岩男腐向け短編まとめ
一富士二鷹三茄子ってあるだろう。初夢に出てくると縁起がいいやつである。由来は様々だが、一説によればあれは茄子の価値をうたったのだそうだ。国で一番高いのが富士、二番は愛鷹、それに次ぐのが初物の茄子の値段だと。
ではうちで一番縁起がよろしいのは誰だろう? 衛生基地管理のスターか、擬似宇宙を飛び回るアストロか、はたまた。
「シャドーまだ帰ってないの?」
帰宅一番に兄弟たちから告げられ、マグネットは確認するように聞き返した。
「そー。通信にも出ねえし、位置情報はあいつデフォで切っちまってるし」
「遠出するような任務は入ってなかったんだって。ここしばらく自由行動していたはずなんだけど……」
「サーチスネークの探知網にも引っかかんねーしよ」
「どっか影に潜ってんのかなー」
「心配だよね。普段からどこにいるか分かりづらいけど、ずっと出てこないなんてことなかったもの」
「人を驚かすのが趣味だかんねぇ。よくバッて出てくるじゃん。昨日も今日も全然それ見てねーわ」
タップ、スネーク、スパークが口々に言う。
「最後に見たのは誰?」
「マグ兄が見てないならニードル兄、かな」
「まあ見かけないって気づいたのニードルだもんな」
「ジェミニは一日中セカンドの手伝いだったからすれ違わないだろ」
「ハードは夜勤明けで爆スリープ中だし」
「アイツ夜勤とか起きてられんの?」
「知らね〜」
「ええとだから、少なくとも昨日の朝からこの時間までずーっとシャドーを見てないんだと思う……」
「昨日っつうか一昨日っつうか」
タップの言葉で、みながチェスト台上の時計に目をやり、己の本体設定と時間のズレがないことを確認する。ディジタルのそれはすでにAMを表示していた。日付が変わっている。なんとややこしい。
基地内の監視モニターはスネークがチェックしたはずだ。自室にいるならばスパークの声かけに応答するはずだし、基地内はタップとニードルでとっくに散策したであろう。
となればやはり、シャドーは外に出て部屋を丸一日以上空けた上、この時間まで帰ってきていない可能性が高い。
あれは身体が軽いものだからすぐにあちこちへ邪魔もするが、呼べば居るといった奇妙なロボットであった。それが沈黙しか返さないとは、振り返って影が伸びていないも同然の居心地悪さである。
「わかった、おれもその辺少し探してみるよ。お前たちもメンテしてもう休みなさい」
すり減ったタップのローラーシューズ。サーチスネークと同期して光るスネークの瞳。光源と反対の側をしきりに見渡すスパーク。
まったく末弟は甘やかされていた。マグネットもまた兄としてそうしようとしていた。弟は可愛いものであるからな。マグネットにとって、シャドーも、目の前のさんにんも非常にかわいいものだった。
茄子はどこへ帰る?
光を消した街々の奥へ誘われる。
別に暗くたって歩行に問題はない。人間よりもずっと高機能なカメラアイには、探索用のナイトモードがきちんと搭載されていた。
問題は、はて、己は基地の周辺を見ていたはずだが、いつのまにか遠くまで降りてきてしまったことである。
ワイリー基地は基本的に崖上、山中、あるいは雲の上かというほど高く、人の行き来がしにくい場所にある。アクセスは最悪だ。悪の発明家と呼ばれる彼の根城だものな。そしてドデカイそれが目に入らぬほど離れてしまった、ということだ。
マグネットのマッピング能力には難があった。地形把握能力は優れるが、あまりに強力な磁石を複雑に利用した身体故に方位感覚が危うい。この状況は完全にミイラ取りがミイラであった。迷子保護者が迷子になってどうするというのだ。
けれども予感はあった。あのシャドーが誰にでも見つかるような場所にいるはずはないのだと。ただの散歩だとしても、あるいは何らかの事件事故に巻き込まれたのだとしてもだ。視界外に逃げ仰せ、我々がまんまと驚かされる。シャドーは、そうなのだ。
そういう意味ではマグネットの矛盾した迷子捜索は一定の成果を挙げた。
皆が嫌な予感から近づかない闇に、マグネットなら踏み込める。強かな精神は、大雑把な欠点と完全な同期を果たしている。
「シャドー……シャドーマン? いるの?」
くらがりにひとつ声をかける。星も無き曇空はのっぺりと9B鉛筆色で街を見下ろす。深夜2時を回ろうとする世界が、もう諦めろと告げていた。
それでも進む。戻れもしないから、戻る気はなかったから、そのどちらが優位かも考えず進む。
変わらない足取りで二歩、三歩と歩めば、マグネットの視界の端で影が揺れた。一層濃い、また濃い影が。
「見つけた」
ハっとして焦点を合わせる。
路地裏から這い出る深淵、スターダイオプサイト。
「シャドー!」
建物間の狭い合間を縫う。室外機とパイプの詰め合わせられた道は入り組んでいたが、横幅にひとひとり入る程度の余分があった。放置された伸びっぱなし電気コードに足を取られないよう普段より大股で歩行し、問題なく入り込む。
冷静に奥を見定めれば、己の呼びかけに振り返った彼の、真赤の双眸に同じ色のマフラーが周囲から浮いていた。
ああ、いた。やはり居た。
「心配したじゃないか。こんな夜更けまで……道に迷った?」
「…………マグ殿?」
「そうそうマグどのだよ」
「ふ、じゃあ、道に迷ってるのはマグ殿のほうであろうなぁ」
シャドーはからころと笑った。からん、ころ、ころろ、と笑って、その目があんまりに剣呑で、ア、まずい!
ぐらりと一際大きく揺れたシャドーへ咄嗟に寄り添っては、磁力で互いの肩と肩をくっつけ固定する。危ないと冷やい排気をして、バランスを取るよう抱きしめる。
「さ、酒くさ……」
「んん」
「酔いすぎだよシャドー」
「酔ってなーいでござるよォ」
「もう駄目そうだなこいつ」
辛うじてかちあう視線は近くで見るとより不安定だった。震えるようにシャドーのカメラアイはうるんで、ぶちまけられた柘榴か何かだ。
この子は本当に何処まで行っていたのだろう。しっかりとロボ飲酒をバチギメてしまっているらしい。「どうしたの」とふたたび尋ねてみても、シャドーはきゃらきゃら小さな鈴のように笑うだけだ。完全にタチの悪い妖怪酔っ払いが出来上がってしまっている。こりゃあいけない。
「ほら帰るぞ。みんな待ってる」
「かえる」
「そう」
「なぜ」
「何故ときたか……」
実家だからだが……。
言いかけるも、そういうことを聞かれているのではないような気がして、マグネットは少し悩んでから問うた。
「帰りたくないの?」
「んー……」
いよいようまく立てないようで、シャドーはマグネットの肩に顔をうずめてしまう。ずしりともたれかかる体重。何か考えるようなうめきが籠った。
言葉が見つからないのか、何も言いたくないのか。急かしすぎないよう、されど目を離してはならないだろうと抱きしめたままに待つ。
相当の間を置いてシャドーは言った。
「遠いから……」
「遠い? まあ確かに距離はあるけども」
「マグ殿の磁力もとどかないくらい遠いから」
「……シャドー?」
「高くて遠くてとどかなくて、ずーっと向こうで、それ、で」
声が一度止まる。はく、と人間さながら呼吸に迷うように口が無駄な開閉を起こして、それから「どうしよう」と絞り出したように小さく言ったのを、この闇の中でマグネットだけが聴いていた。
而して思い出す。彼と出会ったときのこと。彼の名前が今のものになる前のことを。
「お前、やっぱり迷子になっていたんじゃないか」
シャドーを驚かせないよう、そっと彼の背中に手のひらを当てる。
それから、とん、とん、ゆったりとしたリズムで叩いた。あくまで優しく、優しく、途切れぬように。
まだDr.ライトがこちらと共同開発をしていた頃、彼が自身の発明品たちにこうしてやっていたのを見たことがあった。元は人間の胎や心音を再現した赤子のあやし方だと聞く。転じて年長者が庇護対象に行うクールダウンのための動作だ。
ロボットの硬質な手でやって効果がいかほどか知らないが、今やるべきだとマグネットは判断した。なんだって末弟は甘やかされていた。弟は可愛いものであるからな。
「大丈夫だよシャドー。ちゃんと迎えにきたから」
そのかわいい弟が必死こいて逃げていたのだ。己の内側より這い出る深淵から!
ずうっと低いところで忍び込んで、天翔る星々の視界外に逃げ仰せ、心折らぬよう自棄の酒まで呷り、ただだれかの迎えばかり待っていた。ソイツをどうして見捨てられよう?
「怖かったろう。ひとりにして悪かった。お前は聡い子だから、寂しがり屋も隠せてしまうのだったね。気づくのがすっかり遅れてしまった」
「…………」
「気持ちが落ち着くまでまわり道をしていこうか。なんてことはない、ここへ来るまでもずっとぐるぐる歩いてたからさ。帰りもそうすればいいだけだ」
「マグ殿」
「どうしたの」
「今日よりもっと、遠くに……いっても、」
「うん」
「むかえにきてくださるか?」
「きっと見つけるよ」
曇天の生み出す影はシャドーの本拠地にして加護。
異星の神々たる監視から逃れた今宵に、だれもこの子を攫うことなどできやしないのだ。だれにもさせやしないのだ。
己だけが、兄弟である我々だけが彼を見つけだした。見つけられないはずがないのだ。だから。
「だから帰っておいで」
ぐったりと力を抜いていたシャドーの腕が、マグネットの背中にまわってキュウとすがる。明確にはなれたくないと訴える意志、かなしいほど震えていた抱擁を、違わず肯と読んだ。
茄子はうちへ帰る
雲は機嫌良く、風と共に次の地へ移りゆく。朝が顔を出す。あかるみに立って影を追い越し帰路に着くは、晴れやかなる午前6時であった。
「たしかに基地は他より空に近いよなあ」
弟たちが順々に完成していたあの頃、ある作業場でシャドーの原型を見つけたのがマグネットだった。スクラップの溜まり場で、たまたま磁力に引き寄せられて、みなの目に留まって。
完全に機能停止したそれは博士の元で解析されて、空の向こうからの放浪者であることだけ分かった。
改造され、名付けられ、それに相応しい力の使い方を学んで、結局我々にたのしく馴染んでしまった。だからこそ恐れたのかもしれない。いつかに忘れた闇に取り込まれるやもしれぬ未来を。
ゲートを潜って帰宅を果たす。早朝の実家は外の天気など無視するように均一の照明がついて、いかにもロボット基地らしく機械器材が所狭しと並ぶ。
廊下をわたって談話室の扉を開けば、入り口すぐそばにいたスパークがパッと顔を上げて迎えてくれた。
「あっ! マグ兄だ!」
「ニードルーッ!! マグたち帰ってきたー!!」
「タップ声でっか」
「アイツずっと地震くらった猫みたいな顔で待ってたからな」
「おっせえよバカ。夜が明けてんじゃねーか」
「もうみんな起きちゃったよ」
「早く休みなさい〜とか言ってた本人が完徹すんな」
「あと一時間遅かったら総出で迎えにいくところだった」
「いやァ悪い悪い」
壁にもたれていたタップが弾かれるように滑走してニードルを呼びにいく。物置棚の方だろう。シャドーの帰宅にあわせてE缶でも取りに行ってくれたのか。
次いで、待ちかねたとばかりにソファから腰を上げるスネークと、同じく呆れ顔で立ち上がったジェミニ。
座りっぱなしのハードはまだ半覚醒なのか、わずかに瞼を開けてマグネットたちの無事を確認するとかまわず船を漕ぎだした。
「あれ? シャドー寝てるの?」
「えっマジ?」
「コイツが人前で寝てんの初めてみたぞ」
「ぼくも」
「こら、あんまりグイグイ覗かないの。静かにしておやり」
詰め寄る兄弟のにぎやかな包囲網に背を向けシャドーを遠ざける。
あのあと泥酔したシャドーは眠ってしまって、マグネットは彼を抱っこしたまま、宣言通り大回りで戻ってきたのだ。さほど体格差がなくて助かった。
ふくふくと頬を緩ませたその寝顔はすっかり恐怖を忘れ去っている。良きことである。酒と情報処理でのぼせ上がった体温を手離せなくて、ゆうらりゆらら、揺かごのようにゆれてみせる。
酔いが覚めたら何を話そうか。ひとまずはここが彼の家であるということは最優先に認識させねばらならないのだが、ともあれ今は。
「おかえりシャドー」
ゆっくりおやすみよ。
ここは地上。富士とも愛鷹とも劣らぬ高さの、ロボットたちが集いし悪楽園。茄子もアッと驚くワイリー基地。我らが実家である。
「お前もだろ。おかえりマグ」
「あはは、そうだった。ただいま」
タップに連れられてニードルが顔を出し言う。
うっかりしてたよ、だなんてようやく安心しきった返事が出て、ああ存外自分は緊張してたのだなと気がついた。
ではうちで一番縁起がよろしいのは誰だろう? 衛生基地管理のスターか、擬似宇宙を飛び回るアストロか、はたまた。
「シャドーまだ帰ってないの?」
帰宅一番に兄弟たちから告げられ、マグネットは確認するように聞き返した。
「そー。通信にも出ねえし、位置情報はあいつデフォで切っちまってるし」
「遠出するような任務は入ってなかったんだって。ここしばらく自由行動していたはずなんだけど……」
「サーチスネークの探知網にも引っかかんねーしよ」
「どっか影に潜ってんのかなー」
「心配だよね。普段からどこにいるか分かりづらいけど、ずっと出てこないなんてことなかったもの」
「人を驚かすのが趣味だかんねぇ。よくバッて出てくるじゃん。昨日も今日も全然それ見てねーわ」
タップ、スネーク、スパークが口々に言う。
「最後に見たのは誰?」
「マグ兄が見てないならニードル兄、かな」
「まあ見かけないって気づいたのニードルだもんな」
「ジェミニは一日中セカンドの手伝いだったからすれ違わないだろ」
「ハードは夜勤明けで爆スリープ中だし」
「アイツ夜勤とか起きてられんの?」
「知らね〜」
「ええとだから、少なくとも昨日の朝からこの時間までずーっとシャドーを見てないんだと思う……」
「昨日っつうか一昨日っつうか」
タップの言葉で、みながチェスト台上の時計に目をやり、己の本体設定と時間のズレがないことを確認する。ディジタルのそれはすでにAMを表示していた。日付が変わっている。なんとややこしい。
基地内の監視モニターはスネークがチェックしたはずだ。自室にいるならばスパークの声かけに応答するはずだし、基地内はタップとニードルでとっくに散策したであろう。
となればやはり、シャドーは外に出て部屋を丸一日以上空けた上、この時間まで帰ってきていない可能性が高い。
あれは身体が軽いものだからすぐにあちこちへ邪魔もするが、呼べば居るといった奇妙なロボットであった。それが沈黙しか返さないとは、振り返って影が伸びていないも同然の居心地悪さである。
「わかった、おれもその辺少し探してみるよ。お前たちもメンテしてもう休みなさい」
すり減ったタップのローラーシューズ。サーチスネークと同期して光るスネークの瞳。光源と反対の側をしきりに見渡すスパーク。
まったく末弟は甘やかされていた。マグネットもまた兄としてそうしようとしていた。弟は可愛いものであるからな。マグネットにとって、シャドーも、目の前のさんにんも非常にかわいいものだった。
茄子はどこへ帰る?
光を消した街々の奥へ誘われる。
別に暗くたって歩行に問題はない。人間よりもずっと高機能なカメラアイには、探索用のナイトモードがきちんと搭載されていた。
問題は、はて、己は基地の周辺を見ていたはずだが、いつのまにか遠くまで降りてきてしまったことである。
ワイリー基地は基本的に崖上、山中、あるいは雲の上かというほど高く、人の行き来がしにくい場所にある。アクセスは最悪だ。悪の発明家と呼ばれる彼の根城だものな。そしてドデカイそれが目に入らぬほど離れてしまった、ということだ。
マグネットのマッピング能力には難があった。地形把握能力は優れるが、あまりに強力な磁石を複雑に利用した身体故に方位感覚が危うい。この状況は完全にミイラ取りがミイラであった。迷子保護者が迷子になってどうするというのだ。
けれども予感はあった。あのシャドーが誰にでも見つかるような場所にいるはずはないのだと。ただの散歩だとしても、あるいは何らかの事件事故に巻き込まれたのだとしてもだ。視界外に逃げ仰せ、我々がまんまと驚かされる。シャドーは、そうなのだ。
そういう意味ではマグネットの矛盾した迷子捜索は一定の成果を挙げた。
皆が嫌な予感から近づかない闇に、マグネットなら踏み込める。強かな精神は、大雑把な欠点と完全な同期を果たしている。
「シャドー……シャドーマン? いるの?」
くらがりにひとつ声をかける。星も無き曇空はのっぺりと9B鉛筆色で街を見下ろす。深夜2時を回ろうとする世界が、もう諦めろと告げていた。
それでも進む。戻れもしないから、戻る気はなかったから、そのどちらが優位かも考えず進む。
変わらない足取りで二歩、三歩と歩めば、マグネットの視界の端で影が揺れた。一層濃い、また濃い影が。
「見つけた」
ハっとして焦点を合わせる。
路地裏から這い出る深淵、スターダイオプサイト。
「シャドー!」
建物間の狭い合間を縫う。室外機とパイプの詰め合わせられた道は入り組んでいたが、横幅にひとひとり入る程度の余分があった。放置された伸びっぱなし電気コードに足を取られないよう普段より大股で歩行し、問題なく入り込む。
冷静に奥を見定めれば、己の呼びかけに振り返った彼の、真赤の双眸に同じ色のマフラーが周囲から浮いていた。
ああ、いた。やはり居た。
「心配したじゃないか。こんな夜更けまで……道に迷った?」
「…………マグ殿?」
「そうそうマグどのだよ」
「ふ、じゃあ、道に迷ってるのはマグ殿のほうであろうなぁ」
シャドーはからころと笑った。からん、ころ、ころろ、と笑って、その目があんまりに剣呑で、ア、まずい!
ぐらりと一際大きく揺れたシャドーへ咄嗟に寄り添っては、磁力で互いの肩と肩をくっつけ固定する。危ないと冷やい排気をして、バランスを取るよう抱きしめる。
「さ、酒くさ……」
「んん」
「酔いすぎだよシャドー」
「酔ってなーいでござるよォ」
「もう駄目そうだなこいつ」
辛うじてかちあう視線は近くで見るとより不安定だった。震えるようにシャドーのカメラアイはうるんで、ぶちまけられた柘榴か何かだ。
この子は本当に何処まで行っていたのだろう。しっかりとロボ飲酒をバチギメてしまっているらしい。「どうしたの」とふたたび尋ねてみても、シャドーはきゃらきゃら小さな鈴のように笑うだけだ。完全にタチの悪い妖怪酔っ払いが出来上がってしまっている。こりゃあいけない。
「ほら帰るぞ。みんな待ってる」
「かえる」
「そう」
「なぜ」
「何故ときたか……」
実家だからだが……。
言いかけるも、そういうことを聞かれているのではないような気がして、マグネットは少し悩んでから問うた。
「帰りたくないの?」
「んー……」
いよいようまく立てないようで、シャドーはマグネットの肩に顔をうずめてしまう。ずしりともたれかかる体重。何か考えるようなうめきが籠った。
言葉が見つからないのか、何も言いたくないのか。急かしすぎないよう、されど目を離してはならないだろうと抱きしめたままに待つ。
相当の間を置いてシャドーは言った。
「遠いから……」
「遠い? まあ確かに距離はあるけども」
「マグ殿の磁力もとどかないくらい遠いから」
「……シャドー?」
「高くて遠くてとどかなくて、ずーっと向こうで、それ、で」
声が一度止まる。はく、と人間さながら呼吸に迷うように口が無駄な開閉を起こして、それから「どうしよう」と絞り出したように小さく言ったのを、この闇の中でマグネットだけが聴いていた。
而して思い出す。彼と出会ったときのこと。彼の名前が今のものになる前のことを。
「お前、やっぱり迷子になっていたんじゃないか」
シャドーを驚かせないよう、そっと彼の背中に手のひらを当てる。
それから、とん、とん、ゆったりとしたリズムで叩いた。あくまで優しく、優しく、途切れぬように。
まだDr.ライトがこちらと共同開発をしていた頃、彼が自身の発明品たちにこうしてやっていたのを見たことがあった。元は人間の胎や心音を再現した赤子のあやし方だと聞く。転じて年長者が庇護対象に行うクールダウンのための動作だ。
ロボットの硬質な手でやって効果がいかほどか知らないが、今やるべきだとマグネットは判断した。なんだって末弟は甘やかされていた。弟は可愛いものであるからな。
「大丈夫だよシャドー。ちゃんと迎えにきたから」
そのかわいい弟が必死こいて逃げていたのだ。己の内側より這い出る深淵から!
ずうっと低いところで忍び込んで、天翔る星々の視界外に逃げ仰せ、心折らぬよう自棄の酒まで呷り、ただだれかの迎えばかり待っていた。ソイツをどうして見捨てられよう?
「怖かったろう。ひとりにして悪かった。お前は聡い子だから、寂しがり屋も隠せてしまうのだったね。気づくのがすっかり遅れてしまった」
「…………」
「気持ちが落ち着くまでまわり道をしていこうか。なんてことはない、ここへ来るまでもずっとぐるぐる歩いてたからさ。帰りもそうすればいいだけだ」
「マグ殿」
「どうしたの」
「今日よりもっと、遠くに……いっても、」
「うん」
「むかえにきてくださるか?」
「きっと見つけるよ」
曇天の生み出す影はシャドーの本拠地にして加護。
異星の神々たる監視から逃れた今宵に、だれもこの子を攫うことなどできやしないのだ。だれにもさせやしないのだ。
己だけが、兄弟である我々だけが彼を見つけだした。見つけられないはずがないのだ。だから。
「だから帰っておいで」
ぐったりと力を抜いていたシャドーの腕が、マグネットの背中にまわってキュウとすがる。明確にはなれたくないと訴える意志、かなしいほど震えていた抱擁を、違わず肯と読んだ。
茄子はうちへ帰る
雲は機嫌良く、風と共に次の地へ移りゆく。朝が顔を出す。あかるみに立って影を追い越し帰路に着くは、晴れやかなる午前6時であった。
「たしかに基地は他より空に近いよなあ」
弟たちが順々に完成していたあの頃、ある作業場でシャドーの原型を見つけたのがマグネットだった。スクラップの溜まり場で、たまたま磁力に引き寄せられて、みなの目に留まって。
完全に機能停止したそれは博士の元で解析されて、空の向こうからの放浪者であることだけ分かった。
改造され、名付けられ、それに相応しい力の使い方を学んで、結局我々にたのしく馴染んでしまった。だからこそ恐れたのかもしれない。いつかに忘れた闇に取り込まれるやもしれぬ未来を。
ゲートを潜って帰宅を果たす。早朝の実家は外の天気など無視するように均一の照明がついて、いかにもロボット基地らしく機械器材が所狭しと並ぶ。
廊下をわたって談話室の扉を開けば、入り口すぐそばにいたスパークがパッと顔を上げて迎えてくれた。
「あっ! マグ兄だ!」
「ニードルーッ!! マグたち帰ってきたー!!」
「タップ声でっか」
「アイツずっと地震くらった猫みたいな顔で待ってたからな」
「おっせえよバカ。夜が明けてんじゃねーか」
「もうみんな起きちゃったよ」
「早く休みなさい〜とか言ってた本人が完徹すんな」
「あと一時間遅かったら総出で迎えにいくところだった」
「いやァ悪い悪い」
壁にもたれていたタップが弾かれるように滑走してニードルを呼びにいく。物置棚の方だろう。シャドーの帰宅にあわせてE缶でも取りに行ってくれたのか。
次いで、待ちかねたとばかりにソファから腰を上げるスネークと、同じく呆れ顔で立ち上がったジェミニ。
座りっぱなしのハードはまだ半覚醒なのか、わずかに瞼を開けてマグネットたちの無事を確認するとかまわず船を漕ぎだした。
「あれ? シャドー寝てるの?」
「えっマジ?」
「コイツが人前で寝てんの初めてみたぞ」
「ぼくも」
「こら、あんまりグイグイ覗かないの。静かにしておやり」
詰め寄る兄弟のにぎやかな包囲網に背を向けシャドーを遠ざける。
あのあと泥酔したシャドーは眠ってしまって、マグネットは彼を抱っこしたまま、宣言通り大回りで戻ってきたのだ。さほど体格差がなくて助かった。
ふくふくと頬を緩ませたその寝顔はすっかり恐怖を忘れ去っている。良きことである。酒と情報処理でのぼせ上がった体温を手離せなくて、ゆうらりゆらら、揺かごのようにゆれてみせる。
酔いが覚めたら何を話そうか。ひとまずはここが彼の家であるということは最優先に認識させねばらならないのだが、ともあれ今は。
「おかえりシャドー」
ゆっくりおやすみよ。
ここは地上。富士とも愛鷹とも劣らぬ高さの、ロボットたちが集いし悪楽園。茄子もアッと驚くワイリー基地。我らが実家である。
「お前もだろ。おかえりマグ」
「あはは、そうだった。ただいま」
タップに連れられてニードルが顔を出し言う。
うっかりしてたよ、だなんてようやく安心しきった返事が出て、ああ存外自分は緊張してたのだなと気がついた。