと撫でる。
「何が言いたい。」
「若い新兵は規律に縛られ錯覚に陥りやすいということだ。」
「はっ……じゃあ、俺とお前は何だ。」
「拗ねてるのか?」
「ちょっと~人前でいちゃつくの止めてよね。」
「眼鏡にクソでもつけたか、クソメガネ。」
「痛ーーっ!!いたいいたい、リヴァイごめんってば~っっ!!」
人類最強のブーツの踵にミシミシと足の甲を踏みつけられ、ハンジは絶叫する。
「ハンジ、リヴァイと人前でいちゃいちゃするのは止めなさい。」
「悠長な事言ってないで助けて~!!」
涙目で訴えてくるハンジとゴロツキ全開のリヴァイ、何とかしろと言わんばかりのミケからの痛い視線を向けられ、エルヴィンはやれやれと小さく溜息をついた。
「……リヴァイ 。お前がエレンと【契約】を【解除】しても監視役である事に変わりはない。分かっているな?」
その言葉に、リヴァイとハンジの動きがピタリと止まった。
リヴァイはハンジの足から踵を離すと、足と腕を同時に組み直し淡々と答える。
「問題ない。」
「引き続き頼む。」
(わーお…エグいなぁ。)
【解除】してもなお続く2人の関係性に、ハンジの顔が引き攣る。
(…リヴァイもエルヴィンもどういうつもりなんだろ……すごく興味ある…。)
「それは本当か。」
「あ?」
「リヴァイ、余計なことは考えるな。」
「……チッ。」
ミケの言葉にリヴァイは眉を顰め、静かな戦闘態勢に入る2人に対し、エルヴィンは苦言を呈する。
「2人とも馬車が壊れるから喧嘩は外でやりなさい。」
「いやいや街が壊れるから両方ダメでしょ!?ほら2人とももうおしまーーい!!」
王都に降りかかる火の粉を払うべく絶叫するハンジに場の空気を散らされ、リヴァイとミケは不服そうな表情を浮かべながらも元に戻った。
リヴァイは馬車の窓から見える景色に視線を向ける。
夜の闇に包まれながらも、王都の城下町は明るく華やかで平穏そのものだった。
(そういやぁ、この角を曲がると……)
『おかえりなさい兵長。会議お疲れ様でした。』
『……なんだその両手は。』
『もぉ、俺の気持ち分かってて焦らさないで下さい。』
『……ほらよ。』
『やったー!チョコレートだ!ありがとうございますいただきます!』
『お前、最近俺のこと財布と思ってるだろ。』
『いいえ!愛してます!ウマー!』
『…………。』
何気なく渡した土産の菓子を頬張るエレンの幸せそうな笑顔に負けて、その後習慣のように出先では必ず買って帰るようになっていた。
(……もう買いに行くこともねぇな。)
窓から視線を外し、リヴァイは横にいるエルヴィンにもたれかかると、腕を組んで目を瞑った。
「もうすぐ着くよ。」
「なら着いたら起こせ。」
「分かった。」
布越しにエルヴィンの体温を感じる。
昨夜まで触れていた体温を上書きされてしまいそうなほど、酷く懐かしい温もり。
(明日からは監視役に徹する……何か問題が起これば、俺はいつでもエレンを殺してみせる……)
馴染みの菓子屋が目に入ってしまったせいで、【元契約者】が見せた最後の表情が脳裏に焼きついて離れない。
(…あぁ、綺麗な涙だった……。)
前日早朝。
「それで、用件は何だ?さっきのメガネならともかく、ミケが用もないのに朝っぱらから俺の部屋に来ねぇだろ。」
「お前に頼まれていた件だが、やはりジャンにはエルヴィンが関わっていた。」
「……そうか。」
「ジャンがエレンを暴行した日、ジャンはエルヴィンに頼まれて書類を届けるためにお前を探していたそうだ。アルミンの方はエルヴィンと接触はしていたが、これと言った話は出てこなかった。」
リヴァイはクローゼットに背をもたれ両腕を組むと、小さく息を吐いた。
静的に語られる内容は既に予測の範疇であり驚きはなかったが、エルヴィンが関わっているという事実が胸の内で燻り続ける。
「金髪のチビは頭がいい。エルヴィンを上手く躱したんだろ。」
「聞いてなかったが、ジャンとアルミンはどうやって見当をつけた?」
「ガキの恋愛感情なんて手に取るように分かる。エレンの【契約者】として初めて会った時から、あの2人だけは俺を見る目が違っていたからな。お前こそ、シェルムの件にどう気づいた。」
「シェルムはエレンと接触する前日にエルヴィンの部屋に呼ばれていた。お陰でその場に居合わせた俺はお払い箱だ。」
「ただ乳繰り合ってただけかもしれねぇだろ。」
「言葉に気をつけろ、リヴァイ。これはお前の撒いた種だ。」
「…………。」
扉前で立っていたミケが、ゆっくりとリヴァイに近づいてくる。
互いに一定の距離を保ってきた相手とこうして2人きりで顔を突き合わせるのは、いつぶりか分からない。
調査兵団ナンバー2に相応しい威厳と風格があり、見下ろしてくる秘色の瞳は鋭利な敵意を向けていた。
ミケはリヴァイに鼻先を近づけ、何かを確かめるように顔や体の匂いを嗅いだ後、リヴァイの耳元で囁く。
「今回協力したのは全てエルヴィンの為だ。俺はお前の敵でも味方でもないが、エルヴィンに何かあればお前を殺す……覚えておけ。」
前日夕刻。
「遅かったな。」
エルヴィンは意識を失ったエレンをベッドに寝かせると、手近にあった薄い掛け布団をエレンの体にふわりとかけ、その口唇に再度キスをした。
リヴァイは静かに扉を閉めると、絞り出すような声でエルヴィンに語りかけた。
「エレンを返せ…。」
冷静を装いながらも狂気を孕んだ瞳を向けるリヴァイに、エルヴィンは目を細める。
「返してほしかったらこっちへ来なさい。」
リヴァイは警戒を強めながらも2人が待つベッドにゆっくりと近づくと、エレンの足下に腰を掛けるエルヴィンの視線を感じながら、横たわるエレンの枕元に立った。
「っ………。」
兵服が散乱したベッドの上で静かに眠るエレンを見て、リヴァイは絶句する。
「…エレン……エレン、すまない……。」
「よく躾られてて感度もいい。反応もなかなか楽しめたよ。」
悲壮感を漂わせるリヴァイの表情とは対照的に、いつもと変わらぬ素振りでエルヴィンは乱れた衣服を整えていく。
「なぜこんな事をした?」
「私はエレンがお前にどんな抱かれ方をしているのか知りたかっただけだ。」
「ふざけるな。遊びにも限度ってもんがあるだろうが。」
「遊びが過ぎたのはお前の方だろう?」
穏やかな口調とは対照的な軽蔑の眼差し。
「私はエレンの監視と行動を共にすることは命じたが、飼い馴らせとは言っていない。」
「お前には関係ねぇ。」
「関係ない?猫の飼い方を教えたのは私だ。」
「やめろ!」
触れてこようとした手を払いのけ、リヴァイはエルヴィンを睨みつけさらに身構える。
パシンと部屋に響く乾いた音が逆鱗に触れ、エルヴィンは叩かれた手の甲に口唇を押しあてククッと笑った。
「飼い主の手を噛むか……出会った頃のようで懐かしい……。」
蔑みから冷酷さに移り変わる碧眼の瞳に怯み、一瞬の隙を突かれたリヴァイは、エレンの寝ているベッドの真横でエルヴィンに床に叩きつけられる。
「離せ!!」
仰向けに組み敷かれた状態で両手首を強く掴まれ、リヴァイは堪らず声を荒げる。
「人類最強と言われても、私には敵わないよ、リヴァイ。いつまでも寄り道しているから、注意をしに来ただけだ。」
「だったら直接俺に言え。関係ない奴らまで巻き込んで、何を企んでやがる。」
「企む?エレンに対する彼らの気持ちは本物だった。私はきっかけを与えたに過ぎず、そこで思い留まるか行動に移すかは彼ら自身で決めたことだ。お前とエレンがそうだったように、彼らもエレンと交わる運命だった。……ただ、それだけの事だよ。」
「だから、てめぇもエレンとそうだって言いてぇのかよ。」
「そうだ。お前はもう十分すぎるくらい理解しているだろう?」
「くっ……!」
大きな左手が勢いよくリヴァイの前髪を掻き上げながら額を抑えつけてくる。
嫌でも直視せざるをえない、残酷なほど深く優しい碧の瞳。
「今まで黙って自由にさせてきたのは、私なりにずっとお前のことを想い憂いてきたからだ。だが、お前はエレンの側にいすぎた所為であまりにも汚れてしまった。」
「ふざけるな。汚したのはお前で、傷ついたのはエレンだ。俺じゃねぇ。」
「いいや、間違っていない。お前はもっと美しくキレイな存在でなければならない。」
「!?」
『Levi、hallelujah。』
過去とフラッシュバックするエルヴィンの微笑みに囚われ、胸の奥が切なく締めつけられ、息が詰まりそうになる。
手首を強く握っていた右手が、リヴァイの右手に重なり、愛おしむように指を絡めてきた。
「リヴァイ。エレンを完全に壊してしまう前に戻っておいで。」
「っ…そんなこと、出来るわけない……エレンが人類の希望だって言ったのはてめぇだろ……。」
「もう1度だけ言う。私の元へ戻りなさい、リヴァイ。」
低く透明感のある声に名を呼ばれ、リヴァイの身体がぞくりと震える。
忘れられない感触。
引きずり出される感情。
まるで昨日のことのように鮮明に蘇る。
「全てはお前次第だよ。」
白夜Case4【祈り】
『Levi、hallelujah。』
力が覚醒したあの日。
巨人と仲間の返り血で真っ赤に染まった俺を見て、エルヴィンが無意識に口走った言葉。
向けられた慈しむような瞳からは今にも涙が溢れてきそうで、俺は本能的にその言葉の意味を知りたくないと思った。
『リヴァイ、おいで。』
『…………。』
渋々ベッドに入り、気が乗らないと無言で訴えるリヴァイを、エルヴィンの大きな体が背後から包み込むように抱き締めてくる。
『お前はいつも温かくて心地いい。』
『黙って寝ろ。』
『おやすみ。愛しているよ。』
『っ………。』
リヴァイの左手をとり、薬指の第一関節にキスをすると、エルヴィンは静かな眠りにつく。
柔らかい唇の感触の余韻を残したまま、早々に聞こえ始めた微かな寝息。
口約通り体の関係は一切求めず、変わらない日々を過ごすなかで唯一求められた行為。
まるで2人だけの神聖な儀式のように清らかで、エルヴィンの腕の中にいると胸が切なく締めつけられ、息が詰まりそうな感覚に陥る。
気を紛らわそうと横にあるサイドテーブルに視線を向けると、カーテンの隙間から零れる月の光に照らされた1輪の黄色いバラが目に入る。
エルヴィンの寝室に初めて入った日から、途切れる事なく美しい姿を保ったまま飾られていた。
(…今日も眠れそうにねぇな……。)
リヴァイがエルヴィンより先に眠ることはなく、穏やかで長い夜が始まる。
『ハーイ、ミケ♪…っと、皆様お揃いで(笑)人類最強の兵士リヴァイ様と一緒にお昼食べれるなんて幸せ♡』
『そのダセェ呼び方やめろ。』
『ダサいって、今やあんたの代名詞「人類最強」のキャッチコピーは一般市民にまで広がってるんだよ?!私のネーミングセンス凄くない??』
『元凶はテメェか。』
殺意を向ける三白眼を平然と無視してミケの横に着席すると、ハンジは笑顔でパンを頬張る。
不満オーラ全開のリヴァイの隣に座るエルヴィンはコーヒーを啜ると、ニッコリと微笑んだ。
『ハンジのセンスはなかなかのものだ。実際、マイナスのイメージが付き纏う調査兵団に興味や好意を抱く人々が以前よりも増えてきている。人類最強の名にふさわしいリヴァイの真の強さと、地下街から調査兵団のトップにまで上り詰めたサクセスストーリーが相乗効果を成し得ている。』
『俺は成し得てねぇよ。』
『これを機に継続的な入団希望者や資金援助に繋がると有り難い。私に免じて大目に見てはくれないか。』
『でしょでしょ、エルヴィン~もっと言ってやって~。』
子どもを宥めるようなエルヴィンの口調と、勝ち誇った目を向けるハンジにうんざりしながら、リヴァイは紅茶を啜る。
(勝手にクソみてぇな盛り上げ方をされるこっちの身にもなってみろ。)
シャーディス団長が現役を退いた後、調査兵団は類稀なる才能とカリスマ性を併せ持つエルヴィン・スミスによって統率されていた。
エルヴィンと共にリヴァイも着実に英雄の道を辿っていたが、当初こそ実力で勝ち得たものが次第に様変わりしていく。
エルヴィンと【契約】をした事により、なぜか三兵団内でのリヴァイのブランド価値は飛躍的に上がり、表立って批判や嘲笑する者は誰もいなくなった。
並行してハンジが面白半分でつけた「人類最強の兵士リヴァイ」のキャッチコピーは調査兵団に対するイメージを改善しただけでなく、突如現れた英雄に市民は熱狂し、ウォールは久々に活気づいていた。
舌を巻くほどの策士ぶりを発揮したのは勿論エルヴィンであり、本来の姿と乖離するほど綺麗な存在として扱われ始めた事に、リヴァイは強い違和感を覚える。
国中を巻き込んだ歪な現象に対して何度かエルヴィンに止めさせるように申し出るが、その度に軽く遇らわれてしまうことも気に食わなかった。
『リヴァイの本当の姿を知っているのが私や団員たちだけでは勿体無いだろう?』
『またそれか。』
『そうだ。お前が巨人と戦って生き残ることこそが全て。団員の士気は上がり人々は賛美し、それが調査兵団の翼となり追い風となる。お前は変わらず、これからも私の側で私を導いてくれ。』
『だから、兵団を導いてるのはお前であって俺じゃ……』
反論しようとするも、リヴァイはエルヴィンの表情にハッとし言葉を詰まらせる。
分厚く大きな手が優しくリヴァイの手を取り、温かく柔らかい唇が左手薬指に触れてくる。
目を開けた時の慈しみ深い眼差しは何度も見てきた筈なのに、いつしかリヴァイの心に1つの疑念を抱かせていた。
(………何を、期待してやがる……。)
『……リヴァイ、リヴァイ聞いてる?』
鼻先まで顔を近づけガン見してくるハンジの無遠慮さに、リヴァイは我に返ると、腕を組み何事もなかったかのように答える。
『聞いてる。』
『嘘つき。あんた自分の身に危険が迫ってるんだよ?』
『あ?』
『だから、ヴァーグナー夫人が資金援助を増額する代わりにリヴァイとデートしたいんだって!あの人旦那が死んでからさらに女帝ぶりを発揮してるけど、リヴァイチョイスとかマジないわ~。』
『 テメェは自分の身に危険が迫ってることには鈍感だな。』
『キャー暴力はんたーい♪』
子どものようなケンカのやり取りも束の間、エルヴィンの一言に場の空気が一変する。
『私の【契約者】を他人に渡すつもりはない。』
それまで穏やかな笑顔を振りまいていたエルヴィンからは想像出来ないほど、氷のように冷めた表情。
『それは兵団内の規律であって外部には関係ない。悪い話ではない筈だ。』
『ミケ、この私にワーグナー家の人間を根絶やしにさせたいのか?』
『エル…』
『何人たりとも私以外の人間がリヴァイに触れることは許されない。この件は断る。』
『っ……!!!』
ミケすらも敵に回す言葉の刃。
普段の姿とも巨人と闘う姿とも違う側面を目の当たりにし、4人の間に緊張の糸が張り詰める。
『援助自体を断られたらどうする。』
『責任を持って次を探すよ。』
エルヴィンは再度コーヒーを啜った後に席を立つ。
『先に部屋へ戻る。』
纏う空気は柔らかく、申し訳なさそうな笑みを浮かべた表情はいつもと変わらなかった。
『…ハァ。今の緊張感死ぬかと思った。ねぇ、エルヴィンて最近リヴァイのことになると過剰に反応しない?目つきもちょっとアレだし。束縛するタイプだっけ?』
緊張から解放されたハンジは机に肘を乗せ頬杖をついて大きな溜息をつく。
『さぁな。』
『ははっ。それにしても、さっきのエルヴィンと対等に話せるなんてミケってやっぱ凄いね!』
(笑えねぇ…。)
いつからだろうか。
見つめてくる瞳は、淑やかな声音は、包み込む体温は、何1つ変わらないのに。
『お前に次回の壁外調査の人員配置について相談したい。』
『なぜ俺に聞く。』
『補給班のゼクスと囮班のアインスを入れ替えようと考えているのだがどう思う?』
『ゼクスは駐屯から移動してきたばかりだろ。囮班にまわすには早すぎる。』
『彼はお前のためならいつでも命を投げれるそうだ。』
『弱ェ奴はすぐ死にたがるな。』
『私はね、彼のその願いを叶えてあげようと思ったんだ。』
『あ?』
『クス。お前を心酔する者が増えて私も嬉しい。……だが、お前は私の物だ。』
『…………。』
時折露わになる狂気にも似た感情が、嘘か真か考える隙を与えないほどの強烈なプレッシャーとなって、リヴァイの心を静かに蝕んでいく。
『良い機会だから確認しておきたいことがある。』
『確認て?』
『お前たちは神の存在を信じるか?』
ミケから発せられた意外すぎる質問に、ハンジは固まる。
『ど、どうしたの急に。何言っちゃってんの?』
『信じるか信じないかどうなんだ。』
『どうって、……確かローゼが突破されてからマリアを拠点に急速に拡大してる「宗教」って勢力の事よね。あんまり興味ないな~。』
『リヴァイ、お前は?』
『お前こそどうなんだ。』
『…………。』
『あ!もしかして少し前に起こった信者の暴動のこと言ってる?王政を心酔する憲兵に神は存在しないと否定されたことによる一部の過激派信者が憲兵団に対してテロ計画を企てたのよね。テロは未遂に終わりニック司祭はテロ計画犯とは無関係の意を表明してうやむやに終わったけど。』
『彼ら1人1人は実に温厚で信心深く心優しい人物だったそうだ。だが、神の存在を否定される事は自分の身を引き裂かれるより辛く、耐え難い屈辱だったと言っていたらしい。』
『ふーん。』
『人は本質的に見えない何かを信じる生き物だ。そしてそれは、人の心を豊かにもするし、狂気にも変える力があるとしたら………。』
ミケはリヴァイを真っ直ぐに見据え、漆黒の瞳に問いかける。
『リヴァイ、あの力はどうやって身につけた。』
『力?』
『壁外調査で覚醒した力だ。』
『訓練の賜物だろ。』
『お前の力は1個旅団並みにある。訓練でどうこうした所で身につけられるものではない。』
『何が言いたい。』
『それが天性の力………いや、神の力だったらどうする。』
ミケの言葉に対し、リヴァイは表情を強張らせる。
互いに一歩も譲らず鋭い視線がぶつかり合う。
『あははっ!何それサイコー!ミケって冗談言えるんだ~~ククッ、おっかし~、あはは!』
場の空気を散らすハンジの高笑いをもろともせず、ミケは語気を強めて言い放つ。
『冗談でも構わない。絵空事や夢物語でも信じる者がいればそれは真実になる。必要であらば、お前にはその役割を担ってもらうつもりだ。』
『…………。』
リヴァイは静かに席を立つと、何も言わずにその場から去って行った。
『も~ミケが変なこと言うからリヴァイ帰っちゃったじゃんか。』
『奴は誰よりもエルヴィンの側にいる。肌で感じ、理解している筈だ。』
『は?エルヴィン?何でここでエルヴィンの名前が出てくるの~やめてよ、ちょっと~!』
バシバシと背中を叩くハンジの右手首を強く掴み、ミケはハンジを睨みつける。
『鈍感を装うのは止めろ。お前も薄々は気づいていた筈だ。』
『!!』
逃げることの出来ない視線に心音が大きく跳ねる。
ハンジは奥歯をギュッと噛み締め、右手首を掴むミケの手をそっと外した。
『っ……いやいや。本当、ないない………だって、これじゃあ、リヴァイがあまりにも可哀想だ……兵団や世間の期待だけじゃない、……か、……っ、意味分かんないよ!どれだけリヴァイに背負わせるつもりなの?!』
『お前も人類最強とチャチャを入れて、リヴァイを祭り上げてただろ。』
『あれは冗だ……』
ー冗談でも構わない。絵空事や夢物語でも信じる者がいればそれは真実になる。ー
突きつけられる事の重大さに、ハンジは愕然となる。
『……そんな…。』
『おそらくエルヴィンに自覚はない。側から見ればあくまでも人としてリヴァイを愛している。』
『ダメ!そんなのおかしい!エルヴィンに一言言ってくる!』
動転し席を立とうとするハンジの胸ぐらを、ミケは瞬時に掴むと、そのまま仰向けに机に叩きつける。
『くぅっ…!!』
『お前が余計な事をするなら、俺はこの場でお前を殺す。』
穏やかな語り口とは対象的に見下ろしてくる秘色の瞳は、鋭さを増していく。
『エルヴィンの精神的支柱がリヴァイである事に間違いはない。そしてそれが兵団に多大なる影響を与えているのも事実だ。この事は俺たち2人の間で留めるんだ。』
『私には、出来ない……耐えられない……っ』
『聞け!!この情報が漏れれば兵団を潰したい外部の連中どころか、エルヴィンに失望した内部から調査兵団は一気に崩壊する。お前がリヴァイを守るんだ。』
『!?』
脳裏に浮かぶ想い人に、ハンジの目が大きく見開く。
『奴がエルヴィンの元を、調査兵団の元を離れない理由を考えろ。お前がリヴァイを。俺がエルヴィンを。今まで以上に支えてやるんだ。』
『私が、リヴァイを守る……?』
秘めた感情は仄かに甘い蜜の香りに揺り動かされていく。
『誰にも隙を与えない、誰にも邪魔はさせない………これは4人だけの秘密だ。』
調査兵団に入って以来、数えきれない人の死を見てきた。
壁の外や巨人の謎は解明されず、弔う仲間の名を把握しきれないまま屍だけが積み上がっていく。
それなのに、仲間と巨人の返り血で真っ赤に染まった俺を見て、エルヴィンはいつもキレイだと言った。
沢山の人間が団長命令で死んでいく中、人間とは思えない強さを持ち簡単に死なない人間は、お前にどう映って見えるのだろう。
お前が俺にだけに向ける眼差しや微笑みを見る度に胸が締めつけられ、枷を嵌められたように身動きが取れなくなる。
そして必ず頭の中で、あの言葉が浮かんでくるんだ。
ーLevi、hallelujah。ー
『何の冗談だ、リヴァイ。』
『俺はお前の【契約者】だ。それこそ、何の問題がある?』
『お前は私では無理だと言っていたし、今までお互い上手くやってきただろう?だから、これからも…』
『じゃあ、何で【フェイク】じゃなくて【契約】なんだ?いつも綺麗事ばかり並べてやがって……もう、うんざりだ…。』
上手く言えない、解放されたかった。
ただ、それだけだった。
『無理だ……。私には、できない…お前は、キレイな存在でなければ、ならないんだ…。』
あの日の事は今でも忘れられない。
罪の意識に苛まれ、今にも泣き出しそうな子どものような表情。
か細く震える声、縋るように抱き締めてくる両腕、一回りも大きな肩が小さく頼りなく感じるほどだった。
見たこともないエルヴィンの姿を目の当たりにして、思考が停止する。
脱け殻になった心と体は自分のものではなく、エルヴィンに抱かれる様はまるで人形のようだった。
ふとサイドテーブルに飾られた黄色いバラに視線を移す。
枯れる事なく保たれたその美しい姿は、人工的な施しが加えられたものであると最近知った。
『…すまない……私を赦してくれ……。』
背後から抱き締めてくる理由も。
左手の薬指にキスをする意味も。
愛しているの言葉も。
誰に赦しを請い、愛を乞うている?
(なぁ、……お前、誰を見ているんだ……。)
なぜ俺を選んだ。
『……分かった。もういい。』
枷を嵌められたように重く軋む手を伸ばし、エルヴィンの頬に触れてみる。
地下街で下され、強引に【契約者】にさせられ、それでも兵団を辞めようと思わなかったのは、エルヴィンを殺すためだけではないことにとうに気付いた。
『Erwin ……God bless you .』
今更戻ることなんて出来ないーー。