Case3【愛情】
「エレン、我慢しないで。」
「ん、はぁ、…はぁ、…」
無意識に口元に置いていた手を外され、アルミンの手と重なり合う。
「もっと、声を聞かせて…」
「ぁあ、ん……ぅ、…ぁあああっ!!」
『親友』であり心から信頼を寄せるアルミンからの純粋に向けられた愛情に、エレンは無意識に抵抗を緩めていく。
「ど、…しよ……俺、…」
エレンにとって今アルミンにされている行為に対して、「裏切られた」「許せない」という気持ちは一切なかった。
むしろ全てを曝け出しそうな自分自身に羞恥し、葛藤する。
「…っ……アルミン……!!!」
快感に身を捩らせ、エレンの知らぬ間にも下半身には熱が蓄積されていく。
布越しに硬く膨らむそれを見て、アルミンは目を細めた。
「辛い?」
「ひぁっ!」
人差し指と中指で膨らんだ部分を優しく撫でると、エレンの身体は弓なりに仰け反った。
「くぅ………!っ……らめ、…はぁ、…ぁ、やだ…。」
無意識に快感への拒絶の言葉を口にし、エレンは目尻に涙を滲ませた。
「エレン、すごく可愛い……。」
エレンの痴態を目の前にし、高ぶる感情を抑えられなくなる。
股間の膨らみを指でなぞり手の平で包み込むように転がして、互いの身体に蓄積された熱に火を灯していく。
ただ、1つの感情を除いて。
「…ふ、うぅ…くっ、あぁ、…。」
「エレン?」
フと気づくと、エレンの目から大粒の涙がとめどなく溢れ出ていた。
アルミンは我に返り、慌ててエレンの涙を指で何度も拭い取る。
「エレン!エレン、ごめんね、怖かったよね……。」
しっとりと汗で濡れた前髪を掻き上げ金色の瞳を覗き込むと、エレンは安心したようにさらに涙を零していく。
「違うんだ、…アルミンは悪くない……。」
「エレン…。」
「ただ、もう、…俺さわけ分かんねぇよ…。」
「エレン、落ち着いて。」
エレンはアルミンの腕を掴み、嗚咽混じりに必死に言葉を紡ぎ出す。
「なぁ、アルミン…兵長が、……頭から離れないんだ…。」
エレンの口から出たその名前に、予想に反してアルミンの肩の力が抜けていく。
心の奥底で否定し続けてきた事実は、エレンの涙を前にしてもう逃げ道はなかった。
「ごめん、なさ……あれ?…俺、なんで謝ってんだ……でも、あぁ、」
左胸のシャツをぎゅっと握り締め、エレンは辛そうに息を吐く。
「…胸が、苦しい…。」
誰かを想い、涙で頬を濡らすエレンをアルミンは素直に綺麗だと思った。
(ここまで、かぁ。)
幼い頃から自由に羽ばたく姿を願って大切にしてきたエレンの翼を奪い、自分を孤独へ追い詰めたリヴァイが許せなかった。
しかし、エレンを必死に繋ぎ止めようとすればするほど、その翼を奪っているのがアルミン自身だと思い知らされる。
(もう限界だ……。)
エレンも、兵長も、ジャンも、シェルムも、そして、あの人も。
(このままじゃ、誰も救われない……。)
頭が良すぎるのも困りものだな、とアルミンはつくづく感じる。
引き際がはっきりと見えてしまい、もう悪足掻きは出来そうにない。
(結局振り出しに戻っただけ……あーあ、残念。)
最初のスタート地点とは、随分変わってしまったけれど。
アルミンは小さく溜息をつくと、エレンの好きな『可愛い親友』を演じ始める。
「今日は色々あったから、珍しく気持ちが不安定になってるだけだよ。」
アルミンはにっこりと微笑んで、エレンの髪を優しく撫でた。
「アルミン…。」
「安心して。ずっと側にいるから。」
「ごめん……。」
「遠慮しないの!」
近くにあった枕をエレンに渡すと、アルミンは目線をエレンの下半身へとちらりと向けた。
「そうだ、エレン、まだ辛い?」
「え?」
「さっきのが溜まってるなら、続き、してあげるけど?」
「なっ……!!」
アルミンの小悪魔発言に振り回され、エレンは顔を真っ赤にする。
「ふふ……また今度にしよっか。」
「お前、意地が悪いぞ。」
「少しだけ、イジワルしたかったんだもん。」
アルミンは目を細め、小さな舌をペロッと出す。
「たく、お前には敵わねぇよ。」
互いの目線が合い、何となく気恥ずかしくてクスッと微笑った。
「おやすみ、エレン。」
「おやすみ、アルミン。」
程なくして、小さな寝息をたて始めたエレンをアルミンはじっと見つめる。
繋いだ手の温かさが、今もアルミンの心を揺らし続けていた。
ー6ー
「エレン、こっちだ。」
午後の日射しがやわらかく降り注ぐ兵団敷地内の中庭にて、エレンはライナーに呼び出される。
「悪いな、急に呼び出したりして。」
「暇だったから気にすんな。」
「アルミンはどうした?」
「先に部屋に戻るってさ。」
たわいもない会話のやり取りをしながら、2人は地べたに座り込む。
「で、話って何だよ。」
「あぁ。……お前、こないだのアレ、役に立ったか?」
「!?」
切り出された質問に対し、エレンの頬が一気に紅潮する。
「ま、まぁな、…。」
「そうか。」
「お、お前ら夫婦みたいには、…その、無理だったけど、…えと、」
「お前、兵長のこと本気で好きになったのか?」
(直接的すぎんだろっっ!!!)
頭がパニックになり、全身が沸騰するエレン。
しかし、実直な性格を持つライナーの真剣な眼差しに、エレンもすぐに冷静さを取り戻した。
(昨日アルミンにもそれっぽいこと言われたなぁ……。俺そんなに言葉や態度に出てるか?)
頭をクシャクシャと掻いて、躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「正直言って、よく分かんねぇ。」
足元に咲いていた小さな花を見つめながら、エレンは物憂げな表情を浮かべる。
「ライナー。お前、いつからベルトルトを好きになったんだ?」
改めて質問してきた内容に、ライナーは目を丸くした。
「そうだな。随分前から好きだったと思うが【契約】を機にその想いが確信に変わっていったところだ。……ただ、」
「ただ?」
「時々、自分の気持ちが分からなくなる……。この想いも、感情も、システムが作り上げた幻なんじゃないかって。」
握り締めた拳を額に擦りつけ、普段のライナーからは想像がつかない苦悩の表情を垣間見せる。
「幻……俺のこの気持ちもそうなのかな。」
ライナーの影響だろうか。
「俺と兵長の関係ってさ、そもそもキッカケが最悪だろ?【loverssystem】の必要性は嫌という程理解してるけど、兵長にとって俺は本能の捌け口でしかないんだ。」
溜め息混じりに吐露する感情が、次々と溢れてくる。
(あの日、)
ミカサを盾にして、【契約】に引きずり込んだ兵長を心底恨んだ。
結局、あいつらと同じなんだと。
母さんを目の前で食った巨人、ミカサを誘拐した人買い、訳分からない薬を打って行方不明になった親父、俺を人間扱いしなかった奴ら。
裏切られ、絶望に追い詰められた少年は抱えきれなくなっていた。
内側で蠢く、やり場のない憤り、ドス黒い感情。
(……あれ?)
いつの間にか消えていた。
(いや、違う。)
エレンの心拍数が徐々に上がっていく。
あの日以来、初めて自分の気持ちに向き合った気がした。
(全部、兵長のせいにしたかったんだ……俺は、)
「どうした、エレン。」
「…ぇ……」
「大丈夫か?」
無意識に頬を伝った涙を、ライナーに指摘されてエレンは気づく。
「何だろうな…本当、」
エレンは苦笑いをして、ライナーの肩に額を寄せた。
「……だだ感情を発散してるだけで、何の進歩もしてやしねぇ。」
(その方が楽だったから。)
リヴァイは始めから知っていたのではないだろうか。
全てを承知の上でエレンと【契約】をし、憎しみの対象を全て自分に向けさせていたとしたら。
シェルムの事件が本当なら【loverssystem】を逆手にとってシステムから守ってくれていた事になる。
憧れ続けた調査兵団でこれ以上傷つかないように、何も言わずに。
『システムの本質も理解出来ねぇガキが。』
「…っ……!」
リヴァイの言葉を思い出して、エレンは胸が張り裂けそうになる。
息が、出来ない。
「エレン、規律に惑わされるな。」
力強く芯のある声に、エレンはハッと我に返った。
「ライナー…。」
無骨で大きな手がエレンの頭に添えられる。
「心と身体が繋がっているからこそ厄介だが【loverssystem】は肉体の規制を目的としているだけで、心の規制はされていない。」
優しく頭を撫でてくる温かい手に、エレンの目からさらに大粒の涙が流れ落ちていく。
「真実なのか幻なのか誤魔化さずに自分の気持ちと向き合えば、自ずと答えは出てくる筈だ。」
「ライナー。エレン。」
フと気づくと、ベルトルトが中庭にいる2人の元に近づいてきた。
「ベルトルト。」
「エレン、また泣いてたんだね。」
エレンの足元に立ち、ベルトルトは両膝をついて真っ赤になったその瞳を覗き込む。
「う、まぁ、」
目を擦りもじもじとするエレンを見ながら、ベルトルトはにっこりと微笑んだ。
「どう?僕の旦那様の肩は逞しくて安心するでしょ。」
「おい、ベル…」
「うん、お前ら本当に俺の兄ちゃんみたいだ。」
「ありがとう。」
「あのなぁ…。」
ポンポンと頭を撫でてくるベルトルトの手にほっこり癒されるエレンと、何とも言えない気恥ずかしさに頭を抱えるライナー。
そんなライナーを横目で見ながらクスクスと笑い、そして、あっと思い出したかのようにベルトルトはエレンに質問を投げかける。
「そうだ、エレン。さっきアルミンが知らない先輩とどこかへ向かってたんだけど、最近仲良くなった人達?」
「!?」
一変して険しい表情を見せるエレンに対し、ライナーとベルトルトは動揺の色を隠しきれない。
「それって、ついさっきの話か?」
「うん。」
「お前、何でアルミンに声かけなかったんだ。」
「!何で怖い顔するんだよ。仕方ないだろ。通りすがりに見かけただけだし、正直先輩達に囲まれてアルミン位の背丈の子だったとしか言えないんだ。」
「どの辺にいた?」
「確か、倉庫が建ち並んだ辺りだった気がするけど…」
エレンはベルトルトの肩に手を添えると、ゆっくりと立ち上がった。
「いや、それだけで十分だ。ありがとな、ベルトルト。」
そのまま背を向け走り去るエレンを、ライナーとベルトルトは見つめ続ける。
「…よく分からないけど、加勢してと言わないところがエレンらしいよね。」
「お前、助けに行ってやれよ。」
「ライナーも何となく気づいてるんだろ?これは多分、僕らの出番じゃない。」
「まぁな。」
2人は会話をしながら立ち上がり、エレンとは反対の方向へ歩き出した。
「エレンが兵長と【契約】した事によって僕ら104期は訓練兵時代と随分変わってしまった。……ジャンとアルミンは特に。」
「昨日はジャンが突然やってきて、ずっとお前にくっついてたしな。エレンと何かあったんだろ。」
「ん?もしかして嫉妬?」
「今更やいてどうする。」
「聞いた僕が間違ってたよ…。」
期待を込めた質問はライナーの無頓着さに受け流され、ベルトルトは残念そうに肩を竦める。
「この先もずっと側にいるんだ。俺が信じられないのか?」
ごく自然に伝えられた真摯な想いは、ベルトルトの胸の内をじんわりと温めた。
「やっぱり僕は幸せだ。」
束の間の休息、何気ない日常を、愛する人と過ごせる喜び。
「残酷かもしれないけど、僕らが彼らにしてあげられる事は1つしかない。」
「エレンを戻るべき場所へ帰してやるか。」
「そうだね。」
2人は目を見合わせて小さく頷いた。
ー7ー
「シェルム!!!」
無理矢理こじ開けた扉を蹴り飛ばし、エレンは勢いよく倉庫に入る。
小窓から微かに射し込む光により、かろうじて薄暗いが内部の様子が見渡せた。
「やぁ……思ったより早かったね…。」
倉庫の奥から独特の澄んだ声が聞こえくる。
乱雑に置かれた備品に囲まれ、その真ん中で声の主は静かに椅子に座っていた。
小さな毛束をつまみくるくると指に絡めて暇を持て余すような素振りを見せるシェルム。
同じ顔とは思えないほど綺麗で、そして他を寄せ付けない威圧感があった。
「散々探させやがって……。」
「エレン……?」
「!!」
ふとシェルムの足元を見ると、正座をした状態で項垂れる少年がいた。
上半身の制服は裂かれ後ろ手に縛られ、乱れた金髪から見えるその表情にエレンの怒りは爆発する。
「てめぇ!!!アルミンを離しやが……っっうあ!!!」
殴り掛かろうと1歩踏み出した瞬間、ドア横に隠れていた仲間4人がかりで羽交い締めにされ、床に顔を打ちつけられた。
「ぐ、あっ……!!」
「エレン!?やめ、……っあう!!!」
泣きながら立ち上がろうとするアルミンを床に蹴りつけ、シェルムはクスクスと微笑い出した。
「僕はただ【フリー】同士で仲良くしようとしてるだけだよ……ねぇ?」
「い…っ!ぁあっあ……」
自分の足元に転がる頭を踏みにじると、アルミンは苦痛に顔を歪めた。
「シェルム……くそっ、離しやがれ……アルミンっっ!!!」
何度身を捩っても逃れられず、頭を抑えつけられたままエレンはアルミンの名を叫び続ける。
「おい、シェルム本当に大丈夫なのか?」
暗闇で気づかなかったが、シェルムの横にも数名仲間の兵士がいたようで、エレンの巨人化能力に対する話声が聞こえてくる。
調査兵団上層部でも未だエレンの巨人化能力は未知数かつ不確定要素が多く把握しきれていなかった。
「こいつが巨人にでもなったらどーすんだよ!」
下級になればなる程知識は薄くなり、未だエレンを他の巨人と同じ脅威の対象と捉える兵士も少なくなかった。
「巨人になるならとっくに口唇でもなんでも噛み切ってるよ……兵団内でそれが出来ない事は、本人が1番理解してるんじゃないの……。」
空気を壊されつまらなさそうに喋るシェルムに向かい、エレンは馬鹿にするように嗤った。
「ハッ…ふざけんな。何でてめぇらごときに巨人の力を使わなきゃなんねぇんだよ。」
「コイツ……!!」
見下された事に腹を立て、羽交い締めにしていた1人が立ち上がり思いっきりエレンの腹部を蹴り上げた。
「ぐぅっっ!!」
「やめ、…っシェルムさん!!」
痛みに悶絶するエレンを見るに耐えかね、アルミンはシェルムの名を叫んだ。
「続けて。」
「い、!っあ、!っぐふ!!っあ、ああっっ!!」
羽交い締めにしていた全員から蹴りつけられ、薄暗い倉庫で男4人の足と舞い散る埃でエレンの悲鳴しか聞こえなくなっていた。
「やめ、…!それ以上は…エレン!エレンッッ!!!」
「審議所で兵長に蹴られて吹っ飛んだ前歯がすぐ生えたって噂で聞いたよ…どうせすぐ直るんだから…。」
足元で泣き続けるアルミンに一瞬目を落とすが、シェルムはそのまま傍観し続けた。
「はぁ、はぁ、…っう、ゴホッ」
倉庫に来てから、どれ位時間が経ったのだろうか。
鋭い痛みが走り、身体が鈍く重い。
「アル、…ミン…無事か…?」
鉄の味がする口内は、気持ち悪くて仕方なかった。
「エレン、…エレン、…」
涙と乱れた前髪でぐしゃぐしゃになり、打開出来ないこの状況にアルミンはただ、エレンの名前を呼び続けていた。
「…くだらない…。」
周りの状況とは反対に、シェルムの纏う凛とした空気は変わらなかった。
ボロボロになったエレンを見ても尚、虚無感は消えずシェルムは苛立ちを募らせる。
アルミンと同じく後ろ手に縛らせ、エレンを目の前で跪かせた。
「…う、…」
顎を掴んで虚ろな金色の瞳に銀色の瞳が映り込む。
「ねぇ、エレン?……君の親友を返してあげる代わりに、兵長との【契約】を【解除】してよ……。」
「……っ…。」
切れた口唇の端をねぶられ、ヒリつく痛みにエレンは眉間に皺を寄せた。
「君さ、本当に目障りなんだよね……何で僕じゃなくて君が兵長の【契約者】なんだ……。」
「俺だって、…知らねぇーよ…。」
「君は望んで【契約】をしたんじゃないんだろ?」
朦朧とする意識の中で、耳元で囁くシェルムの声がさらに自分の声とシンクロしていく。
生き残る為に演じ続ける『高級男婦』の仮面は剥がれ、徐々にシェルムは本来の自分の意志と言葉で語り始める。
それはよりエレンの存在に近くなり、リヴァイを巡る2人のエレンのやり取りは周囲から異様に映って見えた。
「お前みたいないい加減な奴が兵長の隣にいる資格はないし、振り回される兵長が迷惑だって思わないのか?」
(…同じ声で、…喋るな、…。)
目の前にいるのは別人だと頭で理解はしていても、まるで自分自身に言われているような錯覚に陥っていく。
「はぁ、…何で、そこまで言われなきゃなんねぇんだよ…。」
「俺は、誰よりも兵長を愛してるって言っただろ。」
「…ハッ……」
漆黒の瞳が脳裏に浮かび、エレンは小さく息を吐く。
(愛してる、…誰が……?)
「あの人の優しさも、哀しみも、温かさも、俺なら全て受け入れられる。」
やるせない想いで紡ぐ言葉は、どちらのものか分からなくなっていた。
(…何、言ってんだ、……俺は…。)
ただ1つだけ、エレンの胸の内にある感情が芽生えてくる。
「俺にはあの人しかいない!!兵長を返せよっっ!!!」
「いい加減にしろっっ!!!」
ほぼ同時に発した叫び声にシェルムは大きく目を見開く。
一瞬の静寂が訪れ、その場を動く者は誰もいなかった。
張り上げた声が身体に痛みを走らせ、エレンは再びうずくまる。
それでも抑えられない想いは、後から後から溢れてくる。
「俺は兵長の【契約者】だ……。何にも知らないクセに勝手な事喋ってんじゃねぇ…っっ!!」
拒絶し続け、認める事が怖かった。
「おい、シェルム。ツケを払う代わりにお前に付き合ってるが、誰かが来る前にさっさと終わらせろよ。」
痺れを切らした兵士の声にシェルムは我に返る。
揺るぎのない意志の強さと入り込む余地のない繋がりに、言いようのない焦燥感に駆られていた。
「分かってる……だったらエレン、こうしよう。」
「?」
「兵長との【契約】を【解除】しなくていいし、君の親友も返してあげる……。」
シェルムは縛っていた手を解き、エレンの頬に手を添える。
「その代わり、僕のいる前で今からそいつらを相手してみせてよ。」
「なっ……」
突然の要求は、エレンだけでなく周囲ににも動揺を走らせる。
「待て待て!仮にもこいつはあのリヴァイ兵士長の【契約者】なんだぞ。」
「見つかったら、俺たちがヤバイだろ!!」
恐怖に慄く仲間をなだめるように、シェルムは目を細め薄く微笑った。
「ふふっ…安心してよ。だってエレン?君が自ら『相手をさせて下さい』ってお願いするんだ……。」
「!?」
銀色の瞳は既に冷めきっており、人形のようなシェルムの作り笑顔にエレンはぞくりと身を震わせる。
「へ、へぇ。そりゃ面白いな。」
「確かにこいつから誘ってきたなら、兵士長殿も文句言えねぇだろ。」
シェルムに煽られ、仲間の兵士達はゲームのような興奮と高揚で沸き上がり始める。
「いいアイデアでしょ?」
「俺たちも人類最強の仲間入りってか!!」
異常な盛り上がりを見せ、今までとは違う形で男達の目の前に晒されるエレン。
一見冷徹な態度だが明らかに平静を失ったシェルムに、アルミンは必死に声を張り上げる。
「それはあまりにもムチャクチャです!!発覚したら規律違反どころの騒ぎじゃ……っうあっ!!」
シェルムは立ち上がりアルミンの腕を掴むと、近くにいた兵士の1人に無造作に投げつけた。
「だったら、君がこいつらを相手すればいい……。」
「!?」
エレンが来るまでの短時間に遭った痛みと恐怖がフラッシュバックし、アルミンは顔面蒼白となる。
「やめろ!……アルミンに、それ以上手を出すな……っ!!」
「君次第だよ。」
親友を盾にされ、逃げる事も立ち向かう事も出来ずエレンは悔しさに口唇を噛みしめた。
「ダメだ、エレン……。」
自分の為に涙を流すアルミンに、胸が締めつけられる。
(俺の知らないところで、こいつはどれだけ泣いたんだろう…。)
「大丈夫だ、アルミン……俺は今度こそお前を守るって決めたんだ……。」
震える手を固く握り締め、エレンはゆっくりと立ち上がった。
「……俺は、お前らが欲しがってる人類最強の【契約者】だ。」
一斉に向けられる淫猥で好奇な眼差しに、エレンは本能的に怖気づく。
(…いや、だ…。)
システムの本質に辿り着いた時には既に遅く、後戻り出来ず後悔しか残らない。
兵士達はエレンを囲い、いくつもの手が全身に触れてくる。
「くれてやるよ…こんな身体……。」
ここに、いつも守ってくれていたあの人はいない。
『汚ねぇ身体で俺に触るな。』
ここに、欲して止まないあの人はいない。
「一緒に地獄に堕ちよう…エレン・イェーガー…。」
小窓から見える外の景色を、シェルムはぼんやりと見つめ続けた。
「お前ら全員その場から動くな。」
「!?」
入口から聞こえてきた低く静かな声に、倉庫内の空気が一変する。
「1ミリでも動いたら、その場で削ぎ落としてやる。」
逆光で浮かんだシルエットに兵士達は震え上がり、その場に立ち尽くした。
声の主はツカツカと倉庫内に入ると庫内の様子をぐるりと見渡し、目を細める。
「…これは、どういう状況だ?」
人類最強の存在に怯える兵士達は質問に答える余裕などない。
しかし、リヴァイがその事に気づく筈もなく苛立ちを募らせ近くにあった備品を蹴り飛ばした。
「さっさと答えろ。」
「ヒィイッ!!!」
蹴った箇所の異常なへこみ具合に戦慄が走り、皆騒然となる。
「兵長…なんで……?」
エ周りにいた兵士達はいつの間にか離れ、目の前にリヴァイがいる事が信じられずエレンはポカンと口を開けていた。
リヴァイはエレンに歩み寄ると、ボロボロになった身体を上から下まで眺めた後、眉間に皺を寄せた。
「テメェは俺と少し離れただけでよくこんな面倒事を起こしたな。」
「す、すみません…。」
優しい言葉を期待していた訳ではないが、案の定の不機嫌な口調にエレンは肩を小さくする。
リヴァイはさらに近くで床にへたり込むアルミンを見つけ、大きくため息をついた。
「本来【フリー】が襲われても助ける人間はいない。きちんと自覚しろ。」
「……すみません。」
アルミンの縛られた縄を解き、2人の状態を確認し終えるとリヴァイはシェルムの前に立つ。
「シェルム、こっちを向け。」
俯いていた視線がリヴァイを視界に捉えた瞬間、リヴァイはシェルムの頬を平手で打った。
「…っ…。」
「やり過ぎだ。」
いつになく語気の強いリヴァイの口調が全てを物語り、3人は言葉を失う。
「リヴァイ兵士長、こちらでよろしいでしょうか。」
程なくして、慌ただしい足音と共に見慣れない制服の兵士達が倉庫へ入ってきた。
「あぁ、面倒をかける。」
リヴァイの言葉を合図に倉庫に入ってきた兵士達はシェルムの仲間に出際よく手錠をかけていく。
「この者達を連れていけ。」
「ハッ!」
事態は一気に収束に向かっていた。
シェルムの細い手首にも手錠をかけられ、兵士に倉庫を出るよう促されるがリヴァイを見つめたまま微動だにしなかった。
「……何で、俺じゃないんだ…。」
事の成り行きを見ていたリヴァイの視線が、シェルムに向けられる。
「俺は貴方に【契約】を断られました……何でよりによって、あいつなんですか……。」
リヴァイは少しの間シェルムを見つめていたが、過去の記憶を辿りながらおもむろに口を開いた。
「あの頃は色々あって、誰かと【契約】する余裕は俺にはなかった。」
「………。」
不服そうな表情に対し、リヴァイは少し困惑しながら横目でエレンを盗み見る。
「……しいて言うなら、昔の俺によく似ているところだ。」
未だ忘れられない記憶に胸が痛んだ。
「シェルム。」
改めてリヴァイに名前を呼ばれ、シェルムの鼓動が大きく波打つ。
「俺がお前をここまで追い詰めたんだな……。」
漆黒の瞳を直視出来ず、シェルムは目を伏せ小さく首を左右に振った。
「……いいえ。自分の身を守りたかっただけです。」
『たく……盛りのついたガキどもが。余計な仕事を増やしやがって。』
『……た、助けて下さって、ありがとうございます…。』
あの日、貴方に出会わなければよかったと何度繰り返しただろうか。
【契約】を断られたあの日から心だけが置き去りで、酷く汚れてしまった事実を悔やんでも仕方がなかった。
「お前は今でも澄んだ銀色の瞳をしている。」
「……!!」
「あの頃と変わらず、綺麗なままだ。」
『シェルム……魅力、魔力の意か。』
『そうみたいですね。』
戻らない時間、欲しかったものは、
『お前の綺麗な瞳に相応しい名だな、エレンよ。』
愛する人の穏やかな微笑み。
「……失礼します。」
表情を隠すように一礼をすると、リヴァイに背を向け兵士と共に歩き出した。
シェルムが倉庫から出るのを見届けると、リヴァイはエレンとアルミンの方を振り返る。
エレンは兵士から借りた薄いブランケットをアルミンに羽織らせ、乱れた髪を整えたり服の埃を払っていた。
「エレンてば!もういいよ!」
血相を変えて必死に汚れを払おうとするエレンに対し、アルミンは戸惑いを隠しきれない。
「ダメだ!まだ汚れてる…服だって、…こんなに…。」
アルミンの両肩を掴んだその手は、小刻みに震えていた。
「ごめん…また俺は、お前を守ってやれなかった……。」
「…エレン…。」
幾重にも頬を伝うエレンの涙を、アルミンは丁寧に拭い取る。
(違う…僕がエレンの優しさにつけ込んできたんだ…。)
エレンの背中越しにリヴァイと視線がぶつかる。
全てを見透かして尚、静かに見守るように佇む姿にアルミンは目を細めた。
(…ずっと、大好きだよ…。)
アルミンは決心したように小さく頷くと、エレンの身体を強引にリヴァイの方へと向ける。
「なんだよアルミン……!へいちょ…」
再び見えたリヴァイの顔に涙が一瞬で止まり、エレンは恥ずかしさや気まずさで頭の中が真っ白になる。
「兵長が待ってるよ、ね?」
「いや、でも…。」
小声で会話をやり取りしつつ、いつまでも前に進もうとしないエレンにやきもきし、アルミンは背中から手を離してリヴァイに近づいた。
「アルミン!?」
アルミンはリヴァイを見上げ、にっこりと微笑んだ。
「兵長。エレンをよろしくお願いします。」
リヴァイに一礼をし、アルミンは近くにいた女性兵士に声をかけた。
「すみません。医務室に連れてってもらえませんか?」
「待てよ!俺も行くって…」
「エレンはある程度傷が塞がってきてるでしょ。」
どこまでも親友を優先しようとする姿に苦笑いをし、アルミンはエレンの肩に手をかけ耳元で囁いた。
「素直に甘えればいいんだよ、エレン。」
「はぁ?!」
上目遣いでいたずらっぽく笑うアルミンを見て、エレンは顔を真っ赤にする。
文句を言う前にエレンから離れたアルミンは、ひらひらと手を振り女性兵士と共に倉庫を後にした。
「…………。」
現場に残った一部の調査兵を除き、エレンはリヴァイと2人きりになる。
どうしたら良いのか分からず俯いていると、小さくついたため息と共にリヴァイがエレンの元に歩み寄ってきた。
「帰るぞ。」
変わらないその一言に、エレンの胸の奥が熱くなりぎゅっと締めつけられる。
「はい…。」
離れていたのは少しの筈なのに、随分遠回りをして帰ってきた気がした。
ー8ー
「お帰り~♪」
「………。」
救急箱を借りに扉を開けたはいいが、早くも閉めたい気分に駆られる。
「私のおかげで早く解決出来て良かったね~いやいや、お礼なんてそんな感謝してくれればいいんだよ。」
「黙れ。」
にこにこと笑顔を向けるハンジに対してそう吐き捨てると、リヴァイはズカズカと部屋に入って戸棚を開け始めた。
「何その言い方は~!警察部隊をすぐに派遣してあげたのに扱い酷くない??」
不満を訴えるハンジを無視して、リヴァイは救急箱を探し続ける。
「でも、ちょっと大袈裟だったんじゃないの?」
「以前から俺達に報告が上がる程連中は問題になっていた。今回の件は、奴らと男婦のシェルムが共犯して監視下にあり貴重な研究資料であるエレン・イェーガーとその友人への監禁暴行と捉えれば妥当だろ。」
視線は戸棚に向けたまま、リヴァイは必要に応じてハンジの質問に淡々と答えていく。
「捕まった子達って憲兵団に入れなかった金持ちの息子だっけ?家の建前で仕方なくこっちに入団、親から兵団への資金援助、最低限の訓練以外は事務処理が中心だから駐屯兵団でも問題になってるみたいだよ。」
「事務処理の前に去勢処理でもやらせとけ。」
「あははっそうかもね~。」
リヴァイは救急箱を見つけると、一言「帰る」と残してハンジの部屋を後にしようとした。
「リヴァイ、ずっとシェルムの事を気にかけてたんだね。」
ハンジの言葉に、ドアノブに手をかけたリヴァイの動きが止まる。
「つるんでた仲間の一部は、あいつをレイプしようとした奴らだ。」
「そぅ…。」
一見には変わらないが、振り返ったリヴァイの表情は曇って見えた。
「俺はずっと…ただ逃げ続けていただけだった……。」
心ここに非ず、床の一点を見つめ続ける。
癒える事のない傷を抱え、契約を【解除】したあの日からリヴァイの時間は止まったままだった。
「リヴァイは一歩ずつ前に進んでる、私は好きだよ。」
ハンジの意外な言葉と柔らかな笑顔に、リヴァイは大きく目を見開く。
「……馬鹿言え。」
悪態をついても自然と表情が綻んでいく。
その笑顔に救われてきたのも、また事実。
「ハンジ。」
リヴァイはドアに背をもたれ、救急箱を持ったまま腕を組んだ。
「シェルムはどこでエレンの話を耳にしたと思う?」
互いの視線が交錯する。
その目と言葉の意味するモノをハンジは理解した上で肩を竦める。
「さぁね。」
リヴァイが【再契約】をした時点で、皆が薄々気づいていた。
もう、避けて通る事は出来ない。
「リヴァイ。」
ハンジは椅子から立ち上がると、リヴァイに近づく。
自分より背のあるハンジを見上げ、リヴァイは無意識に眉間に皺を寄せた。
「エレン、大事にしなよ。」
エレンの名に華奢な身体が反応する。
「エレンは昔のリヴァイによく似ているね。」
覗き込んでくる眼鏡の奥の瞳は、過去を懐かしみどこか哀しみを含んでいた。
「あの人がリヴァイにしてくれたように、リヴァイもエレンを守りたかったの?」
その問いには答えず、ハンジから目線を外した漆黒の瞳は静かに伏せられる。
「もう1度、あの人と向き合う時期が来たのかもしれないね。」
「……いちいちお節介な奴だな。」
救急箱の取っ手を強く握り締め、リヴァイは小さく舌打ちをした。
ー9ー
「待たせたな」
「いえ、」
部屋の扉を閉め、小さな木箱を持ったリヴァイがベッドに座るエレンの元にやって来る。
「ハンジに救急箱を借りに行ったはいいが、馬鹿みてぇに喋り倒された」
「大変ですね…」
エレンの横に座り、リヴァイは救急箱の蓋を開けて必要な道具を取り出していく。
「顔出せ」
「!いっ…」
後頭部を掴んだ手に無理矢理引き寄せられ、首の痛みと傷の痛みにエレンは顔をしかめた。
リヴァイは慣れた手つきで消毒液に浸した綿をピンセットで摘まみ、既に治りかけてきたエレンの傷口をポンポンと消毒していく。
(…兵長……)
傷の手当の為、目線こそ合わないが互いの息がかかる程の距離にリヴァイの顔があった。
何度も見てきた筈なのに、このままずっと見ていたいと思う気持ちにエレンは気づく。
「お前は、いつもボロボロだな」
「そうですか?」
「その内の1回は俺が蹴り飛ばしたけどよ」
「は、はぁ…」
この近距離で返答に困る会話はしないで欲しい、殴られるから。
リヴァイの前では口が裂けても言えないが、先程から殴られる恐怖を上回る緊張感にエレンは戸惑っていた。
「えっと、…兵長」
「あ?」
「なんで、俺があそこにいるって分かったんですか?」
何とか自分のペースを保とうと、真っ白な頭の中から必死に言葉を捻り出した。
「あぁ、ライナー・ブラウンとベルトルト・フーバーだったか?あの2人が俺の部屋に来たんだ」
「ライナーとベルトルトが…」
2人の顔が脳裏をよぎる。
中庭で別れた後、すぐにリヴァイの元へ向かい事情を説明しに行ったのだろう。
(あいつら…マジですげぇ……)
「たかが兵士の揉め事に普段関わる暇はねぇが、お前は特別だ」
「特別……」
その言葉に、エレンの心拍数が一気に跳ね上がる。
「俺の監視下にある事を忘れるなよ、エレン」
「…すみません」
しかし、すぐ現実に引き戻されエレンはがっくりと肩を落とした。
(なんか、俺、さっきから変だよな…)
恥ずかしくて、自分らしくなくて、それでも側にいたい気持ちがくすぐったい。
「兵長、あの、」
「今度は何だ」
「助けてくれて、ありがとうございます」
何度も頭を下げるエレンに対し、リヴァイの手が止まった。
「エレン」
「え……?」
引き寄せられた身体がリヴァイの腕の中に収まる。
「お前はまだガキだ、何でもかんでも背負い込むんじゃねぇよ」
優しく髪を撫でてくる手は、こんなにも大きかっただろうか。
「もっと大人に甘えろ」
『素直に甘えればいいんだよ』
「…ぁっ……」
布越しに聞こえてくる心音の心地良さに、切なさで胸が締めつけられる。
(ヤバイ!ヤバイ!ヤバイ!俺、……!!)
リヴァイの温もりを感じて高まる鼓動に、エレンは動揺する。
(ダメだ…早く、離れなきゃ……)
否定しようとする気持ちは誤魔化しきれなくなっていた。
(…ミカサ、守らねぇと……だって、)
ミカサを盾にしているのは、自分自身。
「エレン、今日はもう寝ろ」
「は、はい!!……え?」
頭上から聞こえてきたその言葉に、エレンは胸の奥に虚無感を覚える。
「明日は早朝から実践訓練がある、休めるうちに休んどけ」
ゆっくりと離されていく身体に、触れてくる空気が冷たい。
「あ、あの、兵長」
「俺はもう少し書類に目を通している、何かあったら呼べ」
「…っ……!!」
道具を片付け、救急箱を持ってリヴァイは立ち上がろうとした。
「ま、待って下さい!!!」
「あ?」
強引に掴まれた肩、振り向き様に触れる口唇。
「…っ…はぁ、…へいちょ…」
柔らかな感触はすぐに離れ、頬を紅潮させてエレンはリヴァイを見つめる。
一瞬何が起こったのか分からず呆気に取られるリヴァイだったが、状況を理解すると珍しく声を張り上げた。
「~~~~っっ馬鹿か、てめぇは!!手負いの人間に無理強いする程、俺はゲスじゃねぇ!!」
怒鳴られた事よりも自分の想いを否定されたような気がして、エレンも珍しく応戦する。
「で、でも!初めて【契約】した日、…俺、巨人と戦うより酷い目に遭いました!!!」
「!?」
エレンに『巨人と戦うより酷い目に遭った』と言わしめる【契約】初日。
痛いところを突かれ、リヴァイはぐうの音も出なくなる。
「あ、…と、それとこれは、」
エレンから視線を外し、きまり悪そうに額に手をあてため息をつく。
エレンはその手を取り、両手で強く握りしめた。
「はい、別です……これは、俺の意思です」
「エレン……?」
「自分でも、まだ、よく分からないんですけど……」
重なる手を通して、エレンが微かに震えているのが分かる。
「でも、俺の目の前に兵長がいてくれるのが、すごく嬉しいです……」
恥ずかしそうに笑って、リヴァイの手を自らの左胸に押しあてた。
「抱いて下さい、兵長」
まだ幼さを残した少年の精一杯の想いは、左胸の心音からも伝わってくる。
「……いいのか?」
少しだけ躊躇いの表情を見せ、リヴァイは金色の瞳を覗き込む。
「は、はい、……怪我、殆ど治ってるんで」
「そういう意味じゃねぇよ」
「え?あれ?あの、迷惑じゃないんですか?」
緊張のしすぎで会話が噛み合わないエレンを見て、リヴァイは思わず吹き出しそうになる。
「な、何がおかしいんですか…」
「いいや、悪くない」
掴んでいた手が離れ、リヴァイの両手がエレンの頬を覆った。
近づくリヴァイの顔に、エレンの身体はさらに強張っていく。
「怖いか?」
「あ、す、少し、…あの…今までと、違う感じがして…」
リヴァイは目を細め、手の内にある熱い頬を優しく撫でた。
「そうか、辛くなったら言え」
「はい、…あ、…」
そっと触れてきた口唇に、エレンは瞼を閉じる。
与えられる安らぎに、緊張は解けていく。
ゆっくりとベッドに押し倒され、沈む身体にリヴァイの体重がのしかかった。
「っ……ん、んん…ちゅ……」
浅く、深く、キスを繰り返して、時折舌を絡めては互いの唾液が喉を潤していく。
「エレン…」
「…っ…へいちょ…」
髪を撫でてエレンの名を呼べば、それに応えるように首にまわした腕がギュッと抱き締めてくる。
「…ふ、…ぁ、…あん、…やっ…」
唾液が細長い糸を引いて口唇から離れる。
そのまま顎に触れ、舌が首筋や鎖骨をなぞりながら下へと降りていった。
「はぁ、はぁ、…っ…らめ、……!!」
触れられる部分が熱く、背筋を這う快感にエレンは拒絶の言葉を口にする。
それでも、無意識に揺れる腰がリヴァイを求めて脚に絡みついていた。
「エレン、…もっと気持ち良くさせてやる」
リヴァイはエレンのベルトとチャックを外すと、既に立ち上がったペニスをやんわりと握り締めた。
「ひぅ!」
敏感なそこはリヴァイの手の感触に反応し、エレンは上擦った声を上げる。
「あ、はぁ、…っ…ん、やぁ、…」
ペニスを上下に動かされる度に甘く痺れるような快感が身体中を駆け巡り、内側が熱を帯びていく。
「あ、だ、ダメ…っ……はぁ、イッちゃう……」
訪れる快感に身を捩らせ喘ぐエレンのいやらしさに、リヴァイはゾクッと身震いする。
「何度でもイかせてやるよ」
笑みを濃くし、高ぶる感情に身を任せてエレンのペニスを一気に扱き上げた。
「いっ……!ぁ、あ…あああああ!!!」
矯声をあげながら、リヴァイの手の内に精が放たれる。
脱力し、余韻に震えるエレンの身体にリヴァイは口づけを落としていった。
「相変わらずエロいな」
リヴァイは指先から垂れてきた精液をペロリと舐めると、それを潤滑油にエレンの秘部へと指を這わせる。
シャツをたくし上げて胸に舌を這わせると、人差し指と中指でエレンの秘部をゆっくりと押し拡げていった。
「…っ…!ん、ふぅ、…っ…あ…」
胸に埋まるリヴァイの髪に頬を寄せ、心の解放からくる気持ち良さにエレンは素直に反応する。
「あぅ、はぁ、…んっ…あぁ…、」
ねっとりとした生温かい舌に乳首を転がすように優しく舐められ、一度果てた筈の身体から再び快楽を引き出していった。
「…っ…へいちょお…」
リヴァイの指の動きにあわせて腰を動かし、吐息混じりの甘えた声でエレンはリヴァイにキスを求める。
「んっ……!!」
リヴァイは顔を上げてエレンの口唇を塞ぐと、その動きを遮るように内壁を激しく掻き回し始めた。
「ん、ふぅ、…!はぁ、あむ、…んううう……っっっ!!!」
息苦しさよりも増幅する快感に戸惑い、エレンはリヴァイのシャツをギュッと握り締める。
くぐもった叫び声は部屋に響き渡り、小刻みに震える身体が大きく波打つまでリヴァイの指が止まる事はなかった。
「はぁ、あぅ、…っ…兵長、…」
エレンは大きく息を吐き、とろみを帯びた瞳はぼんやりと天井を見つめていた。
リヴァイは脚を開かせ膝裏に手を差し込むと、そそり立つペニスをエレンの秘部にあてがった。
「ずっと欲しかっただろ」
その言葉と同時に、ぬるぬるとした熱い感触が内側を擦りながら侵入してくる。
「はぅっ……!あ、…はぁ、あぁ、…」
指とは比べものにならない下腹部の圧迫に、何も考えられなくなる。
リヴァイで満たされていく感覚に、エレンは少しずつ身を委ねていった。
「兵長ぉ…っ…はぁ、…好き…」
呼吸をするように、ごく自然と口にした言葉。
目の前にいるリヴァイの目が大きく見開かれ、エレンはハッと我に返った。
直前の映像が脳内でフラッシュバックし、開いた口が塞がらずエレンは顔を真っ赤にする。
「あ、…あの、違っ…すみま…」
「謝る必要はない」
リヴァイは不適に微笑み、エレンの耳元に口唇を寄せた。
「命令だ、もう1度言え」
「っ……!!」
そう何度も言える言葉ではない事を承知の上で、悪魔は囁く。
「む、無理です…っ…ぁ、あんん!!」
エレンの訴えは、突き動かされる快楽を前にして虚しく消えていく。
「早く言え、お前が辛いだけだぞ」
否定する事は許されず、イかない程度に甘く腰を打ちつけられエレンは焦らされらる苦痛に顔を歪ませた。
「はぁ、はぁ、…へいちょ…ぉ…好き…」
リヴァイの耳元で、エレンは快感に耐えながら必死に言葉を紡ぎ出す。
「聞こえねぇな」
「嘘だ…っ!!」
「命令だ」
わざとポイントを外して腰を動かしてくるリヴァイに、エレンは慌てて声を張り上げる。
「ひぁ!…っや、好き、…」
下腹部から聞こえてくる卑猥な水音と「好き」を連呼する自分自身の声に、エレンは言いようのない羞恥心を掻き立てられる。
「あぅ、ん…待っ…へいちょ、…好きぃ…はぁ、あ……っ」
その言葉に合わせてリヴァイに最奥を突かれ、今までに感じた事のない甘く切ない快楽に抗う事が出来ずエレンは喘ぎ乱れていく。
「あ、らめ、…気持ち、いい…っ…好き、…ぁ、」
「素直な奴」
リヴァイはククッと喉を鳴らし、ペニスの先端を捏ね回してエレンの最も感じる場所を激しく突いた。
「んはぁ…っ!ぁ、あ、…あああああっっっ!!!!」
焦らされた続けた身体が弓なりに仰け反り、白濁とした体液が放物線を描いて一気に放たれる。
「あはぁ…っ…!!はぁ、あぅ、…ふっ…」
四肢を投げ出し、荒い息遣いで深呼吸を繰り返すエレンをリヴァイは優しく抱き締める。
振り乱れた前髪から覗く金色の瞳には、恥ずかしさと悔しさが滲み出ていた。
「俺ばっかりでずるいです…」
ポツリと呟く寂しそうな声。
リヴァイは目を細め、意地悪く囁く。
「お前が眠る頃に教えてやるよ」
長い時間を経て繋がりを持ち始めた愛情に、これ以上嘘をつく事は出来なくなっていた。
『愛してる』
重ねた口唇に、伝えきれない想いを乗せて。
end.
「ん、はぁ、…はぁ、…」
無意識に口元に置いていた手を外され、アルミンの手と重なり合う。
「もっと、声を聞かせて…」
「ぁあ、ん……ぅ、…ぁあああっ!!」
『親友』であり心から信頼を寄せるアルミンからの純粋に向けられた愛情に、エレンは無意識に抵抗を緩めていく。
「ど、…しよ……俺、…」
エレンにとって今アルミンにされている行為に対して、「裏切られた」「許せない」という気持ちは一切なかった。
むしろ全てを曝け出しそうな自分自身に羞恥し、葛藤する。
「…っ……アルミン……!!!」
快感に身を捩らせ、エレンの知らぬ間にも下半身には熱が蓄積されていく。
布越しに硬く膨らむそれを見て、アルミンは目を細めた。
「辛い?」
「ひぁっ!」
人差し指と中指で膨らんだ部分を優しく撫でると、エレンの身体は弓なりに仰け反った。
「くぅ………!っ……らめ、…はぁ、…ぁ、やだ…。」
無意識に快感への拒絶の言葉を口にし、エレンは目尻に涙を滲ませた。
「エレン、すごく可愛い……。」
エレンの痴態を目の前にし、高ぶる感情を抑えられなくなる。
股間の膨らみを指でなぞり手の平で包み込むように転がして、互いの身体に蓄積された熱に火を灯していく。
ただ、1つの感情を除いて。
「…ふ、うぅ…くっ、あぁ、…。」
「エレン?」
フと気づくと、エレンの目から大粒の涙がとめどなく溢れ出ていた。
アルミンは我に返り、慌ててエレンの涙を指で何度も拭い取る。
「エレン!エレン、ごめんね、怖かったよね……。」
しっとりと汗で濡れた前髪を掻き上げ金色の瞳を覗き込むと、エレンは安心したようにさらに涙を零していく。
「違うんだ、…アルミンは悪くない……。」
「エレン…。」
「ただ、もう、…俺さわけ分かんねぇよ…。」
「エレン、落ち着いて。」
エレンはアルミンの腕を掴み、嗚咽混じりに必死に言葉を紡ぎ出す。
「なぁ、アルミン…兵長が、……頭から離れないんだ…。」
エレンの口から出たその名前に、予想に反してアルミンの肩の力が抜けていく。
心の奥底で否定し続けてきた事実は、エレンの涙を前にしてもう逃げ道はなかった。
「ごめん、なさ……あれ?…俺、なんで謝ってんだ……でも、あぁ、」
左胸のシャツをぎゅっと握り締め、エレンは辛そうに息を吐く。
「…胸が、苦しい…。」
誰かを想い、涙で頬を濡らすエレンをアルミンは素直に綺麗だと思った。
(ここまで、かぁ。)
幼い頃から自由に羽ばたく姿を願って大切にしてきたエレンの翼を奪い、自分を孤独へ追い詰めたリヴァイが許せなかった。
しかし、エレンを必死に繋ぎ止めようとすればするほど、その翼を奪っているのがアルミン自身だと思い知らされる。
(もう限界だ……。)
エレンも、兵長も、ジャンも、シェルムも、そして、あの人も。
(このままじゃ、誰も救われない……。)
頭が良すぎるのも困りものだな、とアルミンはつくづく感じる。
引き際がはっきりと見えてしまい、もう悪足掻きは出来そうにない。
(結局振り出しに戻っただけ……あーあ、残念。)
最初のスタート地点とは、随分変わってしまったけれど。
アルミンは小さく溜息をつくと、エレンの好きな『可愛い親友』を演じ始める。
「今日は色々あったから、珍しく気持ちが不安定になってるだけだよ。」
アルミンはにっこりと微笑んで、エレンの髪を優しく撫でた。
「アルミン…。」
「安心して。ずっと側にいるから。」
「ごめん……。」
「遠慮しないの!」
近くにあった枕をエレンに渡すと、アルミンは目線をエレンの下半身へとちらりと向けた。
「そうだ、エレン、まだ辛い?」
「え?」
「さっきのが溜まってるなら、続き、してあげるけど?」
「なっ……!!」
アルミンの小悪魔発言に振り回され、エレンは顔を真っ赤にする。
「ふふ……また今度にしよっか。」
「お前、意地が悪いぞ。」
「少しだけ、イジワルしたかったんだもん。」
アルミンは目を細め、小さな舌をペロッと出す。
「たく、お前には敵わねぇよ。」
互いの目線が合い、何となく気恥ずかしくてクスッと微笑った。
「おやすみ、エレン。」
「おやすみ、アルミン。」
程なくして、小さな寝息をたて始めたエレンをアルミンはじっと見つめる。
繋いだ手の温かさが、今もアルミンの心を揺らし続けていた。
ー6ー
「エレン、こっちだ。」
午後の日射しがやわらかく降り注ぐ兵団敷地内の中庭にて、エレンはライナーに呼び出される。
「悪いな、急に呼び出したりして。」
「暇だったから気にすんな。」
「アルミンはどうした?」
「先に部屋に戻るってさ。」
たわいもない会話のやり取りをしながら、2人は地べたに座り込む。
「で、話って何だよ。」
「あぁ。……お前、こないだのアレ、役に立ったか?」
「!?」
切り出された質問に対し、エレンの頬が一気に紅潮する。
「ま、まぁな、…。」
「そうか。」
「お、お前ら夫婦みたいには、…その、無理だったけど、…えと、」
「お前、兵長のこと本気で好きになったのか?」
(直接的すぎんだろっっ!!!)
頭がパニックになり、全身が沸騰するエレン。
しかし、実直な性格を持つライナーの真剣な眼差しに、エレンもすぐに冷静さを取り戻した。
(昨日アルミンにもそれっぽいこと言われたなぁ……。俺そんなに言葉や態度に出てるか?)
頭をクシャクシャと掻いて、躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「正直言って、よく分かんねぇ。」
足元に咲いていた小さな花を見つめながら、エレンは物憂げな表情を浮かべる。
「ライナー。お前、いつからベルトルトを好きになったんだ?」
改めて質問してきた内容に、ライナーは目を丸くした。
「そうだな。随分前から好きだったと思うが【契約】を機にその想いが確信に変わっていったところだ。……ただ、」
「ただ?」
「時々、自分の気持ちが分からなくなる……。この想いも、感情も、システムが作り上げた幻なんじゃないかって。」
握り締めた拳を額に擦りつけ、普段のライナーからは想像がつかない苦悩の表情を垣間見せる。
「幻……俺のこの気持ちもそうなのかな。」
ライナーの影響だろうか。
「俺と兵長の関係ってさ、そもそもキッカケが最悪だろ?【loverssystem】の必要性は嫌という程理解してるけど、兵長にとって俺は本能の捌け口でしかないんだ。」
溜め息混じりに吐露する感情が、次々と溢れてくる。
(あの日、)
ミカサを盾にして、【契約】に引きずり込んだ兵長を心底恨んだ。
結局、あいつらと同じなんだと。
母さんを目の前で食った巨人、ミカサを誘拐した人買い、訳分からない薬を打って行方不明になった親父、俺を人間扱いしなかった奴ら。
裏切られ、絶望に追い詰められた少年は抱えきれなくなっていた。
内側で蠢く、やり場のない憤り、ドス黒い感情。
(……あれ?)
いつの間にか消えていた。
(いや、違う。)
エレンの心拍数が徐々に上がっていく。
あの日以来、初めて自分の気持ちに向き合った気がした。
(全部、兵長のせいにしたかったんだ……俺は、)
「どうした、エレン。」
「…ぇ……」
「大丈夫か?」
無意識に頬を伝った涙を、ライナーに指摘されてエレンは気づく。
「何だろうな…本当、」
エレンは苦笑いをして、ライナーの肩に額を寄せた。
「……だだ感情を発散してるだけで、何の進歩もしてやしねぇ。」
(その方が楽だったから。)
リヴァイは始めから知っていたのではないだろうか。
全てを承知の上でエレンと【契約】をし、憎しみの対象を全て自分に向けさせていたとしたら。
シェルムの事件が本当なら【loverssystem】を逆手にとってシステムから守ってくれていた事になる。
憧れ続けた調査兵団でこれ以上傷つかないように、何も言わずに。
『システムの本質も理解出来ねぇガキが。』
「…っ……!」
リヴァイの言葉を思い出して、エレンは胸が張り裂けそうになる。
息が、出来ない。
「エレン、規律に惑わされるな。」
力強く芯のある声に、エレンはハッと我に返った。
「ライナー…。」
無骨で大きな手がエレンの頭に添えられる。
「心と身体が繋がっているからこそ厄介だが【loverssystem】は肉体の規制を目的としているだけで、心の規制はされていない。」
優しく頭を撫でてくる温かい手に、エレンの目からさらに大粒の涙が流れ落ちていく。
「真実なのか幻なのか誤魔化さずに自分の気持ちと向き合えば、自ずと答えは出てくる筈だ。」
「ライナー。エレン。」
フと気づくと、ベルトルトが中庭にいる2人の元に近づいてきた。
「ベルトルト。」
「エレン、また泣いてたんだね。」
エレンの足元に立ち、ベルトルトは両膝をついて真っ赤になったその瞳を覗き込む。
「う、まぁ、」
目を擦りもじもじとするエレンを見ながら、ベルトルトはにっこりと微笑んだ。
「どう?僕の旦那様の肩は逞しくて安心するでしょ。」
「おい、ベル…」
「うん、お前ら本当に俺の兄ちゃんみたいだ。」
「ありがとう。」
「あのなぁ…。」
ポンポンと頭を撫でてくるベルトルトの手にほっこり癒されるエレンと、何とも言えない気恥ずかしさに頭を抱えるライナー。
そんなライナーを横目で見ながらクスクスと笑い、そして、あっと思い出したかのようにベルトルトはエレンに質問を投げかける。
「そうだ、エレン。さっきアルミンが知らない先輩とどこかへ向かってたんだけど、最近仲良くなった人達?」
「!?」
一変して険しい表情を見せるエレンに対し、ライナーとベルトルトは動揺の色を隠しきれない。
「それって、ついさっきの話か?」
「うん。」
「お前、何でアルミンに声かけなかったんだ。」
「!何で怖い顔するんだよ。仕方ないだろ。通りすがりに見かけただけだし、正直先輩達に囲まれてアルミン位の背丈の子だったとしか言えないんだ。」
「どの辺にいた?」
「確か、倉庫が建ち並んだ辺りだった気がするけど…」
エレンはベルトルトの肩に手を添えると、ゆっくりと立ち上がった。
「いや、それだけで十分だ。ありがとな、ベルトルト。」
そのまま背を向け走り去るエレンを、ライナーとベルトルトは見つめ続ける。
「…よく分からないけど、加勢してと言わないところがエレンらしいよね。」
「お前、助けに行ってやれよ。」
「ライナーも何となく気づいてるんだろ?これは多分、僕らの出番じゃない。」
「まぁな。」
2人は会話をしながら立ち上がり、エレンとは反対の方向へ歩き出した。
「エレンが兵長と【契約】した事によって僕ら104期は訓練兵時代と随分変わってしまった。……ジャンとアルミンは特に。」
「昨日はジャンが突然やってきて、ずっとお前にくっついてたしな。エレンと何かあったんだろ。」
「ん?もしかして嫉妬?」
「今更やいてどうする。」
「聞いた僕が間違ってたよ…。」
期待を込めた質問はライナーの無頓着さに受け流され、ベルトルトは残念そうに肩を竦める。
「この先もずっと側にいるんだ。俺が信じられないのか?」
ごく自然に伝えられた真摯な想いは、ベルトルトの胸の内をじんわりと温めた。
「やっぱり僕は幸せだ。」
束の間の休息、何気ない日常を、愛する人と過ごせる喜び。
「残酷かもしれないけど、僕らが彼らにしてあげられる事は1つしかない。」
「エレンを戻るべき場所へ帰してやるか。」
「そうだね。」
2人は目を見合わせて小さく頷いた。
ー7ー
「シェルム!!!」
無理矢理こじ開けた扉を蹴り飛ばし、エレンは勢いよく倉庫に入る。
小窓から微かに射し込む光により、かろうじて薄暗いが内部の様子が見渡せた。
「やぁ……思ったより早かったね…。」
倉庫の奥から独特の澄んだ声が聞こえくる。
乱雑に置かれた備品に囲まれ、その真ん中で声の主は静かに椅子に座っていた。
小さな毛束をつまみくるくると指に絡めて暇を持て余すような素振りを見せるシェルム。
同じ顔とは思えないほど綺麗で、そして他を寄せ付けない威圧感があった。
「散々探させやがって……。」
「エレン……?」
「!!」
ふとシェルムの足元を見ると、正座をした状態で項垂れる少年がいた。
上半身の制服は裂かれ後ろ手に縛られ、乱れた金髪から見えるその表情にエレンの怒りは爆発する。
「てめぇ!!!アルミンを離しやが……っっうあ!!!」
殴り掛かろうと1歩踏み出した瞬間、ドア横に隠れていた仲間4人がかりで羽交い締めにされ、床に顔を打ちつけられた。
「ぐ、あっ……!!」
「エレン!?やめ、……っあう!!!」
泣きながら立ち上がろうとするアルミンを床に蹴りつけ、シェルムはクスクスと微笑い出した。
「僕はただ【フリー】同士で仲良くしようとしてるだけだよ……ねぇ?」
「い…っ!ぁあっあ……」
自分の足元に転がる頭を踏みにじると、アルミンは苦痛に顔を歪めた。
「シェルム……くそっ、離しやがれ……アルミンっっ!!!」
何度身を捩っても逃れられず、頭を抑えつけられたままエレンはアルミンの名を叫び続ける。
「おい、シェルム本当に大丈夫なのか?」
暗闇で気づかなかったが、シェルムの横にも数名仲間の兵士がいたようで、エレンの巨人化能力に対する話声が聞こえてくる。
調査兵団上層部でも未だエレンの巨人化能力は未知数かつ不確定要素が多く把握しきれていなかった。
「こいつが巨人にでもなったらどーすんだよ!」
下級になればなる程知識は薄くなり、未だエレンを他の巨人と同じ脅威の対象と捉える兵士も少なくなかった。
「巨人になるならとっくに口唇でもなんでも噛み切ってるよ……兵団内でそれが出来ない事は、本人が1番理解してるんじゃないの……。」
空気を壊されつまらなさそうに喋るシェルムに向かい、エレンは馬鹿にするように嗤った。
「ハッ…ふざけんな。何でてめぇらごときに巨人の力を使わなきゃなんねぇんだよ。」
「コイツ……!!」
見下された事に腹を立て、羽交い締めにしていた1人が立ち上がり思いっきりエレンの腹部を蹴り上げた。
「ぐぅっっ!!」
「やめ、…っシェルムさん!!」
痛みに悶絶するエレンを見るに耐えかね、アルミンはシェルムの名を叫んだ。
「続けて。」
「い、!っあ、!っぐふ!!っあ、ああっっ!!」
羽交い締めにしていた全員から蹴りつけられ、薄暗い倉庫で男4人の足と舞い散る埃でエレンの悲鳴しか聞こえなくなっていた。
「やめ、…!それ以上は…エレン!エレンッッ!!!」
「審議所で兵長に蹴られて吹っ飛んだ前歯がすぐ生えたって噂で聞いたよ…どうせすぐ直るんだから…。」
足元で泣き続けるアルミンに一瞬目を落とすが、シェルムはそのまま傍観し続けた。
「はぁ、はぁ、…っう、ゴホッ」
倉庫に来てから、どれ位時間が経ったのだろうか。
鋭い痛みが走り、身体が鈍く重い。
「アル、…ミン…無事か…?」
鉄の味がする口内は、気持ち悪くて仕方なかった。
「エレン、…エレン、…」
涙と乱れた前髪でぐしゃぐしゃになり、打開出来ないこの状況にアルミンはただ、エレンの名前を呼び続けていた。
「…くだらない…。」
周りの状況とは反対に、シェルムの纏う凛とした空気は変わらなかった。
ボロボロになったエレンを見ても尚、虚無感は消えずシェルムは苛立ちを募らせる。
アルミンと同じく後ろ手に縛らせ、エレンを目の前で跪かせた。
「…う、…」
顎を掴んで虚ろな金色の瞳に銀色の瞳が映り込む。
「ねぇ、エレン?……君の親友を返してあげる代わりに、兵長との【契約】を【解除】してよ……。」
「……っ…。」
切れた口唇の端をねぶられ、ヒリつく痛みにエレンは眉間に皺を寄せた。
「君さ、本当に目障りなんだよね……何で僕じゃなくて君が兵長の【契約者】なんだ……。」
「俺だって、…知らねぇーよ…。」
「君は望んで【契約】をしたんじゃないんだろ?」
朦朧とする意識の中で、耳元で囁くシェルムの声がさらに自分の声とシンクロしていく。
生き残る為に演じ続ける『高級男婦』の仮面は剥がれ、徐々にシェルムは本来の自分の意志と言葉で語り始める。
それはよりエレンの存在に近くなり、リヴァイを巡る2人のエレンのやり取りは周囲から異様に映って見えた。
「お前みたいないい加減な奴が兵長の隣にいる資格はないし、振り回される兵長が迷惑だって思わないのか?」
(…同じ声で、…喋るな、…。)
目の前にいるのは別人だと頭で理解はしていても、まるで自分自身に言われているような錯覚に陥っていく。
「はぁ、…何で、そこまで言われなきゃなんねぇんだよ…。」
「俺は、誰よりも兵長を愛してるって言っただろ。」
「…ハッ……」
漆黒の瞳が脳裏に浮かび、エレンは小さく息を吐く。
(愛してる、…誰が……?)
「あの人の優しさも、哀しみも、温かさも、俺なら全て受け入れられる。」
やるせない想いで紡ぐ言葉は、どちらのものか分からなくなっていた。
(…何、言ってんだ、……俺は…。)
ただ1つだけ、エレンの胸の内にある感情が芽生えてくる。
「俺にはあの人しかいない!!兵長を返せよっっ!!!」
「いい加減にしろっっ!!!」
ほぼ同時に発した叫び声にシェルムは大きく目を見開く。
一瞬の静寂が訪れ、その場を動く者は誰もいなかった。
張り上げた声が身体に痛みを走らせ、エレンは再びうずくまる。
それでも抑えられない想いは、後から後から溢れてくる。
「俺は兵長の【契約者】だ……。何にも知らないクセに勝手な事喋ってんじゃねぇ…っっ!!」
拒絶し続け、認める事が怖かった。
「おい、シェルム。ツケを払う代わりにお前に付き合ってるが、誰かが来る前にさっさと終わらせろよ。」
痺れを切らした兵士の声にシェルムは我に返る。
揺るぎのない意志の強さと入り込む余地のない繋がりに、言いようのない焦燥感に駆られていた。
「分かってる……だったらエレン、こうしよう。」
「?」
「兵長との【契約】を【解除】しなくていいし、君の親友も返してあげる……。」
シェルムは縛っていた手を解き、エレンの頬に手を添える。
「その代わり、僕のいる前で今からそいつらを相手してみせてよ。」
「なっ……」
突然の要求は、エレンだけでなく周囲ににも動揺を走らせる。
「待て待て!仮にもこいつはあのリヴァイ兵士長の【契約者】なんだぞ。」
「見つかったら、俺たちがヤバイだろ!!」
恐怖に慄く仲間をなだめるように、シェルムは目を細め薄く微笑った。
「ふふっ…安心してよ。だってエレン?君が自ら『相手をさせて下さい』ってお願いするんだ……。」
「!?」
銀色の瞳は既に冷めきっており、人形のようなシェルムの作り笑顔にエレンはぞくりと身を震わせる。
「へ、へぇ。そりゃ面白いな。」
「確かにこいつから誘ってきたなら、兵士長殿も文句言えねぇだろ。」
シェルムに煽られ、仲間の兵士達はゲームのような興奮と高揚で沸き上がり始める。
「いいアイデアでしょ?」
「俺たちも人類最強の仲間入りってか!!」
異常な盛り上がりを見せ、今までとは違う形で男達の目の前に晒されるエレン。
一見冷徹な態度だが明らかに平静を失ったシェルムに、アルミンは必死に声を張り上げる。
「それはあまりにもムチャクチャです!!発覚したら規律違反どころの騒ぎじゃ……っうあっ!!」
シェルムは立ち上がりアルミンの腕を掴むと、近くにいた兵士の1人に無造作に投げつけた。
「だったら、君がこいつらを相手すればいい……。」
「!?」
エレンが来るまでの短時間に遭った痛みと恐怖がフラッシュバックし、アルミンは顔面蒼白となる。
「やめろ!……アルミンに、それ以上手を出すな……っ!!」
「君次第だよ。」
親友を盾にされ、逃げる事も立ち向かう事も出来ずエレンは悔しさに口唇を噛みしめた。
「ダメだ、エレン……。」
自分の為に涙を流すアルミンに、胸が締めつけられる。
(俺の知らないところで、こいつはどれだけ泣いたんだろう…。)
「大丈夫だ、アルミン……俺は今度こそお前を守るって決めたんだ……。」
震える手を固く握り締め、エレンはゆっくりと立ち上がった。
「……俺は、お前らが欲しがってる人類最強の【契約者】だ。」
一斉に向けられる淫猥で好奇な眼差しに、エレンは本能的に怖気づく。
(…いや、だ…。)
システムの本質に辿り着いた時には既に遅く、後戻り出来ず後悔しか残らない。
兵士達はエレンを囲い、いくつもの手が全身に触れてくる。
「くれてやるよ…こんな身体……。」
ここに、いつも守ってくれていたあの人はいない。
『汚ねぇ身体で俺に触るな。』
ここに、欲して止まないあの人はいない。
「一緒に地獄に堕ちよう…エレン・イェーガー…。」
小窓から見える外の景色を、シェルムはぼんやりと見つめ続けた。
「お前ら全員その場から動くな。」
「!?」
入口から聞こえてきた低く静かな声に、倉庫内の空気が一変する。
「1ミリでも動いたら、その場で削ぎ落としてやる。」
逆光で浮かんだシルエットに兵士達は震え上がり、その場に立ち尽くした。
声の主はツカツカと倉庫内に入ると庫内の様子をぐるりと見渡し、目を細める。
「…これは、どういう状況だ?」
人類最強の存在に怯える兵士達は質問に答える余裕などない。
しかし、リヴァイがその事に気づく筈もなく苛立ちを募らせ近くにあった備品を蹴り飛ばした。
「さっさと答えろ。」
「ヒィイッ!!!」
蹴った箇所の異常なへこみ具合に戦慄が走り、皆騒然となる。
「兵長…なんで……?」
エ周りにいた兵士達はいつの間にか離れ、目の前にリヴァイがいる事が信じられずエレンはポカンと口を開けていた。
リヴァイはエレンに歩み寄ると、ボロボロになった身体を上から下まで眺めた後、眉間に皺を寄せた。
「テメェは俺と少し離れただけでよくこんな面倒事を起こしたな。」
「す、すみません…。」
優しい言葉を期待していた訳ではないが、案の定の不機嫌な口調にエレンは肩を小さくする。
リヴァイはさらに近くで床にへたり込むアルミンを見つけ、大きくため息をついた。
「本来【フリー】が襲われても助ける人間はいない。きちんと自覚しろ。」
「……すみません。」
アルミンの縛られた縄を解き、2人の状態を確認し終えるとリヴァイはシェルムの前に立つ。
「シェルム、こっちを向け。」
俯いていた視線がリヴァイを視界に捉えた瞬間、リヴァイはシェルムの頬を平手で打った。
「…っ…。」
「やり過ぎだ。」
いつになく語気の強いリヴァイの口調が全てを物語り、3人は言葉を失う。
「リヴァイ兵士長、こちらでよろしいでしょうか。」
程なくして、慌ただしい足音と共に見慣れない制服の兵士達が倉庫へ入ってきた。
「あぁ、面倒をかける。」
リヴァイの言葉を合図に倉庫に入ってきた兵士達はシェルムの仲間に出際よく手錠をかけていく。
「この者達を連れていけ。」
「ハッ!」
事態は一気に収束に向かっていた。
シェルムの細い手首にも手錠をかけられ、兵士に倉庫を出るよう促されるがリヴァイを見つめたまま微動だにしなかった。
「……何で、俺じゃないんだ…。」
事の成り行きを見ていたリヴァイの視線が、シェルムに向けられる。
「俺は貴方に【契約】を断られました……何でよりによって、あいつなんですか……。」
リヴァイは少しの間シェルムを見つめていたが、過去の記憶を辿りながらおもむろに口を開いた。
「あの頃は色々あって、誰かと【契約】する余裕は俺にはなかった。」
「………。」
不服そうな表情に対し、リヴァイは少し困惑しながら横目でエレンを盗み見る。
「……しいて言うなら、昔の俺によく似ているところだ。」
未だ忘れられない記憶に胸が痛んだ。
「シェルム。」
改めてリヴァイに名前を呼ばれ、シェルムの鼓動が大きく波打つ。
「俺がお前をここまで追い詰めたんだな……。」
漆黒の瞳を直視出来ず、シェルムは目を伏せ小さく首を左右に振った。
「……いいえ。自分の身を守りたかっただけです。」
『たく……盛りのついたガキどもが。余計な仕事を増やしやがって。』
『……た、助けて下さって、ありがとうございます…。』
あの日、貴方に出会わなければよかったと何度繰り返しただろうか。
【契約】を断られたあの日から心だけが置き去りで、酷く汚れてしまった事実を悔やんでも仕方がなかった。
「お前は今でも澄んだ銀色の瞳をしている。」
「……!!」
「あの頃と変わらず、綺麗なままだ。」
『シェルム……魅力、魔力の意か。』
『そうみたいですね。』
戻らない時間、欲しかったものは、
『お前の綺麗な瞳に相応しい名だな、エレンよ。』
愛する人の穏やかな微笑み。
「……失礼します。」
表情を隠すように一礼をすると、リヴァイに背を向け兵士と共に歩き出した。
シェルムが倉庫から出るのを見届けると、リヴァイはエレンとアルミンの方を振り返る。
エレンは兵士から借りた薄いブランケットをアルミンに羽織らせ、乱れた髪を整えたり服の埃を払っていた。
「エレンてば!もういいよ!」
血相を変えて必死に汚れを払おうとするエレンに対し、アルミンは戸惑いを隠しきれない。
「ダメだ!まだ汚れてる…服だって、…こんなに…。」
アルミンの両肩を掴んだその手は、小刻みに震えていた。
「ごめん…また俺は、お前を守ってやれなかった……。」
「…エレン…。」
幾重にも頬を伝うエレンの涙を、アルミンは丁寧に拭い取る。
(違う…僕がエレンの優しさにつけ込んできたんだ…。)
エレンの背中越しにリヴァイと視線がぶつかる。
全てを見透かして尚、静かに見守るように佇む姿にアルミンは目を細めた。
(…ずっと、大好きだよ…。)
アルミンは決心したように小さく頷くと、エレンの身体を強引にリヴァイの方へと向ける。
「なんだよアルミン……!へいちょ…」
再び見えたリヴァイの顔に涙が一瞬で止まり、エレンは恥ずかしさや気まずさで頭の中が真っ白になる。
「兵長が待ってるよ、ね?」
「いや、でも…。」
小声で会話をやり取りしつつ、いつまでも前に進もうとしないエレンにやきもきし、アルミンは背中から手を離してリヴァイに近づいた。
「アルミン!?」
アルミンはリヴァイを見上げ、にっこりと微笑んだ。
「兵長。エレンをよろしくお願いします。」
リヴァイに一礼をし、アルミンは近くにいた女性兵士に声をかけた。
「すみません。医務室に連れてってもらえませんか?」
「待てよ!俺も行くって…」
「エレンはある程度傷が塞がってきてるでしょ。」
どこまでも親友を優先しようとする姿に苦笑いをし、アルミンはエレンの肩に手をかけ耳元で囁いた。
「素直に甘えればいいんだよ、エレン。」
「はぁ?!」
上目遣いでいたずらっぽく笑うアルミンを見て、エレンは顔を真っ赤にする。
文句を言う前にエレンから離れたアルミンは、ひらひらと手を振り女性兵士と共に倉庫を後にした。
「…………。」
現場に残った一部の調査兵を除き、エレンはリヴァイと2人きりになる。
どうしたら良いのか分からず俯いていると、小さくついたため息と共にリヴァイがエレンの元に歩み寄ってきた。
「帰るぞ。」
変わらないその一言に、エレンの胸の奥が熱くなりぎゅっと締めつけられる。
「はい…。」
離れていたのは少しの筈なのに、随分遠回りをして帰ってきた気がした。
ー8ー
「お帰り~♪」
「………。」
救急箱を借りに扉を開けたはいいが、早くも閉めたい気分に駆られる。
「私のおかげで早く解決出来て良かったね~いやいや、お礼なんてそんな感謝してくれればいいんだよ。」
「黙れ。」
にこにこと笑顔を向けるハンジに対してそう吐き捨てると、リヴァイはズカズカと部屋に入って戸棚を開け始めた。
「何その言い方は~!警察部隊をすぐに派遣してあげたのに扱い酷くない??」
不満を訴えるハンジを無視して、リヴァイは救急箱を探し続ける。
「でも、ちょっと大袈裟だったんじゃないの?」
「以前から俺達に報告が上がる程連中は問題になっていた。今回の件は、奴らと男婦のシェルムが共犯して監視下にあり貴重な研究資料であるエレン・イェーガーとその友人への監禁暴行と捉えれば妥当だろ。」
視線は戸棚に向けたまま、リヴァイは必要に応じてハンジの質問に淡々と答えていく。
「捕まった子達って憲兵団に入れなかった金持ちの息子だっけ?家の建前で仕方なくこっちに入団、親から兵団への資金援助、最低限の訓練以外は事務処理が中心だから駐屯兵団でも問題になってるみたいだよ。」
「事務処理の前に去勢処理でもやらせとけ。」
「あははっそうかもね~。」
リヴァイは救急箱を見つけると、一言「帰る」と残してハンジの部屋を後にしようとした。
「リヴァイ、ずっとシェルムの事を気にかけてたんだね。」
ハンジの言葉に、ドアノブに手をかけたリヴァイの動きが止まる。
「つるんでた仲間の一部は、あいつをレイプしようとした奴らだ。」
「そぅ…。」
一見には変わらないが、振り返ったリヴァイの表情は曇って見えた。
「俺はずっと…ただ逃げ続けていただけだった……。」
心ここに非ず、床の一点を見つめ続ける。
癒える事のない傷を抱え、契約を【解除】したあの日からリヴァイの時間は止まったままだった。
「リヴァイは一歩ずつ前に進んでる、私は好きだよ。」
ハンジの意外な言葉と柔らかな笑顔に、リヴァイは大きく目を見開く。
「……馬鹿言え。」
悪態をついても自然と表情が綻んでいく。
その笑顔に救われてきたのも、また事実。
「ハンジ。」
リヴァイはドアに背をもたれ、救急箱を持ったまま腕を組んだ。
「シェルムはどこでエレンの話を耳にしたと思う?」
互いの視線が交錯する。
その目と言葉の意味するモノをハンジは理解した上で肩を竦める。
「さぁね。」
リヴァイが【再契約】をした時点で、皆が薄々気づいていた。
もう、避けて通る事は出来ない。
「リヴァイ。」
ハンジは椅子から立ち上がると、リヴァイに近づく。
自分より背のあるハンジを見上げ、リヴァイは無意識に眉間に皺を寄せた。
「エレン、大事にしなよ。」
エレンの名に華奢な身体が反応する。
「エレンは昔のリヴァイによく似ているね。」
覗き込んでくる眼鏡の奥の瞳は、過去を懐かしみどこか哀しみを含んでいた。
「あの人がリヴァイにしてくれたように、リヴァイもエレンを守りたかったの?」
その問いには答えず、ハンジから目線を外した漆黒の瞳は静かに伏せられる。
「もう1度、あの人と向き合う時期が来たのかもしれないね。」
「……いちいちお節介な奴だな。」
救急箱の取っ手を強く握り締め、リヴァイは小さく舌打ちをした。
ー9ー
「待たせたな」
「いえ、」
部屋の扉を閉め、小さな木箱を持ったリヴァイがベッドに座るエレンの元にやって来る。
「ハンジに救急箱を借りに行ったはいいが、馬鹿みてぇに喋り倒された」
「大変ですね…」
エレンの横に座り、リヴァイは救急箱の蓋を開けて必要な道具を取り出していく。
「顔出せ」
「!いっ…」
後頭部を掴んだ手に無理矢理引き寄せられ、首の痛みと傷の痛みにエレンは顔をしかめた。
リヴァイは慣れた手つきで消毒液に浸した綿をピンセットで摘まみ、既に治りかけてきたエレンの傷口をポンポンと消毒していく。
(…兵長……)
傷の手当の為、目線こそ合わないが互いの息がかかる程の距離にリヴァイの顔があった。
何度も見てきた筈なのに、このままずっと見ていたいと思う気持ちにエレンは気づく。
「お前は、いつもボロボロだな」
「そうですか?」
「その内の1回は俺が蹴り飛ばしたけどよ」
「は、はぁ…」
この近距離で返答に困る会話はしないで欲しい、殴られるから。
リヴァイの前では口が裂けても言えないが、先程から殴られる恐怖を上回る緊張感にエレンは戸惑っていた。
「えっと、…兵長」
「あ?」
「なんで、俺があそこにいるって分かったんですか?」
何とか自分のペースを保とうと、真っ白な頭の中から必死に言葉を捻り出した。
「あぁ、ライナー・ブラウンとベルトルト・フーバーだったか?あの2人が俺の部屋に来たんだ」
「ライナーとベルトルトが…」
2人の顔が脳裏をよぎる。
中庭で別れた後、すぐにリヴァイの元へ向かい事情を説明しに行ったのだろう。
(あいつら…マジですげぇ……)
「たかが兵士の揉め事に普段関わる暇はねぇが、お前は特別だ」
「特別……」
その言葉に、エレンの心拍数が一気に跳ね上がる。
「俺の監視下にある事を忘れるなよ、エレン」
「…すみません」
しかし、すぐ現実に引き戻されエレンはがっくりと肩を落とした。
(なんか、俺、さっきから変だよな…)
恥ずかしくて、自分らしくなくて、それでも側にいたい気持ちがくすぐったい。
「兵長、あの、」
「今度は何だ」
「助けてくれて、ありがとうございます」
何度も頭を下げるエレンに対し、リヴァイの手が止まった。
「エレン」
「え……?」
引き寄せられた身体がリヴァイの腕の中に収まる。
「お前はまだガキだ、何でもかんでも背負い込むんじゃねぇよ」
優しく髪を撫でてくる手は、こんなにも大きかっただろうか。
「もっと大人に甘えろ」
『素直に甘えればいいんだよ』
「…ぁっ……」
布越しに聞こえてくる心音の心地良さに、切なさで胸が締めつけられる。
(ヤバイ!ヤバイ!ヤバイ!俺、……!!)
リヴァイの温もりを感じて高まる鼓動に、エレンは動揺する。
(ダメだ…早く、離れなきゃ……)
否定しようとする気持ちは誤魔化しきれなくなっていた。
(…ミカサ、守らねぇと……だって、)
ミカサを盾にしているのは、自分自身。
「エレン、今日はもう寝ろ」
「は、はい!!……え?」
頭上から聞こえてきたその言葉に、エレンは胸の奥に虚無感を覚える。
「明日は早朝から実践訓練がある、休めるうちに休んどけ」
ゆっくりと離されていく身体に、触れてくる空気が冷たい。
「あ、あの、兵長」
「俺はもう少し書類に目を通している、何かあったら呼べ」
「…っ……!!」
道具を片付け、救急箱を持ってリヴァイは立ち上がろうとした。
「ま、待って下さい!!!」
「あ?」
強引に掴まれた肩、振り向き様に触れる口唇。
「…っ…はぁ、…へいちょ…」
柔らかな感触はすぐに離れ、頬を紅潮させてエレンはリヴァイを見つめる。
一瞬何が起こったのか分からず呆気に取られるリヴァイだったが、状況を理解すると珍しく声を張り上げた。
「~~~~っっ馬鹿か、てめぇは!!手負いの人間に無理強いする程、俺はゲスじゃねぇ!!」
怒鳴られた事よりも自分の想いを否定されたような気がして、エレンも珍しく応戦する。
「で、でも!初めて【契約】した日、…俺、巨人と戦うより酷い目に遭いました!!!」
「!?」
エレンに『巨人と戦うより酷い目に遭った』と言わしめる【契約】初日。
痛いところを突かれ、リヴァイはぐうの音も出なくなる。
「あ、…と、それとこれは、」
エレンから視線を外し、きまり悪そうに額に手をあてため息をつく。
エレンはその手を取り、両手で強く握りしめた。
「はい、別です……これは、俺の意思です」
「エレン……?」
「自分でも、まだ、よく分からないんですけど……」
重なる手を通して、エレンが微かに震えているのが分かる。
「でも、俺の目の前に兵長がいてくれるのが、すごく嬉しいです……」
恥ずかしそうに笑って、リヴァイの手を自らの左胸に押しあてた。
「抱いて下さい、兵長」
まだ幼さを残した少年の精一杯の想いは、左胸の心音からも伝わってくる。
「……いいのか?」
少しだけ躊躇いの表情を見せ、リヴァイは金色の瞳を覗き込む。
「は、はい、……怪我、殆ど治ってるんで」
「そういう意味じゃねぇよ」
「え?あれ?あの、迷惑じゃないんですか?」
緊張のしすぎで会話が噛み合わないエレンを見て、リヴァイは思わず吹き出しそうになる。
「な、何がおかしいんですか…」
「いいや、悪くない」
掴んでいた手が離れ、リヴァイの両手がエレンの頬を覆った。
近づくリヴァイの顔に、エレンの身体はさらに強張っていく。
「怖いか?」
「あ、す、少し、…あの…今までと、違う感じがして…」
リヴァイは目を細め、手の内にある熱い頬を優しく撫でた。
「そうか、辛くなったら言え」
「はい、…あ、…」
そっと触れてきた口唇に、エレンは瞼を閉じる。
与えられる安らぎに、緊張は解けていく。
ゆっくりとベッドに押し倒され、沈む身体にリヴァイの体重がのしかかった。
「っ……ん、んん…ちゅ……」
浅く、深く、キスを繰り返して、時折舌を絡めては互いの唾液が喉を潤していく。
「エレン…」
「…っ…へいちょ…」
髪を撫でてエレンの名を呼べば、それに応えるように首にまわした腕がギュッと抱き締めてくる。
「…ふ、…ぁ、…あん、…やっ…」
唾液が細長い糸を引いて口唇から離れる。
そのまま顎に触れ、舌が首筋や鎖骨をなぞりながら下へと降りていった。
「はぁ、はぁ、…っ…らめ、……!!」
触れられる部分が熱く、背筋を這う快感にエレンは拒絶の言葉を口にする。
それでも、無意識に揺れる腰がリヴァイを求めて脚に絡みついていた。
「エレン、…もっと気持ち良くさせてやる」
リヴァイはエレンのベルトとチャックを外すと、既に立ち上がったペニスをやんわりと握り締めた。
「ひぅ!」
敏感なそこはリヴァイの手の感触に反応し、エレンは上擦った声を上げる。
「あ、はぁ、…っ…ん、やぁ、…」
ペニスを上下に動かされる度に甘く痺れるような快感が身体中を駆け巡り、内側が熱を帯びていく。
「あ、だ、ダメ…っ……はぁ、イッちゃう……」
訪れる快感に身を捩らせ喘ぐエレンのいやらしさに、リヴァイはゾクッと身震いする。
「何度でもイかせてやるよ」
笑みを濃くし、高ぶる感情に身を任せてエレンのペニスを一気に扱き上げた。
「いっ……!ぁ、あ…あああああ!!!」
矯声をあげながら、リヴァイの手の内に精が放たれる。
脱力し、余韻に震えるエレンの身体にリヴァイは口づけを落としていった。
「相変わらずエロいな」
リヴァイは指先から垂れてきた精液をペロリと舐めると、それを潤滑油にエレンの秘部へと指を這わせる。
シャツをたくし上げて胸に舌を這わせると、人差し指と中指でエレンの秘部をゆっくりと押し拡げていった。
「…っ…!ん、ふぅ、…っ…あ…」
胸に埋まるリヴァイの髪に頬を寄せ、心の解放からくる気持ち良さにエレンは素直に反応する。
「あぅ、はぁ、…んっ…あぁ…、」
ねっとりとした生温かい舌に乳首を転がすように優しく舐められ、一度果てた筈の身体から再び快楽を引き出していった。
「…っ…へいちょお…」
リヴァイの指の動きにあわせて腰を動かし、吐息混じりの甘えた声でエレンはリヴァイにキスを求める。
「んっ……!!」
リヴァイは顔を上げてエレンの口唇を塞ぐと、その動きを遮るように内壁を激しく掻き回し始めた。
「ん、ふぅ、…!はぁ、あむ、…んううう……っっっ!!!」
息苦しさよりも増幅する快感に戸惑い、エレンはリヴァイのシャツをギュッと握り締める。
くぐもった叫び声は部屋に響き渡り、小刻みに震える身体が大きく波打つまでリヴァイの指が止まる事はなかった。
「はぁ、あぅ、…っ…兵長、…」
エレンは大きく息を吐き、とろみを帯びた瞳はぼんやりと天井を見つめていた。
リヴァイは脚を開かせ膝裏に手を差し込むと、そそり立つペニスをエレンの秘部にあてがった。
「ずっと欲しかっただろ」
その言葉と同時に、ぬるぬるとした熱い感触が内側を擦りながら侵入してくる。
「はぅっ……!あ、…はぁ、あぁ、…」
指とは比べものにならない下腹部の圧迫に、何も考えられなくなる。
リヴァイで満たされていく感覚に、エレンは少しずつ身を委ねていった。
「兵長ぉ…っ…はぁ、…好き…」
呼吸をするように、ごく自然と口にした言葉。
目の前にいるリヴァイの目が大きく見開かれ、エレンはハッと我に返った。
直前の映像が脳内でフラッシュバックし、開いた口が塞がらずエレンは顔を真っ赤にする。
「あ、…あの、違っ…すみま…」
「謝る必要はない」
リヴァイは不適に微笑み、エレンの耳元に口唇を寄せた。
「命令だ、もう1度言え」
「っ……!!」
そう何度も言える言葉ではない事を承知の上で、悪魔は囁く。
「む、無理です…っ…ぁ、あんん!!」
エレンの訴えは、突き動かされる快楽を前にして虚しく消えていく。
「早く言え、お前が辛いだけだぞ」
否定する事は許されず、イかない程度に甘く腰を打ちつけられエレンは焦らされらる苦痛に顔を歪ませた。
「はぁ、はぁ、…へいちょ…ぉ…好き…」
リヴァイの耳元で、エレンは快感に耐えながら必死に言葉を紡ぎ出す。
「聞こえねぇな」
「嘘だ…っ!!」
「命令だ」
わざとポイントを外して腰を動かしてくるリヴァイに、エレンは慌てて声を張り上げる。
「ひぁ!…っや、好き、…」
下腹部から聞こえてくる卑猥な水音と「好き」を連呼する自分自身の声に、エレンは言いようのない羞恥心を掻き立てられる。
「あぅ、ん…待っ…へいちょ、…好きぃ…はぁ、あ……っ」
その言葉に合わせてリヴァイに最奥を突かれ、今までに感じた事のない甘く切ない快楽に抗う事が出来ずエレンは喘ぎ乱れていく。
「あ、らめ、…気持ち、いい…っ…好き、…ぁ、」
「素直な奴」
リヴァイはククッと喉を鳴らし、ペニスの先端を捏ね回してエレンの最も感じる場所を激しく突いた。
「んはぁ…っ!ぁ、あ、…あああああっっっ!!!!」
焦らされた続けた身体が弓なりに仰け反り、白濁とした体液が放物線を描いて一気に放たれる。
「あはぁ…っ…!!はぁ、あぅ、…ふっ…」
四肢を投げ出し、荒い息遣いで深呼吸を繰り返すエレンをリヴァイは優しく抱き締める。
振り乱れた前髪から覗く金色の瞳には、恥ずかしさと悔しさが滲み出ていた。
「俺ばっかりでずるいです…」
ポツリと呟く寂しそうな声。
リヴァイは目を細め、意地悪く囁く。
「お前が眠る頃に教えてやるよ」
長い時間を経て繋がりを持ち始めた愛情に、これ以上嘘をつく事は出来なくなっていた。
『愛してる』
重ねた口唇に、伝えきれない想いを乗せて。
end.
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