岩男腐向け短編まとめ

 彼に出会ってから、ずっとほんの少しだけ、自分は完全でない。


十二回目も会いにゆく


 まざまざと見せつけられる。完璧な蹴り足と加速するバックスクラッチ。空気抵抗に負けることのないキャメル。ブレない回転、のびやかな背筋、つま先。体勢移動が少しせっかちで粗雑、なのにそれすら勢いづいて、だれひとり彼から目が離せなかった。柔らかな関節が無茶をも助け、軸だけは崩さない。
 回る、回る、回って、止まる! ピタリとT字ストップが決まる。目が回りやすいだなんて本人の申告が嘘みたいだ。努力の中で培った技術が静止までを華やかに飾る。

「絶好調だね」

 ベンチ横の階段を通って氷上へと降り立つ。ツンドラは賞賛の拍手を贈った。
 気がついたらしいタップが丸い目を更に丸くさせる。舞台の真ん中からツンドラのいる端まで、二本の綺麗な線をするりと描いて近づいてくる。

「遅かったじゃん。もう帰っちゃおうかと思ったぜ」
「ごめん、バスが渋滞に捕まったみたいで……」
「そんなことだろーと予想してたけどさ」
「けれど間に合ってよかった。きみのいないニューイヤーなんて寂しすぎるもの」
「実家に帰ってジェド・マロース(雪の老爺)でも待ってりゃいいのに」
「あの家はぼくには暖かすぎるんだ」

 退屈嫌いな橙の御御足がタタンと氷を叩いてステップを刻む。もう待ちきれないとツンドラを誘い込む。
 嗚呼、地上を歩くのと大差なく軽快にリズムを紡ぐのだ。あまりに簡単にこなしてみせるから誰にでもできそうだと思わせるのだけれど、当然そんなはずはなく。彼がよくやる挑発だった。半端者がノせられればあっという間に自滅する大穴……。
 そんなの面白くないわけがない。

 応えるようにこちらも足をならす。ふたり同時に脚が前へ出た。
 互いの位置を常に確認しながらの並走は基本。拍子にならい助走をつける。バック・スリーターン。インサイドからアウトサイドへ支点移動、失速せず重心を変える。

 彼に合わせて動くつもりだった……のに、気が付けばツンドラの動きを見て、タップが正確にシャドウイングしはじめる。彼特有の粗野は見事隠され、ツンドラ好みの艶然へと早変わる。
 こちらが『リーダー』に仕立て上げられていた。奇妙に保たれるユニゾン。

(即興にしては出来過ぎだ)

 自分たちは本当に何ヶ月も会っていなかったのだろうか。
 だって時折いたずらで入れ込んだバレエステップ(お嬢様から教わったものだ)さえ瞬時に模倣されてしまう。錯覚するは共鳴。濁りのない驚愕と歓喜にただ震える。

「ねえ……やっぱり大会に出る気はないの? きみとだったら、ぼくはどこへでも行ける気がするんだ。きみもそう思ってはくれないかい?」

 足を止めぬまま問いかけた。
 彼のアイオライトの瞳が不自然に揺らいで逸れる。

「ミリョクテキなお誘いをどーも。でも前も言った通り、おれって一応悪のロボットなワケ。お遊びはともかく公の場には出らんねぇの」

 いつも通りに断られる。本当にスッパリ断るんだから。
 会うたびに言って、言うたびにこう振られる。すっかりふたりのノルマのようなものだった。それでツンドラはいつも通り、まだまだ粘る。無理にでも視線を合わせるべく周りだす。

「クイックマンだっけ? 彼もワイリーナンバーズだろう? この間テレビで見かけたよ。カーレースに出場していたそうじゃないか」
「うーん……セカンドはまた事情が違うっつうか……。そもそもクイック先輩は鬼ほど強いかんな。大抵自己責任ってことでなんとかできる」
「ああ、元から戦闘用なんだっけ」
「そ。しかもあの人の兄弟もおんなじ感じでさ! 『何かあったらおれたちがカチこめば済む』っていう傲慢さで成り立ってるっつーか。それに比べたらなあ。ウチはみんながみんなに過保護っての? 許してもらえねえって」

 タップは拗ねて唇をちょいと尖らせた。幼い子供の仕草が、どうしたってツンドラよりも歳上の男だということを忘れさせてしまう。
 して、なるほど、サードナンバーズの安全保障は元工業用の性か(試験用より、ややあって現場作業に流れたタップからはあまり感じられない側面だ)。あるいはDr.ライトの血なのか……。

 けれど彼はすぐ何か思い当たったらしく、再び唇を開いた。

「あ、いや、ひとり応援してくれそうなやつはいる」
「本当?」
「まあそいつウチで二番目の物騒野郎だけど」
「ええっ……」
「『もしタップ殿に危害を加える不埒な輩がいれば拙者がメッてするから』って」
「結構かわいい言い方するんだ」

 タップは苦笑した。それから両手の人差し指同士を交差して手裏剣のバツをつくり、そのまま首を掻っ切るようにキッとジェスチャーしてみせた。

「『メッ』ってするらしいぜ」
「全然かわいくなかった」

 気が遠くなっちゃった。さすが現役戦闘用ロボットの集いである。ダメのメではなく散滅の滅ッってわけだ。
 というかいま二番目って言わなかった? それ以上がいるってこと? 追及するのはやめた。聞き間違いかもしれない。そういうことで……。

 気をとりなおして手を伸ばす。指先の光を差し出す。どうか、どうかと懇願する。こちらの必死を知ってか知らずか、タップはなんの躊躇いなく手を取った。

「つーか、なんでそんなにおれにこだわるんだよ。お前ほどの実力がありゃ引く手数多だろ」
「きみ以上なんていない」
「嘘すぎるだろそれは。絶対もっと凄いヤツいるって」
「……アイスダンスのパートナーは、姉弟(兄妹)か恋人同士が多いんだ。人間もロボットも関係なく。何故だと思う?」
「そりゃあ生活を共にしてる相手なら息も合うだろ」
「それもあるけれど、」

 距離を縮めてタップの脇腹へと触れる。優しく方向を誘導すれば、タップは容易く意図を汲む。向かい合わせ、中央に針を打ったように軸をとる。規則的に氷を削っていく爽快感、ペアスピン。

「そうじゃないと嫉妬が起こるからだよ。恋人が競技中に異性と触れあう……こういったふうに。他者へ特別な眼差しを向ける。“カップル”と呼ばれているのが聞こえてくる。下手をすれば、本物の恋人よりもバディと一緒にいる時間の方が長くなる。競技の外にいる立場であれば尚更、割り切っていても辛いだろうね」
「結局耐えきれずに破局したりして」
「よく聞く話だ」
「かなし〜じゃん」
「うん。だから、万が一にも好きな人にそんな悲しい想いをさせたくはないでしょう?」

 彼の脇腹から腰へと手のひらでなぞった。
 途端、背を反らそうと必死になる彼の恥じる頬。紫の双眸がうろうろと彷徨うのがいじらしくて、逃してやれない。

「え、なに、今おれ告白とかされてる感じ?」
「そのつもりだったのだけれど」
「マジかァ……」
「マジだよ」
「考え直したほうがいいと思う」
「きみ以上なんかいない」
「対人経験の浅い箱入り坊ちゃんが何言ってんの」

 失礼な揶揄はあからさまな話題逸らしだ。そうやってなじって茶化せば、ツンドラが怒って見放してくれると思っているのだ。そんなんじゃ諦められないと知ってもらわなくっちゃあいけないのに!
 腰に回した手でつよく引き寄せて身体を密着させた。接する装甲越しの胸板、縮まる目線。

「あのねタップ」
「うん」
「ぼくは、いままで一度も、何かを諦めたことはないよ」
「うん?」
「自分を改造してでもステージに立ったし、拐われてプログラムを弄られても夢を忘れたりしなかった」
「つ、ツンドラ」
「きみに十回振られても、十一回目の誘いに来たよ。粘り強いほうだと思うだろう」
「はいを選択しないと話進まないタイプのNPCかよ」

 「その十一回目もさっき断っちゃったんですケド……」と気不味くなるタップに、ツンドラは毒気を抜かれて声を出して笑ってしまった。確かにそうだ。
 それでもうれしかった。タップがこの提案を魅力的だと言ってくれたことも。恋愛感情を向けられたと知って尚、本当は断りたくないんだというポーズをやめなかったことも。いそがしい年末の真夜中、百等分ケーキくらいの逢瀬のためだけにこうして待っていてくれたことも(そも、彼はこの時期、稼ぎのためイポーニャへ行かなくてはならないのだ! ツンドラの事情を汲んでどうにか合間を縫ってくれた)。これを幸福と形容せずになんとする?

「もしおれがいいえって言い続けたらさぁ」

 彼が片足でブレーキをかけた。段々速度を落としていく回転。まつ毛も触れそうになって、タップはひとつ瞬く。

「何度でも会いに行くとも」
「百回断られるかもしれないのに」
「百一回目があるじゃないか」
「だったら百一回目もいいえにする。永遠におれを迎えに来てくれるんだったら、そっちのがいいじゃんね」

──ピタリとストップが決まった。

「……、タッ」
「疲れちゃった」

 不意に、とん、と身体を軽く押される。反動でタップの体も後ろへ滑る。
 呆気に取られては離れた手、だんだんひらく距離が切なくて、けれども彼は気ままな猫のように笑っていたものだから……どうしよう? なんて手強いの。

 差し出した光はタペタムで跳ね返る。きゃらりと誂えの綻びを見せつけられる。愛嬌を創るのがお上手で困る。
 覗いても覗ききれない心のうちは、彼が築き上げた記憶の要塞だった。半端者がちょっかいをかければあっという間に自滅する昏い大穴。何度でも試される。

「今日はおしまいっ。飯食いにいこーぜ。遅刻したからお前の奢り!」

 握っていたはずの主導権は霧散して跡形もなくなった。決まってこうなのだ、なんたってクールなだけではいられない。つい数秒前まで絶対に逃しはしまいと冷ややかに追い詰めたはずが、結局揺らいで曖昧になる。乱されたペースさえ心地よく、彼に出会ってから、ずっとほんの少しだけ、自分は完全でなかった。

「……お店まだあいてるかな」
「どうだろ。お前好みの洒落たバーはムリかも」
「前に行った居酒屋だって嫌いじゃないよ。きみは大笑いしたけれど……」
「だぁって似合わねんだもん」


百二回目も会いにゆく
8/9ページ