えんだんのおはなし
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今日は朝からうまくいかないことが多かった。
靴下が左右違うところから始まり、畑に行けば段差に躓き、村に行けば家を間違え、台所では味付けを失敗する始末。結局もやもやしたまま、1日が終わろうとしている。
自室で布団に入っても漠然とした不安が詩音を襲う。はっきりとした理由は思いつかない。ただ何かに寄りかかりたいような、捕まえてほしいような不安定さを抱えていた。
眠れないまま時間ばかりが経っていくことに焦りが生まれたところで、少しお水でも飲んでこようと詩音はゆっくり起き上がった。
カタン、と小さく音がする。
陽太郎はふと目を開け、気配を探る。
時々、夜更けに詩音が部屋を抜け出して縁側で物思いにふけっていることを知ってから、陽太郎は詩音が完全に眠ったと確信が持てるまではなんとなく眠りが浅い。
まだ春には少し早い。こんな季節に、こんな夜中に縁側にいれば風邪を引いてしまう。怪モノ憑きが治ったとはいえ、心配なことに変わりはない。
詩音が夜中にこっそりと一人の世界に篭もるような時は特に、同じ部屋で眠れたらどれだけいいかと考えてしまう。
そう遠くない未来には夫婦の寝室で眠る日々がやってくる。だが、そうではない。その時、彼女の傍に居たいのだ。
小さく音がしてから様子をうかがっていると、どうやら台所へ向かったようだった。今日の詩音は何か様子がおかしかったから眠れずに水でも飲みに行ったのかもしれないと当たりをつけて、無事に部屋に戻るのを待つ。
布団の中で詩音の足音を逃さないよう聞いているとだんだん部屋に近づいてきたことがわかった。詩音の部屋はこの隣だ。これなら部屋にちゃんと帰ってきそうだ。
その時、すぐ近くでスッと襖が開く音がした。
陽太郎は驚いて少し顔を上げる。そこには詩音が立っていた。後ろ手で襖を閉めそのまま薄暗い陽太郎の部屋へ入ってくる。
「詩音さん?どうしたんですか?」
声が上ずっていたかもしれない。上半身を起こして問いかける。こんな時間に詩音が部屋に来ることは滅多に無い。ましてや無言で来ることなど。
「…陽太郎。」
いつもよりほわりとした詩音の声に陽太郎は聞き覚えがあった。
「詩音さん、もしかしてお酒、飲みました?」
「…うん。なんだか眠れなくてちょっとだけ飲もうと思ったんだけど…飲み過ぎちゃったみたい…」
詩音は、そのままふわふわとした足取りで陽太郎の傍に膝をつく。
「…そしたらね、陽太郎にどうしても会いたくなったの。」
そう言って、そのまま祈るような仕草で陽太郎に乞い願った。
「少しだけでいいから…一緒にいてもいい?」
あんなことを言われて断れる人間がこの世にいるのか。否。これは詩音さんが甘えてきてくれたからで自分にはやましい気持ちなど一切ないんだ、大丈夫、人助け人助け、と誰にでもなく頭の中で思い切り、しかも必死に言い訳をしながら陽太郎はどうぞ、と自分の布団の中に詩音を招き入れた。
あったかい、と嬉しそうにいう詩音に、陽太郎の理性は、村長としでかしたイタズラが村長の奥さんに発覚した時のような凄まじい緊張感に押しつぶされそうになっている。
ただ、詩音がわざわざこんな時間にやってきた理由を推測すると、そうと悟られないよう陽太郎はなるべくいつもどおりにしてあげたいと思うのだ。だから向かい合ってはいるものの、二人の間には少し隙間をあけてある。それ程効力がないとわかっていても。
「詩音さん、今日は調子が良くなさそうでしたね、色々と。何かありましたか?」
いつもどおり、とは思いつつかなりの近距離であること、それから夜中であることもあって囁くように話してしまう。静かな部屋で、静かに話す、それだけなのに今は何もかもが陽太郎の平常心を奪っていく魔物にしかならなかった。
「…ん、なんとなく調子が悪かっただけ。だけど大丈夫。今から調子良くなるから。」
陽太郎には皆目検討もつかなかったが、詩音には何か作戦があるようだ。
「そうですか。おれに何かできることはありますか?」
「あるよ。このまま、じっとしていて。」
そう言うやいなや、詩音はそっと陽太郎の首元に触れる。
驚く陽太郎をよそに、滑らせた指は鎖骨にたどり着く。そのままひやりとした指先で優しく鎖骨を撫でられ、陽太郎はゾクリと身体を震わせた。
「え、っと詩音さん…?」
「なぁに?」
薄暗いなかでもわかるくらい頬を上気させて、潤んだ瞳を陽太郎へ向けている詩音は、鎖骨においた指を肩へずらし更に奥、手のひらが浴衣の中を通って背中に届くくらいまで入れ、自然な動作で陽太郎の浴衣を絡めながらその手を腕へと動かす。
そして詩音の手が陽太郎の肘のあたりまでゆったりと降りてきた頃には、陽太郎の左肩はすっかり露わにされていた。
「詩音さん…!」
ここまで来てやっと我に返った陽太郎が詩音を宥めようとしたものの、じっとしていてと言われている以上どこまで止めればいいのか測りかねていた。とはいえ本当のところは止めてほしくないという気持ちもあったのかもしれない。結局詩音の名前を呼ぶだけに留まってしまっている。
「陽太郎は、真面目に畑仕事を頑張ってる、素敵な身体をしているね。」
ほら、と陽太郎の浴衣をはだけさせた詩音の右手は今度はその働き者の胸部に置かれている。そこには陽太郎の心臓があって、それは今にも体内から飛び出さんばかりの勢いで拍動を刻んでいる。
詩音は陽太郎の心音を獲り尽すかのように、手のひら全部を使って胸を撫でる。ゆっくり、ゆっくり、衣服のなくなった左胸を撫でていく。
「ちょ、ちょっと待って…」
陽太郎が追い詰められた声をだす。
今は夜更けだ。明かりは消え、部屋は薄闇が支配している。
視界が利かない分、余計に他の五感が研ぎ澄まされてしまう。
「この腕も、いつも私や虎を守ってくれるね。」
陽太郎の静止と言えない静止を完全に聞かず、うっとりした瞳で鍛えられた上腕に触れスルスルと上腕から前腕にかけて撫でさすっていく。
どんどん感覚が鋭くなってくるのか、詩音の手が動くたびに、陽太郎は小さく溢れそうになる声を押し殺す必要があった。それもいつまで耐えられるか正直わからないところまで来ている。
悦びとも苦悶ともとれる陽太郎の表情に、詩音は少し満足げに問いかける。
「…ね、次はどこに触っていい?」
「ど、どこって…」
詩音は別に返事が欲しかったわけではないから上腕から脇の方へと指を這わせていく。
羽のように軽い触れ方なのに、まるで蜂蜜のようなとろみを持った指先に、脇の下から腰にかけての直線的な稜線を撫でられて、陽太郎は浅い呼吸を繰り返すしかなかった。
「詩音さん、あの、もう、そのへんで」
「じゃあ陽太郎も私に触れて。それならおあいこ。…いいでしょ?」
「ぜんぜんよくない…」
どうせこの人を誰にも渡すつもりはないのだから、美味しく頂いてしまっても良いのではないかと喚く己の欲と戦う陽太郎の理性は、もうかなり劣勢のようだった。
「…じゃあこれなら、いい?」
なぞる動作を不意に止め、代わりに陽太郎の胸にぴったりとくっついて、詩音は陽太郎の胸と腕の間から後ろ側に手をまわし、その広い背中を撫でる。
羽のような手つきはそのまま続けられていて、陽太郎は背中に意識を持って行かれてしまった。
その隙に詩音はその胸に唇を寄せる。ちゅ、とほんの小さな軽い音が二人だけの部屋に響いた。
「困らせるつもりはないんだけど、今日はどうしても一緒にいてほしくて…」
と、ぽそりと言われて、思わず詩音を撫でてやりたくなって陽太郎はやっと自分の意志で体を動かせることに気が付いた。
「…あなたを部屋へ追い返すようなことはしません。大丈夫。このままここで寝てください。」
陽太郎は先程まで詩音が愛おしそうに触れていた左手で、そっと詩音の目を覆う。
温かい手と、陽太郎にくっついている安心感のお陰か、詩音から安らかな寝息が聞こえてくるのに時間はかからなかった。
結局一睡もできない事を察した陽太郎は、明け方の縁側でひとり遠くを見ていた。目を開けて何かを見ていないと脳裏に浮かんできてしまうのだ、昨夜の感触や声や体温が。刺すような冬の空気が自分を保たせてくれている。本当に今が冬でよかった。
いつもよりずっと早めに配達用や朝ごはん用の料理を作り始めてみたものの気を抜けばすぐに詩音の可愛くも艶めかしい視線や仕草を思い出してしまう。それだけ刺激的だったのだ。
「おはよう、陽太郎」
陽が登って詩音が縁側にやってきた。今日は靴下も左右揃っているようだ。
「おはよう、詩音さん」
声も上ずることなくいつもどおりに接することができている。陽太郎は自分を褒めたくなった。
「なんか…お布団取っちゃっててごめんね。昨日陽太郎の部屋に行ったまでは覚えてるんだけど…」
詩音は縁側に座りながらサラリと衝撃の事実を告げた。
「実はあんまり覚えてなくて。酔うと忘れるってほんとなんだね。」
少し照れたように詩音が告白する。
なんということだ、覚えてないなんて。あんなにすり寄ってきたのに。陽太郎の心と、主に理性を揺さぶってきたのに。
忘れたという詩音と反対に、全く忘れられなさそうな陽太郎は、昨晩の詩音を思い出す。あの真っ直ぐな瞳と、薄暗い中でさえわかる林檎のような頬、それから自分に触れる冷たい指先…それを覚えていないなんて
と、そこまで考えてふとあることに気付く。
「詩音さん、本当は酔っていませんでしたよね?」
「え!」
ふわふわになるほどに飲んだというのなら何故その指先は冷たかったのか。記憶を無くすほどに飲んだというのなら何故その瞳は真っ直ぐに自分をみていたのか。
陽太郎にカマをかけられて、詩音はあっさりと暴露してしまった。
「理由なんて作らなくても、おれを頼ってくれていいのに。」
「だ、だって」
バツが悪そうに詩音は視線を逸らす。
その仕草すら愛おしく想う陽太郎は詩音の頭を撫でる。
酔ったふりをしてまで陽太郎に甘えたい何かがあったことだけは確かなのだ。可愛い嘘が露呈したことで、こんなふうに頼ることはできない、なんて萎縮してほしくない。
「詩音さんが昨日のことを本当は忘れていないってわかって良かったです。」
詩音の前髪を掬い露わになった額に、昨日のお返しと言わんばかりに軽く口付ける。
「ね、詩音さん。今夜も夜更ししましょうか。」
昨晩のようにやられっぱなしにはしない、と密かに心に決めて陽太郎は笑う。
「それじゃ、配達に行ってきます。」
陽太郎は澄み切った冬の空に負けない清々しい笑顔で村へと向かって行った。
完璧な、酔っぱらい作戦を気付かれないと信じて疑わなかった、全身をゆでダコのように真っ赤にして震える詩音を残して。
靴下が左右違うところから始まり、畑に行けば段差に躓き、村に行けば家を間違え、台所では味付けを失敗する始末。結局もやもやしたまま、1日が終わろうとしている。
自室で布団に入っても漠然とした不安が詩音を襲う。はっきりとした理由は思いつかない。ただ何かに寄りかかりたいような、捕まえてほしいような不安定さを抱えていた。
眠れないまま時間ばかりが経っていくことに焦りが生まれたところで、少しお水でも飲んでこようと詩音はゆっくり起き上がった。
カタン、と小さく音がする。
陽太郎はふと目を開け、気配を探る。
時々、夜更けに詩音が部屋を抜け出して縁側で物思いにふけっていることを知ってから、陽太郎は詩音が完全に眠ったと確信が持てるまではなんとなく眠りが浅い。
まだ春には少し早い。こんな季節に、こんな夜中に縁側にいれば風邪を引いてしまう。怪モノ憑きが治ったとはいえ、心配なことに変わりはない。
詩音が夜中にこっそりと一人の世界に篭もるような時は特に、同じ部屋で眠れたらどれだけいいかと考えてしまう。
そう遠くない未来には夫婦の寝室で眠る日々がやってくる。だが、そうではない。その時、彼女の傍に居たいのだ。
小さく音がしてから様子をうかがっていると、どうやら台所へ向かったようだった。今日の詩音は何か様子がおかしかったから眠れずに水でも飲みに行ったのかもしれないと当たりをつけて、無事に部屋に戻るのを待つ。
布団の中で詩音の足音を逃さないよう聞いているとだんだん部屋に近づいてきたことがわかった。詩音の部屋はこの隣だ。これなら部屋にちゃんと帰ってきそうだ。
その時、すぐ近くでスッと襖が開く音がした。
陽太郎は驚いて少し顔を上げる。そこには詩音が立っていた。後ろ手で襖を閉めそのまま薄暗い陽太郎の部屋へ入ってくる。
「詩音さん?どうしたんですか?」
声が上ずっていたかもしれない。上半身を起こして問いかける。こんな時間に詩音が部屋に来ることは滅多に無い。ましてや無言で来ることなど。
「…陽太郎。」
いつもよりほわりとした詩音の声に陽太郎は聞き覚えがあった。
「詩音さん、もしかしてお酒、飲みました?」
「…うん。なんだか眠れなくてちょっとだけ飲もうと思ったんだけど…飲み過ぎちゃったみたい…」
詩音は、そのままふわふわとした足取りで陽太郎の傍に膝をつく。
「…そしたらね、陽太郎にどうしても会いたくなったの。」
そう言って、そのまま祈るような仕草で陽太郎に乞い願った。
「少しだけでいいから…一緒にいてもいい?」
あんなことを言われて断れる人間がこの世にいるのか。否。これは詩音さんが甘えてきてくれたからで自分にはやましい気持ちなど一切ないんだ、大丈夫、人助け人助け、と誰にでもなく頭の中で思い切り、しかも必死に言い訳をしながら陽太郎はどうぞ、と自分の布団の中に詩音を招き入れた。
あったかい、と嬉しそうにいう詩音に、陽太郎の理性は、村長としでかしたイタズラが村長の奥さんに発覚した時のような凄まじい緊張感に押しつぶされそうになっている。
ただ、詩音がわざわざこんな時間にやってきた理由を推測すると、そうと悟られないよう陽太郎はなるべくいつもどおりにしてあげたいと思うのだ。だから向かい合ってはいるものの、二人の間には少し隙間をあけてある。それ程効力がないとわかっていても。
「詩音さん、今日は調子が良くなさそうでしたね、色々と。何かありましたか?」
いつもどおり、とは思いつつかなりの近距離であること、それから夜中であることもあって囁くように話してしまう。静かな部屋で、静かに話す、それだけなのに今は何もかもが陽太郎の平常心を奪っていく魔物にしかならなかった。
「…ん、なんとなく調子が悪かっただけ。だけど大丈夫。今から調子良くなるから。」
陽太郎には皆目検討もつかなかったが、詩音には何か作戦があるようだ。
「そうですか。おれに何かできることはありますか?」
「あるよ。このまま、じっとしていて。」
そう言うやいなや、詩音はそっと陽太郎の首元に触れる。
驚く陽太郎をよそに、滑らせた指は鎖骨にたどり着く。そのままひやりとした指先で優しく鎖骨を撫でられ、陽太郎はゾクリと身体を震わせた。
「え、っと詩音さん…?」
「なぁに?」
薄暗いなかでもわかるくらい頬を上気させて、潤んだ瞳を陽太郎へ向けている詩音は、鎖骨においた指を肩へずらし更に奥、手のひらが浴衣の中を通って背中に届くくらいまで入れ、自然な動作で陽太郎の浴衣を絡めながらその手を腕へと動かす。
そして詩音の手が陽太郎の肘のあたりまでゆったりと降りてきた頃には、陽太郎の左肩はすっかり露わにされていた。
「詩音さん…!」
ここまで来てやっと我に返った陽太郎が詩音を宥めようとしたものの、じっとしていてと言われている以上どこまで止めればいいのか測りかねていた。とはいえ本当のところは止めてほしくないという気持ちもあったのかもしれない。結局詩音の名前を呼ぶだけに留まってしまっている。
「陽太郎は、真面目に畑仕事を頑張ってる、素敵な身体をしているね。」
ほら、と陽太郎の浴衣をはだけさせた詩音の右手は今度はその働き者の胸部に置かれている。そこには陽太郎の心臓があって、それは今にも体内から飛び出さんばかりの勢いで拍動を刻んでいる。
詩音は陽太郎の心音を獲り尽すかのように、手のひら全部を使って胸を撫でる。ゆっくり、ゆっくり、衣服のなくなった左胸を撫でていく。
「ちょ、ちょっと待って…」
陽太郎が追い詰められた声をだす。
今は夜更けだ。明かりは消え、部屋は薄闇が支配している。
視界が利かない分、余計に他の五感が研ぎ澄まされてしまう。
「この腕も、いつも私や虎を守ってくれるね。」
陽太郎の静止と言えない静止を完全に聞かず、うっとりした瞳で鍛えられた上腕に触れスルスルと上腕から前腕にかけて撫でさすっていく。
どんどん感覚が鋭くなってくるのか、詩音の手が動くたびに、陽太郎は小さく溢れそうになる声を押し殺す必要があった。それもいつまで耐えられるか正直わからないところまで来ている。
悦びとも苦悶ともとれる陽太郎の表情に、詩音は少し満足げに問いかける。
「…ね、次はどこに触っていい?」
「ど、どこって…」
詩音は別に返事が欲しかったわけではないから上腕から脇の方へと指を這わせていく。
羽のように軽い触れ方なのに、まるで蜂蜜のようなとろみを持った指先に、脇の下から腰にかけての直線的な稜線を撫でられて、陽太郎は浅い呼吸を繰り返すしかなかった。
「詩音さん、あの、もう、そのへんで」
「じゃあ陽太郎も私に触れて。それならおあいこ。…いいでしょ?」
「ぜんぜんよくない…」
どうせこの人を誰にも渡すつもりはないのだから、美味しく頂いてしまっても良いのではないかと喚く己の欲と戦う陽太郎の理性は、もうかなり劣勢のようだった。
「…じゃあこれなら、いい?」
なぞる動作を不意に止め、代わりに陽太郎の胸にぴったりとくっついて、詩音は陽太郎の胸と腕の間から後ろ側に手をまわし、その広い背中を撫でる。
羽のような手つきはそのまま続けられていて、陽太郎は背中に意識を持って行かれてしまった。
その隙に詩音はその胸に唇を寄せる。ちゅ、とほんの小さな軽い音が二人だけの部屋に響いた。
「困らせるつもりはないんだけど、今日はどうしても一緒にいてほしくて…」
と、ぽそりと言われて、思わず詩音を撫でてやりたくなって陽太郎はやっと自分の意志で体を動かせることに気が付いた。
「…あなたを部屋へ追い返すようなことはしません。大丈夫。このままここで寝てください。」
陽太郎は先程まで詩音が愛おしそうに触れていた左手で、そっと詩音の目を覆う。
温かい手と、陽太郎にくっついている安心感のお陰か、詩音から安らかな寝息が聞こえてくるのに時間はかからなかった。
結局一睡もできない事を察した陽太郎は、明け方の縁側でひとり遠くを見ていた。目を開けて何かを見ていないと脳裏に浮かんできてしまうのだ、昨夜の感触や声や体温が。刺すような冬の空気が自分を保たせてくれている。本当に今が冬でよかった。
いつもよりずっと早めに配達用や朝ごはん用の料理を作り始めてみたものの気を抜けばすぐに詩音の可愛くも艶めかしい視線や仕草を思い出してしまう。それだけ刺激的だったのだ。
「おはよう、陽太郎」
陽が登って詩音が縁側にやってきた。今日は靴下も左右揃っているようだ。
「おはよう、詩音さん」
声も上ずることなくいつもどおりに接することができている。陽太郎は自分を褒めたくなった。
「なんか…お布団取っちゃっててごめんね。昨日陽太郎の部屋に行ったまでは覚えてるんだけど…」
詩音は縁側に座りながらサラリと衝撃の事実を告げた。
「実はあんまり覚えてなくて。酔うと忘れるってほんとなんだね。」
少し照れたように詩音が告白する。
なんということだ、覚えてないなんて。あんなにすり寄ってきたのに。陽太郎の心と、主に理性を揺さぶってきたのに。
忘れたという詩音と反対に、全く忘れられなさそうな陽太郎は、昨晩の詩音を思い出す。あの真っ直ぐな瞳と、薄暗い中でさえわかる林檎のような頬、それから自分に触れる冷たい指先…それを覚えていないなんて
と、そこまで考えてふとあることに気付く。
「詩音さん、本当は酔っていませんでしたよね?」
「え!」
ふわふわになるほどに飲んだというのなら何故その指先は冷たかったのか。記憶を無くすほどに飲んだというのなら何故その瞳は真っ直ぐに自分をみていたのか。
陽太郎にカマをかけられて、詩音はあっさりと暴露してしまった。
「理由なんて作らなくても、おれを頼ってくれていいのに。」
「だ、だって」
バツが悪そうに詩音は視線を逸らす。
その仕草すら愛おしく想う陽太郎は詩音の頭を撫でる。
酔ったふりをしてまで陽太郎に甘えたい何かがあったことだけは確かなのだ。可愛い嘘が露呈したことで、こんなふうに頼ることはできない、なんて萎縮してほしくない。
「詩音さんが昨日のことを本当は忘れていないってわかって良かったです。」
詩音の前髪を掬い露わになった額に、昨日のお返しと言わんばかりに軽く口付ける。
「ね、詩音さん。今夜も夜更ししましょうか。」
昨晩のようにやられっぱなしにはしない、と密かに心に決めて陽太郎は笑う。
「それじゃ、配達に行ってきます。」
陽太郎は澄み切った冬の空に負けない清々しい笑顔で村へと向かって行った。
完璧な、酔っぱらい作戦を気付かれないと信じて疑わなかった、全身をゆでダコのように真っ赤にして震える詩音を残して。