short story

◼︎バレンタインデー

 
 2月14日も数日後に迫ったある日のこと。
「バレンタインにチョコ食べたいか」
 と榊に訊かれた良太は間髪入れずに、
「はい!」
 と元気よく答えた。
 恋人になって初めて迎えるその日のために、良太の方はすでに準備万端であった。
 メインの甘さ控えめチョコレート、さらに風呂好きの彼のために高級バスグッズを用意してある。しかも翌日は丁度いいことに土曜、公務員の榊は休日だ。もちろん良太も休みを取ってあるので思う存分、夜の営みを楽しめる。あわよくば一緒に入浴して隅々までなんてことも──などと期待は高まるばかりだ。
 榊はといえば、いままで貰う側であっただけにチョコを贈る習慣がない。ホワイトデーにはお返しをするけれど。本命、友達、自分用、義理と種類はあってもあくまで女性が主体のイベントという固定観念があった。
 ところが今日コンビニで偶然会った麗子に、
『バレンタインのチョコもう買った?』
 と訊かれて疑問が生じたわけだ、自分たち男同士の場合どうすればいいのかと。そして冒頭の質問である。
「じゃあ私から良太くんに贈るってことでいいな」
 一般的なお付き合いのセオリーからいけば、一方がバレンタインにチョコを渡し、相手はホワイトデーにお返しをする。そういうものとばかり思っていたのだが、
「俺も贈ります。ていうかもう買ってあるんですよね」
「買ってある?」
「はい、チョコとあともうひとつプレゼント」
「交換ってことになるのか」
 目から鱗というか、なるほど同性の恋人だとそういうのもありなんだと、榊にとっては感心ものだった。
 チョコ以外にもプレゼントまで用意しているという相手に釣り合うためには、こちらもなにかプラスして然るべきと榊は考える。他になにか欲しいものがあるかと問えば、良太は若干の間を溜めた末にこう言う。
「……チョコプレイしたい」
「チョコなに⁉︎」
 なんつう阿呆なことを、と叱るように語気を荒げる榊に怯まず、良太は正直に申し上げた。
「チョコ塗って舐めたい!」
「食べ物を粗末にするな!」
「おいしくいただくので粗末にはなりません」
 衛生的に駄目だろ、と榊は眉をひそめてそっぽを向く。
「榊さんはべつに舐めなくていいんですよ」
 そうなのだ。良太はしたいのであって、されたいわけではない。
「溶けたあっちいチョコをぶっかけるんじゃないだろうな」
「しませんよ、火傷するでしょそんなことしたら。チョコペンていうやつ、あれでちょっとこう、ほっぺとかに描いてっていう」
 お手軽なプレイだと思ってもらう作戦、
「まあ、それくらいなら……いいけど」
 成功!
 榊は了承したもののそれでもまだ心底納得していないかのような、照れ隠しで拗ねてみせるような態度をとって、
「だいたいお前、チョコなんかなくても舐めてるだろ、いろいろ、なんでわざわざそんな、対価に見合ってなくないか、他になにかないのかよ、欲しいもん」
 などとぶつくさ言っている。
「一番ほしいのは榊さんですから」
 良太が抱きつけば腕の隙間から、安上がりだな、とくぐもった声が聞こえた。
「前にも言いましたよね、貴方は御馳走だって」
 安いだなんてとんでもないことだ。
 •
 •
 •
 俺が合図のように彼の頬を撫でれば、目を閉じてキスしやすいように顎を上向きにしてくれる。無防備で素直なしぐさが堪らなく愛おしい。
 力まかせに抱き潰して食い散らかしたい欲情を抑え、慎重に唇を食むようなキスをすれば抵抗もせず中まで侵入を許された。
 深い口付けは砂糖よりも甘くカカオの苦味ほどに切なくて、滑って蕩けるような舌触りが気持ちいい。
 ずっとこのままでいたいけど、残念なことにこの時間は永遠には続かない。最低でもこのひと時を忘れないように頭の中に保存しておきたいけど、人の記憶なんて都合のいいように書き換わり改竄されてしまう、頼りないものだ。
 ならせめて自分で自分に条件を付けて、覚え込ませなきゃいけない。条件反射、パブロフの犬だったか。犬に餌を与える前に必ずベルを鳴らすことを繰り返すと、ベルの音を聞いただけで唾液を足らすようになるという。
 チョコレートの風味に最愛の人を紐付ければ俺だって、きっとどこでも、何年後も何十年後も、そのフレーバーを感じるたびに記憶を再生することが出来るようになるだろう。
 これでも俺は人間だし、条件付けの機会は限られてる。犬のように簡単にできるかどうかは分からないけど、それが試さない理由にはならない。
 狙いを定めたものに強く執着するαの性質は、こういうところで利用しなければ。
「バレンタインデー楽しみですね」
 その後の人生も、とても楽しみだ。


9/9ページ
スキ